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アイドル(Idol)は、崇拝の対象(偶像、イコンなど)を指し示す英語。語源は「見る」を意味するギリシア語のιδειν(イデイン)で、ειδoς(エイドス、姿)、idola(イドラ、ラテン語、偶像)→idol(英語、偶像)と転じていった。
若者に人気がある若手芸能人(歌手、俳優、タレント)なども指し、デビュー当初から「アイドル」を自称する芸能人が存在するなど、日本において独自の発展を遂げている。
目次
アイドルという言葉[編集]
1940年代のアメリカで偶像を表す「idol」の意味が発展・変化し「若い人気者」としての意味が成立したのは、フランク・シナトラが「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれ人気を博して以来のこととされる。エルヴィス・プレスリーもビートルズもデビュー当時はアイドルと呼ばれていた。
日本ではアイドル歌手という言葉は昭和13年の松竹映画「愛染かつら」作品内で使われている。しかし日本においては、ほとんど外国人に対してのみ使われる言葉であり、人気若手芸能人は一般的に「スター」、映画時代に一世を風靡した吉永小百合、浜田光夫らは特に「青春スター」と呼ばれていたが、高度経済成長を達成して生活様式が西洋化・都市化した1970年頃から日本人に対しても違和感無く使われるようになった。このアイドルという言葉は、未成熟な可愛らしさに愛着を示す日本的美意識を取り入れながら独自の世界を創り上げ、1970年代半ば頃に一般に定着、1980年代には市民権を得た[1]。戦後から昭和の末期までは、「ブロマイド」の売上実績がすなわちスターやアイドルの人気のバロメータになっていた。
現在アイドルという言葉は、あるコミュニティにおいて人気のある者を指す言葉として用いられる場合がある。名詞的に「学校のアイドル」、「職場のアイドル」などと呼ばれるもの、また同様の形容詞的表現として「アイドル的人気のある人」、「○○ではアイドル並み」といった範囲限定使用がそれである。
概要[編集]
1970年代から1980年代の日本では、若年層に向けた歌謡曲を歌う清純派歌手(アイドル歌手)のことを「アイドル」と呼ぶことが多かった。現代的なアイドルを生み出す原動力となったのが、1970年代のオーディション番組スター誕生!である。スター誕生!からは1970年代にピンク・レディーや山口百恵などの1970年代の大スターを輩出し、1980年代前半のアイドルブームの下地となった。1980年代に入り松田聖子、中森明菜、小泉今日子、たのきんトリオ等のアイドル歌謡曲をメインとするアイドルが活躍を始め、アイドルブーム が日本に沸き起こったのである。当時のアイドルの目標の一つが怪物音楽番組ザ・ベストテンへの出場であった。しかし1980年代末以降、アイドル歌謡曲が活動の中心であったアイドルブームは衰退した。
現在(1990年代半ば以降)では、女性アイドルの分類が細分化されており、アイドル歌手だけではなく、映画やドラマなどで女優活動に重点を置く「アイドル女優」、アニメやゲームなどの声優活動に重点を置く「アイドル声優」、男性誌グラビアで水着姿などを披露する活動が中心の「グラビアアイドル」、CM活動で人気を得る「CMアイドル」、バラエティ番組への出演を活動のメインとする「バラエティアイドル」などジャンルも多様化し、これらを総合的に「アイドル」と呼ぶのが一般的である。アイドル歌手以外のアイドルをアイドルとみなさない考えであっても、伝統的な清純性をセールスポイントとしているグラビアアイドルはアイドルと呼ばれる。
女性アイドルの多様化[編集]
女性アイドルは、時代ごと及びジャンルごとに分類されることが多い。
1980年代中頃までは、アイドルは手の届かない遠い存在、庶民の憧れ的な存在であったが、フジテレビの「夕やけニャンニャン」から飛び出したアイドル集団「おニャン子クラブ」は、親しみやすさを前面に打ち出し、従来のアイドル像を覆した。
また、それまでのアイドルと言えば、歌手、俳優、グラビアなど多岐に渡るジャンルで活動した者が多く、薬師丸ひろ子や菊池桃子など、事務所の方針等で水着にならないアイドルは若干いたが、歌手デビューしないアイドルは極めて稀であった。レコードが売れない者はトップアイドルとして認識されない風潮があった。
しかし、山瀬まみ、井森美幸、森口博子など、歌手としてのセールスが芳しくなかったアイドル達が、テレビのバラエティ番組に活路を見出し、活躍するようになった。バラエティアイドルを略した「バラドル」という呼称が普及したのも、この頃である(ただし、森口博子は1990年代に入ってヒット曲に恵まれ、歌手としても成功した)。
1990年代に入ると、かとうれいこ、細川ふみえなどが、恵まれたプロポーションを武器にグラビアアイドルとして活躍した。1970年代にアグネス・ラムが同様の活躍をしたことはあったが、大勢のグラビアアイドルが活躍するようになったのは彼女たちの功績が大きい。
また、従来はアイドルとは見なされなかった女子アナや、女性声優、「特撮ヒロイン」(「平成仮面ライダーシリーズ」、「スーパー戦隊シリーズ」、「ウルトラマンシリーズ」など特撮ヒーローもののヒロイン(正義側・敵側は問わない)役の女優・グラビアアイドル)が支持を集めたほか、15歳以下のアイドルを指すチャイドル(U-15アイドル、ジュニアアイドル)、ヌードグラビア専門のヌードル、若手演歌歌手の演ドルなどの新たな造語が生まれた。また内田有紀、広末涼子、深田恭子などの女優業をメインとするアイドル女優が活躍する。こうしてアイドルの細分化が進み、歌手としての成功は、アイドルとしての成功に必要不可欠ではなくなった(ただし、内田有紀や広末涼子は歌手としても成功した)。
更にサブカルチャーの充実趣向の細分化にあわせ様様な分野のアイドルが生まれるようになり鉄ドル、ロボドル、ミリドル、株ドル、魚ドル、農ドル等と名乗るアイドル、浅尾美和、上村愛子、オグシオ(小椋久美子、潮田玲子)などスポーツにおけるアイドルも出現し話題を集めている(知名度の低い種目においてはアイドルを作って話題を集める事も行なわれている)。
女性アイドルの歴史[編集]
アイドル以前[編集]
語源的には1960年代まで、女性歌手や女優に対する「アイドル」という語はあまり使用されていない。美空ひばりや吉永小百合などの「国民的人気」を持つ少女歌手や少女女優は、一般的に「子役スター」と呼ばれていた。また、現在におけるアイドルユニットに相当する「三人娘」(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ)、「スパーク(ナベプロ)三人娘」(中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり)が国民的な人気を博した。
1970年代のアイドル[編集]
一般的に、アイドル誕生年は後述の「三人娘」が登場した1971年であり要出典、カラーテレビの本格運用・普及の時期である。アイドル発生にはアイドルの重要要素である「色」が映像に加わったという時代背景があった。1970年代初頭に南沙織がデビューし、天地真理、麻丘めぐみらが活躍する(この頃、南・天地と小柳ルミ子が「三人娘」と呼ばれた。後々「新三人娘」の呼称で定着)。これらの少女タレントに対し、「子役スター」に代わって「ジャリタレ」という言葉が業界で使われるようになった。一方で、1971年の『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場した南沙織が司会者の水前寺清子から "ティーンのアイドル" と紹介されており、この時点で「アイドル」という言葉が既に当時の国民的音楽番組[2]の中で使用されている。
スター誕生!出身の山口百恵などがデビューする1970年代後半に入って、「アイドル」という呼称が芸能人・タレントの総称として一般化するようになる(現在用いられているような清純派芸能人という意味合いではない)。この後、キャンディーズ、ピンク・レディーといった、アイドルグループも登場し彼女等が親衛隊の組織化やステージパフォーマンス、ヒラヒラのステージ衣装、今日のオタ芸の前身となるコール等いわゆるステレオタイプなアイドル像を創り出した。また、「花の中三トリオ」(山口百恵、桜田淳子、森昌子)以降、タレントの低年齢化が進んだ(天地真理のデビューは20歳)。
1980年代のアイドル[編集]
1980年代は女性アイドルの黄金時代であった。正統派の松田聖子を筆頭に、それに続く中森明菜から邪道とされるおニャン子クラブまでさまざまなタイプの女性アイドル(グループ)が現れた。女性アイドルのプロデュース手法などは、この時代に確立されたものである。
1980年代前半は、1980年デビューの松田聖子を初め、1982年デビューの中森明菜を筆頭とした花の82年組がそれに続き、多数のアイドルが生まれ、アイドル黄金時代と呼ばれる。
80年代アイドル全盛期の中でも、アイドルの当たり年は一般に、1980年、1982年、1985年と言われている。
- 1980年…松田聖子、河合奈保子、三原順子、岩崎良美、柏原芳恵など。
- 1982年…中森明菜、松本伊代、小泉今日子、早見優、石川秀美、堀ちえみなど。
- 1985年…おニャン子クラブ(工藤静香らが所属)、中山美穂、本田美奈子、芳本美代子、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯など。特に、中山・南野・浅香・工藤は「アイドル四天王」とも呼ばれた。
80年代前半のアイドルの特徴は、デビュー時にキャッチフレーズが付けられていたことである。
- 松田聖子…抱きしめたいミスソニー
- 中森明菜…ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)
- 山瀬まみ…国民のおもちゃ、新発売(なお、National Pastime―「国民のおもちゃ」というバンドもアメリカに実在した) など
また、80年代前半の一時期は、歌詞に自分の年齢を入れることも流行した。
- 松田聖子…エイティーン
- 中森明菜…少女A
- 松本伊代…センチメンタル・ジャーニー
- 小泉今日子…私の16才 など
しかし、1980年代終盤に入るとロックやニューミュージックバンドが台頭するようになり、工藤静香やWink、森高千里を最後にアイドル歌手は凋落し始めていく。それと並行して、お笑い芸人顔負けの個性を表に出したバラエティアイドル(バラドル)が登場した。代表に松本明子、井森美幸、森口博子、山瀬まみ。
また、素人集団を売りとしたおニャン子クラブが業界を席巻した1985年以降は、従来の神秘的イメージを売りにしたアイドルは普通っぽさを売りにした身近なアイドルにとってかわられて行く。
1990年代のアイドル[編集]
従来の「歌手」から、テレビCMや雑誌のグラビアなど、ビジュアルを主体とした「モデル」型、豊満なバスト(巨乳)を売りとした「グラビアアイドル」が新たなアイドル像を形成した。「モデル」型では「3M」(宮沢りえ・観月ありさ・牧瀬里穂)がテレビCMで人気を博し、「グラビアアイドル」ではかとうれいこ、細川ふみえ、山田まりやなどが雑誌グラビアを足がかりに、テレビCMやバラエティ番組へと進出していくようになった。後半からはかつてアイドル歌手、アイドル女優を多数生み出してきた大手事務所もグラビア市場に参入しグラビアアイドルが市民権を得る。
1988年頃から1993年頃にかけては、それまでの歌手活動を中心とする女性アイドルは、主に、CoCoの台頭が目立ったはものの、テレビの歌番組の衰退とともに「アイドル冬の時代(または「アイドル氷河期」)」に入る。またこの時代以降若手女性タレントが自らをアイドルと名乗ることが一部を除きタブー化していった。
1990年代中盤は小室哲哉プロデュースによる歌手たち(小室ファミリー)や安室奈美恵、SPEEDら沖縄アクターズスクール勢がヒットを連発した。また、それまでのアイドル歌手とは異なり、歌唱力やダンスの実力、楽曲のクオリティの高さで音楽界を一気にリードする存在となった。その後R&Bやヒップホップなどのクラブミュージックと競存する形となった。
1990年代後半になるとテレビ東京の番組『ASAYAN』のオーディションにおいてデビューが決まった鈴木あみやモーニング娘。が台頭し、そのモーニング娘。を中心としたつんくプロデュースの歌手集団ハロー!プロジェクト勢が人気を得た。また、この辺りになるとオーデションの段階でもかなりの歌唱力とダンスのキレのある者が増え、ASAYANなどによって誰もが歌手活動できるという意識が高まり、従来の作られたアイドル像が一気に変化したのもこの時代である。
アイドルそのものも多様化し、それによりアイドルの性格も大きく変わる。女優、バラドル、グラビアアイドル、女子アナ、レースクイーン、スポーツ選手、チャイドル、お菓子系アイドル、女性声優、TV特撮のヒロイン、地下アイドル(ライブアイドル)、AV女優などアイドルは様々なジャンルに分散していった。
このような背景から、女性アイドルのイメージに、実力より人気先行・子供向け等のマイナス面があるとして女性アイドルと呼ばれるのを嫌う歌手、タレントも増えた。そのためかある時点でアイドル卒業を宣言したりする女性アイドルさえいる。
2000年代のアイドル[編集]
歌手という正統派のアイドルの系譜は、この頃になるともはやアイドルとしてではなくアーティストという在り方で登場する。ただし旧来型のアイドルとは異なり、歌唱力、作詞力、同性の支持が必須条件として求められるようになった。それと同時にアイドルの概念は細分化、周辺化し、グラビアアイドルや女性タレント等がアイドルシーンの中心となって活躍。アイドル輩出の土壌は多様化している。また1980年代と異なりアイドルという言葉が負の要素で使われる事が非常に多くなり平山あやの項目にあるとおり従来アイドルに位置すると思われるタレント自らがアイドル呼ばわりを固辞する等という現象も随所に見られるようになった。よって現在では「アイドル」という確固たる立場で活躍するよりは、さまざまなシーンにおいて活動を行いなおかつアイドル性も併せ持つという場合の方が多い。
また、それに伴いアイドルの短命化が進んでおり大ヒットすることが少なくなり、大量生産大量消費状態となっている。かつてのアイドル仕掛け人であるホリプロ創業者の堀威夫が嘗て読売新聞のインタビュー記事で「昔は即席めんが受ける時代だからズブの素人がスターになることが受け入れられた。現在は高い金を出して並んででもうまい物を求める時代だからそうはいかない。今の時代スター誕生のような番組をやっても時代に合わない。」と話し、同じく仕掛け人の一人である相澤秀禎も自著の中で「女性アイドルといえど今は同性の支持なくして売れず、同性の支持の方が重要だ。」と述べる等最早女性アイドルという概念そのものが変貌を求められる時代になったと言える。
00年代前半は、モーニング娘。、松浦亜弥らが所属するハロー!プロジェクト勢をはじめ浜崎あゆみ、倉木麻衣、中島美嘉、大塚愛等、ルックスを兼ね備えたアイドル歌手らも人気を集めた。また、00年代中盤~後半では、グラビア経験のある上戸彩、長澤まさみ、新垣結衣、堀北真希らがアイドル女優として、同じくグラビア出身の中川翔子、スザンヌ、小倉優子、若槻千夏らがバラエティアイドルとして台頭し知名度上げている。
男性アイドルの概要[編集]
男性アイドルは1970年代以降ほぼジャニーズ事務所の一人勝ちと言って良い。特に1980年代少年隊、シブがき隊、光GENJIなどが人気を博し、特に1990年代初めに登場したSMAP、TOKIOが、歌手というよりバラエティタレントとして人気を得たこと、(男性アイドルということもあるが)メンバーが30代になってもアイドル的な人気を獲得していることも、アイドル像を大きく変化させたと言える。最近では嵐のメンバーのうち櫻井翔は報道キャスター(月曜日限定)としての面を見せ、二宮和也に至ってはハリウッドデビューを果たしている。その後、ジャニーズ以外の男性アイドルDA PUMP、w-inds.(ヴィジョンファクトリー系)などを始め多数の事務所からデビューしている。両者が現れる直前に登場し“ジャニーズ系を超えるか”と見られたのが高橋良明である。
一般的に、女性アイドルがかわいらしさやあどけなさをセールスポイントにするのに対して、男性アイドルは格好良さ、爽やかさ、スポーティさなどをセールスポイントにする(王子も参照)。どちらも性的な魅力を前面に出さない(清純さを強調する)点で共通しており、アイドルの恋愛沙汰はそれ自体スキャンダルとして取り上げられることが多かった。女性アイドルでは、主たるファン層である若い男性の需要に応えるためにいわゆる「健康的なお色気」(水着グラビア等)程度は提供されることもあるが、男性アイドルについては女性アイドルと比較しても性的な面が隠される傾向があり、中性的な顔立ちや体つきの少年がアイドルとして売り出されることが多い。
1950年代には石原裕次郎が日活映画や歌で活躍し、1960年代には御三家と呼ばれた橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦が現在で言うアイドル的人気を博したが、当時は「アイドル」という言葉が生まれる前であった。1960年代前半にスリーファンキーズや、現在もジャニーズ事務所に名を残すジャニーズ(あおい輝彦など)がデビューし、男性アイドルグループの礎を築いた。さらに、1960年代後半にはグループ・サウンズのブームがあり、ザ・スパイダース(かまやつひろし、堺正章、井上順など)やザ・タイガース(沢田研二など)の人気はアイドルと呼べるものであった。
1970年代に入り、徐々にアイドルという言葉が使われ出した頃に登場したのが新御三家(郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎)で、3人とも主に歌手として活動を行った。さらに、ザ・タイガースの事実上の解散後、ソロあるいはバンドとして活動を続けた沢田研二もザ・ベストテンなどの歌番組の常連として人気を保った。70年代には他にもフォーリーブス(ジャニーズ事務所所属の男性アイドルの先駆)、フィンガー5(兄妹5人組。人気絶頂期にはメインボーカルの晃(四男)にアイドル的人気が集まった、男女混合アイドルグループと解すこともできる)などの男性アイドルグループが輩出した。この時代の男性アイドルのイメージとしてよく使われたのが「白馬に乗った王子様」であり、手の届かない別世界の存在として記号化されることが多かった。
1980年代に入ると、男性アイドル界はジャニーズ事務所を中心に回るようになっていく。まず、1979年に放映された3年B組金八先生に生徒役として出演したたのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)の3人が80年代に入って次々とレコードデビューし、ヒットを飛ばすようになった。さらにシブがき隊、光GENJI、少年隊など人気グループを次々と世に送り出したジャニーズ事務所は、押しも押されもしない男性アイドル界のトップ事務所として芸能界に君臨することとなっていった。
1990年代以降、男性アイドルのイメージが、それまでの「王子様」としての存在からより身近な存在へと変わっていった。その中で、デビュー当初からコントなどのお笑いに近い仕事もこなしてきたSMAPが人気グループに成長し、彼らを擁するジャニーズ事務所の男性アイドル界の王者としての座は揺るぎないものとなっている。そのためもあってか、女性アイドルで起きているようなアイドルの細分化(「癒し系アイドル」など)は、いまだ男性アイドルでは顕著となっていない。また、ジャニーズ所属以外の男性アイドルがゴールデンタイムの歌番組にほとんど出られないのは事務所の強大な圧力が掛けられている為であり、事務所以外の男性アイドルの歌手としての発展を大きく阻害していると言われている。しかし近年では、クイズ番組で「おバカ」アイドルとして新たなアイドルの個性を見出した羞恥心。国際的人気で韓国出身の東方神起や、ヴォーカル&ダンス・ユニットとして培った実力に加え、新メンバー加入や多方面活動によりアイドル性を備えたEXILEなど、2000年以降ヴィジョンファクトリー系に加え、新たな勢力の台頭もみられている。他方では歌わず踊らない、ドラマや舞台に特化し従来の男性アイドルグループとは一線を画したイケメン俳優ブームが起こっている。その中でもオダギリジョー・要潤・賀集利樹・半田健人・水嶋ヒロ・山本裕典・佐藤健ら『平成仮面ライダーシリーズ』出身組及び永井大・玉山鉄二ら『スーパー戦隊シリーズ』出身組や、小栗旬や三浦春馬などの人気俳優が現れており、彼らといかに競争・共存していくかが、ジャニーズ事務所のこれからの課題でもある。
国民的アイドルの概要[編集]
1980年代末には「国民的アイドル」という呼称(概念)も登場した。「国民的アイドル」という言葉は、「国民的美少女」(後藤久美子のキャッチコピー)及び「全日本国民的美少女コンテスト」(国民的美少女コンテスト)から派生したものと思われる。同コンテストは、歌手というより女優(あるいはモデル)を発掘するという意味合いが強いと見られ、アイドル=歌手という図式の崩壊・変容に一役買った面がある。近年国民的アイドルと呼ばれたのはSMAP、SPEED、鈴木あみ、モーニング娘。、松浦亜弥、上戸彩などである。
その条件として、まず一部の者や限定的な趣向者のみにしか知られていないアイドルではなく、年齢層も子供から高齢者まで幅広く認知がなければならない。さらに、人気が長い間高いこと。芸能界では一般的に視聴率が取れる人物(グループ)を指す。また、高視聴率のメイン番組を持っていることなどが挙げられる。
アイドルのファン[編集]
アイドルのレコード(CD)などを熱心に購入するだけではなく、コンサートやイベントに参加する者も多い。芸能プロダクションなどが運営するファンクラブに所属する者も多い。
ファンがアイドルに向けた熱意が高じた結果、芸能プロダクションなどの公式ファンクラブとは別に、1970年代半ばにはファン側が主体の全国規模のファン組織が登場する。キャンディーズのファン組織「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」が、その初めての例と言われる。これが俗に言う「アイドル親衛隊」の始まりであり、後に親衛隊連合、親衛隊同盟という二大勢力に発展していく。また「追っかけ」や「カメラ小僧」という行為(ファン像)も生まれてきた。
ファンの多くは、内心は熱狂的だが、表面的には密やかな態度であると見る向きもある。その一方、アイドルへの思いが高じたあげく、アイドルを傷つける行為に走る例も見られる。古くは美空ひばりやこまどり姉妹がファンから硫酸をかけられた事件が挙げられる。1980年代にも、松田聖子がコンサート中にステージ上でファンに殴られた事件、倉沢淳美がサイン会でファンから腕を切りつけられた事件などが発生している。
しかしながら、1990年代以後芸能界においてアイドルという言葉が極めて負の意味で用いられるのに合わせるかのように、価値観の変化や娯楽の多様化などから若年層のアイドル離れが急激に進み、少子化による若年層そのものの減少し、これらの層の中には『萌えブーム』へつながる2次元の美少女キャラクター(漫画・アニメのヒロインなど)及びそのキャラクターの声を演じる女性声優のファンへと移行していく者が出現したこともあいまって、アイドルイベントに足を運ぶ若者が急激に減少し、今日では経済力に勝る中年層にむしろ的を絞る商法を行う場合も出て来ている。
ファンの心理も変化しており、1980年代ぐらいまではファンの親衛隊が存在し、番組の進行のためにアイドルをネタとして侮辱すると熱狂的ファンから司会者や芸人あてに罵声や抗議の電話・手紙がくることが多かった。しかし、昨今は自分の応援するアイドルがバラエティ番組で水に落ちたり、パイ投げを受けたりすることがおいしいと思ったりするファンが多く、インターネットの電子掲示板への書き込みでもそういうシーンを望むファンも多数存在している。
雑誌の表紙[編集]
小学館の学習雑誌の表紙は、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになった。それ以前は子供の写真か、写真技術が未発達なうちは子供を描いた水彩画が用いられていた。明治時代の少年雑誌では、グラビアに政治家の写真が使用されていたことと対照的である。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫、1993年)
出典・脚注[編集]
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