「岡山市」の版間の差分
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+ | === 人口 === | ||
+ | 岡山市の推計人口は現在70万人を超えており、現在増加傾向にある。これは若年層を中心とした働き手による社会増および自然増によると考えられる。(全政令指定都市18市中最少) | ||
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+ | また人口増加率についても先行政令市と比較しても比較的上位である。 | ||
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+ | == 歴史 == | ||
+ | === 古代から[[律令制|律令時代]]まで === | ||
+ | 古代の岡山は[[吉備国]]の一角であり、[[弥生時代]]と[[古墳時代]]には、[[筑紫国|筑紫]]・[[出雲国|出雲]]・[[ヤマト王権|ヤマト]]・[[毛野国|毛野]]などと並んで、[[日本列島]]を代表する政権として繁栄し、ヤマトと連合して列島の統一・治世に貢献した。 | ||
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+ | しかし、吉備の興隆を快く思わないヤマトに裏切られて勢力を削減され、[[備前国]]・[[備中国]]・[[備後国]]・[[美作国]]に分割され、これ以後現在に至るまで、経済・文化の面で連関の強い旧吉備国の政治的な統一は達成されていない。吉備国が分割された後、備前国の[[国府]]は現在の岡山市域内に置かれたと見られる。 | ||
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+ | === 戦国時代から天正期 === | ||
+ | 岡山周辺は[[室町時代]]までは農村地帯で、[[16世紀]]には[[金光氏]]が小規模な城を築いて拠点にしていた。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に岡山の地の交通の便と土地の広さに目を付けた[[宇喜多直家]]は[[1570年]]([[元亀]]元年)に[[金光宗高]]を謀反の疑いありとして切腹させて、[[岡山城]]を奪った。その後城を大規模に拡張し、[[山陽道]]を岡山経由に付け替えて、[[備前国]]内外の商人を呼び寄せ、[[1573年]]([[天正]]元年)に本拠にすべく移住した。直家が始めた城下町・岡山の振興は、[[宇喜多秀家|秀家]]の代にも続けられ、これ以後、岡山は主に備前国の政治経済の中心地となった。 | ||
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+ | 宇喜多秀家が[[関ヶ原の戦い]]で没落すると、[[1601年]]([[慶長]]6年)に[[小早川秀秋]]が岡山城に入った。秀秋は翌[[1602年]](慶長7年)に死に、小早川家は断絶した。[[1603年]](慶長8年)には[[池田忠継]]が入り、以後[[江戸時代]]を通じて、岡山は[[池田氏]]の[[城下町]]となった。 | ||
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+ | 城下町としての岡山は発展を続け、池田氏第四代の[[池田綱政|綱政]]の代である[[1707年]]([[宝永]]4年)には町方人口が3万0635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万~5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。[[後楽園]]が造成されたのもこの時期である。しかるに町方人口は[[享保]]の頃から暫減し、幕末の[[1858年]]([[安政]]年)には2万0092人となる。これは岡山藩の新田開発による農村商業の発達とは対照的であり、藩当局が農村から都市への人口流入を抑制する政策をとったことによるものとみられる。その後も順調に発展し、江戸時代末期には、十指に入る経済力を持つ城下町となった(江戸時代後期の大手の城下町:[[鹿児島市|鹿児島]]・[[熊本市|熊本]]・[[広島市|広島]]・岡山・[[徳島市|徳島]]・[[名古屋市|名古屋]]・[[金沢市|金沢]]・[[仙台市|仙台]])。 | ||
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+ | === 明治維新から第二次大戦まで === | ||
+ | [[明治]]4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]])の[[廃藩置県]]により、岡山は[[岡山県]]の県庁所在地となり、[[1889年]](明治22年)には市制を敷いた。市制施行当時、面積5.77km²、人口4万7564人。[[1920年]]([[大正]]9年)には人口9万4585人を数えた。 | ||
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+ | [[第二次世界大戦|第二次大戦]]末期の[[1945年]]([[昭和]]20年)[[6月29日]]の[[岡山空襲]]で大きな被害を受け、1000人以上が犠牲となり、10万人以上が家を失った。 | ||
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+ | 戦後は順調に発展し、周辺市町村との[[市町村合併|合併]]を進めた。[[1960年]](昭和35年)頃には、[[倉敷市]]を含めた県南広域都市の構想を岡山県知事が提唱したが、倉敷市長の失踪に端を発する騒動により、白紙撤回された。 | ||
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+ | [[1972年]](昭和47年)[[3月15日]]には[[山陽新幹線]][[岡山駅]]が開業、[[1988年]](昭和63年)[[3月20日]]には[[瀬戸大橋線]]が開業し、以来は鉄道交通の要衝となっている。 | ||
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+ | 2007年(平成19年)[[6月26日]]夕方に、市の人口が70万人を突破した。 | ||
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+ | == 政治・行政 == | ||
+ | === 市長 === | ||
+ | ; 現職市長 | ||
+ | [[高谷茂男|髙谷茂男]] (たかや しげお、[[2005年]](平成17年)[[10月11日]]~。第33・34代市長。2期目) | ||
+ | ;副市長 | ||
+ | * 村手聡 (むらて さとし) | ||
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+ | | 時実秋穂 | ||
+ | | [[1938年]](昭和13年)3月19日~1940年(昭和15年)1月8日 | ||
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+ | | 国富友次郎 | ||
+ | | [[1940年]](昭和15年)9月4日~1944年(昭和19年)9月3日 | ||
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+ | | 竹内寛 | ||
+ | | [[1944年]](昭和19年)9月4日~1945年(昭和20年)10月9日 | ||
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+ | | 橋本富三郎 | ||
+ | | [[1945年]](昭和20年)11月22日~1947年(昭和22年)2月22日 | ||
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+ | | 田中弘道 | ||
+ | | [[1947年]](昭和22年)4月6日~1951年(昭和26年)3月24日 | ||
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+ | | 横山昊太 | ||
+ | | [[1951年]](昭和26年)4月23日~1955年(昭和30年)4月12日 | ||
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+ | | 田淵久 | ||
+ | | [[1955年]](昭和30年)5月1日~1959年(昭和34年)4月30日 | ||
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+ | | 寺田熊雄 | ||
+ | | [[1959年]](昭和34年)5月1日~1963年(昭和38年)4月30日 | ||
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+ | | 22 | ||
+ | | 岡﨑平夫 (1期) | ||
+ | | [[1963年]](昭和38年)5月1日~1967年(昭和42年)4月30日 | ||
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+ | | 岡﨑平夫 (2期) | ||
+ | | [[1967年]](昭和42年)5月1日~1971年(昭和46年)4月30日 | ||
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+ | | 24 | ||
+ | | 岡﨑平夫 (3期) | ||
+ | | [[1971年]](昭和46年)5月1日~1975年(昭和50年)4月30日 | ||
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+ | | [[1975年]](昭和50年)5月1日~1979年(昭和54年)4月30日 | ||
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+ | | 岡﨑平夫 (5期) | ||
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+ | | 松本一 (1期) | ||
+ | | [[1983年]](昭和58年)5月1日~1987年(昭和62年)4月30日 | ||
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+ | | 松本一 (2期) | ||
+ | | [[1987年]](昭和62年)5月1日~1991年(平成3年)1月14日 | ||
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+ | | 安宅敬祐 (2期) | ||
+ | | [[1995年]](平成7年)2月10日~1999年(平成11年)2月9日 | ||
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+ | | [[萩原誠司]] (1期) | ||
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+ | | 萩原誠司 (2期) | ||
+ | | [[2003年]](平成15年)3月24日~2005年(平成17年)8月25日 | ||
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+ | | [[高谷茂男|髙谷茂男]] (1期) | ||
+ | | [[2005年]](平成17年)10月11日~2009年(平成21年)10月10日 | ||
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+ | | 髙谷茂男 (2期) | ||
+ | | [[2009年]](平成21年)10月11日~現職 | ||
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+ | === 市役所組織 === |
2009年12月23日 (水) 21:27時点における版
岡山市 | ||
国/地方 | 日本 | |
都道府県 | 岡山県 | |
団体コード | 33100-7 | |
面積 | km² 境界未定:なし
| |
総人口 | - 人 ( )
| |
人口密度 | - 人 /km² | |
隣接自治体 | 倉敷市、玉野市、総社市、 備前市、瀬戸内市、赤磐市、 加賀郡吉備中央町、 久米郡久米南町、美咲町、 都窪郡早島町 海上で隣接 香川県:小豆郡土庄町 | |
市の木 | クロガネモチ | |
市の花 | キク | |
市の花木 | サルスベリ | |
岡山市役所 | ||
市長 | ||
所在地 | 〒700-8544 岡山県 岡山市北区大供一丁目1番1号 | |
位置 | ||
テンプレート:基礎自治体位置図 | ||
特記事項: | ||
岡山市(おかやまし)は、中国地方の南東部、岡山県の南部に位置する政令指定都市で、同県の県庁所在地である。
目次
概要
全国的には桃太郎の伝説と吉備団子や西大寺会陽(裸祭り)、温暖な瀬戸内の気候により育まれたマスカット・オブ・アレキサンドリアや白桃など高級フルーツの産地として知られる都市である。中心部には岡山城 や日本三名園の一つである後楽園を市民のオアシスとして擁している。岡山藩池田氏の城下町として栄えた江戸時代以来、地域中心都市として発展してきた高層ビルの立ち並ぶ中心部と、長閑な田園や中山間地域が広がる郊外の豊かな自然とが調和した都市環境を持っている。
1980年代以降の瀬戸大橋の開通、JR線の四国との直通化、山陽自動車道の開通に伴い交通インフラが急速に整備され、岡山都市圏は周辺都市圏と共に東瀬戸経済圏として成長してきた。
広大な平野を背景に中四国のクロスポイントとして交通網が整備され、一大物流ハブという優位性を持つ。都市部人口増加率は先行政令指定都市と比較しても上位に位置する。
2009年4月1日に全国で18番目、中国・四国地方では広島市に次いで2番目となる政令指定都市に移行した。
地理
地勢
市の北部はなだらかな丘が続く吉備高原の一角をなしており、市民の水がめである旭川ダムや、利便性の良さから利用客が増大している岡山空港、および近郊住宅街がある。瀬戸内海に注ぐ旭川と吉井川、2つの一級河川の運搬・堆積作用によって形成された南部の岡山平野に中心市街地が位置しており、さらに平野の南部は江戸時代以降の干拓地であり農地が広がり穀倉地帯をなしている。その南に児島湾を挟み、瀬戸内海を望む風光明媚な児島半島の丘陵地を成す。
気候
{{#ifeq:|imperial
|岡山 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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気候表(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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岡山 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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気候表(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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|
}} 北を中国山地、南を四国山地に挟まれた瀬戸内海沿岸部に位置するため、典型的な瀬戸内海式気候に属す。温暖で日照時間は年間約2000時間と長く、年間降水量は1100mm程度と雨・雪は全国的に見て非常に少ない。
春季と秋季では移動性の高気圧に覆われ快晴となる日が多く、太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」が起るため、熱帯夜になることがしばしばある。しかし毎年幾度となく日本列島に来襲する台風やその影響による風雨も、中国山地や四国山地の山々によって弱められることが多く、災害に見舞われることは少ない。また、冬季においては北東季節風が中国山地にさえぎられるため降雪は少なく、雪が降った場合でも積雪する事はほとんどない。1989年以降、降水量1mm以上の降水日数が全国の県庁所在地では最少であるため、「晴れの国」をキャッチフレーズとしている。
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温(°C) | 4.8 | 5.1 | 8.4 | 14.3 | 19.0 | 22.9 | 26.9 | 27.9 | 23.7 | 17.6 | 12.1 | 7.0 | 15.8 |
平均最高気温(°C) | 8.9 | 9.4 | 12.9 | 19.2 | 24.1 | 27.2 | 31.2 | 32.1 | 27.7 | 22.1 | 16.5 | 11.4 | 20.2 |
平均最低気温(°C) | 1.0 | 1.0 | 3.8 | 9.3 | 14.1 | 19.1 | 23.5 | 24.2 | 20.0 | 13.4 | 7.8 | 2.8 | 11.7 |
日照時間(h) | 146.8 | 141.5 | 167.0 | 186.7 | 201.4 | 158.6 | 179.5 | 200.0 | 153.3 | 170.5 | 149.1 | 155.4 | 2009.8 |
降水量(mm) | 32.8 | 45.8 | 83.2 | 102.4 | 115.2 | 185.8 | 160.0 | 90.9 | 160.2 | 87.5 | 51.2 | 26.2 | 1141.0 |
降水日数(日) | 4.7 | 5.5 | 8.7 | 9.4 | 9.0 | 11.3 | 9.2 | 6.6 | 8.9 | 6.9 | 5.1 | 4.0 | 89.1 |
隣接する自治体
人口
岡山市の推計人口は現在70万人を超えており、現在増加傾向にある。これは若年層を中心とした働き手による社会増および自然増によると考えられる。(全政令指定都市18市中最少)
また人口増加率についても先行政令市と比較しても比較的上位である。
600px | |
岡山市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 岡山市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 岡山市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
岡山市(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/33 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
古代から律令時代まで
古代の岡山は吉備国の一角であり、弥生時代と古墳時代には、筑紫・出雲・ヤマト・毛野などと並んで、日本列島を代表する政権として繁栄し、ヤマトと連合して列島の統一・治世に貢献した。
しかし、吉備の興隆を快く思わないヤマトに裏切られて勢力を削減され、備前国・備中国・備後国・美作国に分割され、これ以後現在に至るまで、経済・文化の面で連関の強い旧吉備国の政治的な統一は達成されていない。吉備国が分割された後、備前国の国府は現在の岡山市域内に置かれたと見られる。
戦国時代から天正期
岡山周辺は室町時代までは農村地帯で、16世紀には金光氏が小規模な城を築いて拠点にしていた。戦国時代に岡山の地の交通の便と土地の広さに目を付けた宇喜多直家は1570年(元亀元年)に金光宗高を謀反の疑いありとして切腹させて、岡山城を奪った。その後城を大規模に拡張し、山陽道を岡山経由に付け替えて、備前国内外の商人を呼び寄せ、1573年(天正元年)に本拠にすべく移住した。直家が始めた城下町・岡山の振興は、秀家の代にも続けられ、これ以後、岡山は主に備前国の政治経済の中心地となった。
江戸時代
宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで没落すると、1601年(慶長6年)に小早川秀秋が岡山城に入った。秀秋は翌1602年(慶長7年)に死に、小早川家は断絶した。1603年(慶長8年)には池田忠継が入り、以後江戸時代を通じて、岡山は池田氏の城下町となった。
城下町としての岡山は発展を続け、池田氏第四代の綱政の代である1707年(宝永4年)には町方人口が3万0635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万~5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。後楽園が造成されたのもこの時期である。しかるに町方人口は享保の頃から暫減し、幕末の1858年(安政年)には2万0092人となる。これは岡山藩の新田開発による農村商業の発達とは対照的であり、藩当局が農村から都市への人口流入を抑制する政策をとったことによるものとみられる。その後も順調に発展し、江戸時代末期には、十指に入る経済力を持つ城下町となった(江戸時代後期の大手の城下町:鹿児島・熊本・広島・岡山・徳島・名古屋・金沢・仙台)。
明治維新から第二次大戦まで
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県により、岡山は岡山県の県庁所在地となり、1889年(明治22年)には市制を敷いた。市制施行当時、面積5.77km²、人口4万7564人。1920年(大正9年)には人口9万4585人を数えた。
第二次大戦末期の1945年(昭和20年)6月29日の岡山空襲で大きな被害を受け、1000人以上が犠牲となり、10万人以上が家を失った。
第二次大戦後
戦後は順調に発展し、周辺市町村との合併を進めた。1960年(昭和35年)頃には、倉敷市を含めた県南広域都市の構想を岡山県知事が提唱したが、倉敷市長の失踪に端を発する騒動により、白紙撤回された。
1972年(昭和47年)3月15日には山陽新幹線岡山駅が開業、1988年(昭和63年)3月20日には瀬戸大橋線が開業し、以来は鉄道交通の要衝となっている。
1996年(平成8年)には、国から中核市に指定された。その後の2005年(平成17年)3月22日、隣接する御津郡御津町・児島郡灘崎町の2町を編入、2007年(平成19年)1月22日、隣接する御津郡建部町・赤磐郡瀬戸町の2町を編入した。
2007年(平成19年)6月26日夕方に、市の人口が70万人を突破した。
2009年4月1日に政令指定都市に移行し、区制が施行され、北区・中区・東区・南区が設置された。
政治・行政
市長
- 現職市長
髙谷茂男 (たかや しげお、2005年(平成17年)10月11日~。第33・34代市長。2期目)
- 副市長
- 村手聡 (むらて さとし)
- 佐古親一 (さこ しんいち)
- 歴代市長
歴代 | 氏名 | 在任期間 |
---|---|---|
1 | 花房端連 | 1889年(明治22年)9月17日~1890年(明治23年)10月30日 |
2 | 新庄厚信 | 1890年(明治23年)10月30日~1894年(明治27年)年5月15日 |
3 | 小田安正 (1期) | 1894年(明治27年)7月4日~1900年(明治33年)7月3日 |
4 | 小田安正 (2期) | 1900年(明治33年)8月8日~1902年(明治35年)7月10日 |
5 | 岡田磐 (1期) | 1902年(明治35年)7月25日~1908年(明治41年)7月24日 |
6 | 岡田磐 (2期) | 1908年(明治41年)年7月28日~1914年(大正3年)年7月23日 |
7 | 岡田磐 (3期) | 1914年(大正3年)8月3日~1918年(大正7年)8月2日 |
8 | 中山寛 | 1918年(大正7年)10月19日~1922年(大正11年)10月18日 |
9 | 窪谷逸次郎 (1期) | 1923年(大正12年)5月10日~1927年(昭和2年)5月9日 |
10 | 窪谷逸次郎 (2期) | 1927年(昭和2年)5月10日~1928年(昭和3年)8月18日 |
11 | 守屋松之助 (1期) | 1929年(昭和4年)2月25日~1932年(昭和7年)12月12日 |
12 | 守屋松之助 (2期) | 1933年(昭和8年)3月16日~1933年(昭和8年)8月2日 |
13 | 石原市三郎 | 1934年(昭和9年)2月25日~1938年(昭和13年)2月24日 |
14 | 時実秋穂 | 1938年(昭和13年)3月19日~1940年(昭和15年)1月8日 |
15 | 国富友次郎 | 1940年(昭和15年)9月4日~1944年(昭和19年)9月3日 |
16 | 竹内寛 | 1944年(昭和19年)9月4日~1945年(昭和20年)10月9日 |
17 | 橋本富三郎 | 1945年(昭和20年)11月22日~1947年(昭和22年)2月22日 |
18 | 田中弘道 | 1947年(昭和22年)4月6日~1951年(昭和26年)3月24日 |
19 | 横山昊太 | 1951年(昭和26年)4月23日~1955年(昭和30年)4月12日 |
20 | 田淵久 | 1955年(昭和30年)5月1日~1959年(昭和34年)4月30日 |
21 | 寺田熊雄 | 1959年(昭和34年)5月1日~1963年(昭和38年)4月30日 |
22 | 岡﨑平夫 (1期) | 1963年(昭和38年)5月1日~1967年(昭和42年)4月30日 |
23 | 岡﨑平夫 (2期) | 1967年(昭和42年)5月1日~1971年(昭和46年)4月30日 |
24 | 岡﨑平夫 (3期) | 1971年(昭和46年)5月1日~1975年(昭和50年)4月30日 |
25 | 岡﨑平夫 (4期) | 1975年(昭和50年)5月1日~1979年(昭和54年)4月30日 |
26 | 岡﨑平夫 (5期) | 1979年(昭和54年)5月1日~1983年(昭和58年)4月30日 |
27 | 松本一 (1期) | 1983年(昭和58年)5月1日~1987年(昭和62年)4月30日 |
28 | 松本一 (2期) | 1987年(昭和62年)5月1日~1991年(平成3年)1月14日 |
29 | 安宅敬祐 (1期) | 1991年(平成3年)2月12日~1995年(平成7年)2月9日 |
30 | 安宅敬祐 (2期) | 1995年(平成7年)2月10日~1999年(平成11年)2月9日 |
31 | 萩原誠司 (1期) | 1999年(平成11年)2月10日~2003年(平成15年)2月9日 |
32 | 萩原誠司 (2期) | 2003年(平成15年)3月24日~2005年(平成17年)8月25日 |
33 | 髙谷茂男 (1期) | 2005年(平成17年)10月11日~2009年(平成21年)10月10日 |
34 | 髙谷茂男 (2期) | 2009年(平成21年)10月11日~現職 |