ジミー・ウェールズ
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ジミー・ドナル・ウェールズ(Jimmy Donal "Jimbo" Wales、男性、1966年8月8日-)は、ウィキメディア財団の名誉理事長で、同財団が運営する百科事典プロジェクト「ウィキペディア」の創始者、プロジェクトリーダーである。
そのほか、Bomis の筆頭株主、ウィキウィキサイトのホスティングサービス「Wikia」の CEO でもある。ジンボ・ウェールズの愛称で呼ばれることもある。
来歴
アメリカ合衆国のアラバマ州ハンツビルのウェールズ系移民の家系に生まれる。
大学卒業後、シカゴにある先物オプション企業にディーラーとして勤務。退社後、ティム・シェルとBomisを創業、筆頭株主 兼 CEO となる。Bomisは「男性向けサーチエンジン」であり、しばしばエロチックな商品を売り、時に裸同然の女性を売り物にした点で『マクシム』誌に似ていると言われた[1]。
その後、インターネットのウェブ上で展開する百科事典プロジェクト「ヌーペディア」を始める。
しかし、ヌーペディアが厳しい査読制度をとっていたため、発展速度が遅かったこともあり、ヌーペディアの査読者であったラリー・サンガーの勧めに従い、ウィキを使って自由な執筆を可能にした新たな百科事典プロジェクト「ウィキペディア」を創設する。
ウェールズがカリフォルニア州からフロリダ州に転居するとともに、ウィキペディアのサーバーもフロリダ州セントピーターズバーグに移転。ウィキペディアの発展に伴い、2003年に非営利法人「ウィキメディア財団」をフロリダ州タンパに設立。ウィキペディア創始者(Wikipedia Founder)・終身理事(当時)として財団に参加する。
2004年には、ウィキア社をアンジェラ・ビーズリーと設立、ウィキを使った商用コミュニティサイトの経営にも乗り出す。同年、ウィキメディア財団の運営により重心を置くことに決め、同年6月、Bomis CEO の座をティム・シェルに譲る。財団の理事が定足 5名に達すると、理事会議長を兼任。その後 2006年10月に退任し、名誉理事長となる。財団は同年12月に定款を改定し、会員制度の廃止とともに、終身会員や終身理事の規定を撤廃、ウェールズも他の理事と同様の任期付きの理事となった(ただし再選についての制限はない)。現在の任期は2008年12月まで。
現在は、アジアおよびアフリカを中心とする、第三世界の教育、福祉機関への安価で良質な情報提供をプロジェクトの将来的目標としつつ、ウィキペディアを始めとするウィキメディア財団のプロジェクトを理事会の一員として指揮するとともに、ウィキを使ったコミュニティ・ポータルサイト「Wikia」を運営している。またウィキを使った検索エンジンの構想にもたびたび言及している。
2004年夏に、講演などのため、初めてヨーロッパを訪問。以後、世界各地で講演活動や第三世界での教育に関わるシンポジウム出席などを行っている。また現在はハーヴァード大学バークマンセンター客員研究員、クリエイティヴ・コモンズ理事など、フリーカルチャーに関係する他の機関にも名を連ねている。
現在はフロリダ州に在住。アメリカ人と日本人のハーフの妻、そして娘がいる。
ウィキペディア日本語版が2001年に最初のプロジェクト分割時に開設されたのも、日本語のウィキペディアがあってほしいとするウェールズの意向によるものであった。2007年3月に来日し、公開インタビューや、Wikiaのプロモーションを行った。
ウィキペディアに対する最近の考え方
上記公開インタビューで、米国のミドルベリー大学の日本史の講義における定期試験に臨んだ多くの学生が、解答に英語版ウィキペディアの島原の乱の項目にあった誤記を引用したため誤答が多数出たことについては、学生はウィキペディアを原典として利用すべきでなく、あくまで出発点とすべきと述べている。ジャーナリズムは新たに情報を生み出す機能があるが、ウィキペディアにはない。ウィキペディアは、既に存在している情報をまとめて、分かりやすく提示することが目的と述べた。
ウィキペディアの参加者(ウィキペディアン)については、多くのミーティングに参加したので会った人も多いが、概ね世界中で共通した傾向があり、20代後半から30代で大卒、職業は専門的な職業(医師や弁護士や教員その他資格が必要な職業)で働く人という認識である。学生や教授、引退した人もいる。10代の人もいて優秀だが、典型的な人ではないとした。ウィキペディアのコミュニティはとてもフレンドリーであり、それに対して、ブログは強い主張、うまい文章が必要だが、協調は重視されないとしている。しかし実際のところ、記事を書いている人を把握できていないとも述べた。また、ウィキペディア内では、ビデオゲームのキャラクターに関する記述が、国家元首に関する記述より長いことについては、問題はないが奇妙に感じると述べ、記事を書いている人々が社会全体の典型的な人ではなく、何らかの偏りがあることも指摘した。日本のサブカルチャー、オタク(米国のギーク)についても言及した。
彼の編集内容について
表面上はまともに編集されてはいるが、およそ7割は正確性に疑問があるため、もっとまともに編集すべきといった提案がある。また、彼の編集自体に何らかの偏りがあるという批判もある。2005年末のジョン・シーゲンソーラー ウィキペディア経歴論争の時、特に指摘された。
出典
- ↑ Lamb, Brian (September 25, 2005) Lamb, Brian Q&A: Jimmy Wales, Wikipedia founder C-SPAN September 25, 2005 [ arch. ] 2006-07-11
外部リンク
- ホームページ
- 英語版ウィキペディアの利用者ページ
- 「小さい頃,百科事典を全部読んだ」 上記インタビューの記録
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・ジミー・ウェールズを利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |