黒川 (川崎市)

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黒川(くろかわ)は、神奈川県川崎市麻生区にある地名である。

また本稿では、旧黒川村内の各地域(南黒川はるひ野)についても記す。

地理・歴史[編集]

現在の行政区画では川崎市の北部最西端に位置し、周囲を東京都稲城市多摩市町田市に囲まれた県境の地域である。

北側・西側・南側を多摩丘陵の山に囲まれ、その豊かな森を水源とする多摩川水系三沢川の水源地である。豊かな森と水に恵まれた当地域では、かつては農業焼きが盛んであり、特に後者は「黒川炭」と呼ばれ、良質のものを産したという。また、黒川上地区は市内でいちばん標高が高く、多摩丘陵内でも標高の高い地域で、多摩市との境界付近は概ね 140m ほどである。この付近では推定2万4千年前の先土器時代以降の遺跡が見つかっており、当地域には古くから人々の生活があったことを物語っている。

近年、川崎市都市計画により黒川上地区(北東部)および黒川東(あずま)地区の一部地域が市街化調整区域および農業振興地域に指定されたことから、市内各所で急速に進んだ都市化から免れ、川崎市内では珍しく今も谷戸地形を利用した農業が引き継がれ、里山的環境が残っている。

いっぽう黒川下地区では、鶴川街道に加えて尻手黒川道路小田急多摩線京王相模原線などの交通網が整備され、隣接する多摩市、稲城市で相次いだ多摩ニュータウン計画に呼応するように、2004年度には新たな住宅地「はるひ野」が街開きし、新駅が開業した。

地名の由来[編集]

三沢川の源流域であり、多摩丘陵の豊かな森に育まれたその川の水が透明で、底が黒く見えたことによると言われている。ただし現在の三沢川源流域は全てコンクリート三面貼りの水路で、昔日の面影はない。

明治以降の行政区画の沿革[編集]

  • 1878年明治11年) - 神奈川県都筑郡黒川村
  • 1889年(明治22年) - 周辺10ヶ村が合併して、柿生村となる。
  • 1939年昭和14年) - 川崎市に編入し、神奈川県川崎市黒川となる。
  • 1972年(昭和47年) - 政令指定に伴い行政区が設置され、神奈川県川崎市多摩区黒川となる。
  • 1979年(昭和54年) - 黒川駅周辺で住居表示施行。「南黒川」となる。
  • 1982年(昭和57年) - 旧柿生村・旧岡上村の全域、および旧生田村の一部が多摩区より分離し、麻生区に。神奈川県川崎市麻生区黒川となる。
  • 2006年平成18年)3月13日 - 黒川下地区の一部地域で住居表示施行、「はるひ野」となる。

周辺[編集]

ここ黒川地域の森を水源とし、稲城市内を横断して沢を集め、川崎市多摩区布田で多摩川に注ぐ。
調布市町田市鶴川をつなぐ主要道で、小田急バス神奈川中央交通の路線バスが走る。黒川と町田市真光寺町との境では蛇行して丘陵の急傾斜を越える。
府中街道とほぼ並行し、川崎市を縦断する道路として計画され、現在は柿生周辺の一部を除くほぼ全区間で開通している。
  • 川崎一号水道(川崎市水道局第一導水隧道)
相模湖などで取水した水道原水を長沢浄水場(多摩区三田)へ運ぶトンネルが黒川地区の地下を通っている。

黒川上地区[編集]

黒川地区のうち多摩市・町田市境に近い北東部一帯が市街化調整区域および農業振興地域に指定されたことから、かつての谷戸地形を利用した農業が受け継がれ、以前は多摩丘陵の各所で見られた里山の光景を今に伝えている。

  • 黒川上営農団地
昭和53年度から昭和57年度にかけて土地基盤整備事業が実施された。既存農家の他、市民農園や近隣学校の体験学習農地としても利用されている。ただし国士舘大学裏に抜ける山道沿いには不法投棄された各種のゴミが大量に散乱しており、極めて見苦しい光景をみせている。
  • 汁守神社
かつて、武蔵国総社大國魂神社府中市)に供える汁物を調える役目を担ったことから、こう呼ばれるようになったと言われる。
神奈中バス(鶴川駅〜若葉台駅・調布駅系統)「日影」バス停の前、黒川の中心部にある小高い丘の上に鎮座する。境内の鎮守の森には川崎市指定保存樹木が多い。春には一面にカントウタンポポが咲き、秋には紅葉で染まる。また、境内には黒川公会堂が併設されている。
かつて黒川上地区にあった金剛寺の跡といわれ、その歴史は8世紀に遡ると考えられている。現在は近隣住民により祠が建てられている。かつては行基作と伝えられた毘沙門天座像が祀られていたが、平成7年に盗難に遭い、現在は小さな毘沙門天立像が収められている。参道は軽い上り坂であるが、境内の入口には鳥居が立てられており、明治初の廃仏毀釈以前の神仏習合の様子を伺わせる。しかし鳥居の根本に並ぶ石仏群はいずれも首が落とされており、廃仏毀釈の爪痕を生々しく伝えている。
  • 瓜生黒川海道(街道・往還)
柿生・黒川から府中八王子方面に抜ける近道で、江戸時代頃から歩かれた往還。黒川・柿生地域特産の「黒川炭」「禅寺丸柿」などが運ばれ、また汁守神社の汁物が府中に運ばれる際にも使われたと言われている。
以前は鬱蒼とした森の中を通る山道であったが、隣接する「はるひ野」の宅地造成に伴せ、地面が均されるなど散策道として整備されつつある。また、尾根伝いの多摩市境に散策路「よこやまの道」が整備されて以降、散策を楽しむ人が多く訪れている。
沿道の雑木林は緑地保全地区に指定されており、既存の農地と一体として、かつての里山の風景を今に伝えるとともに、野鳥などの生態系を支えている。
  • 西光寺
曹洞宗室町時代の創建といわれる。
川崎一号水道の取水地と浄水場の落差を利用した水力発電所。
  • 川崎市水道局黒川高区配水池
昭和60年に設置された、潮見台浄水場(宮前区潮見台)で浄化された水道水を汲み上げて各世帯へ配水するための施設。当地域が市内でも随一の標高であることから、黒川配水所よりも高い地域へ配水するために設けられた。
三菱重工相模原製作所黒川試験場跡を明治大学が買い取り、2005年度より整備方針が検討されて、2012年4月開場。川崎市と連携して市民も利用可能な農業試験場として整備されている。
町田市との境界にある変電施設。ここを中心に田子倉発電所(只見幹線)など各方面へ送電線が延びる。

黒川東地区・黒川駅前[編集]

稲城市平尾・坂浜に隣接する地域。黒川駅周辺の町名は「南黒川」(みなみくろかわ、テンプレート:ウィキ座標)に改められている。

  • 黒川青少年野外活動センター(旧川崎市立柿生小学校黒川分校)
黒川駅の程近くに位置し、野外活動の拠点として利用できる。利用は無料だが、食事・寝具などは用意されない(ただし、毛布や座布団は用意される)。
  • 川崎市水道局黒川配水所
昭和52年に設置された、潮見台浄水場(宮前区潮見台)で浄化された水道水を汲み上げて各世帯へ配水するための施設。
  • 黒川東(くろかわあずま)農村広場
かつては急峻な丘陵地で農業が営まれていたが、昭和52年度から昭和55年度にかけて土地基盤整備事業が実施され、畑の区画整理や農道の敷設などが行われた。現在は市街化調整区域および農業振興地域に指定され、丘陵地の斜面に畑や果樹園、農業用ハウスが広がる。名前は名より。川崎広域レーダ雨量情報システム(レインネットかわさき)のレーダー基地局が置かれている。
南黒川地区、黒川駅周辺に企業団地が造成され、1995年頃より主にコンピュータソフトウェア関連の開発拠点が誘致された。また隣接する栗木地区にも「マイコンシティ・パート1」と称し企業団地が造成されている。

黒川下・はるひ野地区[編集]

多摩ニュータウン若葉台地域(かつての稲城市坂浜)に隣接する地域。現在では宅地開発が進み、2004年度に「はるひ野」(はるひの、テンプレート:ウィキ座標)の地名で住宅地が開かれた。

  • 若葉台
稲城市坂浜地区(のちの若葉台)に、住宅・都市整備公団(当時)により開かれた多摩ニュータウン最後の団地であるが、その最寄駅である京王相模原線若葉台駅は下黒川地区に立地する。
県境をまたいで立地している車両基地。大規模車庫が併設されていることから、早朝夜間には最寄りの若葉台駅を始発・終着とする列車が多数設定されている。
  • はるひ野
黒川上営農団地に近接し、かつては三沢川の水源の森であった山林を1992年から切り開いて造成[2]2003年11月から居住が始まった[3]住宅地である。2004年12月11日にははるひ野駅が開業した[4]。開発構想は1973年(昭和48年)ごろから存在し、当初は小田急、京王が事業主体になる計画だったが、地権者の合意が得られず、1977年(昭和52年)にいったん計画が中止されている[5]1978年(昭和53年)から住宅・都市整備公団が主導して開発構想が再開したものの[5]、川崎市内に残った最後の山間部であること、三沢川の水源であることから反対運動がおこり、1982年の計画策定から事業決定までに7年を要した[2]
開発中、縄文前期、中期の遺跡発掘が行われた[6]。この際に第二次世界大戦中に当地に駐屯した陸軍照空隊陣地跡も発掘されている[6]
三沢川の湧水源を残すために開発計画を変更して谷ツ公園を自然公園として設置、町内の児童公園に「柳町(柳之町)」「海道」「宮添」などの旧字名を冠するなどの配慮がまちづくりの際になされている[7]

公共交通[編集]

小田急多摩線
黒川駅はるひ野駅
黒川駅前に路線バスは乗り入れておらず、路線バスへの乗り換えは階段を降りて徒歩数分の黒川バス停が最寄りとなる。
京王相模原線
若葉台駅
当駅は川崎市内に立地するが、駅前バスターミナルおよび多くの駅前商業施設は稲城市内に立地している。また、下黒川バス停も最寄りである。
小田急バス
稲城駅行きを基本にし、他の行先を含めて毎時 1〜5本程度運行。
  • 若11 若葉台駅 - 下黒川 - 黒川 (※)
※柿24系統の区間便、毎日1本のみの運行。
神奈川中央交通バス
概ね 20〜40分間隔の運行。
  • 鶴22 鶴川駅 - 日影 - 黒川 - 下黒川 - 若葉台駅 - 調布駅南口 (※)
  • 柿27 柿生駅北口 - 黒川分校下 - 黒川 - 下黒川 - 若葉台駅 (※)
  • 柿26 市が尾駅 - 柿生駅北口 - 黒川分校下 - 黒川 - 下黒川 - 若葉台駅 (※)
※各系統は休日朝 1往復のみの運行。

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

書籍[編集]

  • はるひ野開発と地域の記録編集委員会 (2006) はるひ野開発と地域の記録編集委員会 [ くろかわ はるひ野開発と地域の記録 ] 黒川特定土地区画整理事業地権者会 2006

雑誌記事[編集]

外部リンク[編集]