死刑存廃問題

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テンプレート:POV テンプレート:一部転記 死刑存廃問題(しけいそんぱいもんだい)とは、死刑制度の是非に関する問題、議論を指す。死刑制度を維持している国では刑罰の一つとして死刑を存在又は廃止させることが適切かどうかをめぐる問題であり、死刑が廃止されている場合は死刑復活問題となる。

概略

死刑は、人間がある程度の規模の集団となり規則で秩序を形成するようになって生まれた。規則を守らなかった事への刑罰の他に、規則を破った場合こうなるという抑止効果と、権力者への反逆は、悲惨な死に至るという威嚇もあった。有史以前からあったこの制度は、最も古典的な刑罰のひとつである。

死刑廃止論者は犯罪者にも人権はあり、また死刑そのもの自体残虐な刑である・死刑は国家による殺人に他ならない、などを根拠に廃止すべきという。逆に死刑賛成派は、犯罪への抑止効果・被害者の人権の報復などを根拠に死刑を維持・復活すべきとする。また、罰金懲役および死刑などの刑罰としての人権の侵害は、法制度の基盤であり、犯罪者の人権は廃止の根拠にならないと主張される。

死刑の犯罪抑止効果について、統計的に抑止効果があるとする論文はいくつか発表されているが、その分析の正当性には大いに批判が存在する。その後に行われた統計分析では、死刑およびその代替として主張されている終身刑および無期懲役の明確な抑止効果に関する結論は出ていない。死刑および終身刑にあたる凶悪犯罪が近代国家では少なくないこと、さらに統計では因果関係を明示することができないことから、統計的に結論が出るのは難しいのが現状である。

死刑の問題は、「人を殺す」という人間の原初的な強い忌避感情に関わるためか、古くから議論されてきた。キリスト教では、ローマ国教になる以前にもその正当性は議論されていたが、トマス・アクィナスが報復論を否定する一方で、予防論によって死刑の正当性を位置づけたことで教義上の結論を見る。近代になると、19世紀末から20世紀にかけて、より革新的な世俗思想に添う形でシュライエルマッハーカール・バルトらが改めて死刑廃止を主張し始めることになる。

近代における死刑賛成論の系譜は、自然権と社会契約論を唱えたホッブスロックカントなどの啓蒙主義時代の思想家が、世俗的理論のもとに社会秩序の維持および自然権(生命権)の侵害に対する報復などによって、死刑の必要性を再定義したことから始まる。一方、死刑廃止論の系譜は、トマス・モアの著作『ユートピア』(1516年)から始まる。その後、ルソーの影響を受けたイタリアの啓蒙思想家チェーザレ・ベッカリーアが死刑の廃止を本格的に主張した。彼の著作『犯罪と刑罰』(1764年)は、翻訳され瞬く間にヨーロッパ中に広まり、多大な影響を与えた。ベッカリーアの思想を最初に実現したのは、トスカーナ地方の専制君主レオポルド一世である。彼は1765年より死刑の執行を停止し、1786年には完全には死刑を廃止した。ベッカリーアの他にも、この時代にはディドロー『自然の法典』(1755年)、ゾンネンフェルス(1764年、論文において)、トマソ・ナタレ『刑罰の効果及び必要に関する政策的研究』(1759年執筆、1772年公刊)等が死刑の廃止を主張している。その後、フランスではフランス革命が起こり、死刑が廃止するかに思われたが、ナポレオン・ボナパルトによって退けられた。

18世紀末~19世紀にかけて、応報刑では犯罪を抑止することができないという考えから、ドイツではフランツ・フォン・リストとその弟子達が、目的刑という新しい刑法の体系を生み出し、それが近代学派新派)となった。応報刑の旧派と目的刑の新派の対立は現代まで続いているが、目的刑を取る刑法学者は基本的に死刑廃止を主張している。

歴史に見る死刑廃止

日本では、平安時代仏教思想や穢れ思想の影響から、嵯峨天皇の勅令(弘仁の格・818年)により平家政権の成立まで死刑が停止されていた時代がある。この時代、中央政界では政変がしばしば起きたものの、武力が用いられることはなく、政争の敗者は寛刑により死一等を免れ、後に政権復帰することも可能であった。

中世自力救済の時代であり、殺人に対しては、報復殺人のほか加害者代理人を殺害したり、加害者宅を破壊する場合や金品で代行する場合などさまざまであった。現代日本の死刑存廃論で引き合いに出される仇討ちは、近世で武士階級にのみ例外的に認められたもので、自力救済の名残といえる。

なお、江戸時代における死刑制度は、火付け(放火)は火あぶりの刑、10両(現代の価値に換算して150-200万円前後)以上の窃盗は死罪(「十両盗めば首が飛ぶ」)となっていた。抑止効果よりは、むしろ「真っ当な人」に損したような気にさせない配慮としての厳罰という態度が見て取れると同時に、刑罰の威嚇により幕府の権威を高めようとする目的があった。刑場までの道行きには、下層刑務官僚に幟や刑具を持たせて仰々しく行進させ、莫大な経費を要したという。罪刑法定のために大岡忠相が編纂した法典『公事方御定書』は、本来、町奉行のほかに披見が許されず、その秘密主義でいっそう恐怖感を煽る効果が期待されていた。

近現代においては、民主主義という新しく出現した形態の社会を運営するために必要な、各種の要素の発見・解明・構築等が行われ、死刑の問題もそういう要素の一つ(「人権」と総称されるようである)との関係において説明されるようになった。(刑事司法的な)制限が弱すぎると社会が混乱し、強すぎても人々の各種権利が圧迫され、結局は社会全体が危険に陥るため、制限と人々の権利のトレードオフにおいて最適な点を探求する作業は今日でも続けられている。特に、未曾有の戦禍を生んだ第二次世界大戦以降、人々の権利が社会的制限に対して弱く設定されていたことが戦争の一原因となったことが指摘され、人々の権利の側に強めにバイアスがかかるようにトレードオフの設定が変更されてきている。このことが、戦後に死刑廃止国が増えた一因になっている。それにともなってか、死刑が微塵の疑いもなく正当であると考えられていた時代に比べて、宗教面や社会感情面での変遷も起こっているのが現状である。

また、歴史的にみた死刑廃止の意味づけには、政治犯処刑の抑止という面がある。南米やアジアを中心に、今なお革命クーデター政変などの政権交代のたびごとに、新政府により政敵への処刑が行われており、その恣意的な執行をなくすために、予防的に死刑を廃止しておく意義がある。その反面、廃止諸国でも内乱罪などには例外的に死刑を適用するところも多い。同様に、どの国でも治安維持に関する量刑は概して高い。

日本の刑法では、内乱罪及び外患罪が存在し、最高刑は死刑であるが、政府や裁判所は適用に極端に消極的でもある。

古代中国では、政敵の「九族皆殺し」が頻発していた。

死刑廃止論の主張と死刑存続論の主張

注:日本の刑法学における「死刑廃止論」とは、「今すぐに死刑を廃止するべきである」というもののみを指す。「将来的に廃止すべきである」「廃止に向かって努力すべきである」というものは「死刑存置論」の側に置かれる。また、一度廃止した国が死刑を復活させる事例が存在するだけでなく、廃止国で復活論が世論の多数である場合もある。よって死刑の是非の議論においては「賛成派」・「反対派」が事実に沿う表現である。

 
反対(廃止論) 賛成(存置論)
死刑は懲役と比較して有効な予防手段ではない。死刑の抑止効果が仮に存在するとしても、その効果は憲法判断がされた当時に予想されていたよりも小さいことが判明し、他の刑との抑止効果の差はさらに小さいため、将来にわたって確認・検出不能であると考えられている。
明確な抑止効果が証明されない以上、重大な権利制限を行う生命刑が、現代的な憲法判断により承認されることはない。
終身刑や無期懲役にしても、「統計的」には明確な抑止効果は証明されていない。終身刑や無期懲役が死刑と同等の抑止効果を持つことが証明されない限り、死刑を廃止すべきではない。また、より厳格な罰が凶悪犯罪の抑止効果をもつのは、死刑の代替として終身刑が挙げられていることからも自明である。更に、死刑の予防効果は死刑の適用範囲を拡大することにより高くなると考えられ、現状の死刑の予防効果が疑わしいという批判は、死刑廃止の理由にはならない。死刑はそもそも予防効果だけを期待して行うものではなく、他者の人権を著しく侵害した事に相応する制裁である。
人の生命を永久に奪い去る冷厳な死刑と、最短10年で仮釈放が可能な無期懲役とでは、差があまりにも大きすぎる。死刑を廃止して、終身刑を置くべきだ。最高刑が終身刑であれば、世論も納得する。 無期懲役の仮釈放は近年相当厳しくなっており、死刑との間に、問題にするほどの隔たりは生じていない。また、「仮釈放の可能性のない絶対的な終身刑」は、むしろ死刑より冷厳であり、世界的に見ても稀な刑罰であるから、そのような刑罰を新たに設けるべきではなく、死刑を廃止する根拠にはならない。
死刑は、日本国憲法第36条の残虐な刑罰にあたり許されない。殺人に「残虐な殺人」と「人道的な殺人」とが存在するのだとすれば、かえって生命の尊厳を損ねる。時代に依存した相対的基準を導入して「残虐」を語るべきではない。 日本国憲法第36条の残虐な刑罰とは火炙り、磔刑などを指し死刑はこれにあたらない。(最高裁判所大法廷昭和23年3月12日判決[1])自由権を拘束する懲役にも、長期の独房禁固などの残虐とされる懲役とそうでない懲役が存在する。よって、死刑・懲役そのものが存在するからといって、自由権や生命権の尊厳が損ねられるわけではない。「残虐」の相対的基準は、死刑と懲役の両方に導入すべきである。法において、刑が犯罪行為で無いのは自明の理であり、「人道的な死刑・懲役」と「残虐な殺人・禁固」などという相対比較は成り立たない。
社会契約を認める立場からは、国家は国民の生命を奪う権利を持たない。死刑は、国家権力が都合の悪い人間を不当に排除するのに都合のいいシステムであり、民主主義の精神に反するシステムである。 民主主義による社会契約論と自然権を定義したロックなどの啓蒙時代の思想家の殆ど全員が、生命権と自由権を侵害する犯罪行為に対して懲役と死刑を主張している。懲役も、基本的人権である自由権の侵害である。国家が人権を侵害する権利を持たないとの論が通るなら、「刑」法そのものが成り立たない。独裁国家が弾圧の一環として行う政治犯などに対する死刑と、民主主義のもとで凶悪犯罪者に対して行われる死刑は全く別である。
もし冤罪であった場合、一旦生命を失えば取り返しがつかない。財産や自由を失うことに比べて、命を失うことはそれ以上に取り返しがつかない。全部同じだと言うなら、殺人を特別に重く罰する理由がないことになる。 長期間の懲役であっても、冤罪により失った人生は取り返しがつかない点で同じである。冤罪で一生を刑務所で過ごすのは死刑よりも惨いと論じることも出来る。冤罪の可能性による廃止論を死刑だけに適用する論に整合性はない。刑事政策の観点からすると、微罪に死刑を適用をするのは誤りであり、凶悪殺人に死刑を適用しないのも誤りである。
死刑は、人命を軽んじる風潮と人心の荒廃を招く。人が人を殺してはならないのは道徳の根本である。また、法律的にも生命権に対する冒涜である。凶悪犯といえども、その命を奪うことはあってはならない。人心の荒廃により、凶悪事件が多発するようになれば、これはマッチポンプではないか。 凶悪殺人に対する死刑は、国家が生命権に対する冒涜をいかに真剣に捉えているかを示すものである。人が人を殺してはならないのは道徳の根本であり、凶悪犯罪に対して死刑を適用しないのは、この根本的道徳を軽んじるものである。死刑、懲役、罰金は法律的に合法な人権の侵害であり、死刑のみを否定するのは法的制度的観点を無視した感情論である。犯罪者の人権を侵害して罰するのは刑法の基本である。この基本原理を否定するということは、法の意義そのものの否定、ひいては社会秩序の崩壊、国民の平和的生存権の侵害を招く。
日本は伝統的に人命尊重国家である。日本の主要な伝統的思想は、罪人への慈悲を説いている。平安時代における死刑の廃止という歴史的事実がある。 そもそも、死刑が執行されなかったのは、西暦818年から1156年までのみであり、それだけの間廃止されていたからといって、伝統とはなり得ない。また、貴族階級による怨霊信仰と「穢れ」観念など迷信に基づくもので、死刑の廃止自体は中央政界のみでの現象である。
死刑は全世界で廃止の方向に向かっている。またEUは死刑存続国に制裁を加えている。軍隊は現代社会で必要悪とされている。死刑が必要悪とされるかは別点で論ずるべき 多数派が正しいとは限らない。死刑が非人道的といいながらも、軍隊を所持している国は矛盾している。
死刑など量刑を重くすることは、深層心理的な抑圧を『社会的弱者』に与え、「どうせ死ぬなら、思い切って派手に」という決意を抱かせ、かえって凶悪犯罪を生み出す原因となる。また終身刑相当であれば、その後の処遇を考えて凶悪犯罪は控える可能性がある。また、凶悪犯罪を継続して射殺されるような事態になる前に、自首投降を選ぶ誘導が可能である。 死刑がない場合は、既に終身刑に当る犯罪を犯したものが「これ以上どれだけ強姦、殺人を犯しても構わない。 捕まる、あるいは投降する前に思い切って派手に」と考えることから、かえって凶悪犯罪を生み出す原因となる。また、死刑があれば抵抗する凶悪犯を射殺することに対しての批判も少なくなり、凶悪犯に対して先手を取れるため、警察官の殉職も減る。もし死刑がなければこれと逆の結果になってしまうだろう。
死刑という刑罰は、犯罪を犯した容疑者が、「逃亡自殺再犯」を選択する要因につながる。 それは死刑に限ったことではなく、どのような刑罰であっても起こりうる。法定刑に死刑が規定されていない犯罪を犯した容疑者が、「逃亡自殺再犯」を選択しているケースも現に存在している。

世界の現状

1989年12月には、国連で採択された「国際人権規約」の「市民的及び政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書」に随意項目として死刑廃止が存在する。これを加えて選択する国は、国際条約に基づき国家有事以外には死刑を廃することになる。

以前は、独裁国家が死刑維持国の大多数を占めたが、民主化直後に東欧や南米の諸国が死刑を廃止し、死刑廃止国の数が増加した。一方で、アジア・アフリカ・中東の民主化の結果として、民主国家で死刑を維持する国の数も増加している。また、死刑廃止国でも政府が世論に逆らって廃止を実施したところも多く、死刑復活の意向が多数派である国も存在する。

世界各国の状況は、2006年9月5日現在で

  • あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国:88カ国
  • 通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国:11カ国
  • 死刑の実施を停止している国:30カ国
  • 死刑を実施している国:68カ国

となっている。この場合、死刑反対派は実質上の死刑廃止国が88+11+30の129カ国の多数派であると主張する一方で、死刑賛成派は死刑制度維持国は11+30+68の109カ国で多数派であると主張する。有事に死刑が適用される国および実施が現時点で停止されている国が「実質上」の賛成派にあたるのか、反対派にあたるのかは恣意的な問題である。

なお、全世界の死刑執行数の約9割以上が中国であり、賄賂授受程度で死刑にされる者もいる。イランやサウジアラビアでは宗教的戒律(廃教・不倫など)を破った者に対しても死刑を行っている。

死刑制度の世界地図

ファイル:Death Penalty World Map.png
死刑制度の世界地図
凡例:
  • : 死刑を廃止した国
  • : 有事(戦時)に死刑あり。それ以外での死刑を廃止した国
  • : 死刑制度維持、しかし執行が停止・保留されている国
  • : 死刑が実施されている国

この図は2004年4月6日時点における世界各国の死刑制度の状況を表した地図である。

色分けは次の通り。

  • ):あらゆる犯罪に対する死刑を廃止(79の国と地域)
  • ):戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止(15カ国)
  • ):死刑制度を維持。ただし、死刑を過去10年以上実施していない。廃止派はこれを事実上の死刑廃止国、賛成派は死刑制度維持国とする。(23カ国)
  • ):死刑を存置し適用している(78カ国)
  • 反対派は、合計117カ国が死刑を法律上または「事実上」廃止しており、死刑廃止派が維持派の78カ国を大きく上回る、と主張する。賛成派は、「事実上」死刑制度を維持している国が116カ国であり、死刑制度を廃止している79カ国を大きく上回る、と主張する。

諸外国での動き

ヨーロッパ

欧州連合 (EU) 各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、死刑廃止はEUへの加盟条件の1つとして掲げている。欧州評議会においても同様の基準を置いているため、ヨーロッパ唯一の死刑存置国ベラルーシは欧州評議会から排除されている。EUは日本やアメリカなど死刑を存続している他国に廃止を迫り、2001年6月には、日米両国に2003年1月までに死刑廃止に向けた実効的措置の遂行を求め、それが成されない場合、両国の欧州評議会全体におけるオブザーバー資格の剥奪をも検討する決議を採択した。(これに対しては、日米とも何らの回答もせずに今日に至っている)

フランス

フランスは、1981年に就任した社会党ミッテラン大統領(当時)が「私は良心の底から死刑に反対する」と公約し当選。弁護士のロベール・バダンテールを法務大臣に登用し、「世論の理解を待っていたのでは遅すぎる」と死刑廃止を提案。国民議会の4分の3の支持を得て決定した。ヨーロッパで最後の死刑廃止国となった。世論調査機関TNSソフレスによる、死刑制度廃止当時の世論調査では、死刑制度の存続を求める声は62パーセントを占めていた[2]

2006年9月18日にソフレスが発表した世論調査によると、「死刑廃止25周年」を迎えて、52パーセントが「死刑制度復活反対」と答え、死刑制度復活を望む意見は42パーセントを占めた。支持政党別で、死刑復活賛成は、右派政党の国民戦線支持層で89%。与党・民衆運動連合(UMP)で60%。社会党支持層は賛成は30%となった。若齢、高学歴者ほど死刑復活反対の傾向が強かった[3]

ポルトガル

ポルトガルでは、西欧では最も早く1867年に死刑を廃止している。ポルトガル国民の多くはカトリックであり、殺人行為に対する嫌悪感が非常に強いことが背景にある。この政策はサラザール独裁政権下にも引き継がれ(サラザールはカトリック聖職者から経済学者政治家に転身した)、その後の政権においてクーデターが数度起きるなど政情不安の時代もあったが、死刑は復活せず今日に至っている。

イギリス

イギリスにおける死刑廃止思想は古く、トーマス・モアにまで遡ることができる。1938年には死刑廃止案は下院を通過したが、第二次世界大戦勃発により死刑廃止は立ち消えとなった。その後エヴァンス事件A6殺人事件などをきっかけとして死刑廃止要求が再燃し、1965年11月9日に5年間死刑執行停止する時限立法が議会で可決された。その後ジェームズ・キャラハン内務大臣の下1969年12月に死刑廃止を決定したが、IRAのテロが活発になった1975年に死刑復活の提案がマーガレット・サッチャー率いる保守党から提出されるも否決された。

バチカン

カトリック教会の伝統的名見解では、報復のための死刑は不可、予防(人命救助)のための死刑は可という教義上の立場をもち、長くその立場を維持している。近代社会においては終身刑によって犯人の再犯の予防および他の犯罪者に対しての威嚇の役目は十分果たされているとの見解である。よって「全ての命は神聖である」として死刑には反対している。また現代の多くの死刑が報復の役目を果たしていることにも言及し「死刑は憎悪と復讐心に満ちた行為」「罪をもって罪を裁くことは殺人である」と表明している。

ただし一部の極貧の途上国(カトリック信徒の多いアフリカ諸国を念頭においていると考えられる)においては近代国家並みの懲役制度を維持することができない場合もあることを認めており、この場合は例外として死刑もやむなしとの見解を示している。

ロシア

1996年の欧州議会加盟時に死刑執行を停止。1999年に憲法裁判所が死刑判決を正式に禁止した。しかし一部の下級裁判所は死刑判決を継続している。停止は2007年初めに期限切れとなる。ロシアが2006年5月に欧州評議会議長国に就任したことをきっかけに、ヨーロッパ諸国から死刑廃止議定書批准を求める声があがっている[4]

だがテロ事件頻発を背景に、死刑復活を求める世論が高まりを見せている。プーチン大統領は死刑廃止を行う事を示唆しているものの、詳細な具体策を明らかにしていない。2006年2月9日には多数の児童が殺害された2004年9月の北オセチア学校テロ事件の被告人に対しロシア検察当局が死刑を求刑した[5]

南北アメリカ

アメリカ合衆国

死刑は「合憲」と連邦最高裁の判断が出ている。

ただし執行方法の合憲性が問題となることもある。の判断で死刑廃止することも可能。ニューヨーク州高等裁判所は死刑執行方法を違憲とする判決を出した。テキサス州は2000年代において年間100人以上が死刑に処せされている。

かつてアメリカでは「レイプを罪状とする死刑」が横行していた。1870~1950年までにレイプを理由に771件が死刑判決を受けたが、そのうち701人が黒人であった。人種差別との批判が相次ぎ、1972年に連邦最高裁によって「レイプを罪状とする死刑」は違憲と認定された。しかし、「未成年に対する殺害を伴わない性犯罪の再犯者」へ死刑が適用される州法がサウスカロライナ州フロリダ州ルイジアナ州モンタナ州オクラホマ州の5州で最近成立し、殺人を犯していない性犯罪者に対する死刑適用は過酷であり、憲法違反であると強く批判されている。

死刑制度の有無は、州によって異なる。民主党優位の州では廃止、共和党優位の州では維持される傾向にある。具体的にはニューイングランド諸州、ニューヨーク州で死刑廃止、または禁止された。ただし、共和党勢力が強い中北部諸州も死刑廃止されている州があるが、これらの州が治安的に安定している事が背景にある。逆に、民主党が強い西海岸諸州でも死刑制度が存続している州がある。これは、賛成派と反対派が拮抗している状態であるためである。また凶悪犯罪の率の高い州で死刑制度が維持される傾向にある、特に南部諸州で顕著である。死刑維持派は主に被害者の権利を根拠とし、廃止派は人権保護の普遍性人命の尊重とを根拠としている。(参考:レッドステートとブルーステート

カナダ

いかなる場合でも死刑を廃止している。廃止派はロジャー・フッド『世界の死刑』(2002年) によると、カナダでは、人口10万人当たりの殺人の比率は、殺人に対する死刑廃止の前年(1975年)の3.09件から死刑廃止後には2.41件(1980年)に低下した事実を指摘している。賛成派は因果関係が明確でないと指摘している。

ペルー

これまでペルーでは、死刑適用は国家反逆罪のみ、一般刑法犯は終身禁固を最高刑としていた。しかし、2006年6月に就任したアラン・ガルシア大統領は、選挙公約の一つに掲げた、「7歳未満の子供に、性的暴行を加え殺害した被告への死刑適用」を認める法案を、9月21日に議会へ提出、審議が行なわれている。

背景に、日本の広島県2005年に発生した少女暴行殺害事件(広島小1女児殺害事件)で、容疑者として逮捕された日系ペルー人が、母国において同様の性犯罪を繰り返していたにも関わらず、司法の不手際で収監を逃れたことにより、「年少者に対する性犯罪」の厳罰化世論が高まったことや、殺害した場合の死刑適用に8割が賛成するなどの世論調査の結果が挙げられる[6]

※ラテンアメリカ諸国の傾向として、78%の国が一般犯罪に対する死刑を廃止し、59%の国が完全な死刑を廃止している。死刑制度存続国も、10年以上死刑を執行していない。

アジア

韓国

大韓民国では金大中政権が発足した1997年以降、死刑執行されていない(金大中元大統領は光州事件後、軍法会議による死刑判決を経験している)。また、与野党を超えて死刑廃止を主張する声は少なくない。2005年4月には国家人権委員会が、政府に対して死刑廃止勧告した。

2006年2月21日には、韓国法務部(法務省)において、死刑廃止し、絶対的終身刑(重無期刑)の導入の検討を行うべく、2006年6月までに関連研究の検討と公聴会を行う予定である。政権が保守に交代すると方向性は転換するのではないかとの憶測も存在する。

台湾(中華民国)

2000年、台湾ではリベラル色の強い民主進歩党の政権誕生後、死刑廃止に向けた作業が続いているが、国内世論の意見集約は進んでいない。2001年5月17日、陳定南法務部長(法相)は、3年以内に死刑廃止のための法改正をすると表明した。

一方、その翌日の5月18日に、台湾の主要紙聯合報が行なった世論調査では、台湾国民の79%が死刑廃止に反対と答え、さらに死刑制度は凶悪犯罪阻止に有効と答えた割合は77%となった。2002年には18才以下の未成年者に対する死刑免除法案が可決。懲役刑の上限引き上げや仮釈放審査の厳格化を盛り込んだ刑法の改正が、2005年2月に可決、2006年7月1日から施行された。

刑法改正の具体的ポイントは、有期懲役の上限が20年から30年に。無期懲役の仮釈放が可能となる年数が25年に引き上げ。殺人や強盗、身代金目的の誘拐など、重大な刑事事件を複数犯した者は、仮釈放期間中または懲役終了後の5年以内に、再び重大な刑事事件を犯した場合、仮釈放は認められない(絶対的終身刑)。また、連続犯罪規定の削除により、連続して罪を犯した場合、犯した罪ごとに罰則が科される事になった。

2006年6月14日陳水扁総統が、国際人権連盟 (ILHR) 代表との会見の中で、死刑廃止は世界的潮流と述べ、廃止に賛同。また、懲役刑の上限引き上げや、仮釈放審査の厳格化を含む刑法改正により、将来的に死刑制度廃止の国民的コンセンサスは得られるだろうとの見通しを述べた。横浜弁護士会の発表によると、台湾では、死刑を廃止する条項が盛り込まれた「人権基本法案」の検討が開始されている。

中華人民共和国

中華人民共和国は世界最大の死刑執行国家である。安易な裁判が問題視されている。温家宝国務院総理は、2005年3月14日の記者会見で、中国の国情を理由に死刑廃止について否定的見解を示した。現在進められている司法制度改革に、最高人民法院による死刑再審査制度復活も含まれており、今後、制度改革により死刑判決の厳格さと公正さが保障されていくと述べた[7]

最高人民法院弁公庁報道官の孫華璞主任は、2006年3月11日に、中国政府公式サイト「中国政府網」及び「新華網」のネット掲示板において、中国における将来的な死刑廃止の可能性について質問に答え、現在、中国を含めた世界半数以上の国々が死刑制度を有している。段階的な死刑廃止は世界的傾向であるが、現在の国情で死刑廃止の条件は整っておらず、死刑廃止を支持する国民的同意も得られる段階にないとのべ、死刑廃止に否定的見解を示した。

その上で、 現在の中国政府の政策は、法律及び司法の両面から死刑の適用・執行を厳格化して、極少数の犯罪や、深刻な犯罪への適用に留めている。死刑は、「即時執行」と「執行猶予2年」に分けられ、後者の死刑判決は、執行猶予2年間に罪を犯さなければ、無期懲役へ減刑される。このため、死刑執行例は実際は少ないと述べた[8]

フィリピン

フィリピンの死刑制度は、1987年アキノ政権下で一度廃止されたが、1993年ラモス政権下では華僑の圧力により復活した。2001年発足したアロヨ政権では死刑執行が凍結され、2006年6月7日上下院で再度死刑廃止法案が可決された。死刑廃止後の最高刑は「仮釈放なしの終身刑」となった。2006年6月24日、アロヨ大統領が死刑廃止法案に署名、同法が成立。

アロヨ政権による死刑廃止の背景には、国内で大きな政治的影響力を有するカトリック教会が、かねてから死刑廃止を訴えており、カトリック教会の大統領への支持をつなぎとめるための決断と見られている。加えて、2006年6月25日から同大統領がヨーロッパ歴訪。バチカンローマ教皇と会見するため、死刑廃止法案の成立を急いでいたという政治的背景も指摘されている。

その他アジア諸国

カンボジア1989年から死刑廃止している。これはポル・ポト派による大虐殺が影響している。ポル・ポト派は死刑制度を利用し、政治犯を処刑し、体制反対者やポル・ポト派から見て邪魔な人物は死刑に処せられた。現在は憲法により死刑は禁止されている。

ネパールは憲法の規定により、死刑は禁止されている。

ブータンは、国王令により、あらゆる犯罪に対して死刑が廃止されている。

スリランカ1976年6月の死刑執行を最後に凍結され、歴代大統領により死刑囚は自動的に減刑された。しかし、1999年3月13日、犯罪増加報告を受けた政府は、「今後、チャンドリカ・クマラトゥンガ大統領は死刑判決を自動的に減刑しない」と発表。2004年11月19日に発生した高等裁判所判事殺害事件を機に死刑復活世論が高まり、同年11月20日、クマラトゥンガ大統領は、強姦、殺人、麻薬に関する死刑を復活すると発表した。

イラクの死刑制度は、イラク戦争後のアメリカ軍を主体とする多国籍軍による占領時、アメリカ政府が派遣したブレマー行政官により凍結された。2004年6月30日イラク暫定政府のヤワル大統領は、アラブ有力紙のインタビューで、死刑復活を決定したと表明。適用範囲は、テロ行為や殺人、レイプに限られると述べた[9]2005年5月22日、イラク中部クートの特別法廷は、イラク警官の殺害、拉致などの20件の犯行に関与して訴追された、反米武装勢力「アンサール・スンナ軍」の男3人に死刑を言い渡した。死刑判決はフセイン政権崩壊後初めて[10]。その後、フセイン元大統領に対しても、死刑判決が下った。2006年12月25日、フセイン元大統領に対する死刑が執行された。余談ではあるが、この死刑執行を世界中の子供が真似しこれまでに7人が事故死した。また、この死刑執行に対し潘基文国連事務総長が死刑を肯定するとも取れる意見をし、国連の立場と矛盾した発言を行ったと批難が集中。のちに弁明した。

その他諸国の事例

オセアニア

オーストラリアニュージーランド共にいかなる場合も死刑を廃止している。ニュージーランドには死刑廃止後、復活させた事があったが、今日は死刑を非人道的として完全に廃止している。島嶼諸国も死刑廃止している。パプアニューギニアは10年以上死刑停止状態である。

アフリカ

アフリカ53カ国のうち13カ国が死刑廃止している。また20カ国が死刑執行していない。合計すると53カ国のうち死刑を行っていない国は33カ国である。政情が安定している南部諸国における廃止が目立つ。政情が安定しているアラブ圏ではイスラム法の影響もあり死刑存続している国が多い。フランスの文化的影響の強い西部アフリカ諸国は、死刑を中止しているか、国事犯を除く通常犯罪への適用を行っていない国が多い。


日本における死刑制度に対する近年の動き

日本の歴史上における死刑廃止については、日本における死刑を参照のこと。

戦後施行された日本国憲法における死刑の違憲性については、1948年の最高裁判決においては合憲の判断がなされている。これによると異常な方法(たとえば釜茹で刑など)でなければ死刑も許されるというものであった。そのため日本では死刑は最高刑として存続することになった。

日本は、1989年の死刑廃止の任意条項にアメリカ、中国やイスラム諸国とともに調印しなかった。ただ、1989年11月から1993年3月までの3年4ヶ月の間、死刑執行は行われなかった。1994年には亀井静香議員を中心とする超党派の議員連盟「死刑廃止を推進する議員連盟」が発足し、日本における死刑廃止の動きは組織化されている。しかし、現在でも各国任意の死刑廃止条項には批准しておらず、またここ数年は死刑存続派が勢いを増してきており、判決でも死刑判決が増加の傾向にある。

日本において、死刑執行を最終的に判断するのは法務大臣である。法務省刑事局が、確定死刑囚について、裁判に提出しなかった証拠記録を送付するように命令したうえで、死刑執行起案書を作成し、法務大臣に上申する。そのため、法務大臣の主観的判断が介在する余地がある。そのため、自分が浄土真宗の住職であるという宗教的信条から、死刑執行命令書に署名しなかった左藤恵(在任1990年12月-1991年11月)などのように在任中に発令の署名をしなかった大臣の例もある。

そのため、戦後の1964年1969年および1990年から1992年までは死刑執行が行われなかった。そのうち1964年は、当時の賀屋興宣法務大臣(在任1963年7月-1964年7月)が元A級戦犯であり東条英機らが処刑されるのを見送ったために心情的にできなかった。後者の1969年は当時の西郷吉之助法務大臣が、明確に拒否したという。1990年代初期のモラトリアムは長谷川信から梶山静六、左藤、田原隆と歴代の法相に引き継がれたが、警察官僚出身の後藤田正晴が「法秩序、国家の基本がゆらぐ」(当時の国会答弁)として死刑執行を再開させたためストップした。

近年では弁護士出身で真宗大谷派の信徒である杉浦正健法務大臣(在任2005年10月-2006年9月)が、就任直後の会見で「私の心や宗教観や哲学の問題として死刑執行書にはサインしない」と発言して、わずか1時間で撤回する騒動を起こしたが、最終的に杉浦法相は死刑を執行することなくその任を終えた。杉浦に対しては、死刑存続派からは死刑執行は法務大臣の仕事のひとつであり死刑執行しないのならば潔く法務大臣を辞退せよとの厳しい批判があった。また、退任後には、死刑執行する事無く任期を終えたことに対して、任期中の大臣給与を返上せよとの声があがった。

杉浦の後任である長勢甚遠は、2006年12月25日に4人の死刑執行書にサインした。死刑制度を維持するため、「執行を1年でも途絶えさせてはならない」という法務省の強い意向が、異例の年末の執行になったといわれる[11]

また、2006年の執行に限らず、執行は国会の閉会中に行われることが多い。国会で死刑廃止派との議論になることをなるべく避けたいからではないかという説もある。#秘密主義の項目を参照。ただし、2007年4月には国会開会中にも関わらず新たに3人に死刑が執行されたが、これは確定死刑囚が100名(そのうち半数以上が東京拘置所に収容)を超えているため、収容者を「減らす」処置だといわれている。また、2001年以来2006年まで東京拘置所では死刑が執行されていなかったが、死刑設備の改修工事のためであり、これから執行が増えるのではないかとの指摘もある[12]


日本における死刑制度に対する議論

日本における死刑制度に対する議論の論点は主に以下の通りである。

犯罪抑止効果
死刑および終身刑(無期懲役)などの刑罰による相対的な犯罪抑止効果を示す統計は出ておらず、それぞれの刑罰のどちらが犯罪を抑止する効果があるかどうかは検証できていない。このことから、反対派は死刑に反対し、賛成派は死刑を必要であると主張している。
また、日本では、「現時点では日本には終身刑はなく、無期懲役は10年を経過すれば仮釈放を許すことが可能であり、死刑との差が著しい」といった議論も行われているが、近時における実際の運用を見てみると、基本的に最低20年以上の服役が仮釈放の条件で、「矯正統計年報」によると2005年度の無期刑仮釈放者の平均在所年数は27年2月[13]となっており、仮釈放が刑自体の満了とはならない(原則として終生保護観察下に置かれる)ため、他国の終身刑と比べて比較的重い運用が行われているとする主張もある。なお、2000年の時点で、在所50年を超える無期懲役受刑者が2人いることが確認されている[14]
※終身刑には、仮釈放の可能性がある相対的終身刑と仮釈放の可能性がない絶対的終身刑が存在し、日本では後者にあたる刑罰のみを終身刑と呼ぶのが普通である。そのため、諸外国における終身刑もその多くが仮釈放の可能性のある相対的終身刑(日本の無期懲役に相当)であるにもかかわらず、それらを絶対的終身刑であるとみなすといった誤解を出発点とした主張も多い[15]
冤罪
日本において、死刑の次に重い罪が絶対的終身刑でなく相対的終身刑である理由は、この考えが一因であるとの指摘もある。
残虐性の有無
反対派は、究極の身体刑である死刑が残虐な刑罰の禁止と矛盾すると主張する。賛成派は火あぶり、磔など苦痛を伴う残虐な方法による死刑のみが究極の身体刑であると主張する。また、苦痛を与えることを目的としない死刑は拷問に当たらないとされる。ただし、絞首刑には短期間ながらもそれなりの苦痛が伴うので、薬物などによる安楽死が適当な処刑方法であるとする主張も存在する。また死刑そのものが拷問であるなら、終身刑は一生かけて行われる精神的な拷問であり、その残虐性は死刑と同等であると賛成派は主張する。
人命の軽視・尊重
死刑制度の存在は、かえって拡大自殺(extended suicide)など逆に殺伐とした世情を煽る側面もあるのではないかとする懐疑的な主張がある一方、凶悪殺人に対する厳格な対処は人命の尊重につながるとの主張もある。

世論調査

日本では、政府が5年毎に実施している世論調査において死刑制度に関する調査が行われている。以下は最新の調査結果である。

  • 「死刑制度に関してこのような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」(2004年12月内閣府実施「基本的法制度に関する世論調査」)
    • (ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである‐6.0%
    • (イ)場合によっては死刑もやむを得ない‐81.4%
    • わからない・一概に言えない‐12.5%

この世論調査について、以下の2点を問題点として挙げることができる。

  • 設問の方法
    • 設問が「あなたは死刑制度に賛成ですか、反対ですか」という直接的なものではない。
    • 選択肢(ア)が「積極的廃止」を意味するのに対し、選択肢(イ)は「消極的賛成(容認)」を意味しており、単純な比較ができない。
    • いずれにせよ、死刑「容認」が80%以上であることは事実である。しかし、粗雑な議論を避けるためには、「容認」することと積極的に「賛成」することとは必ずしも同一の考えに基づくものではない点に十分な注意を払う必要がある。
  • 実施の時期
    • 通例では9月に実施される調査が、2004年は12月に実施された。2004年は9月に附属池田小事件の犯人に対する死刑が執行されており、実施時期の恣意性を指摘する主張もある。

研究者による他の世論調査においては、一般市民へのアンケート結果と、国会議員や法曹関係者などへのアンケート結果とでは異なる傾向を示しているとされる。前者へのアンケート結果が死刑存続に傾くことに比べ、後者へのアンケート結果は存廃の意見が拮抗する傾向を示している。

また法曹関係者のアンケートでは、法学者や弁護士の過半数が死刑反対である一方で検察官や警官は多数が死刑賛成である[16]など、法制度における立場の違いと見ることができる。

厳罰化傾向の強まり

最近の傾向とし、光市母子殺害事件など犯罪被害者へのケアの問題が以前にもましてクローズアップされてきていることから、厳罰化への流れが強まってきている。2006年の死刑判決は44件(控訴棄却決定により確定した麻原彰晃を含めると45件)と、裁判所別の統計がある1979年(昭和54年)以降では過去最多となった。死刑が確定した人数は20人(麻原を含めると21人)で、これも1964年以来42年ぶりに20人台となった。

ただし、殺人等の凶悪事件の発生件数そのものは国民の「漠然とした実感」とは逆に減少傾向にあり、平成18年度犯罪白書によれば、凶悪犯も含めた犯罪発生率は平成15年(2003年)をピークに下がり続けている[17]

ある死刑判決を受けた被告人の弁護人は「従来の量刑基準なら無期懲役だった事件でも、死刑が言い渡されるようになっている。厳罰化を求める世論の影響ではないか」、ある現役の判事は「平成12年(2000年)の改正刑事訴訟法施行により、法廷で遺族の意見陳述が認められたことが大きいと思う。これまでも遺族感情に配慮しなかったわけではないが、やはり肉声での訴えは受ける印象がまったく違う」とコメントしている[18]

刑事裁判はあくまでも法に則り司法が量刑を与えるものであり、遺族・被害者のための報復という考えは近代民主主義国家の刑事裁判としては受容できないという説も根強い。

秘密主義

死刑執行の秘密主義に関しては、日本弁護士連合会が非難する声明を出し続けている。特に2006年末の執行では、EU諸国から死刑囚に執行の告知がないことが人権上問題があると強く批判された。

反対派は日本における最近の死刑執行は、ほぼ例外なく、国会閉会直後、年末、閣僚の交代時期、重大ニュースの発生時期など国民の関心が分散しやすい時期に、政府側が意図的に死刑の存廃が議論となることを避けて執行していると主張する。賛成派は死刑執行の手順上、法務大臣の辞任直前に執行書に署名が行われることは手続き上の結果である、執行が週末近くに行われるのは執行の準備に時間がかかるためであると主張している。ただし、死刑賛成派でも日本の死刑執行の秘密主義に対しては批判的な見解も多い。

裁判員制度と死刑

2009年に始まる裁判員制度により、死刑判決の可能性のある事案を国民が裁判官とともに審理することになる。そのため死刑廃止に向けた活動を行っている団体などは、国民の間で死刑制度の存廃について議論がより深く広がることを期待している。


死刑合憲判決「最(大)判昭和23年(1948年)3月12日刑集2巻3号191頁」について

【事件】

自分の母親と妹を殺害した被告人は、下級審で死刑の宣告を受けたため、死刑が日本国憲法第36条によって禁じられている公務員による拷問や残虐刑の禁止に抵触しているのではないかという点を巡り、上告された。(上告棄却、死刑確定)

【最高裁大法廷の判旨】[死刑は合憲]

詳細は判例集に譲るが、最高裁において死刑とその執行方法に関しては合憲であるという判決が下された。ただし、その判決文は「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…日本国憲法第13条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。」という始まり方であったが、判決自体は「死刑は合憲である」と結び、法の解釈について意見の分かれる判決文であった。

【注目点】

判決が下された時期は敗戦後間もないGHQ占領下の1948年である(極東国際軍事裁判の期間中)。判旨はその当時の情況において「死刑は残虐でない」と結論しつつも、判決文は「ただ、死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有すると認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について…残虐な執行方法を定める法律が制定されるとするならば、その法律こそは、まさに日本国憲法第36条に違反するものというべきである。」と結んでいる。

つまり、「残虐な執行方法を定める法律」の概念は時代の流れと共に変わってゆく(絶対的ではない)ものである、ということが読み取れる。よって、1948年のいわゆる「死刑合憲判決」をもって死刑が未来永劫に亘って残虐な刑罰ではなく合憲であり続ける、とする見方は誤りであるとする意見もある一方、逆にこの判旨にあるように「…法律が制定されるとするならば…違反するものというべきである。」という「仮定」に基づいて現行の死刑制度を不当なものであるとする見方もまた誤りであるとする意見もある。法の解釈とともに判決文の解釈においても意見の分かれる結果となっており、上節「死刑廃止論の主張と死刑存続論の主張」において挙げられているように、この問題の争点のひとつとなっている。

国際連合において国際人権B規約第2選択議定書、いわゆる死刑廃止条約)の発効なども鑑み、60年前の「死刑合憲判決」の時代と比べ、情況は大きく変わっている。

高齢死刑囚の処刑

日本では死刑を求刑出来ない最低年齢は犯行時18歳以下とされているが、最高年齢については明文化はされていない。そのため、法的には何歳であっても死刑が執行される可能性はある。ただし、死刑が執行される条件に健康を害していない死刑囚というものがある。そのため、高齢になると何らかの要因で健康を害する場合が多いため、死刑が執行されないのではないかとの指摘があった。過去にも80歳以上で獄死した死刑囚も少なくはない。また戦後最高齢で執行されたのが70歳(1985年5月31日執行)であったためであるが、2006年12月に執行された死刑囚の年齢が77歳と75歳であった。そのため今後は日本社会の高齢化に伴い高齢死刑囚の執行も増えるのではないかとの指摘がある。

国外逃亡犯と死刑

日本で犯罪を犯した外国人犯罪者が死刑廃止国へ逃亡した場合、日本が死刑制度存置国であることを理由に犯罪者の引渡しが拒否される場合もある。

日本国内で殺人を犯し、海外逃亡したイラン人がスウェーデンで拘束された事例では、両国間で犯罪者引渡条約がないため、日本側が任意の引渡しを要請したが、死刑にしない保障をしないかぎり応じないとされた。この事件では被疑者が極刑になるような事件ではなかった(喧嘩による偶発的な殺人で殺意はなかったという)が、裁判を行う以前に死刑にならないことを保障することは不可能であるため、結局引き渡されず、スウェーデンで代理処罰された。

日本で著名な死刑廃止論者

日本国内の死刑廃止運動に、これまで積極的に参加・発言、あるいは死刑反対の立場から影響を与えたことのある人物の一覧(各項目内は五十音順)

「殺したがるばかどもと戦って」瀬戸内寂聴の発言に犯罪被害者ら反発。日弁連シンポで死刑制度批判

日本弁護士連合会(日弁連)が2016年10月6日福井市内で開催した死刑制度に関するシンポジウムに、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(94)がビデオメッセージを寄せ、死刑制度を批判したうえで「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言した。会場には全国犯罪被害者の会(あすの会)のメンバーや支援する弁護士らもおり、「被害者の気持ちを踏みにじる言葉だ」と反発した。

日弁連は7日に同市内で開く人権擁護大会で「平成32年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言案を提出する。この日のシンポジウムでは、国内外の研究者らが死刑の存廃をめぐる国際的潮流について報告。瀬戸内さんのビデオメッセージはプログラムの冒頭と終盤の2回にわたって流された。

この中で瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。

瀬戸内さんの発言について、あすの会顧問の岡村勲弁護士は「被害者はみんな加害者に命をもって償ってもらいたいと思っている。そのどこが悪いのか。ばか呼ばわりされるいわれはない」と話した。

死刑廃止関連の映画

脚注

  1. 最(大)判昭和23年(1948年)3月12日刑集2巻3号191頁。
    自分の母親と妹を殺害した罪で死刑の宣告を受けた被告人が、死刑は日本国憲法第36条によって禁じられている公務員による拷問や残虐刑の禁止に抵触しているとして上告。最高裁は上告を棄却し、死刑は確定した。以下はその判旨である。
    [死刑は合憲]「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…日本国憲法第13条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している」としながら、「死刑は合憲である」と結んでいる。
  2. ロベール・バダンテール、藤田真利子訳 『そして、死刑は廃止された』 作品社、2002年4月。ISBN 4878934530
  3. 「死刑廃止から25年の仏、42%が復活望む」 朝日新聞2006年9月17日
  4. 「ロシアの死刑廃止を求め欧州から圧力」 モスクワIPS(Inter press service)、2006年7月21日
  5. 朝日新聞2006年2月11日
  6. 「子供への性的暴行殺人に死刑適用:ペルー大統領が法案提出」 時事通信2006年9月22日
  7. 人民網(日本語版)2005年3月15日
  8. 人民網(日本語版)2006年3月12日
  9. 「イラク死刑制度復活:元大統領裁判へ憶測呼ぶ」 中日新聞2004年7月1日
  10. 「武装勢力に死刑判決:制度復活後初めて」 中日新聞、2005年5月24日
  11. 「<死刑執行>4人に 安倍政権で初 1年3カ月ぶり」 毎日新聞2006年12月26日
  12. 外部リンク参照
  13. 無期刑仮釈放者および長期在所者等のデータ
  14. 在所40年以上の無期刑受刑者のデータ(2000年8月1日時点)
  15. 世界の終身刑
  16. 菊田幸一 『いま、なぜ死刑廃止か』 丸善、1994年12月。ISBN 4621051431
  17. 法務省『犯罪白書』各年
  18. 死刑宣告、過去最多45人 世論が厳罰化後押し産経新聞2006年12月30日

関連項目

外部リンク

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