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**南 こうせつ
| Name                = 南 こうせつ
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*出生名 南 高節
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*別名 おいちゃん
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*出生 [[1949年]][[2月13日]](66歳)
| Img_size            = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
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*出身地 [[日本]], [[大分県]][[大分市]] (旧:[[大分郡]]竹中村)
| Landscape          = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
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*学歴 [[明治学院大学]]中退
| Background          = singer <!-- singer/group/bandなど -->
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*ジャンル   フォーク
| Birth_name          = 南 高節 <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 -->
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*職業 フォークシンガー
| Alias              = おいちゃん
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*担当楽器 [[ハーモニカ]] [[フォークギター]]
| Blood              = <!-- 個人のみ -->[[ABO式血液型|AB型]]
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*活動期間 [[1970年]]- 現在
| School_background  = <!-- 個人のみ -->[[明治学院大学]]中退
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*レーベル [[日本クラウン]]/[[パナムレコード]][[1976 - 1980年]][[PONY CANYON]][[1980 - 1999年])日本クラウン([[2001年]] - 現在)
| Born                = <!-- 個人のみ -->{{生年月日と年齢|1949|2|13}}
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*事務所 ベリーファーム
| Died                = <!-- 個人のみ -->
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*共同作業者 [[かぐや姫]]
| Origin              = {{JPN}}, [[大分県]][[大分市]](旧:[[大分郡]][[竹中村]]
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*公式サイト [[南こうせつ ホームページ]]
| Instrument          = [[ハーモニカ]]<br/>[[フォークギター]]
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| Genre              = [[フォークソング|フォーク]]
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| Occupation          = <!-- 個人のみ -->[[日本のフォークシンガー|フォークシンガー]]
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| Years_active        = [[1970年]] - 現在
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| Label              = [[日本クラウン]]/[[PANAM (レコードレーベル)|パナムレコード]](1976 - 1980年)<br />[[ポニーキャニオン|PONY CANYON]](1980 - 1999年)<br />日本クラウン(2001年 - 現在)
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| Production          = ベリーファーム
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| Associated_acts    = [[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]]
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| Influences          = [[ボブ・ディラン]]<br/>[[ジョン・デンバー]]<br/>[[サイモン&ガーファンクル]]<br/>[[ピーター・ポール&マリー]]
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| URL                = [http://www.kosetsu.com/ 南こうせつ ホームページ]
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'''南 こうせつ'''(みなみ こうせつ、本名:'''南 高節'''、[[1949年]][[2月13日]] - )は、[[大分県]][[大分市]](旧:[[大分郡]][[竹中村]])出身の[[日本のフォークシンガー|フォークシンガー]]・元[[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]]の[[リーダー]]。
 
'''南 こうせつ'''(みなみ こうせつ、本名:'''南 高節'''、[[1949年]][[2月13日]] - )は、[[大分県]][[大分市]](旧:[[大分郡]][[竹中村]])出身の[[日本のフォークシンガー|フォークシンガー]]・元[[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]]の[[リーダー]]。
  
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== 人物・概要 ==
 
== 人物・概要 ==
 
*大分市(旧:大分郡竹中村)の[[曹洞宗]][[勝光寺 (大分市)|勝光寺]]の生まれ。[[大分県立大分舞鶴高等学校]]卒業、[[明治学院大学]][[社会学部]]中退。寺は次兄・光洋が継ぐ予定だったが早世し、現在は、東京でサラリーマンをしていた長兄・慧昭<small>(えしょう)</small>が定年退職後に跡を継ぎ、[[住職]]を務めている。その長兄は[[2006年]]に[[民教協]]のドキュメンタリー番組「[[生きる×2]]」([[大分放送]]制作)で取り上げられた。なお、竹中と言う地名はかぐや姫の楽曲「ひとりきり」の歌詞にも出てくる(南が作詞を担当)。
 
*大分市(旧:大分郡竹中村)の[[曹洞宗]][[勝光寺 (大分市)|勝光寺]]の生まれ。[[大分県立大分舞鶴高等学校]]卒業、[[明治学院大学]][[社会学部]]中退。寺は次兄・光洋が継ぐ予定だったが早世し、現在は、東京でサラリーマンをしていた長兄・慧昭<small>(えしょう)</small>が定年退職後に跡を継ぎ、[[住職]]を務めている。その長兄は[[2006年]]に[[民教協]]のドキュメンタリー番組「[[生きる×2]]」([[大分放送]]制作)で取り上げられた。なお、竹中と言う地名はかぐや姫の楽曲「ひとりきり」の歌詞にも出てくる(南が作詞を担当)。
*[[1970年]]4月『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビューする。同じ年10月「南高節とかぐや姫」としてベース奏者、[[大島三平]]らと『酔いどれかぐや姫』をリリースする。認知度を上げるため、所属事務所の指示で[[全日本歌謡選手権]]に出場、4週勝ち抜いたところで、その目的を果たしたということもあり、翌週以降の出演辞退を申し出た。その後[[山田パンダ]][[伊勢正三]]と新生かぐや姫を結成、かぐや姫解散後にソロ活動を開始した。全日本歌謡選手権は辞退ではなく、[[竹中労]]に「フォークをやるならこの番組に出るべきでない」と言われ、落選した。
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*[[1970年]]4月『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビューする。同じ年10月「南高節とかぐや姫」としてベース奏者、[[大島三平]]らと『酔いどれかぐや姫』をリリースする。認知度を上げるため、所属事務所の指示で[[全日本歌謡選手権]]に出場、4週勝ち抜いた翌週、審査員をしていた[[竹中労]]に「フォークをやるならこの番組に出るべきでない」と言われ、落選した。その後[[山田パンダ]][[伊勢正三]]と新生かぐや姫を結成、かぐや姫解散後にソロ活動を開始した。
 
*[[1976年]]3月、日本武道館で、日本人アーティストとしては初めてのワンマン公演を開催する。同年5月には追加公演も行われた。
 
*[[1976年]]3月、日本武道館で、日本人アーティストとしては初めてのワンマン公演を開催する。同年5月には追加公演も行われた。
 
*1980年代はオールナイトの野外コンサート『[[サマー・ピクニック]]』を毎年九州で中心となって開催し、多数の観客を集めた。
 
*1980年代はオールナイトの野外コンサート『[[サマー・ピクニック]]』を毎年九州で中心となって開催し、多数の観客を集めた。
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*[[明豊中学校・高等学校]]の校歌を妻の育代と共に手がけている(育代作詞・こうせつ作曲)。また、[[杵築市立山香中学校]]の校歌も手がけている(こちらは作詞・作曲ともにこうせつ)。
 
*[[明豊中学校・高等学校]]の校歌を妻の育代と共に手がけている(育代作詞・こうせつ作曲)。また、[[杵築市立山香中学校]]の校歌も手がけている(こちらは作詞・作曲ともにこうせつ)。
 
*[[1976年]]3月に、日本人アーティストとして初めて[[日本武道館]]にてワンマン公演を行う。後にライブ・アルバム 「グッド・バイブレーション/ミスターKOSETSU イン武道館」を発表した。
 
*[[1976年]]3月に、日本人アーティストとして初めて[[日本武道館]]にてワンマン公演を行う。後にライブ・アルバム 「グッド・バイブレーション/ミスターKOSETSU イン武道館」を発表した。
*普段の活動で見せる人の良さとは裏腹に、[[吉田拓郎]]より喧嘩が強いらしい。新幹線で移動の際に同じグリーン車両で酒を飲んで横柄な態度をとっていたヤクザに対し、胸座をつかんで「ハイ!! 皆さん、どうも南こうせつでございます。こういう方は許して良いんでしょうか皆さん」と言ったという<ref>2005年8月28日放送の『[[伊集院光 日曜日の秘密基地]]』より[[長渕剛]]談。</ref>
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*普段の活動で見せる人の良さとは裏腹に、[[吉田拓郎]]より喧嘩が強いらしい。新幹線で移動の際に同じグリーン車両で酒を飲んで横柄な態度をとっていたヤクザに対し、胸座をつかんで「ハイ!! 皆さん、どうも南こうせつでございます。こういう方は許して良いんでしょうか皆さん」と言ったという[2005年8月28日放送の『[[伊集院光 日曜日の秘密基地]]』より[[長渕剛]]談]
*『[[鶴瓶の家族に乾杯]]』のロケが在住の杵築市で行われた際、地元住民の1人として出演したことがある<ref>2001年9月29日放送分。南は、この番組にゲストとして出演したことはない。</ref>
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*『[[鶴瓶の家族に乾杯]]』のロケが在住の杵築市で行われた際、地元住民の1人として出演したことがある[2001年9月29日放送分。南は、この番組にゲストとして出演したことはない。]
 
*[[細野晴臣]]のアルバム『トロピカルダンディー』収録曲でかつシングルでも発売された(アルバムと同日発売)「絹街道」に「ホイヤー」というコーラスで参加している。一方、細野も同時期に南のアルバム「かえり道」に[[エレキベース]]で参加している。
 
*[[細野晴臣]]のアルバム『トロピカルダンディー』収録曲でかつシングルでも発売された(アルバムと同日発売)「絹街道」に「ホイヤー」というコーラスで参加している。一方、細野も同時期に南のアルバム「かえり道」に[[エレキベース]]で参加している。
*『南こうせつのオールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていたとき、ある少女から一通のファンレターが送られてきた。南の大ファンだが、1975年4月12日のかぐや姫解散コンサート行くことができないとあった。何故なら少女は不治の病に侵されており、この手紙は病院のベットの上で書かれたものだった。それを収録で読んだ南は「何弱気な事言ってるんだ! 必ず会場に来てくれよ」とマイクを通じてエールを送った。だが数日後、あの少女の友人と名乗る人物から手紙が届いた。「彼女は亡くなりました。でも、今度のコンサートには彼女の写真を持って行きます」と書かれていた。南は涙ながらその手紙を読み、後日コンサートが行われた。当時のコンサートには[[ラジカセ]]を持ち寄り録音する観客が多く、南のコンサートに訪れた観客たちが「(録音したテープの中の)間奏中に女の子の声がする」とコンサート主催の[[ニッポン放送]]に電話が殺到した。この話を聞いた南はディレクターに頼み、会場の[[集音マイク]]の音源を確認すると、会場の喧噪を遮るように「わたしにも聞かせて」と寂しげな女性の声が入っていた<ref>しかし、『[[奇跡体験!アンビリバボー]]』で取り上げられた際、女の子の話は嘘情報ということを取り上げられた。そしてその声は、ラジオでの葉書をモチーフにした悪戯とみなされている。</ref>。これを聞いた南は号泣し、その一部始終を見聞きしたのが、当時おなじく『オールナイトニッポン』のパーソナリティだった[[稲川淳二]]であった。なお、その直後から稲川とその関係者に降りかかる異常事態が怪談『[[生き人形]]』であり、作中ではこの南のエピソードを導入部としている<ref>稲川淳二Presents 生き人形 {{ASIN|B00005UX1V}}</ref>
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*『南こうせつのオールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていたとき、ある少女から一通のファンレターが送られてきた。南の大ファンだが、1975年4月12日のかぐや姫解散コンサート行くことができないとあった。何故なら少女は不治の病に侵されており、この手紙は病院のベットの上で書かれたものだった。それを収録で読んだ南は「何弱気な事言ってるんだ! 必ず会場に来てくれよ」とマイクを通じてエールを送った。だが数日後、あの少女の友人と名乗る人物から手紙が届いた。「彼女は亡くなりました。でも、今度のコンサートには彼女の写真を持って行きます」と書かれていた。南は涙ながらその手紙を読み、後日コンサートが行われた。当時のコンサートには[[ラジカセ]]を持ち寄り録音する観客が多く、南のコンサートに訪れた観客たちが「(録音したテープの中の)間奏中に女の子の声がする」とコンサート主催の[[ニッポン放送]]に電話が殺到した。この話を聞いた南はディレクターに頼み、会場の[[集音マイク]]の音源を確認すると、会場の喧噪を遮るように「わたしにも聞かせて」と寂しげな女性の声が入っていた [しかし、『[[奇跡体験!アンビリバボー]]』で取り上げられた際、女の子の話は嘘情報ということを取り上げられた。そしてその声は、ラジオでの葉書をモチーフにした悪戯とみなされている。]。これを聞いた南は号泣し、その一部始終を見聞きしたのが、当時おなじく『オールナイトニッポン』のパーソナリティだった[[稲川淳二]]であった。なお、その直後から稲川とその関係者に降りかかる異常事態が怪談『[[生き人形]]』であり、作中ではこの南のエピソードを導入部としている[稲川淳二Presents 生き人形 {{ASIN|B00005UX1V}}]
 
*[[吉田拓郎]]の楽曲「野の仏」(『[[たくろうLIVE'73]]』収録)の歌詞に登場している。
 
*[[吉田拓郎]]の楽曲「野の仏」(『[[たくろうLIVE'73]]』収録)の歌詞に登場している。
  
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2020年1月12日 (日) 22:17時点における最新版

南 こうせつ(みなみ こうせつ、本名:南 高節1949年2月13日 - )は、大分県大分市(旧:大分郡竹中村)出身のフォークシンガー・元かぐや姫リーダー

かぐや姫時代に「神田川」が大ヒットし、続けて「赤ちょうちん」「」がヒット。解散後も「夢一夜」「夏の少女」などのヒット曲を生んでいる。ベリーファーム所属。現在、大分県杵築市在住。妻はエッセイストの南いくよ(南育代)。

人物・概要[編集]

  • 大分市(旧:大分郡竹中村)の曹洞宗勝光寺の生まれ。大分県立大分舞鶴高等学校卒業、明治学院大学社会学部中退。寺は次兄・光洋が継ぐ予定だったが早世し、現在は、東京でサラリーマンをしていた長兄・慧昭(えしょう)が定年退職後に跡を継ぎ、住職を務めている。その長兄は2006年民教協のドキュメンタリー番組「生きる×2」(大分放送制作)で取り上げられた。なお、竹中と言う地名はかぐや姫の楽曲「ひとりきり」の歌詞にも出てくる(南が作詞を担当)。
  • 1970年4月『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビューする。同じ年10月「南高節とかぐや姫」としてベース奏者、大島三平らと『酔いどれかぐや姫』をリリースする。認知度を上げるため、所属事務所の指示で全日本歌謡選手権に出場、4週勝ち抜いた翌週、審査員をしていた竹中労に「フォークをやるならこの番組に出るべきでない」と言われ、落選した。その後山田パンダ伊勢正三と新生かぐや姫を結成、かぐや姫解散後にソロ活動を開始した。
  • 1976年3月、日本武道館で、日本人アーティストとしては初めてのワンマン公演を開催する。同年5月には追加公演も行われた。
  • 1980年代はオールナイトの野外コンサート『サマー・ピクニック』を毎年九州で中心となって開催し、多数の観客を集めた。
  • 1983年6月には、フジテレビ系列「ミュージックフェア」にて、ジョン・デンバーデュエットで「故郷へかえりたい」を歌った。その後2人は親交を深め、翌年琵琶湖で行われた「世界湖沼会議」の前夜祭にてジョンとともにライブを行った。また1990年には、ジョンとのデュエット作品『岩を砕く花のように』を発売している。
  • 2009年9月には、こうせつの還暦記念として、つま恋でサマー・ピクニック・コンサートが行われ、約2万人の観客を集めた。
  • 1993年12月1日福岡ドーム、12月2日に東京ドームで行なわれたサイモン&ガーファンクルの来日コンサート「Event of a lifetime Tour」東京公演で、前座を務めた。その中で、こうせつ自身が(自身も尊敬する)「サイモン&ガーファンクルの前座で緊張してんだぞ」と発言、コンサート前のスタジアムを盛り上げる。
  • 名前を平仮名表記にしているのは、レコードに印刷された「南高節」という文字を見て、「私はこの『なんこうぶし』という曲を聴いてみたい」と近所に住んでいた老人が発言したから、と本人が「徹子の部屋」や「TALKゲリラ」で説明している(小室等がこうせつの持ってきたデモテープのラベルに「南高節」と書かれていたのを、「なんこうぶし」と読んだというエピソードもある)。
  • 蓮池薫が帰国した直後、自作曲『国境の風』を入れたMDを送り、話題を呼んだ。
  • 2010年6月13日放送の『ザ☆スター』で、杵築の自宅の広大な土地で気に入った樹木を植えて育てている様子が紹介された。仕事を終えて自宅に戻ると、決まってそれらの樹と話をするという。また、家庭菜園にも勤しんでいると紹介された。さらに同番組で、南の歌声を日本音響研究所で分析したところ、通常人には聞こえない超音波の域まで声が出ていることと、風鈴梵鐘の音にみられるようなゆらぎがあって、聞く者に癒しを与えるという結果が出た。
  • オペラ歌手の錦織健が、中学の頃かぐや姫の歌をギターで弾き語りしており、南に憧れていたと語り、ステージで「帰れソレントへ」を2人で歌った。
  • 後に「3B juniorももいろクローバーZ私立恵比寿中学チームしゃちほこたこやきレインボー)」を象徴する歌となる「七色のスターダスト2014年1月1日発売)」の作曲を手掛ける。

エピソード[編集]

  • かつて、大の飛行機嫌いであったため、国内移動ではできる限り陸路を使っていた。過去に飛行機での移動がストレスとなり、あまりの恐怖で手にカビが生えるという奇病にかかったことがある。後に飛行機嫌いは克服している。
  • 明治学院大学を中退しているが、上京する理由を作るために大学進学したため、実際にはほとんど通うことなく中退している。
  • 現在は大分県杵築市に広大な土地を購入して家族と生活しており、仕事が入れば上京する。それまでは富士山の麓などで生活するが、夫婦共に冬の寒さに限界を感じたのがきっかけで大分県への引っ越しを決意する。
  • 明豊中学校・高等学校の校歌を妻の育代と共に手がけている(育代作詞・こうせつ作曲)。また、杵築市立山香中学校の校歌も手がけている(こちらは作詞・作曲ともにこうせつ)。
  • 1976年3月に、日本人アーティストとして初めて日本武道館にてワンマン公演を行う。後にライブ・アルバム 「グッド・バイブレーション/ミスターKOSETSU イン武道館」を発表した。
  • 普段の活動で見せる人の良さとは裏腹に、吉田拓郎より喧嘩が強いらしい。新幹線で移動の際に同じグリーン車両で酒を飲んで横柄な態度をとっていたヤクザに対し、胸座をつかんで「ハイ!! 皆さん、どうも南こうせつでございます。こういう方は許して良いんでしょうか皆さん」と言ったという[2005年8月28日放送の『伊集院光 日曜日の秘密基地』より長渕剛談]。
  • 鶴瓶の家族に乾杯』のロケが在住の杵築市で行われた際、地元住民の1人として出演したことがある[2001年9月29日放送分。南は、この番組にゲストとして出演したことはない。]。
  • 細野晴臣のアルバム『トロピカルダンディー』収録曲でかつシングルでも発売された(アルバムと同日発売)「絹街道」に「ホイヤー」というコーラスで参加している。一方、細野も同時期に南のアルバム「かえり道」にエレキベースで参加している。
  • 『南こうせつのオールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていたとき、ある少女から一通のファンレターが送られてきた。南の大ファンだが、1975年4月12日のかぐや姫解散コンサート行くことができないとあった。何故なら少女は不治の病に侵されており、この手紙は病院のベットの上で書かれたものだった。それを収録で読んだ南は「何弱気な事言ってるんだ! 必ず会場に来てくれよ」とマイクを通じてエールを送った。だが数日後、あの少女の友人と名乗る人物から手紙が届いた。「彼女は亡くなりました。でも、今度のコンサートには彼女の写真を持って行きます」と書かれていた。南は涙ながらその手紙を読み、後日コンサートが行われた。当時のコンサートにはラジカセを持ち寄り録音する観客が多く、南のコンサートに訪れた観客たちが「(録音したテープの中の)間奏中に女の子の声がする」とコンサート主催のニッポン放送に電話が殺到した。この話を聞いた南はディレクターに頼み、会場の集音マイクの音源を確認すると、会場の喧噪を遮るように「わたしにも聞かせて」と寂しげな女性の声が入っていた [しかし、『奇跡体験!アンビリバボー』で取り上げられた際、女の子の話は嘘情報ということを取り上げられた。そしてその声は、ラジオでの葉書をモチーフにした悪戯とみなされている。]。これを聞いた南は号泣し、その一部始終を見聞きしたのが、当時おなじく『オールナイトニッポン』のパーソナリティだった稲川淳二であった。なお、その直後から稲川とその関係者に降りかかる異常事態が怪談『生き人形』であり、作中ではこの南のエピソードを導入部としている[稲川淳二Presents 生き人形 ASIN:B00005UX1V]。
  • 吉田拓郎の楽曲「野の仏」(『たくろうLIVE'73』収録)の歌詞に登場している。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  1. 今日は雨」(日本クラウン1976年2月10日発売)作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、編曲:水谷公生
  2. 愛する人へ」(日本クラウン、1977年1月25日発売)
  3. 夏の少女」(日本クラウン、1977年6月5日発売)
  4. 夢一夜」(日本クラウン、1978年10月25日発売)
  5. れくいえむ」(日本クラウン、1979年3月5日発売)
  6. 旅立つ想い」(日本クラウン、1979年9月25日発売)
  7. 海と君と愛の唄」(日本クラウン、1980年6月25日発売)
  8. 「思い出にしてしまえるさ」(日本クラウン、1980年9月15日発売)
  9. ときめき」(キャニオンレコード1981年3月21日発売)
  10. 美映子(キャニオンレコード、1982年1月21日発売)
  11. 「友ありて」(キャニオンレコード、1982年9月5日発売)
  12. 「上海エレジー」(キャニオンレコード、1983年2月21日発売)
  13. 「青い旅人」(キャニオンレコード、1983年8月5日発売)
  14. 「Bye Bye TYO」(キャニオンレコード、1984年1月21日発売)
  15. 「ワイルド・ワン」(キャニオンレコード、1984年4月5日発売)
  16. ひとときの別れ」(キャニオンレコード、1984年10月5日発売)
  17. 「めぐる春」(キャニオンレコード、1985年2月21日発売)
  18. 「ゆらめく景色」(キャニオンレコード、1985年10月21日発売)
  19. 「Cindy」(キャニオンレコード、1986年2月5日発売)
  20. 「渚に消えた涙」(キャニオンレコード、1986年7月5日発売)
  21. 「ふたりの物語」(キャニオンレコード、1986年10月21日発売)
  22. 「君が泣いた日」(キャニオンレコード、1987年5月21日発売)
  23. 北の旅人(ポニーキャニオン、1988年9月21日発売)NHK札幌放送局北海道中ひざくりげ」テーマソング
  24. あの日の空よ(ポニーキャニオン、1990年4月21日発売)
  25. 「岩を砕く花のように」(ポニーキャニオン、1990年10月3日発売)
  26. 「HARAHARA」(ポニーキャニオン、1991年9月21日発売)
  27. 「星のデッキにしゃがんで」(ポニーキャニオン、1992年2月21日発売)
  28. 「ありがとう」(ポニーキャニオン、1992年5月21日発売)
  29. 「alone」(ポニーキャニオン、1992年11月20日発売)
  30. 「夢の時間」(ポニーキャニオン、1993年3月19日発売)
  31. 「それを恋人と呼べば」(ポニーキャニオン、1994年6月17日発売)
  32. 「愛を宿して」(ポニーキャニオン、1994年12月7日発売)
  33. 「あの日から」(ポニーキャニオン、1995年2月17日発売)
  34. ひと夏のしずく」(ポニーキャニオン、1995年7月5日発売)オリコン最高位87位
  35. 「初恋は夢のように」(ポニーキャニオン、1996年6月21日発売)
  36. 「風のように星のように」(ポニーキャニオン、1997年12月17日発売)
  37. 「わたしの花を咲かせたい」(ポニーキャニオン、1998年4月29日発売)
  38. 「夕暮れまで」(ポニーキャニオン、1999年4月21日発売)
  39. 「息子」(日本クラウン2001年7月5日発売)
  40. 「あゝ旅の宿」(日本クラウン、2002年7月3日発売)
  41. 国境の風」(日本クラウン、2003年2月21日発売)オリコン最高位49位
  42. 「たどり着く言葉」cw/「LOVE & PEACE」「ギターを鳴らせ」(日本クラウン、2004年8月25日発売)
  43. 「恋 はるか」cw/「友の唄が聴こえる」「まごころに生きる」(日本クラウン、2007年3月7日発売)
  44. 「二人のラブソディ」cw/「風に吹かれて再会編」(日本クラウン、2009年9月2日発売)
  45. からたちの小径」(日本クラウン、2014年3月19日発売)

シングル(その他)[編集]

  1. 空よ大地よ(全国障害者スポーツ大会テーマソング)
  2. AIZU その名の情熱(会津若松市イメージソング)
  3. 風の贈り物(土浦市イメージソング)
  4. 君とボクと(2010年3月10日、作詞:大宮エリー/作曲:南こうせつ/唄:板尾こうせつ(板尾創路・南こうせつ)、連続ドラマ小説 木下部長とボク主題歌)

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

  1. かえり道』 (日本クラウン、1975年7月15日発売)
  2. ねがい』 (日本クラウン、1976年3月5日発売)
  3. 今こころのままに』 (日本クラウン、1977年6月25日発売) オリコン最高位1位
  4. こんな静かな夜』 (日本クラウン、1978年11月25日発売) オリコン最高位1位
  5. 旅立てばそこから男』 (日本クラウン、1979年11月5日発売)
  6. MY HEART』(キャニオンレコード、1981年4月25日発売)
  7. ひとりごと』 (キャニオンレコード、1982年2月21日発売)
  8. 『SEASIDE STORY』(キャニオンレコード、1983年3月21日発売)
  9. 帰郷』 (キャニオンレコード、1984年2月21日発売)
  10. 『夢のはじまり』(キャニオンレコード、1985年3月21日発売)
  11. 『僕は緑の風』 (キャニオンレコード、1986年2月21日発売)
  12. 『翔びそこねていた君へ』 (キャニオンレコード、1987年6月21日発売)
  13. 『STELLA』(ポニーキャニオン、1989年9月6日発売)
  14. 『帰れない季節』 (ポニーキャニオン、1991年9月21日発売)
  15. 『夢の時間』 (ポニーキャニオン、1993年4月21日発売)
  16. 『青春の日々』 (ポニーキャニオン、1995年7月21日発売)
  17. 『心の虹』 (ポニーキャニオン、1997年4月9日発売)
  18. 『夢の彼方へ』 (ポニーキャニオン、1999年6月17日発売)
  19. 『ときのしらべ』(日本クラウン、2003年4月23日発売)
  20. 『野原の上の雨になるまで』 (日本クラウン、2007年9月12日発売)

ミニ・アルバム[編集]

  1. 『愛よ急げ』(日本クラウン、2011年10月5日発売)
  2. 『からたちの小径』(日本クラウン、2014年7月2日発売)

ライブ・アルバム[編集]

  1. GOOD VIBRATION Mr.Kohsetsu in 武道館』(日本クラウン、1976年7月10日発売)
  2. サマーピクニック』 (ポニーキャニオン、1990年6月21日発売)
  3. 『南こうせつ ライブ イン ニューヨーク』 (日本クラウン、2003年12月3日発売)
  4. 『サマーピクニックフォーエバーinつま恋』(日本クラウン、2009年12月2日発売)

カバー・アルバム[編集]

  1. 『フォークソング』 (ポニーキャニオン、1993年11月19日発売)

セルフカバー・アルバム[編集]

  1. 『HOME COMING』 (ポニーキャニオン、1988年7月21日発売)
  2. 『いつかきた道』 (日本クラウン、2001年4月25日発売)
  3. ポロシャツの頃~青春のとりこぼし~』(日本クラウン、2009年5月8日発売)

ベスト・アルバム[編集]

  1. グレイテスト・ヒッツ』 (日本クラウン、1980年9月15日発売)
  2. 『スーパーベスト20』 (キャニオンレコード、1986年12月5日発売)
  3. 『ベスト』 (ポニーキャニオン、1987年11月21日発売)
  4. 『THE BEST』 (ポニーキャニオン、1992年1月21日発売)
  5. 『ベスト15』 (日本クラウン、1992年7月23日発売)
  6. 『全曲集』 (日本クラウン、1992年10月21日発売)
  7. 『ベストヒット』 (日本クラウン、1993年9月21日発売)
  8. 『ニューミュージック・ベスト17』 (日本クラウン、1994年8月21日発売)
  9. 『全曲集 〜夢一夜〜 』(日本クラウン、1994年11月21日発売)
  10. 『25th アニヴァーサリー ベスト』 (ポニーキャニオン、1995年8月19日発売)
  11. 『全曲集』 (日本クラウン、1995年10月21日発売)
  12. 『オール・ザ・ベスト』 (日本クラウン、1996年10月23日発売)
  13. 『ベスト35』 (日本クラウン、1998年3月4日発売)
  14. 『ベスト・ヒット16』 (日本クラウン、1998年9月23日発売)
  15. 『かぐや姫メンバーズ大全集』 (日本クラウン、2001年12月1日発売)
  16. 『THE ULTIMATE SELECTIONS』(BerryfarmRecords、2002年9月15日)
  17. 『南こうせつ セレクション』 (日本クラウン、2003年5月1日発売)
  18. 『songs of the best ギターを鳴らせ』(日本クラウン、2005年6月22日発売)
  19. 南こうせつの40曲』(日本クラウン、2009年5月8日発売)

映像作品[編集]

  1. 『夏日記“私のサマーピクニック"』(VHS、1990年10月21日)
  2. 『サマーピクニックFINAL・ドキュメント』(VHS、1990年10月21日)
  3. 『サマーピクニック・セット』(VHS、ポニー・キャニオン、1990年10月21日)
  4. 『コンサート・イン・武道館2008』(DVD、日本クラウン、2008年5月7日)

提供楽曲[編集]

出演番組[編集]

テレビドラマ[編集]

音楽番組[編集]

  • プレミア音楽祭(2011年7月1日) - 司会
  • ザ・フォークソング〜青春のうた〜(2014年8月10日・8月17日、NHK BSプレミアム)[1] - 司会

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1992年(平成4年)/第43回 神田川 04/28 イルカ
1993年(平成5年)/第44回 2 07/26 由紀さおり安田祥子
1995年(平成7年)/第46回 3 上を向いて歩こう 21/25 田村直美
1996年(平成8年)/第47回 4 夢一夜 15/25 杏里
1997年(平成9年)/第48回 5 うちのお父さん 10/25 長山洋子
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

CM[編集]

関連人物[編集]

ラジオ出演[編集]

CD BOOK[編集]

脚注[編集]

[
  1. ザ・フォークソング〜青春のうた〜(NHK)、2014年8月1日閲覧
]

外部リンク[編集]

テンプレート:南こうせつ テンプレート:かぐや姫 (フォークグループ)