金嬉老事件

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金嬉老事件(きんきろうじけん)とは、1968年2月20日に39歳の在日韓国人二世の金嬉老(キム・ヒロ、きん きろう、本名:権禧老(クォン・ヒロ)、日本名:近藤[1]安広(こんどう やすひろ))が犯した殺人を発端とする監禁事件である。

寸又峡温泉旅館に宿泊中の13名を人質として篭城し、在日コリアン差別問題と絡めて警察官に謝罪を要求した。その後、篭城する様子がテレビ等で実況され関連する警察官がテレビ出演するなどした。評論家大宅壮一がこれを評して「警察をメディアが仲介しているようだ」と述べたように、劇場型犯罪に近い様相を見せていた。寸又峡事件とも呼ばれる。

事件概要

1968年2月20日、手形トラブルが高じて暴力団から借金返済を求められた金は、借金返済を約束して静岡県清水市(現・静岡市清水区)のクラブで暴力団員と面会。その場で暴力団員のうち2名(34歳男性と19歳男性)を猟銃で射殺したのち、翌日には同県榛原郡本川根町(現・榛原郡川根本町寸又峡温泉の旅館で、経営者・宿泊客ら13名を人質として篭城した。

篭城の際、犯人が使用していた銃は、豊和工業製の猟銃「M300」に、軍用銃(M1カービン)の30発弾倉を取り付けたものであった。また、犯人は猟銃以外に、ダイナマイトも所持していた。

88時間もの篭城の結果、犯人は報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員によって取り押さえられ、2月24日に逮捕された。

事件の直接のきっかけは借金返済問題であったが、ずっと以前に目撃した警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪することを人質解放条件として要求し、それ以外の要求がなかったため、差別問題と絡めて報道されるに至った。

また、母国である大韓民国でも報道が行われ、韓国マスコミでは差別と戦った英雄として取り上げた。

裁判

金は静岡刑務所未決監独房に身柄を移され殺人罪監禁罪爆発物取締罰則違反で起訴された。裁判では金の在日朝鮮人としての生い立ちがどれほどの影響を与えたかとが主な争点となった。

裁判中に刑務所内での金に対する特別待遇の実態が判明する。金の独房は施錠されておらず散歩や面会なども自由で脱獄手段に用いられる出刃包丁、ヤスリ、ライターなどを持ち込んでいた。これは金が自殺をほのめかしたりして、規則違反がエスカレートしたものだった。

特別待遇は刑務所上級職員の間で申し送り事項になっていた事実も判明し、刑務所の管理体制が問題となって衆議院法務委員会でも責任追及がされる。その結果、法務省矯正局長以下13人の法務関係者上級職員、専従職員13人が停職・減給・戒告・訓告などの処分を受けた。包丁を差し入れたとされる看守が後に服毒自殺をしている。

1972年6月、死刑求刑に対し静岡地裁は無期懲役の判決を下す。1974年6月、東京高裁が控訴棄却。1975年11月4日最高裁が上告棄却し無期懲役が確定。千葉刑務所で服役。

1999年9月に70歳で仮出所。31年ぶりに獄外に出た。東京保護観察所を経て、更生の為に適当との判断から祖国である韓国釜山に移り住む。

帰国後

韓国政府から助力を得、釜山にて新生活を始め結婚もした。だが2000年に講演会がきっかけで親密になった愛人の夫への殺人未遂放火および監禁事件を引き起こした為、逮捕され服役した。そのため、韓国での彼の人気は地に落ちたという。現在ではその愛人と一緒に生活しているという。

その他

  • 金嬉老事件の人質監禁88時間は警察が包囲する人質監禁時間として日本の最高記録になったが、1972年の連合赤軍5人によるあさま山荘事件の216時間で更新された。単独犯としては今でも最高記録である。
  • この事件を機に、警察においてライフル銃隊が創設された。2年後の1970年に発生した瀬戸内シージャック事件で初めて出動した。
  • 自殺に追い込まれた看守に対して金嬉老は何の感情も反省も持っておらず、他人事のような態度に特別弁護人を務めていた佐藤勝巳は非常に驚き愕然とし、原朝鮮人とも云うべき存在に初めて会ったと述懐している。
  • 獄中時代からの田代まさしのファンで田代が金を訪ねた際には喜んだという。なおこの時期は田代が自らの不祥事で謹慎中であり田代の不祥事を伝聞で聞いた金は「あの田代君がそんな事をするわけないじゃないかと言ってやったんだ。」と田代に話し田代は正直に経緯を話す事ができなかったとの連載に書いている。

映像作品

参考文献

脚注

  1. 金岡、清水とも名乗っていた時期があった。

関連項目