山田厚史
山田 厚史(やまだ あつし、1948年1月1日 - )は、元朝日新聞社編集委員、デモクラシータイムス代表。反日・反米・親中・親韓の典型的ブサヨである。
朝日新聞・元編集委員「『日本死ね』は日本が死ぬわけじゃないよね?『朝日死ね』は朝日新聞なくなれって事だからダメ」[編集]
元・朝日新聞編集委員の山田厚史が、2017年11月、みのもんたの「よるバズ」で信じられない発言をした。
山田厚史「朝日新聞は偏ってないと思う」
話は加計学園の獣医学部新設について。山田厚史氏は日本政府の対応に問題があるという見解を示し、批判する。
山田厚史「だからね(政府が)もっと情報公開してね、審議をやればいいんですよ」
中村彩「そしたらマスコミにもっと頑張ってもらわないと。偏った報道はよくないと思います」
山田厚史「別に偏ってないと思う」
中村彩「えええ!?(笑)」
吉木誉絵「それはね!私は、朝日新聞さんはちょっと偏ってると思いますよ」
朝日新聞を辞めてもなおここまで思想がいかれているのかと驚かされた。その場で出演者が吹き出して笑ったのに、山田厚史はなぜ自分が笑われたのか理解していない。もはや手遅れの末期症状。どうしようもない。
友利新「民主党が政権をとったときは鳩山、菅一強でトップダウンの政治を目指すと言ったのに、政権が変わって安倍一強になったら何で怒っているのかな?って」
足立康史(満面の笑みで拍手)
小西洋之「いや、我々は反対ばかりでなく賛成もしている。安倍政権は憲法違反をしたから…」
足立康史議員の「朝日新聞死ね」発言について
山田厚史「国会議員なのにそんな表現しかできないなんて悲しい」
吉木誉絵「ではお尋ねしたいんですけど、山尾志桜里議員の『(保育園落ちた)日本死ね』はどう思いますか?」
山田厚史「『日本死ね』は日本が死ぬわけじゃないですよね?『朝日新聞死ね』は朝日新聞なくなれってことで違う」
要するに自分の好き嫌いが先にあり、後から理屈をつけているポジショントーク。「朝日新聞死ね」も朝日新聞が死ぬわけではない。
人物・経歴[編集]
同志社大学法学部政治学科卒業後、毎日放送制作局ディレクターを経て、1971年12月朝日新聞社入社。
青森支局、千葉支局を経て、東京経済部に異動。大蔵省、外務省、日本銀行、自動車業界、金融業界などを担当する。その後ロンドン特派員として欧州経済を担当したのち、大阪経済部次長。1993年4月から経済部編集委員で「国際経済と金融」担当に。同年9月にはハーバード大学ニーマンフェロー。1996年4月、経済担当の特別編集委員となる。2000年8月にはバンコク特派員(アジア経済担当)。2003年4月、東京経済部兼AERA編集局。2005年4月には朝日新聞編集委員(経済担当)となる。2008年1月より、朝日新聞シニアライター。
1996年からテレビ朝日コメンテーターとして『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ』などテレビへの出演を開始する。1997年4月に政策NPO「構想日本」運営委員に就任。2007年よりイー・ウーマンのサーベイ・キャスター。
2013年4月に株式会社インターネット・ニュース・ジャパンを設立し、同社代表となる。同社はデモクラTVという名で会員向けに時事問題の解説や、討論番組の配信を行っている。
2017年4月からインエターネットメディア デモクラシータイムスにて「山田厚史の闇と死角」などの番組を担当。
2017年の第48回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で千葉5区より立候補するも落選。
政策[編集]
- 2017年の朝日新聞によるアンケートにおいて、選択的夫婦別姓制度導入に賛成、としている。
捏造[編集]
2007年3月25日放送の『サンデープロジェクト』の中で、「安倍晋三首相(当時)の公設秘書らが日興コーディアル証券の上場維持に関与した」と受け取れる発言をした。これに対して公設秘書らから、謝罪広告の掲載と損害賠償を求める裁判を起こされた。
2008年2月21日、東京地裁において、山田が「発言中に、原告らが誤解するような表現があったとすれば」との条件付の遺憾の意を表し、原告側が賠償請求権、謝罪要求、朝日新聞社の使用者責任を含む一切の請求権を放棄するという形で和解し、裁判は終了した。
山田は、和解における「遺憾」表明について、訴訟支援者に対し「私は秘書が何かしたと言っていない。上場廃止という重大なことは議員秘書が差配できるような軽い案件ではない。しかし原告が『秘書らによって上場廃止が妨げられた、との印象を与える』と主張するので『そのように誤解されたとしたら残念なことだ』という意味で述べた。