「協栄ボクシングジム」の版間の差分
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2010年8月18日 (水) 23:05時点における最新版
協栄ボクシングジム(きょうえい ぼくしんぐじむ)は、東京都新宿区大久保にあるボクシングジム。
目次
沿革[編集]
フライ級で活動した金平正紀が、1959年(昭和34年)「金平ジム」として東京・杉並区に設立。帝拳ボクシングジム、ヨネクラボクシングジム、三迫ボクシングジム等と並ぶ、大手ジムの内の一つ。系譜としては「大日本拳闘会(神戸:嘉納健治)-野口ジム(目黒:野口進)」の流れである。のち協栄物産と提携して「協栄ボクシングジム」と名称変更した。初代会長は金平正紀。2代目であり現会長は、前会長の長男金平桂一郎。なお、正紀会長が追放されている間は高橋勝郎が代理を務めていた。
現在のマネージャーは大竹重幸。
概要[編集]
一時期、スポンサーの関係で『海外タイムス・ジム』『ベル協栄ボクシングジム』『ワールドスポーツ・クラブジム』の名称を使用していた時期がある。なお、これらスポンサーのうち『海外タイムス』は悪徳商法で社会問題となった豊田商事の関連企業。
先代の金平会長はボクシングに対し愛情を持っており、彼の名言に「プロボクシングはビジネスだが、だからと言ってボクシングに愛情を失ってはいけない」「周りに何と言われようと、協栄から生まれたチャンピオン達が、引退後に世界・東洋・日本チャンピオンになれて良かったと思えるようにならなければいけない。そう思うようにしてやるのも私の仕事だし、思われなかったとしたら、それは私の責任だ」というものがある。
色々とスキャンダルに事欠かないジムであるが、正紀会長は協栄出身の世界王者から尊敬されており(具志堅用高とは一時決別したが、後に和解)、正紀会長が最後に育てた世界王者佐藤修は、世界王座を獲得したリング上で「故・金平会長、僕は協栄の9人目の世界王者になりました!」と叫ぶなど、先代会長は死後も選手たちに慕われている。
89年かねてから金平と親交の深かったスポーツ平和党党首で参議院議員になって間もないアントニオ猪木の紹介でソ連のアマチュアボクシングのトップ選手を獲得。
また、女性を対象とした「シェイプボクシング」にも力を入れており、自由民主党衆議院議員の小池百合子[1]も受講している。2007年には女子プロボクシング本格的解禁を見据えてロシアの女子選手を招聘し、国内女子選手とのエキシビションを行う。
さらに、97年ごろシュートボクシング全日本カーディナル級初代王者大村勝巳を専属コーチに迎え、「K-1キョウエイジム」の看板を掲げてK-1 JAPAN GPに参戦。2007年には関連会社の協栄ワールドが現在のK-1興行会社であるFEGと業務提携を結んだ。
TBSとのタイアップでガッツファイティングを主催。かつてはテレビ東京とのタイアップでヒートアップボクシングも主催していた。
選手[編集]
延べ11人の世界王者を生み出しているジムと言われているが、八百長で王者になった者も含まれる。
ジム出身世界王者[編集]
- 海老原博幸(WBA・WBCフライ級)
- 西城正三(WBAフェザー級第18代)
- 具志堅用高(WBAライトフライ級級第3代)
- 上原康恒(WBAスーパーフェザー級第20代)
- 渡嘉敷勝男(WBAライトフライ級第6代)
- 鬼塚勝也(WBAスーパーフライ級第5代)
- 勇利アルバチャコフ(WBCフライ級第28代)
- オルズベック・ナザロフ(WBAライト級第34代)
- 佐藤修(WBAスーパーバンタム級第25代)
- 亀田興毅(WBAライトフライ級第22代)
- 坂田健史(WBAフライ級第36代)
主な現役選手[編集]
- 坂田健史(現WBA世界フライ級王者)
- 佐々木基樹(元日本スーパーライト級王者/現在は帝拳ボクシングジムへ移籍)
- 牛若丸あきべぇ(日本ウェルター級1位)
- 大迫亮(高校6冠。2007年5月21日移籍)
- サーシャ・バクティン(ロシア出身)
- 亀田大毅
既に引退した有名選手[編集]
- 喜友名朝博(ライトフライ級で世界挑戦1度)
- フリッパー上原(フェザー級で世界挑戦2度。上原康恒の実弟)
- シゲ福山(フェザー級で世界挑戦1度)
- 杉谷満(フェザー級で世界挑戦1度)
- 杉谷実(元日本スーパーライト級王者。杉谷満の実兄)
- 亀田昭雄(スーパーライト級で世界挑戦1度(<JBC未公認のIBFを含めると2度>)。亀田三兄弟とは無関係)
- 田島吉秋(スーパーミドル級で世界挑戦1度)
- 丸尾忠(元日本スーパーフライ級王者)
- 安里義光(元日本スーパーフェザー級王者)
- 中野吉郎(元日本ウェルター級王者)
- 渡久地隆人(スーパーフライ級世界ランカー)
事件・批判[編集]
黒い霧事件[編集]
1972年4月、西城正三のキックボクシング転向を巡り、協栄ジムと日本協会が対立。また、モハメド・アリ(当時はカシアス・クレイ)の初来日興行は協栄ジムに委託されたが、アリのプロモートには黒社会が関わっていたこと(後に来日興行を手掛けた興行師康芳夫氏がコメントした。)もあり金平会長は協会より除名された。5月に金平会長らの手により別の協会(団体名は同名。以下便宜上「第二協会」)を設立し分裂状態になった。
1976年11月に日本協会と第二協会が再統合され、1980年に金平会長は協会と正式に和解。協会会長に就任した。
毒入りオレンジ事件[編集]
1981年3月4日発売「週刊文春」が、協栄ジムの金平会長が、渡嘉敷勝男や具志堅用高の防衛戦の相手に薬物を混入したオレンジを食べさせたと暴露記事を掲載。騒動になった。日本のプロボクシング史上最悪の事件と言われる。この事件が原因で、金平会長は1982年にライセンスの無期限剥奪処分を受けボクシング界から追放された。1989年に処分が解除され、プロボクシング界に復帰した。
協栄ジム所属選手の試合判定への批判[編集]
協栄ジムに所属する選手の試合の判定には、これまでいくつかの批判、抗議が寄せられている。
- 2006年8月2日に行われたWBA世界ライト・フライ級王座決定戦の判定を巡って、協栄ジム、TBSをはじめ、ナイキ・ローソンなどの亀田スポンサーに多数の抗議が寄せられた。[2]。
- 扶桑社発行の雑誌「SPA!」は、鬼塚が防衛に成功するごとに“今週の顔”のページにて鬼塚を批判する記事を掲載していた。
WBA親善試合で場外乱闘[編集]
2006年9月27日に行われた亀田大毅の試合後、判定結果を巡り、場外で観客同士の乱闘が発生。亀田史郎もこの乱闘に加担しようとし、関係者に止められた。この乱闘で、数人の観客が負傷して担架で運ばれるなどした。また、この試合はWBAのメンドサ会長も観戦しており、乱闘はメンドサ会長の近くで起こった。メンドサ会長はいち早く席を離れたため、怪我などは無かった。なお、史郎をはじめとする関係者は、会場となった後楽園ホールの所轄である警視庁富坂警察署から事情聴取を受けている。
WBC王者戦での反則行為[編集]
2007年10月11日に行われた、亀田大毅の内藤大助とのWBCフライ級王者戦において、協栄ジム側はWBCの規則に反する親族(史郎、興毅)のセコンド入りを強く主張、JBCに認めさせた。試合後には大毅の悪質な反則行為が問題となり、更に試合中に史郎、興毅が反則を指示していた事がTV中継の映像などから明らかとなった。JBCは同15日の倫理委員会にて、亀田親子にライセンス停止などの罰則を科すと共に、金平会長にも監督責任を認め3ヶ月のクラブオーナーライセンスの停止措置を決定した。
脚注[編集]
- ↑ 小池は、協栄ジム所属の亀田興毅ファンを公言しており、かつて環境大臣(第2次小泉内閣 - 第3次小泉内閣)であった際に、レジ袋削減キャンペーンの協力を仰いだこともある。チーム・マイナス6%
- ↑ TBSには一日で約6万件の苦情が寄せられた。亀田興毅の項を参照。