「奈良県立畝傍高等学校」の版間の差分

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2018年6月27日 (水) 19:17時点における最新版

奈良県立畝傍高等学校
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過去の名称奈良県尋常中学校畝傍分校
国公私立の別公立学校
設置者奈良県
学区
併合学校奈良県立耳成高等学校
理念
校訓至誠・至善・堅忍・力行
設立年月日1896年
創立記念日
創立者
閉校年月日
共学・別学男女共学
高大一貫教育
中高大一貫教育
中高一貫教育
小中高一貫教育
幼小中高一貫教育
分校
課程全日制課程
定時制課程
二部以上の授業
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学科内専門コース
専攻科
別科
学期2学期制
高校コード29112K
中学校コード
所在地634-0078
奈良県橿原市八木町3-13-2
外部リンク公式サイト
公式サイト
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奈良県立畝傍高等学校(ならけんりつうねびこうとうがっこう、英語標記:Nara Prefectural Unebi Senior High School)は、奈良県橿原市にある男女共学公立高等学校進学校。通称『うねこう』。奈良高校、郡山高校と共に「公立御三家」と呼ばれている。

沿革[編集]

  • 1896年 - 奈良縣尋常中學校畝傍分校創立
  • 1897年 - 校舎落成
  • 1899年 - 奈良縣畝傍中學校と改称
  • 1901年 - 奈良縣立畝傍中學校と改称
  • 1933年 - 現校舎落成
  • 1948年 - 学制改革に伴い奈良県立畝傍高等学校と改称、男女共学化、定時制設置
  • 1983年 - 奈良県立耳成高等学校開校
  • 1996年 - 文化創造館竣工、創立100周年記念式典挙行
  • 2004年 - 奈良県立耳成高等学校と統合し、新・奈良県立畝傍高等学校発足
  • 2007年 - 野球部が選抜高校野球大会21世紀枠近畿地区代表に選出

校風・教育課程[編集]

理型・文型には2年次で、理I~III・文I~II には、3年次で分かれる。どちらも前学年の10月までに決定。 文II は特進コースであり、社会科2科目が必要な文系国公立大学受験に特化したカリキュラムである。理IIIは医学科理科3科目入試に対応。

  • 授業時間と部活時間の確保のため、65分×5時限授業、2週間で1周期の時間割を編成。
  • 2学期制を採用しているが、テストは年に5回、夏休みもあり、実質3学期制と変わらない。

交通[編集]

校舎[編集]

  • 現校舎(本館―北館と南館)は旧制中学時代より使用されているもので、1933年の竣工。建築にあたっては、建国神話の土地柄にふさわしい校舎にするため、当時の奈良県は建築費として破格の予算を計上した。岩崎平太郎(当時奈良県土木課営繕係建築技手―のちに奈良県下初の民間建築設計事務所を開設)の設計で、帝冠様式を採用している。[1]日本建築学会より美的建築物として「日本近代建築二千」に選出された。
  • NHK連続テレビ小説『ふたりっ子』の主人公野田麗子(演:菊池麻衣子)が通った「大阪府立紹鴎高校」など、ロケーションに使われたことがある。
  • 校長室にはかつて「御真影」と「教育勅語」謄本を保管した金庫(「奉安庫」)が現存する。第二次世界大戦末期の数ヶ月間、校舎が海軍経理学校に貸与され、橿原分校が設けられた。当時校舎の塔屋には十六弁の菊花紋章が掛けられ、屋上には電波探知機、高射機関砲、防空監視施設が設置されていた。校庭外周フェンス等に、戦時中の金属供出による爪跡が残る。校舎正面の校章の左上に米空軍機関銃があたり、セメントで埋められた跡(と伝えられる)が数か所ある。[2]
  • 文化創造館(1996年完成、地上三階建)は、可動式座席(462席)を備え、学校行事に限らず広く一般に開放される。
  • 現在の所在地は、藤原京旧跡上に立地している(藤原京の規模については諸説があるが、近年の考古学的発掘により、その規模の大きさが証明されつつある)。三条大路(「横大路」)西二坊大路(「下ツ道」)東入ルにほぼ相当する。なお、この両大路の交差点は「札の辻」と呼ばれるが、近畿風景街道協議会(国土交通省内)により「日本文化のクロスロード」として「日本風景街道」の近畿第1号に選出されている。
  • 現地移転(1933年)以前の旧所在地は、スーパー・ヤマトー八木店(旧ニチイ八木店―閉店)およびその東向かいに相当。また旧耳成高校の校地跡は、2009年まで全国高等学校総合体育大会の開催準備及び大会運営本部関連施設として活用された。
  • 旧館の床は歩くと軋む。脆い箇所も幾つかあり、立ち入り禁止区域もある。体育館の床はバスケットのボールが跳ねないところが多数ある。どちらも現在改装予定は無いが、ことに旧館は歴史的に貴重な建築物でもある。要出典


催事[編集]

入試[編集]

募集人員は年度ごとに奈良県教育委員会が決定する。平成20年度は400名(うち40名は特色選抜
{特色選抜}
募集人員40人
趣旨 より高度な学問・研究性の高い職業を目標にし、大学等への進学を目指す生徒を募集する。
数・英・小論文 各100点(数・英の試験問題は奈良県教育委員会が作成)
調査書の満点 135点

{一般選抜}
募集人員 全体の募集人員から特色選抜の合格者数を引いた人数。
国・数・理・社・英 各50点(全教科試験問題は奈良県教育委員会が作成)
調査書成績の満点 135点
面接 なし

備考[編集]

  • 第二次世界大戦末期、1945年の時点でも、他の多くの学校とは異なり、「敵国語」とみなされていた英語の授業が行われていた(週に12時間)。勝利のためには敵の言語を知ることが不可欠と考えられていたため。
  • 旧制中学校時代、教員の質が非常に高かったこともあり、多くの教員が戦後の学制改革時に大学教員として引き抜かれた。

出身著名人[編集]

脚注[編集]

  1. 「『岩崎平太郎』という建築家の発見」(川島智生、   年)
  2. 「追憶奈良空(大和海軍航空隊の想いで)」(播金収、  年)
<reference>

関連項目[編集]