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[[兵庫県]][[伊丹市]]出身。伊丹市立昆陽里小学校1年時に[[軟式野球|軟式]][[少年野球]]チーム「昆陽里タイガース」で[[野球]]を始め、4番・[[捕手]]として[[坂本勇人]]と[[バッテリー]]を組んでいた。[[打撃 (野球)|打撃]]練習では左翼方向への[[本塁打]]を連発し、しばしば同じ方角にある校舎の窓を直撃しかけたという。小学校時代の最高成績は6年時の県大会準優勝。[[伊丹市立松崎中学校]]時代に[[ボーイズリーグ]]の「宝塚ボーイズ」で[[硬式野球]]を始めると[[強肩]]を買われて投手も兼任するようになり、3年時には関西南選抜チームに選出された。「野球の練習となるとその熱心さからか、しばしば周りから怖がられていた」と当時を知る人物は語っている。 | [[兵庫県]][[伊丹市]]出身。伊丹市立昆陽里小学校1年時に[[軟式野球|軟式]][[少年野球]]チーム「昆陽里タイガース」で[[野球]]を始め、4番・[[捕手]]として[[坂本勇人]]と[[バッテリー]]を組んでいた。[[打撃 (野球)|打撃]]練習では左翼方向への[[本塁打]]を連発し、しばしば同じ方角にある校舎の窓を直撃しかけたという。小学校時代の最高成績は6年時の県大会準優勝。[[伊丹市立松崎中学校]]時代に[[ボーイズリーグ]]の「宝塚ボーイズ」で[[硬式野球]]を始めると[[強肩]]を買われて投手も兼任するようになり、3年時には関西南選抜チームに選出された。「野球の練習となるとその熱心さからか、しばしば周りから怖がられていた」と当時を知る人物は語っている。 | ||
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:春季キャンプでのフリー打撃、紅白戦、[[オープン戦]]の初登板が全て雨で中止か延期となり、チーム内で雨男とあだ名された。3月29日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦で初登板初先発、1回2/3を投げて打者12人に対し6[[被安打|安打]]3奪三振1[[四球]]で6失点。4回に同点となって[[敗戦投手]]にはならなかったが、降板後のベンチで涙を見せた。4試合目の登板となった4月18日の対ソフトバンク戦で9回を2失点13奪三振に抑え初勝利初完投。6月13日の対[[中日ドラゴンズ]]戦で高卒新人では2005年のダルビッシュ有以来の完封勝利を記録。同年の[[2007年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に高卒新人では1999年の松坂大輔以来となる[[オールスターゲーム (日本プロ野球)#選出方法|ファン投票]]で選出され出場、7月22日の第2戦に先発して自己最速の153km/hを記録した(2回6失点)。7月10日には高卒新人として松坂大輔以来史上6人目、[[江夏豊]]と並び最速タイとなる96回2/3でのシーズン100奪三振を記録。8月31日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦で松坂大輔以来、球団史上初となる高卒新人での2桁勝利を挙げた。リーグ4位の186回1/3を投げて11勝を挙げ、リーグ2位で高卒新人では歴代4位の196奪三振を記録。松坂大輔以来8年ぶりの高卒1年目で[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]を受賞した。同年は連敗ストッパーとなることが多く、監督の[[野村克也]]は「だって(田中は)ウチのエースだもん」と答えたこともあった。ソフトバンクとの相性が良く、登板6試合のうち5試合で勝利投手になった。 | :春季キャンプでのフリー打撃、紅白戦、[[オープン戦]]の初登板が全て雨で中止か延期となり、チーム内で雨男とあだ名された。3月29日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦で初登板初先発、1回2/3を投げて打者12人に対し6[[被安打|安打]]3奪三振1[[四球]]で6失点。4回に同点となって[[敗戦投手]]にはならなかったが、降板後のベンチで涙を見せた。4試合目の登板となった4月18日の対ソフトバンク戦で9回を2失点13奪三振に抑え初勝利初完投。6月13日の対[[中日ドラゴンズ]]戦で高卒新人では2005年のダルビッシュ有以来の完封勝利を記録。同年の[[2007年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に高卒新人では1999年の松坂大輔以来となる[[オールスターゲーム (日本プロ野球)#選出方法|ファン投票]]で選出され出場、7月22日の第2戦に先発して自己最速の153km/hを記録した(2回6失点)。7月10日には高卒新人として松坂大輔以来史上6人目、[[江夏豊]]と並び最速タイとなる96回2/3でのシーズン100奪三振を記録。8月31日の[[埼玉西武ライオンズ]]戦で松坂大輔以来、球団史上初となる高卒新人での2桁勝利を挙げた。リーグ4位の186回1/3を投げて11勝を挙げ、リーグ2位で高卒新人では歴代4位の196奪三振を記録。松坂大輔以来8年ぶりの高卒1年目で[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]を受賞した。同年は連敗ストッパーとなることが多く、監督の[[野村克也]]は「だって(田中は)ウチのエースだもん」と答えたこともあった。ソフトバンクとの相性が良く、登板6試合のうち5試合で勝利投手になった。 | ||
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** '''17''' (2013年[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]])※正式メンバー34人 | ** '''17''' (2013年[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]])※正式メンバー34人 | ||
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** 2013年1月6日‐[[釜田佳直]]、嶋基宏とともに出演。優勝し賞金100万円を獲得した。 | ** 2013年1月6日‐[[釜田佳直]]、嶋基宏とともに出演。優勝し賞金100万円を獲得した。 | ||
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田中 将大(たなか まさひろ、1988年11月1日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。マネジメント事務所は、ホリプロ。妻は、歌手でタレントの里田まい。目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
兵庫県伊丹市出身。伊丹市立昆陽里小学校1年時に軟式少年野球チーム「昆陽里タイガース」で野球を始め、4番・捕手として坂本勇人とバッテリーを組んでいた。打撃練習では左翼方向への本塁打を連発し、しばしば同じ方角にある校舎の窓を直撃しかけたという。小学校時代の最高成績は6年時の県大会準優勝。伊丹市立松崎中学校時代にボーイズリーグの「宝塚ボーイズ」で硬式野球を始めると強肩を買われて投手も兼任するようになり、3年時には関西南選抜チームに選出された。「野球の練習となるとその熱心さからか、しばしば周りから怖がられていた」と当時を知る人物は語っている。
「宝塚ボーイズ」の監督・奥村幸治によると、当初、高校は地元関西圏の有名校に行く予定だったが諸事情から断念、その後、奥村の紹介で駒澤大学附属苫小牧高等学校を見学、その際に当時の野球部キャプテンの人柄に惹かれ野球留学を決意したとの事。
駒澤大学附属苫小牧高等学校に進学後は本格的に投手に専念するようになり、2年夏の第87回全国高等学校野球選手権大会では主戦投手として140km/h前後の速球と高速スライダー、フォークボールを武器に57年ぶり史上6校目の大会2連覇に貢献。決勝戦で優勝を決めた最後の1球は2年生では史上初の150km/hを計測した。大会後、AAAアジア野球選手権大会の日本代表に2年生では堂上直倫と2人だけ選出され優勝。
2年秋からは香田誉士史が監督に就任後初のエース兼主将となり、秋季北海道大会では堂上を参考にフォーム改造した打撃でも決勝を含む5試合中4試合で本塁打を放つなど活躍。決勝では過去最多の13点差で優勝した。その後行われた明治神宮野球大会でも北海道勢として初めて決勝に進出して優勝し、第78回選抜高等学校野球大会では優勝候補に挙げられていたが、部員の不祥事により出場辞退となった。
史上2校目の夏3連覇が懸かった第88回全国高等学校野球選手権大会では大会直前から体調を崩したが、チームは決勝に進出。早稲田実業との決勝戦では3回途中からリリーフ登板して延長15回まで1失点。しかし早実の斎藤佑樹も1失点で完投し、37年ぶりの決勝引き分け再試合となった。再試合でも1回途中からリリーフしたが、最後の打者として斎藤に三振で討ち取られ3対4で敗れた。
大会後は全日本選抜としてアメリカ遠征に参加し、秋ののじぎく兵庫国体では決勝戦でまたも斎藤と投げ合ったが0-1で敗れ準優勝。2人を中心とした熱戦は国内で同年のスポーツを代表する名場面となった。
最速150km/hの速球と高速縦スライダーを武器に、高校通算458奪三振を記録し、高校通算奪三振数、奪三振率とも横浜高校の松坂大輔を上回り、周囲からは「怪物」「世代最強エース」などと評された。打者としても高校通算13本塁打を記録している。同世代の投手では随一の評価を受けていたが、甲子園での熱闘に加えて斎藤が大学進学を表明した事で更に注目が集まった。指名されればどの球団でも入団する意思を表明していた事もあって全12球団の指名候補となっており、複数球団の競合が確実視されていた。
2006年9月25日の高校生ドラフト会議において、北海道日本ハムファイターズ、オリックス・バファローズ、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目指名を受け、抽選の結果楽天が交渉権を獲得。11月2日に契約金1億円+出来高、年俸1,500万円(金額はいずれも推定)と、高卒としては松坂大輔、寺原隼人、ダルビッシュ有以来の大学・社会人出身希望枠と同等の条件で仮契約を結び、背番号は18に決定。
プロ入り後[編集]
- 2007年
- 春季キャンプでのフリー打撃、紅白戦、オープン戦の初登板が全て雨で中止か延期となり、チーム内で雨男とあだ名された。3月29日の対福岡ソフトバンクホークス戦で初登板初先発、1回2/3を投げて打者12人に対し6安打3奪三振1四球で6失点。4回に同点となって敗戦投手にはならなかったが、降板後のベンチで涙を見せた。4試合目の登板となった4月18日の対ソフトバンク戦で9回を2失点13奪三振に抑え初勝利初完投。6月13日の対中日ドラゴンズ戦で高卒新人では2005年のダルビッシュ有以来の完封勝利を記録。同年のオールスターゲームに高卒新人では1999年の松坂大輔以来となるファン投票で選出され出場、7月22日の第2戦に先発して自己最速の153km/hを記録した(2回6失点)。7月10日には高卒新人として松坂大輔以来史上6人目、江夏豊と並び最速タイとなる96回2/3でのシーズン100奪三振を記録。8月31日の埼玉西武ライオンズ戦で松坂大輔以来、球団史上初となる高卒新人での2桁勝利を挙げた。リーグ4位の186回1/3を投げて11勝を挙げ、リーグ2位で高卒新人では歴代4位の196奪三振を記録。松坂大輔以来8年ぶりの高卒1年目で新人王を受賞した。同年は連敗ストッパーとなることが多く、監督の野村克也は「だって(田中は)ウチのエースだもん」と答えたこともあった。ソフトバンクとの相性が良く、登板6試合のうち5試合で勝利投手になった。
- 2008年
- シーズン前に2年目のジンクスについて聞かれ「全く考えていない。いまやるべきことをやるだけ。そのことは二度と聞かないでほしい」と答えた。5月4日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で勝利投手となり、北海道で初勝利。同球場では史上初の敵チームのヒーローインタビューが流された。交流戦の最終戦の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)でプロ入り初セーブ。北京オリンピックの野球日本代表に選出され、背番号は15。北京オリンピックでは初戦の対キューバ戦の8回に3番手として初登板、1安打1四球で無失点。大会を通じ3試合に登板、7イニングで失点。レギュラーシーズン最終戦の10月8日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)で9回を6安打無失点に抑え、チームは延長12回にサヨナラ勝利するが田中は勝利投手とならず、この年は9勝に終わるが、高卒新人としては40年ぶりの2年連続150奪三振。
- 2009年
- 第2回WBCの日本代表に選出され、日本代表の大会2連覇に貢献した。シーズン開幕後はソフトバンクとのホーム開幕戦に先発して完封でシーズン初勝利を挙げると、4月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦で1失点完投、4月22日のロッテ戦で完封、4月29日の対日本ハム戦で野村克也の監督通算1500勝目となる1失点完投と、1993年の小宮山悟、長谷川滋利以来となる開幕から4試合連続完投勝利を記録し、自身初の月間MVPに選出された。5月13日の対日本ハム戦で完投は途切れたが、6月3日の対阪神タイガース戦で敗れるまで開幕7連勝を記録。6月11日の中日戦で8勝目を挙げた後は、7月20日の対ソフトバンク戦で抑えとして登板して自己最速を更新する155km/hを記録し、防御率1点台を維持しつつもオールスターゲーム後まで勝ち星からは遠ざかっていた。8月7日の日本ハム戦で約2ヶ月振りの勝利となる9勝目を挙げて以降は安定した結果を残し、8月27日の西武戦で自己最多となる12勝目を記録。8月には4試合に登板して4勝0敗、防御率1.44、30奪三振で自身2度目となる月間MVPに選出される。援護率がパリーグでワースト2位の3.54だったにもかかわらず、最終的にリーグ2位タイ、チームトップとなる15勝、リーグ3位となる防御率2.33を記録。10月17日のクライマックスシリーズ第1ステージ第2戦の対ソフトバンク戦では自身初の無四球完投勝利を挙げ、チームの第2ステージ進出に貢献した。12月25日の契約更改では1億500万円増、プロ入り4年目の選手としてはダルビッシュに次ぐ史上2番目の高額契約となる年俸1億8000万円で契約(金額はいずれも推定)。
- 2010年
- シーズン開幕から低調なチームの中でも奮闘した。5月には自身3度目となる月間MVPを受賞し、6月までにチームトップの8勝を挙げた。しかし7月に太腿の肉離れで戦線離脱。8月に復帰するも、8月29日の対西武戦で投球中に違和感を訴えて降板すると右大胸筋部分断裂と診断され、以降の試合は欠場している。11勝、防御率2.50はチームトップだったが、奪三振や投球回はプロ入り後最低となった。11月15日にはタレントの里田まいとの交際を自身のブログで公表した。
- 2011年
- 1月12日、ホリプロよりマネジメント契約を結んだことが明らかにされた。公式戦シーズンは、6月と7月には2か月連続で月間MVPを受賞、8月7日の対日本ハム戦を迎えるまでの開幕から16試合連続で6回以上を投球して3失点以内に抑え、8月27日の対ソフトバンク戦では野田浩司に次ぐ歴代2位の1試合18奪三振を記録。9月10日の対日ハム戦では、2006年夏の甲子園の決勝以来となる斎藤佑樹との対戦となり、前売り券のみで売切れるほどの大きな盛り上がりを見せ、結果は田中が1失点完投で勝利した。この試合は「ジョージア魂」賞の年間大賞に選ばれている。シーズン前半は10回無失点ながら勝ちが付かないなど、中々打線の援護に恵まれなかったが後半に勝ち星を伸ばし、最終的に19勝5敗。前述の6、7月の他に10月も月間MVPを受賞し、リーグ史上初となる年間3度の月間MVP受賞を果たした。投球回は初の200イニング超えの226回1/3イニング、年々減っていた奪三振は241とイニング数を超える数を記録。防御率はパ・リーグ史上2位となる1.27で、2リーグ制以降では歴代5位の記録である。この年は最多勝利(D.J.ホールトンと同数)、最優秀防御率、最優秀投手、最多完封(6試合、ダルビッシュと同数)の4冠を獲得。他に両リーグトップの完投(14試合、ただし1試合10イニングを投げた試合が2試合あるがいずれも試合に決着が付かなかったため完投ならず)、無四球試合(5試合)も記録。四球の数も減り、過去最多のイニングを投げながら四球は僅か27と過去最少で、パ・リーグの規定投球回に到達した投手の中では3番目に少なく与四球率1.07、K/BBは最多奪三振を記録したダルビッシュの7.67を上回る8.93を記録し、沢村栄治賞を初受賞、他にもベストナインにも選出され、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞も獲得した。一方、シーズンオフの12月14日には仙台市内で自家用車を運転中に自転車と接触事故を起こし、自転車の女性の腰の骨にひびが入る重傷を負わせた。
- 2012年
- 里田まいとの婚約を1月26日に発表。2月7日、前年12月に起こした接触事故で仙台東警察署より自動車運転過失傷害の疑いで書類送検された。シーズン開幕を控えた3月20日に里田との婚姻届を提出した。3月30日の開幕戦では自身初の開幕投手を務めたが、6回5失点で敗戦投手となった。4月22日に腰痛で2年ぶりに戦線離脱した。復帰後の5月30日の対巨人戦は先発の杉内俊哉と互いに8回まで投げ二桁奪三振を記録する勝負であったが、チームはノーヒットノーランで敗れ敗戦投手に。7月6日の西武戦では先発登板が予定されていたが、投球練習中に右脇腹に違和感を訴えて先発登板を回避し、代役として中7日で塩見貴洋が登板することになった。8月19日の対西武戦(西武ドーム)では通算1000奪三振を記録するものの6失点で敗戦投手となるが、8月26日の対日本ハム戦では延長10回を無四球完封勝利を挙げ、これより翌シーズンにかけての連勝記録をスタートさせる事になる。防御率は2年連続の1点台となる1.87、リーグ最多奪三振を記録。また完投、完封もリーグトップを記録。規定投球回達成者では最少となる19四球、BB/9は0.99と1を割り込んだ。12月22日に3年12億円+出来高で契約更改し、「将来的に、そういうところ(メジャー)でやろうという気持ちが芽生えたので、早いうちに伝えようと思いました」と将来的なメジャーリーグ挑戦の意思があることを明らかにした。
- 2013年
- 第3回WBCの日本代表に選出される。レギュラーシーズンでは開幕から連勝を重ねた。4月は4試合に登板し、3勝0敗。なお4月16日の対ソフトバンク戦では7回2失点でリードのまま降板しているが、チームがその後逆転負け。田中に勝ち負けはつかなかったが、この年のシーズン公式戦では唯一の田中が登板しての敗戦となった。5月は5試合に登板し4勝0敗で、通算8度目となる月間MVPを獲得、投手としてはパ・リーグ最多、5年連続受賞は投手としてはプロ野球初。6月16日の対阪神戦(Kスタ宮城)で球団新記録の開幕から9連勝。6月は4試合登板で3勝0敗で、史上初の2度目の2カ月連続、通算9度は投手としては日本プロ野球最多タイの月間MVP受賞。7月は4試合登板で3完投の4勝0敗として、パ・リーグ初の3カ月連続、日本プロ野球タイ記録の年間3度目、通算10度目(いずれもイチローの記録に並ぶ)の月間MVP受賞となった。
- 8月に入っても連勝は途切れる事はなく、9月にかけて多くの連勝のプロ野球新記録を作ることになる。8月2日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で、開幕から15連勝として間柴茂有(1981年)と斉藤和巳(2005年)の日本プロ野球記録に並んだ。8月9日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)で日本プロ野球新記録の開幕16連勝、また前年から20連勝で、松田清(1951-1952年)と稲尾和久(1957年)の日本プロ野球記録に並んだが、先発登板だけで20連勝は史上初である。8月16日の対西武戦(西武ドーム)で日本プロ野球新記録の21連勝。8月30日の対ソフトバンク戦(ヤフオク)で開幕からの連勝を19として、1912年にルーブ・マーカードが記録したメジャーリーグの開幕連勝記録に並んだ。8月は5試合に登板し、5勝0敗で、日本プロ野球新記録の4カ月連続、年間4度目、通算11度目となる月間MVPを受賞。
- 9月6日の対日本ハム戦(Kスタ宮城)で稲尾和久(1957年)の記録に並ぶ日本プロ野球タイ記録のシーズン20連勝。シーズン20勝は2008年の楽天の岩隈久志以来。メジャーリーグの開幕連勝記録を上回った。9月13日の対オリックス戦(Kスタ宮城)でシーズン21連勝、日本プロ野球新記録となり、1936年から1937年にかけてカール・ハッベルが記録したメジャーリーグ連勝記録を上回った。9月21日の対日本ハム戦(札幌ドーム)で日本プロ野球では1980年の木田勇以来33年ぶり、2008年の岩隈久志を上回る球団新記録のシーズン22勝目で、2003年の斉藤和巳以来の日本プロ野球タイ記録の15試合連続登板勝利。楽天の優勝へのマジック2で迎えた9月26日の対西武戦(西武ドーム)で1点差で迎えた9回裏に今季初のリリーフで登板。この時、ほぼ同時刻に2位のロッテが敗れてマジックが1となり、このまま勝てば優勝決定の場面で、田中はランナーを2人出したものの無失点で抑えて胴上げ投手となり、チームは初のリーグ優勝を決めた。田中のセーブは4年ぶり。9月は4試合登板で3勝1セーブとして、5カ月連続、通算12度目の月間MVPを受賞。その後も連勝は途切れる事なく、今季最終登板となった10月8日の対オリックス戦(Kスタ宮城)でシーズン24勝目を挙げた。
- ロッテとのクライマックスシリーズファイナルステージでは第1戦(Kスタ宮城)に先発登板し2対0で、CSでは初の完封勝利。CSで3試合連続勝利はタイ記録で史上3人目、3試合連続完投勝利はCS新記録。日本シリーズ進出を決めた第4戦でも9回表にリリーフで登板し無失点に抑えて、パ・リーグCSの最優秀選手に選ばれている。巨人との日本シリーズでは第2戦(Kスタ宮城)に先発し、シリーズ史上3人目の毎回の12奪三振で、自身と球団シリーズ初勝利を挙げるが、3勝2敗でチームの日本一に王手をかけた第6戦(Kスタ宮城)では、9回を160球で完投も12被安打でこの年のシーズン公式戦から含めてワーストとなる4失点で、この年の32試合目の登板で初の敗戦投手となった。また前年の8月26日からのポストシーズンを含めた公式戦での連勝記録が30でストップした。翌日の第7戦(Kスタ宮城)でも3点リードで迎えた9回から登板、村田修一とホセ・ロペスに安打を打たれるものの、打者5人に15球で無失点で抑えてセーブを挙げ、球団史上初の日本一が決定するとともに、田中が胴上げ投手となった。
- この年は、最多勝、最優秀防御率、勝率第1位投手を獲得。前年からの連勝を28、開幕からの連勝を24としてそれぞれ日本プロ野球新記録を達成。規定投球回数に達し、勝率10割としたのは日本プロ野球史上4人目で、シーズン無敗で最多勝は日本プロ野球史上初。沢村賞は選考委員会で満場一致で選出され、ベストナインは記者投票で投手では24年ぶり、自身初のMVPは投手野手通じて48年ぶりに満票で獲得した。11月23日に行われた球団のファン感謝祭において、開幕からのシーズン24連勝に前年からの28連勝と、これにポストシーズンの2勝を含めた30連勝の3つがギネス世界記録として認定され、認定証が贈られた。
選手としての特徴[編集]
高めのスリークォーターから投げる平均球速約147km/h、最速156km/hのストレートと平均130km/h台中盤(最速144km/h)で大きく変化する高速縦スライダーを軸に、平均球速139.7km/hのSFF、シュート変化をするツーシームを投げ分け、稀にカーブ、チェンジアップも混ぜる。2010年まではフォークを投げていたが、同年の週刊ベースボールに掲載されていたブライアン・ファルケンボーグのインタビューを読んでSFFを習得し、それ以降はフォークではなくSFFを使うようになったという。
プロ入り当初は縦のスライダーを軸にした三振を奪う投球スタイルで、プロ1年目の奪三振率は9.46を記録した。2年目からは変化の小さい球種を使った打たせて取る投球をするようになり、奪三振率8.30を下回り奪三振が減少傾向にあったが、5年目の2011年には前年の2倍以上となる241奪三振を記録し、奪三振の半数近くをSFFで奪った。プロ入り当初は奪三振が多い反面四球が少なくなかったが、与四球率は2012年まで5年連続で良化させ、通算与四球率は1.98を記録している。
連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど守備には定評があり、牽制も素早い。かつてはクイックモーションに課題があり、一年目のシーズン許盗塁数28は12球団ワーストだったが、翌年の春季キャンプまでに練習で克服している。
福岡ソフトバンクホークスと北海道日本ハムファイターズに対して相性が良く、2013年までの通算成績は対ソフトバンク16勝3敗、対日本ハムは23勝6敗で、対ソフトバンクはルーキーイヤー以降では他球団と比べて大差無いイニング数を投げながら極端に失点が少なく勝率が高い。日本ハムとは2011年9月10日から2013年シーズン終了までに13連勝を挙げており、2013年には対日本ハム戦8試合登板で8勝を挙げている。一方、埼玉西武ライオンズとの相性は悪く、パ・リーグでは唯一通算で負け越している。
人物[編集]
ファンやマスコミからの愛称である「マー君」は、日米親善高校野球の際に監督を務めた和泉実が選手同士の交流を図るため互いに名字で呼ぶことを禁止したことから、早実の斎藤佑樹と「佑ちゃん」「マー君」と呼び合っている事が本人達の口から語られたのがきっかけとなった。楽天監督だった野村克也もこの愛称を用いてインタビューに応じることが多いが、一方で愛称とはいえ選手を「君づけ」で呼ぶのは稀有なことだと述懐している。
高須洋介は「マーが投げる試合は、打線がなんとかしようという雰囲気になる」と語っている。また、その勝ち運から野村に「マー君、神の子、不思議な子」「不思議の国のマー君」「今日は悪魔の子かと思ったけど、やっぱり神の子」等と評された。
同期入団の永井怜と仲が良く、車の運転免許を取得する前には楽天の合宿所「泉犬鷲寮」から永井の車に乗せてもらい球場入りする事が多かった。
北京五輪、WBCなどではダルビッシュ有から弟のように可愛がられ、藤川球児が「お前は“マー君”っていうより“まさお”って顔だよな」と発言したことから「まさお」と呼ばれている。第2回WBC優勝時のシャンパンファイトでは松坂大輔、稲葉篤紀、小山良男(ブルペン捕手)、城島健司が胴上げされた後に「まさお!」と呼ばれて胴上げの輪に入ったが、胴上げはされずチームメイトから蹴りを入れられ、松坂から冗談交じりに「若い芽は早いうちに潰しておかないと」と言われ「あ〜ショックだ〜!」と叫び、笑いが生まれた。帰国後の記者会見でも隣に座っていたダルビッシュに半ば強制されたような形で「次回のWBCでは(松坂の背番号でもある)18番を着けられるように頑張ります!」と発言し、笑いを誘った。
1988年生まれのプロ野球選手を集めた「88年会」の発起人であり、前田健太、坂本勇人らとともに子供達を対象にした野球教室などを行っている。
趣味[編集]
ボウリングは平均スコア170、ベストスコアは216(2007年当時)。ただし、球団から“故障防止のためプレーはシーズンオフに限ること”と言い渡されている。球団公式サイトでは釣りも趣味となっており、ゴルフも「趣味以上」と語っている。競馬ファンでもある。
一番好きな食べ物は「デミグラスソースのオムライス」。仙台でナイターに登板する際は、必ず昼食に妻・里田まいの作ったオムライスを食べてから球場入りしていた。一方で苦手な食べ物は冷やしトマト、カキフライ。
アイドルファン[編集]
AKB48グループ、ももいろクローバーZのファンを公言しており、ライブにも複数回足を運んでいる。
AKB48グループに関しては、各地の専用劇場にも足を運んだことがあり、2012年オフには東京・秋葉原のAKB48劇場で推しメン(好きなメンバー)である高橋みなみとの対談も果たした。2011年5月から6月にかけて実施されたAKB48 22ndシングル選抜総選挙に際しては東京スポーツ紙上で予想を披露した。SKE48の松井玲奈にはダンスからパワーをもらったと語っており、松井のツイッターをフォローしたことが話題となった。また、NMB48で好きな曲としてナギイチを挙げている。
ももいろクローバーZに関しては、箱推し(全メンバーが好きな状態)であるとコメントしている。2013年には練習用としてももクロのメンバーカラー5色に染め分けられたグローブを特注し、公式戦においてはクローバーの刺繍がされたものを使用している。また、球団がファンクラブ会員に「選手応援タオル」をプレゼントした際、田中のタオルはももクロのメンバーカラー5色を使用したものであった。球団広報によると「本人の希望でこの配色になった」とのことだった。日本プロ野球新記録の開幕16連勝を達成した試合では、同配色の応援ボードが配布され観客によって掲げられた。なお2012年からは、本拠地公式戦における登場曲にももクロの曲を複数使用しており、2013年にはoverture(ライブで本人登場時に流れるBGM)まで使用した。また、2013年のシーズンオフには『楽天イーグルスファン感謝祭』やテレビ番組等で複数回共演を果たしている。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
2007 | 楽天 | 28 | 28 | 4 | 1 | 0 | 11 | 7 | 0 | 0 | .611 | 800 | 186.1 | 183 | 17 | 68 | 2 | 7 | 196 | 10 | 1 | 83 | 79 | 3.82 | 1.35 |
2008 | 25 | 24 | 5 | 2 | 1 | 9 | 7 | 1 | 0 | .563 | 726 | 172.2 | 171 | 9 | 54 | 3 | 2 | 159 | 6 | 0 | 71 | 67 | 3.49 | 1.30 | |
2009 | 25 | 24 | 6 | 3 | 0 | 15 | 6 | 1 | 0 | .714 | 771 | 189.2 | 170 | 13 | 43 | 0 | 7 | 171 | 3 | 0 | 51 | 49 | 2.33 | 1.12 | |
2010 | 20 | 20 | 8 | 1 | 2 | 11 | 6 | 0 | 0 | .647 | 643 | 155.0 | 159 | 9 | 32 | 1 | 5 | 119 | 1 | 0 | 47 | 43 | 2.50 | 1.23 | |
2011 | 27 | 27 | 14 | 6 | 5 | 19 | 5 | 0 | 0 | .792 | 866 | 226.1 | 171 | 8 | 27 | 0 | 5 | 241 | 7 | 0 | 35 | 32 | 1.27 | 0.87 | |
2012 | 22 | 22 | 8 | 3 | 4 | 10 | 4 | 0 | 0 | .714 | 696 | 173.0 | 160 | 4 | 19 | 0 | 2 | 169 | 4 | 0 | 45 | 36 | 1.87 | 1.03 | |
2013 | 28 | 27 | 8 | 2 | 1 | 24 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 822 | 212.0 | 168 | 6 | 32 | 0 | 3 | 183 | 9 | 0 | 35 | 30 | 1.27 | 0.94 | |
通算:7年 | 175 | 172 | 53 | 18 | 12 | 99 | 35 | 3 | 0 | .739 | 5324 | 1315.0 | 1082 | 66 | 275 | 6 | 31 | 1238 | 40 | 1 | 367 | 336 | 2.30 | 1.11 |
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2014年、ヤンキース
- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の赤太字はNPBにおける歴代最高
タイトル[編集]
- 最多勝利:2回 (2011年、2013年)
- 最優秀防御率:2回 (2011年、2013年)
- 最多奪三振:1回 (2012年)
- 最高勝率:2回(2011年、2013年) ※2011年は最優秀投手として表彰
表彰[編集]
- 最優秀選手:1回(2013年)
- パ・リーグ新人王(2007年)
- 沢村賞:2回(2011年、2013年)
- 正力松太郎賞(特別賞):1回(2013年)
- 最優秀投手:2回(2011年、2013年)
- 月間MVP:12回(2009年4月・8月、2010年5月、2011年6月・7月・10月、2012年6月、2013年5月 ‐ 9月) ※歴代最多
- 最優秀バッテリー賞:2回(2011年、捕手:嶋基宏、2013年、捕手:嶋基宏)
- ベストナイン:2回(2011年、2013年)
- ゴールデングラブ賞:3回(2011年 ‐ 2013年)
- 「ジョージア魂」賞年間大賞:2回(2011年、2013年)
- 「ジョージア魂」賞:3回(2011年度第11回、2012年度第11回、2013年度第9回)
- 「日本生命セ・パ交流戦」「日本生命賞」(2013年)
- クライマックスシリーズファイナルステージMVP(2013年)
- 日本シリーズ優秀選手賞(2013年)
- みんなで選ぶコナミ賞(2013年)
- 宮城県民栄誉賞(2013年)
- コミッショナー特別表彰(2013年)
- 毎日スポーツ人賞グランプリ(2013年)
- 報知プロスポーツ大賞(2013年)
記録[編集]
- 初記録
- 初登板・初先発:2007年3月29日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、1回2/3を6失点
- 初奪三振:同上、1回裏に多村仁から空振り三振
- 初勝利・初完投勝利:2007年4月18日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(フルキャストスタジアム宮城)、9回2失点
- 初完封勝利:2007年6月13日、対中日ドラゴンズ3回戦(フルキャストスタジアム宮城) ※高卒新人史上15人目
- 初セーブ:2008年6月22日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点
- 初打点:2008年5月25日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、6回表に鎌田祐哉から遊撃ゴロの間に記録
- 初安打:2009年6月18日、対広島東洋カープ4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回表に大竹寛から中前安打
- 節目の記録
- 1000投球回数:2012年6月29日、対福岡ソフトバンクホークス9回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、4回表3死目にウィリー・モー・ペーニャを空振り三振で打ち取り達成 ※史上327人目
- 1000奪三振:2012年8月19日、対埼玉西武ライオンズ16回戦(西武ドーム)、5回裏に栗山巧から空振り三振で打ち取り達成 ※史上131人目
- その他記録
- オールスターゲーム出場:6回(2007年 - 2009年、2011年 - 2013年)
- 1試合奪三振:18、2011年8月27日、対福岡ソフトバンクホークス20回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城) ※歴代2位
- 延長戦無四球完封勝利:2012年8月26日、対北海道日本ハムファイターズ21回戦(延長10回 日本製紙クリネックススタジアム宮城) ※パリーグ1971年6月24日高橋直樹(東映)が近鉄戦で記録して以来41年ぶり
- 連続勝利:28(2012年8月26日 - 継続中、2013年シーズン終了現在) ※日本プロ野球記録、ギネス世界記録認定
- 開幕からの連続勝利:24(2013年4月2日 - 2013年10月8日) ※日本プロ野球記録、ギネス世界記録認定
- シーズン連続勝利:24(同上) ※日本プロ野球記録
- シーズン勝率:1.000(2013年) ※日本プロ野球タイ記録(史上4人目、2リーグ制以降間柴茂有以来2人目)
- シーズン無敗での最多勝:(2013年) ※日本プロ野球史上初
- 先発登板機会連続勝利:17(2013年6月9日 - 継続中) ※日本プロ野球記録
- 登板機会連続勝利:15(2013年6月9日 - 2013年9月21日) ※日本プロ野球タイ記録
- シーズン勝利:24(2013年) ※楽天球団記録
- クライマックスシリーズ連続勝利:3(2013年現在)※CSタイ記録
- クライマックスシリーズ連続完投勝利:3(2013年現在、CS初登板から) ※CS記録
- 日本シリーズ球団初勝利:2013年第2戦、対読売ジャイアンツ戦(Kスタ宮城)、9回1失点で完投勝利
- 日本シリーズ毎回奪三振:同上、12奪三振、史上3人目
- ポストシーズンを含めた連勝記録:30 2012年8月26日 - 2013年10月27日(シーズン公式戦28、CS1、日本シリーズ1) ギネス世界記録認定
背番号[編集]
登場曲[編集]
- 「スフィアの羽根」 スキマスイッチ (2007年)
- 「1/6000000000 feat. C&K」 九州男 (2008年)
- 「Are you ready?」 twenty 4-7(2009年)
- 「HANABI」 Mr.Children(2010年)
- 「あとひとつ」 FUNKY MONKEY BABYS(2010年 - 2011年、2012年以降9回登板時のみ)
- 「走れ!」 ももいろクローバー(2012年)
- 「ファースト・ラビット」 AKB48(2012年8月26日)
- 「overture」 ももいろクローバーZ(2013年開幕 - 6月6日)
- 「DNA狂詩曲」 ももいろクローバーZ(2013年6月16日 - )
関連情報[編集]
出演[編集]
テレビ番組[編集]
- 田中将大の一本道 〜熱きアスリートたちの想い〜(2010年1月31日、東北放送) - 上田桃子との対談がメインのドキュメンタリー番組。ナレーションは小西真奈美。
- 第61回NHK紅白歌合戦(2010年12月31日、NHK総合) - 北島三郎とともに白組FUNKY MONKEY BABYSの応援。
- 第62回NHK紅白歌合戦(2011年12月31日、NHK総合) - ゲスト審査員。
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ)
- 2009年12月31日 - 絶対に笑ってはいけないホテルマン24時
- 2010年12月31日 - 絶対に笑ってはいけないスパイ24時
- プロ野球オールスタースポーツフェスティバル(読売テレビ)
CM[編集]
- 大塚製薬「オロナミンC」
- 富士通「FMV」
- 北海道国民健康保険団体連合会(北海道限定)
- 日本赤十字社「2009年はたちの献血」キャンペーン
- ハウス食品「めざめるカラダ朝カレー」(2009年)
- キリンビール「ブランドCM第4弾「親、子。人はつづく。キリンビール」
- アニマックス、2011年8月3日放送開始の『キャプテン』宣伝
- 三ツ矢サイダーオールゼロ
PV[編集]
書籍[編集]
- 田中将大 ヒーローのすべて(北海道新聞社、黒田伸・著、2008年1月、ISBN 978-4-89453-440-7)
- 田中将大 夢への扉を開け! スポーツスーパースター伝(ベースボールマガジン社、2011年3月、ISBN 978-4583103358)
- 田中将大 〜若きエース4年間の成長〜(小学館、TBS『S☆1』田中将大取材班・著、2011年3月、ISBN 978-4093881814)
関連項目[編集]
- 兵庫県出身の人物一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧
- 鷲谷修也 - 高校の同期
- ハンカチ世代
外部リンク[編集]
- MARKUN18.COM -MASAHIRO TANAKA OFFICIAL WEB SITE-
- 個人年度別成績 【田中将大 (東北楽天ゴールデンイーグルス)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- ホリプロオフィシャルサイト内プロフィール
- 田中将大オフィシャルブログ「気持ち」(2010年8月4日 - )
- 田中将大/MASAHIRO TANAKA(@t_masahiro18)- Twitter