「後藤組」の版間の差分
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2008年12月16日 (火) 08:00時点における版
後藤組(ごとうぐみ)は、静岡県富士宮市に本拠を置く日本の暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体。 直参全50団体。構成員は2006年2月末現在で準構成員を含めて約1150人。
概要
組長・後藤忠政は、三代目山口組時代のボンノこと菅谷政雄が興した菅谷組の幹部で「北陸の帝王」と呼ばれた川内 弘が率いる川内組の幹部だった。 菅谷組の内紛から川内が射殺され、伊堂組(組長・伊堂敏雄)舎弟を経て四代目山口組直参に昇格する。 一和会との「山一抗争」の時には、一和会会長・山本 広宅にダイナマイトを持参してダンプで突入した。
五代目山口組の東京進出時には、いち早く行動を起こし、確固たる地盤を築いた。 1990年2月に起きた「八王子抗争」の後、八王子に正東会会長・古橋勝利(後に後藤組舎弟頭補佐)が地位を確立した。
その後、世間を騒がせた武富士問題の結果、日本航空の個人筆頭株主になった。後藤組傘下企業舎弟及びフロント企業は、東京都内に多数 進出している。
後藤組の名は、1992年の映画「ミンボーの女」をめぐる伊丹十三監督襲撃事件で、武闘派暴力団として報道された。伊丹十三監督襲撃事件とは、「ミンボーの女」で地上げやゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描いた伊丹監督が、同年5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った五人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負った事件である。伊丹監督は「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。
旧極東桜井總家連合会から加わった大石会、高山組、柿畑組、高山会、斉藤組等が直参に昇格し、構成員も約300人増えた。
テナントビル「真珠宮ビル」を巡る虚偽登記事件
2006年5月8日、東京都渋谷区代々木2丁目の真珠宮ビル(12階)所有権を勝手に移転させたとして、警視庁組織犯罪対策4課が、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで組長後藤忠正を逮捕。同様の容疑で不動産会社「菱和ライフクリエイト」社長ら10人も逮捕。午前中には静岡県富士宮市の後藤組本部の家宅捜索を受けた。2日後の5月10日には不動産ブローカーの男が電磁的公正証書原本不実記録などの容疑で逮捕されている。
最高幹部
- 組長・後藤忠政(六代目山口組舎弟、旧伊堂組舎弟、元川内組若頭補佐兼静岡支部長)
- 若頭・良知政志(良知組組長)
- 若頭補佐・山口勝美(山勝組組長)
- 若頭補佐・石原英也(政竜会会長)
- 若頭補佐・篠原 誠(忠誠会会長)
- 若頭補佐・日高丈昌(日高組組長)
- 若頭補佐・深沢正志(深澤組組長)
- 特別相談役・渡辺 宏(渡辺組組長)
- 特別相談役・石川和一(石川組組長)
- 舎弟頭・佐野宏好(三代目大石会会長)
- 舎弟頭補佐・坂本剛志(坂本組組長)
- 舎弟頭補佐・古橋勝利(正東会会長)
- 総本部長・塚本修正(志太宗家十代目)
- 副本部長・池田 満(二代目東駿会会長)
その他の組員
舎弟
- 舎弟・庄子 喬(二代目東京盛代庄子組組長)
- 舎弟・鴻池 隆(鴻池組組長)
- 舎弟・早川 正(早川組組長)
- 舎弟・佐野明義(藤友会会長)
- 舎弟・太田茂昭(太田組組長)
- 舎弟・中村政治(會津家七代目組長)
- 舎弟・永持昌男(永昌会会長)
- 舎弟・高山 勲(三代目高山会会長)
- 舎弟・柿畑 務(柿畑組組長)
- 舎弟・長澤城二(大石会会長代行)
幹部
関連項目
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