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+ | ──2012年に着任されたときはどんな状況でしたか。 | ||
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+ | :どん底でしたね。ホームレスがあふれ、不法投棄ゴミが散乱し、昼から酒飲んで立ち小便してる。町全体が臭気のドームでした。すべての社会問題を放り込んで、フタしてグツグツ煮えたまま放置されてる、まさに闇鍋状態。衰退しきった[[スラム]]でした。[[大阪万博]]を機に日雇い労働市場として発展してから50年近く経ち、みんな年取って暴動起こす元気がないだけ。人も減って[[簡易宿泊所]]や飲食店は廃れていく。ある意味、暴動がバンバン起きていた時代より問題は根深かったとも思いますね。 | ||
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+ | ──そもそもあいりん地区が“闇鍋”で放置されてきた背景とは? | ||
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+ | :官も民も、地域内が利害関係者だらけと言っても過言じゃない。支援者組織、労働組合、普通の町内会、商店会に暴力団関係まで、とにかくあらゆる組織がせめぎ合っている。 | ||
+ | :大阪市側も福祉局あり建設局ありその他各局バラバラに入ってそれぞれの利害だけで動いてる。地域の象徴である「あいりん総合センター」という一つの建物内に国・府・市の管轄が混在する。要するに収拾がつかなくて、行政も避けて通ってきた。一人ひとりと向き合って、地道に合意形成をしていかないと何かの弾みで暴発しかねない状態でした。 | ||
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+ | ──実際、本全体の8割が改革会議本番に向けた地域の根回しや、対役所工作の赤裸々な逸話です。 | ||
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+ | :貧困者対策、不法投棄ゴミ問題、結核、治安対策など喫緊の課題解決と、観光や教育、町の活性化、子育て世代呼び込み策。痛みを伴う構造改革と、明るい将来像という両極を同時進行で議論していきました。 | ||
+ | :ただ、改革の中身以上にどう実行するかが重要と考えていました。本番の「あいりん地域のまちづくり検討会議」の前に、各組織へのドブ板行脚、顔見世興行に飛び回った。地域の事情に明るく、同じ思いの同志“7人の侍”で結束し、役所に都合のよいようにさせない、地域が長年望んできたボトムアップによる町づくり改革をねじ込んでいく準備を重ねた。行政と住民との仲は最悪でしたが、協力してプレーパークを作るとか合同会社を立ち上げるとか、町の改善の一歩となるような小さな成功体験を積み重ねていきました。お互い意思疎通できるようにしとかないことには何も始まりませんから。 | ||
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+ | ──役人懐柔策、彼らが動く論理・動かない論理を知り尽くしての作戦の数々が、面白かったです。 | ||
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+ | :そう、結果的に物語の相当の部分が対役所工作の話になりましたね。 | ||
+ | :日本の行政ってデカいしやっぱりすべての中心。地域だけで大改革は進まない。いかに行政を絡ませるか、巻き込むか。むしろ行政を主役にして動かすくらいのことをやらなきゃいけない。だけど民間の活動家たちにその発想はなかった。 | ||
+ | :そもそも地域住民の合意を取らずに日雇い労働市場を町に固定させたのが行政。行政代執行や強行策が繰り返されてきた歴史に、今直面している問題の元凶はすべて行政にある、という怨念が地域に渦巻いていた。行政は行政でこの町の合意形成など不能だと思っている。 | ||
+ | :今回は行政と住民を絡めた改革にすることが最重要だったので、両者のハブ役に徹しました。役人を動かすため、時に華を持たせたり、貸し借り関係を作ったり損得勘定に訴えたり、黒子に徹して出世に一役買ったり便宜を図ったりと、あの手この手。自分が間に入ってリスクは取る責任も取ってやる、だから動けと。 | ||
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+ | ──そしてついに、半年間計6回の検討会議本番にこぎ着ける。立場を異にするリーダーたちが一堂に会するのは、あいりん史上初だったとか。 | ||
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+ | :無関心層や反対派にこそ参加を呼びかけ、全町内会長、労働団体にひざ詰めで参加を依頼しました。綱渡りで大変だったけど、傍聴人も含め毎回約200人余りが参加し、やって本当によかった。 | ||
+ | :行政がやると、自分たちの意に沿う人物だけ集めてオーソライズ(公認)してもらい、反対集団の怒声にはひたすら頭を下げて鳴りやむのを待ち、ちゃっかり議会に通して再生事業を強行するわけです。でもこの地区に限っては、もう全員集めてみんなで話し合おうと。最初は案の定、怒声・罵声が飛び交う大混乱でしたが、回を追うごとに何とか道筋ができみんな乗ってきて、最後はまとまった。やっぱり賛成派も反対派も様子見派も、みんな集まって話し合うのが民主主義の原点ですから。 | ||
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+ | ──会議をかき乱す活動家対策ではいろいろ奇策も飛び出しました。 | ||
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+ | :体育館を会場とした会議は完全な開放型で、35人の委員たちは傍聴席に囲まれてグループごとに議論していくのですが、活動家の怒声に委員が萎縮して議論に入れなかったりしたときは、私が傍聴席に上がっていってレクチャーしたり質問に答えたりして場を収めました。 | ||
+ | :ある回では傍聴席を最前列、委員席を後ろと逆にしたんです。面白いもので、活動家らは距離が近すぎるとヤジを飛ばしにくいらしく、委員たちをドツくのも首を後ろにひねってではやりにくい。おかげで静かに進行できました。回も最後のほうになると、傍聴席で騒いでた連中も話し合いの輪に取り込まれていき、単に妨害したいだけの連中にはほかの傍聴人から「オマエら邪魔だ」と声が飛んで、小さくなっていた。重要なのは意見する場を反対派にも作ったこと。みんなで決めたことだ、後になってから騒ぐな、と言える。 | ||
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+ | ──でもその後、肝心の橋下さんは市長を降りてしまいましたが。 | ||
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+ | :もちろん、改革は継続せざるをえないよう舞台装置を整えておきました。上からの号令方式だと、上が代わるやこれ幸いと手抜きしてしまう。だから下の役人から考えさせて下からの積み上げで全部やらせる形を仕込んだ。住民と共同でやる事業もたくさん作っといたので、途中で「イチ抜けた」はできない。だから橋下さんが辞め私が去った今も、改革は着々と進行中です。古汚い一大ドヤ街のイメージも10年後くらいには変わっているだろうと思います。 | ||
== 地理 == | == 地理 == |
2018年3月26日 (月) 23:39時点における版
あいりん地区(あいりんちく)は、大阪府大阪市西成区萩之茶屋周辺のJR大阪環状線新今宮駅より南に位置するドヤ街・寄せ場(日雇労働者の就労する場所)となっている地区の愛称である。旧来からの地名である釜ヶ崎とも呼ばれる。
※本項では、同地区の現状について記述する。同地区を含む釜ヶ崎の歴史については釜ヶ崎を参照。
目次
日本の「最貧困地域」再生で見た甘くない現実
東洋経済オンライン 11/13(日) 15:00配信 大阪・西成「あいりん地区」。ピカピカの超高層ビル「あべのハルカス」の足元、縦横1キロメートルの狭い三角地帯に、日雇い労働者、ホームレス、生活保護受給者、そして地元住民と2万人が密集する。これまで勃発した暴動の数24回。3人に1人が生活保護を受け、結核罹患(りかん)率は全国平均の28倍という世界最貧国並みの高さ。少子高齢化、貧困、治安、衛生、差別など社会問題が凝縮し衰退が進む地域の、まさに近未来像を一変させるべく、橋下徹前大阪市長が「西成特区構想」の大号令を発した。その陣頭指揮を託されたのが、学習院大学経済学部教授の鈴木亘氏だ。『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』にはその奮闘が記されている。
──2012年に着任されたときはどんな状況でしたか。
- どん底でしたね。ホームレスがあふれ、不法投棄ゴミが散乱し、昼から酒飲んで立ち小便してる。町全体が臭気のドームでした。すべての社会問題を放り込んで、フタしてグツグツ煮えたまま放置されてる、まさに闇鍋状態。衰退しきったスラムでした。大阪万博を機に日雇い労働市場として発展してから50年近く経ち、みんな年取って暴動起こす元気がないだけ。人も減って簡易宿泊所や飲食店は廃れていく。ある意味、暴動がバンバン起きていた時代より問題は根深かったとも思いますね。
──そもそもあいりん地区が“闇鍋”で放置されてきた背景とは?
- 官も民も、地域内が利害関係者だらけと言っても過言じゃない。支援者組織、労働組合、普通の町内会、商店会に暴力団関係まで、とにかくあらゆる組織がせめぎ合っている。
- 大阪市側も福祉局あり建設局ありその他各局バラバラに入ってそれぞれの利害だけで動いてる。地域の象徴である「あいりん総合センター」という一つの建物内に国・府・市の管轄が混在する。要するに収拾がつかなくて、行政も避けて通ってきた。一人ひとりと向き合って、地道に合意形成をしていかないと何かの弾みで暴発しかねない状態でした。
──実際、本全体の8割が改革会議本番に向けた地域の根回しや、対役所工作の赤裸々な逸話です。
- 貧困者対策、不法投棄ゴミ問題、結核、治安対策など喫緊の課題解決と、観光や教育、町の活性化、子育て世代呼び込み策。痛みを伴う構造改革と、明るい将来像という両極を同時進行で議論していきました。
- ただ、改革の中身以上にどう実行するかが重要と考えていました。本番の「あいりん地域のまちづくり検討会議」の前に、各組織へのドブ板行脚、顔見世興行に飛び回った。地域の事情に明るく、同じ思いの同志“7人の侍”で結束し、役所に都合のよいようにさせない、地域が長年望んできたボトムアップによる町づくり改革をねじ込んでいく準備を重ねた。行政と住民との仲は最悪でしたが、協力してプレーパークを作るとか合同会社を立ち上げるとか、町の改善の一歩となるような小さな成功体験を積み重ねていきました。お互い意思疎通できるようにしとかないことには何も始まりませんから。
──役人懐柔策、彼らが動く論理・動かない論理を知り尽くしての作戦の数々が、面白かったです。
- そう、結果的に物語の相当の部分が対役所工作の話になりましたね。
- 日本の行政ってデカいしやっぱりすべての中心。地域だけで大改革は進まない。いかに行政を絡ませるか、巻き込むか。むしろ行政を主役にして動かすくらいのことをやらなきゃいけない。だけど民間の活動家たちにその発想はなかった。
- そもそも地域住民の合意を取らずに日雇い労働市場を町に固定させたのが行政。行政代執行や強行策が繰り返されてきた歴史に、今直面している問題の元凶はすべて行政にある、という怨念が地域に渦巻いていた。行政は行政でこの町の合意形成など不能だと思っている。
- 今回は行政と住民を絡めた改革にすることが最重要だったので、両者のハブ役に徹しました。役人を動かすため、時に華を持たせたり、貸し借り関係を作ったり損得勘定に訴えたり、黒子に徹して出世に一役買ったり便宜を図ったりと、あの手この手。自分が間に入ってリスクは取る責任も取ってやる、だから動けと。
──そしてついに、半年間計6回の検討会議本番にこぎ着ける。立場を異にするリーダーたちが一堂に会するのは、あいりん史上初だったとか。
- 無関心層や反対派にこそ参加を呼びかけ、全町内会長、労働団体にひざ詰めで参加を依頼しました。綱渡りで大変だったけど、傍聴人も含め毎回約200人余りが参加し、やって本当によかった。
- 行政がやると、自分たちの意に沿う人物だけ集めてオーソライズ(公認)してもらい、反対集団の怒声にはひたすら頭を下げて鳴りやむのを待ち、ちゃっかり議会に通して再生事業を強行するわけです。でもこの地区に限っては、もう全員集めてみんなで話し合おうと。最初は案の定、怒声・罵声が飛び交う大混乱でしたが、回を追うごとに何とか道筋ができみんな乗ってきて、最後はまとまった。やっぱり賛成派も反対派も様子見派も、みんな集まって話し合うのが民主主義の原点ですから。
──会議をかき乱す活動家対策ではいろいろ奇策も飛び出しました。
- 体育館を会場とした会議は完全な開放型で、35人の委員たちは傍聴席に囲まれてグループごとに議論していくのですが、活動家の怒声に委員が萎縮して議論に入れなかったりしたときは、私が傍聴席に上がっていってレクチャーしたり質問に答えたりして場を収めました。
- ある回では傍聴席を最前列、委員席を後ろと逆にしたんです。面白いもので、活動家らは距離が近すぎるとヤジを飛ばしにくいらしく、委員たちをドツくのも首を後ろにひねってではやりにくい。おかげで静かに進行できました。回も最後のほうになると、傍聴席で騒いでた連中も話し合いの輪に取り込まれていき、単に妨害したいだけの連中にはほかの傍聴人から「オマエら邪魔だ」と声が飛んで、小さくなっていた。重要なのは意見する場を反対派にも作ったこと。みんなで決めたことだ、後になってから騒ぐな、と言える。
──でもその後、肝心の橋下さんは市長を降りてしまいましたが。
- もちろん、改革は継続せざるをえないよう舞台装置を整えておきました。上からの号令方式だと、上が代わるやこれ幸いと手抜きしてしまう。だから下の役人から考えさせて下からの積み上げで全部やらせる形を仕込んだ。住民と共同でやる事業もたくさん作っといたので、途中で「イチ抜けた」はできない。だから橋下さんが辞め私が去った今も、改革は着々と進行中です。古汚い一大ドヤ街のイメージも10年後くらいには変わっているだろうと思います。
地理
大まかには、JR大阪環状線新今宮駅と大阪市営地下鉄御堂筋線・堺筋線動物園前駅より南の地区、阪堺電気軌道阪堺線南霞町駅から今池駅間と南海本線・高野線新今宮駅から萩ノ茶屋駅間の一帯を指す。
広義では国道26号(大阪市営地下鉄四つ橋線)、市道阿倍野津守線(地下鉄花園町駅と阿倍野駅を結ぶ道路)、JR環状線、西成・阿倍野区境に囲まれた地域、つまり大阪市西成区の
- 萩之茶屋一・二丁目・三丁目
- 花園北一・二丁目
- 太子一・二丁目
- 天下茶屋北一・二丁目
- 山王一・二丁目・三丁目
の三角地形とその周辺に該当する地域を指す。狭義では、同地域のうち南海本線と阪堺電気軌道に挟まれた地域、あるいは単に萩之茶屋一・二丁目・三丁目を指す。
かつての西成郡今宮村釜ヶ崎は、現在の西成区萩之茶屋一丁目と二丁目の一部および浪速区恵美須西三丁目と恵美須東三丁目と戎本町二丁目を指す。
概要
住所表記の変更に伴い釜ヶ崎という地名は消滅したが、地元では地域を指す言葉として釜ヶ崎もしくは釜という通称を使う人も多い。あいりん地区という名称は1966年5月に国や自治体などの行政機関と報道機関の統一名称となった。名前の由来は多々あり、例えば日雇労働者への配給食料を調理するために釜で炊き出しをすることから「釜ヶ崎」と呼ばれるようになったという俗説があるが、実際には日雇労働者の寄り場がこの地区に形成される以前の明治期から地名が存在していた。
あいりん地区には路上生活者が数多く居住し(大阪市内の路上生活者は4,069人)、約20ha(半径300m)の面積に3万人の人口があると言われる。そのため治安が悪い。この地域は住所不定の日雇労働者が多いため、人口統計は国勢調査でもはっきりつかめていない。身分証明証がなくても宿泊、就労、銀行口座開設ができるため、治安が悪化し統計を取ることが難しい。そのため無法の地になりやすい。
路上生活者が昼間から寝ていたり日雇労働者向けの簡易宿所(ドヤ)が密集したりしている。
NPO団体や宗教団体は炊き出しなどを頻繁に行っており、実施の際は公園に人が列を作って並ぶことがある。また、この地域の物価(料金体系)は隣接している他地区と比べて総じて低いのが特徴となっている。
周辺は暴力団事務所が多数ある。西成警察署から目と鼻の先の国道沿いには延々と不法駐車をしているが、取り締まっていない。
情勢
日雇い労働者の高齢化が進んでおり、日雇いの仕事も2,000件程度とバブル景気の時期に比べて3分の1にまで減少している。これら無保険の日雇い労働者は生活保護予備軍であるとの指摘があり、改善の必要性を指摘されている。。
しかし、生活保護の急増は(2011年度予想生活保護費2,888億円、内1/4大阪市民税)、支援活動があるなど生活しやすいためであって、保護目的で移住する人や、他の自治体窓口で大阪までの片道の電車賃をもらい移住する人もいる。
「西成区」の生活保護者の出身地は、九州+沖縄が22%、中国+四国が20%、大阪以外の近畿が15%、大阪府が19%となっている。 大阪市が2009年12月に行なった調査によれば、半年以内に31都府県から「大阪市」に転入(+帰郷)しているのは生活保護者のうちおよそ10%程度である。。
学校
保育園
- わかくさ保育園 - 萩之茶屋二丁目
小学校
- 大阪市立萩之茶屋小学校 - 萩之茶屋一丁目
中学校
- 大阪市立今宮中学校 - 花園北一丁目
大学
- 米国UNION神学大学日本連絡所 - 萩之茶屋三丁目
主な施設
- 西成警察署 - 萩之茶屋二丁目
- 西成消防署海道出張所 - 萩之茶屋三丁目
- 西成労働福祉センター - 萩之茶屋一丁目
- あいりん労働公共職業安定所 - 萩之茶屋一丁目
- 大阪社会医療センター付属病院 - 萩之茶屋一丁目
- 西成市民館 - 萩之茶屋二丁目
- 太子会館・老人憩の家 - 太子一丁目
- 愛隣会館 - 太子一丁目
主な団体
- NPO 釜ヶ崎支援機構 - 萩之茶屋一丁目
- 釜ヶ崎キリスト教協友会 - 萩之茶屋二丁目
- カトリック大阪大司教区 こどもの里 - 萩之茶屋二丁目
- 社会福祉法人釜ヶ崎ストロームの家のぞみ作業所 - 萩之茶屋二丁目
- 釜ヶ崎地域合同労組 - 萩之茶屋二丁目
- 21世紀イエスキリスト釜ヶ崎福音教会 - 萩之茶屋三丁目
- 救世軍西成小隊 - 天下茶屋一丁目
- 釜ヶ崎炊き出しの会 - 萩之茶屋二丁目
- 釜ヶ崎勝ちとる会 - 天下茶屋北二丁目
- NPO 釜ヶ崎のまち再生フォーラム - 太子二丁目
- 釜ヶ崎講座
- 大阪救霊会館 - 太子一丁目
地域をめぐる問題
住民登録問題
あいりん地区にある釜ヶ崎解放会館などに住民登録をしていた労働者の相当数が実際には登録場所に居住の実態が無い状態が発覚したため、2007年以降に大阪市が実態調査をすすめており居住実態のない住民登録を順次抹消している。これに対し労働者や支持者は、選挙権など公民権が剥奪されるため反対運動を続けている。各政党にも協力を要請したが、自由民主党から日本共産党に至るまでこれを黙殺したという。
これまでに市は市内全域で調査を進めており、同年3月下旬からこれまでに約3,290人の住民登録が抹消された。あいりん地区がある西成区の場合、西成区役所が8月2日から10月16日までに調査を実施。同一住所・同一建物で10人以上が住民登録している簡易宿泊所など151施設を抽出し1部屋に数人が登録されているなど不自然な点があった117施設には実際に職員が出向いて実態調査を行い、4,591人分の居住実態を聞き取った。住民登録されていた人のうち817人は実際に居住、66人は死亡、413人は調査日までに住所変更を届け出ていた。西成区役所では今後とも毎年調査を行うほか、住民登録が抹消された人も居住実態が確認できれば改めて登録を行うとしている。
経緯
- 失跡中の福岡県警の元警察官がインターネットを通じて入手した西成区の無職男性名義の住民票などを示し、男性になりすまして転居届を京都市に提出していたことが発覚。逮捕された男の前住所を調べる中で釜ヶ崎解放会館の住所に約3,300人もの住民登録がなされていることがわかった。
- 2006年12月20日
- 釜ヶ崎支援機構に129人、ふるさとの家に27人が架空登録していたことが新たに判明。27日、両者は市に対し、慎重な対処を求める要望書を提出した。
- 市は居住実態のない住民登録を職権で削除することを正式に決め24日、釜ヶ崎解放会館に立ち入り調査しようとしたが労働者らの抗議で阻止された。
- 2007年2月15日
- 労働者と支援者ら約40人が4月の統一地方選挙での選挙権がなくなるなどとして住民登録の削除に反対する約600人分の署名を提出しようと市役所を訪れたが、1階市民ロビーで市長室へ行くのを阻もうとする市側の警備職員との間でもみあいになり一時騒然となった。同日、釜ヶ崎合同労働組合などが総務省(住民基本台帳の担当官庁)と厚生労働省(日雇い雇用保険手帳(白手帳)や生活保護の担当官庁)に出向き、本件について質問。総務省は「住民登録を削除するかどうかは市町村が決めること。大阪市の住民登録抹消の件は、報道を通じて初めて知った。大阪市からは何の相談も受けてない」と回答。一方、厚生労働省は「住民登録抹消について大阪労働局(国の機関)と大阪市が何回か会合を持った」と回答した。
- 2007年2月23日
- 市は住民登録が継続している2,648人に対し、住民登録を抹消することを通知する「住民票消除予告書」を発送。これに対し26日、労働者や支援者らは抗議のデモ行進を行い、大阪市役所前での抗議の座り込みを夕方まで続けた。
- 2007年3月9日
- 市と労働者側との協議が行われた。この中で、当月中の登録抹消方針を繰り返す市側に対し労働者側は「従来認めていた登録や選挙権をなくすな」などと反発、話し合いは平行線に終わった。16日、市長關淳一は定例記者会見で住民登録削除については24日以降に対応を決めることを明らかにした。
- 2007年3月23日
- 市が設定した3週間の登録抹消延期期間が終了。この間に正規の住所地に住民票を異動させたのは約200人だけで、なお約2,200人が施設に住民登録していることがわかった。
- 2007年3月26日
- 市選挙管理委員会は、市長關あてに早急に住民登録の適正化を図るよう求める依頼書を提出した。同日、市が住民登録を抹消するのは違法だとして労働者の男性が抹消の差し止めを大阪地裁に提訴(判決が確定するまで抹消を差し止める仮処分も併せて提訴)。
- 2007年3月29日
- 市は、住民基本台帳法に基づき登録の抹消手続きを行った。この結果、2,088人が選挙権などの公民権を剥奪された。一方、4月8日の大阪市議・大阪府議選挙で投票所を訪れた44人のうち9人の投票が認められた(投票所の特設ブースで選挙区内での居住実態が確認され住民登録を回復したため。残る35人については「路上や公園に住んでおり確認できない」などとして投票できなかった)。
- 2007年4月23日
- 市は区役所で窓口業務を担当した職員が居住実態がないことを知りながら登録を認めたケースが多かったとして、現職を含む歴代の区長4人を懲戒処分(戒告)処分とした。
- 2007年5月21日
- 居住実態がないとして住民登録を抹消され、4月の大阪市議選で投票できなかった日雇い労働者の男性が経済的事情で一定の住居に住めないことを理由に選挙権を侵害したのは憲法違反として市と大阪府、国の三者に慰謝料5,000円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を大阪地裁に提訴。
- 2007年7月25日
- 市選挙管理委員会は、29日の参議院選挙での投票は可能とする見解を示した。
- 2007年7月26日
- 居住実態がないと判断された日雇い労働者ら計2,016人の住民登録が抹消された釜ヶ崎解放会館に、参議院選挙の選挙はがき120通が届いていたことが分かった。西成区が3月に削除した際、住所欄に釜ヶ崎解放会館の名前を書かず、地番のみしかなかった住民票を除外したのが原因とみられる。市は調査の結果9月14日、120人分の登録を居住実態がないとして抹消したと発表。住所に建物名が入っていなかったため、「全員の居住実態を確認する時間がない」として放置していたという。
- 2007年10月30日
- 市は同地区内で新たに777人の登録を抹消したと発表。
- 2007年11月18日
- 市長選挙の西成区投票所に、住民登録を抹消された日雇い労働者や支援者ら十数人が詰め掛け「投票させろ」「住民票はなくても投票権はあるはずだ」と抗議した。
暴動
西成暴動参照
あいりん地区では、たびたび暴動が発生している。
- 第1次暴動
- 1961年8月1日に釜ヶ崎の日雇労働者の老人が交通事故に遭った際、通報で現場に駆けつけた西成署員が即死と断定、派出所前の歩道に遺体を放置したまま20分も現場検証を続けたのちに近くの病院へ収容したことに対し、周りの労働者が抗議し暴動に発展、負傷者を多く出した事件。本来は、首がもげているなど明らかに死んでいる場合以外は、医師しか死亡を確認出来ない。
- 労働者は西成警察署を包囲し、パトカーや付近に駐車していた車を横倒しにしたりアパートに放火したりするなどと現場は騒然となった。これに対し大阪府警は警官隊を6,000人に増員し応戦。暴徒を警棒と警備車によって鎮圧した際、負傷者を出す事態となった。2,000人に上る労働者らの暴動は2日間続き、この結果28人を逮捕したほか、労働者数10人、警察官約100人が負傷した。
- この事件は当時の国会や大阪府議会、大阪市議会でも取り上げられ、それに基づき医療費を自治体が負担するなど対策が実施されたが、その後も暴動は幾度となく続いた。そのため、地域のイメージ向上のため1966年5月、大阪市・大阪府・大阪府警による「三者連絡協議会」において釜ヶ崎地区の名称を「あいりん地区」とすることが決められ、以後、国や自治体などの行政機関と報道機関では同名称が用いられている。ただし近年、市や府の行政用語としては「地区」という語句を用いず、「あいりん」または「あいりん地域」として表記されていることが多い。
- またこのとき、今池駅を出発した恵美須町駅行き阪堺線電車は、暴徒化した群衆の投げる石つぶてによりガラスを割られるなどの被害(ただし、乗客乗員は無事)を受けたため、のちに今池駅から恵美須町駅までの軌道敷にアスファルトをかぶせるようになった。
- 第22次暴動
- 1973年の第21次暴動より約17年間の空白期があったが1990年10月2日からおよそ5日間、大規模な暴動が発生した。
- 暴動の発端は西成警察署刑事課の刑事が暴力団から賄賂を受けていたことが発覚し逮捕されたという報道による。事件そのものは労働者と直接の関連はないが、労働者が西成署員に対して普段から快く思っていなかった事や自分達の日当を暴力団にピンはねされ、その暴力団から賄賂を受け取っていた事から日頃の不満や怒りが爆発したもの。事件報道を受けて西成警察署前に集まり始め謝罪と説明を要求ののち、警察とにらみ合いの末に暴動に発展した。これを契機として、あいりん地区の各地に暴動が飛び火する事態となる。
- さらには報道で暴動騒ぎを知った区内外の若者達(主として暴走族)も便乗して参加、火炎瓶の使用や投石、店舗からの略奪などを行って暴動をエスカレートさせたが、これはそれまでの西成暴動には見られない出来事であった。西成署は機動隊を配備(のち、各署にも応援を要請)し、放水車を使って暴動に対処。逮捕者は数十名に上った。暴動自体は発生から6日後に自然に鎮静化したものの阪堺線南霞町駅が放火されて全焼(後に仮設駅で営業を再開するが、元の位置には戻ることはなかった)したほか、近隣店舗が破壊されるなど傷跡は深く残った。
- 暴動空白期
- ただし暴動ではないが、2004年12月3日夕方、あいりん地区にある「釜ヶ崎地域合同労働組合」が西成警察署前で「警官が労働者に暴行を加えた」として抗議した際に同署前に約250人の労働者が詰め掛け、100人以上の警察官らが付近の警戒に当たるなど騒然となったことがある。
- 第24次暴動
- 2008年6月13日に約200人、14日と15日には約300人の小規模暴動が西成警察署前にて発生し、続く16日、17日まで5夜連続で起きている。大阪府警は、18人を逮捕、18人の警察官が負傷したと公表している。暴動の原因は、飲食店にて店員とトラブルになった労働者が大阪府警西成署に連行され、事情聴取された事件である。
- 労働者(失業中)の主張によれば、飲食店にお好み焼きの取り置きを頼んで700円を先払いしたが、店員は「わかった、わかった」とつっけんどんな態度を取った。そこでお好み焼きを取りに行った時に苦情を言ったが、「営業妨害だ」と通報され、そのまま連行されてしまった(なお700円は返されたという)。事情聴取の際に署員に殴る蹴るの暴行を受け、首を絞められ、顔にスプレー噴射され、二度と飲食店に立ち入らないと約束しなければ生活保護を取り消すと脅されたと主張。釜ヶ崎地域合同労働組合が「労働者が警官に暴行を受けた」とするビラを配布、謝罪を求める抗議行動の呼びかけに呼応して労働者が集まったとされている。大阪府警は、事情聴取の際に暴力などはなかったとして「事実無根」と反論している。
- 投石などに対し警察は機動隊の放水などで対処した。また産経新聞は、暴動は逮捕された釜ヶ崎地域合同労働組合委員長の稲垣浩(ただし、被疑は道路交通法違反)による扇動と主張している。
年中行事
1970年以降、釜ヶ崎のホームレスやその支援者達が越冬闘争と呼ばれる取り組みを行うようになり、1971年に行政への要求活動として萩之茶屋南公園(三角公園)において決起集会が開かれたが、越年対策実行委員会が決起集会の余興で始めた相撲大会が決起集会そのものよりも盛り上がり、その後の決起集会でも余興は恒例となりさらなる盛り上がりを見せた。さらに夏祭りも行うようになり、地場の暴力団組織の介入(テキ屋は暴力団の資金源である)も共闘して廃し、その後越年対策実行委員会がさまざまな変遷を経ても、ホームレスや日雇い労働者、日雇い労働者の支援組織、労働運動団体による地域恒例のイベントとして続いている。
- 1972年に第1回目が開催され、プロの歌手のライブステージ、スイカ割り大会、盆踊りなどが催される。また、亡くなった日雇労働者らを慰霊する祭壇も用意され、追悼も行われている。
- たそがれコンサート
- げんきまつり
- 演芸会の夕べ
- スイカ割り、つなひき、相撲大会、盆踊り
- 釜ヶ崎「寄ってき」まつり(秋期、10月の 第二土曜日~週明けの月曜日の3日間)
- 釜ヶ崎越冬祭り(12月30日~1月3日萩之茶屋南公園)
- 1969年の年末より毎年行われている。各種団体のアピール、プロの歌手やバンドのステージ、餅つき大会などが催される。
- のど自慢、卓球大会、餅つき、ソフトボール大会
その他
簡易宿所
地区および周辺には、簡易宿所(ドヤ)と呼ばれる労働者向けの宿泊施設が多く立地している。
最近はインターネットの普及によって知られたこともあり、周辺の簡易宿所やビジネスホテルがその割安感(1泊800円位)から外国人などの若い旅行者(バックパッカー)に人気がある。これは、徒歩圏内にある新今宮駅(JR・南海)と動物園前駅(地下鉄御堂筋線・堺筋線)などから大阪や関西の各地(天王寺、難波、心斎橋、梅田、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、神戸、京都、奈良、関西国際空港、和歌山など)への鉄道アクセスが充実していることや、同じく徒歩圏内にある日本橋電気街(でんでんタウン)の存在が背景にある。また、日雇い労働者の減少に悩む宿泊施設側も、居住性向上など設備の改修を行うほか、英語のポスター、ホームページなどで広告し、外国人旅行者の誘致を図っている。
ただし、一般向けではなく従来の顧客(日雇い労働者)を対象とした純然たる"ドヤ"として機能している施設も、萩ノ茶屋駅や今池駅の周辺など南側の地区を中心にまだまだ多い。この中には、路上生活者が生活保護の受給に必要な住所を得るため、アパートに衣替えするケースが増えている。
釜ヶ崎用語
- あいりん - 「釜ヶ崎」とおおむね同一地域を指す。なお、労働者はこの語を使わない。
- あおかん -(青空簡易宿泊)- 野宿。
- あんこ - 日雇い労働者のこと。語源は普段は眠っているが目の前に美味しいエサが現れるとパクッと食らいつく魚のアンコウに由来すると言われている(労働者は普段ゴロゴロしているが仕事があるとパクッと行くことから)。
- いんし - 日雇労働被保険者手帳に貼る雇用保険相当の印紙。印紙代は、1級176円・2級146円・3級96円。
- かま - 釜ヶ崎の略で、「釜」と表記することもある。「われわれ釜の労働者は - 」などと言う。
- かまきょう - 暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議。解散した。
- けいやく - 10日とか20日というように一定の期間を区切って飯場に入り働くこと。
- かまやん - ありむら潜(漫画家)の描く釜ヶ崎日雇い労働者のイメージキャラクター「カマやん」のこと。
- けたおち - ひどい。(日当が)安い。
- げんきん - 現金日払いの仕事。
- しけはり - ヤクザの賭場の見張り役。手入れ(捜査)の警察官など「ヤバい人間」が歩いてくると「しけーしけー」と仲間に注意をうながす。なお、安全ならば「てんてん」である。
- しのぎ - 他人の収入の強奪。
- しのぎや - 路上強盗。
- しょしき - 発生した賃金の範囲で、意思表示をして長靴や軍手など作業道具およびビールなど酒類を掛けで買うこと。
- せんたー - あいりん労働福祉センターのこと。あいりん労働公共職業安定所を指すこともある
- そーめんだい - 夏季一時金のこと。あいりん労働公共職業安定所では、日雇労働被保険者手帳を持つ人のうち一定資格の人に支給していたが、2004年度をもって廃止された。
- てちょう - 日雇労働被保険者手帳(日雇雇用保険の手帳)のこと。
- どや - 簡易宿所、簡易旅館とも。
- とんこ - 工事現場や飯場などから逃げること。
- にしなり - 「あいりん地区」や「釜ヶ崎」を指す。現地の労働者が使う。
- にっとう - 日当。
- にんてい - 日雇労働雇用保険で給付される給付金。
- もちだい - 冬季一時金のこと。あいりん公共職業安定所では、日雇労働被保険者手帳を持つ人のうち一定資格の人に支給していたが、2004年度をもって廃止された。
- 450(汚れ) - 西成警察署による日雇い労働者を指す蔑称。
指名手配犯の潜伏
2009年11月、公的懸賞金制度の適用で1千万円の報奨金が掛けられた市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件で容疑者が逮捕された際、容疑者が潜伏先としてあいりん地区を選び、更には仕事先もあいりん地区で探していたことが逮捕後の取材で明らかとなり、大きく報じられた。
関連作品
- がめつい奴(映画) - 1960年公開。
- 当りや大将(映画)
- 悪い奴(テレビドラマ) - 内田栄一作・和田勉演出。NHK教育テレビ『創作劇場』枠にて1961年9月9日放送。釜ヶ崎住民の男が国会議事堂に入って爆死する話。1960年に放送中止され、改めて制作・放送された。
- 釜ヶ崎(テレビドラマ) - 茂木草介作。朝日放送(ABCテレビ)の制作により、TBS系列『ナショナル日曜観劇会』枠にて1961年11月5日放送。第16回文部省芸術祭賞(現在の大賞)受賞作品。第1次暴動をモチーフに、日雇い労働者の姿を描く。
- じゃりン子チエ(漫画) - 萩之茶屋付近が舞台。
- 背徳のメス(小説) - 黒岩重吾 著。1961年の直木賞受賞作品。
- 『カマやん』シリーズ(漫画) - ありむら潜著。青年誌や新聞にて当地区を舞台に日雇い労働者の姿を描いた作品を連載。
- カマ・ティダ-大阪西成(写文集) - 砂守勝巳著、IPC発行。釜ヶ崎を主題としている。
- 未来世紀ニシナリ(映画) - 田中幸夫監督。釜ヶ崎を中心とした野宿者の自立支援など、西成の都市問題や街づくりを追う長編ドキュメンタリー映画(山本ケイ 著)
- この女(小説) - 森絵都 著。
- 釜ヶ崎人情(歌謡曲) - 作詞:もず唱平、作曲:三山敏、歌:三音英次。1967年発表。60万枚を売り上げるヒットとなった。
- (秘)色情めす市場 (映画) - 1974年公開。田中登監督。芹明香主演。釜ヶ崎で売春婦として生きている女性が主人公の日活ロマンポルノ。実際に釜ヶ崎でロケがされており、貴重な釜ヶ崎の風景を見ることができる。映画としての評価も高い。
- 追悼のざわめき (映画) - 1988年公開。松井良彦監督。釜ヶ崎を舞台のカルトムービー。
参考文献
- 加藤政洋、2002『大阪のスラムと盛り場—近代都市と場所の系譜学』創元社
- soul in釜ヶ崎、2008『貧魂社会ニッポンへ—釜ヶ崎からの発信』アットワークス
- 西本裕隆、2010『現代ホームレス事情—大阪西成・あいりん地区に暮らす人々を見つめて』鹿砦社