渡部あきのり

提供: Yourpedia
2019年6月3日 (月) 21:24時点における222.2.40.201 (トーク)による版 (表示崩れ防止、テンプレ復元)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

本項目「渡部あきのり」は、先編集権が主張されています「同意を得ないリバート」「記事の置き換え・白紙化」等の不正改竄は荒らしとみなされブロックされますので、ご注意ください。また、このテンプレートを剥す行為も荒らしとみなされますのでご注意下さい。どうしても自分の意に沿う編集をされたい場合は「渡部あきのり (2)」という様な感じでフォークを立てて下さい。

渡部 あきのり
[[画像:|0200px|]]
基本情報
本名渡部 信宣
通称
階級ウェルター級
国籍日本の旗 日本
誕生日1985年7月10日(2024-1985)+((11-7)*100+(28-10)>=0)-1歳)
出身地埼玉県北葛飾郡杉戸町
死没日
死没地
スタイルサウスポー
プロボクシング戦績
総試合数22
勝ち19
KO勝ち17
敗け3
引き分け
無効試合
テンプレートを表示

渡部 あきのり(わたなべ あきのり、男性、1985年7月10日 - )は、日本プロボクサー。リングネームは本名の渡部 信宣(読み同じ)から牛若丸 あきべぇ(うしわかまる - )を経て渡部あきのりに至る。埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。協栄ボクシングジム所属。身長175cm。花咲徳栄高等学校卒業。

来歴

ボクシングの名門校である埼玉県の花咲徳栄高校ボクシング部出身。インターハイ準優勝の実績がある。

高校在学中に協栄ジムに入門し、卒業直前の2004年2月16日に本名の「渡部信宣」でプロデビュー。デビュー戦を4R判定勝ちで飾る。

2005年9月27日、東日本ウェルター級新人王トーナメント準決勝で前川洋昭に対し2RKOで勝利。その後、予定されていた決勝戦の対戦相手が棄権したことによる昇格で、東日本ウェルター級新人王を獲得した。

2005年12月18日、細川貴之に2RKO勝利を収めて全日本ウェルター級新人王となり、MVPに選ばれた。

2006年3月下旬にはパウンド・フォー・パウンド最強といわれるフロイド・メイウェザー・ジュニアの依頼を受けスパーリングパートナーとして渡米した。スパーリング後、メイウェザーに「俺は世界一強い男なんだから、一発も当たらなくてもくよくよすんなよ」と慰められた。

「江戸乃牛若丸」のニックネームでジムメイトの亀田興毅亀田大毅の前座を務め、2006年6月に正式に亀田史郎に弟子入り。練習メニューのほとんどを亀田兄弟と共にこなすようになる。リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変更した。

2006年9月27日、金燦鐘(キム・チャンジョン)との試合において、キムがレフェリーの指示を勘違いし、コーナーの方向に背を向けて歩いていたところを背後から側頭部へのパンチでKOするという珍しい展開があった。

2006年11月20日インドネシアウェルター級2位のシャムスル・ヒダヤットを初回TKOで破り、日本ウェルター級1位にランクアップした。2007年4月に日本タイトルに初挑戦する予定であったが、挑戦権があるにもかかわらず対戦を回避した。

2007年6月に、亀田一家から“卒業”し、元通り協栄ジムでトレーニングを開始。9月17日WBA世界11位のファルカド・バキロフと対戦。8RTKO勝ちを収め、浜田剛史が従来持っていた日本人選手の連続KO勝ち記録(15連続KO)と並ぶタイ記録を達成するが、後にバキロフは練習時間が2週間しか貰えなかったことを明かした。

2007年12月6日に日本ウェルター級タイトルマッチを湯場忠志と行い、1R湯場からダウンを奪うもすぐに2度倒し返され、1R1分30秒KO負け。日本タイトル初挑戦は失敗に終わった。

2008年4月21日、日本ウェルター級5位の上石剛を相手に再起戦を行うが、1R2分41秒TKO負け。

2008年10月8日、この年からA級トーナメントから変わった日本タイトル挑戦権獲得トーナメント(最強後楽園)決勝で、日本ウェルター級6位の中川大資に3RTKO負けを喫し3連敗となった。日本ウェルター級9位にランクは下がり、この年11月、リングネームを「渡部あきのり」に変更した。

2009年6月14日、日本ウェルター級8位として同ミドル級6位の古川明裕と71.0kg契約10回戦を行った。初回に左ストレートでダウンを奪って攻勢をとり、4Rにカウンターの右フックで再び古川をダウンさせたところでタオルが投入され、この回KO勝利で再起を果たした。

2009年8月22日レイジングバトル70.0kg契約準決勝で日本ウェルター級7位として海老根範充と対戦し、初回KO勝利を収めた[1]

2009年10月23日、同トーナメント決勝で日本ウェルター級6位として同ミドル級5位の岳たかはしと対戦。2-0 (39-37、39-38、38-38) の判定勝利で優勝を収め、MVPも獲得した[2]

戦績

  • アマチュアボクシング:20戦15勝 (6KO/RSC) 5敗
  • プロボクシング:22戦19勝 (17KO) 3敗 (3KO)
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2004年2月16日 4R 判定3-0 大川泰弘 日本の旗 日本
(オークラ)
プロデビュー戦
2 2004年10月18日 1R 2:15 KO 田辺修輔 日本の旗 日本(ジャパンスポーツ) -
3 2005年6月14日 1R 2:00 TKO 飯塚ひろき 日本の旗 日本
(高崎)
東日本ウェルター級新人王トーナメント予選
4 2005年8月5日 1R 1:29 KO 神宮寺一朝 日本の旗 日本
(ワタナベ)
東日本ウェルター級新人王トーナメント準々決勝
5 2005年9月27日 2R 1:17 KO 前川洋昭 日本の旗 日本
(帝拳)
東日本ウェルター級新人王トーナメント準決勝/対戦相手消滅により東日本ウェルター級新人王獲得
6 2005年12月18日 2R 1:10 KO 細川貴之 日本の旗 日本
(六島)
全日本ウェルター級新人王決定戦(MVP獲得)
7 2006年3月8日 2R 2:33 TKO 西川和孝 日本の旗 日本
(中外)
-
8 2006年5月5日 8R 1:35 KO ルイス・オカモト 日本の旗 日本(相模原ヨネクラ) -
9 2006年8月2日 1R 1:02 KO 千然宇 大韓民国の旗 韓国 -
10 2006年9月27日 1R 2:31 KO 金燦鐘 大韓民国の旗 韓国 -
11 2006年11月20日 1R 1:10 TKO シャムスル・ヒダヤット インドネシアの旗 インドネシア -
12 2007年2月23日 1R 1:15 KO ジョコー・トゥンガル インドネシアの旗 インドネシア -
13 2007年3月24日 1R 0:30 KO マルコ・トゥフムリー インドネシアの旗 インドネシア -
14 2007年4月30日 4R 2:23 KO ダルシム・ナンガラ インドネシアの旗 インドネシア -
15 2007年5月23日 2R 1:50 KO ジャック・マカン インドネシアの旗 インドネシア -
16 2007年9月17日 8R 2:28 TKO ファルカド・バキロフ ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン -
17 2007年12月6日 1R 1:30 KO 湯場忠志 日本の旗 日本(都城レオスポーツ) 日本ウェルター級タイトルマッチ
18 2008年4月21日 1R 2:41 TKO 上石剛 日本の旗 日本(コーエイ小田原) -
19 2008年10月8日 3R 1:44 TKO 中川大資 日本の旗 日本
(帝拳)
日本タイトル挑戦権獲得トーナメントウェルター級決勝戦
20 2009年6月14日 4R 0:38 KO 古川明裕 日本の旗 日本
(ワールド日立)
71.0kg契約
21 2009年8月22日 1R 1:06 KO 海老根範充 日本の旗 日本
(国際)
レイジングバトル70.0kg契約準決勝
22 2009年10月23日 4R 判定2-0 岳たかはし 日本の旗 日本
(新田)
レイジングバトル70.0kg契約決勝(MVP獲得)

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク


Wikipedia-logo.svg このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・渡部あきのりを利用して作成されています。変更履歴はこちらです。