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+ | [[小学校|小学]]4年生から5年生にかけての[[1964年]]から2年間[[平沢勝栄]](後の衆議院議員、[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]で助言したと言われる)が[[家庭教師]]についていた<ref>{{Cite web|url=http://www.janjan.jp/government/0609/0609070828/1.php|title=政治・安倍政権は国民の支持がカギ―平沢勝栄氏インタビュー|work=[[JANJAN]]|date=2006-09-08|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref><ref name="tkso2"/>。[[高等学校|高校]]で[[クラブ活動|クラブ]]は[[地理]]研究部に所属<ref name="naz1">{{cite web|url=http://news.livedoor.com/article/detail/2464699/|title= 「人間・安倍晋三の実像」(1)|work=ライブドア・ニュース|author=満富俊吉郎|coauthors=徳永裕介|date= 2006-09-19|accessdate=9月26日|accessyear=2007年}}</ref>。高校卒業後、成蹊大学に進み[[行政学]]を学ぶ。大学では[[アーチェリー]]部に所属し、準レギュラーだった<ref>『滋賀市民新聞』2007年2月12日 第4784号</ref>。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという<ref name="naz1"/>。[[1977年]]春に渡米し、[[カリフォルニア州]][[ヘイワード (カリフォルニア州)|ヘイワード]]の英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後[[イタリア系アメリカ人]]の家に下宿しながら[[ロングビーチ (カリフォルニア州)|ロングビーチ]]の語学学校に通った<ref>『[[月刊現代]]』 2003年12月号「安倍晋三 気骨と血脈」、野上忠興</ref>。秋に[[南カリフォルニア大学]]への入学許可が出され<ref>『[[報知新聞]]』2月16日</ref>[[1978年]]に入学。[[政治学]]を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、[[1979年]]に[[退学|中退]]した<ref>『[[日本経済新聞]]』2004年2月6日付、[[共同通信社]] 2004年2月5日付</ref>。 | ||
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+ | [[1993年]]に亡父の地盤を引き継ぎ、[[第40回衆議院議員総選挙]]に山口1区(当時)より出馬し、初当選。父が[[自民党の派閥|派閥]]会長を務めていた[[清和政策研究会|清和会]](当時[[三塚博|三塚]]派、後の森派→町村派)に属す。[[1997年]][[自民党青年局長]]就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の[[下村博文]]。 |
2009年12月12日 (土) 16:26時点における版
安倍 晋三 (あべ しんぞう)
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在任期間 | 2006年9月26日 - 2007年9月26日 |
生没年月日 | 1954年9月21日((2024-1954)+((11-9)*100+(23-21)>=0)-1歳)
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出生地 | 日本 東京都 |
出身校 | 成蹊大学法学部卒業 南カリフォルニア大学(中途退学) |
学位・資格 | 政治学士(成蹊大学) |
前職 | 神戸製鋼所従業員 衆議院議員秘書 |
世襲の有無 | 3世 安倍寛(祖父) 岸信介(祖父) 安倍晋太郎(父) |
選挙区 | (山口県第1区→) 山口県第4区 |
当選回数 | 衆5回 |
党派 | 自由民主党(町村派) |
花押 | |
安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。内閣総理大臣(第90代、2006年9月26日 – 2007年9月26日)、内閣官房長官(第72代)、自由民主党総裁(第21代)、自由民主党幹事長を歴任。
概要
親族に政治家が多く、父方の祖父の安倍寛(元衆議院議員)、母方の祖父の岸信介(第56・57代内閣総理大臣)、大叔父の佐藤栄作(第61 - 63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎(元外務大臣)、弟の岸信夫(参議院議員)などがいる。妻は森永製菓社長令嬢の安倍昭恵。
大学卒業後、神戸製鋼所社員、外務大臣秘書官を経て衆議院議員となる。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、同幹事長代理、内閣官房長官等を歴任。2006年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任。2007年9月26日に内閣総理大臣を退任。
来歴
出生
1954年9月21日、当時毎日新聞の記者だった安倍晋太郎とその妻、洋子の次男として東京で生まれる(本籍地は山口県大津郡油谷町(現・長門市)。 父方の祖父は衆議院議員の安倍寛(この時既に故人)、母方の祖父は後の首相・岸信介で、大叔父にはやはり後の首相・佐藤栄作がいる、政治家一族であった。安倍は「幼い頃から私には身近に政治がありました」と回想している[1]。幼い頃は、野球選手や刑事になることに憧れていた[2]。
学生時代
成蹊学園(小学校・中学校・高等学校・大学法学部政治学科)を卒業。 小学4年生から5年生にかけての1964年から2年間平沢勝栄(後の衆議院議員、日本人拉致問題で助言したと言われる)が家庭教師についていた[3][1]。高校でクラブは地理研究部に所属[4]。高校卒業後、成蹊大学に進み行政学を学ぶ。大学ではアーチェリー部に所属し、準レギュラーだった[5]。大学生の頃は人付き合いが良く、大人しく真面目だったという[4]。1977年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った[6]。秋に南カリフォルニア大学への入学許可が出され[7]1978年に入学。政治学を専攻し春・夏・秋学期を履修した後、1979年に中退した[8]。
サラリーマン時代
1979年4月に帰国し、神戸製鋼に入社した。ニューヨーク事務所、加古川製鉄所、東京本社で勤務した[1]。加古川製鉄所での経験は、「私の社会人としての原点[9]」、あるいは「私の原点[10]」だったと回顧している。
政界へ
神戸製鋼での3年間勤務の後、1982年から当時外務大臣に就任していた父・晋太郎の下で秘書官等を務め、数々の各国首脳との会談に同席するなど父の後継者としての政治家修行を行う。1987年に松崎昭雄・森永製菓社長の娘で電通社員の昭恵と結婚する。その際の媒酌人を務めたのが、福田赳夫元総理だった。1991年に総裁候補の最有力と目されていた父・晋太郎が急死。
衆議院議員
1993年に亡父の地盤を引き継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区(当時)より出馬し、初当選。父が派閥会長を務めていた清和会(当時三塚派、後の森派→町村派)に属す。1997年自民党青年局長就任し同次長には同い年で親友で同じ派閥の下村博文。- ↑ 1.0 1.1 1.2 梶川浩伸 () 梶川浩伸 夕刊フジ特捜班「追跡」-3回生の衝撃- ~「安倍晋三」大研究(2)~ 夕刊フジ [ arch. ] 9月26日
- ↑ (2006-12-14) 第10回「40年ぶりの給食」 政府インターネットテレビ:安倍総理のライブ・トーク官邸/政府広報オンライン 2006-12-14 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]
- ↑ (2006-09-08) 政治・安倍政権は国民の支持がカギ―平沢勝栄氏インタビュー JANJAN 2006-09-08 [ arch. ] 9月26日
- ↑ 4.0 4.1 満富俊吉郎 (2006-09-19) 満富俊吉郎 徳永裕介 「人間・安倍晋三の実像」(1) ライブドア・ニュース 2006-09-19 [ arch. ] 9月26日
- ↑ 『滋賀市民新聞』2007年2月12日 第4784号
- ↑ 『月刊現代』 2003年12月号「安倍晋三 気骨と血脈」、野上忠興
- ↑ 『報知新聞』2月16日
- ↑ 『日本経済新聞』2004年2月6日付、共同通信社 2004年2月5日付
- ↑ (2007-03-15) 安倍内閣メールマガジン 第21号 ~更生する少年たちの心 2007-03-15 [ arch. ] 9月26日
- ↑ (2007-03-15) 第20回「26年ぶりの職場/少年院」 政府インターネットテレビ:安倍総理のライブ・トーク官邸/政府広報オンライン 2007-03-15 [ arch. ] 9月26日 [リンク切れ]