松木 (八王子市)
松木(まつぎ)は、東京都八王子市の地名。郵便番号は192-0362(八王子南郵便局管区)。人口は7,278人(住民基本台帳 2013年3月末現在[1])である。
目次
地理[編集]
八王子市の南東部に位置する。南端を京王相模原線が走り、北を大栗川、南を大田川で挟まれた街である。東は堀之内、別所、西は南大沢、下柚木、南は別所、北は越野に接している。 松木は多摩酪農発祥の地であり、かつては盛んに酪農がおこなわれていたほか、養蚕業、大栗川や多摩丘陵の湧水を利用した稲作も発達したが、多摩ニュータウン開発に伴う市街地化により衰退した。豊富な地下水を利用し、掘り抜き井戸を用いた養漁業が現在でも行われている。また多摩ニュータウン通り沿いにはドン・キホーテや多くの飲食店があり渋滞が発生している。
河川[編集]
小字[編集]
- 峰ヶ谷戸
- 川端
- 台
- 上
地価[編集]
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、松木35番18の地点で17万2000円/m2となっている。[2]
歴史[編集]
松木中学校がある一帯は1994年(平成6年)と1996年(平成8年)に別所に編入されている。
地名の由来[編集]
多摩酪農発祥の地[編集]
松木の有力地主であり、由木村長にも二度就任した井草甫三郎は、当時の由木村で広く行われていた養蚕の廃棄物であった、蚕が食べ残した桑の葉を有効活用する手段として酪農に目をつけ、1892年(明治25年)、千葉県より子牛1頭を購入し酪農を始めたが、これが多摩地方における酪農の先駆けとなった。井草の指導や努力もあり、1920年(大正9年)には「南多摩畜牛組合」が結成され、牛乳の生産から販売までを「多摩牛乳販売、購買組合」の「多摩牛乳」として一元化に成功し、生産から販売いたる協同組合方式を確立され、南多摩郡は酪農の一大生産地へと発展することになった。[4]なお、下柚木の永林寺には、井草の業績をたたえ、1950年(昭和25年)に「牛魂碑」が建立されている。
沿革[編集]
- 江戸時代 - 武蔵国多摩郡松木村となり、旗本領であった。
- 1869年(明治2年) - 品川県成立に伴い、松木村は品川県に組み込まれる。
- 1870年(明治3年) - 神奈川県に編入される。
- 1878年(明治11年) - 多摩郡が南多摩郡・北多摩郡・西多摩郡に分割。南多摩郡松木村となる。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行に伴い、松木村は周辺10ヶ村と合併し、神奈川県南多摩郡由木村となる。
- 1892年(明治25年) - 井草甫三郎によって酪農が開始される。
- 1893年(明治26年)- 南多摩郡が、神奈川県から東京府に移管され、東京府南多摩郡由木村となる。
- 1964年(昭和39年) - 由木村が八王子市に合併。八王子市松木となる。
- 1990年(平成2年) - 西端が南大沢に編入される。
- 1994年(平成6年) - 一部が別所に編入される。
- 1994年(平成6年) - 八王子市立松木小学校が開校。
- 1996年(平成8年) - 一部が別所に編入される。
交通[編集]
鉄道[編集]
1988年に京王相模原線が開業したが、松木地区内には線路は通っているが駅はない。南大沢駅と京王堀之内駅が最寄り駅。
道路・橋梁[編集]
- 東京都道158号小山乞田線(多摩ニュータウン通り)
- 大竹橋(大栗川)
- 板橋・おかんどう橋・川幡橋・峰ヶ谷戸橋(大田川)
施設[編集]
教育[編集]
商業[編集]
- ドン・キホーテ京王堀之内店、営業本部
- タカハシ松木店
- サイクルベースあさひ南大沢店
- サイクルベースあさひ南大沢キッズ館
神社[編集]
- 浅間神社
公園[編集]
- 富士見台公園
- えのき公園
- 大石やかた公園(大石氏の館があった場所に造られた公園である。)
- 峰ヶ谷戸公園
かつて存在した施設[編集]
- いなげや八王子松木店
史跡[編集]
- 松木大石宗虎屋敷のサルスベリ(八王子市指定天然記念物。推定樹齢不明[5]。)
脚注[編集]
- ↑ 町丁別世帯数及び人口報告表(平成25年3月末現在、八王子市)PDF
- ↑ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ↑ 角川日本地名大辞典
- ↑ 由木村人物伝聞き語り
- ↑ () 松木大石宗虎屋敷のサルスベリ 八王子市 [ arch. ] 2011-10-22