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高所得で経済成長が恒常的にある社会では、子供の育成に膨大なコストがかかり、それと親の消費水準とのバランスという合理的選択で子供の数が決まるとされる。高所得で経済成長する社会では、労働者の資本装備率、すなわち労働者一人当たりの機械設備などが高くならなければならない。
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そうなると将来の子供の消費水準を維持・向上させるためには、高度な資本装備を操作・利用できるようにするための教育に、膨大な金銭的および時間的コストがかからざるを得ない。そうなると、現在の親の生活水準を維持する必要から出生率が下がる。
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要するに、子供は数ではなくて質が問題となる。高度な教育を必要としない単純労働と、それを必要とする頭脳労働では付加価値がどんどん開き、賃金水準に大きな格差ができるため、親にとって子供の教育が最重要課題になるからだ。
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統計では、世界各国の一人当たり所得が高いと出生率が低いという逆相関関係は明確であり、一人当たりの経済成長率が高いと、人口増加率が低くなるという緩い逆相関関係も認められる。
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子どもの教育費増大は親にとって負担になるため、夫婦は子供の数を減らし、高学歴化による社会的自立可能年齢上昇は晩婚化につながり、こちらも少子化の原因となる。つまり、社会の発展が少子化をもたらすのであり、先進国の少子化はある程度やむを得ない面がある。
  
 
==各国における少子化の状況==
 
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しかし[[1973年]]をピーク(出生数約209万人、合計特殊出生率 2.14)として、第一次オイルショック後の[[1975年]]には出生率が2を下回り、出生数は200万人を割り込んだ。以降、人口置換水準を回復せず、少子化状態となった。
 
しかし[[1973年]]をピーク(出生数約209万人、合計特殊出生率 2.14)として、第一次オイルショック後の[[1975年]]には出生率が2を下回り、出生数は200万人を割り込んだ。以降、人口置換水準を回復せず、少子化状態となった。
  
その後さらに出生率減少傾向が進み、[[1987年]]には一年間の出生数が[[丙午]]のため出産抑制が生じた[[1966年]](約138万人)の出生数を初めて割り込み、出生数は約135万人であった。[[1989年]]の人口動態統計では合計特殊出生率が1.57となり、1966年の1.58をも下回ったため「'''1.57ショック'''」として社会的関心を集めた。同年、民間調査機関の未来予測研究所は『出生数異常低下の影響と対策』と題する研究報告で2000年の出生数が110万人台に半減すると予想し日本経済が破局的事態に陥ると警告した。一方、[[厚生省]](現・[[厚生労働省]])の将来人口推計は出生率が回復するという予測を出し続けた。[[1992年]]度の国民生活白書で少子化という言葉が使われ、一般に広まった。さらに、[[1995年]]に生産年齢人口(15~64歳)が最高値(8717万人)となり、[[1996年]]より減少過程に入った。
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その後さらに出生率減少傾向が進み、[[1987年]]には一年間の出生数が[[丙午]]のため出産抑制が生じた[[1966年]](約138万人)の出生数を初めて割り込み、出生数は約135万人であった。[[1989年]]の人口動態統計では合計特殊出生率が1.57となり、1966年の1.58をも下回ったため「'''1.57ショック'''」として社会的関心を集めた。この年以降、出生数・合計特殊出生率ともに1966年の水準をも下回る状態が現在に至るまで続いている。同年、民間調査機関の未来予測研究所は『出生数異常低下の影響と対策』と題する研究報告で2000年の出生数が110万人台に半減すると予想し日本経済が破局的事態に陥ると警告した。一方、[[厚生省]](現・[[厚生労働省]])の将来人口推計は出生率が回復するという予測を出し続けた。[[1992年]]度の国民生活白書で少子化という言葉が使われ、一般に広まった。さらに、[[1995年]]に生産年齢人口(15~64歳)が最高値(8717万人)となり、[[1996年]]より減少過程に入った。
  
 
その後も出生率の減少傾向は続き、[[2005年]]には、出生数が約106万人、合計特殊出生率は'''1.26'''と1947年以降の統計史上過去最低となり、総人口の減少も始まった。[[2005年]]には同年の労働力人口は6650万人(ピークは1998年の6793万人)であったが、少子化が続いた場合、2030年には06年と比較して1070万人の労働力が減少すると予想される。
 
その後も出生率の減少傾向は続き、[[2005年]]には、出生数が約106万人、合計特殊出生率は'''1.26'''と1947年以降の統計史上過去最低となり、総人口の減少も始まった。[[2005年]]には同年の労働力人口は6650万人(ピークは1998年の6793万人)であったが、少子化が続いた場合、2030年には06年と比較して1070万人の労働力が減少すると予想される。

2020年1月12日 (日) 21:21時点における最新版

少子化(しょうしか)とは、

  1. 出生数が減少すること
  2. 出生率の水準が特に人口置換水準以下にまで低下すること(故に、単なる出生率の低下とは異なるとされる)
  3. (高齢化の対義語として)子どもの割合が低下すること
  4. 子どもの数が減少すること

を指し、いずれの意味であるかは文脈によるが、混同されている場合も多い。

概説[編集]

長期的に人口が安定的に維持される合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子の数)を人口置換水準(Replacement-level fertility)という。国際連合は先進諸国の人口置換水準を2.1と推計している。人口学において少子化とは、合計特殊出生率が人口置換水準を相当長期間下回っている状況のことをいう。

人口転換[編集]

経済発展生活水準の向上に伴う出生率と死亡率の変化には、多産多死から多産少死、少産少死へ至る傾向があり、人口転換と呼ばれる。

多産少死のとき人口爆発が生じることは古くより知られ、研究が進められてきた。日本では江戸時代前半(約3倍増)と明治以降(約4倍増)の2度、人口爆発が起きた。

かつて少産少死社会は人口安定的と考えられていたが、1970年代に西欧諸国で出生率が急落して以降、将来の人口減少が予測されるようになった。多くの先進諸国では死亡率が下げ止まる一方で出生率の低落が続き、1980年にはハンガリーが人口減少過程に入った。

少子化の原因[編集]

20世紀の前半までは感染症の予防法も治療法も確立されていなかったので、妊産婦死亡率周産期死亡率新生児死亡率乳児死亡率乳幼児死亡率成人死亡率はいずれも著しく高かった。また生活習慣病の予防法も治療法も確立されておらず、臓器の機能不全を代替する人工臓器臓器移植の医療技術も確立されていなかった。そのような社会状況では平均寿命は50歳前後が限界であり、死亡率の高さを補うために健康で妊娠出産能力がある女性は、10代の後半頃から40代頃まで産める限り産むという、多産多死の社会だった。十代の出産高齢出産も21世紀初頭の現在よりも実数で多かったのである。

20世紀の後半になると産業経済の発展、政府の歳入の増大と社会保障支出の増大、科学技術の向上、医学医療技術の向上などがあった結果、感染症の予防法と治療法が確立され、妊産婦死亡率・周産期死亡率・新生児死亡率・乳児死亡率・乳幼児死亡率・成人死亡率はいずれも著しく減少した。そのうえ生活習慣病の予防法や治療法、そして人工臓器や臓器移植の医療技術も確立されたので、平均寿命は著しく上昇し、種の保存の法則から、合計特殊出生率は著しく低下し、多産多死の社会から少産少死の社会に移行した。

20世紀の後半以後、こうした医療技術の確立は、先進国だけでなく開発途上国にも低開発国にも普及した。先進国では大部分の国が合計特殊出生率が2人未満になり、開発途上国でも2人未満の国や2人台が大部分になり、低開発国でも20世紀前半の先進国よりも低くなっている。

子供は数でなく「質」が問題となる[編集]

高所得で経済成長が恒常的にある社会では、子供の育成に膨大なコストがかかり、それと親の消費水準とのバランスという合理的選択で子供の数が決まるとされる。高所得で経済成長する社会では、労働者の資本装備率、すなわち労働者一人当たりの機械設備などが高くならなければならない。

そうなると将来の子供の消費水準を維持・向上させるためには、高度な資本装備を操作・利用できるようにするための教育に、膨大な金銭的および時間的コストがかからざるを得ない。そうなると、現在の親の生活水準を維持する必要から出生率が下がる。

要するに、子供は数ではなくて質が問題となる。高度な教育を必要としない単純労働と、それを必要とする頭脳労働では付加価値がどんどん開き、賃金水準に大きな格差ができるため、親にとって子供の教育が最重要課題になるからだ。

統計では、世界各国の一人当たり所得が高いと出生率が低いという逆相関関係は明確であり、一人当たりの経済成長率が高いと、人口増加率が低くなるという緩い逆相関関係も認められる。

社会が発展してゆくと産業も高度化し、それにに伴って技術やスキルの高い人材が求められるようになるため、高学歴化をもたらし、高学歴化は子どもの教育費の増大と、子どもが成長してから社会的に自立できる年齢を遅らせる効果をもたらす。

子どもの教育費増大は親にとって負担になるため、夫婦は子供の数を減らし、高学歴化による社会的自立可能年齢上昇は晩婚化につながり、こちらも少子化の原因となる。つまり、社会の発展が少子化をもたらすのであり、先進国の少子化はある程度やむを得ない面がある。

各国における少子化の状況[編集]

欧米の先進諸国は世界でもいち早く少子化を経験した地域である。ヨーロッパの人口転換は戦前に終了していたが、アメリカ合衆国では1950年代後半にベビーブームが起きた。

1960年代には欧米は日本より合計特殊出生率が高かったが、1970年代には日本の緩やかな低下とは対照的に急激な低下が起こり、1980年代前半には日本ともほぼ同水準に達した。ただし、欧米では移民を受け入れていたので、これが人口低下には直接通じなかった。

1980年代中頃までは多くの国で出生率は低下し続けたが、1980年代後半からはわずかに反転あるいは横ばいとなる国が増えている。アメリカやスウェーデンなどは1990年に人口置換水準を回復したが、その後再び低下した。多くの国では出生率回復を政策目標とはせず、育児支援などは児童・家族政策として行われている。

南欧では1970年代後半から合計特殊出生率が急低下し、イタリアスペインでは1.1台という超低出生率となった。伝統的価値観が強く、急激に進んだ女性の社会進出と高学歴化に対応できなかったことが原因とみられる。1990年代後半以降、法制度面の改善と規範意識の変革により、出生率の持ち直しが見られる国もある。

東欧・旧ソ連では計画的な人口抑制政策や女性の社会進出が早かったことなどから、もともと出生率が低かった。また1980年代以降、経済停滞や共産主義体制の崩壊などの社会的混乱による死亡率の上昇が生じ、20世紀中に人口減少過程に入った国が多い。

韓国台湾香港シンガポールなどのNIESでは1960年代 - 70年代に出生率が急激に低下し、日本を超える急速な少子化が問題となっている。2003年の各国の出生率は、香港が0.94、台湾が1.24、シンガポールは1.25、韓国は1.18である。家族構成の変化や女性の社会進出(賃金労働者化)、高学歴化による教育費の高騰など日本と同様の原因が指摘されている。

中国タイでも出生率が人口置換水準を下回っている。多くのアジア諸国では出生率が人口置換水準を上回っているものの低下傾向にある国が多い。

アメリカ合衆国[編集]

アメリカ合衆国では、1985年以降出生率が上昇に転じ、1990年以降合計特殊出生率2.0付近で横ばいになっている。これはヒスパニック系国民の出生率が高いためであり(2003年で2.79)、非ヒスパニック系白人やアジア系の出生率は人口置換水準を下回ったままである。

しかし一方で非ヒスパニック系白人の出生率も2000年以降1.85程度と(2003年で1.86)、人口置換水準以下ではあっても日本・欧州や一部のアジア系(日系人など)よりは高い水準にあり、かつ低下傾向ではなく横ばい状態にある点には留意すべきである。

また、かつて非常に高かった黒人の出生率は1970年代以降急激に下降し、白人やアジア系の水準に近づいている(2003年で2.00)。なお、アメリカでは欧州各国のような国が直接的に関与する出産・育児支援制度などはほとんどなく、基本的には民間の企業やNPO、財団法人などが少子化対策に対応しているケースが多い。

フランス[編集]

フランスでは長く出生率は欧州諸国の中で比較的高い位置にあったが、1980年代以降急速に下がり1995年には過去最低の1.65人にまで低下した。その後政府は出生率を人口置換水準である2.07人にまで改善させる事を目標と定め、各種の福祉制度や出産・育児優遇の税制を整備した。

女性の勤労と育児を両立することを可能とする「保育ママ制度」、子供が多いほど課税が低くなる『N分N乗税制』導入や、育児手当を先進国最高の20歳にまで引き上げる施策、各公共交通機関や美術館などでの家族ぐるみの割引システムなどが有名。この結果低下したフランスの出生率は2006年に欧州最高水準の2.01人にまで回復した

むしろ、事実婚一人親家庭などの多様な家族のあり方に対して社会が寛容である事、シングルマザーでも働きながら何人も子供を生み育てることが可能な労働環境と育児支援が法整備されていることが最大の特徴と言える。

イギリス[編集]

イギリスは1960年代後半から出生率が下がり1990年代後半まで1.6人前後で推移していた。トニー・ブレア労働党政権以後、フレキシブル制度の奨励をはじめとする労働環境の改善やサッチャー保守党政権下で発生した公教育崩壊の建て直し(具体的には予算の配分増加・NPOによる教育支援)、外国人の出産無料などが行なわれた。

その結果2000年以降イギリスの出生率は持ち直し、2005年には1.79人にまで回復した。1990年代前半のスウェーデンのように経済的支援だけに目を向けた出生率維持の色が濃厚な短期的少子化解決政策ではなく、父母双方が育児をしやすい労働体系の再構築や景気回復による個人所得の増加を併せた総合的・長期的な出産・育児支援政策の結果として出生率が上がったことは現在国内外でかなり高く評価されている。

スウェーデン[編集]

スウェーデンでは出生率が1980年代に1.6人台にまで低下し、早くに社会問題となった。そこで、女性の社会進出支援や低所得者でも出産・育児がしやすくなるような各種手当の導入が進められた。また婚外子(結婚していないカップルの間に誕生した子供)に嫡出子と法的同等の立場を与える法制度改正も同時進行して行なわれた。

結果1990年代前半にスウェーデンの出生率は2人を超え、先進国最高水準となった。この時期、出生率回復の成功国として多くの先進国がこのスウェーデン・モデルを参考にした。

しかし1990年代後半、社会保障の高コスト化に伴う財政悪化により政府は行財政改革の一環として各種手当の一部廃止や減額、労働時間の長期化を認める政策をとった。結果2000年にはスウェーデンの出生率は1.50人にまで急落した。

その後はイギリスと同様男女共に働きつつ育児をすることが容易になる労働体系の抜本的見直しや更なる公教育の低コストを図り、2005年時点で出生率は1.77人まで再び持ち直した。更に翌2006年には出生率1.85人、出生数10万6000人とおよそ10年ぶりの高水準にそれぞれ回復している。

ドイツ[編集]

ドイツは2005年時点で出生率が1.34人と世界でもかなり低い水準にある。東西分裂時代より旧西ドイツ側では経済の安定や教育の高コスト化などに伴う少子化が進行しており、1990年ごろには既に人口置換水準を東西共に大幅に下回っていた。

その後ドイツ政府は人口維持のため各種教育手当の導入やベビーシッターなど育児産業の公的支援、教育費の大幅増額などを進めた。しかしドイツでは保育所の不足や手当の支給期間の短さ、更に長く続く不況による社会不安などが影響して2000年の1.41人をピークに再び微減傾向にある。出生数も2005年に70万人の大台を割り、今のところ大きな成果は挙げられていない。

ドイツは既に毎年国民の10~15万人前後が自然減の状態にある人口減少社会であり、2005年は約14.4万人の自然減であった。このまま推移すると2050年には総人口が今より1000万人あまり減る事が予想されている。またドイツはヨーロッパ有数の移民大国・外国人労働者受け入れ国家であるが、その移民や外国人労働者の家族も同様に少子化が進んでおり、ドイツにおける移民の存在は出生率にほとんど影響していない。

イタリア[編集]

イタリアは1970年代後半から大幅に出生率が落ち込み、1990年代には既に世界有数の少子国となっていた。イタリアの場合他の国とは少し異なり著しい地域間格差(経済的に豊かで人口の多い北部と人口減少が続き産業の乏しい南部での格差)、出産・育児に関する社会保障制度の不備、女性の社会進出などに伴う核家族化の進行そして根強い伝統的価値観に基づく男女の役割意識の強さなど、かなり個性的な問題が背景にあった。

こうした中でベルルスコーニ政権は出産に際しての一時金(出産ボーナス)の導入や公的教育機関での奨学金受給枠拡大、医療産業への支援を行なった。結果2005年に出生率は1.33人にまで回復したが、依然として出生率そのものは世界的にかなり低い水準に留まっている。

イタリアをはじめとして南欧や東欧では男女の家庭内における役割意識など保守的価値観が強く(婚外子の割合も英米仏、北欧と比べてかなり低い)、行政施策だけでは抜本的な少子化解決につながらないとの見方が有力である。

オランダ[編集]

オランダは1970年代から1980年代にかけて出生率が大きく下がり、1995年には過去最低の1.53に低下した。そこで政府は子育てがしやすい社会の再構築のため、数々の施策を試みた。北欧と同様、法律婚によらなくても家庭を持ち子育てが可能となるような政策が広く知られている。

具体的には『登録パートナー制度』と呼ばれ、養子を取ることや同性同士でも子育てが認められるなど、伝統的なリベラル国家オランダらしい制度が知られている。また世界でもいち早くワークシェアリング同一労働同一賃金制度を取り入れ、パートタイム労働者であってもフルタイム労働者と同等の社会的地位・権利が認められるようになった。これは家計の維持のしやすさや家庭で過ごす時間の増加につながり、ひいては出生率回復の大きな原動力となった。

また、オランダでは国籍に関係なく18歳以下の子供を持つ家庭においては税制上の優遇措置もしくは各種育児手当支給のいずれかを選択できるようになっており、これにより東欧系やインドネシア(旧植民地)系、南米スリナム系はもちろん旧住民(主に白人)の高い出生率が維持されている。2000年以降オランダの出生率は1.73~1.75人で推移しており、欧州諸国の中でも比較的子育てのしやすい国として注目されている。

ロシア[編集]

ロシアではソ連崩壊後、妊娠中絶や離婚の増加で出生率が低下し、他にも社会情勢の混乱による死亡率上昇や他国への移住による人口流出のため、1992年に主要国で最も早く人口減少過程に入った。以降、人口の自然減が続き、ウラジーミル・プーチン大統領は演説で「年間70万人の人口が減っている」と述べた。

ロシアの人口は2001年時点で1億4600万人だったが、2009年現在は1億4200万人となっている。プーチン大統領は「2050年には1億人すれすれになる」と予測していた。他方で資源バブルや欧米資本による工場建設などを背景に経済成長は著しく、国家全体でも1人あたりでもGDPの増大が続いている。

ソ連時代には200万人を超えていた出生数は1999年には121万人に減少した。2000年にプーチン大統領が就任して以降、プーチン大統領による少子化対策が行なわれるようになり2006年には大胆な少子化対策を打ち出した。2007年以降に第二子を出産した母親に、その子が3歳になった日以降に25万ルーブルの使途限定資金を支給することにした。(25万ルーブルの使途は、マイホームの購入・改築、教育、年金積立のいずれかである。)このほかプーチン大統領は、児童手当や産休中の賃金保障額の引上げなども行なった。ウリヤノフスク州知事であるセルゲイ・モロゾフ知事は、2007年以降、9月12日を「家族計画の日」を制定し、「家族計画の日」で受精して9か月後にロシア独立記念日である6月12日に出産した母親に賞品を贈与するという。

これらの対策により1999年には121万人まで減少した出生数は2008年には171万人までに増加し、2003年には79万人でピークを迎えた減少数は2008年には10万人にまで減少して改善した。合計特殊出生率は、1999年に最低の1.17を記録した後上昇し、2009年には1.6となっている。他にも近年は医療水準の向上や経済の再建による社会の安定等により死亡率は低下し、また中央アジア諸国からの移民による社会増数も増加しており、これに伴い1992年以降続いている人口減少は近年は改善傾向にあり人口減少問題に解決の兆しが見えている。

韓国[編集]

韓国は1960年頃6.0人,1970年頃に4.53人だった出生率が、経済発展と同時に急落。1987年に1.53人で最低水準を記録した後 1992年には1.76人を記録して再び下落, 2000年に出生率が上昇して1.47人を記録したが、2001年から下落反転して1.30を記録し, 2002年には1.17人、2003年には1.18人と推移した。はじめは人口急増による失業者増大などを恐れ出産抑制策をとっていた政府も21世紀に入って急激な少子化を抑えるため姿勢を一転させる。具体的には2005年のこども家庭省新設、大統領直属の少子化対策本部立ち上げ、出産支援を目的とした手当導入などが挙げられる。

しかし韓国では他の東アジア先進地域(台湾やシンガポール、香港など)と同様女性の社会進出に伴う晩婚化の進展や未婚女性の増加、そして社会福祉システムが起動不備。加えて韓国の私的教育費はOECD加盟国最高水準という状態で、激しい受験戦争や高学歴化に伴う家庭の負担増加は韓国を更なる少子国に追いやった。

2005年の出生率は1.08人と事実上世界最低水準に落ち込み、現在のところ韓国の少子化対策は不調気味であると言える。加えて韓国では経済成長の蔭り, 1997年 IMF通貨危機その後の雇用不安によって晩婚化や子供のいない家庭が深刻化し、政財界を悩ませている。

2005年度では34万件の人工妊娠中絶があり、これは韓国の新生児の78%にあたる。2009年に大統領府の主宰する会議は出生率低下に対する対応策の一つとして堕胎を取り締まると発表した。 女性団体らはこれに反対している。

中国[編集]

人口抑制政策である1人っ子政策が1979年に開始され、あわせて「晩婚」「晩産」「少生(少なく産む)」「稀(1人目と2人目の時間を開ける)」「優生(優秀な人材を産もう)」の5つのスローガンが掲げられた。この方針が人口ピラミッドの年代別の人口バランスに影響を与え、今後の推移予想から、2050年時点で65歳以上の人口が4億人を越えると見られている。

この政策は、男子を望む家庭が多いことから、男女比:119対100という出生構成比にゆがみを生じさせている。また将来の労働力となると期待される、14歳以下の人口の減少にもつながっている。

総人口の伸びが止まると65歳以上の高齢人口比率が極端に増えるため、「八四二一」問題(八四二一家庭结构老人的赡养问题)と呼ばれる、将来「1人の子どもが、2人の親の面倒を見、4人の祖父母と、8人の曾祖父母も支える」という深刻な社会構造の到来が懸念されている。

今後確実に訪れると考えられる超高齢社会をにらんで出生計画の方針に変更が見られ、現在では1人っ子同士の結婚は二人目を生んでも良いことになっている。

日本の少子化[編集]

日本の出生率低下は戦前から始まっていたが、戦時中の出産先送り現象のため終戦直後の1940年代後半にはベビーブームが起き、出生数は年間約270万人に達した(1947年の合計特殊出生率は4.54)。

しかし1950年代には希望子供数が減少し、人工妊娠中絶(1948年合法化)の急速な普及をバネに出生数は減少し、1961年には、出生数159万人(合計特殊出生率1.96)にまで減少した。

その後、出生数が若干回復傾向を示し、1960年代から1970年代前半にかけて高度成長を背景に出生率は2.13前後で安定する。このとき、合計特殊出生率はほぼ横ばいであったが、出生数は増加し、200万人以上となったため第二次ベビーブームと呼ばれた。

しかし1973年をピーク(出生数約209万人、合計特殊出生率 2.14)として、第一次オイルショック後の1975年には出生率が2を下回り、出生数は200万人を割り込んだ。以降、人口置換水準を回復せず、少子化状態となった。

その後さらに出生率減少傾向が進み、1987年には一年間の出生数が丙午のため出産抑制が生じた1966年(約138万人)の出生数を初めて割り込み、出生数は約135万人であった。1989年の人口動態統計では合計特殊出生率が1.57となり、1966年の1.58をも下回ったため「1.57ショック」として社会的関心を集めた。この年以降、出生数・合計特殊出生率ともに1966年の水準をも下回る状態が現在に至るまで続いている。同年、民間調査機関の未来予測研究所は『出生数異常低下の影響と対策』と題する研究報告で2000年の出生数が110万人台に半減すると予想し日本経済が破局的事態に陥ると警告した。一方、厚生省(現・厚生労働省)の将来人口推計は出生率が回復するという予測を出し続けた。1992年度の国民生活白書で少子化という言葉が使われ、一般に広まった。さらに、1995年に生産年齢人口(15~64歳)が最高値(8717万人)となり、1996年より減少過程に入った。

その後も出生率の減少傾向は続き、2005年には、出生数が約106万人、合計特殊出生率は1.26と1947年以降の統計史上過去最低となり、総人口の減少も始まった。2005年には同年の労働力人口は6650万人(ピークは1998年の6793万人)であったが、少子化が続いた場合、2030年には06年と比較して1070万人の労働力が減少すると予想される。

その後、若干の回復傾向を示し、2010年には出生数が約107万人、合計特殊出生率が1.39となった。なお、2011年の概数値は、出生数が約105万人、合計特殊出生率が1.39であった。

しかし、15歳から49歳までの女性の数が減少しており、そのため、合計特殊出生率が上昇しても出生数はあまり増加せず、2005年に出生数が110万人を切って以降、出生数は110万人を切り続けている。

日本の出生に関するデータの推移
1970 1980 1990 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008
出生数(万人) 193.4 157.7 122.2 119.1 117.1 115.4 112.4 111.1 106.3 109.3 109.0 109.1
出生率(‰) 18.8 13.6 10.0 9.5 9.3 9.2 8.9 8.8 8.4 8.7 8.6 8.7
標準化出生率(‰) 15.26 12.76 10.74 9.51 9.29 9.21 8.99 8.95 8.72 9.06 9.16 9.34
合計特殊出生率 2.13 1.75 1.54 1.36 1.33 1.32 1.29 1.29 1.26 1.32 1.34 1.37
純再生産率 1.00 0.83 0.74 0.65 0.64 0.64 0.62 0.62 0.61 0.64 0.64 0.66

内閣府の「少子化に関する国際意識調査」は、米国、フランス、韓国、スウェーデン、そして日本という5カ国のおよそ1000人の男女を対象として2005年に行った少子化についての意識調査の結果を報告している。これによると、「子供を増やしたくない」と答えた割合は53.1%と、他の4カ国と比較して最も多かった。(他国の増やしたくないと答えた割合はスウェーデン11%、米国12.5%、フランス22.6%、韓国52.5%)。「子供を増やしたい」と答えた割合が最も少ないのも日本であった。子供が欲しいかとの問いについては、いずれの国も9割以上が「欲しい」と回答している。

同調査において示された「子供を増やしたくない理由」は、

  • 子育てや教育にお金が掛かりすぎるから - 韓国68.2%、日本56.3%、米国30.8%
  • 高年齢で生むのが嫌であるから - スウェーデン40.9%、韓国32.2%、日本31.8%

などとなっている。

「少子社会」[編集]

日本政府は平成16年版少子化社会白書において「合計特殊出生率が人口置き換え水準をはるかに下まわり、かつ、子供の数が高齢者人口(65歳以上人口)よりも少なくなった社会」を「少子社会」と定義している。日本は1997年に少子社会となった。日本の人口置換水準は2.08と推計されているが、日本の出生率は1974年以降2.08を下回っており、日本の総人口は2005年に戦後初めて自然減少した。

日本の少子化の原因[編集]

日本における少子化の原因としては、未婚化や晩婚化などに伴う晩産化や無産化が挙げられる。厚生労働省が発表したデータによると、平均初婚年齢は、昭和50年には女性で24.7歳、男性で27.0歳であったが、平成12年には女性で27.0歳、男性で28.8歳と、特に女性を中心に晩婚化が進んでいる。また、初婚者の年齢別分布の推移では、男女とも20歳代後半を山とする逆U字カーブから、より高い年齢に分散化した緩いカーブへと変遷しており、さらに、女性ではカーブが緩やかになるだけでなくピークの年齢も上昇している。

未婚化晩婚化の進展がより強く少子化に影響しているという側面もある。また、結婚した場合も経済的理由により子供が生まれたときの十分な養育費が確保できる見通しがたたないと考え、出産を控える傾向がある。子育てにかかる費用が高いことも要因として指摘されている。国民生活白書によれば子供一人に対し1300万円の養育費がかかると試算している。

EU諸国では高負担・高福祉の社会保障政策が確立していて、妊娠・出産・育児に対する制度的・金銭的な支援が豊富であり、イギリスを除いて、私立学校がなく、義務教育終了以後も、高校・大学・大学院の学費が公費負担されることから、育児に対する親の個人的な金銭負担が軽く、出産を避ける要因にはならないのだが、日本の場合EU諸国と比較して、妊娠・出産・育児に対する制度的・金銭的な支援が貧弱であり、義務教育終了以後の、高校・大学・大学院の学費が親にとって負担が大きく、出産を避ける原因の一つになっていると推測される。

低所得者層の増加による影響[編集]

配偶者および子供がいる者の割合(%)
年収\年齢 20〜24歳 25〜29歳 30〜34歳 35〜39歳
〜99万円 0.7 0.6 10.8 12.8
100〜199万円 2.3 7.9 19.1 30.0
200〜299万円 4.2 11.4 25.2 37.9
300〜499万円 7.8 18.9 37.8 51.1
500〜699万円 8.2 28.9 50.5 62.4
700万円〜 10.3 27.1 52.0 70.7

中小企業庁は「配偶者や子供がいる割合」は概ね所得の高い層に多く、所得が低くなるに従って未婚率が高くなるという傾向があり、低収入フリーターの増加は、結婚率、出生率の低下を招く」と分析している。現実として、30歳代は男性の正規就業者の未婚割合が30.7%であるのに対して、非正規就業者は75.6%となっている。

ただし、戦後一貫して少子化傾向があるのに対し、少なくとも1990年代頃まで一貫して経済成長が続いていた(男性正社員の比率、待遇とも右肩上がりであった)ことに留意すべき'である。少子化の要因は別にあって、少子化が起こったとき、不安定なものに集中することを意味するのみかも知れない。明らかに、仮に因果関係を認めても、若年層の雇用不安定化はせいぜい直近十年程度の説明であって、戦後の全体的な傾向の要因とすることはできない。

女性の高学歴化説[編集]

日本では1947年1949年の3年間(1944年1946年の3年間は戦争激化と戦後の混乱のため統計なし)は、戦地や軍隊から家族の元に戻った男性の妻の出産や、戦地や軍隊から戻った男性と結婚した女性による出産が多いという特殊な社会条件があり、合計特殊出生率は4人台だったが、その後は減少し、第二次世界大戦終結から16年後の1961年には史上最初の1人台の1.96人になった。1963年以降は、丙午である1966年(1.58人)を除いて、1974年まで2人台であったが、、1975年に1.91人と再び1人台を記録して以降2012年まで1人台が継続されている。

合計特殊出生率の算出対象である15~49歳は、1961年では1912年生まれ~1946年生まれであり、1975年では1926年生まれ~1960年生まれであり、女性の大学進学率は1940年生まれでは10%未満、1950年生まれでは10%台後半、1960年生まれでは30%台前半、1970年生まれでは30%台後半であり、全体として戦後女性の高学歴化と少子化は同時に進行しているが、必ずしも因果が証明されてはいない。

年代と少子化[編集]

厚生労働省の人口動態統計によると、1980年以降20代の出生率は低下し、30代の出生率は上昇しているが、全体の出生率は下がり続けている。また、1980年ごろまでは、20代後半で産む割合が5割以上であったが、それ以降減少し、2003年には30代前半よりも低くなり、2009年には、約3割にまで減少している。さらに、30代後半で産む割合が増加傾向であり、2009年には約2割にまで上昇している。1980年以降、未婚率、平均初婚年齢、初産時平均年齢は上昇している。1972年から2002年までの調査では、完結出生児数は2.2人前後と安定した水準を維持しており、合計特殊出生率は低下しても、結婚した女性に限れば産む子供の平均の数は変わらなかったが、2005年の調査から出生児数の低下がみられ、2010年の完結出生児数は1.96人まで低下した。

第12回出生動向基本調査(2002年)によると、結婚持続期間が0~4年の夫婦の平均理想子供数と平均予定子供数は上の世代より減少しており、少子化の加速が懸念される。

合計特殊出生率と完結出生児数の推移
調査年 合計特殊出生率 完結出生児数
1940年 - 4.27
1952年 2.98 3.50
1957年 2.04 3.60
1962年 1.98 2.83
1967年 2.23 2.65
1972年 2.14 2.20
1977年 1.80 2.19
1982年 1.77 2.23
1987年 1.69 2.19
1992年 1.50 2.21
1997年 1.39 2.21
2002年 1.32 2.23
2005年 1.26 2.09
2010年 1.39 1.96

地域特性と少子化[編集]

厚生労働省の1998年から2002年までの人口動態統計によると、市区町村別の合計特殊出生率は渋谷区が最低の 0.75 であり、最高は沖縄県多良間村の 3.14 であった。少子化傾向は都市部に顕著で、2004年7月の「平成15年人口動態統計(概数)」によれば、最も合計特殊出生率が低い東京都は全国で初めて 1.00 を下回った(発表された数字は 0.9987 で、切り上げると1.00となる)。一方、出生率の上位10町村はいずれも島(島嶼部)であった。

首都圏(1都3県)については、20-39歳の女性の約3割が集中しているにもかかわらず、出生率は低く「次の世代の再生産に失敗している」。そのため、「都市圏の出生率が低くても地方から人を集めればいいという安易な発想は、日本全体の少子化を加速させ、経済を縮小させる」との指摘がある。

日本の少子化をめぐる議論[編集]

「社会保障を変えれば少子化のデメリットは克服できる」という楽観論もあるが、このような主張に対して慶應義塾大学駒村康平教授は「世代間の仕送り方式(賦課方式)で医療も介護も年金もやっているわけだから、それをすべて民営化といった形にすることは机上の空論に近い」と指摘している。

他にも日本の人口密度は、世界的に見ても高いので、人口の減少による人口密度の低下は望ましく、都市部の過密解消、地価下落、住環境や自然環境の改善などに寄与する、との意見がある。これに対し、近代の社会システムは労働力と資本の集約を前提としており、都市部への人口集中が続く限り、人口の減少は過疎地の増大と地方都市の荒廃をもたらすだけだ、との反論がある。

また国立社会保障・人口問題研究所の予測(2012年時点)によると、2060年には日本の総人口が約8670万人にまで減少しているが、出生率は1.35と低水準のまま回復しないという状況になっている。

少子化の影響[編集]

少子化には以下のようなデメリットがある。

  • 日本の生産年齢人口は1995年に8717万人となり、以後減少している。女性や高齢者の就労率上昇が続いたにもかかわらず、労働力人口も1998年にピーク(6793万人)を迎え、以後減少傾向にあり、生産年齢人口(15〜64歳)に対する高齢人口(65歳以上)の比率の上昇が年金などの社会保障体制の維持を困難にする。
  • 短期的には子供が大幅に減ることにより、ゲーム、漫画、音楽CDなど若者向けの商品、サービスが売れなくなる。中長期的には人口減少により国内市場(内需)が縮小し、産業全般(特に内需依存の産業)に悪影響を及ぼす。
  • ノーベル経済学賞共同受賞者のマイケル・スペンスは「日本が抜本的な人口減対策をとれなければ、1人当たりのGDPを維持したとしてもGDP全体は大きく減少するという人類史上、まれな現象が起きる」と指摘した。

少子化対策[編集]

日本国外での対策[編集]

スウェーデンでは1980年代後半に出生率が急激に回復したことから少子化対策の成功例と言われ、日本において出産・育児への充実した社会的支援が注目されている。しかし、前述した通り、スウェーデンは高コストであった従来の出生率改善策を放棄しており、より長期的な観点に立ったイギリス式モデルによる改革を行っている。

また、オーストラリアでは1980年代から、日本では1990年代から、家族・子供向け公的支出がGDP比でほぼ毎年増加しているが、いずれも出生率は低落傾向が続いている。

個別の施策と出生率の関係を厳密に定量化することは難しく、高福祉が少子化を改善するか否かは総合的な観察からも明瞭な結論は導かれない。

日本政府の施策[編集]

日本政府は出生力回復を目指す施策を推進する一方、少子高齢化社会に対応した社会保障制度の改正と経済政策の研究に取り組んでいる。 2003年9月22日より少子化対策を担当する国務大臣が置かれている。詳細は内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画担当)内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)を参照。

出生力回復を目指す施策[編集]

1980年代以降、政府・財界では高齢者の増加による社会保障費の増大や、労働人口の減少により社会の活力が低下することへの懸念などから抜本的な対策を講じるべきだとの論議が次第に活発化した。

政府は1995年度から本格的な少子化対策に着手し、育児休業制度の整備、傷病児の看護休暇制度の普及促進、保育所の充実などの子育て支援や、乳幼児や妊婦への保健サービスの強化を進めてきた。しかし政府の対策は十分な効果を上げられず、2002年の合計特殊出生率は 1.29 へ低下し、第二次世界大戦後初めて 1.2 台に落ち込んだ。

出生率低下の主要因は高学歴化・長時間労働・未婚化・晩婚化・企業による派遣制度などの雇用状態の変化による時間外勤務手当等、諸手当のカットや低賃金と言われているが、結婚への政府介入には否定的な声が大きい。また日本では婚姻外で子をもうけることへの抵抗感も根強く、また男女間の給与体系格差が大きいため、女性一人では子供を育てにくい環境にある。そのため少子化対策は主に既婚者を対象とせざるをえない状況にある。また長時間労働は自己の力で解決は難しいため何らかの対策が求められる。

2003年7月23日、超党派の国会議員により少子化社会対策基本法が成立し、9月に施行された。衆議院での審議過程で「女性の自己決定権の考えに逆行する」との批判を受け、前文に「結婚や出産は個人の決定に基づく」の一文が盛り込まれた。基本法は少子化社会に対応する基本理念や国、地方公共団体の責務を明確にした上で、安心して子供を生み、育てることのできる環境を整えるとしている。

2003年、政府は次世代育成支援対策推進法を成立・公布し、出産・育児環境の整備を進めている。

少子高齢化に対応する施策[編集]

1997年、政府は健康保険法を改正、2000年に再改正し、患者負担、高額療養費、保険料率を見直した。少子高齢化は今後も進展するため、厚生労働省では医療制度改革の検討が続いている。

2000年、経済企画庁は「人口減少下の経済に関する研究会」を催し、女性・高齢者の就職率の上昇および生産性の上昇によって少子化のマイナス面を補い、1人あたりでも社会全体でもGDPを増大させ生活を改善していくことは十分に可能、との中間報告を公表した。

2004年、政府は年金制度を改正し、持続可能性の向上、多様な価値観への対応、制度への信頼確保を図った。しかし「現役世代に対する給付水準 50% の維持」の前提となる出生率 1.39 を現実の出生率が下回るなど、国民の不安は払拭されていない。

議論されている対策[編集]

共働き夫婦支援[編集]

少子化の一因として、正社員減少などによる家計の減少による経済的な問題が指摘されている。そのため、共働きで子育てをしやすい環境を構築することが少子化抑止につながる、との意見があり、保育所の拡充、病児保育の拡充、父親の子育て参加支援等の推進が求められている。

選択的夫婦別姓制度導入[編集]

選択的夫婦別姓制度を導入することによって少子化に歯止めをかけることができるという意見がある。婚姻数の増加のためには、独身男女が婚姻に意識を向けるための制度の導入が望まれることから、選択的夫婦別姓制度の導入が望まれる、という意見である。ただし、この制度については、2009年の大手新聞各紙の世論調査などで賛成が反対を上回るケースや、2010年の時事通信による調査などで反対が賛成を上回るケースもあり、また、内閣府が2006年11月に実施した「家族の法制に関する世論調査」(2007年1月27日発表)の結果について日本経済新聞や東京新聞はじめ新聞報道で「賛否拮抗」という評価が目立つなど、制度導入の是非について賛否両論がみられる。

移民受入[編集]

人口減少下において労働人口および消費人口を確保するための施策として、移民を積極的に受け入れることが挙げられる。中川正春は2012年2月23日に報道各社とのインタビューにて、「北欧諸国や米国は移民政策をみんな考えている。そういうものを視野に入れ、国の形を考えていく」と発言し、出生力回復を目指すだけでは人口減少を食い止めることは困難であるとの認識を示した。しかし日本では移民受け入れには反対する人が多く、断固反対だという人が半数近くになったアンケートがある。とくに欧米で移民を積極的に受け入れている諸国でさまざまな衝突や凶悪事件が発生していることを受け、移民受け入れによる文化摩擦、雇用や賃金の問題を懸念する声がある(2005年パリ郊外暴動事件ノルウェー連続テロ事件など)。

婚外子差別撤廃[編集]

婚外子を認めることにより、少子化が抑えられるのではないかという意見がある。実際に婚外子の割合が多いスウェーデンなどでは出生率が高い傾向がある。しかし、日本においては、婚外子への風当たりも厳しく、差別などの問題を心配する人もおり、現状として、欧米諸国と比べると婚外子の割合はかなり低い。

人工中絶[編集]

女性の人工中絶を禁止することが少子化対策になるのではないかという意見がある。しかし、人工中絶を悪しきものとする倫理観が高いカトリック国のイタリアドイツも、人工中絶数が多いロシアも、ともに日本並みに出生率が低く、人工中絶数と少子化の度合いに直接の関連性はみられない。

その他[編集]

「子供がいない女性」の立場からの提言[編集]

出産しない、出来ない女性の立場からは、フェミニストの社会学者、上野千鶴子が『1・57ショック 出生率・気にしているのはだれ?』(1991年)を著し、社会的整備を抜きに女性に対し一方的に子育てを押しつける社会のあり方に疑問を投げかけた。「気にしている」のは、「子供がいない女性」ではなく、政府・財界だと説明したのである。この上野の著作が嚆矢(初め)となって様々な著作が書かれている。

男性の晩婚化[編集]

晩婚化高齢出産につながり、女性の出生能力が減少するという観点から、女性の早期結婚が特に奨励されがちであった。そのため、男性の晩婚化については問題視されていなかった。しかし、近年の欧米の研究では、高齢により男性の精子の質も劣化し、子供ができる可能性が低下し染色体異常が発生しやすくなることなどが報告されている。

歴史が示す少子化問題(古代ローマの事例)[編集]

今に始まったことでは無く、少子化問題は2000年以上の古代ローマ時代にもあったようである。アウグストゥスは紀元前18年に「ユリウス正式婚姻法」を施行した。現代の考え方とは違って既婚女性の福祉を図るというより、結婚していない場合様々な不利益を被らせるというものであった。すなわち女性の場合、独身で子供がいないまま50歳をむかえると遺産の相続権を失う、さらに5万セステルティウス(現在の約700万円)以上の資産を持つことが出来ない、又独身税というのもあって2万セステルティウス(現在の約280万円)以上の資産を持つ独身女性は、年齢に関わらず毎年収入の1パーセントを徴収された。男性の場合にも元老院議員等の要職につく場合既婚者を優遇し、さらに子供の数が多いほうが出世が早い制度を作っていた。それがために中には売春婦と偽装結婚してまで法の目を潜り抜けようとした者もいたという。いずれにしてもこの少子化のいう問題は社会が成熟してくると起きてくる問題だったようではある。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

オンライン記事[編集]

外部リンク[編集]