愛知県立明和高等学校
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愛知県立明和高等学校(あいちけんりつ めいわこうとうがっこう, Aichi Prefectural Meiwa High School)は、愛知県名古屋市東区白壁二丁目に所在する県立高等学校。尾張藩の藩校である明倫堂の伝統を受け継いだ、歴史ある名門校[1]。
目次
概要
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- 歴史
- 1749年(寛延2年)創設の「学問所」、1783年(天明3年)尾張藩創設の藩校「明倫堂」の流れをくむ旧制中学校「明倫中学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校「愛知県立明倫高等学校」(男子校)となった後すぐに、高等女学校を前身とする「愛知県立第一女子高等学校」と統合され、現校名となった。なお校名「明和」の由来は、旧制・明倫の「明」と第一高等女学校の同窓会「和楽会」の「和」を組み合わせたものである。
- 校地
- 立地は名古屋都心で、周辺には官庁街やオフィスビルが多数立地する中にある。校地は尾張藩家老・成瀬隼人正の中屋敷跡、旧愛知一中(現愛知県立旭丘高校)、旧愛知県立第一高女(前身校のひとつ)の校地であり、名古屋城を望むこともできる。
- 教育目標
- 「広い視野からものを考え、自主的精神に満ち、自律的に生活できる、心身ともに健康にして情操豊かな国民の育成を期する」者を育成するために
- 広く学び、深く考える態度を培い、純真な感性を養う。
- 強い克己心を持ち、社会的存在としての自己の責任を自覚し、遂行できる能力を養う。
- 自己の特性を自覚し、自発的に学習できる態度を育てる。
- 自ら身体を鍛え、生命を尊ぶとともに、たくましく生き抜く気力を養う。
- 親和と友愛を持って敬信・慈愛の気溢れる学校生活の実現に努める。
- なお、明確な「校訓」というものが存在しない。
- 制服
- 全日制課程 - 男子冬服は黒の詰襟学生服(学ラン)、女子冬服は太い一本ラインが県一高女時代の名残。
- 定時制課程 - ない。
- 授業・教育課程など
- 全日制課程
- 定時制課程
進学状況
進路としては、地元の名古屋大学に例年名古屋市内の高校で最多の合格者数を出すなどきわめて地元志向が強いが、関東圏・関西圏の大学へ進学するものもいる。
2016年度の合格者数は、地元の名古屋大学が78名、(関東圏)東京大学が9名、慶應義塾大学が16名、早稲田大学が30名、(関西圏)京都大学が22名、大阪大学が12名であった(含浪人)。
沿革
- 旧藩校・旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1749年(寛延2年)11月15日 - 徳川宗勝、「学問所」を創設する。
- 1783年(天明3年)5月1日 - 徳川宗睦、「明倫堂」を創設し細井平洲を初代督学(校長)とする。
- 1869年(明治2年) - 明倫堂の呼称を改め、単に「学校」と称する。
- 1871年(明治4年)10月10日 - 明倫堂聖堂が売却される。
- 1889年(明治22年)- 「武揚学校」が開校(詳細不明)。
- 1899年(明治32年)11月20日 - 私立明倫中学校の設立が認可される。初代校主は徳川義礼。
- 1900年(明治33年)4月1日 - 「私立明倫中学校」が開校。初代校長は海部昂蔵。修業年限を5年、入学資格を12歳以上の高等小学校2年修了者とする。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の改正により、入学資格を12歳以上の尋常小学校(6年)卒業者とする(尋常小学校の課程が2年延長されたため)。
- 1919年(大正8年)2月21日 - 愛知県へ移管され、「愛知県立明倫中学校」と改称。
- 1922年(大正11年)5月1日 - 「愛知県明倫中学校」に改称(「立」が除かれる)。
- 1921年(大正10年)8月 - 第7回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園大会の前身)に出場。
- 1934年(昭和9年)4月1日 - 夜間中学校(夜間定時制の前身)を設置。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、入学資格を12歳以上の国民学校初等科修了者とする。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限を従来の5年から4年に短縮する。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 5年生(1940年(昭和15年)入学生)と4年生(1941年(昭和16年)入学生)の合同卒業式を挙行。
- 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限の短縮が前倒しされ、1941年(昭和16年)以降に入学した生徒にも修業年限4年が適用されたため。
- 4月1日 - 戦時教育令により、昭和20年度の授業が(1年間)停止される。後に戦況の更なる悪化で、無期限での授業停止が命じられる。ただし勤労動員は継続。
- 9月 - 終戦により、教育二関スル戦時非常措置方策や戦時教育令等が廃止され、平時授業が再開されることになる。
- 3月 - 5年生(1940年(昭和15年)入学生)と4年生(1941年(昭和16年)入学生)の合同卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年修了時点で卒業することもできた)。学制改革を1年後に控え、この時の入学生が旧制中学校最後の入学生となる。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(旧制中学校1~3年を廃止し、新制中学校1~3年を設置)。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設(以下:併設中学校)し、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革が行われる(旧制中学校4・5年を廃止し、新制高等学校1~3年を設置)。
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「愛知県立明倫高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:愛知県立明倫高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「愛知県立明倫高等学校」(男子校)が発足。
- 高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1903年(明治36年)3月1日 - 「愛知県立高等女学校」が設置される。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 県内に高等女学校が新設されたため、「愛知県立第一高等女学校」と改称。
- 1922年(大正11年)5月1日 - 「愛知県第一高等女学校」に改称(「立」が除かれる)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(高等女学校1~3年を廃止し、新制中学校1~3年を設置)。
- 高等女学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設(以下:併設中学校)し、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革が行われる(高等女学校4・5年を廃止し、新制高等学校1~3年を設置)。
- 高等女学校が廃止され、新制高等学校「愛知県立第一女子高等学校」が発足。
- 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:愛知県立第一女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 高等女学校が廃止され、新制高等学校「愛知県立第一女子高等学校」が発足。
- 統合・新制高等学校(男女共学)
- 1948年(昭和23年)10月1日 - 公立高校再編により、上記2校が統合され、「愛知県立明和高等学校」となる。男女共学を開始。
- 旧・第一女子高校の校地・校舎(現在地)を継承。
- 旧・明倫高校の校地は1952年(昭和27年)より愛知県立愛知商業高等学校が使用している[3]。
- 併設中学校も統合された(名称:愛知県立明和高等学校併設中学校)。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 通常課程に音楽課程を新設。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 商業科の募集を停止(1955年(昭和30年)3月31日廃止)。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 家庭科の募集を停止(1956年(昭和31年)3月31日廃止)。
- 1956年(昭和31年)4月 - 名古屋市と尾張部一円が普通科の学区となる。
- 1973年(昭和48年)4月 - 学校群制度による1期生入学。中村高校と名古屋6群、松蔭高校と名古屋7群を組む。
- 1989年(平成元年)4月 - 複合選抜入試制度による1期生入学。普通科は尾張2群Aグループに、音楽科は専門学科Aグループに属する。
- 2011年(平成23年)4月 - SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定を受ける。
- 2019年(令和元年)11月6日 - 県教委が2020年度の定時制の1クラス増を発表(旭丘、瑞陵の定時制募集停止に伴う急減緩和措置による定員増) [5]
学校行事
- 全日制課程
- 2学期制
- 明和祭
- 毎年、9月上旬に「体育祭」と「文化祭」がおこなわれる。2つをあわせて「明和祭」と称される。全学年とも夏休み前から準備に励む。体育祭は平日の一日をかけて、文化祭は土日も含めて3日間かけて行われる。企画・運営はすべて生徒主体で行われる。全て一般公開されており、招待状などは必要ない。
- クラスマッチ
- 7月と3月に2日間かけて行われる球技大会。各クラスごとにブロックカラー色のお揃いのクラスTシャツを着て競う。また、夏休みには卒業2年目の同窓生によって「ハタチマッチ」なるものが本校体育館にて伝統的に開催されている。
部活動
- 全日制課程
- 運動部
- 文化部
- 定時制課程
- 運動部
- バスケットボール部
- 陸上部
- 文化部
- 演劇部
- 合唱部
著名な出身者
政界
- 仲谷義明 - 元愛知県知事、自治省官僚
- 塚本三郎 - 衆議院議員(民社党)、元民社党中央執行委員長、勲一等旭日大綬章受章
- 水平豊彦 - 衆議院議員(自民党)
- 吉田萬次 - 参議院議員、一宮市長
- 長谷部広子- 参議院議員、教育者
- 伊藤太 - 春日井市長
- 久保田桂朗 - 岩倉市長
官僚・軍人
- 飯沼守 - 陸軍中将、第110師団長、第96師団長、陸軍省人事局長
- 森下信衛 - 海軍少将、戦艦大和艦長(大和が沖縄特攻を行った坊ノ岬沖海戦においては第2艦隊参謀長として乗艦)
- 堀栄三 - 陸軍中佐、情報参謀、陸将補
財界
- 豊田喜一郎 - トヨタ自動車創業者
- 岩沙弘道 - 三井不動産会長、日本経団連副会長
- 水野耕太郎 - 東邦ガス代表取締役会長
- 小川進 - 元東邦ガス取締役社長
- 深谷紘一 - デンソー会長
- 加藤隆一 - 元東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取・会長、元名古屋商工会議所会頭
- 岩中祥史 - エディットハウス代表取締役。「大ナゴヤ元気会」事務局長
- 市橋保彦 - 日野自動車代表取締役会長
- 福島良典 - グノシー創業者、代表取締役CEO
- 三輪尚治 - 名港海運株式会社社長
- 内藤明人 -元リンナイ株式会社社長、元名古屋商工会議所副会頭
学者
- 大橋洋一 - 東京大学大学院人文社会系研究科教授
- 重田園江 - 明治大学政治経済学部教授
- 小林誠 - 高エネルギー加速器研究機構名誉教授、2008年度ノーベル物理学賞受賞
- 加藤延夫- 第10代名古屋大学総長
- 山桝忠恕 - 慶應義塾大学教授
- 鈴村興太郎 - 一橋大学名誉教授、元日本学術会議副会長、元日本経済学会会長、日本学士院会員
- 安田亨 - 駿台予備学校数学科講師、「大学への数学」執筆者
- 蛭川幸茂 - 松本高等学校 (旧制)、愛知学院大学、名古屋大学教授
- 塩見美喜子 - 慶應義塾大学医学部准教授
- 水谷研治 - 経済評論家、元東海総研代表取締役、中京大学名誉教授(戦後の学区制により名古屋西高校へ転校)
- 高取正男 - 京都女子大学教授
- 西田篤弘 - 元宇宙科学研究所所長
- 栗田元次 - 旧制第八高等学校(名古屋大学の前身)校長、名古屋大学教授
法曹
文芸
マスコミ・芸能
- 八木康夫 - TBSプロデューサー、TBSテレビ取締役
- 柴田秀利 - ジャーナリスト、日本テレビ放送網専務取締役
- 村瀬寛美 - メ~テレアナウンサー
- 浅野光成 - NHKアナウンサー
- 半谷進彦 - NHKアナウンサー
- 井澤愛巴 - フリーアナウンサー (元山形テレビ)
- 山吹ひばり - 宝塚歌劇団宙組娘役
音楽
- 渡辺宙明 - 作曲家、渡辺商事社長、東映アニメーション研究所講師
- 安藤正容 - ジャズギタリスト T-SQUAREのリーダー・作曲家・音楽プロデューサー
- 倉橋ヨエコ - シンガー
- 松尾葉子 - 指揮者
- 川上ミネ - ピアニスト
- 田村響 - ピアニスト
皇族
交通
関連項目
脚注
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- ↑ 愛知県立明和高等学校
- ↑ 当時の生徒会が強く懇願して作曲が実現した。
- ↑ 愛知県立愛知商業高等学校ウェブサイト - 本校の沿革概要 2011年(平成23年)10月01日閲覧
- ↑ 現在でいう全日制課程(普通科・商業科・家庭科)、定時制課程(夜間部)普通科。
- ↑ 令和2年度愛知県立高等学校生徒募集計画について 愛知県教育委員会 2019年11月6日、2019年11月22日閲覧