すかいらーく
株式会社すかいらーく(SKYLARK CO., LTD.)は、1970年に創業した、ファミリーレストランチェーン「ガスト」などで知られる多業態レストランチェーンを経営する日本の企業である。
かつては社名である「すかいらーく」を店名のメインとしていたが、2009年に全て消滅している(後述)。
「すかいらーく」横浜店・店長の中島富雄さんが、常軌を逸したパワハラと激務により過労死したことで、そのブラック企業ぶりに世間は驚愕した。
概要
洋食ファミリーレストラン「ガスト」、和食チェーン「夢庵」、イタリアンレストラン「グラッチェガーデンズ」、中華料理チェーン「バーミヤン」を経営する。近年では他のレストラン企業やフードビジネス企業のM&Aを実施し、スケールメリットを生かした経営戦略を行っている。すかいらーくグループの運営・傘下の店舗数は、2007年7月現在で4,543店舗。
沿革
食品スーパーとして創業
1962年、東京都北多摩郡保谷町(現在の西東京市)のひばりが丘団地に、横川端・茅野亮・横川竟(きわむ)・横川紀夫の横川家(「横川4兄弟」)が食料品を取り扱うスーパーとしてことぶき食品を創業。地域に根ざしたスーパーとして住民の支持を得ることに成功し、店舗も1店ずつ増え経営は軌道に乗り掛けていた。
しかし、当時の高度経済成長時に大駐車場を完備した大型店舗の巨大スーパーの進出が経営を直撃し大幅な客数減少、売上低下で店を開け続けるだけで赤字の状態となった。
経営規模の違い過ぎる価格競争が続く食品スーパー事業から他業態への転換を模索している中で、ペガサスクラブのアメリカ視察に参加。アメリカでは既にモータリゼーションが進み、郊外型のレストランが繁盛している点に着目。日本でもマイカーブームが急速に進み始めているところに商機を見出し、マイカーで移動するファミリー客をターゲットとしたレストランが考案された。
すかいらーく開店
経営していたスーパーからの転業が決断され、新興住宅地として開発が進んでいた東京都府中市(甲州街道<国道20号>下り側沿い)に土地を確保し、1970年7月7日、日本における郊外型ファミリーレストランの先駆けとなるスカイラーク1号店(国立店)を創業した(創業時はカタカナ表記)。当時の店舗外観は、大きな三角屋根に天井まで張られたガラス窓といったアメリカンなものであった。店名には創業地のひばりが丘団地に因み、ヒバリの英語名"skylark"が採用された。オープン当時のメニューには洋風レストランの一番人気であるハンバーグを発展させた「ハンバーグ&エビフライ」、「ハンバーグ&カキフライ」などがあった。
当時のレストラン業界で初めて同じ皿に盛り付けて登場したハンバーグ&エビフライは、一般的なレストランメニューでは発想されない異質なメニュー商品かと思われたが、利用客からの評判は良好であった。「ハンバーグメニュー」では当時の競合レストランが実施していた加熱した鉄板で提供する工程を廃止し、普通のミート皿で盛り付けを行った。これにより、厨房とフロアー従業員がより効率よく料理の提供・バッシング(終了した食器の下げ物作業)を行えるようになった。
すかいらーくグループ成長期
基本的なレストランのオペレーションの基礎が固まり、このビジネスモデルを生かした多店舗化を検討するが、当時の新興企業すかいらーくが地元の取引銀行から融資を得る事は容易でなく、土地を所有するオーナーと長期にリース契約を結びオーナー側が店舗建築費を負担、すかいらーく側が通常の土地リース代と店舗の使用料を含む割増の家賃を支払うリースバックシステムを開発する。この試みも実際には容易でなかったがすかいらーく店舗へ土地オーナーを招待し、繁盛している様子を実際に見せ契約に至る様な努力などで1974年にはすかいらーく100店舗構想を発表する。
1981年、ファミリーレストランの大規模チェーン初のPOSシステムを日通工と共同開発、全店導入した。これにより、既存の手書き伝票による利用客からのオーダー受けが客席における「ハンディターミナル」のボタン入力で完了し、メニューの販売履歴の管理、在庫管理・発注がシステム化され、効率的な店舗運営が可能になった。このシステム化の成功により、ローコストオペレーション「少人数での対応」への改革・多店舗化に弾みが付く事となった。
1980年代中頃、それまでのチェーンレストランには無かった斬新な和食メニュー「麦とろご飯膳」を発表した。世の中のヘルシー嗜好等に即した「とろろ」を取り入れた為、ファミリー層を中心に売れ筋メニューとなった。以後、すかいらーくは和食メニュー開発に積極的に取り組み「きのこ雑炊」、「チキンモロミステーキ」、「まぐろ丼」など、自社のセントラルキッチンをフル活用したヒット商品を作り出した。1982年には、アーリーアメリカン調のカジュアルレストラン「イエスタディ」(チェーン展開されたが現在はすべて閉店、又はガストなどに転換)など斬新なコンセプトのレストランを開店させた。
その後も時代のコンセプトや消費者ニーズの多様化に応え、コーヒーショップ「ジョナサン」、中華料理のバーミヤン、和食の藍屋など新業態を開発し、レストラン業界のリーディングカンパニーとして成長。1993年、すかいらーくグループは外食産業のうちテーブルサービスレストランとして初の1000店舗出店を達成した。
ガストへの大規模転換
1992年、バブル崩壊後当時の低迷を打開すべく実験店舗ブランド(当初は高級路線の実験店舗だった)だった「ガスト」を低価格の新業態で東京都小平市に一号店舗を開店。店名はスペイン語・イタリア語で「味」を意味するgusto(グスト)を英語読みしたものである。ホールでは当時としては珍しいセルフサービスのドリンクバーやワイヤレス型呼び出しベルの導入、キッチンではスーパーキッチンなどで実験中であったコンベアオーブンの導入。その他、料理の出し方の変更、各ポジションなどのプリンターによる作業開始などの工夫により、より少ない従業員での運営を可能にしすかいらーくでかねてより懸案となっていた人件費率の高騰などを抑えて低価格を実現した。店員はGパンでポロシャツ、缶バッジ、スニーカーというスタイルとなった。
1993年には、当時720店あった「すかいらーく」のうち420店舗を約1年でガストに転換。「おいしい料理を、ポピュラープライスで、自宅のダイニング感覚でお食事を」をコンセプトに、客単価を大幅に下げたために1993年頃には業界で「ガスト化」「ガスト現象」など呼ばれるブームを巻き起こした。しかしながら、サービスをしないことは客席放置につながりメニューが飽きられ、客層も悪化し1994年頃に業績が落ち込んだ。当初よりセルフ化には反対であった当時の社長茅野亮は大いに危機感を抱き、ブラッシュアップキャンペーンでサービスや調理の基本を見直し、価格も都市型地方型と分けていった。1998年、ガストビジョンと呼ぶ42インチプラズマディスプレイを設置し、衛星放送などを放映した(2007年に運用終了)。2003年11月、八王子寺町店オープンをもって単一ブランドのファミリーレストランチェーンとしては唯一1000店舗を達成。
2009年10月、野村プリンシパル・ファイナンスは現存の「すかいらーく」をすべて「ガスト」へと転換を発表。これにより、創業時からの主力であった「すかいらーく」店舗はすべて消滅した。
すかいらーくグループ事業改革
2006年6月に、創業家である横川家を中心としたマネジメント・バイアウト (MBO) を行い、非上場化することを発表。総費用が2700億円を超え、日本最大規模のMBOとなる。MBOを行うのは外食産業の市場が縮小する一方で競争が激化しており、すかいらーくの業績も悪化していることから店舗の統廃合、新しい業態の創造など抜本的な事業再構築をする必要があるが、短期的に利益を圧迫するなど5万人を超える株主の要望に応えることができないおそれがあるためとしていた。もっとも、それらの理由だけでこの時期に非上場化することには疑問もあるため、業績改善後に再上場することで利益を得る目的もあるのではといわれていた。MBOを発表した会長の横川竟も再上場を否定しなかった。
MBOは、まず野村ホールディングス株式会社の完全子会社である野村プリンシパル・ファイナンス株式会社の子会社であるSNCインベストメント株式会社が株式公開買い付け (TOB) を2006年6月9日から7月10日の32日間実施した。94.38%の株式の応募がありTOBは成立し、7月21日の株式引渡しでSNCインベストメントが筆頭株主となった。この後9月19日に上場廃止、10月1日に産業活力再生特別措置法(7月12日に計画認定)に基づく金銭交付による株式交換を実施、SNCインベストメントがすかいらーくを完全子会社化した。さらに創業家や従業員の出資を受けた後、2007年7月1日にSNCインベストメントがすかいらーくを吸収合併、新生すかいらーくが誕生した。
2006年12月1日、すかいらーく会長・横川竟が2007年1月1日付で社長に就任、会長職は兼務する人事を発表。現職の社長伊東康孝はすかいらーく副会長兼バーミヤンカンパニーCOOに就任。収益が悪化しているバーミヤンの立て直しを図るが業績回復は果たせず、2007年8月31日付で伊東は副会長ならびにバーミヤンカンパニーCOOを引責辞任、特別顧問に退いた。しかし、横川の再建計画は原材料価格の高騰で暗礁に乗り上げ、サントリーに増資案を持ちかけたものの、SNCインベストメントが同氏の解任を模索。労働組合も投資会社に同調し、同氏の解任条件であった融資銀行団の同意も取り付けた。
2008年8月12日、臨時株主総会と取締役会が開かれ、野村プリンシパルとCVCキャピタルパートナーズが提案した、横川竟社長の解任と谷真常務執行役員の社長就任が決議されたことにより、株主主導の再建策へ移行した。
チャイナCaféガストの展開
2009年1月14日、バーミヤンよりも客単価が100円ほど安くサラダなどの洋食なども扱うチャイナCaféガストを展開することを発表した。一部のバーミヤン店舗を転換し、同年3月12日に鹿児島に1号店を出店した。その後、同年12月、チャイナガストとしてリニューアルしている。
不祥事
2007年10月、埼玉県加須市の店長が月200時間超のサービス残業が原因で死亡した。このことに対し、労働基準監督署は2008年7月に労働災害を認定していたことがわかった。同社では2004年にも当時の店長が過労死したにも関わらず、業務が改善していなかったことになる。
すかいらーく過労死闘争の経過
発端
2004年8月4日、NPO法人労働相談センターに1本の中年男性からの電話相談があった。落ち着いた声で、サービス残業について「請求して取れるものかどうか」との質問であった。「証拠的なものはあるか」とのスタッフからのいつも通りの問い返しに、ファックス記録その他で立証できるとのことで、「それなら間違いなく取れるでしょう」と答えた。本人は、パワハラがひどいこと、このままだと殺されかねないので、年末までに退職したいと話したあと、資料をもって8月末に労働相談センターを訪ね、東部労組に加入し、請求について詳細を打ち合わせることを約束して、電話は終わった。月間400件くらいある通常の相談の一つであった。 8月27日、その奥さんから突然の電話があり、ご本人がすでにお亡くなりになったことが告げられた。本人の「8月中に労働相談センターに行く」との遺言を実行するため、奥さんは8月30日にセンターを訪問したいと言われ、当日、事務所でお会いした。息子さんが同行された。お二人とも喪服であった。 奥さんは終始泣いておられたが、事情は次のようなことであった。
夫の中島富雄氏はファミリーレストラン「すかいらーく」の横浜で店長をやっていたが、労働相談センターに電話した当日の夜、奥さんに「労働相談センターに励まされた。これで会社に一矢報える。 不払い残業代を取り返すことが出来るので、他の店長を励ませる」と非常に喜んでおり、息子さんといっしょに残業の計算をエクセルでやりはじめたとのことであった。
しかし翌5日朝、出勤しようとして、玄関先で気分が悪くなり、倒れた。それでも会社への連絡は奥さんがしようとするのを遮って、自分で連絡したとのことであった。そのまま救急車で昭和大学北部病院に入院したが、8月15日、脳梗塞で死亡された。そこで、話し合った結果、奥さんが東部労組に加入して闘いはじめることを決めた。
すかいらーくの概略
株式会社すかいらーくは、1948年設立、本部を東京都武蔵野市におき、1978年に東証一部に上場した企業で、ガスト、バーミヤン、夢庵、藍屋を柱に業種20種超、ジョナサンを統合し、ファミレスでは売り上げ日本一、店舗数では世界一で「ファミレスの雄」と称されている。
2005年10月、持ち帰り寿司チェーンの「小僧寿し本部」株式の30.04%を約35億円で取得した。すかいらーくグループは、外食・食品97、建築2、他1で構成されている。 売上高 3834億円、営業利益 198億円、経常利益 197億円、当期利益73億円を上げており、外食御三家と言われるマクドナルド(売上高3,081億円)、すかいらーく(売上高3,834億円)、吉野家(売上高1,180億円)のトップを占めている。資本金は129億円、総資産は 244,3億円。(2004年12月現在) 従業員数は2005年05月時点で、単独で4,465人、連結で6,586人、平均年齢 327歳、平均年収 5,340,000円。 準社員は単独で89620名。
しかし外食市場はこの7年連続で縮小し、過当競争となっているため、最近の外食業界では新旧入り乱れてのM&A戦争が活発化し、「30兆円市場の奪い合い」という熾烈な市場争奪戦が展開されている。買収を仕掛ける主役は新興チェーン。老舗のすかいらーくも「ファミレスの雄」としていつまでも安泰とはいかない状況にある。その辺りの、企業戦争に負けられない、勝つためには何でもやるとのすかいらーくの企業風土が今回の過労死を生み出した背景にある。(「週刊ダイヤモンド」05年11月2日号参照)
会社にはUIゼンセン同盟傘下のすかいらーく労組があり、組合員は5100名を数える。中島富雄氏もずっと組合員で、死ぬまで毎月、4,500円の組合費を給与から天引きされていた。企業の暴走を制すべき労働組合として、すかいらーく労組はその役割を果たしたのであろうか。
すさまじいパワハラ
中島富雄氏は当時49歳、大学卒業後すぐ、すかいらーくに入社、以後すかいらーく一筋で勤続25年。神奈川県で店長をやっていた。家族は奥さんと大学生の長男、長女であった。
上司であるS地区長からすさまじいパワハラを受け続けていた。
事例を挙げると、「おっさん」「乞食になれ」「高い給料もらってんだろ、時給にするといくらか知ってるのか」「年寄りは仕事が遅い分、長く働くんだよ」「店舗の中も外も1人できれいにしろ」「いやなら辞めろ」「(帰宅途中携帯電話に)何やってんだ、戻ってこい」「毎日出退勤時間をファックスで送ってこい」等々面罵の言葉が残されている。サービス残業は月平均130時間で、多いときは150時間、160時間の時もあったという。
労働相談センターに電話する前の7月、中島富雄氏は横浜市市民相談室の人権擁護委員による人権擁護部門と弁護士による法律相談部門にそれぞれ別の日に相談に訪れているが、どちらでも同行した奥さんを部屋の外で待たせて同席させていない。それがよかったかどうかは別にして、上司によるパワハラの実態を奥さんに知らせ、悲しませたくないとの彼の配慮、優しさと無念の気持ちを痛いほど感ぜずにはおれない。しかしその市民相談室のどちらでも彼は解決への道を探しあぐねて、労働相談センターにたどり着いたと思われる。
闘いがはじまった
奥さんの中島晴香さんが組合に加入して闘いがはじまったが、まず、すかいらーくとの団体交渉における当事者性の法的根拠をとりあえず労働基準法第23条(金品の返還)「使用者は、労働者の死亡又は退職の場合において、権利者の請求があつた場合においては、七日以内に賃金を支払い、積立金、保証金、貯蓄金その他名称の如何を問わず、労働者の権利に属する金品を返還しなければならない」においた。
過労死弁護団の玉木一成弁護士に相談にのっていただく一方、10月19日、すかいらーくに「組合加入通知および要求書」を送り、11月11日にはじめての団体交渉が実現した。要求項目は、不払い残業代の支払い、労災認定への協力、パワハラについての謝罪であった。
また同じ11月に三鷹労基署に労災申請し、何回かの交渉を行った結果、2005年3月8日、あまりにも苛酷な彼の労働実態もあって、異例の早さで労災認定をかちとることができた。
なお、厚生労働省の過労死認定基準(2001年12月12日)は、過労死につながる時間外労働として、発症前1カ月の100時間、発症前6カ月の80時間の時間外労働の認められる業務は過重な業務であること、および1カ月45時間を超える時間外労働は健康上有害であることを明示している。しかし、彼の労働実態はそれらの基準をはるかに超える長時間労働であった。 2005年1月には、会社は不払い残業代700万円を支払った。6月29日の第2回団体交渉で、組合側は新たな要求書を提出した。要求内容は、過労死防止の労務管理体制、他の従業員の未払い残業代の支払い、パワハラ上司の処分、命日参拝、会社担当者発言の謝罪、損害賠償であった。 8月7日、中島富雄氏の一周忌が横浜市のお寺で執り行われた。東部労組から2名が参列した。会社役員も出席していたが、針のむしろであった。蝉しぐれの中、読経が続いた。納骨に移り、皆で墓地に移動した。新しい墓石には「誇り高き男ここに眠る 妻晴香 ともに眠る」との墓碑には参列者一同驚愕したが、晴香さんの気持ちが伝わってきた。そのあとの食事会では、晴香さんがご主人への思い、会社への恨み、悔しさ、そして闘う意志を切々と述べられ、参加者の涙をさそった。会社役員は顔を上げることができなかった。 10月1日、第3回団体交渉がもたれて、会社回答が示された。その内容は、第1に再発防止策はいくつか実施中および検討中である、第2に他の社員の未払い残業は調査した結果3名に支払った、第3にS地区長は降格した、直接謝罪する、第4に命日には伺う、第5に会社担当者発言については担当者に注意し、今後このようなことのないよう会社として謝罪する、第6にサービス残業をさせた場合の罰則規定を就業規則に入れるようにする、第7に損害賠償は判例の範囲で、というものであった。 これに対して、組合側は10月5日、社長責任が不明確、社会的公表によってはじめて再発防止策は実行される、毎年命日の前後に年間報告を、損害賠償に誠意ある回答を、との組合見解を会社に送付した。 12月3日、第4回目の団体交渉が開かれ、会社は損害賠償は満額回答、その他については不問にする、との回答を持ってきた。話し合いの結果、会社は社会的ないしは全社的な公表について再検討し、次回交渉にそれを持参することを約束した。
すかいらーく労組(UIゼンセン同盟)の問題
中島富雄氏の過労死については彼が現役の組合員であったこともふくめ、UIゼンセン同盟すかいらーく労組の責任は大きいものがあると考える。すかいらーく労組は組合員である中島富雄氏の過労死について、会社にいかなる申し入れを行い、協議をしたのか、公開すべきである。少なくとも組合員であった者の遺族にそれを伝えるのは労働組合としての最低限の義務ではなかろうか。また、もし中島富雄氏の過労死について会社に申し入れをせず、いかなる協議もしていないとしたら、それはなぜなのかを明らかにすべきであろう。まさか中島富雄氏の過労死が会社に申し入れ、協議するに値しないと認識されているのではあるまい。 我々はその点を非常に危惧するものである。というのは次の文書をインターネット上で見つけたからだ。「junionレポート」(2005/5/10)の「パーフェクト・ストラテジー」というコーナーで、すかいらーく労働組合の吉田弘志中央執行委員長が「世界で一番元気な会社にする方法は」とのテーマで話したものが掲載されている。 内容は次のような調子である。
「(株)すかいらーくでは初代労働組合委員長、伊東康孝が現社長に就任しているほか、三代目労組委員長は現ジョナサンの社長です。最近でも私の前委員長だった芦川雅明氏が夢庵カンパニーの代表を、本社取締役と兼任で勤めています」と、「労使協調」を誇示している。
そして、問題の発言がはじまる。
「ある意味、店長は誰の助けもなく、全責任を負って店舗を切り盛りしていかなければならない孤独な存在です。忙しさも半端ではありません。しかし、本当にできる店長、つまり強い店長は、その中でも休みを取れるのです。なぜならば、しっかりマネジメントが出来れば1人でがんばっている店長を見て、誰かが『店長休んでください。私が代わりに働きますから』と言ってくれるからなのです。ここまで行くにはそれだけの人間的魅力がなくてはなりません。権限委譲のノウハウも必要です。『お前に任せるよ』と仕事をさせてもらえれば、やる気が芽生えます。そういう各人のやる気をマネジメントできるノウハウを身につける一助として、『人間道場』などの私たちの研修が機能すればこれほどありがたいことはありません」
と述べている。
さらに、「たとえば今ガストでは、10店舗につき、11名の社員をつけています。これを10店舗に二人、強い店長一人が5店舗を見る体制ができればそれは労組にとっても、人材育成の究極の目標といえます」と労働強化を主張している。 「junionレポート」の発行日と発言内容に出てくる他の年月をあわせて勘案すると、吉田委員長がインタビューを受けて話した時期は2005年初期とみてほぼ間違いないと思われる。 中島富雄氏が前年8月に過労死したことは吉田委員長はよく知っており、過労死して半年くらい後の発言であることを念頭にもう一度この文章を読み返していただきたい。 吉田委員長の発言は、中島過労死に対し一片の反省も、会社への抗議の言葉もないどころか、中島富雄氏には「マネージメント能力がない、人間的魅力がないから休めない」、つまり過労死は彼自身の無能の致すところであり、彼自身の責任だと主張していると理解する以外取りようのないものである。 労働組合役員出身者が会社の経営陣に上りつめる、いわゆる「出世の階段」になっていることを誇示することや、労働強化を労働組合が率先して主張することは労使癒着、御用組合、第二労務部のそしりを免れないと思われるが、それにもまして、吉田委員長は「できる店長、強い店長」での主張が中島富雄氏の過労死を冒涜するものになっていることを自覚し、責任をとるべきであろう。 労働者にとって、労働組合とは一体なんなのであろうか。東部労組では2005年12月9日、中島晴香さんとご家族を励ます会を開催し、今後の闘いの決意を固めた。
略史
- 1962年4月 - 横川端・茅野亮・横川竟(きわむ)・横川紀夫の横川4兄弟が、東京都北多摩郡保谷町(当時)ひばりが丘団地に食料品店ことぶき食品有限会社を設立。
- 1969年7月 - 株式会社ことぶき食品に改組。
- 1970年7月 - 東京都府中市に、スカイラーク 1号店(国立店)開店。のちにひらがな表記に変更。
- 1974年11月 - 株式会社すかいらーくに商号変更。
- 1979年5月 - 株式会社サンボ・ジャパン(現・株式会社ジョナサン)を設立。
- 1980年 - 株式会社サンボ・ジャパンを株式会社ジョナスに商号変更。
- 1982年 - 株式会社すかいらーく・イエスタディ事業部として「イエスタディ」開店(現在はすべて閉店、又はガストなどに転換)。
- 1985年12月 - 株式会社藍屋を設立。
- 1986年4月 - バーミヤン1号店として東京都町田市に鶴川店開店
- 1987年4月 - 株式会社バーミヤンを設立。
- 1992年3月 - ガスト1号店(小平店)開店(現在は閉店し、隣に新しくバーミヤンが建てられている)。
- 1996年4月 - 株式会社ジョナスを株式会社ジョナサンに商号変更。
- 1999年7月 - 株式会社バーミヤンを吸収合併。
- 2000年
- 7月 - 株式会社藍屋を吸収合併。
- 9月 - 夢庵の神奈川・埼玉・山梨・静岡の計5店舗でO-157発症事故発生。
- 2002年11月 - 横川竟が会長を退任。
- 2003年
- 2006年
- 3月 - 横川竟が会長兼最高経営責任者 (CEO) に復帰。新規事業開発やM&Aを担当。株式会社トマトアンドアソシエイツを完全子会社化。
- 5月 - 株式会社小僧寿し本部を連結子会社化。
- 6月 - 創業家による株式買収 (MBO) ・非上場化計画を発表。
- 9月 - すかいらーく東証一部9月19日上場廃止。
- 2007年
- 1月 - 横川竟が1月1日付ですかいらーく社長に就任、会長職は兼務。伊東康孝は副会長兼バーミヤンカンパニーCOOに就任。
- 8月 - 伊東康孝がバーミヤンの業績回復を果たせなかった責任を取り、8月31日付で副会長ならびにバーミヤンカンパニーCOOを退任、9月1日付で特別顧問に就任した。これによりすかいらーくは、横川竟会長兼社長兼最高経営責任者 (CEO) のワンマン体制となる。
- 10月 - 10月1日付で機構改革・人事異動を行うと発表。これまでのカンパニー制度を廃し(持株会社移行中止)、新設する10本部による機能別組織運営体制に移行。また会長職を廃し、横川竟は社長兼最高経営責任者 (CEO) となる。
- 2008年
- 2009年
- 3月 - 洋食も扱う「チャイナCaféガスト」展開開始。
- 10月 - 最後のすかいらーく、川口新郷店が閉店。これにより、すかいらーくは全て消滅。
- 2011年
- 8月31日 - 東北地区、北海道地区、栃木県各保健所にて「ガスト」で食事をした14名が、細菌性赤痢発症事故を受け120店を営業自粛する。
- 10月21日 - アメリカの投資ファンドであるベインキャピタルが、野村プリンシパル・ファイナンスなどから株式を取得し、買収することを発表。
- 2012年
現況
現在のガスト特徴・メニュー構成
創業期からのメニュー品目を絞り込んだ低価格路線は一部のメニューを残して品質のグレードを上げつつ軌道修正を行い、単調なメニュー構成から往年のすかいらーく・ファミリーレストラン時代を彷彿とさせる洋風・和風メニューのラインアップの拡充が実施され、軽食もガストバーガー導入など強化された。
2005年度から今までのガストの他に、ハンバーグガスト・おはしガストといった専門店風にガスト店舗のリニューアル工事を始めている。今までの原色を多用した店内内装を落ち着いた色調の壁紙などを使用したタイプへ(リゾート地域・特殊店舗を除く)変更し店舗看板ロゴ・ポールサインなどもシンプルなデザインへ改められ、ドリンクバー設備のリニューアルを実施。店内の客席を仕切るパテーションも新たに丈の長いタイプが導入(一部店舗を除く)され、隣席の視線を気にせず食事ができるなどの点が改善された。一方、ガストビジョンは老朽化のため使用中止されている店舗もありリニューアルされた店舗では撤去されたところもある。しかし、2008年12月に原材料価格の高騰などから若干値上げした(本体価格の端数が9円となるように設定されているものが多くなった)。
目玉焼きハンバーグ
ガスト創業期(1992年)からの人気メニューであり、ガストの象徴的ポピュラープライスメニューアイテムでもある。創業期の価格は380円。すかいらーくグループのセントラルキッチンで作られた、オージービーフ使用のハンバーグ用パティが使われる。このハンバーグパティ(以下、パティ)はチルド0 - 5度で冷蔵保冷され、作りたての風味を冷凍加工で損なうこともなく鮮度・品質を重視し、グループ会社の配送会社・ジャパンカーゴによるチルド対応トラックでの配送を行う、自社一貫体制のシステムを持つすかいらーくグループの強みでもある。
目玉焼きハンバーグは、160バーグをグリドル調理器でパティを表・裏の表面を軽く焼き上げた後、鉄板に乗せオーブン内部でベルトコンベアーが向って左側から右側へゆっくり流れて焼き上げるコンベアオーブンで焼き上げる。ドミグラスソースもすかいらーくの自前工場「セントラルキッチン」で下味加工され、湯煎で温められたドミグラスソースを熱々の鉄板にかけ、グリドル調理器でエッグリングを使用し焼き上げた目玉焼きと付け合せポテトを添え、提供されている。すかいらーく創業時に提供していたハンバーグステーキは、ガスト創業時の目玉焼きハンバーグと同じ価格380円(税込399円)で提供されていた。しかし、2008年12月にガストは原材料価格の高騰などから、目玉焼きハンバーグを399円(税込418円)に値上げした。
きのこ雑炊
1980年代のすかいらーく全盛期からの長きにわたった人気メニュー。ガストでも創業期から導入された。幅広い年齢層に支持され、定番メニューとなっている。きのこ雑炊のだし汁パックはセントラルキッチンより下味加工のうえ配送されて来た物を使用し、鉄製キャセロールの器に入れ加熱処理し、ライスを規定量入れて沸騰後溶き卵を入れ半熟の状態に仕上げられている。
ドリンクバーからプレミアムカフェへ
創業期から基本的なコンセプトは変わらず、セルフ方式で利用出来るドリンクバーはファミリーレストラン事業者へ普及させた先駆者として、品質アップや挽きたてコーヒーマシンの導入などを実施してきたが、新たな取り組みとして2005年、順次店舗がリニューアルされ「プレミアムカフェ」の名称を使用したグレードアップした進化型のドリンクバー提供を全店で始めている。コーヒー豆も高品質なアラビカ種100%に変更、12種類のアラビカ種ブレンドの挽きたてプレミアムコーヒーが利用出来る。専用エスプレッソマシンの導入や100%オレンジジュースの提供、日替わりで提供する冷茶など、競合店ドリンクバーとの差別化を意識した変更を実施している。
デリバリー部門の強化
現在、ガスト・バーミヤンのチェーン店でデリバリー業態の「ルームサービス」を実施している。宅配料金は無料で、最低1,500円からの注文から受け付けている。テーブルサービスレストランを利用しないユーザー向けに、より手軽にレストランの味を提供する目的で価格帯もコンビニエンスストアの弁当価格を意識した手ごろな価格帯から、手の込んだレストランメニューまで幅広く用意されている。
デリバリー対応店舗には専用宅配バイクが5台前後、店舗によっては宅配専用の軽乗用車が1 - 2台程度用意され、専用の運転手を採用し空き時間などは店内の洗い場、清掃作業、宅配エリアへのメニューチラシのポスティング作業や事業所訪問、店内フロアかキッチンのうち一つを希望してその仕事を行う。
- ルームサービス
- ガストホームページかバーミヤンホームページ、または自宅へポスティングされたメニューチラシで利用客が電話注文を行う。初回利用時に無料の会員登録を行えば、次回利用時から簡略化した注文が可能となる。デリバリー用に開発した回収不要な容器を使うため、店内のメニューとは違う専用メニュー・一部アレンジを変えてのメニュー構成となっている。ルームサービス宅配時間は午前10時から午後11時30分まで受け付けている(一部の注文地域では時間の短縮あり)。
中期5ヵ年計画事業計画とM&A
2004年度に発表した中期5ヵ年計画の主な事業目標は、グループ売上高を2009年度までに1兆円企業体を目指すことが記されている。M&A戦略を今後も積極的に実施し、既存のすかいらーくグループ部門で約5,500億円、残りの部分をM&Aによる買収した傘下企業体との相互効果で「成長」があっての予測値ではあるので、今後MBOを実施してまで進める不採算部門の閉店・事業転換の成否が他の大手外食産業に注視されている。
- テーブルサービスレストラン事業
- これからのテーブルサービス部門は成長しきった市場で今後のマーケット拡大が厳しいと判断しているが、好調なイタリアン業態部門(グラッチェガーデンズ)を筆頭に更なるブラッシュアップを図る。
- 中食事業
- ごはんや八福、フロプレステージュなどのグループ企業の中で成長が期待されている中食部門を更に強化し、中食部門の競合他社に打ち勝つメニュー開発・商品力のアップを図る。
- クイックサービス事業
- Sガスト、Sバーミヤンなどの都心部で成長著しいクイックレストラン部門の更なる強化、ドミナント出店を今後も精力的に続ける。ちなみに「S」はSpeedのこと。
株式会社すかいらーくの運営するチェーン店
以下の店舗数のデータに関しては、公式サイトの値を元にしている。発表時期と現在の店舗数に関しては、差違がある。
店舗名 | 2007年2月28日 現在の店舗数 |
2008年10月31日 現在の店舗数 |
2009年3月31日 現在の店舗数 |
2009年9月30日 現在の店舗数 |
2010年3月31日 現在の店舗数 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
ガスト (GT) | 1,045店 | 1,132店 | 1,175店 | 1,273店 | 1,345店 | |
おはしカフェ・ガスト (OG) | 0店 | 7店 | 17店 | 60店 | 129店 | 2008年より展開 |
チャイナカフェ・ガスト (CG) | 0店 | 0店 | 2店 | 4店 | 3店 | 2009年3月より展開 |
ステーキ・ガスト | 0店 | 0店 | 0店 | 0店 | 1店 | 2010年3月より展開 |
バーミヤン (BM) | 704店 | 639店 | 507店 | 460店 | 394店 | 年々減少傾向にある。 |
夢庵 (YM) | 311店 | 298店 | 251店 | 210店 | 175店 | 一部おはしカフェ・ガストに転換 |
グラッチェガーデンズ (GG) | 119店 | 116店 | 127店 | 139店 | 134店 | |
藍屋 (AY) | 64店 | 61店 | 59店 | 57店 | 57店 | |
Sガスト | 41店 | 37店 | 32店 | 31店 | 31店 | |
ととやみち (TT) | 25店 | 24店 | 24店 | 23店 | 23店 | |
すかいらーく | 157店 | 154店 | 98店 | 11店 | 0店 | 2009年10月29日に最後の店舗が閉店 |
AFD | 0店 | 0店 | 0店 | 1店 | 1店 | |
ハンバーグ ガスト | 0店 | 18店 | 12店 | 0店 | 0店 | 2009年9月までに消滅 |
Sバーミヤン | 24店 | 0店 | 0店 | 0店 | 0店 | 2008年中に消滅 |
ごはんや八福 | 5店 | 0店 | 0店 | 0店 | 0店 | 2008年中に消滅 |
デリカ八福 | 1店 | 0店 | 0店 | 0店 | 0店 | 2008年中に消滅 |
ほたる苑 | 2店 | 0店 | 0店 | 0店 | 0店 | 2008年中に消滅 |
ビルディ | 70店 | 0店 | 0店 | 0店 | 0店 | ガストに転換 |
その他 | 2店 | 3店 | 2店 | 0店 | 0店 | |
店舗数合計 | 2,570店 | 2,489店 | 2,306店 | 2,269店 | 2,293店 |
傘下企業の運営するチェーン店
- 株式会社ジョナサン
- 2010年3月10日現在343店
- ジョナサン - 343店
- ジョナサンブレッド - 2店
- 2010年3月10日現在343店
- ニラックス株式会社
- 2010年3月31日現在140店
- カーニバルブッフェ - 22店
- フェスタガーデン - 18店
- パパゲーノ - 19店
- グランチャイナ - 8店
- その他ブッフェ - 44店
- フードコート - 10店
- ナイトバーズ - 3店
- Y's - 5店
- 乃の木 - 4店
- 開発型 - 7店
- 2010年3月31日現在140店
- 株式会社フロジャポン
- 2010年3月31日現在106店
- フロプレステージュ - 106店
- 2010年3月31日現在106店
- 株式会社トマトアンドアソシエイツ
- 2010年3月31日現在83店
- トマト&オニオン - 66店
- じゅうじゅうカルビ - 17店
- 2010年3月31日現在83店
過去に存在したチェーン店
- イエスタディ
- スカイラークグリル
- スカイラークガーデンズ
- マルコ
- 蕎麦割烹夢庵
- 焼肉ほたる苑
- Sバーミヤン
- ビルディ
- ごはんや八福
- デリカ八福
- ハンバーグガスト
- すかいらーく
- ジェイズガーデン
参考文献
- すかいらーく25年のあゆみ/すかいらーく二十五年史編纂委員会編 1987年12月出版
- 日本の外食産業 2005年度版 柴田書店月刊食堂編集部編 ISBN 4388153052
- 外食産業を創った人びと―時代に先駆けた19人 日本フードサービス協会 ISBN 4785502738
- 『外食王の飢え』 城山三郎 1982年、講談社刊 - 作品中のサンセット社がすかいらーくをモデルにしているとされる。
関連項目
- ブラック企業就職偏差値ランキング
- ジャパンカーゴ - すかいらーくグループの物流事業者。
- 東京交響楽団 - すかいらーくがスポンサーとなっているオーケストラ。
- オンワードスカイラークス - 2007年度までオンワード樫山と共同スポンサーとなっていたアメリカンフットボールチーム。その後、オンワードの単独クラブチームとなるも2008年限りで解散。
- スフィアリーグ(2007年8月まで)、すかいらーくグループリーグ(2008年4月まで) - すかいらーくがスポンサーとなっていた芸能人女子フットサルの大会。
- Gatas Brilhantes H.P. - すかいらーくがスポンサーとなっている、ハロー!プロジェクトのフットサルチーム。
- おじぎ30度 - すかいらーく(ガスト)を舞台としている短編ミニドラマ。