「朝鮮半島を中国とみなす記述」の版間の差分
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2020年1月17日 (金) 22:20時点における最新版
朝鮮半島を中国とみなす記述(ちょうせんはんとうをちゅうごくとみなすきじゅつ)では、歴史的に朝鮮半島全体やその一部が中国領土やその植民地、あるいは支配下にあった、または、あると見なす出版物や報道等について記述する。
「中国」の定義[編集]
テンプレート:華北の浸透王朝・征服王朝の歴史 日本語における「中国」や英語における China 等(日本語における「支那」も含む)は、使用する人によって少なくとも次に列挙するような複数の異なる概念を意味し得る多義的な表現なので、本項で紹介される事例についても、いかなる意味が定義されているのかが問題となり得る[1]。
- 中国本土(英語における China Proper ないし Inner China )
- 中華圏(英語における Greater China )
- 中国大陸(英語における Mainland China )
- 漢字文化圏(英語における Sinosphere …日本語に直訳すると「支那圏」)
- 中華人民共和国(英語における People's Republic of China )
- 中華民国(英語における Republic of China )
- 大清属国・・・清における公文書で利用されている表現。大清国属という表現もある。
征服王朝など[編集]
契丹の高麗侵攻 も参照 また、得てして、中華帝国の系譜に連なる王朝の内、征服王朝の4王朝(遼・金・元・清)や、それ以前の浸透王朝(華北の五胡十六国時代の諸国や南北朝時代の北朝)など、漢民族以外の民族(中国の異民族)が中原(華北平原)を支配下に置くに至った王朝をも、ひとまとめに「中国」や China 等と呼ぶことも少なくないが、厳密に言えば契丹、女真(満州民族)、蒙古などのツングース系やモンゴル系の諸民族が建てた王朝なのであるから、これらを「中国」や China 等と呼ぶことが果たして適確・適正なのかについても議論の余地が有り得る。特に
- 高麗が遼や金に朝貢し、元に服属した事実。
- 元が朝鮮半島の一部を直轄するために双城総管府、東寧府、征東等処行中書省を設置した事実。
- 李氏朝鮮が清に朝貢し、その一方で清が李氏朝鮮を属国と公文書にて称し、大清皇帝功徳碑を李氏朝鮮に作らせた事実。
等をもって「朝鮮半島を中国とみなす記述」の根拠とする事例も見られ、留意が必要と言える。これらの事情は朝鮮半島にとどまらず、ベトナムや倭(邪馬台国等)にも当てはまる時期が存在する。詳細は冊封等を参照。特に、冊封関係を結んだ属国を王朝内の役職である臣と称する点に注意。また、これらの表現は欧州には馴染み難い概念でない。(属国の英訳であるen:Client stateは2011年2月28日現在、英語版wikipediaには存在する。)
報道関係[編集]
- スペインの有力紙『エル・ムンド』(El mundo) は、「朝鮮は建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年間にわたって中国の植民地だった」と報道した。『エル・ムンド』は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年の韓国併合までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報じた[2]。
- CNNは韓国が元々中国植民地だったと報道し、ヒストリーチャンネルは平壌を中国植民地だと報道した[2]。
- 世界中の華僑を対象に、中国史と中国語を教育する台湾政府の「台湾校務委員会」傘下の中国語ネットワーク教育センターは、ウェブサイト上で「歴史的に、韓国は中国の植民地だった」と掲載している[3][4]。
- ヒストリーチャンネルはウェブサイトで韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったと紹介し、「韓国は韓国の全ての歴史をひっくるめて中国と日本から強力な影響を受けた国家(Chinese and Japanese influences have been strong throughout Korean history)」だと叙述し、また「韓国を最初に建国したのは中国の学者箕子で、韓国は中国の植民地から最初の国家が始まった中国の植民地国家だった」と叙述した。さらには新羅の三国統一が中国の支持を通じてのみ可能だったと強調し、三国統一の過程における新羅の役割を縮小および削除して、中国の支援を強調した。壬辰倭乱は、韓国人の抗争は紹介せずに中国の助けだけで韓国が壬辰倭乱を逃れたと記述しており、また、丙子胡乱以後は中国の植民地になり、外国との接触を絶って「隠遁の王国」に転落したと紹介した。VANKは、これは韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったという歴史観で、東北工程を間接的に支持する資料として誤用され得ると批判している[5]。
- Yahoo!シンガポールはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していた[6]。
- 2006年にCIAが国家情報報告において、「韓国は1000年間独立国家だったが、日露戦争により日本が占領した」と紹介した。これに対してVANKは、「これは西暦1000年以前は独立国家ではなかったという意味で、高句麗と古朝鮮の歴史を古代史から除いている」と批判し、CIAに抗議書簡を送っている。CIAはこの書簡に対して返事を送らなかったが、「去る数千年間の長年の独立歴史である韓国」と訂正した[7]。
- 世界銀行、イギリス公共放送局チャンネル4を含めた外国教育機関、教科書出版社、ポータルサイト、百科事典など34の機関の世界地図で韓国を中国領として表記している。例えば世界的なファーストフード会社のバーガーキングは自社のホームページで朝鮮半島を中国領として表記している他、アメリカの有名旅行情報サイトのゲート1トラベルは北朝鮮を中国領として表記している。また、ニュージーランドの茶販売会社ベル・ティー・カンパニーは、自社サイトで韓国を中国領としている[8]。
- 外国教育機関、百科事典、博物館、図書館などで中国の漢、元、清などの歴史を紹介する世界地図が朝鮮半島全体を中国領と表記している。例えば、中国の国営放送CCTVのサイトは元の時期の世界地図に朝鮮半島全体を中国の土地として紹介し、米国のミネアポリス美術館のサイトも元の時代の朝鮮半島を中国の領土と表記している。また百科事典「グロリア」と歴史サイト「ハウ・ツー・フットワーク」、図書館サイト「アイビブリオ」は清の時代に朝鮮半島を中国の土地と同じ色で塗り、百科事典「ニュー・ワールド・エンサイクロペディア」をはじめとして学術機関「カルチャー・チャイナ」「ピッツバーグ大学」「ミネソタ州立大学」等のサイトは漢江北側を、中国紹介サイト「スーパートレース」と「NEN」などは全羅北道北側地域まで中国領としている[9]。
- 1日で数百万人がアクセスするアメリカヤフーの旅行情報コーナーに記載された韓国史の紹介部門には、「韓半島最初の国家成立時期は、668年である」と書かれている[4]。
- コロンビア大学のオンライン百科事典やアメリカ議会図書館などの海外サイトに紹介された韓国古代史のくだりには、「古朝鮮も中国の植民地」=「古朝鮮は紀元前12世紀に、中国人、箕子が韓半島北部に建てた国だ。その当時、韓半島南部は日本の大和政権の支配下にあった」と書かれている。これらサイトは、韓国を「強大国に挟まれて門戸を閉ざしていた『隠遁の国』に描き「日清戦争以降、日本の支配を受けながら近代化に成功した」と説明している[4]。
- ヤフーチャイナは、古代の韓国領の一部を中国領にしている。ヤフーチャイナの世界地図オンラインサービスで、西漢時代には漢江より北を、唐代には韓半島北部と湖南地方を、元代には漢江より北をそれぞれ中国領と表記している[10]。
- 世界地図オンラインサービス内の時代別地図には、過去に韓国領だった間道地方が全く表記されていない。有名軍事ポータルサイト鉄血軍事で紹介された世界地図も同様の地図を掲載している[10]。これに対して、VANKのパク・ギテ団長は「これは中国政府が『東北工程全世界戦略』の一環として、多国籍ポータルサイトであるヤフーのグローバルネットワークを活用し、古代韓国が中国の領土だったというわい曲された認識を世界中に植え付けるべく、水面下で作業している証拠だ」と主張している[10]。
- ヤフーなど世界のポータルサイトが「平壌は約2000年間、中国の植民地だった」という内容を掲載している[11]。また、ヒストリーチャンネルやブリタニカ百科事典など世界的なインターネットサイトも同様の内容を掲載している[11]。ヒストリーチャンネルは「平壌は紀元前1122年に中国商王朝の子孫によって誕生した都市で、平壌付近には都市の伝説的設立者である中国学者の箕子の墓がある」とし、「紀元前108年に平壌は中国の植民地となり、文化の中心地になった」と説明している[11]。
- 34の博物館、テレビ局、新聞社、ポータルサイト、百科事典など世界の34の有名機関が発行している53の世界地図が、韓国の全体領土および一部領土を中国の領土として表記している[12]。
- 歴史関連サイトとしては世界最大で、全世界の教科書出版社などに歴史資料を供給している「ワールド・ヒストリー・ドットコム」は、漢四郡や任那日本府など、韓国が中国・日本の属国だったと叙述している[13]。
- 外国のウェブサイトには、「韓国は過去、中国の植民地であった」「日本の植民支配で韓国は経済的発展を遂げた」という内容を載せているウェブサイトが多く、韓国の国家的威信を墜落させている[14]。
- 「韓国は19世紀まで中国の一部だった」という韓国情報が海外サイトに掲載されている。イギリスの世界歴史情報サイトである「spartacus.schoolnet.co.uk」は「韓国は1637年に中国の一部に併合されて、1895年まで独立できなかった」と、韓国を中国の属国と表現し、国際児童救護機構サイトである「sos-childrensvillage.org」は古朝鮮についての紹介なしに「中国の箕子が韓半島に国家を初めて建てた」と説明し、韓国の歴史が中国から始まったかのように記述した[15]。
- オンライン百科事典であるエンサイクロペディア、世界最大教育ポータルサイトであるファクトモンスター、インフォプリーズ、レファランス・オールリファー、コロンビア大学オンライン百科事典バートレビなどの教育ポータルサイトは、中国の世界史教科書に載せられた韓国史をそのまま反映し、韓国の高句麗を最初の国家として紹介して高句麗前史が抜け落ち、高句麗及び三国時代の設立時間なども過って載せ、韓国史の初めの部分に「韓国は全歴史を通じて中国と日本から強い影響を受けた」「韓国は中国の植民地国家」と紹介した[16]。
- ヘレン・ミアーズは、アメリカの鏡・日本で、「日本は韓国の独立という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。(中略)日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた」と述べている。
- 米国のジョンズ・ホプキンス大学で開催された中国の文化公演で、韓国民謡のアリランや伝統衣装韓服が、中国の少数民族の文化として紹介された。公演を見学した韓国人留学生らは「韓国は中国の属国ではない」と反発している。公演では中国王朝時代の伝統衣装をはじめ、さまざまな少数民族の文化が紹介されたが、その中で韓国の伝統服韓服を身につけた女性も登場し、韓国の伝統楽器であるカヤグムを弾き、バックミュージックには韓国民謡のアリランが流れた。公演の冊子には、中国の少数民族とともに韓服やハングル文字の写真も印刷され、「朝鮮民族の文化は、中国少数民族の文化として中国政府の保護を受けている。中国政府により中国内の少数民族は発展している」と記されていた[17]。
- 2004年7月1日に蘇州で開催された世界遺産委員会において、高句麗前期の都城と古墳が世界遺産に登録されたが、翌日の新華社通信において、「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」と報道されている。中国国内の高句麗の遺跡には、「高句麗人は決して朝鮮人ではない」「高句麗は中国古代国家の殷に起源を持つ漢民族が建設した国家」と書かれた案内板が立っているという[18]。中国吉林省集安市博物館の案内縦看板の説明文は、「高句麗は中国古代に存在した北東地方の少数民族政権のひとつ」と書いてあり[19]、案内員は高句麗の遺物を説明する際、中国文化への隷属性を強調し、「当時中原で使われた硬貨がここで発掘されました。高句麗が中国の一部であった証拠です」と説明している[19]。別の案内員は、『三国志』の「高句麗にその名簿を主管させた」という文章を「高句麗が漢を主人として仕える」と説明している[19]。また、孫泓東アジア研究中心研究員は、「高句麗は中原王朝の地方政権」「高句麗は大部分の歴史において一貫して中原に帰属してていた」と述べている[20]。さらに、オーストラリアの中国大使館はホームページで、「高句麗は中国歴代王朝と従属関係を維持し、中原王朝の制約と管轄を受けていた地方政権」と掲載している[21][22]。なお、高句麗の帰属に関してYouTubeでは、韓国人が満州族の高句麗の歴史を盗作しているとする動画が出回っている[23][24]。「Korean are stealing Manchu's Koguri history(韓国人が満州族の高句麗の歴史を盗んでいる)」という動画は、「現代の韓国人は高句麗と血縁的関連が弱くて、高句麗の血統を受け継いだのは満州族」として「歴史泥棒もうやめろ」とし[23]、「韓国人は、過去の高句麗の血統を受け継ぎ非常に長い時間満州を支配したと言って歴史の盗難をしようとしている」としている[24]。中国のネチズンからは、「古代高句丽民族和现代韩国人根本就不是一个民族,属于古扶余人,应该是东胡的一部分(古代高句麗人と現代の韓国人は全く違う民族。高句麗は古扶余人で東胡の一部分だろ)」という意見もある[25]。黄文雄は著書で、「満州族の先祖が築いた高句麗と渤海」との見出しで、「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である」と高句麗と渤海を満州族の先祖としている[26]。また、黄は「ひるがえって、満州史の立場から見れば、3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州、朝鮮半島北部に建てられた独自の国家が高句麗(?~668年)と、その高句麗を再興した渤海(698~926年)である」とし、高句麗と渤海を満州史としている[26]。また南出喜久治も、「高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であって、韓民族の民族国家ではない」と述べている[27]。
教科書関係[編集]
- 「韓国は数百年間中国の属国だった」「日本は韓国の地で大きな発展を成し遂げた。鉄道と道路、港を建設し、産業を発展させて、教育機会を拡大させようと努力した」「日本が韓国の教育機会を拡大させようという努力をした」(カナダの教科書)[28][29]
- 「朝鮮は近代に至るまで、その国内での抵抗にかかわらず、中国と日本の属国だった」「35年間の日帝強制占領期に韓国は経済発展を成し遂げた」(オーストラリアの教科書)[30]
- 「朝鮮は、その歴史の大部分で中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立することによって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」(フィリピンの教科書)
- 「韓半島は古代から中国の植民地であった」「日本の侵略が韓国の近代化を促進した」(インドネシアの教科書)[31]
- 「韓国が17世紀に中国の支配に入っていて、これは中国が弱くなった19世紀末まで続いた」(タイの教科書)[29]
- 「韓国は中国の属国だった」「1600年代初め、中国が韓国を再び支配した。300年間、韓国は中国の統治下にあった」「日本が韓国の南の端に貿易基地や軍事的植民地を維持した」(アメリカの教科書)[32][29][30]
- 「朝鮮は永らく中国の属国だった」(インドの教科書)
- 「韓半島のあらゆる歴史は中国と日本の侵略と威嚇として綴られた」(フランスの教科書)[28]
- 「独裁及び傀儡国家」「政治的、軍事的に帝国主義に依存している」(チェコの教科書)[28]
- 「366-562年、日本が韓半島南部を占領した」(イギリスの教科書)[29]
- 「紀元1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」(ポーランドの教科書)
- 「かつてロシアの植民地で、日本の植民地でもあった国家」(シンガポールの教科書)[33]
- 「中国語を使用している国家」(ウルグアイの教科書)[33]
- 「韓国は中国語使用地域」(アルゼンチンの教科書)[34]
- 「韓国の宗教は儒教」「公用語は中国語と日本語」(クウェートの教科書)[35]
- 「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀のことだった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」 (ドイツの教科書)
- 「清は18世紀なかごろに(略)朝鮮・ベトナム・タイ・ミャンマーを属国とする大勢力となった」(日本・山川出版社 『詳説世界史』)
- 「いっぽう清国も、朝鮮を属国あつかいにした」」(日本・東京書籍 『日本史A』)
- 「(日清戦争で)日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(『中等世界史』 韓国・英志文化社 1959年)
- 「朝鮮は清の半属国だった」(『高等世界史』 韓国・教友社 1962年)
- 「サミュエル・P・ハンティントンは彼の著書『文明の衝突』で、わが国を中国の文明に抱含させている。外国人の目には、わが国の文化が中国とあまり差異なく見えるようだ」(『高等学校世界史』 韓国・教学社 2003年)
- 『世界史A』(実教出版、46頁)は、モンゴル帝国の発展を示す地図のなかに安南と高麗を含め、『世界史B』(実教出版、145頁)と『高校世界史B』(実教出版、86頁)は、モンゴルの最大版図の外側に安南と高麗を同じ色刷の斜線で示している[36]。
- 世界の1億人を対象にした教科書を出版しているピアソン・エデュケーションは、韓国を中国の属国に定義付ける世界史の試験問題を出題している[37]。
- 1478年から現在まで、アメリカをはじめ、日本、カナダ、中国など世界約50か国で教科書を出版しているオックスフォード大学の出版社が制作している中学校課程教科書は、古代中国の領土を表記した「古代の世界」の1ページで、朝鮮半島全体を中国領土に含ませている[37]。
- アメリカの世界史教科書では万里の長城が鴨緑江近隣までのびている地図が掲載され、「1640年代に韓国は中国・清王朝の属国になった」と記述されている[38][39]。
- バロンズ社が発行しているアメリカの大学進学適性試験の教材は、新羅を朝鮮半島で初の国家と表記している[40]。
- アメリカの大部分の教科書は韓国が「中国と日本の属国」と記述されている[41]。
- アメリカの教科書は、古代の中国地図に朝鮮半島を中国の領土と表記している[35]。
- アメリカのマクドゥーガル・リトル出版社が発行している教科書に収録された1850~1910年に分割占領された中国領土地図[9]には、朝鮮半島が中国領土であるかのように領域圏を明示したうえで、朝鮮半島と台湾を日本が植民地化したものと図示している[42]。
- 2005年メキシコのエスフィング(Esfinge)が発行した高校生用教科書には日本のアジア侵略は戦争ではなく地域の平和と秩序のためという善意の表現だったし、日本の韓半島侵略は経済的利益を得るためではなくロシアから韓国を保護しようとするためだったという内容が掲載されている[42]。
- メキシコの教科書は、韓国を1910年以前の中国領と表記し、韓国人ではない他民族の写真を掲載している[35]。
- アメリカ14州で教科書に採択しているホルト・ラインハルト&ウィンストン出版社の「世界史、人間と国家」は、高句麗や渤海、高麗、朝鮮等も中国の一部であるかのように記述し、「中国の韓国統治は韓国文化にどのような影響を及ぼしたか」という答を誘導している[43]。
- 全世界の学生の韓国に対する認識を形成させる外国の教科書には、「韓国を中国や日本の属国で貧しい農耕国家」と記述している[44]。
- アメリカの教科書は韓国関連の内容を少なく扱い、韓国を中国・日本の周辺国と描写しており、韓国が中国と日本の支配を順に受けたかのように記述しており、「1600年代から中国が朝鮮を300年間支配した」と記述している[45]。
- 外国の世界史の教科書の50%以上は韓国史を半ページ程度紹介しているだけで、10ページ余り近い日本、中国史の20分の1の水準である。ワールド・ヒストリー・ピープル&ネーションズは、BC87年、漢の領土が漢江の南まで下っている。万里の長城は豆満江までつながり、13世紀の高麗はモンゴルの属国、朝鮮は清の植民地として描写されている。また、ワールド・ヒストリー&ユーは、日本、中国と違い、韓国史は朝鮮戦争から叙述されている。また、ロンリー・プラネットは、「韓国人男性は本能的に外国人男性に排他的だ。これは女性を奪いに来ていると誤解しているため」と記述され、これをモンゴルの侵略以後に膨らんだ心理状態と描写している[46]。
- 小中高の教科書と旅行関連書籍、マルチメディア教育用CDロムタイトルを米国、豪州、ニュージーランド、インド、ドイツ、南アフリカ、カナダに供給する世界最大規模の多国籍教科書および旅行関連書籍を発行するイギリスに本部を置く出版社DK社が発行する教科書に韓国の公用語は中国語とハングルとされている[47]。
- 香港の中学1年の歴史教科書の150ページには魏・蜀・呉の三国時代の記述で、初期の高句麗領土に該当する地域を魏の領土として色分けしている[48]。
- 村井友秀によると、1953年発行の中国政府の国定教科書には、かつての朝貢国(インドシナ半島、朝鮮半島)は、「外国に奪われた中国の領土である」と記述されているという[49]。
- スペインの一部の教科書は、韓国の文字を中国文字、韓国の人種を中国-モンゴル人種として表現し、スペイン、オーストリア、オランダ、カナダの教科書には、韓国に対するイメージが近・現代史に限定されていて、中国と日本、米国と旧ソ連の至大な影響の下、被侵の歴史で染み付いた弱小国という印象が非常に濃厚に敷かれている[50]。
- 柳錫春延世大学教授によると、インドネシア、フィリピン、タイの教科書には、韓国の歴史を日本や中国の一部と理解しているという[51]。
- トルコの高校生の地理教科書には韓国の民族は大部分韓国人だが、残りは中国人と日本人で構成されている、という内容がある[52]。
- 全世界の大部分の教科書で韓国の歴史が中国とロシア、日本の植民地として紹介され、大部分の外国の子供たちは韓国の歴史は中国の植民地の歴史だと認識している。また、外国の教科書には、「韓国は中国と日本という鯨の間に挟まれた海老」だと載っている[53]。
- アメリカをはじめとする多くの国家で日本中心の歴史観をそのまま借用し、「中国と日本の属国として綴られている歴史を持っている」という記述内容が主流となっている[28]。
- アメリカの中等学校の社会科の教科書『世界地理‐世界的観点』には、「彼ら(韓国)は中国の文字表記法を借用し、多くの中国の語彙を改造して使用した」と叙述している[54]。これに対して、韓国教育課程評価院のパク・ソンミ研究委員は「アメリカの教科書執筆者らが、韓国文化が中国文化圏に属しているという考えを持っているためであるようだ」と指摘している[54]。
- アメリカの世界史の教科書には中国と韓国の間の朝貢秩序を、韓国を中国の従属国と見なす内容もある[54]。国教育開発院の李讃熙博士は「韓国の歴史を主体的に扱っておらず、中国、日本などの歴史叙述のために付随的に挿入されているケースが多い」と指摘している[54]。
- アメリカのある教科書は韓国関連の内容を「中国の周辺」という節でモンゴルの次に紹介し、主に中国と日本に焦点が合わされ、日本の歴史内容は学年に関係なく多い反面、韓国についての情報は得にくい状態となっている[32]。
- アメリカの教科書には東洋の代表的文化といえば中国と日本だけしか書かれず、また、朝鮮は中国と日本の子分と書かれ、万里の長城が平壌まで引かれ、朝鮮が清朝の領土になっているという[55]。具体的にアメリカの教科書に、「朝鮮は独自の豊かな文化をもつ東アジアの国である。その長い歴史の大半を、朝鮮は周辺の大国に支配されてきた。なかでも中国や日本は頻繁に朝鮮を政治的に支配してその文化に影響をおよぼした。(中略)朝鮮半島の北方地域は、中国皇帝の領土となった。西暦1年ごろから900年まで朝鮮は三つの王国にわかれていた。中国の文化は朝鮮半島の北方にある王国に強い影響をおよぼした。この時期に仏教、儒教、そして漢字が朝鮮半島に入ってきた。日本の文化は、南方にある二つの王国にたいして中国以上の影響をおよぼした。(中略)高麗の王たちは独自に朝鮮を治めていたが、モンゴル帝国に朝貢しなければならなかった。(中略)朝鮮人は、科挙制度をはじめさまざまな中国の文物を取り入れ、中国文化にのめりこんでいった。(中略)満州族の影響。朝鮮人は日本との戦いで疲弊した。その結果、1630年代、満州からきた新しい侵略者は全土をあっというまに征服した。李王朝の統治者は権力を維持したものの、満州族の政府に服属した。中国の満州族政府は日本の影響力が強まることを望まなかった。満州族は李王朝に対する統制をよりいっそう強固なものにしようとした。(中略)日清戦争終結後の1895年末、中国は朝鮮の独立を認めた。日本はこうして満州族の朝鮮支配を終焉させた。(中略)朝鮮は第二次世界大戦で日本帝国が敗れる1945年まで独立できなかった。現在も朝鮮は、中国、日本、アメリカのような大国の影響下から抜け出せずにいる」と書かれている[55]。
中国人の視点[編集]
- 李鴻章が編纂した『通商章程成案彙編』(1886年)に描かれた大極旗には「大清国属高麗国旗」と書かれている。
- 清史稿に「属国一 朝鮮」とある。
- 毛沢東は『毛沢東選集』のなかで、朝鮮半島は中国固有の領土であったが帝国主義勢力によって奪われた、と書いている。
- 『明史』には朝鮮出兵について、「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息(日本との七年に及ぶ戦争によって我が明は膨大な犠牲を強いられた。我が国と属国朝鮮に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった)」と記述している。
- マテオ・リッチが製作した『坤輿万国全図』には、「朝鮮乃箕子封國漢唐皆中國郡邑 今爲朝貢屬國之首古有 三韓穢貊渤海悉直駕洛扶餘新羅百濟耽羅等國今皆併入(朝鮮は箕子の封国であり漢代も唐代も皆中国の郡邑であった。今は朝貢属国の筆頭である。古くは三韓・穢貊・渤海・悉直・駕洛・扶余・新羅・百済・耽羅等の国があった。今は皆朝鮮に含まれる)」とか書かれている。
- 中国の蔡武文化相は、「文化政策に関しては、日本と韓国から多くを学んだ。特に、小国にもかかわらず経済発展を遂げ、『韓流』など多くの文化を発信してきた韓国の政策は聡明だ」と発言した[56]。
- 中国の有力紙「鳳凰資迅」は「韓国は1636年、朝鮮が清の属国になって以来、1895年日本の保護国、1910年日本の統治下に置かれたし、1948年からはアメリカによって過去の清朝からの位置をそのまま持って行っている」とし、「韓国はまだ徹底的な独立を成すことができなかった国」とし、「真正な独立ができない国家と国民の自己恥辱感が歴史的に伝わって受け継がれており、とても根が深い」という評論を掲載した[57]。
- 2010年5月27日中国社会科学院と韓国の慶熙大学が「韓国人から見た中国人のイメージ」に関して共同で調査を行った結果、韓国人は中国に強いマイナスイメージを持っており、中国に対する好感度も日本や米国よりかなり低いことが分かった。この調査結果に対して中国社会科学院アジア太平洋研究所の董向栄副研究員は、「中国が急激に台頭したことで、『昔のように属国にされるのでは』と脅威に感じている。中国に追い抜かれたことを認めたくないし、快く思っていないのだろう」「回答者は口に出して『羨ましい』とは言わなかったが、言葉の端々から中国に対する劣等感が伝わってきた」と分析した[58]。
- 韓国の国立民俗博物館(館長:金紅男)の中国語ガイドは「韓国は昔から中国の属国」と紹介している[59]。
- 韓国での中国人観光客に対応する中国朝鮮族や華僑の中国語観光ガイドは、「朝鮮は中国の属国だった」という説明を行っている[60]。
- 黄文雄によれば、朝鮮をつくったのは中国の箕子であると主張する中国人がおり、張謇の『朝鮮善後六策』のような考え方は、中国人の一般的で伝統的な朝鮮属国観であるとする。中華民国になった近現代においても朝鮮を版図とする史観はたいして変わっておらず、たとえば蒋介石は太平洋戦争後の対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に出席した当時、船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求しルーズベルト大統領から拒否されている。このさい朝鮮人は「朝鮮省」の設置(中国への編入)を「小中華」から「大中華」への昇格だと喜んでいたとする[61]。韓半島はモンゴル人・満州人・日本人(豊臣秀吉)など、陸からも海からも常に侵入され、「(有史以来)千回以上も侵略された」と言ってきたが「千回侵入されてもすべて撃退した」という自慢話は、一種の夜郎自大で歴史の事実ではなく、侵入されたらすぐに臣服・属国となり、中華帝国の千年属国であり続け、また、独自の文明を創出して、世界文明に大きな貢献を果たしたこともなく、19世紀の世界的秘境として最後に残ったのは、韓半島だけであり、韓国人がずっと半島にうずくまってきたのは、常に己を小中華と決め込み大中華に事大ばかりしていたからとする[62]。朝鮮史を振り返ると、唐の支援を受けた新羅が高句麗、百済を滅ぼして出来た統一新羅朝から李氏朝鮮に至るまでずっと中華帝国の属国であり、日清戦争で敗北しなければ清は郡県制を施行して朝鮮を属国から朝鮮省にし清の一省として編入する予定であった。しかしこの時代の清が半植民地状態であった情勢を考えれば、清の属国のままというよりも、ロシアの一州になっていた可能性がより強いとする[63]。
- アジア国家の名門大学の在学生を対象に実施した韓国に対する認識およびイメージ調査の結果、1900年以前に韓国と中国・日本間の関係で、相当数の学生たちが韓国が中国や日本の植民地だとか朝貢を捧げる垂直関係だったと認識していた。韓中関係について日本の学生たちは「韓国が中国に朝貢を捧げる関係」(42.8%)が最も多く、「中国の植民地」という回答も13.5%に達し、「対等な関係」は12.8%であった。中国の学生たちの40.5%は韓国が朝貢を捧げる関係だったと答えたが、対等な関係だったという回答も34.8%にもなった。 19世紀以前の韓日関係に関して、中国の大学生たちは「知らない」(33.6%)という回答が最も多く、対等だ(30.1%)、日本の植民地(22.9%)がそれに続いた。日本の大学生たちも同様に日本の植民地(41.3%)が最も多く、「韓国が日本に朝貢を捧げる関係だった」という回答も10.1%にもなった[64]。
- 国家擬人化の漫画ヘタリアの韓国キャラの設定は、「アメリカと日本に依存し、中国を兄貴と呼び、何かあれば『ウリナラマンセー』を叫び、すべての文物の起源は韓国だと信じている」となっている。韓国ネチズンは、韓国キャラの設定が「韓国人のイメージを侮辱している」と批判している[65]。これに対して、中国ネチズンは、「アメリカと日本に頼るだけでなく、中国を兄と呼ぶ?更になんでも韓国が起源だと主張する?とても正しい描写じゃないか」「兄だと?父と呼んでも言い過ぎではないと思うが」「中国人としては、韓国人が中国を兄と呼ぶのは正しくないと思う。父と呼ぶのが正しい」「韓国人は謙虚な民族なんだよ。中国を兄と呼ぶのは恐れ多いとね!やつらはきっと中国を父と呼びたいのさ」 といった意見が寄せられている[66]。
- 中国人には、「属国だった韓国やベトナムが反中なのは当然」とする意見があり[67]、「世界の歴史を見ても、分裂して生まれた国家というのは、元の国に対して敵意を抱くものだ。旧ユーゴスラビアの国々や、バルト三国などが良い例。だから韓国やベトナムが反中感情抱いていても、理解できる。中国はこれまで周辺国に対し、その国の基盤となるような思想や文化を与えてきた。(中略)韓国や朝鮮、ベトナム、モンゴルなどが中国から分離独立していったのも、民衆が主体的に動いたというよりは、欧米列強が中国の力が弱体化しているのに乗じて独立させたようなもの。その後各国は中国からの文化的独立を目指し、反中へと傾いていった」とする[67]。
- 2007年1月に長春で開かれた冬季アジア大会で銀メダルを獲得した韓国女子チームが、表彰台で「白頭山は韓国領」と書かれた紙を高々と掲げた事に対し中国側は強く反発し、「高麗は中国の属国だった」という民族感情丸出しの韓国批判で溢れた[68]。
韓国人の視点[編集]
- 清の李鴻章が編纂した『通商章程成案彙編』(1886年)に収録された太極旗には、「大清国属」(大清國属)と書かれている[69]。なお、2004年に、この太極旗が発見された際、『朝鮮日報』韓国語版は、「大清国属」(大清國属)の部分をわざわざカットした写真を使用している[70]。
- 『朝鮮王朝実録』245ページには、「第16代仁祖が城を出て、降伏する決心を固めると、(中略)朝鮮側の降伏条件を提示し、清軍陣営からは(中略)会談に応じた。(中略)条約を締結すると、(中略)仁祖は(中略)漢江を渡って漢城に帰ってきた。これでもって朝鮮は明との関係を完全に断ち切り、清に服属するようになるが、この関係は1895年、日清戦争で清が日本に負けるまで続く」と書かれている。
- 韓国で最も権威がある『韓国史大事典』(柳洪列監修、1996年・高麗出版社刊、1819ページ)には、朝鮮王朝(李朝)と中国(明)の関係については「朝鮮」という国号を明に選んでもらったことを指摘した後、さらに「従属の象徴として明の年号を使った」と説明している。また後の清についても「宗主国」とし、日清戦争で清が敗れた結果として「朝鮮が完全な独立国であることを確認するにいたり、政治的な従属関係はなくなった」と解説している。また日清戦争後、国号を朝鮮から「大韓帝国」に変えた経緯についても「清の属国から脱して独立し帝国として発展するという意味」があったと説明している。李朝の前の高麗時代に中国を支配した元との関係では「属国」との表現はないが、高麗王が六代にわたって必ずモンゴルの王妃を迎えるという従属的な「ふま国」となり「自主性を失った」としている。
- 林悌(林白湖、李朝中期の文人・儒者・両班 1549-1587)は「四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない[71]」と嘆きつつ亡くなった[72]。黄はこれを(歴史的に)長城外の夷狄だけでなく、西南のチベット系民族吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、都を占領し脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらなく、朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみである、との慷慨であると紹介する[72]。
- 韓国の翰林大学校の李三星教授は、韓国で中国脅威論が広がる理由について、中国が強大化した東アジア世界は韓国が属国だった過去と重なるため強い抵抗を感じるから、と分析した[73]。
- 北京オリンピックにおける反韓感情について中国専門家らは、中国国民の反韓感情を、「中国国民の歴史的観点」に求め、平沢大学校の中国学科長である池世樺教授は、「中国国民の反韓感情の根底にあるものを考えて見れば、中国人が韓国を見る根本的観点の問題だ」としたうえで、「中国人の考えの中には、韓国は過去『属国』だったという概念が定着しているのに、北京五輪などで韓国が上手くやっているので、こうした部分に対するコンプレックス的な思考の発露が起きたものだ」「これは中国国民の日本人に対する態度を見ればよく分かる。日本人が上手くやっても容易に受け入れられるが、私たち(韓国人)が上手くやることは容易には受け入れられない。このような中国人の(韓国に対する)根本的な情緒が底辺にあり、最近の一連の事件が現実に(反韓感情表出に)火を点けたわけだ」と分析した[74]。
- 金完燮は、「朝鮮が明朝と清朝の属国だったことも事実であるから、朝鮮半島を明朝、清朝の領土というのも自然のことだ。朝鮮が独立国だったかのように教える韓国の教科書が異常なのだが、(中略)私たちが日本の助けで1897年に初めて独立国になったという事実を知らない」と述べている[55]。
- VANKによると、「「数千年間、中国と日本の支配を受け入れた海老国家」というイメージがワールドカップを控えた当時の韓国の自画像だったという[75]。
- 金美徳は、「ロシアや中国や、日本に囲まれ、米国ともうまくやりながら国を維持しなければならない、という難しさ、危機感がある」としている[76]。
- 朴正煕元大統領は自著『国家と革命と私』『韓民族の進むべき道』『国家、民族、私』で朝鮮史における事大主義と属国性を指摘している[77]。
- 盧武鉉元大統領は、2006年5月3日の民主平和統一諮問委員会にて「日本は中国(唐)のマネをして皇帝(天皇)をつくったため、その下に王が必要になって琉球や韓国を王にし、自分は兄貴風を吹かしてきたが、中国を兄貴と思ってきたわれわれにはこれはとんでもないことだ」と発言した[78]。
- 車ハルピンハンギョレ新聞記者は、『これでも中国に行くか』で、「例えば中国人はサッカーをとても好む。中国サッカーが韓国サッカーに負け続けている現実について大部分の中国人は非常に不満に思っている。大国が小国に勝てないという程度の不快感というよりは大中華・中国が属国と変わらない韓国に負けることはあり得ないという不快感と嘆きである」と記している。
- 北朝鮮のウェブサイト『わが民族同士』に2011年1月8日、「中国なしでは自主性も守れない物乞い外交」などと北朝鮮を誹謗する文章や漫画が載った。サイトには中国の王様の前で金総書記父子が土下座する漫画が大きく掲載されている[79]。
- イ・ヒョンソクは、「韓国の歴史は周辺の強大国から侵略され、民族の存亡を賭けて戦ってきた歴史です。学校での歴史の時間には、いつもそれを教育されるので、忘れないんですね」と述べている[80]。
- 北京五輪の際に、極秘であった開会式リハーサルを「韓国放送公社」が放映したことや、韓国「中央日報」が、女子競泳選手が着替えている様子の写真を掲載して中国で嫌韓感情が盛り上がりを見せたことに対して、インターネットサイト「ゲソムンドットコム」(www.gesomoon.com)のアン・ジンホン代表は「歴史的に自国の属国に値すると考えてきた韓国の速い経済成長に対する嫉妬心があり、一方では中国人の根深い被害意識のために表れている反応のようだ」と分析している[81]。
- 鄭在浩ソウル大学教授は、「1000年以上の歴史を共有してきたためか、韓国人の奥底には、論理的に説明できない中国に対する友好的な感情がある。日本による35年間の植民地支配以上に、大陸から多くの侵略を受け、さらに朝鮮戦争では中国の参戦で統一が妨害された」と述べている[82]。
- 『週刊大衆』2008年11月3日号は、「韓国起源説とは他国の文化や事物などを、すべて『韓国発祥だ』とする学説。(中略)いつ頃から存在したかは不明ですが、日本や中国で知られるようになったのは、インターネットが普及してからです。歴史的に中国や日本の圧迫を受けてきた国だけに、『韓国人(朝鮮民族)が世界一だ』と思いたい心理が、こんな説を生んだんでしょう」という記事を掲載し、その中で辺真一は、「韓国人にしてみれば中国は大国意識丸出しで、歴史上、何度も圧力を受けてきたという反発心がありますから、それが行き過ぎて四川大地震や五輪への反発となったんです。大国主義への抵抗心は、日本人が想像できないほどありますからね」「中国人の中には、1992年の国交正常化以来、『わが国は金持ちだ』という顔をして中国内に進出してきた韓国企業や韓国人に対して、『かつての属国のくせに』という反感もあり、これも拭いがたい庶民感情になっているはずです」とコメントした。
- 『民団新聞』2004年8月31日付けは、高句麗の帰属に関して、「両国(中国と朝鮮)は歴史的に宗藩(宗主国と属国)関係にあったとの歪曲された史観が中国で常識化される可能性があることだ。中国のマスコミはすでに、壬辰倭乱時に明の援軍を受けて以来、朝鮮が明の年号を使用したことなどをあげ、明・清時代の両国は宗藩関係にあったと主張し始めた」「歴史的な宗藩問題に論議が発展すれば、中日両国に韓国に対する蔑視観の共振作用をもたらしかねない」と述べ、つくる会に関して、「この勢力は、日本は古代から中国とは対等であり、韓国などアジア諸国はその中国の属国であるとして、一段低く見なす日本の伝統的な対アジア観に立っている」「日清戦争を清から朝鮮を独立させる正義の戦争だと位置づけた」と批判している[83]。
- 崔基鎬は、「1895年に日本が日清戦争に勝つと、李氏朝鮮は清国の属国としての桎梏をのがれて、独立国となることができた。国号が清国と対等な国として大韓帝国に改められ、第26代の高宗王が、中華圏における中国皇帝の臣下を意味する国王の称号を廃して、はじめて皇帝を称した。大清皇帝功徳碑は、1895年に、あまりにも恥辱であるとして、川の中に投げ込まれた。1893年には、ソウルの西大門の近くにあった迎恩門が破壊されて、その場所に独立を記念する西洋式の独立門が建立された。(中略)日本にはその歴史を通じて、大清皇帝功徳碑も迎恩門もなかった。私たちから見ると、何と羨ましいことだろうか。かつて李氏朝鮮は中国への卑屈な服従関係と、不正腐敗を覆い隠す名分として、慕華思想という言葉を用いた」と述べている[84]。 崔は、「他民族(唐)の勢いを借りて自分たちの民族国家(百済)を打倒して唐の属国に成り下がつた統一新羅。そして、民族国家の高麗の臣下であつた李成桂が主殺しの下克上により高麗を滅ぼして明の属国と成り下がつた李氏朝鮮。この統一新羅の259年間と、李氏朝鮮の518年間の、通算777年の属国時代によつて韓民族の民族性は歪められた」「占領憲法などは、李氏朝鮮が西暦1637年1月30日に清の属国となつたときの和約に似ている」とも述べている[85]。
日本人の視点[編集]
- 上村幸治によると、中国人の意識には、自分たちは宗主国で李氏朝鮮は自分たちの属国だったという意識があるという[86]。
- 渡辺利夫は、「李朝末期の朝鮮は清国の宗属国でした。朝鮮は内乱や政争が起こるたびにその鎮圧を求めて清国に派兵を要請、大量の清兵が国内に駐留しているという有様でした。(中略)冷戦崩壊後、韓国は半島統一にこだわり、中国に擦り寄るようになる。朝鮮半島に伝統的な事大主義、大に事える思想に戻ってしまった」と述べている[87]。
- 原田環は、「日清戦争で日本が清に勝利して結ばれた講和条約の第一条において、清は朝鮮が『完全無欠ナル独立自主ノ国』であることを認めることと、朝鮮から清への朝貢典礼を廃止することが明記された。この結果、清を宗主国とする旧来の東アジアの冊封体制が解体され、朝鮮は名実ともに清から独立した。これまで冊封体制の枠組みの中で存続してきた朝鮮は、条約体制へと転換した東アジアの国際関係の中で、自らの主権を打ち立て独立を確保しなければならなくなった」と述べている[88]。原田は、朝鮮とベトナムはいずれも中国の属国だった。宗主国である中国は属国を自国の周囲に配置して安全保障を図り、属国は冊封体制に参加し、他の周辺国や国内に対して権威を持って安全保障を期した。朝鮮は清の武力に屈服して冊封体制の中に編入され、ベトナムは自ら進んで朝貢を行って安全保障を確保した。朝鮮と清との冊封体制は日清戦争で崩壊した、と主張している[89]。
- 宮家邦彦によると、韓国・朝鮮人にとって漢民族は恨みと同時に憧れの対象であり、自らを中国王朝に次ぐ文明国と見なす文化的優越意識・小中華思想に通ずる中国に対する微妙な朝鮮半島独特の対中感情を持っているという[90]。こうした感情を「恨の文化」と呼び、恨とは文字通り恨みであり、「伝統規範から見て責任を他者に押しつけられない状況の下で、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望」であり、時の権力者や異民族による支配に服従を余儀なくされた屈辱感だけでなく、時にはそうした支配者に対する「あこがれや悲哀や妄念」を表す朝鮮半島独特の感情であり、漢民族という隣人を陸続きで持つことの悲哀であり、また中国という強大な隣国と陸続きで接することは、日本人の想像をはるかに超えた苦しみを伴うという[91]。
- 鈴置高史日本経済新聞編集委員は、「韓国人が自らの反中感情を声高に語り始めた。(中略)中国の引力圏にとり込まれるのに伴う、一種の通過儀礼と思われる。(中略)『壬辰倭乱より、その後の胡乱の方がわが国にもっと大きな被害を与えた』。 最近、韓国の知識人が口々に日本人にこう語り始めた。胡乱とは成立前後の清王朝が、服属を拒んだ朝鮮に攻め込んで起きた戦争のことだ。(中略)一部の人はこう丁寧に説明してくれる。『韓国は千年以上、中国の華夷秩序体制の下にあった。日清戦争で中国の支配から離れた最近の100年間、ことに関係をまったく絶っていた朝鮮戦争以降の50年間が変則的な時期だった。何も驚くことはない。昔に戻るだけなのだ』。(中略)思い起こせば韓国は地続きの超大国と常に一緒に住みなしてきたのだ。(中略)答を探すには、韓国の歴史とそれに培われた韓国人の精神構造を思い出すべきかもしれない。中国の保護下にあった長い歴史で、韓国人は自尊心をしばしば傷めた」と記している[92]。鈴木は、「中国の知識人の中には日本人に対し『もう、韓国は中国の手のひらの上にのった』と、自信を示す人も出てきた。(中略)伝統的にも地政学的にも深い中国との関係だ。『日本からは36年間植民地支配を受けた。米国の保護を受けたのは60年間。だが、中国を宗主国にいだいたのは数百年』。韓国の知識人はしばしば中国の影響をこう説明する」と記している。
- 小葉田淳は、高麗について「13世紀に入り元が興るとまもなくその侵入をうけて属国となり、またその嚮導をつとめて大損害をうけ、国力を疲弊させた」としている。李氏朝鮮については「対外的には中国王朝には藩塀国として仕え」としている[93]。
- 奥山真司は、「韓国では自分たちが日本に併合されるまで『完全な独立国だった』と大きく勘違いしている(中略)つまり彼らは『自分たちが歴史的に弱かった』ということを直視できていないんですね。たとえば朝鮮の歴代王朝は外交も安全保障面も完全に中国の歴代王朝の属国扱いで、中国側から朝鮮に使いがくると、ソウルや平壌などの城壁にある門まで出向いて土下座・叩頭して出迎えるということを行っておりましたし、社会一般の風習や創氏改名など、とにかくありとあらゆる面で属国化されておりました。ところが韓国の彼を含む韓国国民一般は強烈なナショナリズムのおかげで、どうやら朝鮮がここまで中国に属国していたことを知らないみたいなんですね」と述べている。また、奥山のコースメートは、「朝鮮半島の場合は分裂するよね。かなり中国の歴史を受けているから、そこから抜け出すために逆にウソを教えるしかなくなってしまうんだよな」と発言したという[94]。
- 峯村健司朝日新聞記者は、『朝日新聞』記者有論において、「冊封。中国の皇帝が周辺国の君主と主従関係を結び統治を認めることだ。経済が悪化する北朝鮮は中国への依存を深め、投資総額の9割以上、貿易総額の約6割を占めており、必ずしも誇張とは言えない」としている。
- 日本のゲーム会社であるシステムソフトは「現代大戦略2005」で、韓国を中国と日本の属国とする歴史分野の内容を記している[95]。
- 在日韓人歴史資料館館長で、歴史家の姜徳相は、「(日本人は朝鮮について)みずからの力では近代化できない、常に大国に動かされてきた」との史観に支配されてきたという[96]。
- 岡百合子によると、戦前の学者の多くは「朝鮮には独自の文化はなく、すべて外部から流入したものである」「その国家は、常に侵略による隷属と被支配のくり返しであって独自に発展することはなかった」と言っており、朝鮮に青銅器や鉄器の自生を認めないということは、戦前、日本の学者たちによってうちだされた見解であるとする[97]。
- 磯田一雄によると、朝鮮は植民地以前の保護国となった段階から日本は朝鮮の歴史教育に干渉していたが、三・一独立運動の衝撃で学校制度を改めたり、歴史も教えることにしたが、教材では、大院君が権力を手にするところから始まるが、朝鮮は内乱ばかりで独立性のないどうしようもない国だ、だから日本に併合されて初めて幸せになれるのだというように解釈されるという[98]。
- 中西輝政は「韓国はそんな大陸性文明の極致である中華思想の縁辺にあって、属国として虐げられた歴史を歩んできた。悲惨な韓民族の心を支えてきたのが『中華文明に属さない日本のほうが野蛮だ』という差別感である」と述べている[99]。
- 宮島理は「676年に唐を後ろ盾とする新羅が朝鮮半島を統一した。この時から朝鮮は、中国の属国になったとされている。『大唐国新羅郡』と自ら名乗り、いわゆる『事大主義』が始まった。事大とは『大きいものに仕える』という意味で、主従関係のように朝鮮が中国に仕えるという国是である」と述べている[100]。
- 加藤徹は、著書で「東アジアで、日本ほど見事な対中外交を貫いた国は、他にない。匈奴やモンゴルは、軍事力が弱まると、中国に臣下の礼を余儀なくされた。朝鮮やベトナムは、ずっと中国から属国扱いされ、その屈辱に甘んじねばならなかった。日本以外の国は、強大な武力を持って漢民族を屈服させるか、逆に、甘んじて漢民族から属国扱いされるか、二つに一つだった」と書いている[101]。
- 勝谷誠彦は、自らのブログで韓国を「(中国の属国である)愛人国家」と発言している。この発言に対し、在日本大韓民国民団東京地方本部は、本人と所属事務所の吉本興業に抗議を行った[102]。また、勝谷は、『たかじんのそこまで言って委員会』2009年10月4日で、「(韓国は)日本とも仲悪いけど、中国とはもっと仲が悪い。高句麗がどっちだったってワーワー言ってる。竹島どころではない。昔はあそこは国境なんてない様なものもので、事実上属国だった訳だから」と発言した。
- 志方俊之は、「韓国は半島だから、後ろに中国というドデカイものがあり、歴史から見れば何回も入ってきてる。日本が36年間統治したなんてものじゃない。本当に怖いのは中国。時々ご機嫌を伺わなければいけない。そういう時に、時々反日ということを言わないとバランスが取れない」と発言した[103]。
- 柄谷行人は、「周辺国家は、中央(中華帝国)の承認がなければ、存立できない。たとえば高麗でも朝鮮王朝でも、王の後継を決定するためには、元、明あるいは清朝の承認を得ないといけなかった」と述べている[104]。
- 石原慎太郎は2010年4月17日、都内で開かれた永住外国人に対する地方参政権付与に反対する全国地方議員緊急決起大会の席で日本による韓国併合に言及し、「韓国政府は清国やロシアの属国になるのを恐れて、議会を通じて日本に帰属した」と述べた[105]。
- 平野聡は、著書『大清帝国と中華の混迷』で間島問題をさして「筆者のみるところ、この問題はおそらく「尖閣諸島や竹島のような小さな島をめぐる日韓・日中間の争いよりもはるかに根が深いものとして引き続くであろう」と警告を発している。
- 谷沢永一は、野球の北京オリンピック予選の日本対韓国戦を評して「韓国は不当な手段ででも無条件に日本に勝てば自尊心が守られる。そのような行動は朝鮮半島が2000年間、常に強大国から干渉を受けて来たからだ。日本に対する対抗意識は歴史的な恐怖心からくる」と発言している[106]。
- 古田博司は、「歴史上、朝鮮はシナの家来(李朝の王はシナの皇帝に『臣李某』と書簡を送った)で弟子といった存在だが、それは『礼』のような文化概念にまで及んだ。国風文化の覚醒を必要としないほど、小をもって大に仕えたのである。これを『孟子』梁恵王篇の章句からとって『事大主義』という。だが、弱者であるため、周辺に対する侮蔑は貫徹されず、虚栄心と見栄だけが歴史的個性となった。これを学界では『小中華思想』と呼んでいる」と述べている[107]。
- 桜井誠は、朝鮮半島は「常に歴代中華帝国の徹底的な蹂躙を受けてきた」としている[108]。
- 水野俊平は、朝鮮半島史は一貫して外敵との戦いの歴史(周辺の強国に侵略や占領され、事大する歴史)であり、韓国人は「偉大なる民族史」に憧れている、としている[109]。
- 春木育美は、「(韓国人は)外からの干渉を受け続けた歴史を振り返ったとき、自分たちの力がなかったから、という思いもあります」としている[76]。
- 古家正亨は、「韓国は歴史的に外国からの侵略の危険にさらされてきたこともあり、10年先ではなく、今、何ができるかを優先的に考える」としている[76]。
- 蓮池薫は、「朝鮮半島は、歴史的に大国に囲まれた中で、試練が多かったわけですね。それで自分の思い通りにできない。その切なさが『恨』。やむを得ず、中国の明や清の影響下に入り、国の存続を図ってきた。私が最初に翻訳した『孤将』という小説の主人公で、豊臣秀吉の軍勢を迎え撃った李舜臣は、その典型です。猜疑心の強い自国の王からも信用されず、援軍として駆けつけたはずの中国は、裏で日本と手を握って、朝鮮半島の命運を決めてしまう。なんとか自分の思う方向に導いて解決したいとの思い、どうして自分の国を強くして守りきれないのかという部分もある」と述べている[110]。
- 稲田清英朝日新聞記者は、「強大な中国の影響力にさらされ、日本の植民地支配下では日本語を強いられた韓国」としている[111]。
- 朝日放送『ムーブ!』で中韓関係について、宮崎哲弥は「元々中国と韓国は仲が良いわけはない。歴史的に見てもそう。中華思想を展開していったときに、朝鮮半島はそれに飲み込まれた。それで根底の部分で反中感情がわだかまっている訳ですよ。両国で近代的ナショナリズムが発展するにつれて、それが表に出始めてきた、ということ」 とコメントし[112]、重村智計は「歴史上、大国中国にいじめられっぱなしだった小国韓国が民主化も果たし、今では中国以上に発展し、優越感を感じている(原文ママ)」とコメントし、上村幸治は「中国の方も経済発展してきました。本家でしょ。自分たちが」とコメントした[10]。
- 南出喜久治は、「支那の属国であった長い歴史が民族性を頽廃させた」「通算777年間の属国時代で罹患した韓国病が慢性疾患の属国病」「韓国では、大清皇帝功徳碑を三田渡碑とか恥辱碑と呼ぶものの、同じく李氏朝鮮が宗主国である清の属国であることの証しとして清から下賜された太極旗を原型とする旗を、属国旗とか恥辱旗とせずに、未だに大韓民国の独立国旗として用いていることも、韓国病の重篤な症状に一つに他ならない。太極旗の意味するものは、宗主国の命ずるままに国家教学とされた朱子学の学祖である朱熹の理気説を易学的に顕したもので、韓民族の独自性などはどこにもない。そして、韓国が支那の属国旗を使用し続けることは、政治的に見ても、現在の中共が推し進める領土拡張政策に絶好の口実を与へることにもなる。にもかかはらず、韓国が新たに独立国の国旗を求めることをせずに、属国病からくる習性として太極旗を今でも国旗として掲げ続けることに、韓民族に染みついた慕華と受降によって恥辱を名誉に倒錯してしまった刷り込みの悲哀を感じざるを得ない」「大清皇帝功徳碑にも行って見た。碑文の文字は全て削り取られて、恥辱の歴史は隠蔽されていた」と述べている[113]。
- 吉田光男は、「清(後金)は1627年の第1回侵略(丁卯の乱)以後、朝鮮と兄弟関係を結び、対明戦の軍糧、兵船など多大な貢物を毎年徴収していた。(中略)32年、清が兄弟関係を君臣関係に変え、貢物を増加するよう要求(中略)仁祖は清軍に投降し、首都の南西、漢江岸の三田渡に設けられた受降檀において清大宗に臣従を誓わせられ、39年には同所に清帝をたたえる大清皇帝功徳碑を建てた。これ以後、日清戦争後の下関条約締結(1895年)まで、朝鮮は清に臣礼をとるのである」と記している[114]。
関連項目[編集]
- 中華思想 - 小中華思想 - 事大主義
- 漢字文化圏(韓国における漢字) - 中華圏 - 中国化
- 中国人が建国したとされる朝鮮半島の王朝…箕子朝鮮(箕子 - 箕子陵) - 衛氏朝鮮(衛満)
- 中華帝国(征服王朝を含む)が朝鮮半島に置いた出先機関…漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡) - 帯方郡 - 熊津都督府 - 安東都護府 - 鶏林大都督府 - 双城総管府 - 東寧府 - 征東等処行中書省
- 中華帝国(征服王朝を含む)から冊封された朝鮮半島の王朝…新羅 - 高麗(権知高麗国事) - 李氏朝鮮(権知高麗国事 - 権知朝鮮国事 -朝鮮燕行使 - 丁卯胡乱 - 丙子胡乱 - 三跪九叩頭の礼 - 大清皇帝功徳碑 - 下関条約 - 独立門)
- 朝鮮民主主義人民共和国(国際関係)
- 東北工程 - 百済
脚注[編集]
- ↑ たとえば日本語における「中国」の語には、下記にて示した以外にも日本国内の一地域である「中国地方」を表す語義や、日本そのものを指す用例(たとえば中朝事実においては「中朝」は本邦すなわち日本のことである。これに対応して「支那」については「中国」とは呼ばず「震旦」・「唐土」等と呼称)。
- ↑ 2.0 2.1 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」 中央日報 2004年9月27日
- ↑ "한국은 中식민지→이웃나라→中식민지" 2006年4月13日 聯合ニュース(韓国語)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 「21世紀版独立運動」ネットの韓国史わい曲訂正に奔走『中央日報』2004年8月23日
- ↑ 「ヒストリーチャンネル、韓国史 間違いだらけ」<バンク>連合ニュース 2004年7月25日
- ↑ シンガポールヤフー、誤りを是正韓国速報 2009年1月6日
- ↑ 美CIA 한국사 왜곡 오류 시정聯合ニュース 2007年1月15日
- ↑ 2006年6月6日月17日 国民日報
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- ↑ 桜井は自著『嫌韓流反日妄言撃退マニュアル』で、「常に歴代中華帝国の徹底的な蹂躙を受けてきた朝鮮半島では、自分たちを小中華と呼んで中華の正統な後継者と勝手に位置づけ、また中華文化圏からいち早く抜け出した日本などを東夷と呼んで蔑むことで、かろうじて崩壊寸前の精神の均衡を保ってきたのである」「韓国にまともな歴史や文化が存在しない事は、少しでもかの半島の歴史を勉強した方なら納得いくことだろうが、だからこそ屈辱にまみれた朝鮮の歴史を認める事が出来ない韓国人たちは、たとえ捏造してでも、自分たちがいかに誇らしき民族であるかを世界に示したいのである。韓国人の歴史や文化に対する劣等感は、日本人には想像できないほど凄まじいのである」と記している。
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- ↑ 『朝日新聞』 2010年3月3日
- ↑ 「漢字発明は韓国人」 「荒唐無稽」と中国憤激j-cast 2006/11/21
- ↑ いはゆる「保守論壇」に問ふ<其の五>日韓の宿痾と本能論
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