亀田大毅

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亀田大毅
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亀頭大毅(かめだ だいき、きとう だいき1989年1月6日 -2007年10月12日 )は、プロボクサーである。右ファイター。ボクシング家族である亀頭三兄弟の次男で、亀頭興毅の弟であり、亀頭和毅の兄である。父の亀頭史郎がトレーナーを務める。身長168センチ。

2007年4月現在、フライ級の世界タイトル戦線に参戦するため、減量調整中。

WBAフライ級のランキングを保持し、同団体の世界タイトルを狙っているが、同門の坂田健史が同級世界王者になった為、現段階でのWBA挑戦の実現は困難となった。その後、WBCフライ級15位にランキングされ、WBCフライ級王者の内藤大助に挑戦したが、反則行為を繰り返したため惨敗。

内藤戦前に、「負けたら切腹するわ、それが日本人やろ」と会見で大きく宣言。反則行為により、内藤の勝利がほぼ内定すると、会場内は「切腹」コールで溢れ返るほどであった。

当然この宣言は守られず、またそのことに関して一切触れられなかった。

反則行為に関して、兄の興毅と父・史郎が厳重に処分され、大毅も2007年10月から1年間のライセンス停止の処分が下された。

2008年1月27日、都内で車を運転中、追突事故を起こした。その後、この事故に関して大毅は報道陣に「車はぶつけるもんやろ」と発言していたことが分かり、不謹慎であるとして金平桂一郎会長が厳罰を示唆した。

また1月27日に報道陣に対し「なんでかわからんが試合でられへん」と発言した。無論、これは内藤戦で違反行為をしたことによるものである。

人物[編集]

  • 自称「浪速乃弁慶」(なにわのべんけい)。その由来は「倒れないタフなところ」に憧れたものである。しかし日本人と戦わない(内藤以外)、平然と他の日本人ボクサーを批判するくせに挑まれると尻尾を巻いて逃げることから、浪速乃内弁慶(なにわのうちべんけい)と揶揄される。
  • デビュー戦用のポスターには自ら武蔵坊弁慶イラストを描いた。
  • イラストが得意で、イラストレーター志望という報道がなされたこともある。
  • プロライセンスの実技試験には、世界戦レベルの50人を超える報道陣が集まり、同日にパシフィコ横浜でデビュー戦を行った。
  • 筆記試験では、「協栄」という漢字が書けなかったと告白している。
  • 三兄弟の中では一番唄がうまい(でもド下手ww)とされており、KO勝ちした場合試合後にリング上で歌う。この音痴な歌は野田憲太郎のピアノ同様人を不快にさせる音波を発している。このリングを自分のためだけの舞台にしている、という行為に関しては多くの人間が怒りを感じており、実質肯定的な意見を言っているのは亀田に踊らされているスイーツ(笑)と、TBSの犬どもくらいである。
  • 上記のように、自らが犯した犯罪・反則に関して何の反省の色も見せず、のうのうとしてる事からも批判が多い。

来歴[編集]

大阪市西成区天下茶屋出身。小学生からボクシングを始め、天下茶屋中卒業後はアマチュアの試合に出場し13勝(4KO・RSC)2敗。2004年(平成16年)5月に、史上最年少の15歳3ヶ月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。2005年11月、協栄ボクシングジムに入門。2006年1月11日、B級ライセンス(6回戦)のプロテストに合格。

内藤大助に負けたら切腹すると公言していたが、未だ実現していない。ちなみにアンサイクロペディアでは、切腹して死んだことになっている。

内藤戦での悪質な反則により、一年間の出場停止処分を受けたがファイトマネー1億円は、没収されなかった。

プロ経歴[編集]

2006年2月26日 対サマート・シットサイトン(タイ)1R23秒KO勝利

試合開始10秒、左フックによるKO勝利。対戦前に宣言していた「兄の興毅が記録した“1ラウンド44秒のKO勝利”を抜く」を実行した。
対戦相手のサマート・シットサイトンは日本ボクシングコミッションから2006年度の招聘禁止選手(来日成績が未勝利かつ、KO負けや無気力試合の末の大差判定負けが続いている選手──主にタイ人が指定される)であったが、指定された後の05年12月にタイ国で1勝を挙げ、同国コミッションより「B級(6回戦)の試合の出場が適う」と推薦を得た上で日本での試合出場が認められていた(「ボクシングマガジン」06年4月号より)。
「ONLY LOVE」(ハウンド・ドッグ)を歌う。

2006年8月20日 対ウィド・パエス(インドネシア)1R1分45秒KO勝利

ウィド・パエスは当時インドネシアマイナー団体の現役王者。
試合後の勝利者インタビュー中、試合を八百長であると罵倒する観客の声がテレビ中継で収録されている。
ロード」(THE 虎舞竜)、アンコールとして「Dear」(T-BOLAN)を歌う。

2006年9月27日 対バレリオ・サンチェス(WBC世界スーパー・フライ級21位)判定勝利(2-0)

サンチェスは当時36歳、34戦17勝勝率5割。試合はWBAのメンドーサ会長・役員も観戦していた。
試合後、判定内容を批判した観客と別の観客及び亀田史郎らとの間で揉み合いが発生した。
試合後、メンドーサ会長は、大毅の印象について、潜在能力があるが、経験が不足していることを指摘するコメントをしている。

2006年12月20日 対モハマド・サディック(インドネシアライトフライ級4位)1R37秒KO勝利

モハマド・サディックは当時33歳、海外の好事家が運営するプロボクシング戦績データベース・boxrecで正確に確認しうる公式試合記録は7戦0勝(最終記録は1999年4月5日)。
(出典:Mohammed Sadik BoxRec.com
いつかのメリークリスマス」(B'z)を歌う。

2007年2月24日 対ビッキー・タフミル(当時WBAライトフライ級4位)3R1分18秒KO勝利

ビッキー・タフミルは当時32歳、33戦31勝10KO2分。ただし、以前「ボクシングマガジン」誌で、この戦績に懐疑的な現地からのレポートが掲載された事がある。一般的にタイ、インドネシア両国におけるプロボクシングの記録管理は極めて杜撰であり、地域タイトルの獲得経験者ですら正確な戦績を把握できないでいるケースがある。
2Rにはスリップダウンの際に大毅からエルボードロップのような体当たりを喰らい、悶絶。これを戦意喪失と判断したレフェリーからダウンのコールを受けてから試合続行を拒否するような素振りを見せ始めた。果たして3R、大毅にボディブローでノックダウンされた際、タフミルは本人曰く「抗議のパフォーマンス」という満面の笑みを浮かつつ10カウントコールを聞いた。試合VTRで観戦していた興毅がタフミルを見て「何やコイツ!?」と声を上げ驚いていた。
この試合の後に発表されたWBAランキングでタフミルはランキング圏外に陥落(WBAの公式見解によると、陥落の理由は「ノーランカーの亀田大毅に敗れたため」)。大毅は事務処理の手違いでランキング登載が見送られたが、所属の協栄ジムからの指摘・抗議を経て翌月発表のランキングで世界10位に登載されている。
「love song」(森友嵐士によるオリジナル曲)を歌う。

2007年4月30日 対クリストファー・テポラ(フィリピンスーパーフライ級12位)2R2分21秒KO勝利

クリストファー・テポラ(フィリピン)は当時23歳、22戦9勝4KO8敗5分。
「ファンからの要望が最も多かった」として「」(EXILE)、続けて「love song」(森友嵐士によるオリジナル曲)を歌う。

2007年10月11日 対内藤大助(WBCフライ級チャンピオン)12R判定負け。

ゴキブリ・負けたら切腹する・宇宙一のパンチなど大言壮語しておいて、惨敗。
サミング・バッティング・ローブロー・投げなどの反則行為を繰り返し、観客席からはK-1に行けとやじられた。ちなみに、脳を傷めている吹石は、この投げをボディスラムだと思い込んでいる。
悪質な反則行為に腹を立てた内藤が「お前、いい加減にしろよ」というと、「はい」とか細いこえで返事をした。(内藤談)実はヘタレであることが判明した。
内藤は亀田大毅のことを、「ポンサクレックより、全然弱かった」と評した。
公約の切腹は未だ実現していない。
10月15日、日本ボクシングコミッションより1年間のライセンス停止処分が下された。また、10月17日の夕方、大毅は亀田史郎トレーナー、金平桂一郎協栄ジム会長とともに日本ボクシングコミッションを訪れ、前述の反則行為について謝罪会見を開いた。大毅はトレードマークの金髪を剃り、坊主頭で記者会見に臨んだが、終始目もうつろでうつむいたまま何も語らず、わずか2分強で会見場を後にした。
この本人が何も語らず、史郎の擁護ばかりで終わった事からも、亀田家が世間からバッシングを浴びる事になった。
2008年11月6日、対アンヘル・レサゴ(メキシコ)5R1分47秒KO勝利
アンヘル・レサゴは25戦16勝(9KO)7敗2分。
約1年1か月ぶりの復帰戦をKO勝利で飾る。
勝利後のカラオケは無し。
ジャイアンリサイタルが無く、観戦客は非常に喜んでいた。
2008年12月8日、対イサック・ブストス(メキシコ、元WBC世界ミニマム級王者)3R1分32秒KO勝利
イサック・ブストスは36戦25勝(13KO)8敗3分。
2009年3月4日、対ワンディー・シンワンチャー(タイ、元WBC世界ミニマム級王者、元WBC世界ライトフライ級暫定王者)6R27秒KO勝利
ワンディー・シンワンチャーは67戦56勝(12KO)10敗1分。
2009年5月13日、対ブンブン東栄(フィリピン・一力ジム、元WBCインターナショナルミニマム級王者)10R判定勝利(3-0)
ブンブン東栄(ガブリエル・プマール)は14戦11勝(6KO)2敗1分。
復帰4戦目の相手として内藤以来の日本人対戦相手として予定されていた元OPBF東洋太平洋フライ級王者の小松則幸グリーンツダ)が2009年4月13日に死去。その後、フィリピン人で一力ジム所属のブンブン東栄(ガブリエル・プマール)とのスーパーフライ級での対戦が決定し、従来は2-3階級下の階級の相手をKOすることができず10回判定勝ちとなった。
このことからも「亀田の鍍金は完全に剥がれた」と評される。

テレビ[編集]

スッキリ。有吉。(2016年5月16日。日本テレビ。)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]