ゴーマニズム宣言
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『ゴーマニズム宣言』(-せんげん)『新・ゴーマニズム宣言』『ゴー宣・暫』(ごーせん・しばらく)は小林よしのりの主張を伴った漫画である。
ちなみにゴーマニズムとは傲慢からの作者の造語で、自分の直感と常識を頼りにあえて傲慢をつらぬく、という意味が込められている。
目次
概要
世間における問題を指摘し、最後に「ごーまんかましてよかですか?」(1巻の一部の話では、この決め台詞は無い。)というキメ台詞とともに(『ゴー宣・暫』では、「暫く暫くくしばら~く~」と小林が、歌舞伎役者の姿になって)小林の主張を読者や社会にぶつける。漫画という表現で、また、読むものを圧倒するような強い絵で訴えるため、読者の共感や反感を得やすく、論議の的になっている。評論家からは「漫画で反論されては対抗出来ない、卑怯だ」とする意見は多い。反面、田原総一朗が「年配には漫画の方が読みにくいんだよね。」と語る通り、漫画を読みなれていない世代には、活字の方が分かりやすいとする人が多い。そもそも、作品の表現力や分かりやすさは、作家の技量によって大きく違うもので、それをメディアに責任転嫁することに小林は強く反発し、「漫画にすれば、言葉を最低限に削らないとならない部分もあり、活字の方が理論を追求出来る、有利な部分もある。他人に作画を頼んでいいから、漫画を作ってみればいい。わしは漫画でも活字でも戦える。」と語り、「知識人」による漫画というメディアへの批判には厳しく反撃する。とはいえ、漫画批判の「知識人」である西部邁に同調し、西部の主張に理解を示した経緯も存在する。その後、「反米という作法」で語られた内容によれば、小林を激怒させ、ハエ叩き描写を描くに至らせた、西部の「漫画は家系の恥」という発言は、誇張して伝えられていた部分があり、実際は、西部は調子が乗らない時「じゃりン子チエ」を読むなど、漫画の力はよく理解していたが、あくまで「電車の中で、人前で読むものではない」という主張をしていたに過ぎなかったようだ。
変遷
「ゴー宣」誕生
『月刊宝島』に『おこっちゃまくん』を連載、(しかし読者から反感を買うような内容が多かった為、数話で中止)。これを元に1992年『ゴーマニズム宣言』を扶桑社のSPA!で開始(1月22日号より)。社会に切り込む内容で反響を呼んだ。その後、漫画活動の軸足をこれへと移していく。連載初期には差別表現を巡っての出版業界の安易で軟弱な姿勢から来る自主規制に対して批判を加えていた。それが後に部落解放同盟の関係者との対談等につながり、そこから『ゴーマニズム宣言・差別論スペシャル』の題名での書き下ろし本への出版に繋がる。なおこの本の出版にあたっては書き下ろし漫画の表現を巡って小林側と部落解放同盟側と対立する一幕も見られた(両者は後に戦争責任論を巡って対立関係になる)。天皇家を巡る周囲の姿勢に対して「天皇家に真の自由と敬愛を!」と批判を加えた回は当初SPA!誌での掲載を拒否され、後にガロで掲載された。その後、扶桑社から発行された単行本には収録されている。
初期の「ゴー宣」は、エッセイのつもりで描いていたと語り、政治ネタなどが現在の「ゴー宣」に比べて少なく、プロレスや演歌歌手などの芸能ネタもかなり多く、思想と言うよりは、素人の一漫画家として「ごーまんにも意見を述べてみる」という感覚で描いている部分が強く、知識人をバカにし、返り討ちにする過激な内容に進むのは、旧ゴー宣後半からである。そして現在の立ち位置とは相反する主張もしている(特に「東南アジアを植民地支配から解放した」という主張について、「泥棒を追い払って、新しい泥棒として居座っただけじゃないのか?」と語っていた)。政治・思想に本格的に向かっていったのは、「新・ゴー宣」の薬害エイズ問題終焉から、従軍慰安婦問題や、戦争論に進んで行く過程である。
オウム真理教とそのシンパとの対立
1989年に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件では、漫画上で当初は名指しこそしなかったものの、オウム真理教を激しく追及。これに対しオウム真理教側は自らの存在を厳しく批判する小林の存在を恐れ、様々な口実を作って自らの施設へ単独で誘い込もうと図るが小林側の警戒心は強く、遂にはVXガスによる暗殺を試みる実力行使に出るが失敗に終わる。これは後にオウム真理教への司法の追及が進むうちに発覚した。 それすら「世界初暗殺されかかった漫画家」とネタにしつつ被害を訴えていた(第158章参照)。
1995年、SPA!誌上でのオウム真理教擁護の動きに対し、靍師一彦編集長や宅八郎、松沢呉一らと対立。オウムへの疑念と警戒を強める小林に対しSPA本誌は宅と上祐史浩とのインタビューを載せるなど雑誌内での両者の意見の乖離が原因である。ゴーマニズム宣言によれば、小林は靍師と電話で話し「もしあなたの家族がオウムに殺されても、オウムのインタビューを載せるか」と聞いたところ、靍師は「載せる。それがジャーナリズムだ」と答えたという。
これによって小林は両者の関係の修復は不可能と判断し、同誌での連載を同年8月2日号をもって終了した。宅はこの頃から小林の圧力があったと主張するが、これに対して小林側は、『SPA!』での連載継続の意思を失ったと表明して間もなく、扶桑社の幹部から「どうすれば慰留して頂けますか?」と暗に宅や靍師らの更迭を示唆する申し出があったのを敢えて断ったとして否定している。『SPA!』での最終回では本誌への厳しい批判と他社での次回連載を告知するという異例の事態となった。
だが後に靍師は自身が妻と編集するクレイジー・ヤンという同人誌で、彼の妻のワタナベコウに対して内田春菊が「靍師とは離婚したほうがいい」とアドバイスしたことに激怒し、内田を連載陣から降板させている。靍師の言葉を真に受けるなら、妻との離婚をアドバイスされても掲載するのがジャーナリズムのはず。なのにあっさり連載を打ち切りにしたあたりに靍師のダブルスタンダードが垣間見える。
また小林騒動の際にSPA!編集部で靍師の側に立った編集部員は35人中の3人のみ。いかに靍師に人望がなかったかがうかがえ、一概に小林のプレッシャーに対して出版社が屈したとは言いづらいものがある。靍師は間違いなく問題児であった。
それとほぼ同時期にその動きを察知して小林にオファーをかけた小学館『SAPIO』で同年9月27日号より『新・ゴーマニズム宣言』を開始する(その連載開始前に同社の週刊誌『週刊ポスト』でオウム事件の顛末を描いた予告編的な書き下ろしを2週に分けて掲載)。
その後宅は扶桑社の意向などで小林批判を自粛させられるが、切通理作を批判するなかで誹謗中傷や自宅への嫌がらせ行為、プライバシー侵害行為を受けたと切通の抗議を受けて連載が打ち切られ、宅の行為を容認していたと同時に、連載中止に反対していた、靍師も編集長を解任された。
だが当時の靍師は扶桑社の社長を怒鳴りつける、つきあいの長いライターを殴る、脱糞した尻を妻に洗わせる、スカトロ趣味を文壇バーで公言する、内縁の妻と夫婦喧嘩したことを理由に午後まで出社拒否する、など奇行癖が目立つ状態であり、一概に小林とのトラブルのみが原因で解雇されたとは言いづらい。特にその酒乱ぶりは噂の真相の一行情報で報道されるほどであった。(詳しくは「新・ゴーマニズム宣言」の一巻の7章『80年代の生き残り・オウム的おたくの終鴈』、およびKKベストセラーズより出版された『しみじみしあわせ夫婦の素』を参照)この一件における宅や靍師一派の態度に憤慨した小林は『SPA!』連載分の単行本版権を扶桑社から引き上げ、双葉社に移した(後に出版された文庫版は幻冬舎から)。
薬害エイズ問題を巡って
この問題では旧「ゴー宣」時代に薬害エイズ事件を取り上げた事がきっかけで、一時期「HIV訴訟を支える会」代表に就任し精力的に活動する。小林は積極的に朝まで生テレビなどのTV番組へ出演し、問題の重要性を訴えた。自らのネームバリューを生かそうと考え、広告塔であることを積極的、能動的に捉えていた。本編においても支援集会の告知をし、ほぼ同時期にオウムとのトラブルを抱えながらも画面露出は抑える事なくつづけていた。HIV薬害感染者としてカミングアウトした川田龍平氏を全面的に肯定。厚生省、製薬会社、国に対して対抗する案を本編で提案していた。
「新・ゴーマニズム宣言スペシャル・脱正義論」
原告団勝訴後小林は運動に協力した学生ボランティアが日常生活に戻らず、市民活動家(もしくは偏向した思想団体の成員)になる事を危惧し、『新-』において「ボランティアの役目は終わった。後はプロフェッショナルの仕事であり、君達はプロになるためにもっと勉強をするべきだ」と学生に日常への復帰を求める主張を発表した。その途端支える会を支援していた各思想団体より「ボランティアの役目は永遠に終わらない、二度と悲劇が起こらないよう行政をボランティアの目から監視すべきだ」と批判を受ける。 ボランティアたちは団体の側について小林を攻撃、両者は決裂した。小林は引責と学生達に範を示すために代表を辞任する(実際は解任同然であった)。
この一件以後一部の小林支持者と対立する局面がしばしば発生する事になる。HIV訴訟の代表川田龍平氏に原告団が民青などの左翼活動家に利用されていることを小林が問うと川田龍平氏は「知ってますよ」と答えた。小林にはそれが自分に対する悪意を見せたかのように感じられ、愕然としたという(P78参照)。
この時期はまだ組織の恐怖を訴えるのみで、むしろ「私の連帯」を主張していたが、このシリーズ以降小林の方向性は弱者連合から弱者権力批判へ、個の連帯から公へと移行した。HIV訴訟を支える会の左翼体質への反発が原因とも関係者は言う。
「脱正義論」の中で西部邁が小林よしのりに接近する様が描かれている。西部邁が小林の事を心配して朝まで生テレビの収録後に声を掛けたと小林は理解しているようだが、本心は西部自身しかわからない。だがこの対話が運動から離れるきっかけとなった。
旧作第159章「帝京大・安部英と厚生省の倫理を問う」では、事務所に訪れた支える会の4人のメンバーを紹介する場面に名前、在籍する大学、趣味などが書かれてあったが「脱正義論」では在籍大学が削除されていた。作中の批判による私生活への影響を配慮してのことと思われるが、後の文庫版は単行本のままであった。
冒頭では、大学時代に、「学生活動やりかけたことがある」と描かれている。このエピソードは「ゴーマニズム宣言2巻・49章「絶対個の彼方へ」」に詳しく、すでに学生運動は下火となっていたが、「レーニンマン」とされる、左翼系のバイブル(レーニン、毛沢東、マルクスなど)を読み込んでいる男に影響され、学生運動に参加。「わけのわからんことをほざきながら、ヘルメットにタオルという、ダサい格好だけは拒否していた」と語る。結局、宗教の勧誘の方が人数を増やしている状況、運動自体が目的化し、遊んでいるような物だと感じ、社会に出て漫画家になるための勉強を選び、参加する事を辞める。漫画家になった数年後、「レーニンマン」と偶然、街で出会い、「中小企業で、ガンガン戦っている」と語る彼に、最初は呆れ半分に感心するが、資本主義を揺るがすような漫画を描くことを求められ、「個を潰して、社会のために働く気は無い」と、社会主義を明確に否定し、立ち去った。
「14章問題」と言われる、「学生は運動をやめて日常に復帰せよ!」と、運動家に乗っ取られた薬害エイズ運動を批判した小林を、ボランティア、弁護士らは激しく抗議し、団体の広報誌では、小林よしのり批判の方が薬害エイズ批判よりも多くなってしまう状態となったが、読者からは驚きと好意的な反応が帰っていた。小林はこの後、読者には「良き観客でいろ」と言い、その後の様々な活動でも、読者に一定の距離を保つことを求め続け、現在に至っている。
歴史教科書問題を巡って
『新・ゴーマニズム宣言』において従軍慰安婦問題への疑問を発表した。それをきっかけに左派や人権派の激しい批判を受ける。その一方で自虐史観に対して憂えていた人達からは熱狂的支持を受ける。なお小林の反権力的意見に共感していた読者は、これを機会に離れていった。小林は後に「慰安婦問題や戦争論で左の読者が離れ、保守を批判した事で右も離れた。商売としては美味しくない。でも、わしは自分の正義を貫くだけだから。」と、本日の雑談で語る。
『新-』以降は、ほぼ林房雄の大東亜戦争肯定論などを下敷きとした形で進む。その流れから新しい歴史教科書をつくる会に参加。当初のつくる会は、藤岡信勝の司馬史観(日露までの日本は良かった。昭和に入り、敗戦までの日本は暗黒の時代だった)で進んでいて、大東亜戦争肯定論を語る知識人を呼ばない戦略を立てていた。そして渡部昇一、中村粲、小堀桂一郎ら、右翼のレッテルを貼られている人間を外した。しかし小林は「戦争論」執筆の際、渡部昇一、中村粲に会い、名越二荒之助の本も読み、著書や意見を参考にし、司馬史観を飛び越え、大東亜戦争肯定論を描いた。そして、戦争論がヒットした事で、つくる会がそれに追従する形となる。自らも教科書の内容を執筆し、漫画でも克明に作業ややりとりについて記した。しかし会の運営や理論姿勢等について内部で行き違いが発生、小林は一部支持者の親米主義に批判的態度を強めて行き、遂には脱会する。小林脱会後のつくる会では大東亜戦争に批判的な意見も少なからず挙がっており、小林はそのことをとらえて、脱会後の会を「ポチ保守」として攻撃している。(参考文献 わしズムVol.7)
『新ゴーマニズム宣言スペシャル・戦争論』シリーズ
『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』において、元日本兵の弁護のため、小林は大東亜戦争(太平洋戦争)における日本の軍事行動を自存自衛として肯定、大東亜共栄圏を肯定、南京大虐殺をほぼ「なかった」論を展開して論争を巻き起こした。
つづく『戦争論2』では同時多発テロを非難するならばアメリカの空爆も非難されるべきだと問題提起。それまで小林の言動を支持していた親米保守派の中から、一転批判に転じる者もあった。小林も親米保守派をポチ保守と批判し、これ以降「真正保守」の立場から反米の立場を取る。
イラク戦争後に発売された『戦争論3』では、さらに反米色を強め、アングロサクソンの歴史的残虐性を指摘。日本とアメリカの対決は運命であったと主張。戦争論シリーズはこの3をもって完結。 イラク戦争に関しては、アメリカ追従の言論人を批判し、独立自尊の精神を持てと主張している。それにより親米派が大半である保守系右派の言論人と袂を分かち、手厳しく批判している。
『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』
前台湾総統李登輝の招きによる台湾訪問を一部始終『新-』本編に描き、その後現総統陳水扁らとの対談、書き下ろしなどを加えて『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』として出版した。
日本統治・支配を完全に肯定してはいない。日本人に比べ、台湾人が第二国民として差別されていたのを認めている。だが外省人よりは日本軍の方が紳士的であったとし、戦前はどちらかと言えば反日だった者が、戦後の国民党支配の過酷さに親日に転じた例も少なくないと言う。
本書は台湾においても出版された。日本統治時代の体験を持つ本省人を主とした年配者層には好意的に受け止められたとされるが、外省人からは強く批判され、2001年には、小林の台湾入国禁止処分にまで及んだ(しかしその処分は台湾国内から猛反発を受け、陳水扁総統や中華民国総統府国策顧問金美齢らの抗議声明にまで発展。小林の入境禁止処分は約20日間で解かれた)。
『新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論』
2005年6月に刊行した本書では沖縄米軍基地問題を描き、沖縄に関心を持とうとしない本土の人間の無関心さを批判した。「左翼勢力が強い」沖縄では、作家・目取真俊など、小林の見方を批判する評論が多いが、「自称保守派に対しても、手厳しく批判の姿勢を緩めない」小林の主張に共感を寄せる県民も、少なからずいるようで、本土での売り上げは、同時期に発売された『新ゴーマニズム宣言スペシャル・靖国論』に及ばなかったが、沖縄ではベストセラーとなった。
- 日本沖縄同祖論がDNA鑑定により、立証されたと主張。
- 日本古来の神道が純粋な形で現在もまだ残存していると主張。
- 按司を中心とした古代琉球の成立過程を詳細に示し、古代沖縄が独立国家であったことを小林は強意する。
- 元崩壊後の尚王朝成立過程を詳らかにする(一時期沖縄=琉球は元支配下にあったらしい)。
- 江戸幕府の支持、認可を得て沖縄を公認に支配したとするが、実際は認められたのは、奄美諸島までであり、それ以南の支配は隠匿されていた。幕府禁制の密貿易を島津が貪るためである。独立国を江戸幕府に偽るために朝鮮通信使を模倣した琉球通信使を敢えて中国風に装させ、将軍代替わりの度に江戸へ下向させた。
- 大戦中沖縄戦での多大な死傷者の上に現代の日本の繁栄があると、沖縄へ同情を寄せているが、集団自決の強制論には否定的であり、自主的であったと主張。
- しかし、2006年のわしズム秋号において、日本軍が沖縄の住民を壕から追い出した事例はあったと語り、「自分の命を第一にし、住民を見殺しにした兵隊は兵隊ではない」と、その時の日本軍にも批判を向けた。
- 米国の占領統治は見せ掛けの民主主義であり、沖縄支配はイラク、アフガニスタンなどへの先鞭であったと主張。
- 実際土地の強制収用が、米軍により予告なくなされ、農地を県民は奪われた。基地問題の端緒はそこにあるという。
- サンフランシスコ平和条約(1951年)により、沖縄は、日本から見捨てられたと、小林は怒りを露にする。
- サンフランシスコ平和条約以後も、軍政から、民政に移管されたが、高等弁務官による米国支配であり、見せ掛けの民主主義、自治政府であると主張。
- 沖縄の呼称をやめさせ、琉球を奨励したのはマッカーサー将軍であるとする。沖縄独立による米軍統治存続を望んでいたのではと推測。
- 米軍による今でも続くレイプ、犯罪を激しく責める。
- コザ騒動を紹介。
- いま尚残存する基地問題を本土も含めた問題であると主張。
- 最終章において祖国防衛戦争は肯定するが、侵略戦争は徹底批判している。
- 2005年8月14日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで、小林よしのりの沖縄論講演会が開かれたが、那覇市では、同時刻に石川元平(普天間基地爆音訴訟原告)、目取真俊(小説家)、安里英子(ライター)。コーディネーターに、沖縄大学助教授の屋嘉比収を迎え、日本の潮流と沖縄の戦後六十年というシンポジウムが開かれ、「小林氏の主張は見極めないとならない」と、明確に対抗意識を表明されるが、沖縄論講演会は1200人が参加、日本の潮流と沖縄の戦後六十年は100人と、明暗が分かれた。講演では、現在の沖縄の同調圧力の強さ、中国共産党による、チベットへの侵略、台湾への恫喝などを語り、「自国内で平和平和と言ってて、それで平和が来ますか?」と問いかけた。
『新ゴーマニズム宣言スペシャル・靖国論』
2005年8月にこれまでの靖国神社に関する章をまとめ、書き下ろしを加えて出版。戦後60周年の首相公式参拝をめぐる議論に加わった。
- 中曽根康弘の簡略化参拝を批判。儀礼への侮蔑と小林は言い、それを咎めた松平永芳を毅然とした立派な存在と描いている。
- 天皇親拝が廃された理由を三木武夫の私人参拝発言としている。
- 戦死者を犠牲者と見なしている小泉首相の参拝姿勢に対しては「国難に立ち向かった戦死者を奉る靖国神社の存在意義を冒涜している」と批判。
『本日の雑談』シリーズ
ゴーマニズム宣言を通じて友好を深めた、知識人であり評論家、西部邁との対談本は数多く出版されている。本書は、西部邁の「僕の文章は、論理的過ぎて分かりにくいと言われる」ため、「大胆で、雑談相手である小林さんが、相手をしてくれればなあ」と提案され、ゴー宣の発刊ペースでは時事を追いきれない小林よしのりも同意、2004年4月より約3カ月おきのペースで対談本シリーズとして刊行した。これは政治や経済からスポーツや芸能にいたるまでの幅広い時事問題を2人が雑談形式でざっくばらんに話したものである。2005年11月刊行の第8巻で終了(第9巻からは第Ⅱ期として、西部邁と、漫画家・弘兼憲史の対談となった)。これは一部で噂されている小林と西部の反目が原因ではないか、との憶測も飛び交っている。なお西部邁は、本日の雑談10巻で、「小林よしのりさんと付き合いがあった頃にも思ったけど、漫画の世界は非常に嫉妬とかをしない、男らしい世界なんでしょうね」という言葉を発している。
番外編シリーズについて
- 旧ゴー宣時代に当時の政治家や有名人との対談を漫画形式で描いた番外編を掲載。勝新太郎との分に関しては後の新ゴー宣単行本に掲載。
- 『噂の眞相』と対決姿勢をとっていた頃、同誌に連載を持っていながらも小林に対しては同情的であった本多勝一が編集委員を務める『週刊金曜日』に「よしりん仮面」と題して短期連載。日本の左翼の中でも過激な者が多い読者層だけあって抗議も殺到。後に本多とは南京大虐殺を巡る主張や態度などから敵対する事になる。これらの作品は後に刊行された単行本に収録。
- 『わしズム』へ掲載している番外編は「ゴーマニズム宣言EXTRA」の題名で掲載。同誌の特集等に合わせた内容の読み切り形式となっている事が多い。
- 新ゴー宣に日本の寺社にまつわる話を取材を交えて描いたシリーズを掲載していたが、親米保守批判を優先させる為か、現在中断されている。但し、本編では今でも伊勢神宮や出雲大社、宗像大社など、日本の国柄を強く表している土地への取材を行って描いた回を時折掲載している。
小林の理論姿勢について
- 「昔の自分は薄甘いサヨクであり、初期のゴー宣もそのスタンスから描いていたが、上記の件をきっかけに日本史等を改めて勉強し直して行くうちに自分の無知さを思い知らされて行き、次第に考えを改めて行くに至った」との趣旨の発言を作中で行っている。「サヨク」とは、小林によると、日本の伝統を破壊する者を指すと同時に資本主義を肯定しながらも人権と自由と反戦を叫ぶ者たちらしく、具体的には『朝日新聞』や、一部の市民団体辺りを指すらしい。
- 実際、昔と今のゴー宣を比べると明らかに180度主張が異なる回があるが、この考えを改めるに至った経緯についても連載分や単行本向けの書き下ろし等で克明に説明している。
- その為か、安易に考えをコロコロ変える人間に対しては、たとえ意見は同じでも、その人間性に対して徹底的な軽蔑ぶりを見せ、逆に相反する意見の持ち主でも評価する所は評価する姿勢を見せる。その姿勢は個人的に親しい人間に対しても例外でなく、かつて対談して評価した事もある石原慎太郎の親米主義に対して最近では石原に対して批判的な姿勢を見せるほど、安易な馴れ合いを拒んでその相手との絶縁覚悟の主張を行う事も度々である。一方かつては批判の対象としていた西部とは再び接近している。
- 従軍慰安婦問題がきっかけで左翼と人権団体への激しい批判を行う事がしばしであったが、その側の人間に日本の伝統文化を守ろうとする者が多い事実も認めており(日本では一部の過激派を除いて真性の左翼思想が完全には浸透していないが故の見方もある)、その破壊を加速させているアメリカニズムに肯定的な親米保守に対する批判を強める要因となっている。
- 大東亜戦争に関しては、一貫して白人や中国人の残虐性を強調し、日本は八紘一宇の精神によって戦争を行ったと主張している。そして南京大虐殺など日本が行ったとされる虐殺事件を全面的に否定し、日本は植民地であったアジア諸国を独立させたと主張している。これに対して、保守派の中にも日本軍の物資不足、軍紀の荒廃、責任の所在の不明確さ、作戦能力の欠如、精神主義、私的制裁の横行などの問題点を無視して日本軍を美化したものだという批判がある。
- アメリカ同時多発テロ事件以降、反米姿勢を前面に押し出し(元々、湾岸戦争の時から、反米的な態度も少しはあったが。)、アメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争に関連してターリバーン政権やサッダーム・フセイン政権を擁護しアメリカを批判する主張を繰り返し、日本の外交政策についてもアメリカへの追従であると糾弾している。
- 構造改革に対しても日本人の勤勉さや日本の伝統的な慣習を否定し、外資への売国行為として極めて批判的であり、昨今の社会的弱者切り捨てとも言える政策に対する警鐘を鳴らしている。とりわけ小泉政権下での「聖域なき構造改革」には、「アメリカとの心中」と断罪を下し、完全否定の姿勢をとっている。ライブドアをめぐる騒動の発生後には、一連の騒動の背景として小泉政権下の構造改革を挙げ、激しく攻撃しているが、当の小林が反対意見の根拠や具体的な対応策、さらには「反小泉改革」のための具体策が「旧来日本の保守」でしかないとする声もある。
- 一方、小林が構造改革によって破壊されつつある伝統の一例として引き合いに出している終身雇用などの日本の雇用慣行は実際には戦時の国家総動員体制に端を発する慣行であるとする意見もあるが、小林は、江戸時代の制度がそのまま移行した、とする仮説を語り、アメリカにも終身雇用はあると語る。「小林は終身雇用の破壊が若年層の失業問題の原因であるように論じている」とする意見もあるが、終身雇用はかえって若年層の新規採用に負の影響を及ぼすという指摘もある。
- アメリカのイスラム圏への民主化要求、GHQによる日本占領下での憲法制定、現代日本の社会的弱者の切捨て政策などを引き合いに出し、アメリカは自由主義や民主主義を強調し伝統を軽んじる点で左翼国家であると批判している。さらに、自由主義や民主主義を強調し伝統を軽んじる姿勢そのものを批判し、親米保守派もサヨクであると糾弾する。このことや、(後に述べる)古賀誠との関係や人権擁護法案・イラク日本人人質事件での小林の姿勢から、保守派の中には小林こそ反米左翼と変わりがなく、「自由主義や民主主義の価値観を軽んじる姿勢」とし共産主義と変わりがないのではないかという批判する者もいる。また、イラク戦争への反対、小泉改革への批判などの点で、左翼と奇しくも意見が一致している部分も多くなったが、小泉首相の8月15日参拝を全面的に評価し、戦争の評価や、左翼運動家の「生命至上主義」批判に、変化はない。
- 肯定的な人物(とりわけ小林よしのり自身)などはしっかりと精緻な美しさで描き、否定的な者に対して(たとえば小林に対する批判など)は醜く歪めて描く傾向にある。(場合によっては全面黒塗りにし、邪悪さを際立たせる)この手法については「マンガの表現の一つである」や「差別的に描いている」など賛否両論である。だが、タイトルを見てわかるとおり自ら、作中では傲慢な人間と振舞っているのでそのような意見はしても馬耳東風だろう。小林自身は「自分以外の男は、相当ヘンに描くよ。でも女性は美を引き出して描く。それがゴー宣の原理だからね」と語り、女性に関しては、意見が対立していても表現が緩和される傾向があり、敵対時の香山リカ、江川紹子なども、それほど醜い顔にはならなかった。しかし男性には容赦なく、意見が共通している人間でも、大抵の場合、小林自身より美形には描かれない。同じ人物でも、その時の言論状況によって描き方が変化している。あくまで似顔絵は「作者の印象」であり、「意見主張マンガ」である故の表現と言えるだろう。
- ノンフィクションでは無いが、実在の人物で構成され、現実社会に意見を主張する内容のため、かつての『おぼっちゃまくん』、『東大一直線』、そして一般的な漫画のように、現実と一線を画した仮想世界を、架空の人物を通して描くフィクション、物語でもない。時折、小林は作中で「早く物語の世界に帰りたい!」と叫ぶ。
- 新しい歴史教科書をつくる会を脱会したとはいえ、大東亜戦争肯定論は依然として主張しており、むしろ大東亜戦争(太平洋戦争)をめぐる歴史認識に関しては、保守的と見られるいわゆる司馬史観に対しても自虐史観とし、「真の保守は反米保守である」と西部と共に主張していた。保守派と言われる人々の中にも秦郁彦や山本七平など、小林とは大きく異なる認識を持つ者は少なからず存在する。
- 左翼(サヨク)の概念が曖昧であり、ただ自説に不利な資料を提供している者をサヨク呼ばわりしている面もある。また9.11以降は、小林言うところの親米ポチ保守もサヨクと変わらないと言うが、西部邁による所の「本来、フランスで生まれた革新派が左翼の原点と考えれば、自由と民主主義を掲げるアメリカは左翼国家であり、冷戦は左翼同士の対立であった」という説に従ったと思われる。
- 一方、イラク戦争以降はアメリカやその指導原理であると、小林が認識する新自由主義を激しく攻撃する一方で、中国や韓国の反日については取り上げる回は減少しているが、それらに対しては依然として厳しく批判する姿勢を崩していない。自主防衛を主張するが、それは現実的でないという批判を親米保守派が行っている。
- 論と付いたスペシャル版に於いても、基本的には物語に近いため、果たしてこの言葉が適当か、という意見もある。
小林と著作権法
- 上杉聰が執筆した『脱ゴーマニズム宣言』の題名で出版された「ゴー宣」批判本で小林の絵を57点73コマ、大量「無断引用」したとして、小林は上杉を作中で批判するだけでなく、著作権法違反および不正競争行為として民事訴訟を起こした。小林によれば、自分自身への批判は問題ではなく、本編の内容である従軍慰安婦議論も、「一発で崩れるレベルの低い論」と評したが、自分の絵を許可無く使用された事を問題視して訴訟へ踏み切ったとの事である。
- 上杉は「脱ゴー宣」で引用した小林の絵の中で、『醜く描かれた人物をそのままで引用したのでは、引用した書物も名誉毀損になる可能性がある』としてそれらの人物描写の一部に墨塗りを行った。小林は墨塗りを改竄と批判したが、上杉は『これ以上自分自身を醜く描けば名誉毀損で訴える』と宣言。これに対して、小林は上杉を全てベタ塗りで描くようになった。
- 引用を巡る訴訟は一審は上杉のほぼ全面勝訴となった(但し、小林の主張によると、悪質で、一方的なこじつけ裁判だと言っている、この主張の詳細と裁判の詳しい様子は「新・ゴー宣」8巻参照のこと。)。二審では必要以上に改変された箇所があるとして一部小林の主張が認められたが、その他出版や引用自体の差し止めなどは棄却となり(墨塗りも止むを得ない改変であり、合法との判断)、まだまだ全体的に上杉の主張寄りの判決自体には少なからず不満を示すも『一応目的は果たした』と表明。その後、上杉のみ上告したが、棄却され判決が確定する。[1]
- 高裁判決後、上杉は小林に対して名誉毀損(作中で『ドロボー』呼ばわりされた事なども加えて)を理由に民事訴訟を起こしたが、二転三転の末に最高裁で小林勝訴が確定した。
- 判決は、「本件漫画(小林のゴーマニズム宣言)においては,被上告人(上杉)の主張を正確に引用した上で,本件採録の違法性の有無が裁判所において判断されるべき問題である旨を記載していること,他方,被上告人(上杉)は,上告人小林を被上告人著作中で厳しく批判しており,その中には,上告人小林をひぼうし,やゆするような表現が多数見られることなどの諸点に照らすと,上告人小林がした本件各表現は,被上告人著作中の被上告人(上杉)の意見に対する反論等として,意見ないし論評の域を逸脱したものということはできない。 」とあり、反論した小林の行為は、「論評の域を超えるものではない」とされ、小林勝訴となった[1]。
小林の立場の変化
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』で、大東亜戦争を肯定的に描いた小林だが、元々そうだったわけではなく、『ゴー宣』連載当時は、これを全否定する「サヨク」だったと語っている。初期の『ゴー宣』にもしばしばそういった言動が見受けられるが、最も鮮烈なのは、第81章「大それたことに戦争責任」(幻冬舎文庫『ゴーマニズム宣言』第4巻収録)である。徹底した大東亜戦争批判をしており、政府に向けて「謝罪くらいしておけ」と言うなど、現在では考えられない内容となっている。そのため、幻冬舎より発売された文庫版『ゴー宣』では、この章の始めと終わりに、当時の自身を反省する内容の簡単な描き下ろしを加えた。
- 相手との論戦において、非常に厳しい攻撃を漫画の絵で表現することが多い。ロフトブックス編『教科書が教えない小林よしのり』は、醜く描かれた側からの反論の一例である。『教科書が教えない小林よしのり』では、玄田生(山本夜羽音)によるパロディ漫画「逆ゴーマニズム宣言」で、小林の手法をそっくりそのまま反転させた。
- 逆ゴーマニズム宣言では、小林は美男子ではなく、注射を打たれた病人として描かれ、とりわけの美女に小林には画かれているカナモリ女史は、玄田筆によると、眉だけの高慢の女として画かれる。…玄田氏に掛かると、新しい歴史教科書をつくる会の面々が「知的ルサンチマン」とされ、妖怪じみた物に描かれる。
- かつて、柳美里との論戦において、小林は柳を裸の(女)王様のイラストで描いて批判する。これに対し、柳は小林を「言論猿」、「大して頭の良くない人」などと批判し泥仕合に発展。これが原因かどうかはともかく、神戸連続児童殺傷事件を巡って他の学者とも泥仕合を繰り広げた挙句、柳は言論界から距離を置く結果に。
- 最近では親米保守派の言論人を猿に描き(西尾幹二等)、「ウキャー 民主主義ダー」などのセリフを語らせて批判。これに対してモデルとされる言論人等が月刊誌などで小林を激しく批判、またしても泥仕合になる。以後、小林は特定の人物達を先の上杉同様にベタ塗りで描くと宣言。そして、ベタ塗りの対象とされたのは西尾幹二と石井英夫だが、上杉側が名誉毀損の証拠として、両者の小林批判を、裁判所に提出したためであると、「新・ゴーマニズム宣言14巻」で明らかにしている。
- 衆議院議員で自民党前幹事長の古賀誠を、「真の保守政治家」として支持。2003年刊行の『わしズム』Vol.5で対談を行なったのを皮切りに、シンポジウムや講演会などでたびたび席を共にしている。ちなみに、古賀は2005年の第162回通常国会で提出が断念された人権擁護法案推進派の中心人物であったことから、「小林が人権擁護法案について言及しないのは、古賀に遠慮しているからだ」などと批判を受けた。但し、小林が編集長を務める『わしズム』でこの法案を厳しく批判した業田良家の漫画(「緊急提言 ゴーダは人権擁護法案に反対します!」『わしズム』Vol.15)が掲載されたことをもって同法案に否定的である、と小林を擁護する声があったほか、最近の『SAPIO』連載分の欄外コメントでは古賀の事は一定の評価を示しながらも同法には反対を表明し、そのことを偶然、同じ飛行機に乗り合わせた古賀にも伝えたと述べている(但し、その一方で『本日の雑談』のなかで、古賀が人権擁護法案にこだわるのは、自分の外面がいかにもダーティな印象を与えるので、死刑廃止にこだわる亀井静香と同様、こういう法案を推進していることでヒューマンな部分を強調したいのではないか、という趣旨で古賀を擁護するとも取れる発言をしている)。しかし、人権擁護法案の件にかぎらず、歴史観や思想面で真正保守とはいいがたく、「自民党内社民党員」と揶揄される古賀を「真の保守政治家」と絶賛し支持する小林の姿勢を疑問視する者も多い。
- 2004年に起こったイラク日本人人質事件に対してマスコミやネット等からの、当の人質となった人間や家族の言動に対する激しいバッシングが沸き起こった一件に対して、『わしズム』vol.11に掲載されたよしりん企画社員の時浦兼との対談において日本本来の国民性を損ねる行為であるとして厳しく批判し、その後、わしズム掲載分の対談に新たな語りおろしを加えた対談本『ゴー外!! 1』(アスコム刊)を緊急出版した。問題の人質関係者や左翼と呼ばれる(それを自称する)人間の主張にも批判も行いながらも一面理解を示すなど、思考の柔軟性を損ねて事の本質を見誤る危険性に対する警鐘を鳴らした。
- 『SAPIO』9月27日号で、今までネットを激しく批判してきた立場を翻し、インターネット上のいわゆる「ネット保守(ネット右翼)」に共闘をもちかける。NHKの『日本の、これから』や、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』などの番組で、サンフランシスコ講和条約・第11条を「諸判決」ではなく「裁判」と訳し、東京裁判史観を押し付けるマスコミの報道姿勢を批判し、「わしのゴー宣は、描き始めてから発表に3週間かかる。あえて批判してきたネット保守に共闘をもちかけたい。今後、同調圧力をかけるマスコミがいたら、直ちに批判してくれ!わしの力の限界を超えてくれ!」、と、「ネット保守」に共闘を呼びかけているが、それまでネットを厳しく批判していた小林の急激すぎる変化に、不信や疑問の声が上がっている。一方、「共通の敵」(主に日本のサヨク・中国・韓国の反日)と戦うと言う名目で、共闘に賛成する意見もある。
書籍
- 『ゴーマニズム宣言EXTRA 1』(2004年・幻冬舎) ISBN 4344006593
- 『ゴーマニズム宣言EXTRA 挑戦的平和論 上巻』(2005年・幻冬舎) ISBN 434401085X
- 『ゴーマニズム宣言EXTRA 挑戦的平和論 下巻』(2005年・幻冬舎) ISBN 4344010868
- 『ゴー外!! 1』(2004年・アスコム) ISBN 4776201887
- 『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル』
- (1995年・解放出版社) ISBN 4759260315/(1998年・幻冬舎文庫) ISBN 4877286225
- 『新・ゴーマニズム宣言スペシャル 脱正義論』(1996年・幻冬舎) ISBN 4877281282
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(1998年・幻冬舎) ISBN 4877282432
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 「個と公」論』(2000年・幻冬舎) ISBN 4877289550
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論』(2000年・小学館) ISBN 409389051X
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』(2001年・幻冬舎) ISBN 4344001311
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論3』(2003年・幻冬舎) ISBN 434400356X
- 『ゴーマニズム宣言SPECIAL よしりん戦記』(2003年・小学館) ISBN 4093890544
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論』(2005年・小学館) ISBN 4093890552
- 『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 靖国論』(2005年・幻冬舎) ISBN 434401023X
- 『ゴ-宣SPECIAL いわゆるA級戦犯』(2006年・幻冬舎) ISBN 4344011910