阿部慎之助
阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県浦安市出身の読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(捕手、内野手)。2007年からチームの主将を務めている。愛称は「うなぎいぬ」。
目次
経歴
プロ入り前
名前の由来は母親が池畑慎之介(ピーター)の大ファンであったことから。父は実業団電電東京に所属した野球選手で、掛布雅之と習志野市立習志野高等学校で同期。掛布とクリーンナップを組み、掛布が3番・父が4番を打ち、全国高等学校野球選手権大会に出場経験がある。その影響もあり、幼い頃から阪神タイガースファンで掛布に憧れ左打ちになった。また父もポジションは捕手、中央大学と共通している。父の勧めもあり、浦安市野球協会学童部所属・軟式少年野球チーム・浦小クラブに所属。その縁で浦安市野球協会で阿部慎之助杯争奪少年野球大会を協賛している。
安田学園高校では通算38本塁打を放つ。中央大学商学部に進学し3年生春まで東都大学野球連盟2部リーグでプレーする。2部リーグ通算51試合出場、186打数58安打、打率.312、12本塁打、41打点。3年生秋にチームは1部昇格。1部リーグ通算28試合出場、92打数27安打、打率.293、5本塁打、19打点。ベストナイン1回。2000年9月にはシドニーオリンピック代表に選ばれた。中大時代は打撃には定評があり、野手転向を勧められることもあったが固辞した。2000年11月のドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で読売ジャイアンツに入団。
プロ入り後
- 2001年
- 巨人軍では山倉和博以来23年ぶりの「新人捕手開幕スタメン」として出場し、その試合で初打席初安打初打点を含む4打点をあげる。最終的にシーズン13本塁打を放つ(新人捕手のシーズン2桁本塁打は田淵幸一以来2人目)が、規定打席には6打席不足した。当時の巨人軍は村田真一に代わる正捕手の育成が急務だった事もあり、長嶋茂雄監督は起用を続けて経験を重ねさせた。
- 2002年
- 127試合に出場し、巨人軍としては1987年の山倉和博以来の捕手による規定打席に到達、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得する。シーズン後半から高橋由伸の故障に伴い3番打者に起用され、8月の3度を含む4度のサヨナラ打を記録。このことから『サヨナラ慎ちゃん』と呼ばれるようになった。
- 2003年
- シーズン半ばでの故障もあり94試合の出場に終わる。規定打席不足であるものの、打率.303を記録。この年、初めてオールスターに出場した。
- 2004年
- 4月9日から4月16日にかけて6試合連続本塁打、4月28日には3本塁打を放つ。4月に放った16本塁打は王貞治の球団記録を更新し、1981年の門田博光(南海ホークス)、1994年の江藤智(広島東洋カープ)と並ぶ日本タイ記録。5月12日にはマーク・マグワイアが1998年に記録した従来の世界記録である「開幕35試合目での20本塁打」を2試合更新する「開幕33試合目での20本塁打」を記録する。この後ペースは失速し、5月後半~7月はそれぞれ2本ずつに留まり、8月には故障もあって、最終的には33本塁打にとどまった。しかし、シーズンで33本塁打は巨人軍所属捕手として球団史上初の30本塁打を記録し、規定打席到達で自身初の打率3割も記録した。11月には日米野球に捕手・代打で全8試合中、6試合に出場したが、13打席11打数0安打2四球だった。
- 2005年
- 前年に続いて故障に苦しみ、盗塁阻止率が極端に低下した。打撃はシーズンを通じて5番打者に定着し最終的に打率は3割を越え、出塁率と得点圏打率はチームトップの成績であった。8月23日の横浜ベイスターズ戦では、右肩痛のためプロ入り後初めて一塁手として出場。同年オフ、守備の負担を減らせば4番打者を務めることができると考えた原監督に一塁手へのコンバートを提案されたが、捕手として勝負したいと辞退した。
- 2006年
- 第1回WBC日本代表に選出されたが、前年からの故障があり出場を辞退。シーズンでは打率が4年ぶりに3割を割り、本塁打も自己最低の10本に終わったが、自身過去最高の盗塁阻止率.443を記録。10月18日、会社員の女性との結婚を発表した。
- 2007年
- チームの主将に任命される。6月9日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で球団史上第72代目4番打者を務め、2本塁打5打点と活躍した。また、6月14日のオリックス・バファローズ戦で、初回に平野佳寿から満塁本塁打を放ったが、これはプロ野球史上初の球団通算200満塁本塁打となった。オールスター第2戦ではMVPを獲得した。9月25日には33号ホームランを放ち、自身初のシーズン100打点を達成した。同時に、2003年の城島健司(当時福岡ダイエーホークス)以来、史上4人目の捕手登録選手のシーズン100打点達成となった(セントラル・リーグでは門前真佐人以来2人目で、57年ぶりの記録)。2008年に行われる北京オリンピックの野球日本代表予選3試合に出場して13打数10安打4打点、打率.769の結果を残し、最優秀打者賞・MVPを獲得。
- 2008年
- 本塁打1本に付き1万円を慈善団体に寄付するようになった。この年は北京オリンピック代表に選出され8試合に出場した。この年も巨人軍の主将を務めリーグ優勝が決定した10月10日の試合では2打点を挙げるが、牽制球で2塁へ帰塁した際に右肩を負傷した。その結果、クライマックスシリーズには欠場、日本シリーズには代打・指名打者として出場し、1本塁打含む打率.400を記録するも、捕手の守備につく事はできなかった。
- 2009年
- 第2回WBC日本代表に選出される。出場機会には恵まれなかったが、第2ラウンド1組1位決定戦ではスタメンマスクをかぶった。シーズン中はスタメンを外れたり、セス・グライシンガーの先発時は鶴岡一成がマスクをかぶっている一方で、自身は4年ぶりに一塁手として出場する事もあった。9月には5試合で本塁打7本を放つ活躍で月間MVPを受賞。チームトップ、リーグ2位の32本塁打、リーグ1位の本塁打率、リーグ1位の長打率をマークし、チームの連覇に貢献した。9月18日、東京ヤクルトスワローズ戦で巨人軍捕手初となる通算200本塁打を達成。北海道日本ハムファイターズと対戦した日本シリーズでも、打っては第5戦で武田久からサヨナラ本塁打、第6戦では武田勝から決勝打を記録し、守ってもピンチの場面で稲葉篤紀・高橋信二を三振に仕留める好リードで、日本一を達成し、自身もシリーズMVPを受賞した。
- 2010年
- 序盤は6番や7番を打っていたが、途中から5番に定着。5月21日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で永井怜から本塁打を打ち、10年連続2桁本塁打を達成、巨人軍では長嶋茂雄・王貞治・原辰徳・松井秀喜・高橋由伸に次ぐ6人目。6月19日の中日ドラゴンズ戦で浅尾拓也からこの試合2本目の本塁打を打ち、通算6度目の年間20本塁打。そして、2004年以来となる両リーグ最速の20本塁打を記録(同日、クレイグ・ブラゼルも記録)する。このペースは2004年に次ぐものである。さらに、6月は打率.375・14本塁打・21打点の好成績で月間MVPに選出された。9月11日の対広島東洋カープ戦で、捕手としては野村克也・田淵幸一に次ぐ史上3人目のシーズン40本塁打を達成した。これは、捕手としては球団初、そして左打者としても初の記録である。本塁打率は2年連続でセントラル・リーグ1位。シーズン後の契約更改において、4億円を球団より提示された。
- 2011年
- 東日本大震災の影響で日程が遅れたことに加え、4月5日の阪神タイガースとの練習試合で右ふくらはぎを負傷して、開幕に出遅れる。その後は2軍での調整を経て、交流戦初戦の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で5番捕手で1軍復帰を果たすと、9回表に2死走者なしから初安打を放ち、逆転の足がかりを作った。その後も正捕手としてだけでなく、シリーズ終盤ではラミレスに代わって4番に定着するなどして、攻守にわたってチームを牽引。9月29日の横浜ベイスターズ戦では谷繁元信が打ち出した、セントラル・リーグ記録の連続守備機会無失策1,708を抜く、新記録の1,709を達成するなどして、最終的には114試合に出場して、打率.292で114安打の61打点、本塁打もチーム2位の20本と5年連続の20本塁打を達成した。シーズン中には、第7回「ジョージア魂賞」を受賞、JA全農Go・Go賞は、8月の「最多盗塁阻止賞」部門、9月の「最多二塁打、三塁打賞」部門、10月の「最優秀賞」と3か月連続で受賞し、シーズン終了後には5年連続となるベストナインにも選出された。オフの契約更改では、怪我で出遅れながらもナインを牽引したことが評価され、現状維持の4億円(推定)で更改した。
- 2012年
- 1月に第3子が誕生。主に4番で起用され、史上最多タイとなる年間3度の月間MVPを受賞するなどチームを牽引し、初の個人タイトルとなる首位打者、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。本塁打もバレンティンに4本差の2位で、一時は三冠王も視界に入れた。打率.3404は1991年に古田敦也が記録した.3398を上回る捕手の最高記録であり、打点は両リーグで唯一100を超える104を記録した。また、三振数も規定打席到達者の中でセ・リーグ最少で、出塁率・長打率も12球団トップだった。日本シリーズでは、3戦目に右膝裏を痛めて途中交代し、4戦目と5戦目に出番はなかったが、6戦目は四番捕手でスタメン出場し、7回裏に決勝タイムリーを打ってチームを日本一に導いた。シーズン終了後は原監督と共に正力松太郎賞を受賞、さらにセ・リーグMVPにも選ばれた。11月には侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」の日本代表に選出。契約更改では5億7千万円(推定)の1年契約で更改。佐々木主浩、松井秀喜に次ぐ日本プロ野球で日本人史上3位の超高額年俸となった。
- 2013年
- 第3回WBC日本代表に選ばれ、主将、4番、正捕手の三役を兼任した。3月12日のオランダ戦では、自身初かつWBC史上初の1イニング2本塁打を記録するなど、全7試合に出場し、チーム最多タイの7打点を記録した。しかし1次ラウンドでは無安打、準決勝のプエルトリコ戦では好機に3度凡退し、大会全体を通してはやや不本意な結果に終わり、優勝も逃した。
- シーズンでは、前年に引き続き安定した活躍を続け攻守に渡ってチームを牽引した。優勝へのマジックを1として迎えた9月21日の対広島戦で、試合開始10分前に肩に強い違和感を持ち欠場。代役で、井野卓が急遽起用された。診断の結果帯状疱疹に感染していることが明らかとなった。それでも翌日の試合、1点リードの9回にマスクを被り出場。チームの顔として、優勝の瞬間にグラウンドに立ち、ビールかけにも参加した。前年ほどの傑出した成績ではなかったものの、3年ぶりに30本塁打を記録するなどこの年も各部門で高い数字を記録した。シーズン終了後、年俸が6億円(推定)に上がり、松井秀喜と並ぶ球団最高年俸タイ記録となった。
- 2014年
- 6月7日の対西武戦で、5回裏に岸孝之から右越えにソロ本塁打を放ち、球団歴代本塁打数332本で並んでいた松井秀喜を抜いて球団歴代単独4位に浮上した。なお、この本塁打で捕手では史上5人目となる通算1000打点も達成した。7月25日の対中日戦では、球団史上6人目となる通算3000塁打を達成した。
小泉麻耶との不倫騒動
小泉麻耶、元事務所幹部を“枕営業”強制で警察に被害届か
現在、プロ野球日本シリーズで阪神タイガースと福岡ソフトバンクホークスが連日熱い戦いを繰り広げているが、今年のペナントレースを制したものの、クライマックスシリーズでその阪神に4連敗を期し日本シリーズ出場を逃した読売ジャイアンツ(巨人)。
その巨人の主将・阿部慎之助とアイドル女優・小泉麻耶の不倫疑惑、さらに小泉が元所属事務所幹部A氏(仮名)から性行為を迫られ、2014年4月に神奈川県内の警察署に被害届を提出していたと「週刊文春」(文藝春秋/11月6日号)が報じている。
「文春」によれば、小泉はA氏から数回にわたり性行為を求められ仕事のために応じ、報復のためにその模様を隠しカメラで撮影していたといい、記事にはその一部とされる小泉とA氏の写った写真も掲載されている。
記事内で阿部は「文春」の取材に対し、前事務所とのトラブルについて小泉から相談を受けていたことを認めているが、このような芸能プロを舞台にする“枕営業”まがいの行為は広く行われているのだろうか。元テレビ局関係者は話す。
「2013年12月、2012年ミス・インターナショナル世界大会グランプリでタレントの吉松育美氏が大手芸能事務所・ケイダッシュ幹部から脅迫や業務妨害などを含むストーカー被害に遭っていたと告発。刑事告訴と民事訴訟を起こし、安倍晋三首相の妻・昭恵夫人が支援活動を行い、アメリカのABCニュースやワシントンポストなどの主要メディアを含む100カ国以上の海外メディアが報じ話題を呼びました。こうした一部の古い体質をひきずる芸能事務所によるタレントへの問題行為はしばしば表面化しますが、さすがにこれだけコンプライアンスが厳しく謳われる昨今なので、世間の目を意識する特に大手芸能事務所で、日常的にそのような行為が横行しているという話はあまり聞きません」
確かに、もし現実に横行していれば“枕営業”という言葉すらテレビで放送タブーになっているはずだが、現実にはバラエティ番組などでもタレントたちが“枕営業”をネタとして口にするくらいなので、やはりあくまで業界の噂にすぎないのであろうか。
「グラビアアイドルがメインの小規模な事務所にからむ噂話のレベルであれば、ときどき耳には入ってきますが……。ただ、数年前、某大手事務所がウチの局の幹部を接待する席に同席したことがあるのですが、その時にはウチの幹部1人と、その事務所が用意した複数人または1人の若い女性がカラオケルームのような個室に入り、楽しんでいました。ですので、世間一般と比較して芸能業界全体が性に関するモラルが低い傾向があるというのは、確かに感じる部分はあります」(同)
そんな業界の犠牲になっていたともいえる小泉から相談を受けていたという阿部だが、週刊誌記者によれば、「小泉と阿部の不倫は、スポーツ紙記者や球団関係者の間では“公然の秘密”です」と次のように話す。
「ふたりの不倫が発覚したのは2年前、2012年の週刊誌報道がきっかけですが、その年の巨人優勝の立役者である阿部の火遊びに球団は見て見ぬふりをしてきました。『文春』にも書かれているように、今年のシーズン前のグアムキャンプで、阿部は日本から小泉を呼びよせて頻繁に会っていましたが、現地入りしている記者や球団関係者にバレないはずがありません。阿部もあまり小さいことに気にしない豪快な性格なので、そもそも普段から小泉とのことを隠そうという意識があるのかよくわからない場面も多く、かえって周囲や記者たちが反応に困ってしまうこともあるようです。特に番記者たちは、阿部の不倫スキャンダルなど書けば一発で“出入り禁止”になるので、書くわけにいきませんからね」
今年は故障の影響もありシーズンを通じて不調が続いた阿部と、大きなイメージダウンにつながる疑惑が浮上した小泉。果たしてふたりには、今後どのような展開が待ちうけているのだろか。阿部には土壇場の一発逆転ホームランで“ベテランの意地”をぜひ見せてほしいものだ。
芸能界の闇が暴かれる?元グラドル・小泉麻耶の「枕営業ビデオ」騒動
発売中の「週刊文春」がスクープしており、そのお相手は2年前にも不倫が報じられた元グラビアアイドルで女優の小泉麻耶(26)だ。小泉は十代のころにGカップグラドルとして活躍し、近年は今年放送された深夜ドラマ『リバースエッジ 大川端探偵社』(テレビ東京系)などに出演。女優として評価が高まりつつある存在だ。
記事によると、巨人がリーグ優勝を決めた9月26日、選手たちの宿舎である「横浜ベイシェラトンホテル」に小泉がお忍びで来訪。エレベーターで23階のスペシャルゲストルームに直行し、地下のビールかけ会場で喜びに酔いしれる阿部を待っていたという。
翌朝、小泉が泊まった部屋と同じ一室から出てきた阿部は消化試合のデーゲームのために出掛けた。その数時間後、ホテルを出てきた小泉は何と横浜スタジアムへ向かい、堂々と試合を観戦。試合後、小泉がホテルに戻ると数分と経たずに阿部が戻り、またも同じ部屋に泊まったという。
これだけなら、単に不倫関係が続いていたという話でしかない。2年前、阿部は段ボールを持った宅配業者に扮して小泉宅を訪れる恥ずかしい姿をスクープされたが、まだ懲りていなかっただけのことだ。ところが今回、同誌は小泉が抱えている"重大トラブル"にまで踏み込み、芸能界の暗部があぶりだされる事態になっている。
同誌によると、今まで二人は互いに関係を清算しようとしたことが二度あったといい、一度目は昨年11月に小泉が演技を学ぶために渡米しようとした時期だった。その時は阿部が「妻と別れるからアメリカに行かないでくれ」と強引に引きとめ、実際に「慰謝料は6億でいいだろう」などと離婚を画策していたというが、離婚には至らなかった。
そして問題なのは二度目の破局危機。今年6月、小泉が警察沙汰にまで発展したトラブルを抱えていることを知った阿部が「彼女はウラで何をやっているかわからない」と動揺したことだった。そのトラブルとは、芸能界の悪習とされる「枕営業」にまつわるものだ。
小泉は今春に大手事務所「ケイダッシュ」系列の事務所を離脱したが、その前事務所の幹部A氏と小泉が性行為をしている"セックスビデオ"が存在するというのだ。しかも驚くことに、そのビデオを撮影したのは小泉だという。
記事では、その驚愕の経緯を追っている。小泉はA氏から頻繁に性行為を求められ、いわゆる「事務所内枕営業」を強要されていたという。だが、それに応じても待遇がよくなることはなく、性奴隷のような扱いをされていたそうだ。これに激怒した小泉が復讐のために隠しカメラを仕掛け、それをネタにA氏を恐喝しようとしたというのだ。
美人局のようなものにも思えるが、実際に恐喝行為には及んでいなかったよう。だがこの映像の存在は業界に知れ渡り、芸能関係者やマスコミ、暴力団関係者がビデオを探し回ったという。その事態を察したA氏も必死にビデオを押さえようとした。結局、映像が広く出回ることはなかったようだが、業を煮やしたA氏は関連会社の幹部らとともに小泉を呼び出し、ビデオの件を問い詰めたという。
この時、幹部らは「ビデオのことを知ってるだろう」「名誉毀損になるぞ」などと脅したが、小泉は「何もしりません」と突っぱねた。その際に幹部B氏が彼女の身体に乱暴に触れたらしく、激昂した小泉は病院に直行して全治一週間の診断書を取り、事務所側に猛抗議したという。
事務所との契約は昨年暮れで切れたが、怒りのおさまらない小泉は今春に警察署に被害届を提出。ついに警察沙汰にまで発展し、小泉は前事務所と全面対決の構えを見せていた。だが、彼女が今年に入ってから移籍した新しい事務所の社長が重大トラブルになることを恐れ、被害届を取り下げさせたことで騒動はひとまず終息した。
この騒動を知った阿部は混乱したそうだが、結局は前述のように元サヤの不倫状態。球団広報や阿部本人は不倫自体を否定しているが、この一連の報道が事実であれば、まさに「処置なし」といったところだ。
それよりも気になるのは「枕営業ビデオ」の存在だ。同誌は独自に写真を入手したといい、数カットが誌面に掲載されている。キャミソール姿で胸元をあらわにした小泉がベッドに座り、その横にはスーツ姿のA氏。小泉がベッドに横たわったA氏の股間に手を伸ばしている写真があり、さらにはズボンを途中まで下ろしたA氏のあられもない姿や小泉が男の股間に顔をうずめるカットも存在するという。
A氏や小泉は同誌の取材に対し、このビデオによるトラブルを否定しているが、実際にブツを出してきた誌面のインパクトは強い。ビデオが本物であれば、これまで都市伝説のようにささやかれてきた芸能界の「枕営業」が白日のもとにさらされたことになる。
「単に枕営業のビデオが存在しただけでも衝撃ですが、A氏はケイダッシュの川村龍夫会長ら芸能界の実力者に可愛がられている業界の有名人。別の事件でも名前がクローズアップされるなど黒いウワサは数々あったが、マスコミに尻尾をつかませずに業界を渡ってきた。ですが、今回のような"動かぬ証拠"が出回ってしまったら業界内の立場は地に落ちるでしょう。系列事務所で枕営業が横行しているとなれば、本丸のケイダッシュにも迷惑が掛かる。業界的には、阿部の不倫よりもA氏の行く末、そしてケイダッシュをはじめとした大手事務所の暗部が暴かれるかに注目が集まっています」(芸能関係者)
阿部は単に胸の大きい愛人を囲った程度にしか思っていなかったのだろうが、実はとんでもない相手に手を出してしまっていたようだ。
選手としての特徴
打撃
強打の捕手として知られ、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年で両リーグ最高打率.318、同OPS.935を誇った。スイングを始めてから腰を捕手方向にひねるツイスト打法により緩急に対応し、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ。左打者ながら左投手も苦にせず、2006年から2010年まで左投手に対して打率.283を記録し、統一球導入後の通算でも打率.327を記録している。ツイスト打法は内田順三に勧められて2004年から取り入れ、普段の練習やティーバッティングなどで腰の開きを我慢しながら反復して練習しているという。一塁到達4秒台後半の鈍足なため併殺打は多いが三振は少なく、100三振を記録したシーズンは一度も無い。犠打は少ないイメージが強いが、2005年、2013年、2014年を除く全ての年で毎年1個以上の犠打を記録している。
守備
スローイング面では2010年には両リーグトップの進塁阻止率を記録。アマチュア時代から強肩に定評があり、スローイングの制球も安定している。試合後のアイシングやオフの鍼治療などで肩のケアには気を配っているが、肩の消耗のため「大学時代が一番スローイングは良かったかな?」と思うこともあるという。
リード面では「直感型とデータ型に分類するのではなく、両方が必要だと思っている。リードに関しては正解がないから、臨機応変に対応できることが一番」と話している。キャプテンシーが高く評価されており、チームメイトからは「ミットを構えた時の安心感があるし、声をかけてくれるタイミングも抜群」と信頼を得ている。
その他
総合評価指標WARにおいて、2012年、2013年にはそれぞれ9.7、8.4といずれも両リーグNo.1の数値を記録するなどセイバーメトリクス上での評価が高い。
また、2008年頃からマスク一体型のキャッチャーマスクを付けていたが、2014年5月頃からはかつて付けていたようなキャッチャーマスクに戻している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 巨人 | 127 | 428 | 386 | 40 | 87 | 18 | 0 | 13 | 144 | 44 | 3 | 0 | 2 | 2 | 31 | 7 | 7 | 79 | 9 | .225 | .293 | .373 | .666 |
2002 | 127 | 511 | 446 | 62 | 133 | 26 | 0 | 18 | 213 | 73 | 4 | 1 | 4 | 3 | 46 | 12 | 12 | 81 | 10 | .298 | .377 | .478 | .854 | |
2003 | 94 | 371 | 314 | 46 | 95 | 15 | 1 | 15 | 157 | 51 | 1 | 1 | 3 | 4 | 40 | 6 | 9 | 52 | 7 | .303 | .392 | .500 | .892 | |
2004 | 108 | 436 | 379 | 61 | 114 | 22 | 1 | 33 | 237 | 78 | 0 | 0 | 1 | 0 | 43 | 1 | 13 | 87 | 6 | .301 | .391 | .625 | 1.016 | |
2005 | 130 | 534 | 476 | 56 | 143 | 16 | 0 | 26 | 237 | 86 | 0 | 2 | 0 | 6 | 51 | 4 | 1 | 78 | 15 | .300 | .365 | .498 | .863 | |
2006 | 129 | 497 | 452 | 39 | 133 | 26 | 2 | 10 | 193 | 56 | 0 | 2 | 4 | 2 | 35 | 4 | 4 | 76 | 8 | .294 | .349 | .427 | .776 | |
2007 | 140 | 580 | 499 | 72 | 137 | 20 | 0 | 33 | 256 | 101 | 1 | 2 | 3 | 10 | 57 | 7 | 11 | 76 | 17 | .275 | .355 | .513 | .868 | |
2008 | 125 | 484 | 428 | 60 | 116 | 27 | 0 | 24 | 215 | 67 | 1 | 1 | 4 | 0 | 44 | 5 | 8 | 66 | 17 | .271 | .350 | .502 | .852 | |
2009 | 123 | 462 | 409 | 63 | 120 | 20 | 2 | 32 | 240 | 76 | 1 | 1 | 2 | 7 | 34 | 0 | 10 | 87 | 9 | .293 | .357 | .587 | .943 | |
2010 | 140 | 569 | 498 | 85 | 140 | 27 | 2 | 44 | 303 | 92 | 0 | 0 | 1 | 1 | 58 | 3 | 11 | 91 | 8 | .281 | .368 | .608 | .976 | |
2011 | 114 | 437 | 390 | 45 | 114 | 21 | 0 | 20 | 195 | 61 | 1 | 1 | 2 | 1 | 35 | 2 | 9 | 66 | 12 | .292 | .363 | .500 | .863 | |
2012 | 138 | 556 | 467 | 72 | 159 | 22 | 1 | 27 | 264 | 104 | 0 | 0 | 2 | 8 | 69 | 6 | 9 | 47 | 11 | .340 | .429 | .565 | .994 | |
2013 | 135 | 529 | 422 | 81 | 125 | 17 | 0 | 32 | 238 | 91 | 0 | 0 | 0 | 6 | 86 | 9 | 15 | 59 | 8 | .296 | .427 | .564 | .991 | |
2014 | 131 | 526 | 459 | 49 | 114 | 24 | 0 | 19 | 195 | 57 | 1 | 3 | 0 | 2 | 58 | 5 | 7 | 77 | 16 | .248 | .340 | .425 | .765 | |
通算:14年 | 1761 | 6920 | 6025 | 831 | 1720 | 301 | 9 | 346 | 3087 | 1037 | 13 | 14 | 28 | 52 | 687 | 71 | 126 | 1022 | 153 | .287 | .369 | .512 | .884 |
- 2014年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 2011年は規定打席に9打席不足しているが、長打率は不足分を凡打と仮定しても.489であり、規定打席到達者でリーグ最高長打率のウラディミール・バレンティン(.469)を上回る。
年度別打撃成績所属リーグ内順位
年度 | 年齢 | 所属リーグ | 打率 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 23 | セ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - | - |
2002 | 24 | - | - | 10位 | - | - | 9位 | - | 7位 | |
2003 | 25 | - | - | - | - | - | - | - | - | |
2004 | 26 | - | - | - | - | 8位 | - | - | 2位 | |
2005 | 27 | - | - | - | - | - | - | - | 10位 | |
2006 | 28 | - | - | - | - | - | - | - | - | |
2007 | 29 | - | - | - | - | 5位 | 4位 | - | 9位 | |
2008 | 30 | - | - | 9位 | - | 7位 | - | - | 10位 | |
2009 | 31 | 10位 | - | - | - | 2位 | - | - | 1位 | |
2010 | 32 | - | ‐ | - | - | 3位 | 6位 | - | 2位 | |
2011 | 33 | - | - | - | - | 4位 | 9位 | - | - | |
2012 | 34 | 1位 | 4位 | - | - | 2位 | 1位 | - | 1位 | |
2013 | 35 | 6位 | - | - | - | 3位 | 3位 | - | 3位 |
- -は10位未満(打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)
年度別守備成績
年 度 |
捕手 | 一塁 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2001 | 125 | 846 | 63 | 4 | 8 | 6 | .996 | 68 | 44 | 24 | .353 | - | |||||
2002 | 126 | 1013 | 65 | 6 | 15 | 9 | .994 | 50 | 30 | 20 | .400 | - | |||||
2003 | 93 | 772 | 51 | 7 | 4 | 4 | .992 | 61 | 39 | 22 | .361 | - | |||||
2004 | 108 | 894 | 56 | 2 | 10 | 4 | .998 | 56 | 38 | 18 | .321 | - | |||||
2005 | 98 | 793 | 55 | 8 | 10 | 1 | .991 | 72 | 53 | 19 | .264 | 32 | 263 | 14 | 3 | 14 | .989 |
2006 | 128 | 916 | 83 | 3 | 7 | 7 | .997 | 88 | 49 | 39 | .443 | - | |||||
2007 | 139 | 1001 | 74 | 8 | 9 | 8 | .993 | 70 | 50 | 20 | .286 | - | |||||
2008 | 122 | 914 | 82 | 4 | 15 | 4 | .996 | 79 | 50 | 29 | .367 | - | |||||
2009 | 107 | 715 | 67 | 4 | 7 | 5 | .995 | 80 | 54 | 26 | .325 | 10 | 71 | 5 | 0 | 6 | 1.000 |
2010 | 137 | 958 | 94 | 1 | 10 | 7 | .999 | 97 | 61 | 36 | .371 | 5 | 41 | 1 | 2 | 5 | .955 |
2011 | 112 | 758 | 75 | 2 | 12 | 3 | .998 | 61 | 41 | 20 | .328 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2012 | 116 | 788 | 70 | 7 | 8 | 1 | .992 | 57 | 37 | 20 | .351 | 21 | 175 | 7 | 3 | 17 | .984 |
2013 | 119 | 858 | 71 | 1 | 5 | 5 | .999 | 76 | 48 | 28 | .368 | 5 | 39 | 4 | 0 | 3 | 1.000 |
通算 | 1530 | 11226 | 906 | 57 | 120 | 70 | .995 | 915 | 594 | 321 | .351 | 74 | 593 | 31 | 8 | 45 | .987 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
- 最優秀選手:1回 (2012年)
- 日本シリーズMVP:1回 (2009年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2012年)
- 日本シリーズ特別賞 - みんなで選ぶコナミ賞:1回(2012年)
- オールスターゲームMVP:2回 (2007年 第2戦、2010年 第1戦)
- ベストナイン:8回 (2002年、2007年 - 2013年)
- ゴールデングラブ賞:3回 (2002年、2008年、2013年)
- 月間MVP:6回 (2004年4月、2009年9月、2010年6月、2012年6月、2012年8月、2012年9月)
- 優秀JCB・MEP賞:2回 (2004年、2005年)
- 最優秀JA全農Go・Go賞:1回 (2011年)
- JA全農Go・Go賞:2回 (最多盗塁阻止賞:2011年8月 最多二・三塁打賞:2011年9月)
- 東京ドームMVP:3回 (2005年、2011年 - 2012年)
- 最優秀バッテリー賞:6回 (2002年、2007年 - 2009年、2012年、2014年)
- 2002年、投手:上原浩治
- 2007年、投手:高橋尚成
- 2008年、投手:セス・グライシンガー
- 2009年、投手:ディッキー・ゴンザレス
- 2012年、投手:内海哲也
- 2014年、投手:菅野智之
- 日韓クラブチャンピオンシップMVP:1回 (2009年)
- セ・パ交流戦優秀選手賞(日本生命賞):1回 (2010年)
- 月間サヨナラ賞:1回 (2012年8月)
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2011年度第7回)
- 正力松太郎賞:1回 (2012年)
- 日本プロスポーツ大賞:1回 (2012年)
- スピードアップ賞:1回 (2013年)
- 報知プロスポーツ大賞:3回 (2007年、2012年、2013年)
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2001年3月30日、対阪神タイガース1回戦(東京ドーム)、8番・捕手で先発出場、5打数2安打4打点
- 初打席・初安打・初打点:同上、2回裏に星野伸之から右中間へ2点適時二塁打
- 初盗塁:2001年4月11日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、9回表に二盗(投手:井本直樹、捕手:鈴木郁洋)
- 初本塁打:2001年4月13日、対横浜ベイスターズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に河原隆一から右中間へ先制ソロ
- 初死球:2001年4月15日、対横浜ベイスターズ3回戦(東京ドーム)、4回裏にシェーン・バワーズから
- 節目の記録
- 100本塁打:2005年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(東京ドーム)、4回裏に三浦大輔から右越ソロ ※史上241人目
- 150本塁打:2008年5月3日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、9回表に五十嵐亮太から右越3ラン ※史上146人目
- 1000試合出場:2009年5月4日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手で先発出場 ※史上430人目
- 1000本安打:2009年6月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(東京ドーム)、6回裏に井坂亮平から左前安打 ※史上253人目
- 200本塁打:2009年9月18日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、7回表に加藤幹典から中越3ラン ※史上95人目
- 250本塁打:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回表に永井怜から右越ソロ ※史上55人目
- 100死球:2012年6月30日、対中日ドラゴンズ8回戦(東京ドーム)、3回裏に小笠原孝から ※史上18人目
- 1500試合出場:2013年4月4日、対横浜DeNAベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、4番・捕手で先発出場 ※史上177人目
- 1500本安打:2013年4月7日、対中日ドラゴンズ3回戦(東京ドーム)、7回裏に小林正人から右前安打 ※史上113人目
- 300本塁打:2013年4月21日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に中村恭平から右越2ラン ※史上38人目(捕手では野村克也・田淵幸一に次いで3人目)
- 1000打点:2014年6月7日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(東京ドーム)、5回裏に岸孝之から右越ソロ ※史上42人目(捕手では野村克也・田淵幸一・古田敦也・谷繁元信に次いで5人目)
- 3000塁打:2014年7月25日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、2回表に大野雄大から遊撃内野安打 ※史上53人目
- 300二塁打:2014年9月21日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(東京ドーム)、1回裏に小川泰弘から左中間へ適時二塁打 ※史上62人目
- その他の記録
- 月間本塁打:16本(2004年4月) ※プロ野球2位タイ
- オールスターゲーム出場:10回 (2003年、2004年、2006年 - 2014年)
- 捕手としての年間最高打率記録(.3404)(2012年)
- 1イニング2本塁打(第3回WBCオランダ戦3月12日)
背番号
- 10 (2001年 - )
登場曲
- セプテンバー(アース・ウィンド・アンド・ファイアー、2002年 - 2003年、2007年 - )
- ファンや応援団が歌詞に合わせて「ホームラン、阿部 慎之助」とコールすることがある。
- ビジター戦での打席入場の際にも、応援団がトランペットで演奏するケースがある。この場合でも、上記のコールが起きる場合もある。
- サマータイム!!(MINMI、2010年、一部打席のみ)
関連情報
出演番組
- 志村けんのバカ殿様(フジテレビ、2003年1月4日) - 「日本一の男」として当時チームメイトだった元木大介と共にゲスト出演。番組内の罰ゲームで志村けんから頬に接吻された。
- 中井正広のブラックバラエティ(日本テレビ) - 当番組のレギュラー出演者達との「野球対決」では、本職の「捕手」ではなく、「投手」として、出場した。
- とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ、2012年12月13日) - 『食わず嫌い王決定戦』に佐々木希と共に出演。佐々木の苦手なもの[1]を見事に的中させ、勝利した。また、とんねるずの二人にセ・リーグ二冠王達成記念のバットをプレゼントした。
- 炎の体育会TV(TBS系)
- 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ、2013年1月7日) - 矢野謙次と共に出演。
- 徳光和夫の週刊ジャイアンツ(日テレG+ 、2013年1月14日) - 坂本勇人、長野久義、藤村大介と共に出演。
- しゃべくり007(日本テレビ、2013年12月2日) - 内海哲也、長野久義、村田修一と共に出演。
脚注
関連項目
外部リンク
- 選手名鑑 阿部 慎之助 - 読売ジャイアンツオフィシャルサイト
- 個人年度別成績 阿部慎之助 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- 高等学校野球情報.com 独占インタビュー 第39回 阿部 慎之助選手(2009.12.11.)