「三遊亭圓楽 (6代目)」の版間の差分
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2016年6月22日 (水) 15:41時点における最新版
ろくだいめ さんゆうてい えんらく 六代目 三遊亭 円楽
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三ツ組橘は、5代目圓楽一門の定紋である。『笑点』で着用している着物の紋も同様。 三ツ組橘は、5代目圓楽一門の定紋である。『笑点』で着用している着物の紋も同様。
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本名 | 會 泰通[1] |
---|---|
別名 | 三遊亭圓楽 三遊亭楽太郎(旧名) 楽さん ラッキー らっきょう |
生年月日 | 1950年2月8日 |
没年月日 | 年月日 |
出生地 | 日本・東京都墨田区 |
死没地 | |
国籍 | |
民族 | |
身長 | |
血液型 | A型 |
職業 | 落語家 |
ジャンル | |
活動期間 | 1970年 - |
活動内容 | 落語家 |
配偶者 | |
家族 | 長男:会一太郎 |
公式サイト | |
主な作品 | |
受賞 | |
放送演芸大賞最優秀ホープ賞 | |
備考 | |
2010年3月、6代目三遊亭圓楽を襲名。 | |
六代目 三遊亭 円楽(ろくだいめ さんゆうてい えんらく、本名:會 泰通(あい やすみち)、1950年2月8日 - )は、東京都墨田区出身の落語家。円楽一門会所属。2010年3月1日、初名の三遊亭楽太郎(さんゆうていらくたろう)から師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名。しかし、「落語界では<圓>の字をよく使うが、<円>で通す」[2]と表明しており「三遊亭円楽」を名乗るという。
出囃子は師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊』(以前は『花が咲き候』を使用)。墨田区立両国中学校、東京都立深川高等学校、青山学院大学法学部卒業。血液型はA型。長男は落語家、声優の会一太郎(落語家としての名称は三遊亭一太郎)。
目次
芸歴[編集]
- 1970年4月 - 青山学院大学法学部在学中に5代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願、暫くの付き添いを経てスカウトされ入門、楽太郎を名乗る。当時落語研究部に所属、発表会で兄弟子三遊亭楽松(現:三遊亭鳳楽)に会っており、入門前から面識があった。
- 1972年3月 - 青山学院大学法学部卒業
- 1976年7月 - 二つ目昇進。
- 1977年8月28日 - 師匠5代目圓楽の弟弟子6代目三遊亭圓窓の後任として『笑点』レギュラーとなる。師匠5代目圓楽卒業で欠員が出ていたため師匠5代目圓楽が着ていた薄紫の色紋付を着用する事となった。因みに圓窓が着用していた桃色の色紋付を着用したのは同じく新メンバーとして加わっていた三笑亭夢之助(2年後卒業)である。現在同色の色紋付を着用しているのは、その後任となった林家木久蔵(現:林家木久扇)の弟弟子の林家九蔵(現:三遊亭好楽)である。
- 1978年 - 落語協会分裂騒動で師匠と共に脱退し、落語三遊協会所属となる。
- 1979年1月 - 放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。
- 1980年 - 落語三遊協会解散。大日本すみれ会(現:円楽一門会)所属となる。
- 1981年1月 - 若手落語家努力賞受賞。
- 同年3月 - 真打昇進。
- 2010年3月1日 - 6代目三遊亭圓楽を襲名
2016年6月10日。スキャンダルされた事判明しマスコミの前で会見し謝罪した
6代目圓楽襲名[編集]
2008年8月、師匠・5代目三遊亭圓楽から、楽太郎が還暦を迎える2010年2月に三遊亭圓楽の名跡の6代目襲名をすることが明らかとなった(当時は、60歳を迎えるのが2010年の2月で、真打昇進したのが(1981年の)春3月であったため、その頃を目処にという表現をしていた)。楽太郎は「圓楽の名跡は師匠(5代目三遊亭圓楽)が大きくしたもの。5代目・6代目はよかったねといわれるよう精進したい」と語った。
しかし、自らが関わっている「博多・天神落語まつり」を直前にした2009年10月29日朝、師匠5代目が肺癌で死去。プロデューサーという立場上、既に現地入りしていたため、師匠の最期には立ち会えなかった(2009年9月3日に、長男の一太郎を伴って、5代目圓楽の自宅へ自分の弟子にしたと挨拶に訪問したのが直接対面した最後だったとのこと。この日は大師匠である6代目三遊亭圓生の誕生日と命日でもあり、墓参りもしていたとしている)。翌日の開幕式では気丈に振舞っていたものの、師匠を失い、襲名披露に立ち会ってもらえなくなったという精神的ショックは大きく、報道陣に対しては自筆のコメントペーパーを出すのが精一杯だった。その後も、仕事で地方廻りがあったため、悲しみの対面は、一門による通夜が行われた11月4日となった。
2010年2月28日放送の『笑点』にて「六代目円楽襲名披露口上」を行い、翌3月1日より正式に6代目圓楽を襲名した。次いで、襲名披露パーティーと記者会見を3月2日、東京千代田区・帝国ホテルにて開催した。襲名披露公演は全国各地で行われる他、2010年3月下席から4月中席まで落語芸術協会(桂歌丸会長)の定席興行(新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)でも開催される。これは楽太郎の要望に応じた芸術協会の協力により実現した。定席への出演は32年ぶりとなる。また、同年5月31日には、横浜市の三吉演芸場で行われた歌丸一門会でのトリを務めることになった(圓楽曰く、「アウェイ」)。
歌丸は「当代(6代目圓楽)は当代、先代(5代目圓楽)は先代と、別の圓楽としてみて欲しい」とコメントし、6代目自身は「あくまでも『圓楽』とは師匠のことであり、自分のことは『六代目』を頭に付けてね」とコメントしている。
笑点のオープニングでは「六代目」の寄席文字が入っている(英語標記も、6th SANYUTEI ENRAKUとなっている)。
後述のように、襲名と同時に、師匠(5代目圓楽)が担当していた日本香堂・毎日香のCFナレーションも継承している。
エピソード[編集]
- しばしば、政治的批判をすることがある。また東祥三とは長い付き合いがあり応援をしている[3]。
- 父は警視庁警察官。その父への反抗心からか学生時代にはブントに所属し学生運動にも参加していたが、「ユートピアを追うことに疲れ、そのときに落語を聞き返したところ、その中にユートピアがあることを発見し、落語に生きることにした」[4]と語っている。
- 知能指数IQが146あり、周囲との会話で先が読めてしまうと、2012年10月17日放送の文化放送『大竹まことゴールデンラジオ!』で本人が語った。
- 楽太郎の名は大師匠6代目圓生が付けたものであり、真打昇進の際にも改名を拒んだという[5]。
- 20歳で圓楽に弟子入りし、概ね5年ごとに節目を迎えてきたため、いつしか「5年計画」で物事を進めるようになった。そのため、圓楽襲名の話が師匠からあった際も、すぐにというわけではなく、その5年ごとの節目にもあたる60歳に、という意向で、6代目圓楽襲名の話を進めることになったと語っている。
- 若手の頃は瀬古利彦に顔が似ているということで、瀬古の物真似でテレビ出演することが多かった。『笑点』の大喜利のネタでも瀬古の物真似をやっていたが、35歳を迎える1985年正月より「落語で勝負したい」として瀬古の物真似を封印する。それから数年が経ち、瀬古の方から「楽太郎に似ている」ことを話のネタにするという逆転現象となった。現在も交流があり、2010年3月の6代目圓楽襲名パーティーにサプライズゲストとして瀬古が出演した。
- 最初の弟子は後に放送作家となる石田章洋(門下当時は花楽京)、二番目はタレントの伊集院光(門下当時は楽大)であるが、いずれも落語家を廃業、転職している。
- アメリカンM&N大学より博士号。ただし同大学はディプロマミルであり、正規の学位ではない。噺家のネタとして取得(購入)したもの。これにより笑点メンバーは元より、お笑い界でもインテリとして通っており、近年ではクイズ番組への出演も増えている。
- 『笑点の謎』(河出書房新社)でも明かされているが、「博士号」に関しては、在学中から(アルバイトの形で)5代目圓楽についてそのまま落語家となったため、大学院に入学しておらず、自分の論文(「心から笑える健康づくりのために」)を知人に英訳してもらい、アメリカ・ルイジアナ州のアメリカンM&N大学に送って「理学博士」の認定書を得た。
- このため、事実上在学はしておらず、自身のプロフィールでも最終学歴は青山学院大学としている。メンバーいわく、「取ったはいいものの何の役にも立っていない」模様で、楽太郎(当時)なりのファッションの一つなのだろうと書かれている。かつて弟子であった伊集院光の証言によれば、「インテリキャラを箔付けするために半分しゃれで取った」とのこと。
- その博士号だが、楽太郎(当時)本人が認定書を見せたところ、師匠の5代目圓楽や桂歌丸などが感心する中、立川談志や6代目圓生のみが「落語家に学歴なんざぁ要りません」と、気にも留めなかったという。
- 学業系以外にも、ゴルフやゲートボールなどのスポーツの会員証や資格「アメリカ海軍後援会会員(『大笑点』でも出たが、本人によると軍の関連施設への立ち入り許可、酒税免除などの特典がある)」など、資格コレクターと思わせる面もある。
- 寺脇研が顧問を務めるフリーマガジン『らくご☆まがじん』の「女子大生が選ぶイケメンらくご家グランプリ」50代以上の部で1位獲得の常連であり、その度に『笑点』の挨拶などで公表している。
- 2007年より「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけており、東西の大物落語家(2008年には、『笑点』の司会者でもある落語芸術協会会長の桂歌丸はもちろんのこと、各落語家団体の会長のそろい踏みも実現している)なども登場する一大イベントとなっている。
- 寝起きが非常に良く、目覚まし時計が鳴る1分前には必ず目を覚ます。それでも目覚まし時計を使うのは「目覚まし時計に対し、目覚まし時計より時間に正確な人間がいるということを思い知らせるために買っている」と冗談めかしたことを伊集院光に話していた。[6]
- 2010年10月21日、同日開館した羽田空港の新国際線ターミナルでのトークショーに登場した。
- 楽太郎時代(30代の後半頃)酔っぱらって高校の同級生が複数経営していた寿司屋の六本木の店舗で板前を外に出して、勝手に寿司を握る等暴挙が原因でその店舗の経営がガタ落ちし、閉店する事になった。[7]
趣味・嗜好[編集]
- ゲートボール。審判員の資格を持ち、昭和末期に放送されていたテレビ朝日系のゲートボール番組『おはよう!ゲートボール』で審判を務めていたこともある。
- ゴルフ。三遊亭小遊三より回数は少ないが、一緒にサントリーオープンのアマプロチャリティートーナメントに参加することがある。
- 釣り。息子や桂歌丸の影響で始めた。また村田基とも交友がある。
- プロレス観戦。生前のジャイアント馬場と親交があり、全日本プロレス主催試合における後楽園ホール年間指定席を購入していたほどの落語界きってのプロレスファン。プロレスラーの天龍源一郎とは墨田区立両国中学校の同級生。また角界の田上明へプロレス転向を勧めたり、ウルティモ・ドラゴンの面倒を見るなど、様々なレスラーと親交を結んでいる。またレジャーニューズでコラム「プロレスおやじ倶楽部」を執筆していた。三沢光晴の死に関しては「勘弁してくれねぇかなぁ」と未だノーコメントを貫いている。
- 「ペヤングソースやきそば」(まるか食品)が好きで、CMに出ている山田隆夫に無理やり頼み込んで、段ボール単位で貰っている。
大喜利メンバーとして[編集]
- 1977年8月から『笑点』の大喜利に出演している(入門直後から5代目圓楽の付き人・裏方として番組に関わっていた)。
- 笑点で着用している色紋付の薄紫色は、師匠5代目圓楽が大喜利メンバー時に着用していた色と同じである。
- 愛称は楽太郎時代から「楽ちゃん(楽さん)」。
- 大喜利では政治を風刺する答えを頻繁に披露している。また、「笑点のオピニオンリーダー」という言葉を多用している。
- 5代目圓楽が引退する以前から、『笑点』やその他公の場において「圓楽襲名」を長年ネタとしてきており、襲名に際して(いわゆる腹黒キャラからもじって)「黒圓楽」と称されることもあった。また、師匠が長年担当していた「毎日香」(日本香堂)のCFナレーションの後釜を狙っているというネタも度々あったが、6代目圓楽襲名と同時に、これも現実のものとなった。
- 大喜利では歌丸と罵倒合戦を繰り広げている。番組内では犬猿の仲だが、若手時代にネタに困っていた6代目圓楽に歌丸が「俺のことでもいいから」とアドバイスしたのが罵倒合戦の始まりであり、普段では歌丸とは仲が良く、2人会等共演も多くメキシコで一緒に海外公演を行った。6代目圓楽襲名の際、5代目が逝去していたこともあって後見人を引き受け、襲名披露を定席興行で実現させた。冒頭のあいさつでも歌丸を尊敬している旨や父が3人(1人目は実父、2人目は師匠五代目圓楽、3人目は歌丸)をと言うほどの五代目圓楽の後見人として五代目圓楽一門と歌丸のつながりはただの笑点仲間としてだけではなく、落語の寄席の確保などでも緊密な連携をしている。
- 腹黒とともに嫌われ者や友達がいないなどのキャラクターとなっているが、実際はプロレスラーの三沢光晴が試合事故での死去直後に友達である旨の冒頭の挨拶をしており、芸能界にはかなりの友達の人脈がある。
- 笑点レギュラー出演者以外の落語家仲間をネタにすることも多い(たい平の大師匠・初代三平の一族(主に4人の子女)等)。落語以外の芸能人も毒舌を行うことも多々ある。
- 師匠5代目死去直後は不謹慎だとして歌丸罵倒ネタは死去ネタ中止を宣言し、禿ネタ一辺倒だったが、2010年春ごろから喪があけて復活している。ただし、追悼大喜利では、「寂しいでしょうねぇ…すぐに歌丸送り込みまーす!」とネタにしている。
大喜利でのキャラクター参照
歌丸は師匠付けで呼ぶことがほとんどである。兄弟子である好楽は兄さんと呼び、木久扇と小遊三はさん付けが多い。年下でブラック団の団員である昇太とたい平および山田は呼び捨てがほとんどである。
出演[編集]
テレビ[編集]
- 笑点(日本テレビ系列、1977年8月28日- )
- ハッピーリビング(テレビ埼玉、1979年-1981年)
- おはよう!ゲートボール(テレビ朝日系列、準レギュラー)
- おはようテレビ朝日(テレビ朝日、1985年)
- メイコとあなたの税ミナール(フジテレビ系列、1990年-2007年 国税庁提供)
- 怪傑!ドクターランド(MBS・TBS系列、1992年10月-1993年3月)
- クイズプレゼンバラエティー Qさま!!・プレッシャーSTUDY(テレビ朝日系列、不定期出演)
- SUPER SURPRISE(日本テレビ系列、2009年4月-12月 水曜コメンテーター→2010年1月-3月 月曜コメンテーター)
- 天才をつくる!ガリレオ脳研(テレビ朝日系列、2009年11月-2010年8月・2010年12月- 「ガリレオ謎かけ」出題者)
- 脳活研(テレビ朝日系列、2010年4月17日・4月24日)
- 新感覚ゲーム クエスタ(NHK総合、2010年10月28日 ゲスト)
- 日本の話芸(NHK総合、2010年11月9日 落語「鼠穴」を披露)
- らくごるふ(フジテレビワンツーネクスト)
- 雑学王3時間スペシャル(テレビ朝日、2011年3月24日 解答者)
2016年5月下旬の日本テレビ各バラエティー 2016年6月10日から13 日のワイドショー 江戸行く。(2016年6月12日。BSテレビ朝日。) ワイスク(2016年6月22 日。テレビ朝日。)
テレビドラマ[編集]
- ひらり(NHK連続テレビ小説、1992年10月5日-1993年4月3日) - 蛭田明夫
- 暴れん坊将軍
- VI・VIIシリーズ - め組小頭・卯之吉(テレビ朝日系列、1994年10月16日-1997年1月25日)
- IXシリーズ 第6話 だまされた男 芸者の吐息に仕掛けられた罠(1998年) - 宇太郎
- VIIでは桂歌丸が卯之吉(楽太郎)の父治助役で出演した。
- 寺子屋ゆめ指南(NHK、1997年)第6話 - お咲の父親・清兵衛
- 葵徳川三代(NHK大河ドラマ、2000年) - 講談師
- 月曜ミステリー劇場「万引きGメン・二階堂雪6 逆恨み」(TBS系列、2001年4月9日)
- 金曜ロードSHOW! 特別ドラマ企画 家族、貸します 〜ファミリー・コンプレックス〜(日本テレビ系列、2012年7月27日) - 小橋明弘
- 鴨、京都へ行く。-老舗旅館の女将日記-(フジテレビ系列、2013年5月21日)第7話 - 東雲亭千雀
ラジオ[編集]
- エルフモーニングダッシュ 楽太郎のおいしい朝だよ(文化放送の早朝番組、1986年10月6日-1991年10月4日)
- HARAGURO ラジオ(文化放送・KBCラジオ、1997年-2000年)
- 伊集院光 深夜の馬鹿力(JRN、2001年6月18日ほか)
映画[編集]
CM[編集]
- マクドナルド(1970年代後半)
- 祐徳薬品工業(パスタイム 『きもちんよか〜♪』のCMで薬局の薬剤師の役で出演、1980年代前半)
- ヤマサ醤油 さしみしょうゆ(1984年)
- 松下電器産業(ナショナル パナスプレー 園芸用殺虫剤噴霧器、1980年代後半)
- 太洋技建(ポリマーライト)
- 野村證券(株券電子化篇、2006年)
- 日本香堂
- 代々木アニメーション学院(学院長を務めたが、経営難で離脱)
- サンコー食品(ヤマザワ系列の製乳業。※山形県/宮城県限定)
- 日清オイリオ
- サントリー
主な著書[編集]
- 失敗しない司会進行実例百科 (池田書店 刊)
- 失敗しないスピーチ・あいさつ実例百科 (池田書店 刊)
CD[編集]
- 六代目三遊亭圓楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集(CD3巻組、特典:秘蔵写真フォトアルバム付)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集①(薮入り・お化長屋)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集②(禁酒番屋・死神)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集③(明烏・芝浜)
DVD[編集]
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集BOX(DVD3巻組、特典:秘蔵写真フォトDVD付)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集①(薮入り・お化長屋)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集②(禁酒番屋・死神)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集③(明烏・芝浜)
その他[編集]
- 1980年 - 、税務大学校講師
- 1991年9月、アメリカンM&N大学(但しディプロマミル)より哲学・理学博士号(購入)
- 1992年11月、国税庁長官表彰
- 1994年4月 - 、栃木・中央福祉医療専門学校客員教授
- 1996年9月 - 、ハワイ・オアフパークゴルフ協会名誉顧問
- 2006年4月 - 、代々木アニメーション学院学院長に就任
一門弟子[編集]
落語以外の芸能に転向した弟子[編集]
- 石田章洋(三遊亭花楽京(一人目)、現・放送作家)
- 伊集院光(三遊亭楽大(初代)、現・タレント、ラジオパーソナリティ)
なお、両名について円楽は身内ととらえている。一門会に出演させている他、伊集院とはテレビ番組で共演したり、伊集院のラジオ番組に出演することがある。また、伊集院も円楽について現在も「師匠」と呼び、落語家時代の話をすることがある。伊集院がテレビ番組で共演する際には、伊集院の後輩である山崎弘也(アンタッチャブル)が座って圓楽と談笑する一方で、弟子として常に立ちっぱなしで飲み物を買ってくるなどしている。
落語家以外の弟子[編集]
師匠のWエースが相次いで他界した後一門に属し、漫才協会員としての活動に加え、圓楽が出演する両国寄席等にてネタ見せの機会を増やす。又、自身の結成10周年記念イベントにも圓楽はゲスト出演し、モタレ(トリの前の出番)を務めた。