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+ | 世界的に航空機等の客室乗務員には専用の[[制服]]を着用させている。日本でも客室乗務員を搭乗させている航空会社は、男女ともに全て制服を着用している。なお、客室乗務員の制服の種類は航空会社の数だけある。 | ||
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+ | ただし、男女ともに客船のように「客室乗務員の制服の標準的[[デザイン]]」という概念があり、それに近いデザインのものが主流を占めており、変化があるといってもエンブレムや社名ロゴ、[[スカート]]丈や[[スカーフ]]の柄(女性客室乗務員)色などに差異が見られる程度である。なお、1990年代前半までは、女性客室乗務員の制服は制帽と手袋、スカーフが用意されることが多かったが、現在は制帽と手袋を用意することはほとんどなくなってきている。 | ||
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+ | 全体的に女性客室乗務員制服の標準的デザインは紺・藍などの青系統、形式は[[レディーススーツ]]風が主流でボタンは[[真鍮]]製の金色(シングル若しくはダブルの[[ブレザー]]風)、トーク型かハイバック型の[[帽子]]が付いており、[[ネクタイ]]かレースがセットになっている。下衣は、欧米を中心に[[パンツ]]を採用している会社も多いが、[[アジア]]ではタイト[[スカート]]のみのところがほとんどであり(上下合わせると[[レディーススーツ]]になる)、パンツを採用している航空会社は少なく、採用していてもスカートとの選択制がほとんどで、パンツを選択する乗務員は少ない。しかし、[[日本]]では[[スターフライヤー]]の制服にパンツを採用している。 | ||
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+ | 女性客室乗務員制服のスカート丈の長さは航空会社によってまちまちである。一般的には極標準のスカート丈、次いで多いのが[[ロングスカート]]である。[[ミニスカート]]並に短いスカートを制服として採用している航空会社は実際にはほとんどなく、日本では現在1社も存在しない(かつて[[JALエクスプレス]]がミニスカートに近い制服を採用したところ、一部の女性客室乗務員がそれをさらに短い丈に細工し乗務したため、社内および乗客から「スカートが短すぎる」とのクレームがあり、その後丈が長いものに変更されたという経緯がある)。 | ||
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+ | [[民族衣装]]をモチーフにした制服もあり、[[マレーシア航空]]や[[シンガポール航空]]の女性客室乗務員は、民族衣装風の制服を着用しているほか、[[ベトナム航空]]では、女性客室乗務員にベトナムの民族衣装「[[アオザイ]]」を採用している。日本航空では、かつてファーストクラス担当の女性客室乗務員のみ、食事サービス時に[[着物]]の制服も着用した。なお多くの航空会社において、先任客室乗務員には、通常の制服とは別の色やデザインの制服を着用させることが多い。 | ||
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+ | 実際にシンガポール航空は、多数の死傷者が出た[[シンガポール航空006便墜落事故|台北での墜落事故]]の際に、「客室乗務員が着用していたバックストラップなしのサンダルのせいで緊急脱出時の対応に時間を要した」との事故調査委員会や被害者からの批判が出た。しかし同社はその後も、離着陸時のみバックストラップのサンダルを着用することのみで対応しており、「ファッション性のために安全をないがしろにしている」という批判も多い{{誰2|date=2011年1月}}。 | ||
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+ | 一部の航空会社では緊急時に落とすと危険であるとして[[眼鏡]]の着用を禁止している。 | ||
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+ | 客室乗務員の制服は、直接にそして長時間、顧客の目に触れることが多いため、その[[デザイン]]は、自国の、または国際的に著名な[[ファッションデザイナー]]に依頼することが多いといわれる。 | ||
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2019年12月1日 (日) 10:27時点における版
客室乗務員(きゃくしつじょうむいん)は、交通機関の運行(運航)中、主として客室における乗客への接客サービスに従事する乗務員[1]である。
運航中の旅客機の客室において緊急時の誘導などの保安業務や乗客へのサービスを行う乗務員はキャビンクルー(cabin crew)、フライトアテンダント(flight attendant)と呼ばれる。日本では{CA(シーエー)ないしキャビンアテンダントとよばれることが多い(#日本での呼称を参照)。本記事では旅客機の客室乗務員について詳述する。
目次
日本での呼称
かつては船舶の司厨員に由来する「スチュワード」(女性はスチュワーデス)の呼称が広く用いられていた。現在の日本では、テレビドラマなどの影響でCA=(Cabin Attendant)「キャビンアテンダント」と呼ばれることが多い。cabin attendant は和製英語で、英語ではこの表現を用いることはなく、「フライトアテンダント (Flight Attendant)」、あるいは集合名詞「キャビンクルー (Cabin Crew)」がはるかに標準的である。これは機長・副操縦士・航空機関士・航空通信士の四者、つまり「コックピットクルー (Cockpit Crew)」に対するものとされている。
初期には、男性乗務員は「スチュワード」「パーサー」[2]、女性乗務員は「エアホステス」「エアガール」、最近まで「スチュワーデス」と呼ばれていたが、1980年代以降、アメリカにおける「ポリティカル・コレクトネス」[3]の浸透により、性別を問わない「Flight Attendant(フライトアテンダント)」という単語に言い換えられた影響で、この日本語訳である「客室乗務員」という言葉が正式とされるようになった。なお、日本航空においては1998年(平成10年)9月30日で「スチュワーデス」という呼称は廃止された。
現在では「客室乗務員」の名称を採用することにより、一応の沈静化がもたらされている。乗客(利用者)の中では一般的に、女性の客室乗務員=スチュワーデス、男性の客室乗務員=スチュワード・パーサーと呼ぶ人も多い。
略語で「スチュワーデス」のことを「スッチー」と呼ぶこともある。これを始めたのは、田中康夫と言われる要出典。
なお、客室乗務員に対する社内での呼称は、航空会社によっても相違があり、日本航空では単に「アテンダント」 (AT)、全日本空輸では「キャビンアテンダント (CA)」を用いている。
歴史
導入期
1919年から始まった航空機の客室内サービスは、副操縦士が行っていた。1922年4月、デイムラー・エアハイヤー(現・ブリティッシュ・エアウェイズ)がデ・ハビランドDH.34に「キャビン・ボーイズ」と呼ばれた少年3人を乗せたのが世界初の客室乗務員とされるが、その存在はお飾りだったという[4](飛行船としては1911年に、ドイツのツェッペリンLZ10硬式飛行船が初の客室乗務員を乗務させた)。その後1926年にはアメリカのスタウト航空がデトロイトとグランドラピッズを結ぶフォード トライモータにエアリエル・クーリエとして搭乗、1927年にエール・ウニオンが機内のバーにスチュワードを当たらせた。1929年にはパンアメリカン航空が本格的に訓練されたスチュワードを搭乗させ、好感が良い若い男性の代名詞ともなった。
1930年には、アメリカ合衆国のボーイング・エア・トランスポート社(現在のユナイテッド航空)が、女性の元看護師を客室乗務員[5]として乗務させた。これは、当時まだ「危険な乗り物」というイメージがついていた飛行機に女性の乗務員を搭乗させることで「女性も乗れるような安全な乗り物である」と乗客にアピールするという意味もあったといわれている。なお、それまで同社では男性の運航乗務員のみが機内サービスや緊急時の対応を行っていた。
なお日本においても、1931年には東京航空輸送社(後に大日本航空に吸収)が東京―下田―清水間の定期旅客路線に新卒となる3人の客室乗務員を採用(エアガールと呼称)し、その後1939年に開業した大日本航空(GHQ命令により解散)も採用した[6]。
1930年代中盤以降のダグラス DC-2やDC-3、ボーイング247などの全金属製旅客機の導入がもたらした旅客機の大型化に伴い、日本やイギリス、アメリカだけでなくヨーロッパの航空会社も男性や女性の客室乗務員を次々と乗務させることになる。第二次世界大戦の勃発で国際線は男性一人のみ、女性は国内線のみとなったことや乗客のほとんどが男性だったため、客室乗務員が女性に占められるようになっていく。
1940年代-1950年代
1939年から1945年までの長きに渡り行われた第二次世界大戦が終結したことに伴い、戦勝国では戦後間もなく航空会社が営業を再開したほか、1940年代後半には世界各国で航空会社が次々と開業し、アメリカやヨーロッパの主要国においては旅客機での旅が一般層にも浸透することになる。
1950年代にかけては、ダグラス DC-4BやDC-6、ロッキード コンステレーションなどの大西洋無着陸横断が可能な大型旅客機の就航により客室乗務員の採用数が増加し、それとともに女性の「花形職種」として持てはやされるようになった。
当時の日本では(大戦後の日本においては日本航空が1951年に[7]、ローカル線を運航する日東航空や日本ヘリコプターが1952年に開業したが、旅客機は運賃が高額だった上、1945年8月の第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))の敗戦以降、連合国の占領下で長期に渡り海外渡航が自由化されていなかった上、占領終了後も外貨流出を防ぐために、国際線の乗客は渡航許可を受けた政府関係者や企業の業務出張者、留学生や外国人に限られていた。
1960年代
その後1960年代に入り、ボーイング707やダグラス DC-8、コンベア880などの大型ジェット旅客機の就航が各国で相次いだことで、座席供給数が激増し運賃が下がると共に、それまでは客船がシェアの大部分を握っていた太平洋横断や大西洋横断ルートにおいて完全に旅客機がその主導権を握ることになり、アメリカやヨーロッパの多くの先進国において旅客機での旅は完全に一般層に定着した[8]。
また日本でも、それまでは海外渡航は業務や留学目的のものに限られていたものの、高度経済成長に伴う外貨収入の増加を受けて1964年4月1日に海外渡航が完全に自由化され、「ジャルパック」などの海外への団体観光ツアーが次々と発売されるようになった[9]他、ルフトハンザドイツ航空やシンガポール航空など外国航空会社の新規乗り入れが相次ぎ、外国航空会社による日本人客室乗務員の採用も急増した。しかし海外旅行はまだまだ一般層にとって高嶺の花であったこともあり、日本において客室乗務員は男女ともに「ステータス」の高い花形職業とされていた。
この頃日本において客室乗務員が高いステータスを付加されていたのは、外国語の素養がある人は海外と縁のある一部の階層に限られていたことや、航空運賃が高かったために外国に観光などで渡航することが少なかったこと、日本航空などの一部の日本の航空会社において、特に女性は入社時に家柄なども考慮されたこと、女性の場合は結婚の際に良い条件の相手にめぐり合う機会が多いと考えられてきたからである。また女性の場合は、給与など待遇が一般企業のOLに比べても格段に良かったこともその一つであった。
1970年代-1980年代
ボーイング747やマクドネル・ダグラス DC-10型機、エアバスA300型機などの座席数が300席を超える大型ジェット機の相次ぐ導入や、アメリカのジミー・カーター政権下における航空規制緩和政策(ディレギュレーション)の導入。そしてこれらの要因がもたらした航空会社間の競争の激化などにより航空運賃が下がり、飛行機での旅が大衆化してきた1970年代-1980年代以降は、アメリカやイギリスなどの欧米の先進諸国ではその「ステータス」は下がった。
しかし、海外旅行の大衆化が欧米の先進諸国に比べて遅れていた上、日本国政府の保護政策で航空会社同士の競争が活発でなく、さらに女性がその多くを占めた日本では、『アテンションプリーズ』(オリジナル版:1970年-1971年)、『スチュワーデス物語』(1983年-1984年)など人気テレビドラマの題材にもなり、1980年代になってもなお、女性の憧れる職業の上位として憧れの存在であった。
なお、この頃に導入された大型機を筆頭に、機内映画の上映や座席オーディオ、ハイテンプオーブンなどの最新設備が次々に導入され、さらに機材が格段に大型化し、さらに10時間以上の超長距離間の無着陸運航が可能になったことで、客室乗務員の機内外における仕事の内容も大きく変わることとなった。
1990年代-2000年代
しかし、日本でも1980年代後半のバブル景気前後の円高を受けて海外旅行の大衆化が進み、大型機の大量導入に伴う採用人数の増加、競争激化を受けたコスト削減の影響を受けた大手航空会社における契約制客室乗務員(大手航空会社においては女性のみの採用)の導入を代表とした待遇の低下、女性側の意識変化や、ハードな職業であるとの認識の浸透により「客室乗務員」が昔と比べて、憧れだけの志願生は減り、特にステータスが高いものではないというように変革し[10]、1990年代に入ると、女性の人気職業の一つではあるものの以前よりその人気は下がった。
2001年のアメリカ同時多発テロや格安航空会社との競争激化の影響を受け、ユナイテッド航空やノースウエスト航空(現・デルタ航空)、アリタリア-イタリア航空など世界各国の大手航空会社が経営不振に陥り、会社更生法の適用を受け経営再建を行う中、日本人乗客のためだけに日本人の客室乗務員を乗務させる必然性が見直されたことなどにより、近年は外国航空会社の日本人客室乗務員の採用自体が以前に比べ格段に減り、これらの外国航空会社の日本人客室乗務員の乗務人数の減少と加齢化が進んでいる。さらに一部の外国航空会社では日本人客室乗務員に対して派遣制度を導入するなどその待遇も大きく低下している。
2009年には、世界的不況の影響を受けて経営不振が伝えられるブリティッシュ・エアウェイズが、数週間の無給労働を客室乗務員に対し要請した他、同じく経営危機が伝えられるエミレーツ航空が、先に内定した日本人客室乗務員の入社を無期限延期するなど、この傾向は進んでいる。
現在
なお現在の日本においては、雇用形態の柔軟化を受けて、国内大手航空会社の中途採用では30代、経験者の有期限再雇用では40代での採用も可能になるよう変わりつつあるなど、かつては「若いこと」が採用の条件であったが、その様な状況は変わりつつある。
業務内容
主に機内サービスや機内清掃、保安業務や緊急時対応などの業務を主に行っている。日本の大手航空会社の場合、新人は入社後2、3年程度国内線のみを担当し、その後国際線移行訓練を受けてから国際線も担当する。なお、外国航空会社の日本人客室乗務員は、日本人乗客対応が主な採用、乗務理由であることもあり、本拠地と日本を往復する路線のみを担当するケースが多い。
なお、その業務の多くが機内サービスであるにもかかわらず、日本や欧米諸国の航空会社の客室乗務員の労働組合の多くは、会社側との賃金および待遇交渉上の観点から「サービス要員」ではなく、「保安要員」であることを強調しているが、これらの日本の労働組合は、本来「保安要員」として、女性より適している男性客室乗務員の増員を殆ど主張していない(労働組合員のほとんどが女性である)。
また、男性客室乗務員が搭乗している場合、厨房内の仕事や力仕事などの業務に回されるケースが多いが、日本の航空会社の場合、男性客室乗務員の数が殆ど居ない状態で、特に日本人の男性客室乗務員が乗務していないケースが殆どであった。しかし、2010年代に入ると徐々に数も増え始め、日本航空では5月5日に男性客室乗務員だけで運行する鯉のぼりフライトなどのイベントも行われるようになった。
1999年(平成11年)に発生した全日空61便ハイジャック事件をはじめとするハイジャックや、乗客による機内暴力行為においては、体力的な面から女性の客室乗務員が犯人の暴力行為に対して対抗できず、乗り合わせた男性運航乗務員や男性乗客が代わりに対処するケースが続発していたが、航空法違反(安全阻害行為の禁止)の適用も含め、暴力を働く、粗暴な振る舞いをする乗客の排除に乗り出している。
機内サービス
飛行機の搭乗および降機時の乗客への各種案内、厨房[11]での機内食や飲み物の加工および乗客への配布および回収や、新聞や雑誌類の配布および回収、機内販売(国際線では免税品の販売)やクレジットカードの勧誘などの営業活動、入国書類や税関申告用紙の配布などの機内での各種サービスを行う(入国書類を客室乗務員に記入させる乗客もいるが、これは法律で禁じられているケースもある)。
個人用テレビやオーディオ、ビデオゲームなどの座席周りのエンターテインメント設備が設置されている機材の場合は、それらの設備の使用方法の案内を行うほか、長距離路線のビジネスクラスやファーストクラスでは、フラットシートのベッドメーキングを行なうケースもある。
また、搭乗機の運航状況や各種機内サービスの案内など機内における各種案内放送を行う他、到着地の天候や空港の案内などの数々の問い合わせなどについて運航乗務員と連携の上で対応したりしている。
機内清掃
飛行中の乗客の各種ゴミの回収などの機内の簡単な清掃や、飛行中に気分を悪くした乗客が嘔吐したり、幼児の排便などで機内を汚した場合にはその清掃を行う。格安航空会社をはじめとする一部の航空会社では、引き返し時などに座席など機内の簡単な清掃を地上駐機中に客室乗務員に行わせている他、アメリカでは機長・副操縦士にも清掃作業を課す航空会社もある。
なお、格安航空会社以外でも、中長距離国際線ではトイレットペーパーやゴミ箱の交換、洗顔台の拭き取りや備品の補充などをはじめとするトイレの清掃も行う。また、一部の国では離着陸前後に機内客室への殺虫剤や消毒剤などの散布が義務付けられている場合があり、その際は散布業務を行う。
保安業務
ドア(非常口)の操作および確認、離着陸前の客室内の安全確認、非常用設備の案内(緊急着陸水時の脱出口および脱出方法、救命胴衣の使用方法、酸素マスク使用方法などを、ビデオ設備搭載機ではビデオの上映、ビデオ設備の故障時およびビデオ設備未搭載機ではデモンストレーションと安全のしおりの確認の推奨)、離着陸前後の非常用設備の管理、離着陸前後の客室内の確認(各種設備に故障、異常がないかの監視だけでなく、泥酔者や具合の悪い旅客がいないか、航空法違反に該当する行為をしている旅客はいないか、ハイジャックに発展する恐れのある人物はいないか等も確認している)、などの機内の保安業務を行う。客室乗務員はそれぞれ担当区分を持っているが、定時運航のために手分けをすることもある。
緊急事態対応
万が一航空事故やハイジャックなどの緊急事態が発生した時には、運航乗務員などと連携して乗客に状況説明をしたり、緊急着陸や着水をする場合には避難用具の用意や避難誘導にあたる。そのため一部の外資系航空会社では、一定距離を泳げることが採用時の条件になっているケースがある。また、急病人発生時には、医療関係者に引き継ぐまで基礎的な救急看護を行う(赤十字救急法救急員資格の取得が推奨されている)。中途採用の客室乗務員の中には、看護師などの医療従事経験者の客室乗務員も多い。
なお、緊急時にはデッドヘッドだけでなく、私用で搭乗している客室乗務員や航空関係者も、搭乗している機材と同じ会社の社員であるなしを問わず、自主的に協力することが通例である。
搭乗口のゲート受け付け業務
経営再建中の日本航空は2010年2月より、一部の国内線と国際線で、客室乗務員によるゲートの受け付け業務を兼務させる方針が固まった。これにより、年間約2億4000万円のコスト削減効果が見込まれている。
食事
機内での食事は、国内線の場合は紙の箱に入った弁当形式のものが用意され、国際線の場合はエコノミークラス担当者はエコノミークラスの機内食、ビジネスクラス担当の乗務員はビジネスクラスの機内食(乗客とほぼ同じもの)が用意される他、ファーストクラスの乗客が手をつけなかった食事の残りものに手をつけることもある。また、アルコール類を除く飲み物も機内に用意されているものを飲む。なおこれはデッドヘッドの際もほぼ同様である。
なお、いずれも集団食中毒を防ぐ目的から、乗客向けと同じく複数の種類が用意され、基本的に社歴が長いものから優先的に選択し、休憩時間や地上での乗り継ぎの短時間の間に(客室乗務員が早食いが多いのは、このためであると言われている)ギャレー内や空席で食べる。
休憩
なお、夜間飛行や6、7時間以上の飛行時間の長距離路線においては、乗務中に数時間の仮眠を含む休憩時間が設けられ、ギャレーや休憩用に仕切られた座席や客室上部、または客室下部などに設けられた乗務員専用の休憩室[12]で休憩を取る。
乗務人数
各国の法令で機材の仕様(ドア数)や座席数、飛行時間により最低乗務人数が決められている(実際に搭乗している乗客数にかかわらず、固定されている)。
通常は乗客約50名に対して客室乗務員が1名以上、それ以上の大きさの機材の場合はドア数に合わせた人数が乗務することが基本となっており、国際線ではそれを基本にして旅客数やサービス内容に応じてサービス要員として人数が増える。
通常は、近距離向けターボプロップ機のボンバルディア DHC-8シリーズの場合1-2人、中型ジェット機のボーイング737やエアバスA320の場合は1機に3-5人、大型ジェット機のボーイング767やエアバスA300の場合は6-10人、超大型ジェット機のボーイング747型機の場合は、国内線は12人程度、国際線は14-28人程度乗務している。
日本の場合、客室乗務員の編成は航空法施行規則第214条で、航空機乗組員及び客室乗務員に対して求められている運航規程に定めるべき要件として定義され、各社の運航規程で定められている。日本国内においては、定員が19人以下の機種(ビーチクラフト1900Dやブリテン・ノーマン アイランダーなど)には客室乗務員を乗務させる必要はない。
制服
傾向
世界的に航空機等の客室乗務員には専用の制服を着用させている。日本でも客室乗務員を搭乗させている航空会社は、男女ともに全て制服を着用している。なお、客室乗務員の制服の種類は航空会社の数だけある。
ただし、男女ともに客船のように「客室乗務員の制服の標準的デザイン」という概念があり、それに近いデザインのものが主流を占めており、変化があるといってもエンブレムや社名ロゴ、スカート丈やスカーフの柄(女性客室乗務員)色などに差異が見られる程度である。なお、1990年代前半までは、女性客室乗務員の制服は制帽と手袋、スカーフが用意されることが多かったが、現在は制帽と手袋を用意することはほとんどなくなってきている。
全体的に女性客室乗務員制服の標準的デザインは紺・藍などの青系統、形式はレディーススーツ風が主流でボタンは真鍮製の金色(シングル若しくはダブルのブレザー風)、トーク型かハイバック型の帽子が付いており、ネクタイかレースがセットになっている。下衣は、欧米を中心にパンツを採用している会社も多いが、アジアではタイトスカートのみのところがほとんどであり(上下合わせるとレディーススーツになる)、パンツを採用している航空会社は少なく、採用していてもスカートとの選択制がほとんどで、パンツを選択する乗務員は少ない。しかし、日本ではスターフライヤーの制服にパンツを採用している。
女性客室乗務員制服のスカート丈の長さは航空会社によってまちまちである。一般的には極標準のスカート丈、次いで多いのがロングスカートである。ミニスカート並に短いスカートを制服として採用している航空会社は実際にはほとんどなく、日本では現在1社も存在しない(かつてJALエクスプレスがミニスカートに近い制服を採用したところ、一部の女性客室乗務員がそれをさらに短い丈に細工し乗務したため、社内および乗客から「スカートが短すぎる」とのクレームがあり、その後丈が長いものに変更されたという経緯がある)。
民族衣装の制服
民族衣装をモチーフにした制服もあり、マレーシア航空やシンガポール航空の女性客室乗務員は、民族衣装風の制服を着用しているほか、ベトナム航空では、女性客室乗務員にベトナムの民族衣装「アオザイ」を採用している。日本航空では、かつてファーストクラス担当の女性客室乗務員のみ、食事サービス時に着物の制服も着用した。なお多くの航空会社において、先任客室乗務員には、通常の制服とは別の色やデザインの制服を着用させることが多い。
緊急時の問題
また、シンガポール航空やマレーシア航空など一部の航空会社の女性客室乗務員の制服は、民族衣装をモチーフにしたタイトスカートにサンダル履きの制服であることから、緊急時の対応に問題があるという指摘がある。
実際にシンガポール航空は、多数の死傷者が出た台北での墜落事故の際に、「客室乗務員が着用していたバックストラップなしのサンダルのせいで緊急脱出時の対応に時間を要した」との事故調査委員会や被害者からの批判が出た。しかし同社はその後も、離着陸時のみバックストラップのサンダルを着用することのみで対応しており、「ファッション性のために安全をないがしろにしている」という批判も多いテンプレート:誰2。
一部の航空会社では緊急時に落とすと危険であるとして眼鏡の着用を禁止している。
カジュアル化
2009年2月にスカイマークが経費節減のため、運航乗務員と客室乗務員の従来のようなスタイルの制服を廃止することを発表した。廃止後は服装規定をなくし、紺色のポロシャツとウィンドブレーカーを配布、これらを着用することで乗客と客室乗務員を区別することとした。これ以外は原則自由としたが、靴に関してはヒールの高さに関して制限されている。また、同社ではフライトバッグも廃止し、使用するバッグも自由なものとした。なお、アメリカやヨーロッパの一部の格安航空会社では、同様のスタイルを用いているケースがあった。
ファッションデザイナー
客室乗務員の制服は、直接にそして長時間、顧客の目に触れることが多いため、そのデザインは、自国の、または国際的に著名なファッションデザイナーに依頼することが多いといわれる。
脚注
- ↑ 乗務員ではあるが航空法上の乗組員ではない。
- ↑ 「パーサー (purser)」は英語圏では性別無関係に、その便を担当するチームのリーダー、最先任者を指す。
- ↑ この場合は性別による区別のない単語への言い換えを指す。
- ↑ 中村浩美『読んで愉しい旅客機の旅』光文社、『モタさんの世界乗り物狂走曲』P.23 斎藤茂太 角川学芸出版
- ↑ エレン・チャーチの提案がきっかけで、彼女の同僚を含めた合計8人が採用された。
- ↑ 戦前日本のエアガールについて、鈴木五郎「大空の花束『エアガール』太平洋戦域フライト日誌」(潮書房『丸』1996年4月号 No.600 p191 - p199)を参考
- ↑ 「JALグループ50年の航跡」日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空
- ↑ 「エアライン Empires of the Sky」アンソニー・サンプソン著 大谷内一夫訳(早川書房)
- ↑ 「JALグループ50年の航跡」日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空
- ↑ 電気通信共済会編『日本のエァポート』日本交通公社ダイヤルブックス1984年
- ↑ 船舶の用語にならって「ギャレー」と呼ばれる
- ↑ 「クルーバンク」と呼ばれ、寝棚もある。