城石憲之

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城石 憲之(しろいし のりゆき、1973年4月17日 - )は、埼玉県さいたま市大宮区出身の元プロ野球選手内野手)。現在は東京ヤクルトスワローズ一軍守備走塁コーチ。

夫人はテレビ東京アナウンサー大橋未歩。元フリーターという異色の経歴を持つ。2005年から2008年までのヤクルト選手会長。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

最初はサッカーをしていたが、リフティングが上手く出来ないためソフトボールに転向、中学時代は軟式野球部に所属していた。春日部共栄中学高等学校に進学後、野球部に所属して主将も務める。3番(または6番)・遊撃手で選抜高等学校野球大会に出場、夏の埼玉県大会決勝では門倉健を擁する聖望学園高等学校を破って全国高等学校野球選手権大会に出場する。選抜大会で1勝したほか、高校通算7本塁打を放つ。卒業後は青山学院大学に進学(同級生に坪井智哉がいた)するも、1週間で中途退学してしまった。

大学中退後、ガソリンスタンド従業員として生活していたが、ヤクルトスワローズの入団試験が行われることを知ると受験を希望する。結果は不合格となるが、次に受験した日本ハムファイターズの入団試験を受験して合格し、1994年のドラフト5位でに入団。

プロ入り後[編集]

日本ハム時代[編集]

1997年はフレッシュオールスターゲームに出場したほか、球団史上初のファーム日本選手権制覇に貢献した。1998年のパ・リーグ開幕前日に野口寿浩との交換トレードで移籍が発表されたが、移籍先は奇しくも城石がプロ入り前に入団試験を受験して不合格となったヤクルトスワローズだった。このトレードは、プロ野球脱税事件で出場停止処分を受けた宮本慎也に代わる遊撃手を探していたヤクルトが獲得の意思を表明したためとされる。

ヤクルト時代[編集]

宮本復帰後は主に二塁手として活躍。1999年4月2日の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で、土橋勝征の故障によって8番・二塁手で初の開幕戦先発出場を果たす。

2002年に2度目の開幕戦先発出場(二塁手)を掴むも、4月28日に左肘を脱臼し、長期離脱を余儀なくされる(この脱臼の後遺症で、左肘は現在も真っ直ぐ伸ばせない)。しかし、この年は自己最高となる8本塁打を記録した。2005年は土橋から二塁手のレギュラーを奪って自己最多の130試合に出場し、打率.256・92安打・2本塁打とまずまずの成績を残した。シーズン終了後、ヤクルトスワローズの選手会長に就任。

2007年は腰痛により開幕二軍スタート。4月25日に昇格すると本塁打を放つなど好調だったが、直後に帯状疱疹により医師から絶対安静を指示されるなど、不運が続いた。2008年は田中浩康の台頭や、移籍してきた川島慶三が頭角を現したこともあり出場が激減、前半戦は主に畠山和洋の守備固めで出場した。後半戦は腰痛で離脱、打率.048に終わるなど苦しんだ。

2009年は腰痛に苦しみながらも、二軍で打率3割以上を記録。しかし、2002年に左肘を脱臼したのに続いて右肘痛も重なったことから身体の限界を感じ、同年10月2日に現役引退を表明した。10月12日の対読売ジャイアンツ戦(明治神宮野球場)では1点を追う8回に代打で出場、越智大祐から左中間を抜ける二塁打を放ってチームの逆転勝利に貢献、試合後に花田真人と共に引退セレモニーが行われた。10月28日、翌年から一軍守備走塁コーチに就任することが発表された。

2011年9月、現役時代からの腰痛の原因である椎間板ヘルニアの手術を受けた(本来はシーズン終了後に手術を受ける予定だったが、ノックなどにも支障が出るため手術したとのこと(週刊ベースボール10月24日号より))。9月28日から休養していたが、10月7日に復帰した(休養中は土橋勝征二軍内野守備走塁コーチが代役を務めた)。

プレースタイル[編集]

三振が多く確実性で劣るが、2002年~2007年まで毎年本塁打を放つなど意外性のある打撃を見せた。

打力で勝る宮本や土橋、土橋引退後は田中浩康とポジションを争うことになりレギュラーの座は掴めなかった。しかし二塁手・三塁手・遊撃手をこなせるユーティリティーで堅実な守備力は一定の評価を得ており、2005年から3年連続でこの3ポジション全てで起用された。

2008年3月29日の対読売ジャイアンツ戦ではプロ入り後初めて一塁手の守備にも就いた。また同年、一軍の捕手が2人体制であることを受け、緊急時のために捕手としての守備練習も行っていた(球団公式サイトのフォトギャラリーより)。守備固め・緊急時の代役としては存在感を示した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1995 日本ハム 2 3 3 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .667 .667 .667 1.333
1996 3 5 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .200 .200 .200 .400
1997 4 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1998 ヤクルト 44 50 45 3 13 1 0 2 20 4 1 1 2 0 3 0 0 11 0 .289 .333 .444 .778
1999 86 103 93 7 13 4 0 0 17 5 2 1 3 0 5 2 2 29 3 .140 .200 .183 .383
2000 8 16 14 3 3 1 0 0 4 2 0 0 1 0 1 0 0 6 0 .214 .267 .286 .552
2001 31 38 36 4 9 3 0 0 12 0 0 0 1 0 1 0 0 10 0 .250 .270 .333 .604
2002 80 253 230 26 57 11 0 8 92 28 1 1 7 2 14 1 0 53 3 .248 .289 .400 .689
2003 117 280 245 33 64 14 0 5 93 28 1 2 7 2 23 3 3 41 7 .261 .330 .380 .709
2004 119 341 315 29 67 7 0 4 86 22 2 3 7 1 15 1 3 58 14 .213 .254 .273 .528
2005 130 389 359 25 92 18 1 2 118 30 2 2 10 0 19 1 1 66 9 .256 .296 .329 .624
2006 70 153 130 12 30 2 0 2 38 5 1 0 6 0 17 3 0 31 4 .231 .320 .292 .612
2007 81 116 109 9 23 4 0 2 33 9 0 0 3 0 3 0 1 22 2 .211 .239 .303 .542
2008 41 26 21 0 1 1 0 0 2 0 0 0 5 0 0 0 0 6 1 .048 .048 .095 .143
2009 1 1 1 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 2.000 3.000
通算:15年 817 1775 1607 154 376 67 1 25 520 133 10 10 52 5 101 11 10 336 43 .234 .283 .324 .606

記録[編集]

背番号[編集]

  • 54 (1995年 - 1997年)
  • 28 (1998年 - 2000年)
  • 00 (2001年)
  • 10 (2002年 - 2009年)
  • 87 (2010年 - )

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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