國粹会
五代目國粹会(こくすいかい)は、東京都台東区千束に本拠を置く日本の博徒系暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体。
目次
歴史[編集]
大日本国粋会[編集]
大正8年(1919年)11月、河合徳三郎、梅津勘兵衛、倉持直吉、青山広吉、篠信太郎、西村伊三郎、中安信三郎が中心となり、原敬内閣の内務大臣(略称は内相)・床次竹二郎(政友会)を世話役に、右翼の頭山満を顧問に迎えて、結成された。大日本国粋会は、土建業者を含む博徒の全国的な右翼団体だった。超党派的純国家主義思想団体として、また、伝統の侠客道を根本信条として行動することを原則とした。創立当時、総裁は伯爵大木遠吉、会長は野村常右衛門、理事長は中安信三郎が務め、会員数60万と称した。
大正10年(1921年)1月[1]、河合徳三郎は、大日本国粋会を脱会し、民政党の後ろ盾のもとに、大和民労会を結成した。大和民労会の結成式は、浅草伝法院で行われ、約5000人が集まった。大和民労会の中心メンバーは、土建業系博徒の関根賢(後の関根組組長)、高橋組(後の指定暴力団住吉会住吉一家浅草高橋組)高橋金次郎組長、城迫正一(後の小千鳥組組長)だった。それぞれが、浅草、吉原、向島、下谷を地盤としていた。
大正11年(1922年)12月30日、大日本国粋会の田甫一家(後の指定暴力団六代目山口組國粹会田甫一家)の青沼辰三郎(後の田甫一家五代目)は、浅草区千束町で、年忘れの賭場を開帳した。大和民労会の高橋組の木村は、青沼辰三郎の賭場に乗り込み、青沼を罵倒した。青沼辰三郎たちは、木村を賭場の外に連れ出し、暴行を加えた。これを切っ掛けに大和民労会と大日本国粋会の抗争事件が勃発した。大正14年(1925年)3月、大和民労会と大日本国粋会は、抗争事件を起こし、両者合わせて160人が検挙された。
昭和2年1927年10月5日、総本部を東京市麹町区(現、千代田区)下二番町に移した。
昭和4年(1929年)、鈴木喜三郎が総裁となり、野村会長の没後は高橋光威が会長に推されたが、中安理事長が会長となった。関東大震災時には総本部を京都に移し、関東本部と対立する内紛となった。
日本国粋会初代[編集]
昭和33年(1958年)7月3日、生井一家・森田政治総長、落合一家・高橋岩太郎総長らが結成した。同日、品川プリンスホテルで、生井一家、幸平一家、田甫一家、小金井一家、佃政一家、落合一家、信州斉藤一家、金町一家、伊勢紙谷一家、義人党や佐郷屋嘉昭、松本良勝、辻宣夫、防衛庁政務次官ら400余名が出席し、「日本国粋会創立記念式典」が行われた。
日本国粋会二代目[編集]
1960年代に前川一家・荻島峯五郎(全愛会議の重鎮)らを中心に連合体として日本国粋会を再結成した。日本国粋会三代目[編集]
日本国粋会四代目[編集]
平成3年(1991年) 金町一家七代目総長・工藤和義が四代目会長に就任したのに伴い、日本国粋会から國粹会に改称した。平成17年(2005年)9月 関東二十日会を脱退。工藤会長は六代目山口組最高顧問となった。
國粹会五代目[編集]
平成19年(2007年)4月19日、長野県諏訪市の信州斉藤一家本部事務所で、信州斎藤一家・藤井英治総長の五代目国粋会の継承式が行われた。
歴代会長[編集]
- 初代〔日本国粋会会長〕:森田政治(生井一家八代目総長)
- 二代目〔日本国粋会会長〕:山田政雄(斉藤一家六代目総長)
- 三代目〔日本国粋会会長〕:木村清吉(吉田川一家三代目総長)
- 四代目(1991年~2007年)〔國粹会会長〕:工藤和義(六代目山口組最高顧問、金町一家七代目総長)
- 五代目(2007年~)〔五代目國粹会会長〕:藤井英治(六代目山口組若中、信州斉藤一家六代目総長)
五代目國粹会[編集]
- 会長 - 藤井英治[2]
- 若頭 - 佐藤光男(九代目落合一家総長)
- 舎弟頭 - 浜口隆博(十三代目生井一家総長)
- 本部長 - 橋本龍雄(七代目古河生井一家総長)
- 最高顧問 - 椛沢義臣(九代目落合一家)
- 最高顧問 - 志和武(八代目金町一家)
- 筆頭会長補佐 - 杉本 潔(十代目前川一家総長、東京都台東区)
- 会長補佐 - 星野良次(十四代目寺谷一家総長、埼玉県行田市)
- 会長補佐 - 保科 努(保科興業組長、東京都)
- 会長補佐 - 村上 裕(六代目吉田川一家総長、山梨県富士吉田市)
- 会長補佐 - 片倉正博(八代目田甫一家総長、東京都台東区)
- 会長補佐 - 小嶋年記(八代目信州斉藤一家総長)
- 本部事務局長 - 西戸昂主(八代目金町一家総長、東京都台東区)
- 舎弟頭補佐 - 井上三津義(井上会会長)
- 舎弟頭補佐 - 近藤大恵(徳心会会長)
- 舎弟頭補佐 - 栗原 忠(七代目古河生井一家)
- 舎弟 - 細野文仁(十三代目生井一家)
- 舎弟 - 圷 泰昭(十四代目寺谷一家)
- 舎弟 - 奥田輝夫(七代目古河生井一家)
- 若頭補佐 - 秋山 薫(七代目古河生井一家)
- 若頭補佐 - 大橋登美雄(十三代目生井一家)
- 若頭補佐 - 能登典明(十代目前川一家)
- 本部長補佐 - 水野城和(九代目落合一家)
- 本部長補佐 - 石川恵資(八代目信州斉藤一家)
- 本部長補佐 - 池田一美(十三代目生井一家)
- 会長秘書室長 - 山本義治(七代目古河生井一家)
- 会長秘書 - 細川栄光(十代目前川一家)
- 会長秘書 - 後藤和広(八代目信州斉藤一家)
- 本部事務局長補佐 - 近藤雅仁(八代目金町一家)
- 若中 - 圷 隆一(八代目金町一家)
- 若中 - 滝川正義(十代目前川一家)
- 若中 - 山崎信行(八代目金町一家)
- 若中 - 館野正二(八代目金町一家)
- 若中 - 渡辺友治(十四代目寺谷一家)
- 若中 - 山澤徳浩(十三代目生井一家)
- 若中 - 渡辺佐重(六代目吉田川一家)
- 若中 - 関 忠(七代目古河生井一家)
- 若中 - 近野龍光(九代目落合一家)
- 若中 - 梅木康明(十三代目生井一家)
- 若中 - 久保田光鶴(八代目信州斉藤一家)
- 若中 - 鈴木博行(六代目吉田川一家)
- 若中 - 佐藤 進(九代目落合一家)
- 若中 - 大井敏廣(九代目落合一家)
- 若中 - 渡辺忠義(六代目吉田川一家)
- 若中 - 垣内健治(八代目信州斉藤一家)
- 若中 - 柏木長治(七代目古河生井一家)
- 若中 - 菅野健一(七代目古河生井一家)
- 若中 - 春日藤大(八代目金町一家)
- 若中 - 村上 剛(六代目吉田川一家)
- 若中 - 柏木一義(六代目吉田川一家)
- 若中 - 上村 彰(保科興業)
- 若中 - 奥山光雄(保科興業)
- 若中 - 今井純治(八代目信州斉藤一家)
落合一家[編集]
落合一家は、國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。東京都渋谷区に本拠を置く博徒系暴力団。
落合一家の略歴[編集]
初代落合一家[編集]
落合円次郎(通称は広尾の円次)が家名を立てた[3]。縄張りは、渋谷を中心に、目黒、世田谷、芝、麻布、赤坂だった[3]。六代目落合一家[編集]
昭和26年(1951年)、高橋岩太郎が六代目落合一家を継承した[4]。落合一家の歴代総長[3][編集]
金町一家[編集]
金町一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。
古河生井一家[編集]
古河生井一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。
信州斉藤一家[編集]
七代目信州斉藤一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。長野県諏訪市に本拠を置く日本の博徒系暴力団[5]
信州斉藤一家の略歴[編集]
六代目信州斎藤一家[編集]
平成2年(1990年)11月、藤井英治が信州斎藤一家六代目総長になった。取持人は、日本国粋会本部長・工藤和義(後の四代目國粹会会長)だった[5]信州斉藤一家の歴代総長[編集]
寺谷一家[編集]
寺谷一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。
生井一家[編集]
生井一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。
前川一家[編集]
前川一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。
吉田川一家[編集]
吉田川一家は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。
田甫一家[編集]
七代目田甫一家(たんぼいっか)は、五代目國粹会の下部団体で、指定暴力団・六代目山口組の3次団体。東京都台東区浅草に本拠を置く日本の博徒系暴力団。
田甫一家の略歴[編集]
大正11年(1922年)12月30日、大日本国粋会の田甫一家(後の指定暴力団六代目山口組國粹会田甫一家)の青沼辰三郎(後の田甫一家五代目)は、浅草区千束町で、年忘れの賭場を開帳した。大和民労会の高橋組の木村は、青沼辰三郎の賭場に乗り込み、青沼を罵倒した。青沼辰三郎たちは、木村を賭場の外に連れ出し、暴行を加えた。これを切っ掛けに大和民労会と大日本国粋会の抗争事件が勃発した。田甫一家の歴代総長[編集]
脚注[編集]
- ↑ 出典は、山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9のP.50
- ↑ 出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.10
- ↑ 3.0 3.1 3.2 山平2004、p30
- ↑ 山平2004、p159
- ↑ 5.0 5.1 出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.84
- ↑ 出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.83~P.84
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 山平重樹『一徹ヤクザ伝・高橋岩太郎』 幻冬舎〈幻冬舎アウトロー文庫〉、2004年。ISBN 4-344-40596-X。
- 山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』 幻冬舎〈幻冬舎アウトロー文庫〉、2003年。ISBN 4-344-40476-9。
- 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』 大和書房〈だいわ文庫〉、2006年。ISBN 4-479-30027-9。
- 「愛国団体一覧表」出版地・出版者・出版年未記載。ガリ版。90頁。24cm。オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵
- 猪野健治「親分とその時代 『独眼竜の政』の昭和維新 第二十回 生井一家八代目総長 森田政治」 『実話時代』2004年9月号(第20巻第9号通巻230号)、メディアボーイ、2004年、pp.32-37。
- 猪野健治「いま、あらためて問う 『山口組』とは何ぞや 四万人体制の進化を探る 短期集中連載(5)」 『実話時代』2006年5月号(第22巻第5号通巻250号)、メディアボーイ、2006年、pp.88-92。
- 「衆議院会議録情報 第046回国会 法務委員会 第30号」(1964年4月24日) 国立国会図書館〈国会会議録検索システム〉。
- 「衆議院会議録情報 第077回国会 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第22号」(1976年8月12日) 国立国会図書館〈国会会議録検索システム〉。
- 溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社、2000年、ISBN 4-06-256445-9
- 『実話時報』2008年12月号(竹書房)
- 『週刊実話』2009年3月5日号