アニヲタWiki(仮)
この項目では、自称百科事典について説明しています。その他の用法については「アニヲタWiki(仮) (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
' (Wikipedia) は、“最高の内容を目指す”と自称している、インターネット上の百科事典モドキ。本家アンサイクロペディアじゃなくウィキペディアをパロディしているのがアンサイクロペディアである。
利用の結果生じた損害について一切責任を負わず、利用・内容の合法性、正確性、安全性等、あらゆる点において無保証[1]。
以下では特筆が無い限り、日本語版に関して記す。
目次
概要
「誰でも自由に編集できる」と自称する、「OTAKUのためにオタクが作った」オタク百科事典である。なお「誰でも編集できる」としているが、その一方で「基本方針(後述の通り、実質は独裁である)に同意した人だけが新しく執筆したり記事を作成できる」と書かれている[2]。「杜撰(ずさん)」の現代英語訳。別名・「まとめ@Wiki」。たまにウェケペデア(WakiPDA)と言う人がいる。
実態
「とりあえず暫定版、誰でも編集おk」の名に反し、掲載可能なものは「管理者[3]」の理解に及ぶ内容に限られる。実態は管狸者たちとウィキペディア自警団の自慰行為の場と化している。彼らは管理とは名ばかりの監視を行い、共産主義国家における中央委員会、独裁体制国家における最高評議会のような様相を呈している。この「管狸者」集団と自警団の「認可」と「了承」を得ないと更新一つままならず、執筆・編集は彼らの偏った価値観、低い知能レベルに沿った内容が求められる。そのため多くの社会的機関が未だにこの「百科事典」からの引用を認めていない。
事実や真実を書き込むと「即時削除」され、捏造であっても都合のいい内容を、またいやがらせメッセージを書き込めば、永久保存される。社会学的には営利企業が自社商品を簡易・安価・効果的に宣伝出来る場。“○○についてぼくがしっていること”を好き勝手に書き殴る場でもある。
編集は、固い頭と頑迷固陋な精神を持つウィキペディアンなる「ユーモア欠落症患者」や、いわゆるナルシストの内の反社会的な人々たる「平気でウソをつく人たち」が行なう、多彩で巨大な悪い冗談である。医療についてこれに頼れば非常に危険(「死んでも知らない、真実を知りたきゃ医者に聞け、ウィキペディアは医学書じゃねぇんだ」と公言してある。しかも2013年3月中旬にはこれさえも“議論の結果、廃止”とかで消滅した)で、これを参考にして命を落とした人間は世界中の飛行機を使っても一日では運べない数になっている。
一般社会での評価は、「オンライン百科事典を自称する宣伝サイト、とりわけ、大企業の巨大商品(原子力発電所も含めて)では特に悪質である」。「ずさん以下でうっかり引用して会社をクビになった。」「うっかり正しいと信じて国会で笑われた。」。さらに「精神病患者隔離施設、ポルノ画像投稿サイト、犯行予告サイト」と揶揄される場合もある。唯一「オタクが作ったオタクのためのオタク百科事典」との好評価がある。サイト内での告発ページ(コメント依頼、投稿ブロック依頼)での陰湿なイジメ(ネットによる精神的虐待)があり、このページだけに参加する虚偽と邪悪に満ちた人がいる。
アダルトサイト「BOMIS」(ボミスまたはボーミス)[4]の運営者ジミー・ウェールズ(日本名:神保上州)が性風俗の用語集として開設したWikiである。財政的には、2001年1月15日より英語版が開始され、オープンコンテント形式で提供されている。その目的は世界のポルノサイトを宣伝し、ポルノ画像販売を事業としているボミス(ウェールズが代表者)を筆頭としたポルノ業界の社会的貢献名目での減税対策と、羊のような利用者から寄付金により成り立つ。将来的には財団が巨大な赤字を得られれる立場になれば、減税対策として企業間を転々譲渡される運命が待っている。もしも社会的地位を得られれば、それらを支配できるサイトとしてやはり転売される運命になる。
人的には、社会で何ら評価を一切されないヲタクらが唯一自己実現を安易に安価に可能とする場所を提供されたことにより、彼らの投稿する記事により内容が作成される。また、それらを管理す管理者は、主に邪悪なナルシシズムによるボランティアか、情報操作の目的による外国公務員などが精力的に当たるという三角形で大きく成長している。
近年、ウィキペディアは「2ちゃんねるの百科事典」「書式のある2ちゃんねる」とも言われる。実際、2ちゃんねらーやネットサヨがウィキペディアの記事を話題にし、自殺攻撃とも言える強圧的な記事の書き換えを行った結果、特にサブカルチャーと日本の戦後処理関連の記事において2ちゃんねらーのネタ投下辞典と化している(そもそも、名立たる学者の間でさえ意見が分かれている事象について、どこの馬の骨とも知れない素人が新事実を発見出来るものではない)。それに反発する一部のウィキペディアンとの間での醜い編集合戦こそが、ウィキペディアの原風景となっている。2011年には出典なしで存命人物を批判することは、訴訟が怖いので全面禁止となり[5]、ますます言論弾圧とファシズムの2ちゃんねる型掲示板へと成り下がっている。
また、Google検索と相互依存関係にある事から、「Googleの百科事典」とも言われる。多数のウェブページから結果的にリンクされるために、検索エンジンの最上位に必ず現れる。日本独自の事情から「電通の百科事典」と言いまわされる事もある。それは、ウィキペディアに嘘でも何でもいいから、自分や自社の情報を書き込むとGoogleで高いレーティングが与えられ、検索結果として妥当性なかろうとも関係なくヒットするためである(検索エンジン最適化)。2014年6月、鉄則だった宣伝行為禁止及び即時削除規定が「騙りもあり得るから作成者が単に関係者や本人と同名というだけではその対象には出来ない」として、たった一人の「削除者[6]」の独断により撤廃・緩和された[7]。
このことから、広告を目的に役員(ベンチャーや中小の企業なら社長)がウィキペディアに自社の項目を作る企業は後をたたない。某パソコンソフトメーカーのサイトで「(製品名)がWikipediaに掲載されました!」、某企業・某クリエイティブアーティストが「わが社(私の名前と創作歴)はウィキペディアにも項目として存在します!」と宣伝(しかし内容は会社案内パンフレットレベルに過ぎない)。ただし、商売仇も指をくわえているわけではなく、商品のアラを探してはそこに放り込むことに、結構社員は帰宅後忙しい(あるメーカーの耐水パソコンはくわえていた指のよだれからキーボードを守りたいとの気持ちから開発が始まったのは有名な話である)。
なお、「ウィキペディア」とグーグル検索すると、ウィキペディアそのものや日本語版、ウィキが上位でヒットするのは去る事ながら、「ハロウィン」(映画ではない方の)やAKB48の内容までがなぜか上位に登場する。
記事
英語版開設から現在にかけて、無意味な記事の作成をやたらめったに行ない、且つ放置を繰り返した結果、現在、24時間営業参加している執筆者(普通に朝起きて夜寝ている人間と、完全に昼夜逆転している自宅警備員の2通りがいるようだ)の多くが何らかのオタクであり、ウィキペディア=自己表現におり自己実現を見出す場とするナニカである。
特に一部の執筆者はウィキペディアの主旨に従って性科学ないし性風俗に関する記事の投稿、およびわいせつな画像の投稿を最優先としている。その他にも、自身の趣味をあがなうため、日々せっせとアニメ、漫画、コンピュータゲーム、兵器、声優個々人、テレビの新番組といったサブカルチャー媒体を、自分自身の価値観で埋め尽くすべく、それら作品や物体・人物の寸評や私的な感情を、せっせと勤勉に書き込んでいる。実在の人物や企業に関する批判的記述は、名誉毀損で提訴されるのが怖いので書けないし、書くと消される。もはやこのように、人とはいえなくなったナニカも多く、人はそれをウィキペディアンと呼ぶ。なおウィキホリックという症状も存在する程である。
この延長で、様々なメインカルチャーに関する事柄や、鉄道車両、科学、政治、経済、哲学、宗教、芸術、hydeの身長は156cm、オカルト(UMAやUFOや都市伝説や各種おまじないを含む)といった諸々の事象に関する記事、果てはメジャーデビューを目指し売り出し中のインディーズ系バンド、中小企業、起業家や青年実業家、自称クリエイター、自称アーティストの自社・自己紹介ページまでも作成され存在する(「新しいページ」を参照。最新50ではなく出来るだけ多い数での閲覧を強くお勧めする)。もちろん、これらの一見ヲタとは無関係な記事にまでせっせとヲタ項目へのリンクを貼付けることも忘れてはいない。その一方で、真に作成されるべき肝心な事項は、未だに作られない(例として、「ツンデレ」「ロリ」「ぷに」「眼鏡っ娘」が項目として存在するくせに「お嬢様」の定義は存在しない。ギャルゲー・エロゲには欠かせないキャラクターなのに)。
そして、概ねその内容は、混沌が真理を内包している(→集合論)のと同様に、一応の客観的合理性を含むため、一部ではそこに記載された内容が、全面的に信頼に値する内容であると誤解されるが、スタージョンの法則によれば、その9割9分までもがカスである。
実際、ウィキペディアでは500以上の記事において正確性に疑問があることが指摘されているが、「一匹のゴキブリを見たら50匹いると思え」とする定理に従えば、指摘されていない記事も含めるとその数は50倍以上、すなわち2万ページを遥かに越えるのではないかとも考えられている。このような指摘に対してウィキペディアンたちは、「ウィキペディアのパロディサイトであるアンサイクロペディアと比較すれば、ウィキペディアのほうが信頼できる。だからウィキペディアは世界一だ!!」、「英語版はブリタニカ大百科事典並みの信頼度を寄せられている、だから日本語版もブリタニカ日本語版並みに正確なのだ」等と主張している(ちなみに日本語版は日本語版に過ぎず、英語版を和訳したものではない)。どこかの真理教と同じにおいがする。
嘘を書き込んだとしても、出典付き(これが重要)でさえあればその真偽を確かめる方法はなく、釣りにさえ活用可能。ウィキペディアにさえ書かれていればたとえ架空・想像上の創作物であってもその物事は存在し、逆に、書かれていなければ、多数の耳目に触れる事実であってもこの世に存在しない事にされる(ギル・スコット・ヘロン「革命はテレビ中継されないだろう」)。このような思想を「出典原理主義」と言う。これは「出典さえ示せば何を書いてもよく」「出典のない記述を削除することは絶対的正義であるから、たとえ記事が断片化されて意味が通らない文章になろうが、前後で矛盾する記述になろうが、記事の分量が3分の1以下になろうが、他人の編集を台無しにしようが、個人的な対立の報復や嫌がらせに利用しようが、何者にも反対することは許されない」という教条のみを絶対的に信奉する思想である。この思想がたびたび編集者間の対立の原因となり、かつ、良心的な編集者が追い出されたり心を折られたりする原因となっている。この思想においてはさらに「この原理にさえ従っていればウィキペディアは世界一正確で有益な百科事典となる」と信じられているが、実際には「互いに論理的に背反する記述のいずれにも出典が示されている場合の記述はどうするべきか」や、「記事の内容として必要不可欠な箇所に出典が見つけられない場合はどうするべきか」といった問いに明確な答えを与えられず、根本的な矛盾を孕んでいる。この矛盾は「すべての価値に対して寛容であるべき、とするリベラリズムこそが唯一無二の絶対的に正しい真理」とするリベラリズムの矛盾とよく似ている。
また彼らウィキペディアンは堅苦しい表現を不必要なまでに大変好み、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っている(決して改革ではない)。例としては、文を全て「である」で終わらせてみたり、持って回った表現をやたらに使ったり(「オッカムの剃刀」という言葉を知らないらしい)、長ったらしいカタカナの専門用語を説明なしに・また句読点を多用したり、同じ事の再三の繰り返し、ある記述に加筆を装って反論する、法律の文章をそのまま持ち込む(逆に、その項目で扱われているのは何なのかという部分は完全に疎かにされる)、といったパターンが多い。その結果として記事は恐ろしく冗長になってしまう。この行為は内部で雑草とりと呼ばれており、この世で堅苦しくないものは、総じて雑草、即ち邪魔であるかの如くの態度をとっており、この姿勢は一部の利用者から批判を受けている。しかし彼らはそれらの利用者を場を乱す行為、あるいは公序良俗に反する行為であるとして切り捨て、その意見を全く聞こうとはしないが、実体は下手糞な文章の陳列の域を出るものではない。
ウィキペディアでは日夜いくつも著作権侵害行為が行われてもいる。その数は当然アンサイクロペディアの比ではない。しかし彼らは卑劣にも証拠を隠滅したりして、訴えられるのを全力で避けているため、今まで裁判沙汰になったことは一度も無い。このような行為は、飲酒運転事故を起こした犯罪者が危険運転致死傷罪で処罰されるのを回避する為に酒気が抜けるまで逃げ続ける行為と非常に似ており、責任を負おうとせずに逃げ続ける管理者や運営者の悪魔的な人格を象徴している。ウィキペディアの内部でこの事が問題視されないのは、利用者が極めて少ないことを意味している。
中立性を重視していると思われがちだが、利用者によって考え(どれが中立でどれが偏向しているか)が違うため、百科事典に相応しくない記述が目立つ。そして、政治的、宗教的な記事になればなるほど、編集保護の名の下に、情報が古いまま固定される傾向が強いため、世界各国の主要な政治家の記事の多くについて、信頼性が相当低い。英語版の本家Wikipediaには見られない、“方針に賛同していただけるなら”という勝手で閉鎖的な独自ルールで固めているため、管狸者及び自警(ウィキペディアン)の思想や意に反する記述は即削除されるか、ソースの開示を求められるか、アカウントの停止を求めてくる。また、都合の悪い利用者の会話の内容を書き換えるといった手法をとる場合がある。管狸者にとって都合の悪い記事には信頼出来る文献を求めてくる反面、都合の悪い記事には著作権の侵害を理由に記事の全削除を求めてくる傾向にある。
闇魔法
ウィキペディアで実際に使用されている闇魔法である。
相手を見破る闇魔法
これは暗黒魔術の代表格。つかえる魔法使いはごく僅かである。この魔法を使いこなすには沢山のアカウントを使いこなして、山羊の頭のユーザーを羊の様に使うことができて初めて許される暗黒魔術である。但し使い方をまちがうと、鉄砲を持った公務員にナワで縛られる場合がある。
- IPアドレスとISPを調べる。
- ブラウザソフトを調べる。
- ログイン・パスワードを調べる。
- 投稿記録の利用時間帯と投稿項目の一致を見る。
コンボによる闇魔法
通常魔法を巧みに組み合わせることにより、闇魔法化する高等魔法である。ここでは一例を紹介する。
ある程度しっかりした記事を削除する闇魔法 - 削除依頼+分割
削除依頼は闇魔法であるが、ある程度まとまった記事に対しては成功率が低い。しかし、通常魔法の分割を組み合わせることにより、成功率が格段に上昇する。
- まず、適当に記事を節ごとぐらいで、可読性とか、一貫が無いとかもっともらしい理由で、分割し()細化する。
- その後、量も質も低い段階で「百科事典のレベル」に達していない記事だぁと言って、削除依頼に出す。
- 削除好きな方々や自分と同じ思想傾向を持つ10人ぐらいに投票をお願いして一週間後……(カンバスとかミートパペットとか称し、最も忌むべき行為なのに)
- バンザーイ、削除♪
- これを繰り返す。
気に食わない相手を追放する闇魔法 - コメント依頼
気に食わない相手で、かつそれなりの者を50%ぐらいの確率で落とす呪文。コメント依頼。一見大したことなさそうな呪文だが、相手が活動暦の長いベテランユーザー、議論に積極的に参加するパワーユーザーであればあるほど、効果的である。何故なら、相手の力を利用した呪文であるからである。
- まず、気に食わない相手の代表的な失点を10個ほど探す。
- コメント依頼で、どう思う?と皆に聞く。
- 皆が勝手に、それはあかんなぁと注意を与えてくれる。
- 対立しているユーザーが便乗して「ブロックも検討した方が良いのでは」と言ってくれる。
- その注意を成果としてまとめる。
- 再び同じ行為を相手が行えば、投稿ブロック依頼へとコンボ。
また、途中で暴言を吐き自滅する相手も多く、ブロックまで追い込めずとも萎縮してウィキペディアから撤退するケースもあり、示威行動としてもかなり効果的な闇魔法である。
最終闇魔法 - 寄付要求
このままでは運営が続けられないなどともっともらしい理由をつけてウィキペディアにどっぷりと浸かっている迷える子羊どもから金を根こそぎ吸い上げる。 その傾向は年を重ねるにつれ徐々に顕著になっている。
ウィキペディア (ソフトウェア開発会社)との対立
神奈川県厚木市に有限会社ウィキペディアという名称のソフトウェア開発会社が存在するが、この会社と自称オンライン百科事典のウィキペディアは名称が同じなだけであり繋がりは一切無い。
ところで、これはウィキペディア日本語版におけるウィキペディア (企業)の削除記録である。自称事典においてウィキペディア (企業)は過去に3回(2008年5月時点)も削除されており、そのうち2回はウィキペディア (企業)の概要と業務内容を書いた至ってマトモな記事であり(分量・内容的に言えばインターネット (企業)とほぼ近い。しかも「インターネット」はオタクの大好きなボーカロイドソフトウェアの開発に関わっているのだ)、事典の削除基準から考えても決して「宣伝目的」(WP:CSD)と見なされ削除されるものではなかった(こじつけであった)。
では、なぜウィキペディア (企業)の記事はマトモであっても「宣伝目的」(または「百科事典の項目になる実績のない企業であり、載せる意味が無い)と見なされ削除されてしまうのか。
それは自称百科事典のウィキペディアがこの会社を(一方的に)敵視、また、その存在を世に知らしめたくないと思っているから。仮に自称百科事典内でウィキペディア (企業)の記事の存続を許せば、ウィキペディア日本語版の「ウィキペディア」の記事に「ここではインターネット上のフリー百科事典について記述しています。日本のソフトウェア会社についてはウィキペディア (企業)をご覧下さい」と誘導を貼らなくてはならない。これだけでもウィキペディアンが言うところの「宣伝」となってしまう。
もちろん、仮に「ウィキペディア (企業)」の記事が作成されることが"結果的に"この企業の「宣伝」になったとしても、一オンライン百科事典が一企業の記事の存続を阻止することは決して許されることではない(一方で、どう見ても特筆性皆無な中小企業の記事は次々に新規作成され「書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています」のスタブ札が貼られて放置される)。
ウィキペディアンは閉鎖性と意地の悪さで満ち溢れているのである。これがウィキペディアの真の姿なのだ…。 UnNews:管理者の陰謀か?ウィキペディアでウィキペディア (企業)の記事が削除される を参照
日本語版ウィキペディアの特徴
2007年9月3日の調査では、日本のウィキペディア編集回数ランキングでアニメ・漫画が上位を独占していることが明らかになった。
英語版では海外や歴史上の人物の編集が目立ち、フランス版では自国に関することが目立つのに対して、日本語版では20位の内約11個のページがアニメ関連の記事(声優、作品内容、登場キャラクターの人物像)。さらにはAV女優一覧が8位であり、これはウィキペディアンの頭がどれほど性欲に満ちているかを証明している。
加えて最近のできごと/削除が10位で、もはや“ウィキペディアン・ウィキホリックの気に入らない物は削除”の方針がこのような結果を残したと言える。
そして時は流れ2012年。この年にウィキペディアの閲覧数をスウェーデン人の学生、ヨハン・ガナーソン君が調査したところ驚くべきことが判明した。それは日本語版の1位がAV女優一覧であるという事実。2位のAKB48の閲覧数、713万3542に対して1856万9543、3倍近くという驚くべき数値を叩きだしている。たったの一年でこれだけ閲覧されているとなると、ギネス記録に登録されてもおかしくないレベルである。ちなみに他国の閲覧数はどうなっているのか気になる方はあまり見ないほうがいい。他国は真面目な記事ばかり上位に入ってて、見てると恥ずかしくて涙が出てくるから(性関連が上位に入ってる国もあるが、日本程ではない)[8]。
あまり話題にならないが、このことは海外で問題化しており、「wikiは遊びじゃない」と言う意見が多い。そのため、研究機関などがwikiの専門学のページを編集するチームを作ることも。
日本語版ウィキペディアの記事は90%がアニオタ、声豚、萌えフォビア、性に飢えた野獣共のウィキペディアンによって編集・閲覧されているという異常性。もはや記事の信憑性など皆無に等しいだろう。
また、日本語版独自の特徴として、特定のユーザに対するコメント依頼を提出したユーザが、その議論の途中で過去にブロックされたユーザのソックパペットとしてブロックされ(もちろん証拠などない)、依頼が宙に浮いてしまう現象が多々見られる。一部ではこれをチェックユーザ機雷と呼ぶ。
ウィキペディアン達の終わらぬ戦争
ウィキペディアでは日夜激しい論争が巻き起こり、それは「闘い」と形容して何ら差し支えないものとなっている。意見の食い違う利用者が現れた際、彼らウィキペディアンの脳内に「理解」「協調」「融和」「妥協」という選択肢は存在しない。その根拠は自分で見聞きしたものではなく、出典があること、つまりそれがどこかのウェブページに記述されているか否かである(腰パンのノート・編集履歴やオタ芸を参照)。記述があるウェブページが存在しない場合は容赦なく消される(出入り禁止や飛び乗り (放送) ・ 飛び降り (放送)を参照)か、(以後は#ウィキペディアと病参照)。甚だしい場合は、当人の気に入らない記述であれば、出典があるにも拘らず消される(「渡り廊下走り隊」の編集差分、「日本会議」の編集差分)。逆に、気に入った記述は何度消されようがリバートして残す。その瞬間、自身に異論を唱える者全てが「敵候補」となり、ウィキペディアン達は臨戦態勢に入るのである。
しかも彼らの闘いは罵詈雑言が飛び交う高レベルのものが多い。 この事は“「馬鹿」と書かれたノートが1000件もある”事からもわかるだろう。検索機能を使えば、「頭が悪いならわざわざwikipediaで活動しようとか思わないで下さい」とか「本当にIPユーザーは馬鹿が多いですね」とか「私たちの慶應義塾大学 偉大な先輩に対して、小馬鹿にされた表現として それを受け止めます」といった知的なやりとりをいくらでも発見できる。
意見の食い違う編集者とエンカウントしてしまったものは、まず相手を刺激しないように「(挑発を交えた)対話」、もしくは「威嚇」「威力偵察」を行う。戦わずに自分の意見を通せるならそれでよし。しかし相手が引き下がらなかった場合に備えて、相手がどの程度の知能・話術・経験のある編集者なのかを見極める。そしてこの状況で「論争がおきずに事態が終結する」というケースはほぼ皆無であるといっていい。そのような場合は、はじめからどちらかの意見がよほど無理のあるものであった場合だけだ。
そして言わずもがなであるが、自身の意見や編集を否定されるという行為は、編集者にとってかなり腹立たしいものだ。なかには自身の存在を丸ごと否定されたような気持ちになるものもいるであろう。そもそも少なからぬウィキペディアンはウィキペディアの編集を余暇としてではなく、私生活を犠牲にした無償の長時間奉仕として行っている。彼らにとって、ウィキペディアこそが生活の本拠なのである。自身の編集は「ウィキペディアンたる自分の存在の証」。それを消される・否定されるということは、彼らにとって人格が否定され自分の命を脅かされることと同義である。つまりウィキペディアン達にとってウィキペディアとは息抜きの公共サイトではない。まごうことなき戦場なのだ。
アンサイクロペディアの平和な世界
しかし本サイト、アンサイクロペディアに置いてこのような傾向はまったく見られない。ノートでの話しあいはめったに見られず、利用者達の間に流れる空気はとても穏やかで弛緩したものだ。たまに文句を飛ばしてくる少数派がいるが、そんな少数派を力で強引に捻じ伏せたところで、ウィキペディアのように野党気取りのユーザーが「越権行為」と騒ぎ立てる事も無く、誰も気にしない。ウィキペディアが常時、内戦状態であるのに対し、ここアンサイクロペディアは隣国の戦乱などまるでどこ吹く風。凪の風情である。異なる見解の存在を認め合う、自由主義の気風が健在。
ウィキペディアとアンサイクロペディア。共に辞書サイトであり、いわば異母兄弟の関係に当たるこの2つのサイトは、その趣をまったく異にしている。なぜか。
……理由をウィキペディアンはこう答えるだろう、「アンサイクロペディアは不真面目なサイトだから」。たしかに一蹴できない意見だ。ウィキペディアがルールと規則でガチガチなのに対し、アンサイクロペディアの不文律はただ一つ、「面白けりゃ、何だっていい」。
より本当らしく見える「ウソ」を、綺麗に丁寧に作り上げる。本人は非常に満足しているところに、「それはなんかダメだ、こっちにしよう」ともとあった自分の作り上げたものを叩き壊して作り直す、他人。いうなれば、ウィキペディアとは大きさが限られた公園の砂場なのだ。自分が作り上げた砂の城だからといって、その城をそのまま保存しておく権利は自分にはない。なぜならそこはみんなの砂場だからだ。言ってしまえば、彼らは独りよがりなのだ。編集者達の頭の中に、自分の編集を見る人間の存在はない。綺麗な城を作り上げて、自分が満足できればそれでいい。他人なんか関係ない。
……おとなしく観賞できないなら、それどころか自分の城を壊そうとするならば・・・ 「己を脅かす敵の完全抹殺」 これこそがすべてのウィキペディアンたちの意思の最終到達点であり、存在理由なのである
偉大なる管理者様
しかし考えてみれば、確かにウィキペディアの姿勢はアンサイクロペディアと比べて惨憺(さんたん)たるものであるが、彼らの理念である「世界を堅苦しい表現にあふれさせること」から鑑みると、その行為は全くおかしいものではなく、むしろ目的達成のための当然の行為であるとも言える。
さらに、ウィキペディアの管理者はウィキのいろいろな場所で相手の悪口を発言することが多い。ウィキペディアには他人に対する中傷を禁止するガイドラインが存在するが、完全に死文化しており、この禁則事項が適用される例と言えば、管理者に対する批判を書いた者を「悪質な荒らし」として処分する場合だけである。また敬語で丁寧な言い方であれば侮辱中傷には当たらないと思っている人間が多く、慇懃無礼な振る舞いが横行しているのもウィキペディアの特徴の一つである。
「利用者を相次いで強制ボイコットさせるウィキペディアの管理者たちは非常識な人間としか言い様がない。鑑みると昆虫や哺乳類など、人間ですらない、話の通じない野蛮な畜生共が管理していることが伺える(原文ママ)。そんな連中が管理をしていては、蛮族が跳梁する無法地帯になるのも仕方が無いといえよう。」・・・ウィキペディアに対するこのような賞賛が、その昔、ある歴史家によって編まれている(しかし別の歴史家の言によればこの著者は「蛮族」であるという)。
管理業務いろいろ
50人近くいるウィキペディアの管理者だが、連帯感は皆無に等しい(全員が個別に独立していて、処置は独断で為される。合議もなく、ある管理者の処置に対して別の管理者が異を唱え取り消し、それに対して再反論がされ論争に発展するといったことも、一切見られない)。
“迷惑行為(=荒らし。但し何が荒らしかは個々の胸先三寸)をしている”と目した特定の加筆者をストーキングしてプロバイダをブロック対象にし、一方で本当にブロックされるべき宣伝行為の繰り返しや悪質な荒らし、どうでもよさそうな事や人物(漫画、地方の無名の会社、インディーズのバンドやそのメンバー、合併で消滅した村、古墳群、交差点やインターチェンジ、在日コリアン・在日中国人が関与した犯罪の一覧、声優・俳優・ファッションモデル・学者・起業家の名鑑)の新規項目作成行為にいつまでも跳梁を許したり、削除依頼を長期にわたって何十件も積み残しさせたりしている。一番古いものでは、削除議論開始が2008年5月29日などというネット界においては最早重要文化財級のものも存在する。ちなみに2010年3月現在、ウィキペディアで2番目に古い未終結の削除議論はなんと緊急削除依頼である。子供の「ちょっと」はときに3時間にもなり得るが、ウィキペディアの「緊急」は軽く1年半を越すのである。またほとんどの管理者は古参ウィキペディア中毒者共の手先と化しており、古参の要求は簡単に容れる一方で、ウィキペディアン達の申し立ては何だ、かだと。理由を付けて却下している。
そもそも常識的に考えてテンプレート:NUMBEROFADMINS/WP:R人で足りるわけがない(項目は100万。つまり一人当たり20万項目、その内容の適否をチェックしなければならないのだ。出来るわけがない)。加えて、全く権限を行使しない並び大名がいたり、行方不明になったまま帰ってこなくなる管理者が居たりして、管理の基盤は瓦解しかかっている(しかも自動退任審査に掛けられたとたんに擁護する管理者まで現れた。こいつらによれば、本人所有のボットが動いているから管理者でい続ける資格があるという)。たまに管理者に立候補する殊勝なウィキペディアンもいるが、選挙となると自称ベテランユーザーが登場、難癖を付けて反対票を投じ、さらに付和雷同的に反対票を投じる削除依頼や投稿ブロック依頼に常駐するタイプの自治厨も多数いるため、管理者はなかなか増えない。
あわせて、ウィキペディア自体、ウィキメディアと呼ばれるプロジェクトの一環であり、ウィキペディア以外の様々なプロジェクトが世界で同時進行されているにも関わらず、ウィキペディアの管理者はそのことに気づいていない。そのため、ウィキメディアのプロジェクトの一つ、日本語版ウィキバーシティの美しき赤リンク群は、世界に誇る日本の知の裏側に存在する世界から隠された日本の恥部として、いつまでもその姿をさらしている(ついに2013年10月、閉鎖が検討されている事が判明したが2017年にあろうことか閉鎖の提案が否決されてしまった)。このことは、本来であるならば最も権限を持つ管理者が率先してなんとかせねばならない課題であるにも関わらず、ウィキペディアは己の小宇宙に閉じこもったまま、ひたすらに肥大と増殖を続けている。
ただし、管理者は意見が合わない・若しくは自分の一存で、特定のウィキペディアンを追放する(検察官にして一審制裁判の裁判官である。しかも任期は無期限で一旦就いたら行方不明にならない限りクビにはされない。どう見ても本人の主観・偏見によるとしか思えない追放を弾劾・監査する制度もない)が、追放後も逃れる方法はひとつある。それは自作自演をし、直後に別人を装うこと、簡単に言うと自作自演後に「これを書いたのは同じネットワーク回線を使う同僚だ」と主張することである。実際、それで追放されたウィキペディアンが一度は復帰した例がある。
このように、ある場所を管理し続けていく人間にとって大事なことは、目の前の課題を片付けること以外に、足元のお留守をナントカしなければならないということである。海外との交流などはウィキペディアにとって些細なことであると管理者が考えているようだと、ふとしたきっかけで世界中に恥が拡散することにつながり、その結果、日本人はアニメやマンガ、エロゲの項目ばかり編集するオタク民族という事実が世界にばら撒かれている(日本語版にも存在すべき記事―例として米国愛国者法の、正確な日本語訳―はいつまで経っても作られず、逆に日本語版にしかない、つまり他言語版にリンクできない記事ばかり量産されている)。
このような大局的な視点を持たないかぎり、「ウィキペディアの管理人」は、その歪んだ王国の「偉大なる管理者様」としてネット界から上記のように常なる賞賛の中に埋もれていくのだろう、世界から取り残されて。
ウィキペディアの中立性
ウィキペディアでは、その編集内容に応じて利用者同士が話し合う場面がよく見られる。話し合いで済むならばいいのだが、往々にして、その信仰についてを延々と論ずることになりがちなのもウィキペディアである。
そして、立場の違うものが衝突した場合にその結果を左右するのが、工作員の数×ユーザーアカウント数の合計となる仮想員数、そして自らの信ずる理念に従う仲間との結束、最終的には根気と編集に割ける時間数が勝負となる。あわせて、管理者はネオコンにしてネットウヨの2ちゃんねらー、排外主義者であり、なおかつ管理者本人の信仰に沿って行動することが義務付けられているため(逆らえばプロバイダレベルでストーキングされ出入り禁止となる)、もし記事の中立性を保ちたいならば、リベラルなボランティアの数を、管理者一人当たり最低99人集めること必須とされている。そして、それを無視することも管理者のノルマとされている。
なお、それらの記事の作成過程は、まず始めに、管理者が通りすがりのネットサーファーをも挑発するタネ記事を作成し、たまたま記事を見てしまったがために狼狽したリベラルなネットサーファーが管理者に立ち向かい戦いを挑んだ結果、記事のノートで弄ばれ、時間と労力をかけ衰弱し、多くのボランティアとなって記事の修正・肉付けするすることでようやく記事ができあがったとしても、通りすがりの意見はまるで無視されることになる場合が多い。
このように、リベラル派を釣ることを管理者の間の俗語で"ネズミ捕り"と呼ぶ。
一方で同じネオコンに属する通りすがりのネットサーファーが記事の編集に参加する事態が発生した場合には、管理者の人集めのノルマはさらに増大し管理者にとっては嬉しいやら悲しいやらの状態となるという。ウイキペディアの目的は「参加することに意義」があると言われているように、中立な記事を作成するための過程が大切とされ、立場の違うものがお互い全力を出し切って戦い、「お前もなかなかやるじゃないか」「オマエモナー」、と最後は川沿いの土手の上の草むらに倒れて笑顔でお互いの健闘を褒め称えあうのが理想とされており、最終的には記事の中立性よりも大切な美徳とされている。そのため、同じネオコンに属する人間同士の編集は、自分は独りではなかった、自分はこの世にいていい存在なのだと、再確認する機会になり、管理業務に邁進するためのエネルギー補給になるのである。
中立性が揺らぐと書き込む人間が増える
このように、日々増殖するウィキペディアの内実は、リベラルな通りすがりのネットサーファーのハートを飛び出させるようなインパクトのあるタネ記事をいかに作れるかという管理者の力量がまず問われる。そして、次に問われるのはアメとムチをうまく使い分けて、通りすがりのサーファーの心を折らないよう、彼に味方するボランティアのやる気を出させる技術。最後に、ウィキペディアの真髄であり、建前でもある{{中立性}}という免罪符をペタリと貼る、正確に言うならば、「この記事は偏っている」系のテンプレートを引っぺがすことで、記事は完成する。
これらの「偏ってる」系テンプレートは、ウィキペディアにおいて、通りすがりのネットサーファーたちが実情が違っていること読者に示せる最終手段であることが多い。実際、中立性はあくまでもウィキペディアの最終目標であるため、目標に向かう過程においてボランティアを参加させ続けるためには、どうしてもボランティアを挑発し続けざるを得なくなる状況も散見される。そのため、ボランティア同士の交流では、双方の立場の違う者同士が切磋琢磨して記事を仕上げていく建前を忘れた宗教論争の場と化すことも多く、その際、ネオコンの管理者は敢えて中立とならずに人知れずヒール(嫌われ役、悪役)を買って、一方的に弱者をいたぶる=論争をあっという間に帰結させることで、多くのボランティアから賞賛を得ている。もちろん、怒りと不満とやるせなさも残る。しかし、結局のところ、管理者と一方の勝者たちが一段落という結末に酔いしれることに変わりなく、勝った側は誇りとやりがい持ってウイキペディアの編集に当たり、管理者はそ知らぬ顔で次の論戦へと向かう。この一方的な流れこそ、ウィキペディアの駆動力といえる。
戦いすんで日が暮れて
なお、ネオコンの管理者との戦いに根負けして神経衰弱になったり廃人と化すリベラル派も後を絶たない。もっとも、常時書き込み続ける人間も神経衰弱を患っており廃人である。同じ穴のウィキペディア中毒。そのため、ウィキペディア被害者の会が新たな被害者を救うための更生プログラムが各地で始まっている。このプログラムは「リセット」と呼ばれ、ウィキペディアにはアクセスできないPC環境を用意して健康的なネットサーフィンを学び、社会復帰を目指すとしている。動物とのふれあいやカウンセリング、正しい生き方を学ぶための道徳教育も用意されている。なお、これらのプログラムを修了しないまま、ウィキペディアに似たサイトをめぐる被害者も多く、中にはアンサイクロペディアにやってくる人間もいる。ウィキペディア被害者の会によると、ウィキペディア利用者の15%~25%が廃人と化し、それらの多くの人間がアンサイクロペディアにも来訪していることが分かってきており、特に、ウィキペディアにおいて真面目に記事を修正しようとする人ほど他のサイトへ与えるダメージも深刻だという。このことは、いかにウィキペディアが人の心を傷つけるかを意味すると同時に、サイト内に存在するコミュニケーション能力育成施設が、利用者同士の親睦、およびコミュニケーションの場としてあまり役立たないことを意味している。
ウィキペディアの存在不必要性
「根本的な方針」の一つとして、「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」という方針を掲げているが、これは甚だ不可思議なことである。
例えば、ある特定の人物が「A」という主題を扱った記事(以降Aと表記)を投稿したとする。このAが改変を受けた回数は、現段階において1回ぽっきりであり、よってこの記事は中立的観点を持っているとは言えないことになる。また、ある特定の人物とはまた別個の人物により、テーゼに対するアンチテーゼの提示をもって記事が改変されたとすると、その記事はジンテーゼを生み出すことになり、ここでも中立的な観点を持った記事は生成されない。
1回の改変でも2回の改変でも中立的な観点を持ったAを生み出せないとするならば、任意の数k回及びk+1回の改変を受けてもAは中立的な観点を持ち得ないことになる(そもそも日本人が、日本語によって表現すること自体が中立的ではない。この場合は他国人により表現される必要がある)。つまり、塵は積もっても塵であり、うだつの上がらない烏合の衆はうだつの上がらない烏合の衆であり、運命の奴隷は運命の奴隷でしかない。
では、ウィキペディアが中立的な観点を持ったAを生み出すにはどうすればよいのだろうか。それには、Aが「0回」改変されればよいのである。即ち「無」こそが完全な中立であり、ウィキペディアはその存在自体が禁則事項でありかつ、ウィキペディアおれは存在をやめるぞ、ジョジョーっ!!しなければならない。つまり、ウィキペディアはその存在と根本的な方針によって自己崩壊を起こしていると言え、同時に、存在不必要性の証明が為されることになる。
帝国の再建
以上のように反ウィキペディアンらによる執筆活動ボイコットにとどまらず、意図的な記事削除の誘導、著作権逸脱記事の投稿、ガイドラインの無視、虚偽記載、要出典テンプレートの乱発などの反乱・破壊・諜報活動[9]が日々絶え間なく行われており、反乱・破壊・諜報系のプロ・ウィキペディアンらの増加も著しい。
このようにウィキペディアを取り巻く環境は楽観できるものではない。
ウィキペディアの現実(ja)をみれば一目瞭然なのである[10][11]。
現状打破のひとつとして、無知で何も知らない新規ウィキペディアン・ビギナーを多く集め洗脳して信者とし奴隷化することが重要課題となってきている。[12]これに対する打開策のひとつがビジュアルエディターと言われている。これは、WYSIWYGを標榜するツールであり、利用者らに未来を期待させ、マークアップも知らないビギナーでも容易に記事を書くことができるよう、既に英語版やドイツ語版など一部の海外の一部の記事にて導入されている。現在日本語版でも導入活動が行われており、今年中にも本サービスの本格的な運用が期待されている。
もう一つの打開策は、こうして集めたウィキペディアン・ビギナーたちを洗脳する宣教師たちである。宣教師らは非常に方針やガイドラインに詳しい。いちいち重箱の隅をつついては、とても丁寧で礼儀正しくこれらを解説している。その知識には感服するが、よくよく調べると彼ら自身が宗主国さまからの指示にもとづいて日本語に翻訳、ローカライズ(改悪)しているのであるから当然でもある。方針やガイドラインはどうにでも解釈できるように曖昧でわかりにくい表現が多く用いられ、その説明にはwp:ja:循環定義も多数ちりばめられている。もちろん英語からの翻訳がうまくできていないだけに見えるのも見せかけに過ぎない。宗主国さまの言語版においてもこれらの教義は非常にカルトじみており、また日本語版同様カルト宣教師や異教徒を迫害する部隊らが存在している。一部の反ウィキペディアを装った人々の中には、いかにも英語版ではそのようなことはないなどと日本独自の問題として矮小化しようとする工作部隊を見かけることがあるが、諜報活動の一部であることが本アンサイクロペディアにて報告されている。
ウィキペディアの文化
ウィキペディアとは、基本的にインターネット上の百科事典の体裁を取ったナレッジコミュニティである。
そこには、稀にしかいないが、単に情報を求めて検索をかけていただけなのに偶然に引っ掛かってしまった善意の普通人の他、編集側には「IPユーザー」と呼ばれる匿名の者や、荒らし・人格障害者・ヒマ人(職の有無は省く)・狂信者・マニア・オタク・自称知識人(自称インテリ)と、また「自分の論文に丸写しする文章を求めて閲覧していたが、その記事内容に不満があった」ため論文そっちのけで記事の増強に勤しんでしまう学生や、出来の悪い学生の成績を少しでも底上げしたいと考えている教授・助教授といった教育関係者(らしき人々)などが関与していると見られる。彼らは、その執筆行為が一文にもならないことを承知の上で、多くの時間を費やしている。
またあるいは、自社の不名誉な噂(ないし真実)が記載されていたため、上司の命令で記事の書き換えを行っている悪徳商法の企業に勤務しているサラリーマン、自社を宣伝したい経営者も関与している様子である(この人達はウィキペディアに記事が存在することがステータスだと思っている節がある)。加えてコンピューターIT関連という今ではお荷物に過ぎない時代の虚栄に勤務する者が、斜陽を片頬に日長浴びながら、実質社内ニート(昔の名称で言う所の窓際族、社内失業者)の実態を隠蔽するために、毎日書き込みにいそしんでいる。
ウィキペディアと露出狂
ウィキペディアは露出狂の宝庫でもある。アクセスが多いことに目をつけてウィキペディアで露出を行う露出狂が後を絶たない。精液の写真や性器の写真が好例だ(それらの写真はCategory:Sexのカテゴリ内に分類される)。ウィキペディアでは記事に関係のある写真であればいかなるものでも掲載は合法だ。そこに目をつけてウィキペディアで露出を行うことを考えた彼らは天才である。もちろん彼らに記事を充実させようと言う秀逸な思考があったわけではない。ただ見せたかっただけである。中には自身の利用者ページに大量の個人情報を掲載しつつこの種の行為を行う猛者もいる。
ウィキペディアと盗撮
ウィキペディアには大量の画像も掲載されているが、その中にはウィキペディアンが無断撮影した物、即ち盗撮写真が数多く含まれている。既に盗撮魔の間では、「ウィキペディアは世界最高品質の合法的な盗撮サイトだ」と大評判になっており、業界の神様である田代まさしも「もっと早くウィキペディアに出会えたなら、違法行為に手を出すことは無かったのに」と語ってウィキペディアを絶賛している。
駅周辺や駅構内、イベント会場等において遠くから一人で黙々と無断撮影に没頭している人間を見かけたら、ウィキペディアに盗撮写真を掲載しようとしているウィキペディアンだと思って警戒したほうがいい。
ウィキペディアと病
これらの人々は、雑多かつ求心力を持たないうえ、大多数が理性と知性に欠けていることから、まるで纏まりに欠けた集団であるため、時に一つの記事を珠玉の名文に仕上げたかと思うと、同時進行で他の記事で、良心的な執筆者が時間をかけて作成した文章に集団で乱入して、台無しにしたりして過ごしている。
酷い場合には、アンサイクロペディアに掲載されているような、極めてヒューモアに富んだ記事を「悪ふざけとナンセンス」であると決め付け、削除(→[1])してしまう。
時折、同コミュニティに属する頭の固い(場合によっては脳味噌の領域まで骨化している)人物の性格を、少しでも社会性を兼ね備えた柔軟なものにしようと、(ややお節介かも知れないが)様々な人間が記事の体裁や内容を変更すると言う形などで焚き付けたりけしかけているが、聞く耳を持たない衆愚により、ブロック(→アクセス禁止)を受けて駆逐されている。また無粋にもブロック依頼や記事の編集禁止を持ち出し、他の関係者を落胆させるプロ市民的な編集者も少なくない。
これと同時に、アンサイクロペディアでもしばしば問題となることだが、ウソを書く人(なおアンサイクロペディアに記載されている内容は、全て真実である)のために、記事の妥当性が損なわれる事である。このため、多くの執筆者が(給料も出ないのに、ご苦労な事だが)それらの訂正に忙殺されており、問題視されている。精神に異常を来す者多数。病気なのに、自分は健全と呼び、健全なものを病人と叫ぶ。ウィキペディアは実質、百科事典を詐称するサイバー精神病院である。
記事についての罵り合いが始まると、すぐに{{要出典}}、{{出典の明記}}(この2つは一見同じだが用法において異なる。「出典の明記」は項目若しくは節単位でしか使用出来ない。「要出典」は文章単位で使用する)、{{未検証}}と判で押した様に脊髄反射で貼り付ける者が現れる。特に気に喰わない修正に対しては、{{観点}}、ソース、{{独自の研究}}と叫ぶ気違いが一斉に出現し、不毛な編集合戦が始まる。こいつらは誰にも頼まれていないのに雑草のように生えてくる(一方で人物や企業、団体の記事に{{特筆性}}、{{宣伝}}や{{大言壮語}}が貼られることはまずない。こっちの方が重要だろ)。
自分の趣味をひけらかすために介入したら最後、ウィキホリック共になじられ、差し戻され、ノートで叩かれ、白紙化される可能性が少なくない。たいていの者はの告知と共に、嫌味に満ちた「ようこそ」メッセージや{{ISP}}(プロバイダー晒し)などを「利用者のノート」に自警団によっていきなり書き込まれ、驚き退散するか、無言のリバートなど熱烈な歓迎に嫌気が差し、早々とウィキブレイクするのが定石である。しかしながら、その時点で脱出したものは幸いである。徹底的に抵抗した場合は、ウィキペディアンを通り越してウィキホリックとなるか、もしくは精神に異常を来たす。この文を読んでいる良い子のみんなは崖っぷちを覗くような真似をしないように!
他の側面
インターネットでは、関与する機材が、常に最新のハードウェアに置き換わる事で、その利便性が全体的に向上すると考えられている。このため、インターネット上のボトルネックをより高速なものに替えさせる社会的圧力を発生させる、単に大きいデータ(一つの巨大な容量サイズを持つファイルといったものの他に、参照量の多いコンテンツを含む)は歓迎されている。これはその内容が、例え冗長であっても、参照量さえ大きければ問題にされない。
このため「便所の落書き」と筑紫哲也や西和彦などの著名人に揶揄されながらも、依然存続している2ちゃんねると並んで、ウィキペディアはアニメ・エロゲ・鉄道・バス・歴史・軍事・兵器など数々のオタクの、無駄できんもーっ☆な戦いの為に間違った情報量の多さや、社会に憎悪と混沌をもたらした事をもって危険視されている。ただ近年では、ウィキペディア自体のサーバー処理能力がしばしばボトルネックとなっており(日本時間23時を過ぎるとアクセス数が増加するのか、エラーが頻発する。また2011年3月から暫く、編集が即時反映されずに平然と直前の旧版を表示するトラブルが起きた)、これの置き換えが望まれている。しかしほとんどのものが寄付に応じないため、(応じられない:勤務実体がなく、失業者か無職者、忌業者がほとんどで、時間的余裕はあるが金銭的余裕がないものがほぼ全員)資金的にハードへの投資は絶望的。執筆者が増えるに反比例して、俺たちが情報量を多くしてやってるんだからサーバー代くらいはそちらで何とかしろと開き直ったウィキペディアンばかりなので、寄付は皆無に等しい。時代遅れになることが目に見えている。まるで新潟県に嘗て生息していた、食べるとうまい鳥のようである。
宣伝サイトとしてのウィキペディア
公にはされていないが、実際にはウィキペディアは宣伝サイトである。企業、商品名、タレントその他の著名人(実社会かインターネット上かを問わず)、学校、宗教団体など、固有名詞に関する記事には、その対象に都合のいい事以外、絶対に書いてはならないという暗黙の了解が存在する。
もしこの暗黙の了解を破ってその企業や学校等の問題点を―たとえ事実であっても―書き込めば、それはたちまち消去され、都合のいい記述に書き替えられてしまい、対象が生きた人間の場合には記事ページに、「嘘を書いてはならない」「個人の宣伝や大言壮語をしてはならない」という本義から完全に乖離した
そしてノートページに
……以上のようなテンプレートが貼られる(この人物の記事が好例。報道で既に明らかになっているのに、“本人が公表していない”というワケワカメな理由で本名が隠蔽された。たとえ報道記事のソースを添えても認められない。この人物についても、出来ない。果ては、この人物やこの人物については可能な記述が、この人物やこの人物については絶対に許されないというトンデモな状況になっている)。あなたはそれをおかしいとノートページで反論したところで、結局は「民主主義」という名の、数の暴力・圧力に屈することになるだろう。多数必ずしも正義ならぬ事はイラク戦争で実証済みである。
回避方法としては、関連項目にさり気なく書き込む、という技がある。Wikiホリック共がいくら消して回っても、“なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない”(マルコによる福音書)、“おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない”(マタイによる福音書)。
2007年に献金を募る際に使用されたキャッチフレーズ「あなたのご協力のもと、Wikipediaが世界を変革します」とは、「ウィキペディアをロビー活動の場とし情報の流布による世界革命に利用してください。但しお金を払って」の意であり、思想の宣伝サイトである事をも明確としている。まっ、がんばってください。
新種の振り込めサイト
ウィキペディアとは、ページを表示する度に700円から10000円の送金を要求し、下部へスクロールしても執拗に要求する新種の振り込めサイトである。自らは寄付・募金と称しているが、それは災害支援、障害者支援、宗教寄進など社会福祉の目的で認められている行為であり、自らのサイト運営費用を執拗に要求する有様はネット乞食と紙一重である。サービスの対価としての硬貨投入、チップ付加、フリーウェア支援などは一般に正当な行為とみなされるが、ウィキペディアの執拗に要求する有様は振り込めサイト、ネット乞食と呼ばれてもおかしくないレベルであり、大多数が無料であるネット上の情報サイトとしては極めて異質である。
少年法に関する扱い
ウィキペディア内では国内で起きた少年犯罪について隠蔽を行う組織がある。そのため、ウィキペディア内で少年犯罪の記事を取り扱う場合には加害者の少年の氏名を編集し、公表した場合は即時削除され、一定期間編集権限を制限されることもある。ネット上では加害者少年及び法務省と連携して隠蔽しているようである。中国共産党も真っ青な日本国法務省である。
ウィキペディアに関するコメント
~ アニヲタWiki(仮) について、某ユーザー
~ アニヲタWiki(仮) について、某ユーザーその2
~ ウィキペディアにおける一般ユーザーと管理者の闘争 について、某スレの>>896さん
~ Wikipedia:井戸端 について、毎日新聞
~ アニヲタWiki(仮) について、ポスト・ヒューマンの魔術師:「無知社会」の象徴としてのウィキペディア
脚注
- ↑ ネタかと思った? 残念! マジでした!免責事項を確認すべし。
- ↑ これもネタかと思った?残念でした!これも違うんだ。児童・生徒の方々へを見るべし。
- ↑ 運営の母体となる組織はワレサイトである。ビルゲイツ四世のベーシック紙テープを勝手にコピーした奴らがその始祖であることはあらゆる事実から明白だが、誰も気にしない。
- ↑ www.bomis.com。現存しない
- ↑ もっとも、ウィキペディアは実体も“運営事務局”も持たない仮想の存在なので、原告はどこの誰を代表者とみなして管理責任を問えばいいかわからず、ウィキペディア日本語版にはサイト管理者名もその連絡先も表記されていない。全権代表はアメリカ・サンフランシスコの私書箱を連絡先とするウィキメディア財団という事になっている。“機関としての日本語版”が訴えられたら管狸者達の本名と住所が裁判所の掲示板を通じて白日の下に晒されるから日本協会を作らない。もっとも裁判の過程で管理者の住所氏名が原告側に知られるだろう。
- ↑ 管理者の下位に該当する役職であり、削除による隠蔽工作のみを専門に行うため、投稿ブロックやページロックなどによる編集弾圧は行うことができない。自警団員の間では、管理者への登竜門としても知られている役職である。
- ↑ Wikipedia‐ノート:即時削除の方針#Template:即時削除/全般4の再変更
- ↑ Most viewed articles on Wikipedia 2012を参照。日本ではGigazineが記事にしてくれた。Wikipedia日本語版で2012年に最も読まれた記事は「AV女優一覧」、英語版は「Facebook」、2012年12月28日
- ↑ 一部の記事破壊活動は英語でvandalismと呼ばれ、非常に警戒されている。
- ↑ いかなる統計も嘘をつくことがないことは誰でも知ってる。
- ↑ The decline of wikipedia, MIT technology review でも2013年に凋落が指摘されている。
- ↑ なおこれは日本企業の士卒採用でも同じであることに注意
関連項目
テンプレート:ウィクショナリー- 要出典
- 厨房の一覧
- 雛見沢症候群 - ウィキペディアを中心に蔓延している伝染病
- ウィキぺたん
- ウィキペディア (曖昧さ回避)
- ううううううううう!
- 管狸者
- ウィキペディア自警団
- ウィキメディア財団
- ウィキペディア本部
- ヘレロ語版ウィキペディア - 事実上、百科事典でも何でもない言語版
- メディアウィキ
- アンサイクロペディア
- ネット右翼・ネットウヨ - 日本語版衰退の主犯(多くの場合大韓民国関連の記事にて脳内ソースを元に執筆を行う)
- 無意味なたわごと
- ユーモアの決定的欠落
- ウィキペーション
- ウィキペディアン
- CRウィキペディア
- Wiki板
- IPユーザー差別
- ウィキペディアは完成している。
- ウィキペディア (企業)
- ウィキぺディア - 似て非なるもの
- 爆乳ウィキペディア
- ウィキペディアにおいて削除を免れた悪ふざけとナンセンス
- シチズンジアム - ウィキペディアとは違ってバカを許さないオンライン百科事典
- 楽しいウィキペディア - ウィキペディアに隠されたユーモア
- WP
- ウィキペディアのスパイ
- ウィキペディアで見た
- ウィキツリー問題
- そしてウィキペディア
外部リンク
- 秀逸な記事
- 壊れたファイルへのリンクがあるページ
- ウィキペディアに書くと削除される記事
- ウィキペディアに加筆できない記事
- ウィキペディアを出典とする記事
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- ピクシブ百科事典を出典とする記事
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- 愛されない馬鹿達
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- サイコパス