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20代を過ぎてグラビアデビューしたものの中には、所属事務所の営業戦略上の理由から実年齢より若く年齢を公表する者なども実在し、それらが発覚したときは、しばしばゴシップ記事となって世間を賑わせることがある。しかしネット環境が整備された現代では何処からか実情報が漏れ伝わるのはもはや必然的なことであり、また先に述べたようにグラビアアイドルとしての許容寿命が延びた関係で、年齢詐称をすること自体、かつての時代ほど効果のある方法ではなくなってきているのが現状である。またグラビアアイドルの平均年齢は上昇しつつあるのにもかかわらず、成人世代であっても妹系や[[ロリータ]]色で売り出されるグラビアアイドルが増えてきている。 | 20代を過ぎてグラビアデビューしたものの中には、所属事務所の営業戦略上の理由から実年齢より若く年齢を公表する者なども実在し、それらが発覚したときは、しばしばゴシップ記事となって世間を賑わせることがある。しかしネット環境が整備された現代では何処からか実情報が漏れ伝わるのはもはや必然的なことであり、また先に述べたようにグラビアアイドルとしての許容寿命が延びた関係で、年齢詐称をすること自体、かつての時代ほど効果のある方法ではなくなってきているのが現状である。またグラビアアイドルの平均年齢は上昇しつつあるのにもかかわらず、成人世代であっても妹系や[[ロリータ]]色で売り出されるグラビアアイドルが増えてきている。 | ||
− | + | また昨今のグラビアを飾る低年齢層(小中学生グラビアアイドル等)は、前述のグラビアアイドルの足跡の中で、かつては少女ヌード写真集として扱われてきた分野とアダルトビデオ業界で扱われてきた分野が交わり形成されたといってよい。 | |
− | + | 少女ヌード写真は1980年代前半までは、日本の法律の盲点をついてあからさまに局所も隠さずにそのまま掲載したりしたものが多かったが、1980年代後半の少女ヌード写真集等の摘発を受け衰退する。しかし1990年代前半に局所部分を修正した過去の作品の再発売が行われるなどして再度のブームが起きる中で、世間一般の批判や倫理論争から幾度かの法改正を経て明らかに法に抵触していた作品群は世論の標的となって1990年代後半には再び衰退していった。1999年に児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が施行され、少女ヌード写真集の新規の出版は不可能となり、少女ヌード写真の分野は終焉を迎えた。 | |
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+ | 一方、グラビアアイドル業界においては、1990年代後半からのチャイドルブームや、前述の2000年代前半のティーンファッション誌モデルの青田買いの流れで、低年齢層モデルを対象としたグラビア市場が形成されていく。当初の低年齢層グラビアは肌の露出が少ないものだったが、2004年から社会現象となった「エロかっこいい」を求める社会的風潮の中で、ビキニやTバックなど肌の露出が多い低年齢層グラビアが増えていくこととなった。現在は食生活の欧米化などにより、成長の早いものは小学生時から既に高校生あたりの年齢とさして変わらない肢体を持った少女も多数存在していて、上の年齢層モデルたちに習い、露出度の高い水着を着けて現役小学生という事を宣伝文句に通常のグラビアアイドルとして活躍している。しかし、これらのグラビアに対しては児童ポルノに該当するのではないかという指摘が起き、2000年代後半には過度な露出の低年齢層グラビアは大幅に減っていくこととなる。 | ||
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+ | 2005年頃からは、低年齢層グラビア市場の可能性に気づいたアダルトビデオ業界の関係者が低年齢層グラビアの市場に参入するようになる。背景には、DVDの普及により、2000年代中盤に低年齢層グラビアの販売方法が写真集からDVDに変化したことが挙げられる。これにより、雑誌コードの取得が不要となって市場への参入障壁が下がるとともに、コストの低いDVDとイベントを軸とした低年齢層グラビア市場がビジネスとして確立するようになった。そして2010年代前半になると、演出において過度な肌の露出ではなく、アダルトビデオを想起させるようなポーズを用いる手法が常態化するようになり、一部には「[[着エロ]]」を上辺だけ模倣し秘部を覆う範囲の狭い水着をつけたり、わざと水着のアンダーを取り払い陰部が微妙に透けて見えるような明らかにやりすぎという感のあるグラビアが増え、内容がエスカレートしていった結果2007年に一部業者が警察当局の摘発を受けるに至り、露出度の高い低年齢層のDVD、グラビア誌の取り扱いを自ら控える小売店、インターネット通販業者が続出した。 | ||
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+ | 2010年代終盤に入ると、一般的なビキニの着用を拒否する低年齢層のグラビアアイドルも出ており、現在の低年齢層グラビア市場は比較的健全な状態にあるといえる。しかし、低年齢のアイドル等に対するニーズは、戦後の子役や少女歌手の時代から形を変えて存在し続けており、その中で過激化と健全化の事例は過去にも幾度か起こってきたことでもあり、送り手側の節度を持った倫理観が必要である。 | ||
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+ | 事の是非はさておいて、「小学生の身分で露出の多い水着を着るグラビアアイドルというのはいかがなものか」「小学校の娘をグラビアアイドルにする親の気が知れない」といった、親権者の倫理道徳の欠如や希薄さ・無理解さも世間の一部であがっていることも事実であるが、一方で、「有名アイドルグループのメンバーが露出の多い水着を着ることは受け入れている」「インターネット・SNSの発達により地域アイドルなどが増えてアイドルの垣根が下がった」などの社会的風潮や環境が、背景にあることも事実である。 | ||
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+ | また過去に起こった[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]を例にとるまでも無く、そういった[[ロリータ]]世代を趣向する人々の「常識的なモラル」に対する懸念の声もあるが、これは犯罪者と同じ趣味を持つ人を短絡的に犯罪者扱いする差別行為であり、許される考え方ではない。現代社会においては、趣味嗜好が多様化するとともにインターネットや画像・動画技術が発達したため、アスリートの盗撮問題に挙げられるように健全な目的を持つ人と不健全な目的を持つ人の行為の区別がつきにくくなっている。低年齢層グラビアにおいても、健全と不健全の境目をどのように設け実践するかが、アイドル・業界関係者・愛好者の全員に課せられた課題だと言える。 | ||
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2021年8月28日 (土) 12:25時点における最新版
グラビアアイドルとは、芸能界に籍を置く女性アイドルのうち、雑誌のグラビア、写真集、イメージビデオやDVDへの出演を主な活動とし、なおかつ主に水着姿の写真を売りにする者たちの総称であり、職業分類的な肩書きの1つ。雑誌やネットなどでは名前を略してグラドルとも呼ばれる。
目次
職業の特徴[編集]
グラビアアイドルの主な活動の場は、雑誌グラビアページや広告宣伝媒体のポスターなどの2次著作物であり、特にヤング誌などといった男性雑誌では、グラビアの被写体次第で売れ行きが左右される非常に重要なファクターとなっている。そういった成立経緯から、外見上女性であること(女性に見えること)が絶対的な条件であり大きな特徴である。よってグラビア誌を飾ることが殆どない男性アイドルに対してグラビアアイドルという肩書きはつかない。
グラビアアイドルとして最も重要視される要素は、外見のビジュアルとスタイル、それを保ち続ける若さである。その特異性から、永続的にグラビアアイドルでありつづけることは実質不可能であり、女性が若さを保ち得るある一定年齢を迎えるまでしか続けることができない。一般的にグラビアアイドルは芸能界に進出するステップの1つと捉えられており、後に女優・タレント・歌手へ転身していく者がほとんどである。しかしその出自ゆえ、芸能人として本来要求される演技力・会話力・歌唱力に乏しいケースも少なくなく、グラビア媒体から退いた後も芸能界で生き残る手段を持ち合わせている例がむしろ稀である。元々、彼女達を世間に送り出すメディアにも限界があるため、新人が次々とデビューする一方で芸能界で芽が出ずに忘れ去られて行く者が多く、「卒業」と称してグラビアアイドルを引退すると同時に一切の芸能活動から手を引く者が後を絶たない。
ただし近年では医療技術やメイクアップ技術が飛躍的に向上し、グラビアアイドルを現役で続けながら、俳優業やタレント業も兼務する例も多くなってきた。
変遷[編集]
現在のグラビアアイドルを一般嗜好的に大きく分類すると、巨乳アイドルを中心とするセクシーさやエロティックさなど大人っぽさを売りにする者と、子供っぽさや幼さ(ロリータ)、清純さなどの可愛らしさを売りにする者の2極に分けられる。またその境界線を繋ぐキーワードとして20世紀末より日本社会に浸透した「癒し」を売りにする者も現れている。ただしあるアイドルがどういった分類でグラビア読者に受け入れられるかは、個人的主観が大きく介在するため、明確な基準が存在するわけではない。
前者の大人っぽさを売りにする者は、10代でデビューした者が20歳を越えてから注目される場合や20代に入ってからデビューするケースが主に当て嵌まる。前歴としてはイベントコンパニオンや企業キャンペーンガール、レースクイーン経験者である場合が多い。後者の子供っぽさや清純さを売りにするグラビアアイドルは、10代でデビューするケースがほとんど。場合によっては小学生の段階からグラビア活動をする者も存在するが、子役俳優などと違い、「人前で肌を露出すること」に対する一般的な道徳観念から、またいわゆる義務教育段階の場合は学業優先や法律上の縛りで活動に制約があり、事務所には所属していても中学校卒業を待って正式にデビューする場合が多い。第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞し、グラビアアイドルとして芸能活動している橋本愛実など、10代のうちは芸能活動は控えめながら、20代に入ってから積極的にグラビアアイドルとしてマスメディアに登場するようになるケースもあり、個人的な事情や所属事務所の営業戦略上の理由で、実際のデビューと本格的な売り出し時期に大きな差異が生まれる場合もある。
20世紀末に出てきた癒し系グラビアという流れは、「平成不況」という世相が反映して生まれたものであり、近年の各メディアでも多く支持される流れにある。がこれはあくまで表面上のことであり、癒し系ならば人気が出て他は支持されない、などといった単なる二元論で判断できない事も付け加えておく。力のあるものにとっては、グラビアのスタイルの違いなどは微々たるものでしかない。
総じて1970年代半ばより現れ始めたグラビアアイドルは、その時代の社会的ニーズや流行によって変遷し、その時代に則した者が大きな人気を獲得している(後述の「#グラビアアイドルの歴史」を参照)。
業界内では「若いうちは脱ぐ」「胸も顔のうち」と言われる事も多く、最初の写真集グラビア撮影時にビキニを着るのが恥ずかしくて泣いてしまったという乙葉が「水着にならなくていいアイドルは松たか子だけと言われた」という有名なエピソードも存在する。
本来グラビア露出は芸能活動のほんのワンステップに過ぎず、ある一定ラインの年齢を過ぎたら、女優やタレントに転身して行く場合が殆ど。本上まなみや佐藤江梨子、眞鍋かをり等のようにグラビア経験者が、後に文才や芸術の才能を発揮しグラビアとは全く別のことで注目を浴びる場合も数多い。また浜崎あゆみや華原朋美、ZARDの坂井泉水など歌手として大成した人物の中にも過去にグラビアアイドルを経験している女性芸能人は多く存在する。
しかし21世紀に入ると、自ら現役グラビアアイドルと公言し、グラビアを卒業せずにタレントや女優としての活動を並行して進める者が現れ始める。例として小倉優子、ほしのあき、熊田曜子、安田美沙子、夏川純、若槻千夏、磯山さやかなどはテレビで頻繁に出るようになっても尚、グラビア誌面でもトップとして君臨し続けている。こういったグラビアと他の芸能活動を並行する傾向は年々増加しており、緑友利恵、松井絵里奈、木下優樹菜などグラビアアイドルとして(もしくはその他の路線と並行して)デビューしその活動がまだ安定しないうちからテレビのバラエティ番組へと青田買いされていくケースも現れ始めている。
その一方で、売れないグラビアアイドルがヌードモデルやAV女優へと転身する例がみられるようになり、「着エロ」というジャンルが確立されてからは「着エロアイドルからAV女優に転向」という例が頻繁にみられるようになった。彼女たちの中にはAVデビュー後も「現役グラビアアイドル」という肩書きを持ち続ける者や、「あくまでも芸能活動の一環としてAVにも出ているだけで、AV女優に転向したわけではない」などと主張する者もいる。彼女たちの出演作品は、AVとしてはヒットすることも多いため、AVメーカーはこぞってグラビアアイドルにAV出演の交渉を持ちかけている。一方で、「元芸能人」という肩書きが作品の売り上げ向上につながることから、AV女優になることが決まっている者が箔をつけるために「一旦グラビアアイドルとしてデビューしてからAVへ」という例もある。
グラビアアイドルは過去から現在においても、隆盛を極めながら、その活躍の場は多様化しているといえる。
グラビアアイドルの歴史[編集]
1970年〜1980年代のグラビア[編集]
「グラビアアイドル(以下特別な場合を除きグラドルに略記)」の歴史は、1970年代半ばより活躍したアグネス・ラムに始まるといえる。
この時代の女性を扱ったグラビア掲載誌は1964年創刊の『平凡パンチ』(マガジンハウス刊)、1966年創刊の『週刊プレイボーイ』(集英社刊)などがあり、その誌面を飾っていたのは当時の女性アイドルと専任のヌードモデル達であった。女性アイドルは、そのほぼすべてがテレビ出演やコンサートでの歌手活動をメインとしていたことで「アイドル歌手」とも呼ばれ、彼女たちのグラビアにおける水着披露は、歌手としての人気を獲得するプロモーションの一環に過ぎず、「あくまで本業は歌手」という括りであった。
1974年に小学館からA4大判のグラビア雑誌『GORO』が創刊される。それまでの雑誌グラビアがどちらかといえば読み物記事の添え物といったような扱いだったのに対し、『GORO』は表紙と巻頭グラビアを写真家の篠山紀信が担当。無名女性モデルのヌードからアイドル歌手、新進の若手女優を等価に扱った『激写』という名グラビアコーナーを生み出し、セクシーさや何気ない普段着のエロスを強調したグラビアを発表。これが世に受けてグラビア写真により大きな比重を置いた雑誌として成人男性読者を中心に大きな反響を呼ぶ。そんなグラビア誌という土壌が出来つつあった1975年に初代クラリオンガールとして芸能界デビューしたのがアグネス・ラムである。彼女はその時代性ゆえに歌手デビューも果たしているが、あくまで雑誌グラビアをメインに活動する点で従来のアイドル歌手とは明らかに趣が異なっていたことからグラビアアイドルの始祖と呼べる存在であった。その人気は大磯ロングビーチイメージガールを初代から3期連続で務めるほど高く、今日、雑誌紙面において特にグラビアが注目されるようになった背景には彼女の功績が非常に大きかったといえる。
またその翌年にスタートした『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』で優勝した榊原郁恵が歌手デビューするのと同時に豊満なバストを持つ健康的なビキニ姿でグラビアでも大きな人気を獲得している。特に歌曲『夏のお嬢さん』を発表した時期の榊原は、明るくハツラツとしたイメージと相まってグラビアをより大衆的に身近なものにしたといえるだろう。
1979年3月には現存するグラビアアイドル専門誌としては最古になる『BOMB』が学研より創刊。当時の紙面はアイドル関係とは無縁であったが、翌年以降に松田聖子らアイドル歌手を表紙やメインの特集記事として起用するようになって発行部数を飛躍的に伸ばし、やがてグラビアアイドル専門誌へと移行した。
1980年に入り、同年1月に週刊朝日の表紙モデルでデビューした宮崎美子が、同年3月に放送された一眼レフカメラのCMで私服からビキニに着替えるシーンとその軽快なCMソングで大きな反響を呼び、グラビアでも同様の活躍をみせた。さらに回を重ねた『ホリプロタレントスカウトキャラバン』も1981年に堀ちえみ、翌年にはセクシーでワイルドなイメージを持つ大沢逸美を輩出し、グラビアに華やかさを添えている。
1982年に講談社が少年漫画誌の企画としてアイドルグラビアの読者投票コンテスト『ミスマガジン』を創設。写真家の野村誠一が企画段階から参賀したことでグラビア写真そのものの質も高く、第1回の受賞者・伊藤麻衣子(現:いとうまい子)が好評を得た事から年1回の定期開催が決定。以降アイドル歌手以外に雑誌をベースに活躍するアイドルというものが定着し始める。その後も1984年第3回開催グランプリの斎藤由貴、同準グランプリの田中美奈子、第4回開催グランプリの八木小織(現:八木さおり)、1986年第5回開催グランプリの高岡早紀、また受賞者以外からも「マガジンメイト」と称して森尾由美、南野陽子、小沢なつきという好素材が続々と現れた。彼女たちのグラビアは、総じて水着を着用しながらも新人アイドルの初々しくさわやかで清純なイメージを損なわないものであり、それまでの水着グラビアが内包していた肉感的なエロティックとは正反対のものであった。はたしてこの戦略は世の男性に大いに受け入れられ、これ以降のアイドルグラビアの一基本形となっていった。また彼女たちはグラビアと平行してそれぞれ歌手や女優としての活動もスタートさせ、おおむね成功していった。
またミスマガジンの成功を受ける形で、同年に創刊された『スコラ』(当時の株式会社スコラ刊)他、彼女たちを誌面で大きく取り上げたグラビア雑誌もこの頃続々と創刊されている。この流れは1990年に「ミスマガジン」が終了(6年後に復活)するまで続き、今日のグラビアアイドルは、主に1980年代半ばにその根幹が形成されたといっても過言ではない。なお野村誠一は『恋写』のシリーズタイトルで数多くの雑誌グラビアや写真集において新人グラドルを多数世に送り出し、篠山紀信、山岸伸等と共に、グラビアの地位向上に大きな影響を与えたカメラマンの一人として大きな足跡を残した。
しかし1980年歌手デビューの松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、岩崎良美、浜田朱里、甲斐智枝美、三原順子、1982年歌手デビューの中森明菜、石川秀美、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、松本伊代など(俗に『花の82年組』と呼ばれた)、1980年代前半当時の芸能界は山口百恵引退後の第2期女性アイドル歌手ブームが起きていた時期であり、世間的にも「女性アイドルがグラビアに載っている」という捉え方でしかなかった。またグラビアもどちらかといえばアイドル歌手がグラビアで水着を披露する割合がまだ多かった。
1984年、黒沢プロモーションから堀江しのぶがデビューする。堀江は後に巨乳アイドルブームの立役者となる野田義治(現:サンズエンタテインメント社長)の秘蔵っ子であり、後に自ら「堀江を売り出すためにイエローキャブをつくった」と公言した程に惚れ込んだ存在だった。この時代も未だ女性アイドル歌手の全盛期であったため、堀江もアグネス同様に歌手デビューもしているが、野田の意気込みも虚しく堀江は胃がんのため4年後の1988年に23歳の若さで急逝。しかし皮肉にもこの悲劇的事件がグラドルと言う存在を世に記す第一歩となった。大きな期待を掛けていた逸材を失ったイエローキャブではあったが、かとうれいこ(1990年、第16代クラリオンガール)が88年から92年にかけて月刊誌のようなペースで写真集を発売し驚異の成功を収め、さらにイメージビデオや主演オリジナルビデオ、CDも売り、グラビアアイドルの女王に君臨。続いて細川ふみえ(1990年、第9回ミスマガジングランプリ)ら豊満で肉感的なタレントが次々とグラビアで脚光を浴びている。
また岡本夏生などのレースクイーンや鈴木京香、山口智子、飯島直子などの水着キャンペーンガールも、この頃頻繁に雑誌グラビアを飾っている。また同年にスタートした『夕やけニャンニャン』で結成された素人女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」が中高生を中心に大変な人気を獲得。解散する1987年までグラビア方面でも活躍した。
その一方で、前述の山口智子がその後女優活動のためにモデル事務所から現在の事務所へ移籍したように、水着グラビアモデルとその後の芸能活動とは、スポンサーの意向などが障害となって、上手くは繋がっていなかった。山口は1988年のNHKの連続テレビ小説で主演を果たし、以後は水着を封印し女優としてステータスを築いて行く。そんな中でイエローキャブは、水着着用モデルからその後の女優・歌手、バラエティ・タレント等への展開を一括に考えたプロダクションとして脚光を浴びていく。
- 野田自身は後年「グラビアアイドルというカテゴリーを俺は否定している。グラビアはどうやったらその娘が売れるかという単なる手段であって、そう言われるだけでレッテルを貼られてしまう」と自身のやってきたこととグラドルに対してのスタンスを明確にしている。またその対談相手であった清水幸治(現フィットワン社長)も「作り手としては世間に広く通用する人気者を作りたいだけで、グラビアアイドルを作る、売り出すなんてハナから思っていない」と野田の発言に同意を示している。(QuickJapanVol.68「特集グラビアアイドル」の対談記事から)
また飯島直子は1989年にカネボウ、1990年にはキリンビール、宇部興産のキャンペーンガールを務め、翌1991年にはキグナスF3000のキャンギャルとなり、のちのレースクイーンの芸能界進出の足がかりを作っている。その後グラビアを封印してタレントに転身し、1995年にコカ・コーラ『ジョージア』の「やすらぎパーカープレゼント」CMで親しみやすく話しかける姿が話題になり、そのCMから名をとって『安らぎ系タレント』と呼ばれることになる。これは20世紀末に現れる「癒し系ブーム」の走りと言えなくもない。
1990年代のグラビア[編集]
1991年頃には、女性アイドルを扱った雑誌『BOMB』表紙では、それまでアイドルの顔写真が多かったものが、水着の全身に近い写真が増加した。当時アイドルとして人気絶頂だった宮沢りえが、突如としてヘアヌード写真集を発売。世間に与えたインパクトは非常に大きく、150万部のベストセラーとなり、これは芸能人写真集売上記録となった。またオスカープロモーション所属のC.C.ガールズのような、セクシー路線に徹したアイドルグループも多数登場したが、当時はまだ「癒し系」という概念はなく、体に不釣合いであっても豊かなバストであることがポイントとなるなど、売り込む対象は一部の男性層に限られ、恒久的に持続する人気が得られているわけではなかった。また『桜っ子クラブ』でデビューした井上晴美が水泳で鍛えたしなやかな肉体美と豊かなバストでグラビアを賑わせた。 しかしながらこの時点ではグラビアアイドルという言葉は浸透しておらず、依然アイドルといえばアイドル歌手や若手女優こそが本流であるという考え方が強く彼女等は「セクシータレント」等という半ば蔑称で紹介されるなどしており地位が高いとは言えなかった。 1992年にフジテレビが自社キャンペーンガールとして『フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー(以下フジテレビVQ)』を創設。グラビアで活躍するアイドルを毎年起用するようになり、翌1993年には内田有紀が選出されている。またこの年には集英社が自社発行のヤングジャンプ誌上で『ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション』として「制服の似合うアイドル」をテーマにした誌上オーディションを開始。こちらは翌1993年に北村麻衣(現:宝生舞)がグランプリを受賞している。こうした流れは途中でいくつかの紆余曲折がありながらも21世紀に入った今日まで続いている。
1994年、この年にエポックメーキングな登場をしたのが雛形あきこである。2年前に俳優として芸能界デビューしていたがパッとせず、イエローキャブに移籍して稲森いずみ、吉野公佳、木内あきら等と共に『フジテレビVQ』に選出され水着グラビアを始めるとその素質が一気に開花。俗に「雛ポーズ」と呼ばれる両腕を絞り胸の谷間を強調するポーズは、どこか子供っぽさが残る愛らしい表情と相まって、世の男性の性的欲求を大いに刺激し、これ以降の水着グラビアに1つの方向性を示したといえる。
1995年、青木裕子や坂木優子などが登場し、水着姿の写真集が改めて人気を得た。トピックとして、女性雑誌においてもツーピース水着の特集回数がワンピース水着を上回った。フジテレビVQでは華原朋美、榎本加奈子、遊井亮子、秋本祐希が選出されている。
1996年、雑誌グラビア隆盛を受けて、講談社の『ミスマガジン』コンテストが青年誌を舞台とした『ミスヤングマガジン』と名称を変えて復活。第1回のグランプリにはイエローキャブの山田まりやが選ばれ(山田は同年の『フジテレビVQ』にも選出)、また前述の雛形あきこが前年の活躍を評価されて第29回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞するに至り、イエローキャブの名声は『巨乳』のキーワードと共に世間に大いに知れ渡り、隆盛を極める。この年には黒田美礼が本格デビューし、セクシー系グラビアを代表する存在として活躍している。
またデビューから時間を経て人気が出てきたものもいる。2年前に第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを獲得し芸能界デビューしていた広末涼子がNTTドコモのポケベルCMで全国区となり、可憐な美少女キャラとしてグラビアにも進出。『ショートカット』という流行キーワードを生み出し、多くのファンの心を虜にした。1993年にねずみっ子クラブでデビューしていた仲根かすみがこの年以降ソロとしてグラビア活動を始めて人気を得る。同じ頃川村ひかるがグラビアデビューを飾っている。
1997年、この年でグラビア界で一番大きな出来事といえば、大手芸能事務所ホリプロをバックボーンにしたグラビアアイドル優香のデビューである。幼さを感じさせる愛らしいルックスとそれに似合わぬ巨乳の持ち主というギャップで一気にグラビアクイーンに。その後も司会業から芸人並みのコントまでこなせる幅広い適応能力が評価されて人気タレントになったが、グラドル時代に発売されたDVDや写真集は今なお売れ続けている。
そしてこれを皮切りに他の芸能事務所もイエローキャブの手法、いわゆる「巨乳ブーム」に追随する動きが出ている。
- この時の事を野田・現サンズエンタテインメント社長は『自分たちは小さい事務所だから自分トコのタレントを世間に知ってもらう為にはグラビアみたいなところから始めるしかなかった。でもそこに大手のホリプロが入ってきたからね。優香はホリプロの大看板を背負って出てきたわけだから、こりゃ、「勝った」なって思ったな。やっと俺のやってきたことが認知されたなって、それまでも少しずつ変わっていたけど、優香が売れたことによって巨乳 = トロいみたいな認識から、その子の頭の良さや人間性に注目してくれるようになったよね。』と語っている(QuickJapan Vol.68「特集グラビアアイドル」の対談記事から)。
優香はデビュー1年後の1998年の第36回グラフ賞を皮切りに1999年第37回最優秀新人賞・放送新人賞、2000年第38回放送賞と3年連続でゴールデン・アロー賞を受賞し、第40回では記念表彰のゴールデングラフ賞を受ける快挙を成し遂げて、グラビアアイドルの地位向上に大きく貢献した。優香の成功によりグラビアアイドルは、ついにその強固なステータスを業界内に築き上げることになった。この流れに乗るようにアーティストハウス・ピラミッドの柳明日香もフジテレビVQに選出され人気を獲得している。
その一方で巨乳グラドル隆盛の中、細身で美乳、ポヤッとした温かみのある顔立ちという新しいタイプのグラドルとして、藤崎奈々子がフジテレビVQに選出。翌年には山川恵里佳が『ミスヤングマガジン』特別賞を受賞し、イエローキャブに対抗する新たな芸能事務所としてアバンギャルドが注目されるようになる。同路線では子役として長い芸歴を持つ吹石一恵もフジテレビVQに選出されている。また賞とは縁が無かったが松田純もこの時期にデビューし、大きな人気を獲得した。さらにこの年にはテレビ番組「ASAYAN」の企画オーディションで不合格者となったメンバーを集めて結成したアイドルユニット・モーニング娘。の第1期メンバーが活動を開始。後のハロー!プロジェクトの核となっていく。
1998年、フジテレビの『ビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー』に対抗し日本テレビでも独自の自社キャンペーンガールとして『日テレジェニック』の選出をスタート。第1期メンバーにはティーン向けファッション誌モデル出身の加藤あいと酒井彩名、原史奈(同年「ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション」グランプリ受賞)等に加え、イエローキャブからロリータフェイスと巨乳、モデル並みの長身で注目された佐藤江梨子が選出されている。ちなみにこの年の『フジテレビVQ』には1996年にギャル系グラビアアイドルの走りとしてデビューしていたアーティストハウス・ピラミッドの安西ひろこが、アバンギャルドからは同年のミスヤングマガジングランプリを受賞した清純派の柴田あさみが選出されている。双方ビジュアル的に非常にレベルの高い面子が揃ったことで、この年以降、フジテレビVQと日テレジェニックは、グラビアアイドルにとっての大きな冠タイトルとして2003年まで毎年鎬を削ることになる。
その他にはオスカープロモーション主催の『オスカーグラビアグランプリ』で菊川怜がグランプリを受賞。同年、『東レ水着キャンペーンガール』にも選出され、現役東大生という異例の高学歴グラビアアイドルとして注目を浴びた。また平井理央がこの年からテレビ東京『おはスタ』のマスコットおはガールの一員として活躍しグラビア方面にも進出して人気を博しているが、自身の夢であるアナウンサーを目指しわずか数年でアイドルを引退。2005年よりフジテレビのアナウンサーに転身している。イエローキャブでは小池栄子がデビューを飾っているが、注目されるのは翌年以降である。
1999年、世紀末を迎えてなお日本全体が不況の中にあり、世は「癒し」がブームとなった。これに伴って、グラビアに出演するタレントにもこれまでのセクシーさよりも親しみやすさや安心感、危うい無防備さ等が求められる傾向が強まった。その先鞭をつけたのが本上まなみであり、その流れをさらに広げた代表格が井川遥である。
本上のデビューは早く1994年にテレビドラマの出演で芸能界デビュー。1995年に『ユニチカサマーキャンペーンガール』に起用され、既にグラビアでも活躍していたが、前年の『爽健美茶』のTVCMが話題となり一気にブレイク。癒し系の代表格といわれる。また井川はこの年の『東洋紡水着サマーキャンペーンガール』でデビュー。翌2000年にも『アサヒビールイメージガール』に選ばれ人気が上昇。2001年にはゴールデンアロー賞グラフ賞を受賞し、本上と共にこの後暫く続く癒し系グラドル隆盛の旗頭となった。
また既に一定の人気を得ていた優香が飯島直子と共演した缶コーヒーのCM『ジョージア』で癒し系のキャラクターへシフトチェンジし更なるブレイクを見せている。
癒し系がヒットした影響を受けて、デビュー当初から癒し系を意識したグラドルが数多くデビューするようになる。酒井若菜がこの年の『日テレジェニック1999』に選出(その2年前には酒井美幸名義で『ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション』で準グランプリを受賞)。安めぐみもこの年の『ヤングジャンプ全国女子高生制服コレクション』で準グランプリを受賞している。また冠タイトルには縁が無かったが、前年にデビューしていたフィットワンの乙葉も重要な癒し系グラドルの1人である。
一方、癒し系とは別に、モーニング娘。に後藤真希が新メンバーとして加入。直後の楽曲『LOVEマシーン』が音楽シーンにおいて大ヒットしたことでハロプロ勢のグラビア進出がより一層華やかなものになっていた。『フジテレビVQ』もホリエージェンシーの吉井怜、スターダストプロモーションの内藤陽子らが選出されている。なお吉井はグラビアアイドルとして活躍を期待されていた矢先の2000年、写真集撮影の際に急性骨髄性白血病で倒れそのまま長期休養に入り引退が懸念されたが、2002年に病魔を克服して復帰。その際発行した闘病記がベストセラーになっている。イエローキャブからはMEGUMIがデビュー。
2000年、前年の癒し系ブームは更に加速。ゴールデンアロー賞グラフ賞は、その独特な天然ボケ不思議キャラと抜群のプロポーションで人気になった釈由美子が受賞している。釈は1997年に講談社『週刊ヤングマガジン Missキャンパスグランプリ』でグランプリを獲得しグラビアデビュー。同時にTBS系の深夜番組『ワンダフル』の第1期ワンダフルガールズとして活躍していたが、グラビア方面でよりブレイクしたのは癒し系ブームが始まってからで、早すぎた癒し系の1人と言えるかもしれない。
また癒し系とは違う流れのグラドルも徐々に出始め、この年の『日テレジェニック2000』には前年にデビューした眞鍋かをりが選出され、ビジュアル面だけではなく明るく華やかで屈託のないキャラクターが大いに受けて、写真集やDVDなど、出すグッズアイテムがことごとく売れるグラドルとして一躍人気者になる。特にこの少し前にアイドル系の新しいグッズアイテムとして登場したトレーディングカードの売上は凄まじく、眞鍋の出した好結果に影響されて、グラドルの有力商品グッズの1つとして定着していった。『フジテレビVQ』には周防玲子(現:すほうれいこ)、一戸奈未(現:一戸奈美)、川村亜紀(同年「ミスヤングマガジン」グランプリ受賞)、桜井裕美(後に『JJ』のファッションモデルに転身)、三津谷葉子(1996年『ホリプロタレントスカウトキャラバン』優秀賞)、金子さやかの6名が選出。またこの年の『ホリプロタレントスカウトキャラバン』で審査員特別賞を受賞した綾瀬はるかがグラビアアイドルとしてデビュー。この頃は大きな反響を得られなかったが、後にテレビドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』で主演に抜擢され女優として開眼する。
ハロプロ勢にも4月から石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依の4名が加入。前年の勢いを加速して一般雑誌にまで取り上げられるほどのブームを巻き起こし、グラビア業界を華やかに彩った。この他では杏さゆりがこの年の「ミスヤングマガジン」準グランプリを受賞。細く締まったしなやかなウェストから後に「くびれクイーン」の称号を受けてグラビア誌面で活躍する。
21世紀のグラビア[編集]
2001年は表立って派手な展開はなかったものの、グラビアの転換期に入った年と見ることができる。
癒し系の系譜に入る吉岡美穂が2000年に『サントリーDハイ小町』及び全日本GT選手権『マリオレーシングチーム・キャンペーンガール』となり業界入り。この年に『トリンプ下着キャンペーンガール』、そして『レースクイーン・オブ・ザ・イヤー2001』受賞を経て本格的にテレビ業界に進出。翌2002年にかつらメーカーのCMに出たことで人気が急上昇。2002年の第40回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞した。
『ミスヤングマガジン』が講談社発行の漫画誌を統合した大型オーディションにリニューアル。名称を『ミスマガジン2001』として最初にグランプリに選ばれたのは加藤未央。だが当人は大学進学を希望しグラビア活動を極力控えてしまったため、グランプリ受賞者がいきなりグラビアから遠ざかるという前代未聞の事態に。その為かこの年のミスマガジンは勢いがつかず、現在でも目立った芸能活動を続けているのはTBS系『スーパーサッカー』で白石美帆の後を受ける形でアシスタントとして芸能界復帰した加藤と芸能人女子フットサルチーム『ミスマガジン』でキャプテンを務める鎗田彩野(現:立花彩野。翌2002年『フジテレビVQ2002』に選出)ぐらいでとても成功したとはいえなかった。
『日テレジェニック2001』はイエローキャブから小野愛、アバンギャルドから藤川のぞみ、鈴木葉月らが選出。またテレビ朝日がフジテレビ、日本テレビに続き3つ目のテレビ局キャンペーンガールとして『テレ朝エンジェルアイ』の選出をスタート。第1期メンバーには石川恵理(現:石川エリ)、大沢安希、大城美和、樹里(同年第1回ミス・ヤングアニマルGIRLSコンテスト準グランプリ受賞)が選出されるも、いま1つ地味な感がぬぐえなかった。『フジテレビVQ2001』ではティーンファッション誌『SEVENTEEN』の専属モデルだった浅見れいな、前年にバップが選出したグラビアアイドルユニット『プチエンジェル』の第1期生だった小向美奈子、ホリエージェンシーの宮地真緒(翌年『旭化成水着キャンペーンガール』に抜擢)ら好素材が選出されて気を吐いたものの、大筋この年は既存の癒し系グラドル達の勢いを止められる存在がいなかったといえるだろう。
その一方でこの時期には、小柄な妹系グラドルとして市川由衣(当時エイジ、現研音所属)、アバンギャルドの小倉優子、ホリエージェンシーの磯山さやか、今時のギャル系グラドルとしてプラチナムプロダクションの若槻千夏、大人っぽいセクシー路線として比較的高めの年齢層を狙ったアーティストハウス・ピラミッドの熊田曜子、イエローキャブからはバスト103cmという規格外の巨乳を持った根本はるみ、後に「ワカパイ」の愛称で人気となる井上和香がこの年を前後してグラビアデビューを飾っていて、翌年以降のブレイクを期待させた。
またローティーンのうちに大きな芸能オーディションで賞を獲得したアイドル候補達が、この頃続々とグラビアに進出している。その最たる存在が上戸彩と長澤まさみで、1997年に行なわれた大手芸能事務所であるオスカープロモーション主宰の『第7回全日本国民的美少女コンテスト』で審査員特別賞を受賞し芸能界入りした上戸彩が、この年に自身が出演したドラマ「3年B組金八先生」で性同一性障害という問題を抱えた女生徒役を好演し注目を集め、また2000年に行なわれた『第5回東宝シンデレラコンテスト』において当時12歳でグランプリを獲得した長澤まさみが女優子役方面でも活躍しつつ、ティーンファッション誌『ピチレモン』の専属モデルを経て、徐々にグラビアアイドル誌での露出も始める。
2002年は前年の反動からか、各方面から優れた素質を持つグラドルが多数輩出された豊作の年といってよい。
『ミスマガジン2002』では癒し系の系譜を引き継ぐホリプロの和希沙也がグランプリ、アーティストハウス・ピラミッドの安田美沙子がミスヤングマガジンをそれぞれ新人として受賞。またミス週刊少年マガジンには前年の『ポポロガールオーディション』でグランプリを受賞し妹系グラドルとして活躍していたワタナベエンターテインメントの中川翔子が選出。
『フジテレビVQ2002』では前述の鎗田彩野の他、市川由衣、ファッション誌「Ray」の専属モデル香里奈、前年の『ヤングジャンプ制コレ2001(「全国女子高生制服コレクション」より改名)』で準グランプリを受賞していたスターダストプロモーションの沢尻エリカが選出され、鎗田以外の3名は数年後に若手実力派女優として開眼していくことになる。『日テレジェニック』では既にグラビアで多くのファンを獲得していたアバンギャルドの小倉優子、2000年の『第25回ホリプロタレントスカウトキャラバン』グランプリの藤本綾、昨年秋からテレビドラマ『3年B組金八先生』にて上戸彩と共に生徒役で共演していたスターダストプロモーションの佐藤めぐみ、森本さやからが選出された。
『テレ朝エンジェルアイ2002』は前年の反省からイエローキャブからMEGUMI、プラチナムプロダクションから伊織、ホリプロの木南晴夏(同年に第1回『ホリプロNEW STAR AUDITION〜21世紀のリカちゃんはあなた!!〜』グランプリ受賞)等グラビア大手の事務所から選出し、冠タイトルに見合う陣容を揃えた。
またこの時期、テレビ業界からグラビアに逆進出するという現象も見られた。サンミュージックブレーンの小野真弓が消費者金融『アコム』のテレビCM起用で注目され、「しょせんは金貸し」という一般的なイメージを払拭する反響を呼んだ勢いでグラビアにも参入。同時に特撮番組の『忍風戦隊ハリケンジャー』に出演した山本梓と長澤奈央がビジュアル面から人気となってグラビアに取り上げられた。今後これらの路線は多くのグラドルに引き継がれていくことになる。
2002年度は各人のその後の活躍振りを見ても、非常に質の高い素材が揃っていた年であったが、グラドルの大きな冠の1つである『フジテレビVQ』がフジテレビの自社アナウンサーのアイドル化現象(前年にデビューしたアヤパンこと高島彩の存在が大きい)による路線変更からこの年で廃止されている。
さらにこの年よりタレント系芸能事務所がモータースポーツ界に参入し、自社所属新人タレントの顔見世を兼ねてレース場にレースクイーンとして派遣する事業が始まる。プラチナムプロダクションからは全日本GT選手権(現:SUPER GT)のイメージガールとして若槻千夏、伊織、星野加奈、高杉さとみ(現:高杉さと美)が、アバンギャルドからはレースクイーンとして佐藤ゆりな、古谷沙織、田中かおり等が派遣された。この手法は直接的なコミュニケーションによってファンの支持を獲得しながらグラビア活動を本格化させて相乗効果を狙ったものであり、またアイドルファンが訪れることによってレースクイーンの知名度も大幅にアップするという波及効果も生み出しその中からグラビアアイドルに転進する者もそれまで異常に増えたことで一定の成功を収めている。この年をきっかけに、サーキットはまだあまり知られていない新人グラビアアイドルと直接触れ合える場所として認知されるようになった。またグラドルの老舗イエローキャブでは根本はるみ、小林恵美ら新人グラドルを使って『R.C.T.(あーるしてー。R指定にかけたもの)』というセクシー系アイドルグループを結成したが、こちらは一時代前の手法でアピール度が薄かったこともあり、ほとんど成功を収められなかった。
2003年は、前年まで続いた癒し系を求める流れが一段落し、個性豊かなグラビアアイドル達が多数デビューした年である。
この年のグラビア界を席捲した存在といえば井上和香である。前年からの勢いをバックに『ワカパイ』の愛称で、グラマラスなボディーと癒しの深み、イタズラっぽいクリッとした瞳と柔らかさが伝わる厚目の唇という多くの武器を兼ね備えた新時代のグラドルとして『日テレジェニック2003』選出を皮切りに、この年のゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞する。また『日テレジェニック2003』では後に女優として開眼するサエコも選出されている(前年に道休サエコとして『ヤングジャンプ制コレ2002』準グランプリを受賞)。一方の『テレ朝エンジェルアイ2003』は前述の根本はるみが100センチオーバーのバストを売りに、矢吹春奈が均整の取れた野性味溢れるプロポーションを武器に選出。特に矢吹は後に『完売クイーン』と呼ばれ、彼女がグラビア掲載された雑誌はすぐ売り切れるという逸話まで語られるようになる。
『ヤングジャンプ制コレ2003』では前年にテレビ東京系『おはスタ』のおはガールやアイドルグループ・フルーツポンチの一員として歌手活動をしていたavexの近野成美がグランプリを獲得。しかしグラビア方面でより注目を集めたのは準グランプリに選ばれた川村ゆきえである。抜群のプロポーションと10代にもかかわらず大人をも凌ぐセクシーさを併せ持った稀有な存在として世の男性陣を虜にしていった。川村は「これから先数年はトップグラビアアイドルとして活躍するだろう」とファンや業界から熱い注目を浴びていたが、翌年になって所属事務所とのトラブルから移籍問題を起こし、民事訴訟裁判にまで発展。敗訴という結果を受けて移籍先事務所での芸能活動を自粛せざるをえなくなり、一時期芸能界からフェードアウトしてしまう。2006年半ばに再び別の事務所に移籍した上で復帰したが、この当時の勢いには及ばず、グラビア業界にとっては大きな損失となった。また後に人気若手女優として活躍する戸田恵梨香が誌面ユニット『ヤングジャンプ制コレ5up』の一員に選ばれているが、この頃はまだ後の活躍は予期されていない。
一方この年の『ミスマガジン2003』ではプラチナムプロダクションの岩佐真悠子がグランプリを獲得。クールな小悪魔系美少女として他のグラビアアイドルと違う異彩を放ち注目される。また岩佐はグラビアと並行して即座に女優業にも進出。ネット小説で話題となった『DeepLove』のテレビ版ドラマにおいて原作者たっての指名を受けいきなり主演に抜擢、複雑な家庭環境を持つ女子高生のアユ役を好演し、そのクールなイメージにさらに磨きをかけて活躍。翌年に第42回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞する。またミス週刊少年マガジンには瀬戸早妃が選出。瀬戸はイエローキャブ系列のサンズ(現:サンズエンタテインメント)所属だが「イエキャブと言えば巨乳」という周囲の固定観念を覆すスレンダーボディの正統派美少女という事で2001年当時(『制コレ2001 7up!』のメンバー)から度々話題になっていた。逆に巨乳系としては夏目理緒がミスヤングマガジンに選ばれている。
さらに女優としてデビューした堀北真希が長澤まさみに続く清純派の代表格として話題を呼び、水着にこそならないものの、度々グラビアを賑わせるようになる。その逆に2001年のインリン・オブ・ジョイトイ、堀口としみ、名波はるか等から始まる極めて露出の高い水着を着たり、女性の局所を手や花等のアイテムで隠したりしたグラビアに、世の携帯電話時代を反映して「着エロ」というキーワードが付けられたのもこの頃である。主にレースクイーンからの転出組や、お菓子系雑誌組などがこぞって挑戦し男性誌などで一つの流れを作った。癒し系、美乳系の隆盛でやや下火になりつつあった巨乳アイドルもこの着エロ路線に便乗するように再び息を吹き返し、この年から翌年にかけて実に数多くの巨乳系グラドルがデビューした。
この頃からグラビアアイドルの目指す方向性の2極化が顕著になってくる。つまり女優やテレビタレントに転身する際に、「グラビアから卒業する者」と「グラビアを卒業せずに並行して次のステップに進む者」と、である。
グラビアアイドルのバラエティ番組への本格的進出が顕著になり、特にMEGUMI、若槻千夏を始めとする「芸人並に喋れて面白いリアクションができるグラビアアイドル」の出現がグラビアアイドルの裾野を広げる大きなきっかけとなった。それまでもグラビアアイドルから転身し女性タレントとして成功していた例はいくつもあったが、現役グラビアアイドルの肩書きを持ちながらバラエティ番組で成功したという意味では彼女たちが先駆者といってよい。MEGUMIはさらに番組司会や女優、歌手までこなすマルチタレントとして広く認識され、近年のグラビアアイドルの最たる成功例としてマスコミに取り上げられることも多い。また喋りではなくその特異なキャラクターで同様の地位を築いたのが小倉優子で、グラビアと並行しつつTV方面でも活躍。当初は単なる「ぶりっ子キャラ」というひと昔前のキーワードで括られる存在だったが、出演番組での発言の機会が増えたことで本来の「不思議系キャラ」として認識されるようになる。若槻千夏は、渋谷系ファッションとギャル言葉だが厭味を感じさせないフレンドリーな雰囲気をもった言動から男性のみならず若い女性からも同じ世代を代表する存在として広く人気を獲得した。
2004年は、今までの地道なスカウト活動に加えて、他の業界や異業種からグラドルへ転身させるという手法が目立って出てきた年である。これはアイドルを最初から育てるのではなく、地味な活動でもある程度人前での露出に慣れている素材に注目し育てた方が即戦力になるという判断が働いたものである。
『日テレジェニック2004』は元銀行員のお客様係というOL経験をもつアバンギャルドの田辺はるか、パチンコメーカーのキャンペーンガール・ミスマリンちゃんとしてデビューしていた大久保麻理子、ティーン向けファッション誌出身で「美少女戦士セーラームーン」の実写版テレビドラマで人気を得た小松彩夏らが選出。また『テレ朝エンジェルアイ2004』には前述の小林恵美、こちらもデビュー前にOL経験のあるアーティストハウス・ピラミッドの新人夏川純が選出された。いずれもグラビアより先に何らかの職業経験を積んでからグラビアの世界に参入してきた人材であり、この傾向は今後もグラビアにおけるもう1つの潮流となっている。なお『テレ朝エンジェルアイ』は後発であったことや、起用したアイドルの反響が思いのほか少なかったことからこの年限りで廃止になっている。
『ミスマガジン2004』では、グランプリに小阪由佳、読者特別賞に山崎真実、審査員特別賞に松嶋初音という純グラドルが選ばれたのに対し、『ヤングジャンプ制コレ2004』では森絵梨佳(「SEVENTEEN」)、平田薫(CANDy)等ティーンファッション誌モデル出身者が受賞。この頃からティーンファション誌モデルが高校生に進級した時期に合わせてグラビアに進出させる、いわゆる青田買いが増え始め、「SEVENTEEN」の専属モデルだった榮倉奈々や「nicola」の専属モデルだった新垣結衣、リクルート「ゼクシィ」のTVCMでブレイクした加藤ローサなどが代表格となっている。
また、既にテレビタレントとして活躍中の眞鍋かをりがこの年の末に自身のブログで伊達眼鏡姿を公開し、これを契機に一気にトラックバック数日本記録を樹立する。これが各方面で話題になり、彼女の功績によりブログというネットツールが広く知れ渡るようになったことで、ついには「ブログの女王」と呼ばれるようになる。また翌年には自身のオタク知識を前面に押し出したブログで中川翔子が話題になり、そこで展開される「ギザ、かわユス」などの独特なネット言葉が注目を浴びた。こちらもまた大きな話題になり眞鍋に対してこちらは「新ブログの女王」と呼ばれる。この2名の出自から更にグラドルの知名度は上がった。
なおこの頃から若槻千夏や小倉優子の後を追うようにグラビアと並行してテレビバラエティに進出するグラドルが多数現れ、深夜番組に留まらず、ゴールデンタイムなどにも頻繁に顔を出すようになり、大抵の番組では俗に「グラビアアイドル枠」といわれるものが設けられ、芸人等に混じり番組を盛り上げる役としてお茶の間の人気を獲得していく。
2005年、それまであまり知られていなかった新人グラビアアイドルが突如として現れる。まず年頭からフジテレビの競馬情報番組『うまッチ!』にレギュラーとして起用された工藤里紗がブレイク。番組は若槻千夏の初の冠番組で東日本のローカル放送ではあったが、同番組で見せる極めて素人っぽいリアクションがウケてグラビア界でもすぐさま取り上げられるようになり、新たな旋風を巻き起こす。またグラビアではなくいきなりイメージDVDを発売し好セールスを記録した長崎莉奈もそのギャルっぽい出で立ちとは裏腹なおっとりとした癒し系の雰囲気をかもし出す特異なキャラクターとして注目をされ始める。
またこの年の半ばあたりから突如ブレイクしたのはほしのあき。グラビアでは既に4年程前からおなじみの顔であったが、「最年長グラビアアイドル」というキーワードとそれを全く感じさせぬロリ顔、華奢な体型、「まるでウォーターベッドみたい(杏さゆり談)」という88センチの弾力のある豊満な胸元を大胆に露出するギミックで深夜番組を足がかりにTVでの露出が増え始めたところ、急激に知名度がアップ。特に業界各所でほしのあきファンを公言し始める者が増え始め、芸人・長井秀和からは毎週のように持ちネタで「愛しのおっぱいエンジェル!!」と呼ばれ、芋づる式に人気が拡大。またキーワードに違わず、30歳近い年齢ながら惜しげも無く水着姿を披露して完成度の高いグラビアを堅持、その地位を確立した。彼女の活躍がグラドルの平均寿命を飛躍的に上げることになり、今の時代では本人のやる気と身体のメンテナンスを怠らなければグラビアでも活躍できる、という認識が広く生まれ、この後多くの高年齢グラドルが活躍の場を広げていくことになる。またそれと並行しドラマなどでは本名の「星野亜希」名義で女優としても活躍。さらにグラドルの知名度貢献に一役買った。ほしのはこれらの幅広い活躍が評価され、翌2006年度の第44回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を女性歴代最年長で受賞。なおこの年の第43回ゴールデン・アロー賞グラフ賞は、これまでの幅広いメディア露出が評価された安田美沙子が受賞している。
その他に大きな動きとなったのは「お尻」というヒットワードが生まれたこと[1]。その発端はこの年から本格的に芸能活動を再開した秋山莉奈で、『撮影の時に「お尻の形が綺麗だね」って言われることが多かった』と自らお尻を強調した水着写真集『楽園』をこの年の11月に発売すると、透けるような白い肌と淫靡な表情、大胆なポーズがクチコミで話題となり大ヒット。秋山は「尻ドルクイーン」という称号を貰い、他のグラドル(特に胸にあまり自信が無いグラドル)がこれに習いお尻を強調したグラビアを続々発表、グラビア界に新しい流れを生み出した。特にアバンギャルドのグラドルはロリータフェイスのタレントが揃っていたことでこの流れを派生した「ロリ着エロ」とも言うべきグラビアに挑戦。浜田翔子、折原みか、海川ひとみなどが続々と追従した。また若槻千夏は既にバラエティタレントのイメージが定着していたが、翌年の5月の自身の誕生日に合わせ3年ぶりに写真集を発売。こちらはプライベートスナップを意識したもので作品イメージは秋山らのそれとは異なるが、その中心にお尻を強調した写真を多数使用。写真作品としてのファッション性が異性のみならず同性からも高評価を受け、グラビアアイドルとしての存在感を強烈にアピールした[1]。
『ミスマガジン2005』はプロデューサーのつんく♂が初めて審査員に参賀し、北乃きいがグランプリを史上最年少で獲得。しかしこの年に話題を攫ったのは、つんく♂賞に選ばれた時東ぁみだった。伊達眼鏡の萌えキャラというアニメや漫画などの2次元キャラクターを意識したギミックでグラビアと同時並行して歌手活動を開始し、主にハロプロ系ファンから熱い支持を受けた。『日テレジェニック2005』にはプラチナムプロダクションの愛川ゆず季、アバンギャルドの浜田翔子等が選出。既にグラビアではおなじみの存在であり、SUPER GTイメージガールやレースクイーンとしてサーキットでも同時に活動した。『ヤングジャンプ制コレ2005』ではグランプリをホリプロの寺田有希が、サンミュージックの福留佑子と、砂岡事務所(劇団ひまわり)の齊藤夢愛が準グランプリを受賞している。
またCMにグラドルが起用されることも増え、特に3つの大手消費者金融CMでアーティストハウス・ピラミッドの熊田曜子、安田美沙子、夏川純がそれぞれ担当。これに続いてフィットワンの佐藤寛子、中川翔子も同系のCMに出演するようになる。またかつらメーカーのCMにはほしのあきが、翌年にはほしのと同じエープラス所属の小阪由佳、オスカープロモーションの原幹恵も出演している。
2006年、もはやグラビア界は群雄割拠の時代となった。単に雑誌グラビアを賑わせるだけでなく、グラビアを継続したまま各方面への進出を果たし、売り出す手法も多岐に渡っている。
『ミスマガジン2006』ではSMAエンタテインメントの倉科カナがグランプリに、元Linda☆Lindaで歌手経験のある松井絵里奈がミス週刊少年マガジンに、お菓子系雑誌出身の美少女として有名だった仲村みうがミスヤングマガジンに選出。
『日テレジェニック2006』は通年のような「1人がグラマーなら1人が細身、もう1人が妹系…」というバランスの取れた人選ではなく、この年から1つのコンセプトに沿った選考になった。この年のキーワードは「巨乳」でプラチナムプロダクションの「軟乳グラドル」として売り出していた相澤仁美、アバンギャルドの北村ひとみ、イエローキャブ(応募時。現:スイートルーム)の草場恵(同年『ミスマガジン2006』読者特別賞も受賞)、オスカープロモーションで美少女クラブ31のメンバーとして活躍していた原幹恵と全員が90センチオーバーのバストを揃えてファンの度肝を抜いた。
またグラビア界以外からのグラビアへの進出も多い。前年年頃からビーチバレー選手の浅尾美和がそのアイドル並みのルックスの良さと鍛えられたしなやかな肢体が注目されてオフシーズンの活動の一環としてグラビアに進出、この年に試合以外での水着写真集を発売。テレビCMにも起用された。さらに海外発のネットアイドルとして一部で爆発的人気となっていたリア・ディゾンは、来日を期待するアクセス者の後押しから日本の芸能事務所と契約し、「グラビア界の黒船」と呼ばれる逆輸入グラビアアイドルとして鮮烈なデビューをしている。
そして元Folder5の満島ひかりやdreamの長谷部優など歌手活動主体のアイドルがソロ活動を機にグラビア進出している。また、ハロー!プロジェクトのアーティストも、水着姿が中心の写真集やDVDを出している。ただし、1970年代から1980年代にかけての女性アイドルが、歌手活動主体ながら同様の写真集を出していた事を考えると、特に新しい芸能活動の手法というものではない。ティーンファッション誌やテレビCMからの移籍組も多く、南明奈、夏帆などが高い人気を集めた。
またキャスターの皆藤愛子や声優の平野綾、AV女優のRioもグラビアに進出しており、平野は水着姿も披露しているが、これらもグラビア界以外からのグラビアへの進出といえる。
その他には青木りんや範田紗々のように通常のグラビアでは人気が出なかったものの、着エロ系のグラビアアイドルを経てAV業界へ転出していく者も出るようになっている。
近年の傾向[編集]
21世紀に入ってからは、ITインフラが進み一般家庭へのパソコンや携帯電話の普及率がアップした事により、ビジュアルコンテンツとしてのグラビアアイドル需要が一気に増えたものの、一部のグラビアアイドルが絶大な人気を得る一方で、グラビアアイドル個人の強烈なオリジナリティーに欠ける等、異常なまでに増加したグラビアアイドルの弊害も出始め、飽和状態が続いている。
グラビアアイドルの主力商品である写真集やDVDが、それなりに高価なわりには他の同種の作品と比べて極めて画一的に作られ内容面で乏しい場合も多く(制作に携わる優秀なアイデアを出せる人材の枯渇)、人気グラドルであっても旬を過ぎると売上が伸び悩む事がある。もっともその分新たに注目されつつあるグラビアアイドルにセールスが流れるので、市場自体の売上は年々拡大傾向にある。
ビジュアル面の評価が全てといってよいグラビアアイドルは、多くのものが目にしていない新鮮さが大きな売りであることは、その始まりから変化していない。しかしグラビアアイドルの新旧交代のサイクルが年々短くなっていることは確かであり、グラドルとしてデビューした最初の数年である程度の人気を得られなければ、その後に人気を得て浮上することは非常に困難である、と言わざるを得ない。その一方で秋山莉奈や折原みかのように新たなヒットキーワードを手にする、もしくはその流れに乗る事で突如人気がブレイクする場合もある。また、女優としてブレイクした綾瀬はるかや相武紗季、戸田恵梨香のように、グラビアアイドル以外の才能を見出されて、別の方面で芽が出る場合もある。
また原価が安く利益回収率の高いイメージDVDは巷に氾濫するほど出回っているものの、主力商品の1つである上製本の写真集は、紙原料の資源不足や手間隙にかかる人件費等からなかなか発行できない、という現象も実際に起きている。かつては何万部も売れた写真集も、現代では初版1万部が売れれば大ヒットと言われ、最初のリリース作品でその数字をクリア出来なければ、グラビアアイドルを名乗っているにもかかわらず、その後暫く写真集のリリースオファーがこない、といった話もよく耳にする。その為、新人グラビアアイドルが「写真集を出せるようになるのが当面の目標」とインタビュー等で語っているケースも多々見られる。
ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」[編集]
社団法人日本雑誌協会雑誌芸能記者クラブ主催の「ゴールデン・アロー賞」には、日本雑誌写真記者会が選考する「グラフ賞」という賞があり、もともとその年度で最も雑誌のグラビアを飾り話題を提供した被写体が受賞者に選出されるのだが、1998年度(第36回)受賞の優香以降は、グラビアアイドルの登竜門的な賞となっている。
- 1998年度(第36回):優香
- 1999年度(第37回):本上まなみ
- 2000年度(第38回):釈由美子
- 2001年度(第39回):井川遥
- 2002年度(第40回):吉岡美穂
- 2003年度(第41回):井上和香
- 2004年度(第42回):岩佐真悠子
- 2005年度(第43回):安田美沙子
- 2006年度(第44回):ほしのあき
- 2007年度(第45回):南明奈
受賞者は自動的に翌年度の日本雑誌協会キャンペーンキャラクターに起用される。いずれもその時代を反映したフォトジェニックであり、受賞者を改めて見ることで一般大衆が求めるグラビアの傾向やその推移が見て取れる。また他のミスコンのように同性の視線を意識してか均整の取れたプロポーションの持ち主が選ばれやすいのが特徴。また、近年の受賞者は、ミスマガジンなどのキャンペーンの受賞者であることなどから、実績、活動に対しては非常に厳しい評価がされている。
ゴールデン・アロー賞は第45回を以て終了することが発表されたが、雑誌協会キャンペーンキャラクター選出は継続となり、2009年度は佐々木希が起用された。
なお2000年代中盤からは蛯原友里、押切もえ、山田優などといった女性誌ファッションモデルも一般的な知名度を得ているが、選考の対象外だったと思われる(グラドル路線移行前年の1997年度=第35回に、ファッションモデル出身で現在は女優業メインだがモデル業も継続している吉川ひなのが受賞した例がある)。そもそもこの賞は「雑誌芸能記者クラブ」主催であり、選考は「日本雑誌写真記者会」が行なっているため、本来が「服を紹介する写真」であるファッション誌のモデルがそのままフォトジェニックとして選考対象になることはありえない。もしファッション誌出身であっても、自らが主体のグラビアを飾る機会が多ければ選考の対象になることも考えられるが、ファッション誌モデルとグラドルとを同じ比率でこなしている存在は皆無である。
グラビアアイドルの表現手法[編集]
2007年現在のグラビア傾向としては以下の4パターンに大別できる。
グラビアアイドルは、主に男性誌グラビアを中心に起用される。そのうち水着は最も多いグラビア制作の手段であり、現在でもメインアイテムとして扱われている。元来雑誌グラビアとは男性が見て楽しむことを目的にしたものであり、性に対しての規制が厳しい日本では、セミヌードに代わるグラビア素材としてビキニなどの女性の体を隠す範囲の狭い水着を使うことを早くから行なってきた。またグラビアモデルも局所を隠した状態ならば比較的自由に動けることもあり、それまでのセミヌード中心のアンダーな世界観を一気に開放的で明るいものへと変貌させた。
撮影も最初は浜辺やプールサイドなど水着に合った環境でのロケ撮影が多かったが、需要が飛躍的に増えたことで水場に限らず水着には全く関係性の無い場所でも衣装として使用されるようになる。その昔は露出度の高い水着を人前で着ることや肌を晒すこと自体に抵抗感を覚える新人アイドルも数多くいたが、21世紀に入り時代がオープン感覚になったことと水着自体のファッション性が各段に上がったことで、最近では最初から「タレントではなくグラビアアイドルになりたい」と自ら芸能事務所に売り込んでくる「他人からかわいく見られたい」女性たちも多い。ベテランのグラビアアイドルになると自身がより綺麗に見える水着を自ら選ぶ場合もあり、熊田曜子などはテレビに出始めた事で身体を隠す面積が大きい水着を渡された時「私は紐で結ぶタイプじゃなきゃ似合わない」と、より露出度の高いものを指定することがあるという。
水着グラビアは当初アグネス・ラムなど抜群のプロポーションを持つ外国人モデルがその役を担っていた時代もあったが、日本人女性のプロポーションが欧米のそれへと近付いていくに連れて日本人のグラビアモデルが多くなり、今ではその9割以上が10代〜20代半ばまでの日本人女性で賄われている。現在はそういったグラビア誌専門のモデルを務める若い女性たちをグラビアアイドルと呼び、かつての日本に存在したアイドル歌手に代わる存在として世の男性に認知されるようになった。
しかし時間が経つに連れ、水着姿から連想される性的刺激に現代の読者層は殆ど慣れてしまい、また雑誌の売上もそれに歩調を合わせるように落ちていった。しかしグラビアは相変わらず男性誌の売上を左右する重要なコンテンツであることに代わりは無く、その為グラビアアイドルの刷新だけでなく、水着以外の様々な趣向が凝らしたグラビアが多数生み出されることになる。
その1つの顕著な例が「着エロ」と呼ばれる過激なグラビアである。これは水着グラビアからヌードグラビアの中間に位置するもので、Tバック水着あるいは水着を着けずに手など体の一部や小物などで女性の局所を際どく隠した上で大股開きのような挑発的なポーズを取り、わざと男性の性的衝動をより刺激するような写真が使われる。これはある意味でグラビアの先祖帰りと言ってよい手法であり、こういったことが可能になった1つの要因として、かつてのフィルム製版からデジタル製版へと印刷技術が向上したことで、無理なポーズで女性の局所の一部が誤って写真に写ってしまった場合でもそのカットをボツとせずに簡単に画像修正できてしまうことが挙げられる。この技術を使い、タレントのホクロや吹き出物、傷、虫刺され跡などを出版側の要望で修正する場合も多くみられる(しかし、画像処理担当者が過剰に処理しすぎてしまい、本人を直接見たファンから写真との違いを指摘され、後に整形疑惑と噂されてしまう、という笑えない噂話がささやかれる場合もある)。また水着に代わり「見せ下着」という一見しただけではビキニと区別のつかないカラフルな下着を着用したグラビアも増えている。なおこの傾向の先駆者として名高いのはインリン・オブ・ジョイトイであり、レースクイーン出身の抜群のプロポーションを駆使して、尻や股間をことさら強調した「M字開脚」と呼ばれるAVもかくやという独特のポーズは世間でも話題となり、グラビアアイドルの存在感を広く知らしめた。
その一方で堀北真希、夏帆などに代表される、予め将来女優として売り出そうとしているタレントの清純なイメージを壊さぬように、極力肌の露出を抑えて、学生服や浴衣姿、普段着に近いファションの写真を前面に使用した情緒的作品もアイドルの清らかな少女性や神秘性を神聖化しているファンに好まれる傾向にある。かつては南野陽子、広末涼子などがこの路線のグラビアで売り出されて成功した。またそれらのモデルは水着グラビアを見せることが至極稀なことであり、水着が掲載された雑誌や写真集などは現在においても中古市場で高値で取引されている。
また、若者向けファッション誌による流行を取り入れ、非常にスタイリッシュなイメージを持つグラビアが増えているのも近年の顕著な傾向の1つ。その副産物として「SEVENTEEN」や「nicola」、「ピチレモン」等ティーン向けファッション誌の専属少女モデルをそのままグラビアアイドル、果てはその先の道に転身させるパターンが増えている。新垣結衣や南明奈等がその代表格で、今では日本を代表する若手女優の1人に成長した長澤まさみもこのパターンの先駈けとして認識されている。総じて決して肉感的ではないが非常にさわやかな印象を与え、時代の先端を行くグラビアとして男性だけではなく同性からの支持も多い。
最後の1つがコスチュームプレイ(コスプレ)と呼ばれるもので、これはいわゆるオタクの「萌え」文化の影響を受けて生まれた表現方法である。元は2次元世界の漫画やアニメの衣装を実際に作成し、自ら着用することでそのキャラクターになりきって仲間同士で楽しむ行為(通常彼等はコスプレイヤーと呼ばれる)であり、コミックマーケットのような大規模同人誌即売会で流行りだしたのが始まり。当初は一部の愛好者の間でのみ行なわれていたが、ITインフラの普及で自身のブログなどでコスチュームプレイをした自身の写真を公開する自称ネットアイドルが急造。そういったシチュエーションをそのまま雑誌グラビアに転用したのが「コスプレグラビア」である。ネコ、ウサギといった小動物系のモノからアニメのキャラクター、果ては全身を覆う着ぐるみタイプまで、これらの衣装は元々ルックスやプロポーションに秀でた存在であるグラビアアイドルと非常にマッチするものであり、独特の世界観をグラビアに持ち込むことになった。
この傾向の先駆者となったのは「21世紀最強のグラビアアイドル」と評される小倉優子であり、幼児性を感じさせるロリータフェイスとお姫様キャラクターが相まって多くのグラビアファンを魅了するだけでなく、それまで彼女に対し「ぶりっ子」と否定的だった同性の評価をも引き上げる役割を果たした(元々女性は幼少時から着せ替え人形を使って遊んだ思い出が多いはずで、可愛いものには素直に反応する、という心理面が働いた結果である)。また中川翔子や仲村みうのように元からオタク知識に精通し、それ故自らの着こなしに異常なまでのこだわりを持って望む者なども現れ、今後もこの傾向のグラビアは拡大していく可能性は十分ある。ただしネットアイドルのように自分や仲間うちで楽しむだけならともかく、観る側の趣向からモデルを選ばざるを得ないのがコスプレグラビアという表現方法の宿命でもあり、得てして実際の年齢に関係なく童顔であったり、年齢を殆ど感じさせない相貌の持ち主が好まれる傾向がある。
またコスチュームプレイの一部として、学校の制服、体操服、スクール水着など、学校生活を想起させる手法がある。こちらは前述の清純なイメージを求める手法とは明らかに表現方法が異なり、衣類を着用しただけではなく、脱衣シーンやその後の見せ下着・水着姿を同時に披露したり、とエロティックさを狙ったもので、グラビア読者に若き学生時代の甘酸っぱい性感情の1ページを切り取ったような情景を見せるものであり、得てしてそのモデルとなっているのは実際に現役の小学生から高校生である場合が殆どで、20歳を過ぎたグラビアアイドルがこの分野に挑戦することは稀である(小倉優子が「21世紀最強のグラビアアイドル」と評される理由は、20歳をとうに過ぎてなお、こういった分野のグラビアを発表しても読者に殆ど違和感を覚えさせない「不変の少女性」を持ちえているからである)。またその一方で、ナース、キャビンアテンダント、アンナミラーズなど著名な飲食店の制服など、女性に特化した職業の制服を用いる場合は、主に高校卒業後の18歳過ぎのグラビアアイドルが起用されるケースが多い。
また上記以外の例外として、現役のグラビアアイドルとして活動している段階で様々な理由から突如としてヘアヌードグラビアに挑戦する場合がある。これはグラビアアイドルとして売り出されたもののいまいちパッとせず、心機一転のつもりで望む者もいれば、若いうちにありのままの姿を残しておきたいという女性としての欲求から自身への記念碑的に捉えている者や、高名な写真家に口説き落とされて、または金額面の高額オファーから、あまり深く考えずにヌードになってしまうものなど様々である。これらの最たる例として有名なのが現在では純日本女優として評価の高い宮沢りえであり、菅野美穂や最近ではかでなれおんが若くしてヘアヌードに挑戦した。グラビアアイドルを既に卒業した女優や女性タレントなどが大人の色香を備えたヘアヌードグラビアに挑戦することはあっても、20歳そこそこの若さでヌード撮影に挑戦するというのは、元からヌードを売りにしているAV女優などはさておき、グラビアアイドルでは極めて異例の事であり、これらのヌードグラビアがスクープとして発表されると世間的にも非常に話題になって、掲載誌や写真集は軒並み高セールスを記録するといった現象が起こる。
またこの現象を逆手に利用し、最初からAVとしてデビューすることが決まっているにもかかわらず、売り込み文句を獲得する為に、わざと数回通常の水着グラビアを経験し、その後に「元グラビアアイドル」としてAVを出し売上アップを狙うパターンも多い。
週刊SPA!(扶桑社)誌上において、リリー・フランキーとみうらじゅんが「グラビアン魂」と銘打ち、毎号ユニークな視点からグラビアアイドル批評をおこなっている。
グラビアアイドルの年齢層[編集]
1970年代から1990年代にかけてのグラビアアイドルは、早ければ10代、遅くても大学卒業相当(22〜23歳)の年齢でグラビア(もしくは芸能界から)卒業する事が殆どだったが、21世紀に入った現在はその限りでなく、20代半ばを過ぎてもなおグラビアから撤退せずに芸能界で活躍するケースが急増している。ほしのあきや堀田ゆい夏、優木まおみ、安藤沙耶香、相澤仁美のように、大学を卒業する年齢を過ぎてからグラビアに参入するような場合さえ見受けられるようになった。またそれらと正反対に位置する紗綾などに代表される現役小学生としてグラビアデビューを飾る超低年齢層までが出てきており、幅広い世代が同時に活躍するようになった。
20代半ば-後半の女性アイドルが数多く活躍できるようになったのには、世間的、媒体的(インターネットの普及)な受け入れ体制が広がったこともあるが、現代社会の科学的・技術的テクノロジーが飛躍が発達したことも深く関係している。顔や体のメイク技術や保湿薬、整形医術などが新たに開発され、年齢による体のたるみや顔のしわを抑える(目立たなくする)技術が飛躍的に向上したことが大きく挙げられる。またグラビアアイドルを好むマーク層が年齢が上っても引き続きグラビアを求め、若い世代のグラビアアイドルにシフトせずに素直に受け入れた為、総じてグラビアアイドル全体の平均寿命は年々上がっている。今ではグラビアを卒業せずに別方面でも活躍するマルチな存在も増え、特にバラエティ番組では俗に「グラビアアイドル枠」と呼ばれる出演枠が暗黙に設けられており、番組を彩る花として重宝される存在となっている。
このような傾向について、アイドル評論家の北川昌弘は「もはやグラビアアイドルの限界年齢は消滅した。明らかにグラビアアイドルの年齢は2極化し、若い子の勢いについていけない20代後半から30代のファンが癒し系高齢アイドルを買い支えている」と分析している。なおこれらの世代はいかんせん団塊ジュニア世代であり小室ファミリーミリオンセラー連発時と同じく彼等の強い購買力に買い支えられていると見る事も出来る。
20代を過ぎてグラビアデビューしたものの中には、所属事務所の営業戦略上の理由から実年齢より若く年齢を公表する者なども実在し、それらが発覚したときは、しばしばゴシップ記事となって世間を賑わせることがある。しかしネット環境が整備された現代では何処からか実情報が漏れ伝わるのはもはや必然的なことであり、また先に述べたようにグラビアアイドルとしての許容寿命が延びた関係で、年齢詐称をすること自体、かつての時代ほど効果のある方法ではなくなってきているのが現状である。またグラビアアイドルの平均年齢は上昇しつつあるのにもかかわらず、成人世代であっても妹系やロリータ色で売り出されるグラビアアイドルが増えてきている。
また昨今のグラビアを飾る低年齢層(小中学生グラビアアイドル等)は、前述のグラビアアイドルの足跡の中で、かつては少女ヌード写真集として扱われてきた分野とアダルトビデオ業界で扱われてきた分野が交わり形成されたといってよい。
少女ヌード写真は1980年代前半までは、日本の法律の盲点をついてあからさまに局所も隠さずにそのまま掲載したりしたものが多かったが、1980年代後半の少女ヌード写真集等の摘発を受け衰退する。しかし1990年代前半に局所部分を修正した過去の作品の再発売が行われるなどして再度のブームが起きる中で、世間一般の批判や倫理論争から幾度かの法改正を経て明らかに法に抵触していた作品群は世論の標的となって1990年代後半には再び衰退していった。1999年に児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が施行され、少女ヌード写真集の新規の出版は不可能となり、少女ヌード写真の分野は終焉を迎えた。
一方、グラビアアイドル業界においては、1990年代後半からのチャイドルブームや、前述の2000年代前半のティーンファッション誌モデルの青田買いの流れで、低年齢層モデルを対象としたグラビア市場が形成されていく。当初の低年齢層グラビアは肌の露出が少ないものだったが、2004年から社会現象となった「エロかっこいい」を求める社会的風潮の中で、ビキニやTバックなど肌の露出が多い低年齢層グラビアが増えていくこととなった。現在は食生活の欧米化などにより、成長の早いものは小学生時から既に高校生あたりの年齢とさして変わらない肢体を持った少女も多数存在していて、上の年齢層モデルたちに習い、露出度の高い水着を着けて現役小学生という事を宣伝文句に通常のグラビアアイドルとして活躍している。しかし、これらのグラビアに対しては児童ポルノに該当するのではないかという指摘が起き、2000年代後半には過度な露出の低年齢層グラビアは大幅に減っていくこととなる。
2005年頃からは、低年齢層グラビア市場の可能性に気づいたアダルトビデオ業界の関係者が低年齢層グラビアの市場に参入するようになる。背景には、DVDの普及により、2000年代中盤に低年齢層グラビアの販売方法が写真集からDVDに変化したことが挙げられる。これにより、雑誌コードの取得が不要となって市場への参入障壁が下がるとともに、コストの低いDVDとイベントを軸とした低年齢層グラビア市場がビジネスとして確立するようになった。そして2010年代前半になると、演出において過度な肌の露出ではなく、アダルトビデオを想起させるようなポーズを用いる手法が常態化するようになり、一部には「着エロ」を上辺だけ模倣し秘部を覆う範囲の狭い水着をつけたり、わざと水着のアンダーを取り払い陰部が微妙に透けて見えるような明らかにやりすぎという感のあるグラビアが増え、内容がエスカレートしていった結果2007年に一部業者が警察当局の摘発を受けるに至り、露出度の高い低年齢層のDVD、グラビア誌の取り扱いを自ら控える小売店、インターネット通販業者が続出した。
2010年代終盤に入ると、一般的なビキニの着用を拒否する低年齢層のグラビアアイドルも出ており、現在の低年齢層グラビア市場は比較的健全な状態にあるといえる。しかし、低年齢のアイドル等に対するニーズは、戦後の子役や少女歌手の時代から形を変えて存在し続けており、その中で過激化と健全化の事例は過去にも幾度か起こってきたことでもあり、送り手側の節度を持った倫理観が必要である。
事の是非はさておいて、「小学生の身分で露出の多い水着を着るグラビアアイドルというのはいかがなものか」「小学校の娘をグラビアアイドルにする親の気が知れない」といった、親権者の倫理道徳の欠如や希薄さ・無理解さも世間の一部であがっていることも事実であるが、一方で、「有名アイドルグループのメンバーが露出の多い水着を着ることは受け入れている」「インターネット・SNSの発達により地域アイドルなどが増えてアイドルの垣根が下がった」などの社会的風潮や環境が、背景にあることも事実である。
また過去に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を例にとるまでも無く、そういったロリータ世代を趣向する人々の「常識的なモラル」に対する懸念の声もあるが、これは犯罪者と同じ趣味を持つ人を短絡的に犯罪者扱いする差別行為であり、許される考え方ではない。現代社会においては、趣味嗜好が多様化するとともにインターネットや画像・動画技術が発達したため、アスリートの盗撮問題に挙げられるように健全な目的を持つ人と不健全な目的を持つ人の行為の区別がつきにくくなっている。低年齢層グラビアにおいても、健全と不健全の境目をどのように設け実践するかが、アイドル・業界関係者・愛好者の全員に課せられた課題だと言える。
現在の最高のバストサイズ・その他[編集]
- 2000年代に入り、巨乳ブームの時でさえありえなかった極端に乳房が大きいグラドルが次々にデビューしている。小池栄子のFカップは当初騒がれたが、今やF〜Hカップは当たり前で、J〜Lカップを持つグラドルまでもが出現している。現在、日本のグラドルで最高のカップ数は風子のPカップ(120cm)だとされている。
- 一時期グラビア界を席捲した「巨乳でなければグラビアアイドルになれない」という定説は若槻千夏、小倉優子、山本梓、安田美沙子などバストサイズが80cmそこそこのスリムビューティーなアイドルも多数活躍しており、完全に崩れたといってよい。また胸が豊かに見えるかどうかは単純にバストサイズの大小の問題ではなく、胸とその下のウエストサイズの比較で大きく見せられる場合がある。近年ではスカパー!などで、グラドルのチャンネル、放送番組も普及している。
- 最近では、桜井美春が「ほしのあきを超えた、最年長グラドル」として話題となった(ほしのより10学年上…「花のアイドル昭和57年デビュー組」と同世代)。そのほか、青森県八戸市の女性議員、藤川優里がDVDや水着写真集を発売したことも話題となっている。
グラビアアイドル一覧[編集]
グラビアアイドル一覧を参照。
参考文献[編集]
- QuickJapan Vol.68「特集・グラビアアイドル」(2006年10月30日発行、太田出版)
関連項目[編集]
- 水着キャンペーンガール
- ミスマガジン
- 制コレ
- YS乙女学院
- 日テレジェニック
- フジテレビビジュアルクイーン
- テレ朝エンジェルアイ
- ファイブスターガール
- Tバック
- 着エロ
- スジドル
- 樽ドル
- AV女優
- お菓子系アイドル
- バラエティーアイドル
- 巨乳アイドル
- グラビアアイドル一覧