賀茂別雷神社
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
目次
概要[編集]
賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。また、社報「上賀茂」が年2回発行されている。
祭神[編集]
- 賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)
- 賀茂氏の祖神。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
歴史[編集]
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。
延暦13年(794年)の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」として名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められた。
境内[編集]
- 渉渓園 - 曲水宴が催される庭園
摂末社[編集]
摂社[編集]
- 片山御子神社
- 祭神:玉依比売命
- 式内社(大)「愛宕郡 片山御子神社」。第一摂社
- 新宮神社
- 祭神:高龗神
- 大田神社
- 祭神:天鈿女命
- 式内社「愛宕郡 太田神社」。境外摂社で、第三摂社
- 若宮神社
- 祭神:若宮神
- 奈良神社
- 祭神:奈良刀自神
- 賀茂山口神社
- 祭神:御歳神
- 式内社「愛宕郡 賀茂山口神社」。第五摂社(明治10年まで第七摂社)
- 久我神社
- 祭神:賀茂建角身命
- 式内社「愛宕郡 久我神社」。境外摂社で、第六摂社(明治10年まで第八摂社)
- 須波神社
- 祭神:阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神
- 式内社「愛宕郡 須波神社」
末社[編集]
- 棚尾社 - 祭神:櫛石窓神・豊石窓神
- 川尾社 - 祭神:罔象女神
- 橋本社 - 祭神:衣通姫神
- 岩本社 - 祭神:底筒男神・中筒男神・表筒男神
- 山尾社 - 祭神:大山津見神
- 土師尾社 - 祭神:建玉依比古命
- 杉尾社 - 祭神:杉尾神
- 山森社 - 祭神:素盞嗚神・稲田姫命・田心姫命
- 梶田社 - 祭神:瀬織津姫神
- 白鬚社 - 祭神:猿田彦神
- 百大夫社 - 祭神:船玉神
- 鎮守社 - 祭神:大国主神・少彦名神
- 福徳社 - 祭神:福徳神
- 藤木社 - 祭神:瀬織津姫神
- 小森社 - 祭神:水分神
- 半木社 - 祭神:天太玉命
主な祭事[編集]
文化財[編集]
国宝[編集]
建造物
- 本殿 - 1863年建造
- 権殿 - 1863年建造
重要文化財(国指定)[編集]
建造物
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美術工芸品
- 賀茂神主経久記
- 賀茂別雷神社文書 13,639通
- 賀茂祢宜神主系図(凡例並目録共) - (財)賀茂県主同族会所有
天然記念物(国指定)[編集]
- 大田ノ沢かきつばた群落
史跡(国指定)[編集]
- 賀茂別雷神社境内
その他[編集]
現地情報[編集]
- 所在地
- 交通アクセス
鉄道
バス
車
- 駐車場:有り
参考文献[編集]
関連項目[編集]
- 神社
- その他