西村修平
提供: Yourpedia
2007年11月12日 (月) 16:59時点における219.164.42.237 (トーク)による版 (新しいページ: ''''西村 修平'''('''にしむら しゅうへい'''、1950年 - )は、日本の右翼系政治運動家である。秋田県出身。専修大学中退...')
西村 修平(にしむら しゅうへい、1950年 - )は、日本の右翼系政治運動家である。秋田県出身。専修大学中退。國民新聞編集委員、主権回復を目指す会代表を務める。維新政党・新風千葉県本部・元本部長。北朝鮮に拉致された日本人を救出する千葉の会元幹事。
松井やより講演会に関する事件
2001年7月7日、従軍慰安婦問題に関し昭和天皇有罪論を主張する「日中友好神奈川県婦人連絡会」主催による討論会が開かれ、川久保勲ほか数名の同志と共にこの討論会に参加する。この際、討論会中に上映されたビデオ中の台詞に憤り「切腹して日本と中国に謝罪しろ」と野次を飛ばし、さらに西村の同行者が飲みさしの飲料缶を壇上の講演者に向かって投げつける行為を行った。その後、討論会から排除され帰路に着いたが、その後に予定されていた松井やよりの公演とフリー討論は、「右翼団体による妨害活動を受けた」として中止された。主催者側から後日告訴される。
数日後、威力業務妨害罪で逮捕される。取り調べでは「大声を出したが妨害するつもりはなかった」と供述し、共同謀議の容疑についてははっきりと否認した。また「自分達の行為は罪にはならないはずなのに、政治的圧力で左翼に犯罪としてでっち上げられた」と述べている。この事件を機会に西村眞悟と知己を得た。
2001年10月4日、横浜地方裁判所で懲役1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決を受ける。その後、東京高裁に控訴、最高裁に上告したがいずれも棄却され、有罪が確定した。有罪確定後、長く勤務していた会社を退職し、國民新聞社の記者・編集委員となり現在に至る。
主張
主な政治活動
- 対中国抗議デモの幹事を務める。
- 2001年には女性国際戦犯民衆法廷を取材したNHKに放送前に抗議する。その活動はNHK番組改変問題の発端のひとつとなった。
- 2004年には、南京大虐殺や百人斬り競争を虚構とする立場から、これらを事実として描いた作品(本宮ひろ志作)を掲載した集英社への抗議行動を行っている。
- 2006年9月の自由民主党総裁選挙において、候補者達の街頭演説会への乱入を度々企てる(全て警察によって阻止された)。
- 2007年10月、沖縄県宜野湾市で第二次大戦末期に沖縄で起こったとされるいわゆる集団自決に関する県民集会に関し朝日新聞に抗議活動を行う。検証の結果、集会参加者が当初発表された参加者11万人には遠く及ばない1万8千人に過ぎなかったことや、教科書検定の維持、安倍内閣に対する偏向報道などを激しく批判。また、朝日自身は月刊誌・「論座」の中で、西村の政治運動を肯定的に取り上げた過去がある。
関連事項
外部リンク
- 集英社への抗議文(2004年)
- 主権回復を目指す会(公式サイト)