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戦後(せんご)とは戦争の終結後の短期または長期的な期間をさす。戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行なわれるため戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、価値観まで変化する。このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして戦前・戦後という呼び方をする。「戦後」という言葉の意味は、経験してきた戦争や紛争によって国ごと異なる。
一つの例として、アメリカでは日常的に戦前・戦後と言う言葉を使用していない。これはアメリカが第二次世界大戦終結以後もベトナム戦争を始め多くの戦争に関与しており、“戦前・戦後”ではそれがどの戦争を指す言葉か分からないからである。
目次
日本での戦後の位置づけ[編集]
現在の日本では戦後とは一般的に第二次世界大戦(太平洋戦争)以後のことを指す。敗戦、そしてGHQの占領によって日本は明治維新以来の大変革のときを迎える。先の大戦を反省し、国民主権・平和主義を謳う日本国憲法を新たに制定し、真の民主主義国家となった日本は西側諸国の一員として国際社会に復帰、高度経済成長を経て世界第2位の経済大国となる。戦後とは一度焼野原になった日本が再び国際社会の一員となるまでの激動の時代である。
日本において戦前(太平洋戦争以前)と戦後では社会システムが大きく変化したため、他の国よりも戦後という言葉のもつ意味合いは大きい。また日本は第二次世界大戦戦争以後、大規模な国際紛争・戦争に巻き込まれていないため、「戦後」=第二次世界大戦後から現在というイメージが固定化されている。
日本において第二次世界大戦後以外に「戦後」が用いられるケース[編集]
ただし日本国内において、第二次世界大戦で被害が少なかった地域の中にはそれより以前に当該地域が見舞われた大規模な戦いを基準として「戦後」という表現を用いるケースがある。そうは言うものの、今日のように多くの人々が「戦後」=第二次世界大戦後というイメージが固定化されている状況のもとでは、外部の人々あるいは地域内の若い世代の人々からは違和感をもって受け止められる場合が多いという。
京都の例[編集]
太平洋戦争ではほとんど戦災による焼失を受けなかった京都では応仁の乱や鳥羽伏見の戦いの後を指す場合がある。これは、なによりも京都がきわめて歴史の古い町である事をいい表す用法である。
会津地方の例[編集]
福島県の特に会津若松市周辺においては戊辰戦争の後を指す場合があり、特に年配者を中心にこの言葉を聴く例が多い。これは当時の戦後処理の際、西南諸藩から一方的に朝敵の名を付された会津藩が斗南藩への転封を含め、懲罰的に数々の過酷な経験を負わされたとされる事に端を発していると思われる。
日本以外の国における「戦後」[編集]
だいたいの国にとって戦後とは日本と同じく第二次世界大戦後のことを指す。ただ幾つかの例外はある。
スイスの場合[編集]
スイスで「戦後」は一般的に1815年以降のことを指す。1815年のウィーン会議においてスイスは国家としての「永世中立国」が認められからである。第一次世界大戦と第二次世界大戦でも武装中立を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。
その他の国の場合[編集]
第二次世界大戦後の日本の年表[編集]
- 1945年8月15日正午(日本時間。グリニッジ標準時午前3時) ポツダム宣言受諾を声明。この時から「戦後」が始まる
- 1946年1月1日 昭和天皇の人間宣言。11月3日、日本国憲法公布
- 1947年5月3日 日本国憲法施行
- 1950年 朝鮮戦争
- 1951年9月8日 サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印
- 1954年
- 1955年11月15日 自由党と民主党が合併し自由民主党、右派と左派が合併した日本社会党が設立(55年体制)
- 1956年
- 1960年6月19日 日米安全保障条約改定
- 1964年
- 1965年6月22日 日韓基本条約を結ぶ
- 1966年 日本の総人口が1億人を突破。いざなぎ景気
- 1970年3月14日~9月13日 日本万国博覧会開催
- 1972年
- 1973年 第一次オイルショック
- 1976年 ロッキード事件
- 1978年8月12日 日中平和友好条約調印
- 1979年 第二次オイルショック
- 1982年11月27日 中曽根康弘が「戦後政治の総決算」を掲げ第72代内閣総理大臣に就任
- 1985年
- 1987年
- 1988年 リクルート事件
- 1989年1月7日 昭和天皇崩御。平成始まる(1月8日)
- 1991年6月5日~9月11日 初の自衛隊海外派遣(海上自衛隊のペルシャ湾派遣)
- 1993年8月9日 細川内閣成立により55年体制崩壊
- 1995年
- 1月17日 阪神・淡路大震災発生
- 3月20日 地下鉄サリン事件発生
- 8月15日 戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話
- 1998年2月7日~2月22日 長野オリンピック開催
- 2002年5月31日~6月30日 サッカーワールドカップを韓国と日本が共催
- 2005年 戦後60年。日本の総人口の減少が始まる
- 2006年9月26日 安倍晋三が「戦後レジームからの脱却」を公約に掲げ、第90代内閣総理大臣に就任。初の戦後生まれの総理大臣となる
- 2007年
- 1月9日 防衛庁が防衛省に移行
- 5月14日 日本国憲法の改正手続に関する法律成立(5月18日公布)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- シリーズ・戦後60年(2005年、西日本新聞社)
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