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ソフトバンクモバイル(英文名称:SOFTBANK MOBILE Corp.、ブランド名:SoftBank)は、携帯電話事業を展開するソフトバンクグループの株式会社。世界中に拠点を持つ携帯電話事業会社であるボーダフォンの日本法人であったが、ソフトバンクグループに買収され、2006年10月1日をもってソフトバンクモバイル株式会社へ社名を変更した。携帯電話契約数が約1590万契約で国内の携帯電話市場における市場占有率が約16.4%で3位(2007年3月末現在)。
ソフトバンクモバイル株式会社
SOFTBANK MOBILE Corp. | |
本社所在地 | 東京都港区東新橋1丁目9番1号 |
設立 | 1986年12月9日 |
業種 | 携帯電話事業者 |
事業内容 | 携帯電話事業 |
代表者 | 孫正義(代表執行役社長兼CEO) |
資本金 | 1772億5121万6500円 |
売上高 | 1兆4675億7800万円 |
従業員数 | 約3500人 |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | BBモバイル株式会社 (ソフトバンクの孫会社)100% |
外部リンク | ソフトバンクモバイル 公式サイト |
目次
概要
デジタルホングループ設立
当時の日本テレコム(現在のソフトバンクテレコム)が主体となり1994年4月に東京デジタルホン、1994年7月東海デジタルホン及び1994年5月関西デジタルホンを設立する。
1994年から日産自動車(以下「日産」と略。)が主体のツーカーグループと同時に、NTTドコモ、DDIセルラー/IDOグループ(現KDDIのau)に次ぐ携帯電話事業の第3勢力として事業開始。関東、東海、関西以外の地区に関しては、日産と日本テレコムとの共同出資で、旧デジタルツーカーを設立し、1996年1月より、ツーカーグループと合同で全国展開が行われた。
デジタルツーカーグループ設立
- 1996年1月 - デジタルツーカー九州
- 1996年5月 - デジタルツーカー中国
- 1996年12月 - デジタルツーカー東北・北海道
- 1997年1月 - デジタルツーカー北陸
- 1997年2月 - デジタルツーカー四国
J-PHONE(J-フォン)
- 1997年2月 - 東京デジタルホンがコミュニケーションネーム「J-PHONE」を使用開始。
- 1998年3月 - イメージキャラクターに藤原紀香(当初は旧J-フォン東京地区のみ、後に全国)や優香(東海地区のみ)やフェイ・ウォン(関西地区のみ)を起用したコマーシャルや広告が流れ、OLなど女性を中心にブームが起こる。
- 1999年8月 - 日産の経営悪化で、携帯電話事業など自動車との関連が薄い事業から撤退することになり、日産が保有していたデジタルツーカー6社の株式を、デジタルホン3社を有する日本テレコム(現・ソフトバンクテレコム)に譲渡。
- 1999年10月 - デジタルツーカー各社が「ジェイフォン」(J-フォン)を冠した商号に変更し、全国統一ブランドとなった。(尚、デジタルツーカーの合弁相手であったツーカー3社については、第二電電(現KDDI)に譲渡。)
- 1999年12月 - J-スカイサービス(現Yahoo!ケータイ)開始
- 2000年10月 - 9地域会社が東日本、東海及び西日本の3社へ統合。2001年11月に現在の1社体制となった。
- 2000年12月 - カメラ付き携帯発売(J-SH04)
- 2001年6月 - 写メールキャンペーン開始
- 2002年3月 - 契約者数が、事業開始後初めてauを上回る。
- 2003年10月 - ブランド・会社名をJ-PHONEからVodafoneへ変更。
Vodafone(ボーダフォン)
ボーダフォンによる買収概要
J-フォンの筆頭株主であった日本テレコム(以下JT)は、国内の通信業界の競争激化を勝ち抜くため、外資通信会社との提携に活路を見出した。長距離だけでなく国際通話も含めた総合通信企業へと変貌しつつあった国内通信業界の流れの中、デジタルツーカー各社を共同で経営していた日産が経営から撤退し、同社が債務保証をしていた設備投資に伴う借入金をあわせ8,000億円を負担することになった。
さらに目の前にはW-CDMAの設備投資も控えており、JTはアメリカの旧AT&T、イギリスのBTからそれぞれ15%ずつ出資してもらうことで資金調達の手段とした。JTの親会社であったJR各社はJT株の33.8%を保持していたため、経営権は確保されていたかに思われたが、国鉄時代からの債務縮小に力を入れていたJRにとってJTは金食い虫でしかなく、さらにJTはJRに断りなく外資導入を決めたため、もはやJTとの関係は悪くなる一方だった。さらに外資の片方であるAT&Tは、自らが経営悪化から通信各部門が分割されることとなりJT株は売却され、これを英ボーダフォングループ(以下VFG)が購入。さらにJR東海とJR西日本も、会計基準の変更で時価総額の下落による評価損による”心中”を恐れVFGに売却した。またもう一方のBTも経営悪化によりVFGに売却。VFGはTOBを実施し、残るJR東日本からも株式を取得し、その比率を66.73%にまで上げて子会社化した。
さらにJ-フォン自体も、出資を受けていた米国エアタッチ社がVFGに買収(のちにベライゾン社となる)された事により、VFGが間接的に経営に参画(J-フォン北海道の社長はエアタッチ出身のジョン・トンプソン氏だった。同氏はのちに専務執行役技術本部長に就任した)しており、JTの子会社化と合わせた形でVFGに支配されることとなった。そしてVFGはブランドをVodafoneに移行することを決定。ブランドをJ-PHONEに Vodafoneを併記するデュアルロゴを採用して、ブランド認知度向上を図った。これはそれまでに買収していたドイツのD2、イタリアのオムニテルなどと同様の措置であった。しかし、さらなる認知度と好意度、選好度向上を目指して、メールアドレスのドメイン強制変更を断行し、大きな反感を買い混乱を招く結果となった。
ブランド変更
2001年10月 - 筆頭株主である日本テレコム(現・ソフトバンクテレコム)が英国Vodafoneグループの傘下となった事に伴い、J-フォンもVodafoneグループとなった。これにより、2003年のブランド名変更まで、J-PHONEロゴの下にVodafoneロゴを並べる形のロゴマークへ変更し、Vodafoneグループであることをアピールすることとなる。その際、J-PHONEロゴとVodafoneロゴは、並行使用していた。
2002年12月 - NTTドコモやエリクソン等が中心となって開発した、W-CDMA(ワイドバンドCDMA)方式(別名:UMTS)による第三世代携帯電話サービスVodafone Global Standard(当時。略称VGS。2004年末発売シリーズからVodafone 3Gに名称変更)を開始した。エリアは小型基地局を中心として急速に広めたが、一部の地域では64kbpsまでしか通信できず、屋内や地下鉄のカバレッジにも問題があった。(基地局関連メーカ各社の動向-2003年度上期-)さらに、初期の端末はボーダフォンライブの機能が使えないなど、競合するNTTドコモ・auの第3世代CDMA方式に劣り、見通しに暗雲が立ち込めていた。その間、ボーダフォンは第2世代PDC方式サービスを主力とし、2004年末から発売のVodafone 3Gより第三世代へ注力することが発表された。
2003年10月1日 - 商号、ブランド名共にJ-フォンからボーダフォンに変更した。当初は社名に「ジェイフォン」を残したままボーダフォンブランドを導入する予定であったが、親会社の意向もあり社長のダリル・E・グリーン(当時)の決断で社名も含めて変更することになった。なお、ボーダフォングループでは、通常社名がボーダフォンオランダ、ボーダフォンスペインなど、ボーダフォン××と地域名が付く。これに倣うとボーダフォンジャパンとなるわけだが、グループ内では「ボーダフォンK.K.」と定義された。また登記簿上の名称もボーダフォン株式会社とし、他の事業会社(OpCo:オプコという)にない名称となった。
2004年4月 - 前年のブランド名変更の際、掲げられた「ボーダフォンから10の約束」を、自社Webサイト上から削除し、以下のようなサービスの改定が発表された。
- 「ハッピータイム」(土・日・祝日はVodafone端末に電話をすると終日1分5円)は「ハッピータイム2」(土・日・祝日のVodafone端末への電話は5分話せばその後の30分間が無料)となり、「TVコール」(テレビ電話)の通話料を音声通話と同額から1.8倍へと改定前の料金へ戻すなど、迷走する姿があきらかになる。「ハッピーボーナス」(2年契約することで基本料金が安くなるなどの特典が受けられるオプション契約)などで顧客を集めた後の改定にユーザーから反感の声が上がっている。ボーダフォンは料金改定の措置として「年間割引」や「ハッピーボーナス」の解除料を一時的に無料にした[1]。
こうした第三世代携帯電話サービスの遅れや料金制度の変更に対する強い不満を感じた契約者の解約などで、契約数は低迷。2004年3月期連結決算では、減収減益。日本テレコム(現・ソフトバンクテレコム)売却の影響もでて赤字に転落した。NTTドコモやKDDI (au) が増収増益で過去最高の最終利益を記録する中で対照的な結果となった。
2004年6月23日 - 社長のダリル・E・グリーンは役員改選の取締役会直前にして「一身上の都合」を理由に辞任(津田の就任まで、J.ブライアン・クラークが暫定的に社長を勤める)。その後、インドの通信会社に社長として就任している。同年7月 - 解約者数が新規契約者数を上回るまでになった。この状況を巻き返すため、8月、NTTドコモでiモードやFOMAの開発で中心的な役割を担ったNTTドコモ前副社長の津田志郎を社長に迎え入れることを発表した。2004年11月21日 - Vodafone 3GシリーズおよびVGSシリーズ限定でパケット定額制サービス「パケットフリー」を開始した。
2004年12月1日 - 津田志郎が社長に就任する。また、2005年より三菱自動車工業に代わり埼玉県さいたま市のサッカークラブ・浦和レッドダイヤモンズのユニフォームスポンサーになる。オンネットグループ内の通話が無料になるボーダフォンモバイルオフィスを開始。しかし、3G端末の出遅れや3G冬モデルで採用された「共通ユーザーインターフェース」へのなじみのなさからの敬遠、犯罪に悪用されるなどのプリペイド携帯へのネガティブイメージにより、2005年1~3月に再び純減を記録、2005年4月より、津田が会長へ退き、英ボーダフォン社長で元日本テレコム社長でもあり、日本の携帯ユーザーの志向や市場を身を持って知る、ウィリアム・T・モロー(通称:ビル・モロー)を社長に迎え入れることとなった。その後、国内市場のニーズに合わせた端末の導入などの梃入れを行い、加入者の激減に多少歯止めがかかった。
2005年4月20日 - 新たに3つの料金定額サービス(通称:ボーダフォン3つの定額→現在は「LOVE定額」と併せ「ボーダフォン4つの定額」)を追加発表。
- 「家族通話定額」:家族割引加入者を対象に、家族間の通話を月額315円の定額で利用できるプラン。
- 「メール定額」:3G端末を対象に、国内のSMS、MMS、VGSメールの送受信を月額840円の定額で利用できるプラン。
- 「デュアルパケット定額」:3G端末を対象に1050円から4095円の2段階でパケット通信を定額で利用できるプラン。
すでに「パケットフリー」という定額プランがあったが、利用できる料金プランの制限があった。「デュアルパケット定額」では料金プランの関係なしに加入できる。内容はau by KDDIの「ダブル定額ライト」に似ているが若干ボーダフォンのほうが安価である。また「パケットフリー」加入者は自動的に「デュアルパケット定額」への移行となった。ITmedia:ボーダフォン「メール定額」「家族間通話定額」を発表
2005年6月1日 - ボーダフォンモバイルオフィス(通称:社員間通話定額)を改定。2005年10月11日 - 携帯電話業界初、料金定額の新サービスを発表。
- 「LOVE定額」:全加入者(プリペイド式を含む。ただしプリペイド式の電話からの発信は適用外)を対象に、登録した1件のボーダフォン携帯電話への、国内のSMS・MMS・スカイメール・ロングメールの送受信、通話(発信)を月額315円の定額で利用できるプラン。TVコールは2006年5月度までは定額の対象、その後は通常料金の半額になる。また翌月からの適用となる。ボーダフォン、4つ目の定額「LOVE定額」導入
2006年3月17日 - 英ボーダフォンはボーダフォン日本法人をソフトバンクに1兆7,500億円で譲渡することを決定した。今後は日本法人の社名変更をする方針であることが明らかになった。同年4月4日 - 津田ほか6人の取締役の退任予定とソフトバンク側からの役員派遣予定が発表された(モローは留任)。同年9月1日 - 家族向け割引サービス「家族割引」改定。請求先名義や契約者名義の異なる回線で加入できるように改定され、また地域が異なる回線同士でも加入できるようになり、副回線も4回線から9回線に拡大される。これにより、単身赴任などでも加入でき、支払口座を個別にすることもできるようになる。
この時期、ソフトバンクへの買収による社名・ブランド名称の変更を控え携帯電話市場に参入するソフトバンクの目玉となる新たな料金プランや新機種と組み合わせたプランを発表する。
- 2006年9月1日 - 日本では初の携帯電話端末の割賦支払制度スーパーボーナスを開始。
- 2006年9月13日 - iPod nanoと携帯電話のセット販売「スーパーボーナス + iPod nano」を開始。
2006年10月1日 - 商号を「ソフトバンクモバイル株式会社」へ変更。社名変更と同時にブランド名も「SoftBank」に変更。よって、日本における「Vodafone」ブランドは3年で消滅した。
SoftBank(ソフトバンク)
ソフトバンクによる買収概要
ソフトバンクは2006年3月17日、携帯電話業界最大手の英ボーダフォンから、日本法人を1兆7500億円で買収する契約を結んだ、と発表した。2ヶ月以内に子会社を通じて買取を完了する。買収資金のうちの1兆1200億円程度はLBO方式で調達し、残りをソフトバンクやヤフーが出資する形でまかなわれることを明らかにした。
当初、英ボーダフォンは日本法人株の一部を継続して保有し、ある程度の影響力を保持しようと考えていたが、ソフトバンクとの幾度となる交渉によって結果として保有株のすべてを譲渡する形となった。しかし英ボーダフォンは日本から完全に撤退するのではなく、両社は戦略提携をし、ジョイントベンチャー(共同企業体)を設立する。また、英ボーダフォンは2006年4月27日までに、3,000億円相当の優先株式 新株予約権と1,000億円相当の劣後債の投資をBBモバイル株式会社に対して行っている。
なおメールに関して、ソフトバンクになった現在においても割り当てられたVodafoneドメインのメールアドレスを初期状態のまま変更しない限り、J-フォン時代のドメインを使用したメールアドレスにメールを送信しても受信できるようにしている。
ブランド変更
2006年10月1日に社名をソフトバンクモバイル株式会社に、ブランド名をSoftBank(ソフトバンク)に変更。2006年5月18日正式発表。なお、ボーダフォングループとの合弁会社の設立も発表された。新ブランド名はソフトバンクグループであることが明確に表されている。しかしソフトバンクは決定前から「親しみやすい名前にする」と表明しており、実際に決まった新ブランド名について一部のボーダフォンユーザからは「親しみやすくない」「何の工夫もない」といった意見が聞かれる。
2006年10月のソフトバンクモバイルへの社名変更の際は、10月以降変更または、新規登録したアドレスに対しては、新しいドメイン "softbank.ne.jp" を設定するが、それ以前に設定したアドレスについてはドメインの変更はしない(従来のアドレスで新しいドメインの宛先を設定しても届かない)。
また、ボーダフォンが展開してきたインターネット接続サービス「Vodafone live!(ボーダフォンライブ!)」は、「Yahoo!ケータイ(Y!ケータイ)」に変更し、メインページがポータルサイトソフトバンク専用版のYahoo!の携帯版となった。アプリサービス「Vアプリ」も「S!アプリ」、ボーダフォンライブ!基本使用料も「S!ベーシックパック」などに名称を変更した。
さらに「Vodafone 3G」の名称が「SoftBank 3G」、V6-2シリーズの名称が「SoftBank 6-2」となり、Vodafone3G時代にカタログ等に記載されている製品型番の名称が「Vodafone (製品型番)」であったものが「SoftBank (製品型番)」となり、V6-2シリーズも「V(製品型番)」から「SoftBank (製品型番)」となったことで、SoftBank 3GとSoftBank 6-2において、全て製品型番名称が統一された。
2006年10月24日から始った番号ポータビリティ(MNP)では、ソフトバンクに移る際はSoftBank 3G契約のみ受け付け、SoftBank 6-2の契約は受け付けない。
同年10月23日 - ソフトバンク携帯電話同士の通話料とSMSの利用が無料となる新料金プランの「ゴールドプラン」、割賦契約の「新スーパーボーナス」及び2007年1月15日までに契約すると、基本料がずっと70%オフやオプション、基本使用料が一定期間無料になる「ソフトバンク大創業祭キャンぺーン」の3つから成る「予想外割」を発表。同時に、「ブループラン」と、「オレンジプラン」の2つの新料金プラン、全機種購入料金(頭金)「0円」も発表。同年10月24日 - 「ゴールドプラン」について、ソフトバンク携帯電話同士のMMS(S!メール)の利用も無料にすると追加発表を実施する。さらに同年10月26日 - 「ゴールドプラン」について、ソフトバンク携帯電話同士のMMS(S!メール)のソフトバンク(ボーダフォン)メールアドレス利用も無料にすると追加発表。同年10月30日 - 「ゴールドプラン」について、2006年11月10日より、他社携帯・固定電話通話料金を相手・時間問わず、一律21円/30秒(税込)にすると発表。
- 2006年10月31日 - 新しく打ち出した全機種・通話料・メール代「0円」広告に対し公正取引委員会が景品表示法違反の疑いがあるとして調査を開始。[2]
- 2006年11月1日 - 公正取引委員会の指導により、ソフトバンクモバイルは「0円」広告を修正することを発表。[3]
- 2006年11月2日 - 新しく打ち出した全機種・通話料・メール代「0円」広告の変更として、ソフトバンクモバイルのサイトに『「0円」への質問にお答えします。』と題した、質問集などを掲載した。[4]
- 2006年12月12日 - 「景品表示法第4条第1項第2号(有利誤認)の規定に違反するおそれがある表示を行っていた」として、公正取引委員会から警告を受けた。[5][6](同時に当該広告に対して批判したKDDI、NTTドコモも、それぞれの広告に同規定違反のおそれがあるとして注意を受けた[7][8])
- 2007年1月 - 1月課金分の料金からユニバーサルサービス料が設定される。
- 2007年1月5日 - 月額基本使用料980円の新料金プラン「ホワイトプラン」を発表。
- 2007年1月25日 - ホワイトプラン専用の割引サービス「Wホワイト」を発表。
沿革
- 1984年10月 - (初代)「日本テレコム株式会社」設立。
- 1986年7月 - 日本国際通信企画株式会社(ITJ)設立。
- 1986年12月9日 - 鉄道通信株式会社設立。(現:ソフトバンクモバイル)
- 1987年4月 - 鉄道通信株式会社が日本国有鉄道から事業を引き継ぎ営業開始。
- 1987年8月 - 日本国際通信企画株式会社が商号を日本国際通信株式会社に変更。
- 1989年5月1日 - 鉄道通信株式会社を存続会社として日本テレコム株式会社を合併し、商号を(2代目)「日本テレコム株式会社」に変更。
- 1991年7月6日 - 株式会社東京デジタルホン設立。
- 1991年11月25日 - 株式会社関西デジタルホン設立。
- 1992年3月7日 - 株式会社東海デジタルホン設立。
- 1994年3月15日 - 株式会社デジタルツーカー九州設立。
- 1994年9月6日 - 日本テレコム株式会社が東京証券取引所(現:株式会社東京証券取引所)及び大阪証券取引所(現・株式会社大阪証券取引所)の各市場第二部に上場(1996年に各市場第一部に指定)。
- 1994年10月28日 - 株式会社デジタルツーカー中国設立。
- 1995年4月28日 - 株式会社デジタルツーカー東北設立。
- 1995年7月28日 - 株式会社デジタルツーカー北海道設立。
- 1995年9月4日 - 株式会社デジタルツーカー北陸設立。
- 1995年10月4日 - 株式会社デジタルツーカー四国設立。
- 1997年10月1日 - 日本テレコム株式会社が日本国際通信株式会社を合併。
- 1998年5月25日 - ビーティ・コミュニケーションズ・サービス株式会社設立。
- 1998年11月30日 - 株式会社アイエムティ二千企画設立。
- 1999年8月31日 - 日本テレコム株式会社がビーティ・コミュニケーションズ・サービス株式会社(同日に商号を日本テレコムコミュニケーションズサービス株式会社に変更)を完全子会社化。
- 1999年10月 - 携帯電話9社がジェイフォン東京株式会社等、「ジェイフォン」を冠した商号に各々変更。
- 2000年2月 - 日本テレコム株式会社が株式会社アイエムティ二千企画を子会社化。
- 2000年4月1日 - 株式会社アイエムティ二千企画が商号をジェイフォン株式会社に変更。
- 2000年5月1日 - 日本テレコム株式会社が日本テレコムコミュニケーションズサービス株式会社を合併。
- 2000年5月9日 - ジェイフォン株式会社が携帯電話9社による第三者割当増資を引き受け、9社の議決権の過半を有する筆頭株主となる。
- 2000年10月1日
- ジェイフォン東京株式会社を存続会社としてジェイフォン北海道株式会社及びジェイフォン東北株式会社を合併し、商号をジェイフォン東日本株式会社に変更。
- ジェイフォン関西株式会社を存続会社としてジェイフォン北陸株式会社、ジェイフォン中国株式会社、ジェイフォン四国株式会社及びジェイフォン九州株式会社を合併し、商号をジェイフォン西日本株式会社に変更。
- 2001年10月 - Vodafone International Holdings B.V. による日本テレコム株式会社の株式の公開買付けの結果、 Froghall B.V. の保有分を合わせて、両社の親会社である Vodafone Group Plc が日本テレコム株式会社の議決権の過半を有する親会社となる。
- 2001年11月1日 - ジェイフォン株式会社がジェイフォン東日本株式会社、ジェイフォン東海株式会社及びジェイフォン西日本株式会社を合併。
- 2001年12月18日 - Vodafone International Holdings B.V. が Froghall B.V. を合併し、同社が日本テレコム株式会社の議決権の過半を有する筆頭株主となる。
- 2002年8月1日
- 日本テレコム株式会社が商号を日本テレコムホールディングス株式会社に変更。
- 日本テレコムホールディングス株式会社の完全子会社として(3代目)日本テレコム株式会社(現:ソフトバンクテレコム株式会社)を設立し、同社に事業を譲渡(新設分割)。
- 2003年10月1日 - ジェイフォン株式会社が商号をボーダフォン株式会社に変更。
- 2003年11月14日 - 日本テレコムホールディングス株式会社が日本テレコム株式会社の株式の総てをリップルウッドへ譲渡。
- 2003年12月10日 - 日本テレコムホールディングス株式会社が商号をボーダフォンホールディングス株式会社に変更。
- 2004年6月 - Vodafone International Holdings B.V. がボーダフォンホールディングス株式会社の株式を公開買付けし、96.08%取得。
- 2004年10月1日 - ボーダフォンホールディングス株式会社を存続会社としてボーダフォン株式会社を合併し、商号をボーダフォン株式会社に変更。Vodafone International Holdings B.V.(英ボーダフォン)の株式の所有割合が97.68%に上昇。
- 2005年5月13日 - 少数特定者持株数が上場株式数の90%超となった為、上場廃止基準に牴触し、株式会社東京証券取引所及び株式会社大阪証券取引所が株式を監理ポストに割り当てる。
- 2005年8月1日 - 上場廃止となる。
- 2006年3月17日 - 英ボーダフォンが日本法人の携帯電話事業を1兆7,500億円でソフトバンクに売却することで合意した。
- 2006年5月18日 - 10月1日より社名をソフトバンクモバイルに、ブランド名をSoftBank(ソフトバンク)に変更すると発表。
- 2006年8月31日 - 2008年3月31日をもってPDC方式サービスの新規加入受付を終了することを発表。
- 2006年10月1日 - 商号をソフトバンクモバイル株式会社に変更。
現行のサービス
端末ラインアップ
- 第三・五世代携帯電話でソフトバンクの将来にかかるサービス。HSDPA方式。
料金プラン
- 2006年10月に登場し、現在のソフトバンクの主力料金プラン。
- 2007年1月に登場し、現在のソフトバンクの主力料金プランで、ゴールドプランの弟分。
- 2006年10月に登場し、auのCDMA 1X、CDMA 1X WINの2つの料金プランより200円安い料金プラン。
- レッドプラン(通称)
- ボーダフォン時代の料金プランで、2007年3月で新規受付停止。
オプション
- S!ベーシックパック(315円)
- なお、ホワイトプラン・ゴールドプラン契約の SoftBank 3G 利用者が「S!ベーシックパック」を申し込んでいない場合、Y!ケータイ内の各コンテンツを参照すると「S!ベーシックパック」申し込みをしたと見なされ利用料が課金されることがあるので、注意が必要である。
- また、SoftBankから直々に有料プランへの勧誘メールが届く要出典ことがある。そのメールには【必要ない場合には、「必要ない」と返信して下さい】とあり、無視した場合は契約が成立し、課金される。これはネガティブオプションなのではないか、とも言われている。
- ステーション
- Eメールオプション
- ロングメール・ロングEメールオプション
サービス |
コンテンツメール |
ボーダフォンから10の約束
J-フォンがボーダフォンにブランド名の変更を行う際に自社Webサイトや広告などに掲げた約束。「約束」と言う形が取られているが、実は、すでに実施予定だった各種施策を「10の約束」という形で見せる広告宣伝の一つに過ぎなかった。しかし、英国本社からの強大な圧力でハッピータイムの改定などを余儀なくされ、この「約束」はほどなくして自社Webサイトなどからは消滅した。広告宣伝の見せ方の一つだった「10の約束」だったが、約束反故として記者会見などで後々にまで語られることとなる。内容は以下の通り。
- 機種変更、お求めやすく
- 料金プランや割引サービスをパワーアップ
- 先進機能搭載、優れたデザインの携帯を次々と
- Eメール受信は今までどおり
- 「J-スカイ」は「ボーダフォンライブ!」へ飛躍します
- 「J-フォンショップ」は「ボーダフォンショップ」へ
- もっとグローバルに
- TVコールサービスを使いやすく
- パッケージプランの提供
- 「J-フォン」のケータイは引き続きご利用いただけます
経過
- 2006年2月 - MVNOでのボーダフォンとソフトバンク提携交渉を行っていると報道される。
- 2006年3月3日 - 英ボーダフォン、ボーダフォン日本法人買収交渉の事実認める。
- 2006年3月4日 - ソフトバンク、ボーダフォン日本法人買収交渉の事実認める。
- 2006年3月6日 - ボーダフォン、ホームページに【お知らせ】一部報道に関するコメント を掲載。
- 2006年3月17日 - 英ボーダフォンはボーダフォン日本法人をソフトバンクに1兆7,500億円で譲渡することを決定した。また公式発表をしたソフトバンク孫社長は基本的には新ブランドに切り替える意向をあらわした。新ブランドの詳細については「できるだけ早い時期に決めていきたい。まだ決定しておらず、これから検討していく」と述べた。
- 2006年3月17日 - ソフトバンク、ホームページに買収決定後初めてのコメントボーダフォン株式会社の買収およびヤフー株式会社との携帯電話事業に関する業務提携についてを掲載。
- 2006年3月17日 - 英ボーダフォン、ホームページに買収決定後初めてのコメントを掲載。日本法人も日本語訳を同時掲載。
- 2006年3月20日 - ボーダフォン、ホームページに買収決定後初めてのコメント【お知らせ】弊社株式売却について を掲載。
- 2006年4月4日 - ソフトバンク、BBモバイルを通して1株31万3456円でTOBを実施。
- 2006年4月14日 - ボーダフォン、ホームページに今後の方針“お客さま第一主義の継続”を掲載。メールアドレスのドメイン名や現行サービス継続の意向を表明。
- 2006年4月24日 - 5月1日より本社を港区愛宕からソフトバンク本社と同じ汐留の東京汐留ビルディングに移転することを発表。ソフトバンクグループ企業との連携強化のためとしている。
- 2006年4月27日 - ソフトバンク、BBモバイルを通して英ボーダフォン所有のボーダフォン日本法人株を買い付けると同時にメトロフォン・サービスの全株式を買い付けすることにより同社が保有する株も合わせて取得することで、結果ボーダフォン日本法人株540万2913株(発行済株式数99.54%)を取得。
- 2006年4月28日 - ソフトバンク社長孫正義が、ボーダフォンの取締役会議長ならびに代表執行役社長兼CEOに就任。
- 2006年5月18日 - 同年10月1日をもって「ソフトバンクモバイル株式会社」に社名変更、ブランドもソフトバンクを基本としたものに変更することが発表された。
- 2006年6月9日 - 総務省から産業再生法の適用を受け、ボーダフォン日本法人株を100%取得する際に株式に代えて現金の交付が可能になった。
- 2006年8月15日 - ソフトバンクの完全子会社となる。
- 2006年8月25日 - ソフトバンクロゴが入った機種発売開始を発表。このロゴマークはソフトバンクグループの「〓」をあしらったものだが、色はシルバーメタリックになっている。(ソフトバンク本社は、黄色=レヴォリューション・イエロー)
- 2006年10月1日 - ソフトバンクモバイルに社名変更。
番号ポータビリティに関する騒動
概要
- 番号ポータビリティ(MNP)開始前日の10月23日に新プランなどの発表を行った影響で、さまざまな出来事が発生した。ソフトバンクは2006年10月28日午後3時頃から10月30日午前8時にかけて、ゴールドプランへの申し込み殺到によりソフトバンクのMNPにトラブルが生じたと発表した。しかし、2006年11月11日付ゲンダイネットでは、実際はソフトバンクから他社へのキャリア変更(転出)が殺到したことによると報道された。これに対し、NTTドコモおよびKDDI (au) は、ホームページ上においてソフトバンクモバイルに対して厳重に抗議したと発表した。しかし、減少数は少なかったので、MNPによる転出者が多すぎたというのも不明。また、新規がかなり多かったので、ゴールドプランによる影響とも考えられる。また、家族割引の複雑な副回線制に問題が有ったともされる。
経過
- 2006年10月28日 - 新プラン発表と大々的なキャンペーンが功を奏し、さらに週末という条件が重なり新規加入・機種変更ユーザーが殺到。同日午後5時半頃、文字通りの予想外の集客に契約に関するシステムがダウン、全登録業務を停止し、通常午後9時頃まで営業している受け付け時間を切り上げた。[9]
- 2006年10月29日 - システムを回復させ営業を再開したが、MNP登録に関する遅延が発生していたため他キャリアへの転出・転入業務を停止。[10] それ以外の契約業務については引き続き営業中であったが、その後事務処理能力が限界に達する恐れが出てきたため、同日午後0時10分に再停止した。[11]
- 2006年10月30日 - 午前8時にシステムを復旧。他キャリアへの転出・転入業務を再開。しかし、今後またシステムが停止する恐れがあるとし、11月5日までは新規加入及びMNPによる乗り換えのみの受付とし機種変更は停止状態になっていた。[14]
- 2006年11月6日 - 当初全業務完全復旧の予定であったが、既存客からの携帯電話の機種変更や料金プラン変更の受付を停止した。通常の平日より申し込みが多く、システムへの負荷を軽くするためとされる。同日中に処理できる分に限って申し込みを受け付け、東海~関西地域以西は午後4時、他の地域も午後6時で受付中止。6日は再開待ちの客の受付が増えたとみられる。11月7日から11月10日までの既存客からの受付時間を午後7時までに早めることに決定した。[16] [17]
- 2006年12月17日 - 今度は、ドコモと共に影響を受け抗議を行ったKDDIで番号ポータビリティの受付を停止、ソフトバンクモバイルおよびドコモに影響が出た。[18]
その他の騒動
CMに関する問題
- ゴールドプラン紹介CMにおける問題
割賦支払金の問題
2007年1月30日、神戸生活創造センターなどにSoftBankの携帯電話の解約時などの料金についての苦情が相次いでいることが判明(神戸では12月までに5件)。「新スーパーボーナス」を利用して端末を購入した際の残額として、最大で6万4080円の請求をされた人がいた。「持ち帰り0円」等の店頭表示がされる一方で、新スーパーボーナス契約内容の説明が不十分な場合が多々あったことが原因と考えられる。
ショップ個人確認違反問題
2007年4月12日、ソフトバンクショップを運営している代理店2店舗が、携帯電話購入時に個人確認を怠ったとして、総務省が代理店2店舗と監督元であるソフトバンクモバイルに対し再発防止措置の徹底を行なうよう指導を行なった。ソフトバンクモバイルはこの代理店2店舗に対し、販売促進支援およびショップ支援を3カ月間停止を決定し、ソフトバンクショップ全代理店に対し、携帯電話を販売する際の個人確認を徹底するように通知した。
端末関連
端末を供給しているメーカー
- デジタルツーカー(以下DTと略)時代は箱に記載されたメーカー略称の文字色(SH、Dなど)、J-フォン(以下JPと略)時代は取扱説明書の表紙の色が各メーカーごとに異なっていた。ここではそれについても記載する。
- ソフトバンクモバイルではシャープと東芝が中心となってフラッグシップモデルを提供しており、サムスン電子・NEC・パナソニックが主にスリムモデルを提供している。(しかし、シャープはフラッグシップモデルのほかにもスリムケータイ・スタンダードモデルも提供しており、ソフトバンク内で供給台数はシャープがトップであり、最近では売り上げランキングで10位中に毎回4機種以上がランクインされているため、報道機関はシャープ王国とも称している。)
- シャープ
略称「SH」 (デジタルホン時代は「DP-20X」)(DT:薄い橙、JP:黄色)
- ハイエンド機からローエンド・プリペイド機まで、数多く端末を供給するメーカー。機種数が多いことや液晶の性能の高さからか、ソフトバンクモバイルの中でも一番人気のメーカー。(2007年3月現在、国内シェアはNo.1)特に液晶の技術には定評があり、カラー化・高画質化もハイペースで行われた。J-PHONE時代からの付き合いが長く、携帯電話ではドコモF502iに次いで登場したカラー液晶機種(J-SH02 1999年秋発売)、携帯電話初のカメラ付き機種(J-SH04 2000年冬発売)、携帯電話初のTFT液晶機種(J-SH05 2000年11月)、SDメモリーカード対応(J-SH51 2002年春発売)、QRコード対応(J-SH09・J-SH52 2002年秋発売)、メガピクセル機種(J-SH53 2003年夏発売)、光学ズーム搭載(V602SH 2004年夏発売)、モーションコントロールセンサー搭載(V603SH 2005年2月発売)、携帯初VGA液晶搭載(904SH 2006年4月発売)など、携帯電話において「業界初」機種を数多く手がける。同社初のJava搭載携帯電話(J-SH07 2001年夏発売)も、シャープから製造された。この機種は他にも、カメラやTFT液晶等を装備し、折りたたみ式の形状と、当時のトレンドをおさえた製品だった。そのため登場時は「J-PHONE史上最強のケータイ」と謳われ、大ヒットを記録した。この機種が今日の多機能携帯電話の礎だ。その当時はNTTドコモへは端末を供給しておらず(それ以前には供給していたが、一時的に休止)、写メールのヒットなどでドコモユーザーからは羨ましがられた時期もあったが、2002年よりドコモ向け端末をリリース。後に2005年にはウィルコム向け端末をリリース、2006年にはau向け端末をリリース。そして、2007年3月、イー・モバイルにもリリースし、携帯・PHSの全キャリアに端末を供給する唯一の端末メーカーとなっている。2006年5月には、ボーダフォン初のワンセグメント放送対応機種、905SH(通称:AQUOSケータイ)を発売。11月にはワンセグ携帯では最大級の3インチ画面を搭載した後継機の911SH、業界最高の500万画素AF+光学3倍ズームなどを搭載、デジカメ顔負けの使い勝手を実現した910SHを同時発売。また、2007年2月には、パントーン社とのコラボレーションによる世界初となる20色同時展開の端末812SHも発売。
略称「T」 (デジタルホン時代は「DP-17X」)(DT:濃い緑、JP:エメラルドグリーン)
- SHに次ぐ、人気のメーカー。ハイエンド機からローエンド機まで幅広い層に向けた端末を製作している。こちらも携帯電話で初めて、QVGA液晶を搭載したり(J-T08 2002年冬発売)モバイルフラッシュ機能搭載(J-T06 2001年夏発売)と、意欲的なメーカー。2004年夏のV601T以降の端末(V6・V5シリーズ、Vodafone 3G)に於いては、自社製3Dグラフィックアクセラレータ「MOBILE TURBO T4G」を搭載している。第三世代携帯電話でも、ボーダフォン初のGPS機能搭載の製品(903T 2005年10月発売)や音楽プレーヤー機能を前面に押し出した製品(803T 2005年10月発売)など、魅力的な製品を開発・製造している。
- 国内で初めて第三世代携帯電話を展開する事業者全てに3G端末を供給したが、現在はNTTドコモ向けの端末を供給していない。電波の感度の良さでは以前より定評がある。au向けにも意欲的に端末を供給しているが、ボーダフォン時代に3G端末が登場してから同社向けの供給の比重が増えていて、現在ではシャープと肩を並べるソフトバンクの端末供給メーカーになっている。2006年1月に発表されたVodafone 3G端末のx04シリーズでは、904TがVodafone 3Gで提供される全てのサービスに対応し、フルスペック端末となった。910TはBluetoothによるワイヤレスミュージックスタイルに1GBメモリなどを搭載し、au向けのW44T(TiMO W44T Ⅱ / LEXUS W44T Ⅲを含む)と同じく大容量音楽ケータイとなる。また、803Tの成功以降、継続して音楽再生に注力した機種を発売している(705T、811T、911T)。2007年2月にはソフトバンク初の子供向け端末812T(通称「コドモバイル」)を発売、3月には、ワンセグと、3Gハイスピードを搭載した、いわゆる全部入りの端末911Tを発売した。
略称「N」 (デジタルホン時代は「DP-11X」)(DT:青、JP:赤)
- デジタルホン第1号機(DP-111)をリリースした。ほぼNTTドコモ向け端末を中心に供給しており、ボーダフォン向けにはほとんど新機種を投入しなかった。V601Nで日本で初めてアナログテレビ受信端末をリリース。Vodafone 3G向け端末802N、703Nは国内専用W-CDMA端末となっている。2006年春に発売の804NではV-N701以来のGSM対応で、本体内部メモリが450メガバイトとなっている。同社はJ-フォン~ボーダフォン時代における、3G黎明期より試験端末を積極的に開発してきたが、Vodafone 3Gの頃に発売された製品は、機能的な面で大きく劣る機種や使い勝手の面に重要な欠陥があった機種などで、他機種と比較され売れ行きは伸び悩んだ。
- ソフトバンクになってからは、薄型の商品として新たに705Nを発売した。発売に際しソフトバンクモバイルのカタログ「+マガジン」(総合カタログとセットになっているカジュアルな雑誌)12月号で他機種に比べ紙面スペースを大きくとってのアピールがなされたこの機種は、日本電気およびソフトバンクモバイルの両者とも大変に注力のされた製品であろう。2007年3月には兄弟機706Nも発売。
略称「P」 (デジタルホン時代は「DP-14X」)(DT:ローズピンク、JP:紫)
- デジタルホン・J-フォン時代は松下通信工業時代から端末を供給していた。基本的に、NTTドコモ等のPシリーズに準した製品が配給されていた。同社が得意とする薄型軽量技術を生かした商品が多かった。2000年6月発売の「J-P02」は、重量が僅か61グラム(現在に至るまでソフトバンク最軽量モデル)である。2002年5月発売の「J-P51」は、折りたたみ式携帯電話が人気の絶頂だった当時としてはめずらしく、ストレートタイプの形状を採用。軽量かつ多機能だった事、そしてパナソニックというブランド力もあってストレート端末の割にはかなり売れた機種である。現在もソフトバンクモバイルのサイトにて製品を参照する事ができる。製品情報 J-P51
- ボーダフォン時代は端末は供給されなかったが、ソフトバンクによる買収が行われた後、2006年5月10日のソフトバンク決算説明会で孫正義代表取締役が「年内に音声端末を登場させる予定」と述べ、パナソニック側も開発中であることを認めるコメントをした発言記事のリンク。同社製のソフトバンク向け端末 705P が2006年7月にJATE認定、2006年9月28日よりボーダフォン(ソフトバンク)へ端末供給を開始、ソフトバンクブランドとしても10月7日より発売された(ニュースリリース)。2007年には、事実上兄弟機となる706Pが発売。
略称「NK」 (J-フォン時代は「NM」・デジタルホン時代は「DP-15X」)(DT:明るい緑、JP:薄い橙) PDC製品では、デザイン性を前面に押し出した製品を製造・配給していた。1998年秋の商品「DP-154Ex」は、当時の日本製携帯電話にはないストリート風のデザイン、オレンジの配色等でファッション雑誌によく取り上げられた。J-NMシリーズ時代は、三洋電機のOEM製品で展開していた。
- 第三世代携帯電話では、Symbian OS搭載ストレート形3G端末702NKおよび702NK IIを投入している。スマートフォンを売りにしているこれらの端末は、PCとの親和性が高いことと世界中に出回っているSymbianアプリ(いわゆる「勝手アプリ」、「超勝手アプリ」)が組み込めるなどの自由性の高さからPCユーザーを中心に人気がある。2006年夏にはこれらの後継機種、804NKを発売。スマートフォンで人気だった「勝手アプリ」の対応はされなくなったかわりに、折畳み式スタイル、2.4インチQVGA液晶ディスプレイ・FMラジオチューナー・2メガピクセルデジタルカメラ・赤外線通信機能など、日本製携帯電話に近い機能が搭載されている。
- ソフトバンクになってからは、SoftBankとしては初となるGSMクワッドバンドと3Gのデュアルモードローミングに対応した、705NK(Nokia N73)が、2007年1月13日に発売された。また、春には、法人専用のスマートフォン端末X01NKが供給される。
略称「SI」
- データ通信専用CFカード型端末VC701SIを供給している。国内のほか、海外W-CDMA網でも使うことができる。各検証記事や雑誌などでは、NTTドコモやau向けのカード端末と比べ、利用者数が他キャリアよりも少ない割にはインフラの品質が高いこともあり、「同じW-CDMAのFOMAよりも高速」「繋がる」などと高く評価されてきている。ちなみにVC701SIは第3世代データ通信カードでは唯一、キャリアが公式に Mac OS X 対応を明示しており、ユーティリティソフトも提供されている(auのW01KもMac OS Xで利用できるが、Apple による対応でありモデムスクリプトしか提供されていない)。ソフトバンクになってからは、HSDPA(3G ハイスピード)/W-CDMA方式のカード端末C01SIが発売される予定。
略称「SC」 (ボーダフォン時代は「SS」)
- 2006年春に804SSで日本向けに初めて携帯電話を投入。本体の薄さが14.9ミリと極めて薄いのが特徴。(発売当時、世界最薄の折りたたみ型第三世代携帯電話であった)外部メモリー非装備以外は日本の携帯電話のトレンドを取り入れており、QVGA液晶やメガピクセルカメラなどを装備している。また、ユーザーインターフェースも日本の携帯電話に準じたものとなっている。ソフトバンクになってからは、ボーダフォン時代からみても久しぶりとなるスライド式携帯電話705SCおよび折りたたみタイプの706SCが、10月上旬に発売している。その後、11月にはSoftBankとしては最薄型となる707SCや、Yahoo!ケータイ対応としては初となる3Gハイスピード対応の709SCを12月29日に、W-CDMA通信方式で世界最薄の708SCや、3Gハイスピード対応の707SCIIも2007年3月に発売している。また、ワンセグ対応の805SCも春に発売予定である。
略称「HT」
- 2006年10月にHSDPA(3Gハイスピード)初導入でWindows Mobileを搭載した初のスマートフォン端末(ソフトバンクになる以前から見ても初投入)X01HTでソフトバンクモバイルへ初めて携帯電話を供給を開始した。
かつて端末を供給していたメーカー
略称「SA」 (デジタルホン時代は「DP-18X」、デジタルツーカー仕様は「S」)(DT:緑、JP:桃色)
- 主にローエンド機を中心にリリース。V801SAでは、ボーダフォングローバルスタンダード端末の製品版としては第一弾として投入されるも、端末価格があまりにも高価だったことや不具合が頻発したことなどの要因が重なっため不評であった。その後、第二世代携帯電話で奇抜な外観が印象のV401SAを発売するも売り上げは思わしくない。結局V401SA以降、ボーダフォンへは投入されなかった。三洋電機がNTTドコモへの納入を再開したことから、ボーダフォンからは撤退したのではないかとの憶測がなされたまま、ボーダフォンはソフトバンクブランドとなったが、こちら向けの供給予定端末も現在ない。なお、ボーダフォン時代に発表された「ケータイ業界30兆円の行方 キャリア再編のシナリオ」(石川温著・ソフトバンククリエイティブ刊)によると、三洋はハイエンド機の納期が合えば端末納入するとのことであるが、その一方で、会社本体の経営不振から、他キャリア向けも含む携帯電話事業自体から撤退する可能性も噂されている。
略称「MO」
- 702MO、702sMOがVodafone 3Gとして発売されるも、メールアドレスの特定の場所に、(.)の入ったメールアドレスが電話帳に登録できない等の仕様上の問題が多く、発売から数ヶ月で店頭・カタログ等から抹消された。702MO/sMO以後ボーダフォンへの供給がない一方でNTTドコモへの供給が進んでおり、ボーダフォン(日本)からは完全撤退したと考えられる。
略称「D」 (デジタルホン時代は「DP-22X」)(DT:水色、JP:スカイブルー)
- J-D08と比べV401Dではユーザーからの要望も含め、改良に改良を重ね1000以上の項目を改善している。V401Dではコントロールパッドや加速度センサーも搭載している。しかし、2004年6月に発売されたV401D以降の端末リリースはない(2006年3月現在)。三菱電機がボーダフォン向けユーザーサイトを閉鎖したことから、新機種供給からは撤退した可能性がある。また、ボーダフォン向けプリペイド端末では、J-D07、V101D、V102D、V301D、V401Dを供給しており、独占状態に近かった。ボーダフォンに対してのパケット通信対応端末の供給は一度も無い。J-フォン時代ではフリップ式端末を供給しており、使い勝手の良さからファンも多かった。和音着信音の音質・音量にも定評がある。デザインやスペックは、NTTドコモのDシリーズよりも、当時ツーカーに納入していた「TH-4XX」シリーズに似たものとなっていた。ソフトバンク2006年秋冬商戦投入予定13機種、2007年春商戦機種には挙がっていない。
略称「SE」 (J-フォン時代は「SY」)(DT:紫、JP:薄い青)
- NTTドコモやau向けに供給されているソニー寄りの同社製品と違い、エリクソン寄りの構成の製品。ジョグダイヤルやPOBoxは搭載されておらず、海外製品ということもあり、着うたサイトやゲームサイト・インターネットバンキングサイトなどでは対応していない場合が多い。発売されたのは802SEのみでありその後は端末を発売していない。一説には802SEで売り上げが思わしくなかったなどの理由でボーダフォンから撤退したとの見方もあり、結局、その後ボーダフォン時代に供給は無かった。ソフトバンク2006年秋冬商戦投入予定13機種、2007年春商戦機種にも挙がっていない。
略称「DN」 (デジタルホン仕様は「DP-19X」、デジタルツーカー仕様は「ND」)(DT:赤、JP:緑)
- 携帯電話オリジナルキャラクター「まめぞう」を端末に搭載。シンプルなルックスだがかわいらしく、好評であった。更に、比較的コンパクトな端末だった上、端末側面にタッチセンサーを搭載し、握っている時のみ誤動作防止機能が解除されたり、文字変換機能が当時としてはかなり高度だったなど、実用面でも好評であった。その為、カラー化がすすむ前のJ-PHONEでは(1999年頃まで)同社とケンウッドが人気メーカーとなっていた。端末のイメージキャラクターには、歌手の知念里奈と俳優の江口洋介を起用していた。2001年5月に携帯電話事業でのケンウッドとの協業を発表するも、同年秋の商品「J-DN31」を最後に惜しまれつつ携帯電話事業から撤退。
略称「PE」 (デジタルホン仕様は「DP-21X」、デジタルツーカー仕様は「CA」)(DT:薄い紫、JP:灰色)
- 同社端末の売りは、全面タッチパネル式液晶携帯電話。「DP-211」は携帯初のタッチパネル式であり、その兄弟機種「DP-211sw」は携帯初の文字メッセージサービス(スカイメール、当時はスカイウォーカー)対応機種であった。操作の殆どを液晶にタッチする事で出来る、かなり個性的なものだった。このコンセプトは液晶が重視されている今の携帯電話に受け継がれているものであり、早すぎた商品といえるかもしれない。また、音響製品とともに以前より主に福祉向けの固定電話機を作っていたメーカーだけあって、通話品質にも定評があった。2001年春発売の「J-PE03II」(同社唯一の、非全面液晶&カラー・和音着信音モデル)を最後に携帯電話事業から撤退。
略称「K」 (デジタルホン時代は「DP-13X」、デジタルツーカー仕様は「K」)(DT:橙、JP:青)
- デザインと音質を重視した商品が目立つ。1998年春に発売の「DP-134」(デジタルホン仕様)「K3」(デジタルツーカー仕様)は、サイドから見るとイルカのシルエットのようなグリップがつけられており、「ドルフィンライン」というキャッチコピーで売り出された。更に、当時の東京デジタルホンイメージキャラクターの藤原紀香が出演する同社CMやドラマでも同機種が使われ、OLを中心にヒットした。そして、オーディオや無線機の製造を手がけている技術力が生かされており、通話品質もかなりハイレベルだった。その代わり、軽量化・多機能化にはそれほど熱心ではなかった。シャープや東芝のように高画質液晶やカメラ機能を全面に押し出しているわけではないが、根強い人気はあった。しかし2000年ごろからケンウッド本体の経営が悪化。2001年5月には携帯電話事業でのデンソーとの協業を発表するが、2002年3月発売の「J-K51」(携帯電話初のステレオツインスピーカー搭載端末)を最後に携帯電話事業から撤退。株式会社山形ケンウッドで生産されていた。
品番は「DP-12X」ではじまる
- こちらも、NTTドコモ等のFシリーズに準じた製品を配給していた。撤退はかなり早く、1998年夏の「DP-125」が最後。「J」からはじまる品番は1998年暮れの製品から使用されたものである。したがって「J-F01」等のような品番の製品は存在しない。
略称「SY」(デジタルツーカー時代は「SO」)(JP:薄い青)
- 現在の「SE」とは全く別物。製品は1999年秋発売の「J-SY01」のみで、当時ツーカーで人気商品だった「TH291」に準じた仕様。岩手県のソニー千厩株式会社(現在のソニーイーエムシーエス株式会社千厩テック)で生産されていた。
国際ローミング
2006年12月14日現在、通話は170の国や地域、SMSは170の国や地域、MMSは97の国や地域、モバイルデータ通信は97の国や地域、TVコール(テレビ電話)は21の国や地域でローミングが可能となっている。 対応機種は、一部のGSM非対応機をのぞくSoftBank 3G機種である。
現在の日本の携帯電話会社のなかでは、英国のボーダフォンの日本法人であったことも関係して、国際ローミングに特に力を入れており、海外でのローミングが可能な国は非常に多い。また、総合カタログに掲載されている国際ローミング対応機種も群を抜いて多い。ちなみに2007年3月の総合カタログではソフトバンクが24端末、ついでNTTドコモが13端末(うちほとんどの機種はGSM非対応のため主要国で使えない)、そしてauが1端末である。
日本国内専用の3G機種の利用者には、ローミング対応端末単体でレンタルできるソフトバンクグローバルレンタル(GSMレンタフォン社提供)というサービスもあり、USIMカードを差し替えるだけで電話番号・メールアドレスを変えずに利用できる。 なお同社では、ソフトバンクモバイルに加入していない人に対しても、一般的なレンタルサービスを行っている。
現在のイメージキャラクター
メイン・キャラクター
- キャメロン・ディアス(2006年10月~)
- 予想外割・XS(707SC)・PANTONEケータイ(812SH)・コドモバイル(812T)等の宣伝CMに出演。仕事中・買い物・お出かけ中・フルカラー・親子という5パターンのCMがある。
- ブラッド・ピット(2006年10月~)
- 11月30日よりテレビCMに登場。AQUOSケータイ2nd(911SH)のCMに出演。インド編・ギリシャ編・アレンジ版の3パターンがある。
宣伝
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一同(2007年1月~)
- 加瀬亮(2007年2月~)
- ホワイトプラン宣伝のCMに出演。市川と共演。結婚話編の1パターンがある。
- 市川実日子(2007年2月~)
- ホワイトプラン宣伝のCMに出演。加瀬と共演。結婚話編の1パターンがある。
- 柄本明(2007年2月~)
- ホワイトプラン宣伝のCMに出演。息子と共演。操作方法編の1パターンがある。
- 柄本佑(2007年2月~)
- ホワイトプラン宣伝のCMに出演。父親と共演。操作方法編の1パターンがある。
東芝製ソフトバンク端末イメージキャラクター
現在CMには出ていないキャラクター
- ダンテ(予想GUY、自称:野口五郎)
- 「予想外です。」というフレーズのCMに起用されていた。主に905SH・705SHの宣伝をしていた。また、それ以外でもキャメロン・ディアスと共に予想外割のCMにも起用されていた(キャメロン・ディアスとは別物のCM)。ソフトバンクショップ原宿店(2007年2月10日オープン)開店記念イベントに出演している。
スポンサー
- 日本プロサッカーリーグのチームスポンサーを務めている。
- ジェフユナイテッド市原・千葉(1997年 J-PHONE=東京デジタルホン=時代にユニホームスポンサー)
- 浦和レッドダイヤモンズ(2005年~2006年ユニホームスポンサー)
- 2006年より、プロ野球マスターズリーグの特別協賛スポンサーを務めている。
株式関連
現在の株主および保有率
株主は、ソフトバンクの孫会社であるBBモバイル株式会社が全株を保有しており、BBモバイルの全株を保有する完全子会社モバイルテックを介してソフトバンクがすべての株式を間接保有している。なお、この、BBモバイル株式会社は、ボーダフォン株式会社をソフトバンクグループが買収する以前には、ソフトバンクグループが独自に携帯電話事業に新規参入する計画で、その事業会社となる予定であった(実際、総務省から2005年11月10日付でBBモバイルに対し携帯電話事業が認定されている)。しかし、BBモバイル株式会社は、下記の手法でボーダフォン株式会社(当時)を傘下におさめたことで携帯電話事業に参入したため、2006年4月28日に新規参入の認定書を総務省に返納することを発表した。
2006年4月4日(火)~2006年4月24日(月)に行われた株式公開買い付け(TOB)では、99.5%までしか応募がなく、以下の株主構成となった(ソフトバンクによる完全子会社化はできなかった)。
- BBモバイル株式会社(529万9814株、議決権の97.6%)(なお、BBモバイルは持株会社ソフトバンクの完全子会社であるモバイルテック株式会社の完全子会社)
- メトロフォン・サービス株式会社(10万3099株、議決権の1.9%)(メトロフォンはBBモバイルに買収され完全子会社となった)
その後、2006年6月9日に総務大臣が産業活力再生特別措置法(産活法)の事業再構築計画を認定。2006年7月4日には、産活法を活用した現金交付による株式交換契約を締結。2006年8月15日までに株式交換を実施し、78億円で少数株主が保有していた残りの0.46%の株式をBBモバイルが取得して、ボーダフォンを完全子会社化した。
親子関係はソフトバンク(持株会社)-モバイルテック-BBモバイル-ソフトバンクモバイルという形となり、ソフトバンクから見ると曾孫会社にあたる。
ソフトバンクによる買収以前の株主および保有率
ソフトバンクグループによる買収が行われる以前の主な株主は、以下のとおりであった。
- ボーダフォン インターナショナル ホールディングス ビーヴィ(491万6372株、議決権の90.6%)
- ボーダフォン ヨーロッパ ビーヴィ(28万2816株、議決権の5.2%)
- メトロフォン・サービス株式会社(10万3099株、議決権の1.9%)(メトロフォンは、ボーダフォン インターナショナル ホールディングス ビーヴィの完全子会社)
ボーダフォンによる買収以前の株主および保有率
英国のボーダフォングループによる買収が行われる以前(2001年2月)のジェイフォン株式会社(ジェイフォンの持株会社)おもな株主は、以下のとおりであった。
- 日本テレコム 54%
- 事業としては現在のソフトバンクテレコムだが、法人としては、2002年の持株会社移行そして2004年の吸収合併による事業継承の結果、現在はソフトバンクモバイルそのものである。
- ボーダフォン(英) 26%
- ブリティッシュ・テレコム(英) 20%
- この持株会社が、J-フォン地域3社(東日本、東海、西日本)の株式過半数を所有
関連項目
- ボーダフォン
- SoftBank 3G(旧・ボーダフォングローバルスタンダード→Vodafone 3G)
- SoftBank 6-2 シリーズ(旧・J-5X/J-0Xシリーズ→V3/V4/V5/V6シリーズ)
- 写メール
- デルモジ表示
- S!アプリ
- ステーション
- ハッピーボーナス
- ソフトバンクプリペイドサービス
- Yahoo!ケータイ
- ゴールドプラン
- ホワイトプラン
- Wホワイト
- オレンジ/ブループラン
- スーパーボーナス
- スーパー安心パック
- パケットし放題
- パケット定額
- モバイル決済推進協議会
外部リンク
- ソフトバンクモバイル株式会社
- ソフトバンクモバイル - サービスサイト
- QUICPay (ソフトバンクモバイル株式会社)
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