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騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。 | 騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。 | ||
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2012年2月15日 (水) 10:32時点における最新版
亀田史郎(かめだ しろう、1965年5月22日 - )は、元協栄ジム所属のボクシングトレーナー。亀田三兄弟の父親にして、三匹のボクシングの指導者。雑誌やスポーツ新聞等では「亀父」とも表記される。三兄弟がボクサーとしてデビューし、報道における露出が多くなるにつれて、トレーナーでもある父親の史郎も注目を浴びるようになった。その独特の教育法、指導スタイルや暴言など言動を巡って、物議を醸している。血液型はB型。身長170cm。亀田家の中でも随一の気違いであり、彼はいろいろな人物から批判を受けているため、逃げ場はほとんど無いようだ。
目次
略歴[編集]
兵庫県姫路市生まれ、大阪府大阪市西成区育ち。 本人曰く中学時代は喧嘩番長で、「西成区にある中学の三年生番長全員をぶちのめした」と発言している。地元西成区では、彼自身も2人の兄と共に「亀田三兄弟」としてある意味「有名」だったという。 プロボクサーを目指し、進光ジム(現新日本大阪ジム)に通い、中学卒業後に正式に入門する。だが、同時に中学卒業後に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。20歳の時、1歳年上の女性と結婚するが、のちに子どもたちの教育方針をめぐり2003年に離婚し、子供を引き取る。その後生まれた息子達に自分の夢を託すという形で、息子達に幼いころからボクシング、空手などの格闘技の道を歩ませた。その話題性のためプロデビュー以前から、一部のマスコミ(特にTBS、デイリースポーツ)が父親と三兄弟に密着していた。現在は「勝つしかない」→「かつしかない」→「葛飾内」ということで、東京都葛飾区在住。
元大関琴風(尾車親方)のファンであり、長男の興毅の名は彼の現役時代の四股名「琴風豪規」にちなんでいる。ロックバンド「T-BOLAN」のファンで、森友嵐士を息子の試合や合宿に招待。合宿で食事を共にし、2006年8月2日に行われた亀田興毅のWBAライトフライ級タイトルマッチでの君が代独唱を依頼した。
指導方法とボクシングスタイル[編集]
「三兄弟全員を世界チャンピオンにさせたる!」と公言してはばからず、以下のようなボクシング指導を行っていると伝えられる。
- 「世界のジャブ」 - 一対一で行う。史郎がモリやホウキの先端にグローブをつけたもので高速のジャブを繰り出し、息子たちがそれを避けるというもの。何度もモリが刺さり、流血した。
- 「砂袋アッパー」 - 両腕に砂袋を装着、その状態でアッパーの練習をするというもの
- 「畳ミット」 - サンドバッグよりも拳を鍛えられる畳を殴った方がパンチが強くなるとの理論
- 「丸太スクワット」
- 「しごき棒」
- 「ピンポン玉よけ」 - 数メートル離れた場所から史郎がピンポン玉を投げ、それを興毅らが避ける。動体視力の特訓になるという。
これらは「マンガなどを参考にした思いつきの指導方法ではないか」「基本を理解していない」「相手を倒すための練習じゃなく、サンドバッグを殴るための練習だ」「スポーツ科学の知識はあるのか」「精神論だけだ」などの批判を受けている。
だが、批判もある一方で、「今までのボクシング界には無い斬新な練習方法だ」と史郎の練習方針に賛同する意見も一部ではあり、長男興毅を、経過はどうであれ世界チャンピオンにまで育て上げた実績があると主張する者もいるが、対戦相手にプロライセンスすら持っていなかった選手がいたことや、反則行為での勝利については言及していない。
その指導法を支持する日本ウェルター級のランカー渡部信宣は、リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変えて、弟子入りした。
ボクシングスタイルとしては、フットワークを使わずガードを固め、常に前進し続ける。フットワークを使わず頭部のみ防御し、ボディの防御は一切捨てると言う普通では採用しにくいスタイルであり、ボディに自信を持つ三兄弟独特のスタイルとも言える。退屈でつまらないスタイルとの評価もあり、ガードを固めてポイント稼ぎをする消化不良の試合とメディアに書かれることも多い。またバッティングも頻繁に起こることから、このスタイルに対しての批判も多い。 現在、亀田興毅と亀田和毅は亀田ジムを離れて別のトレーナーから指導を受けている。
この亀田流ファイトスタイルに関しては「ジャブを打たなさすぎる」「後ろに下がらなさすぎる」等として、スタイルそのものを疑問視する声が多い。一方で、ジャブを撃たない分、相手が見せた隙を逃さず両腕どちらからでも強打で合わせられる点から、ボディや目に自信を持つ選手ならばこのスタイルを採用してもおかしくは無いとの声もあるが、亀田興毅及び亀田大毅の試合では亀田側によるバッティングやローブローなどが異常なまでに多発していることから、このスタイルにたいして批判が多い。フットワークは使わず常にガードをして前進するため、相手のジャブをまともに被弾している印象を受けるが、頭部のディフェンスを固めている為、印象と違いクリーンヒットは少ない。
亀田興毅世界王者決定後の論争[編集]
長男興毅が2006年8月2日、WBAライトフライ級世界タイトル戦に判定勝利した後、疑惑の判定との声が多く寄せられたため、その位置づけをめぐり論争となったが、父でありトレーナーでもある史郎自身もテレビ出演するなどして当事者として論争に参加した。
また、興毅が世界戦の前に「ベルトはおやじに渡したい」と発言していたことを受けて、WBAは、亀田史郎に対する特製チャンピオンベルトを事前に用意。「勝利」確定後、史郎に授与した。多くの人が「安いドラマだ」と批判したように、公正であるべきはずの主催者にあるまじきこの行為にはボクシングファンに限らず、広く疑問の声が上がった。
2006年8月7日のテレビ朝日『スーパーモーニング』に生出演した際、やくみつるが史郎に仕付け糸を渡し「これで亀(ここでは息子の興毅とされている)を縛っとき」との発言を行った。仕付け糸の「仕付け」と「躾け」をかけたと思われるが、それを聞いた史郎は激昂し「あとで表出て話し合おうか、このままで済むと思うなよ」と怒声を浴びせた。なお、この出演時には「今回はジャッジに情を貰った」と述べた後「情を貰ったら引退する」との矛盾した発言もあった。
放送当時のもう一人のコメンテーターであるガッツ石松も7点差でランダエダの勝ちだったと語っていた。また、試合前日の計量時にファン・ランダエタが亀田興毅におむつとおしゃぶりを渡した際に大声でランダエタを威嚇したことに苦言を呈した。一般に、ボクシングのタイトルマッチの調印式(フェイス・オフ)は、話題作りのためのショーアップ(挑発合戦や選手間の乱闘寸前の行為など)の度がすぎるという批判も多い。しかし営業面の観点からボクシングメディアや興行側はこれを望んでいるフシがあり、一方では、もてはやし、他方では眉をひそめるというマッチポンプ状態がいつまでも続いている。これはWBAやWBCといった統括団体が調印式における選手の態度に関する行動指針を示さないからであるとも言われている。
また、過去にWBCフライ級王者ポンサックレック・グラティンデーンジムから対戦を申し込まれたときに威嚇するだけして結局、対戦をはたさなかった。他に日本王者の内藤大助に対し、6回戦レベルとコメントし、その後、内藤から対戦要求を受けたがこれを回避している。亀田興毅が温室育ちと称されるのは、対戦相手の選択において、こうした「強い奴とは闘わないこと」というポリシーを実践しているからだ、といった手厳しい意見もある(他の階級王者に対しても威嚇的な言説を行うことがあるが、実際に対戦を申し込まれても対戦拒否といった選択を行っている)。これに対し亀田陣営はそれほど実績を残していないボクサーおよびその取り巻きの発言にいちいち目くじらを立てるのはおかしいという意見、プロモーターのマッチメイクの都合で仕方ないのではないかなど言っていたが、世界王者、日本王者などからの対戦要求も回避してきたことから、この亀田陣営の言い訳は明らかに矛盾している。
また、9月27日に行われた次男大毅のプロ第6戦において、判定について、観客から批判の言葉があったことに対して、周囲の一部の亀田ファンが猛反発、恫喝を交えて反論した。たちまちその周囲で小競り合いになったが、その場に亀田側の公式なトレーナーである史郎本人が激怒して暴走し、叫びながらリングを飛び降りて批判をしたファンを直接殴りつけようとした。[1]周囲の関係者が必死に押さえつけたため、暴行は未遂で終わった。通常であれば、周囲を止めに入らなければいけない(事実、彼以外の関係者は、騒ぎを止めようとし、暴れる史郎を抑えもしていた)公式な関係者でありながら、中継も入っている公式戦の場で、批判に逆上し、怒声を上げた上で観客に殴りかかろうとしたということは、日本のボクシング史上、皆無と言っていいほどの行動であり、ボクシングファンのみならず、一般からも大きく非難を買った。
他にも「行動があまりに幼稚」「本当に子供のことを考えているのか」「それでも大人か」「人間性のかけらもない」「ボクシング業界からさっさと身を引くべき」「ライセンスを剥奪しろ」といった批判も多く寄せられている。
また、あまりに騒ぎが大きくなったため、会場となった後楽園ホールの所轄である警視庁富坂警察署が関係者に事情聴取を行うという異例の事態にまで発展した。ここでは、史郎は「観客同士で喧嘩が起きたので仲裁に入っただけ」と主張しているが、現場にいた者たちからは、「観客に罵声を浴びせていた」「止めに入る動きではなかった」という複数の発言があり、また、すさまじい表情で飛び降りていく画像が複数のこっており、新聞などにも掲載されているため、その発言を疑問視する声も多い。
この騒動に対しては、日本ボクシングコミッション(JBC)が13日、「乱闘の当事者とみなすことはできないが、加担したと誤解される行為があったのは事実。セコンドライセンスを持つ人間として適切な行動をとってもらいたい」という理由で、史郎を12日付の文書で厳重注意処分としたと発表した。
レフェリーに対する暴言騒動[編集]
2007年3月24日亀田興毅対エベラルド・モラレス戦においてレフェリーを務めた浦谷信彰[1]に対して暴言を吐き、試合役員会はこれに激怒。史郎に「恫喝や脅迫とも受け取れる。史郎氏の謝罪がなければ、史郎氏がかかわる試合への役員派遣を拒否する」など、ライセンス停止を含む厳正な処分を処分を求める要望書をJBCに提出した。
この問題は5R終了間際に興毅が奪ったダウンで浦谷が試合を止めなかったことや、興毅がバッティングを注意されたことに史郎氏が抗議したことによる。史郎は「何で5Rのダウンで止めんねや。(バッティングを注意され)亀田だけのルールを作んな!」と反則行為にも関わらず強い口調でレフェリーにと詰めより、関係者に制止されると「今度はきちんとボクシングが分かる人間にやってもらわな」などの暴言を吐いたとされる。
協栄ジム金平桂一郎会長は「本人のサインを添えた謝罪文をJBCに提出する」と表明、同年4月16日に史郎は謝罪文をJBC役員会に提出。JBCは史郎と金平会長に対し「言動注意」を文書で通達。さらに「今度問題を起こした場合、今後史郎氏が関わる試合全てに役員を一切派遣しない」事を通告した。
ただし史郎本人への処分は一切無く、口頭での厳重注意のみに留まっている。このことから「処分が軽すぎるのではないか」「何故ライセンスを剥奪しないのか」「JBCの対応は甘すぎる」といった批判が出ている。
尚、史郎は当初「役員会? 知らん、何も知らん。関係ないやろっ!」と沈黙を通していた。
内藤大助対亀田大毅戦にて[編集]
2007年10月11日に行われた内藤大助対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトル戦では、リング上で相手に罵声を浴びせて威嚇するなどの場面があったほか、試合後半から終盤にかけて、大毅に対して、「玉打ってええから」[2]と明確に反則とわかる指示を出し、兄の興毅も「ヒジでエエから目に入れろ」[3]などと声をかけていることが、TBSの全国生中継で報道された。
また、「投げろ投げろ!」などの指示も12ラウンド中に聞かれた。
なお、それを確認した視聴者などからTBSに、12日午前9時までの約半日の間に電話857件、電子メール628通もの抗議が届いた。[4]JBCにも非常に多数の抗議・問い合わせが集中し、12日、倫理委員会を15日に開き史郎を含めた亀田一家を処分を検討することを決めた。[5]
12Rの「レスリング行為」による減点3は日本のボクシングタイトルマッチでは前代未聞の出来事であり、一連反則行為について15日の倫理委員会でJBCは、史郎トレーナーのセコンドライセンスの無期限停止を決定した。その他、所属する協栄ジムの金平桂一郎会長に3カ月のクラブオーナーライセンスの停止、セコンドについた長男・興毅に厳重戒告、次男・大毅に1年のライセンス停止の処分を決定した。[6]
これに対する謝罪会見を開いたが、自分は反則行為を指示していないが、そう聞こえたなら何も言いませんと頑なに語っており、反則行為は亀田大毅の自発的な行為であるとの主旨を突き通した。
この曖昧な謝罪会見に世間から一層の批判を買い、その後、二度目の謝罪会見を開くことになった。
しかし亀田史郎は出席せず、息子の亀田興毅が代わりに謝罪した。亀田史郎自身は所属ジムである協栄ジムを辞職しボクシング界での一切の活動を行わないことを宣言した。[7]
騒動の後も亀田史郎は、亀田史郎の著書の内容を言及するときは、亀田プロモーションに許可を取ることと内容が好意的なものであることを条件にしてしまった。
興毅の世界フライ級初防衛戦にて[編集]
2010年3月27日に行われたポンサクレック・ウォンジョンカムと興毅の初防衛戦で、判定で完敗して興毅は王座から陥落するが、判定に不服を覚えた史郎は、この世界戦でWBCのスーパーバイザーを兼務したJBC事務局長の安河内剛、主審、もう1人のWBCスーパーバイザーの3人を自分たちの控え室に呼びつけて判定について「おどれのクビをとってやる。おまえオレを怒らせたら、もう終わりじゃ!」と恫喝し、机を叩いたり、椅子を蹴るなどして大暴れし[8]、マネジャーには殴る蹴るの暴行を加えた[9]。そして安河内は史郎のホテルに説得に向かった[10]。
人物[編集]
- 元々ボクシングは、いじめられっ子だった興毅に史郎が強制したものである。自身の離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には、暴行を加えた上で「どっか行ってひとりで住め! 自分で働いて飯食え!出て行け!」と家の外に放り出し、食事も与えないという児童虐待を行っていた。「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。(自伝より)
- 教育については独自の考えがあるが、中学生である三男の和毅を学校に登校させていない。これは、日本国憲法で規定された教育を受けさせる義務(義務教育)を怠っている。プロである興毅、大毅の合宿に平日で普通なら学校に行っているはずの和毅までも堂々と合宿に参加している。これは親である史郎の責任である(就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではない)。ただし和毅本人が自由意志で不登校を選択するのであれば、本人・保護者ともなんら罰則は与えられない。逆に、本人が学校に行きたいのに、家事を強制するなどして保護者が通学をしないようにした場合は、就学義務違反となる。
- 既述の独特の練習を行うために、時折海や山で合宿を行うことがある。夏季や冬季といった、中学校の長期休暇期間ではない場合もある。これには報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても、史郎は無頓着に三兄弟を並ばせることが多い。練習内容を報道しても、和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れないという不自然な事態が続いている。和毅の不登校を取り上げるのは週刊文春や週刊新潮などのみである。不自然な言動をいつまでも続けていてはいけない。
- 魚を取るためのモリに布を巻きつけ、ストレートに見立ててそれをかわさせるという奇想天外な鍛錬方法を編み出した。
- 2006年8月25日、フライデーにて暴力団関係者と会食している姿が撮られる。本当に暴力団である可能性もある。
- 愛車はクライスラー300Cである。
著書[編集]
- 『闘育論―亀田流三兄弟の育て方』創美社, 2006年, 187p. ISBN 4420310146
- 作中では、インチキで息子をミニ四駆レースで勝たせたなど過激な内容が話題を呼んだ。どうやれば、亀田三兄弟のような優秀な子供を育てられるか教えてくれる名著である。亀田家誕生のルーツを知る為には欠かせない本でもある。Amazonレビューでは、星一つのレビューに「参考になった票」が1000票を超えて入るなど、絶大に支持されている。ゴーストさん、お疲れ様です。
※ここで「闘育論」と書かれているのは、「TOEIC論」の間違いだと思われる。 修正を希望。
関連項目[編集]
補足[編集]
- ↑ JBC試合役員会会長。浦谷は審判歴約20年、裁いた試合数は一万試合を超えるベテランであり、そのジャッジ内容がWBCにおけるビデオ教材としても採用されているほどの審判。
- ↑ () 金平会長厳命!条件守らなければ亀田一家解雇も サンスポ [ arch. ] 10月18日
- ↑ () “最低最悪ファミリー”亀田家、反則指示してた! ZAKZAK [ arch. ] 10月12日
- ↑ () “TBS炎上” 「亀田寄り」と苦情殺到 産経MSN [ arch. ] 10月15日
- ↑ () “「急所狙え」亀田父子処分へ…JBC倫理委 YOMIURI ONLINE [ arch. ] 10月15日
- ↑ () 亀田父、ライセンス無期限停止 大毅はライセンス停止1年、興毅は厳重戒告 産経MSN [ arch. ] 10月15日
- ↑ () “亀田興毅が謝罪会見 父史郎氏は辞任 サンケイスポーツ [ arch. ] 10月26日
- ↑ 「クビとったるぞ!」JBC事務局長を恫喝した亀田父・史郎氏に協会が処分検討 日刊サイゾー
- ↑ 自浄能力ゼロのボクシング協会 亀田ジムが大甘処分で存続決定の裏事情 日刊サイゾー 2010年5月25日
- ↑ 亀田陣営、減点に激怒=ボクシング世界戦 時事ドットコム 2010年3月28日