「宇宙戦艦ヤマト」の版間の差分
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スタッフの編成は、企画・原案・製作・総指揮は[[西崎義展]]、監督は山本暎一と[[漫画家]]でもある[[松本零士]](美術・設定デザインも担当)、チーフディレクターは[[石黒昇]]。富野喜幸([[富野由悠季]])、[[安彦良和]]らが絵コンテを担当(富野は1話のみ)。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は[[豊田有恒]]。スタッフの多くが[[虫プロダクション]]の出身者により占められた。 | スタッフの編成は、企画・原案・製作・総指揮は[[西崎義展]]、監督は山本暎一と[[漫画家]]でもある[[松本零士]](美術・設定デザインも担当)、チーフディレクターは[[石黒昇]]。富野喜幸([[富野由悠季]])、[[安彦良和]]らが絵コンテを担当(富野は1話のみ)。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は[[豊田有恒]]。スタッフの多くが[[虫プロダクション]]の出身者により占められた。 | ||
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しかし本放送終了後、全国で行なわれた再放映は好視聴率を得て、全国各地でファンクラブが結成される。プロデューサーの[[西崎義展]]がファンクラブにリクエストするよう働きかけたエンディング主題歌「真っ赤なスカーフ」が[[ニッポン放送]]で1位になる。ニッポン放送では、後にクリスマスシーズンの「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」の発売にあわせて、『[[オールナイトニッポン]]』で4時間のスペシャル番組が放送された。[[アニメ雑誌]]がない時代において、サブカルチャー雑誌としてスタートした「[[月刊OUT]]」が、同人活動を行なっていたファンをライターに起用し、1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を敢行。後の「[[アニメージュ]]」に繋がるアニメ雑誌の流れを作るとともに、ファンクラブに入ってない層からの多大な反響を得て、ヤマトのブームを決定付けた。映画公開と前後して[[グッズ]]類も多数作られ、本作に引き続く形で『[[機動戦士ガンダム]]』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役との評価が定着している。 | しかし本放送終了後、全国で行なわれた再放映は好視聴率を得て、全国各地でファンクラブが結成される。プロデューサーの[[西崎義展]]がファンクラブにリクエストするよう働きかけたエンディング主題歌「真っ赤なスカーフ」が[[ニッポン放送]]で1位になる。ニッポン放送では、後にクリスマスシーズンの「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」の発売にあわせて、『[[オールナイトニッポン]]』で4時間のスペシャル番組が放送された。[[アニメ雑誌]]がない時代において、サブカルチャー雑誌としてスタートした「[[月刊OUT]]」が、同人活動を行なっていたファンをライターに起用し、1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を敢行。後の「[[アニメージュ]]」に繋がるアニメ雑誌の流れを作るとともに、ファンクラブに入ってない層からの多大な反響を得て、ヤマトのブームを決定付けた。映画公開と前後して[[グッズ]]類も多数作られ、本作に引き続く形で『[[機動戦士ガンダム]]』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役との評価が定着している。 | ||
− | [[1977年]]にテレビ放映版を再編集した劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開。これは、テレビ放映では商業的に失敗に終わったヤマトを海外輸出向けに[[舛田利雄]]と山本暎一らの協力で再編集したもので、西崎プロデューサーはこれを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという。ところが、東急系の劇場4館のみで公開したところ、公開初日から徹夜する人が現れるなどマスコミでも一躍話題になる。日本の映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第一作だと言われている。この反響により、公開は東映系に拡大されて、全国ロードショーとなり、9億円の配収をあげる。翌年[[1978年]]に公開された[[劇場用アニメ映画]]『[[さらば宇宙戦艦ヤマト]] - 愛の戦士たち - 』は劇場用アニメ映画としては[[日本映画]]史上記録的な大ヒットで、[[スタジオジブリ]]が制作した『[[魔女の宅急便]]』(1989年)が公開されるまでこの記録は破られることは無かった。低年齢層向けと見られていた[[アニメ]]が年齢層を超えて楽しめるものと認識されるきっかけを作った[[映画]]でもある。また、日本では1978年に公開された『[[スター・ウォーズ]]』と並んで[[ | + | [[1977年]]にテレビ放映版を再編集した劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開。これは、テレビ放映では商業的に失敗に終わったヤマトを海外輸出向けに[[舛田利雄]]と山本暎一らの協力で再編集したもので、西崎プロデューサーはこれを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという。ところが、東急系の劇場4館のみで公開したところ、公開初日から徹夜する人が現れるなどマスコミでも一躍話題になる。日本の映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第一作だと言われている。この反響により、公開は東映系に拡大されて、全国ロードショーとなり、9億円の配収をあげる。翌年[[1978年]]に公開された[[劇場用アニメ映画]]『[[さらば宇宙戦艦ヤマト]] - 愛の戦士たち - 』は劇場用アニメ映画としては[[日本映画]]史上記録的な大ヒットで、[[スタジオジブリ]]が制作した『[[魔女の宅急便]]』(1989年)が公開されるまでこの記録は破られることは無かった。低年齢層向けと見られていた[[アニメ]]が年齢層を超えて楽しめるものと認識されるきっかけを作った[[映画]]でもある。また、日本では1978年に公開された『[[スター・ウォーズ]]』と並んで[[SF]]ブームの牽引役となった。 |
本作品では[[宮川泰]]によるフルオーケストラによる[[主題歌]]や[[バックグラウンドミュージック|BGM]](第1作は、正確には[[ビッグバンド]]型式である)が特徴で、主題歌は今でも[[甲子園]]などでブラスバンドが頻繁に利用している(大編成のオーケストラの採用は西崎義展の意向とされる。ヤマト以前は予算の制約からそのような例は多くなかった)。[[海上自衛隊]]の海外派遣の際、見送りに使用された。また、[[スキャット]]の[[川島和子]]や[[主題歌]]の[[ささきいさお]]、そして声優陣など本作品で人気がブレイクした関係者も多い(アニメブーム=声優ブームとも言える)。劇場映画化を期に交響組曲と称する音楽作品が企画され、アニメ初の同種企画の先駆けとなった。(現在一般化されている[[サウンドトラック]]も本作品がはしりである)なお、2006年3月に宮川泰が亡くなったときには、本人の希望で、葬送の曲として宇宙戦艦ヤマトの主題歌が使われた。 | 本作品では[[宮川泰]]によるフルオーケストラによる[[主題歌]]や[[バックグラウンドミュージック|BGM]](第1作は、正確には[[ビッグバンド]]型式である)が特徴で、主題歌は今でも[[甲子園]]などでブラスバンドが頻繁に利用している(大編成のオーケストラの採用は西崎義展の意向とされる。ヤマト以前は予算の制約からそのような例は多くなかった)。[[海上自衛隊]]の海外派遣の際、見送りに使用された。また、[[スキャット]]の[[川島和子]]や[[主題歌]]の[[ささきいさお]]、そして声優陣など本作品で人気がブレイクした関係者も多い(アニメブーム=声優ブームとも言える)。劇場映画化を期に交響組曲と称する音楽作品が企画され、アニメ初の同種企画の先駆けとなった。(現在一般化されている[[サウンドトラック]]も本作品がはしりである)なお、2006年3月に宮川泰が亡くなったときには、本人の希望で、葬送の曲として宇宙戦艦ヤマトの主題歌が使われた。 | ||
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* [http://asianbeat.jp/xoops/modules/xf0section/article.php?articleid=437&category=5 asianbeat(松本零士スペシャルインタビュー)] | * [http://asianbeat.jp/xoops/modules/xf0section/article.php?articleid=437&category=5 asianbeat(松本零士スペシャルインタビュー)] | ||
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2017年9月24日 (日) 16:22時点における最新版
『宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)は、1970年代に日本で作成された「テレビアニメーション」および、「劇場用アニメーション映画」作品。もしくは、それらに登場する架空の宇宙戦艦の名称、および主題歌(作詞:阿久悠、作曲:宮川泰)のタイトル。英語名は『Space Battleship Yamato』(公開当時は『Space Cruiser Yamato(宇宙巡洋艦ヤマト)』と訳されていた。また英語圏での公開時の表記は『Star Blazers』)。
宇宙戦艦ヤマト
Space Battleship Yamato | |
劇場映画 |
|
テレビシリーズ |
|
目次
概要[編集]
第1作は1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放映されたテレビアニメとして制作された。
放映当初は、本作品の設定が1970年代のアニメとしては斬新であり、すぐには視聴者から受け入れられず、更に同じ時間帯に他局で放送されていた『アルプスの少女ハイジ』のあおりを受けて視聴率が上がらず打ち切られた。しかし、讀賣テレビ放送の地元である近畿地方で再放送を実施し、改めて注目され、全国的に再放映を求める声によって人気が急上昇し、再編集した劇場映画によって日本中に社会現象とも言える大ブームを巻き起こした。これまで「子供向け」と位置づけられていたアニメーション映画を、映画としての質の高さを社会全体に認知させるきっかけとなった。その後に続く『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメブームのエポック的な作品であり、今日、宮崎駿監督等が手掛けるアニメーションが、国内外から一般映画として高く評価されるまでの歴史は、本作品を抜きには語れない。また、『マジンガーZ』に代表される勧善懲悪的なロボットアニメから、現在の「ガンダムシリーズ」に見られる、ロボットや兵器をタイトルにしながら「人間群像」にまで深く踏み込むアニメ製作の先駆けともなった。
- なお、本作の主役艦である「ヤマト」については、「ヤマト (宇宙戦艦ヤマト)」を参照のこと。
宇宙戦艦ヤマトシリーズ[編集]
劇場映画[編集]
- 『宇宙戦艦ヤマト』 1977年公開[1]
- 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』 1978年公開
- 『ヤマトよ永遠に』 1980年公開
- 『宇宙戦艦ヤマト 完結編』 1983年3月19日公開[2]
テレビ[編集]
テレビシリーズ[編集]
- 『宇宙戦艦ヤマト』 1974年10月6日~1975年3月30日 読売テレビ系 全26話
- 『宇宙戦艦ヤマト2』 1978年10月14日~1979年4月7日 読売テレビ系 全26話
- 『宇宙戦艦ヤマトIII』 1980年10月11日~1981年4月4日 読売テレビ系 全25話
テレビスペシャル[編集]
- 『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』 1979年7月31日放映 フジテレビ系(1981年に劇場公開)
- 『宇宙戦艦ヤマトII ヤマトよ永遠なれ!(後に『宇宙戦艦ヤマト2 総集編』に改題)』 1979年10月6日 読売テレビ製作・日本テレビ系(ヤマト2を再編集し、一部音楽の差し替え、アフレコの追加等を行ったもの)
- 『宇宙戦艦ヤマトIII 太陽系の破滅』 1983年12月28日 読売テレビ系(ヤマトIIIの再編集版)
実写映画[編集]
2015年2月8日に地上波で放送された。視聴の際は部屋明るくして見るように。終盤は点滅多いので注意。ラストはなんと森雪が古代に撃たれてしまう
スタッフ[編集]
- 企画・原案・製作・総指揮:西崎義展
- 監督:松本零士
- 構成:舛田利雄、西崎義展、山本暎一
- 設定デザイン:松本零士
- 音楽:宮川泰
- SF設定 : 豊田有恒
- 監修:山本暎一、舛田利雄、豊田有恒
- 演出:石黒昇
- 絵コンテ:安彦良和、富野善幸
主題歌[編集]
- 「宇宙戦艦ヤマト」 - 作詞:阿久悠、作曲:宮川泰、唄:ささきいさお、ミュージカル・アカデミー
- 「真赤なスカーフ」 - 作詞:阿久悠、作曲:宮川泰、唄:ささきいさお、ミュージカル・アカデミー
コーラスグループは初回盤ではミュージカル・アカデミーだったが、再販の際にロイヤル・ナイツへと変更された(両者のメンバーがほぼ同じであるため区別がつきにくいが、あくまでも別音源である)。その後の商品化ではロイヤル・ナイツ版を収録するのが通例となっていた。ミュージカル・アカデミー版は2000年春に通信販売限定で発売された『松本零士音楽大全』で初回盤以来の商品化(初CD化)が実現した。
キャラクター[編集]
ストーリー[編集]
時に西暦2199年、地球は宇宙の彼方の謎の星ガミラスからの侵略を受け、遊星爆弾による無差別攻撃に晒されていた。すでに海は蒸発し尽くし地上の全生命は死滅、残された人類は地上の放射能から逃れるため生存圏を地下に求め、「人類の奴隷化か死か」を要求するガミラスに必死の抵抗を続けていた。しかし圧倒的な科学力の差の前になす術もなく、放射能汚染の進行による全人類の絶滅まであと一年余りと迫る中、最後の地球防衛艦隊が冥王星付近でガミラス宇宙艦隊との交戦により壊滅し、人類生存の希望は完全に潰えたかに見えた。
そんな折、遠く離れた星イスカンダルから救いのメッセージが届いた。そこで人々は、イスカンダルから送られた波動エンジンの設計図を元に、沈没していた旧大戦の戦艦大和を極秘裏に超光速宇宙戦艦に改造、「宇宙戦艦ヤマト」を完成させる。ヤマトは放射能除去装置コスモクリーナーDを求め、14万8千光年彼方の大マゼラン星雲イスカンダル星に向けて、最後の希望を託して発進する。
着々と放射能汚染が進行していく中で、人類滅亡を防ぐために、僅か1年以内に帰還しなければならないという状況のもと、ガミラス帝国との壮絶な死闘を繰り広げながら「宇宙戦艦ヤマト」がイスカンダル星へと向かい、放射能除去装置を受け取り地球に帰還する様子を描く。
放映と影響[編集]
本作品はSFロマン作品に分類される。地球の破滅が目前という設定は、当時の公害を始めとした社会不安の反映であり、『日本沈没』の大ヒットやノストラダムスブームなどと同じ基調である。当時のアニメとしては抜きん出たSF性があると評価され、日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞した。
スタッフの編成は、企画・原案・製作・総指揮は西崎義展、監督は山本暎一と漫画家でもある松本零士(美術・設定デザインも担当)、チーフディレクターは石黒昇。富野喜幸(富野由悠季)、安彦良和らが絵コンテを担当(富野は1話のみ)。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は豊田有恒。スタッフの多くが虫プロダクションの出身者により占められた。
同作品の第一作は、1974年10月6日から1975年3月30日まで26回にわたり讀賣テレビ放送をキー局として放映された。当初は最大39回の放送を予定し、未製作1クール分(小マゼラン基地撃破編など)のシノプシスも用意されていた。しかし、裏番組として『アルプスの少女ハイジ』および特撮SFドラマ『猿の軍団』も存在し、そのいずれにも視聴率が及ばなかった。そのため、第3クールへの延長は早々に(全39話版シノプシスにあった終盤への伏線は第1クール中から既にオミットされている)断念され、全26話に再構成の上で製作・放映された。
しかし本放送終了後、全国で行なわれた再放映は好視聴率を得て、全国各地でファンクラブが結成される。プロデューサーの西崎義展がファンクラブにリクエストするよう働きかけたエンディング主題歌「真っ赤なスカーフ」がニッポン放送で1位になる。ニッポン放送では、後にクリスマスシーズンの「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」の発売にあわせて、『オールナイトニッポン』で4時間のスペシャル番組が放送された。アニメ雑誌がない時代において、サブカルチャー雑誌としてスタートした「月刊OUT」が、同人活動を行なっていたファンをライターに起用し、1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を敢行。後の「アニメージュ」に繋がるアニメ雑誌の流れを作るとともに、ファンクラブに入ってない層からの多大な反響を得て、ヤマトのブームを決定付けた。映画公開と前後してグッズ類も多数作られ、本作に引き続く形で『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役との評価が定着している。
1977年にテレビ放映版を再編集した劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開。これは、テレビ放映では商業的に失敗に終わったヤマトを海外輸出向けに舛田利雄と山本暎一らの協力で再編集したもので、西崎プロデューサーはこれを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという。ところが、東急系の劇場4館のみで公開したところ、公開初日から徹夜する人が現れるなどマスコミでも一躍話題になる。日本の映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第一作だと言われている。この反響により、公開は東映系に拡大されて、全国ロードショーとなり、9億円の配収をあげる。翌年1978年に公開された劇場用アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト - 愛の戦士たち - 』は劇場用アニメ映画としては日本映画史上記録的な大ヒットで、スタジオジブリが制作した『魔女の宅急便』(1989年)が公開されるまでこの記録は破られることは無かった。低年齢層向けと見られていたアニメが年齢層を超えて楽しめるものと認識されるきっかけを作った映画でもある。また、日本では1978年に公開された『スター・ウォーズ』と並んでSFブームの牽引役となった。
本作品では宮川泰によるフルオーケストラによる主題歌やBGM(第1作は、正確にはビッグバンド型式である)が特徴で、主題歌は今でも甲子園などでブラスバンドが頻繁に利用している(大編成のオーケストラの採用は西崎義展の意向とされる。ヤマト以前は予算の制約からそのような例は多くなかった)。海上自衛隊の海外派遣の際、見送りに使用された。また、スキャットの川島和子や主題歌のささきいさお、そして声優陣など本作品で人気がブレイクした関係者も多い(アニメブーム=声優ブームとも言える)。劇場映画化を期に交響組曲と称する音楽作品が企画され、アニメ初の同種企画の先駆けとなった。(現在一般化されているサウンドトラックも本作品がはしりである)なお、2006年3月に宮川泰が亡くなったときには、本人の希望で、葬送の曲として宇宙戦艦ヤマトの主題歌が使われた。
制作の経緯[編集]
著作権および商標権などを巡る訴訟などについては後述も参照。
本作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、松本の漫画・石津の小説はしばしば原作と誤解されているが、一般的には松本の漫画は二次的著作物、石津の小説は新たな著作物と解釈される。
本作品には、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作が存在しない。そのため、著作者人格権訴訟では「企画書」を原作としている。(現在、制作会社等が原作者となるオリジナル作品が多くあるが、本作品がその先駆けとなった)
本作の企画は、虫プロダクション(虫プロ)の西崎義展プロデューサーを中心に、SF作家豊田有恒とスタジオぬえのメンバーも参加して練られたものである。テレビアニメ草創期にアニメの脚本を執筆していた豊田は、その頃既にアニメ界から離れてSF作家として活動していたが、かつての虫プロの同僚で、本作では監督となっている山本暎一の誘いで、SFアニメを作りたいとする西崎義展の要請に応える形で参加した。
豊田を中心とした企画では、小惑星そのものを宇宙船とした岩石宇宙船「宇宙船イカルス」や岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイディアも検討されていた(その名残りが本放映中のアステロイドリングに見られる)。 このときの主役宇宙船は、戦艦三笠をイメージして、スタジオぬえの松崎健一がデザインし、企画書には背景監督の槻間八郎が描いた。 豊田は『西遊記』を下敷きにして遠い異星に人類を救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーを考案し、虫プロダクションの役員でもあったプロデューサーの西崎義展とともにテレビ局への企画の売り込みに同行したが、後にヤマトの制作から外され、裏番組の『猿の軍団』に関わっている。
作家の石津嵐、脚本家の藤川桂介、イラストの斉藤和明、背景美術の槻間八郎が加わって、さらに会議で検討が繰り返されて出来た企画書で、豊田案ではコンピュータだった敵が異星人となり、放射能汚染された地球を救うためヤマトが放射能除去装置を貰うためイスカンダル星を目指すという大枠はこの時点でほぼ完成し、ワープ航法や波動砲というヤマトを象徴するギミックも既に用意されていた。一方、当初はデザインのスタッフとして声がかかり、やがてキャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わることになった松本零士はその後からの参加になる。 依頼を受けたのは1974年の4月頃で、設定制作の野崎欣宏の推薦によるものだった。その後、さらに石黒昇のサポートを受けながら、松本が監督を引き受けたのは1974年6月末の時点で、監督を行なう予定だった山本暎一が他の仕事のため、ヤマトから抜けることになったのが理由である。
松本はヤマト以前に描いた漫画『電光オズマ』に「宇宙戦艦大和の巻」を描き、『光速エスパー』の主人公の名前を本作と同じ「古代すすむ」を用いていたことを根拠の一つとして、後に原作権を主張した。この根拠については、第一審判決で、名称が同じなだけで、デザインはロケット型であり、著作物としての類似性はないとして、松本の主張は認められなかった。また、オリジナルキャラクターであるキャプテンハーロックの登場も企画されたが、視聴率低迷の影響で話数削減され、アニメーション作品には登場していない。
テレビ放映と同時期に、松本零士による漫画雑誌「冒険王」(1974年11月号より)への「二次著作物」としての漫画版や、豊田有恒原案、石津嵐執筆(通称 石津版)による「新たな著作物」としての小説版(1974年12月20日初版刊行)がなされている。石津嵐の小説は、西崎義展著作の企画書作成時に没とされた豊田有恒らの案を元に石津嵐が著したものとされ、ストーリー展開的に企画書に近い部分もある(終盤の設定の一部が劇場版に生かされたが、続編と話が繋がらなくなるため、劇場版のテレビ放送以降、現在のヴァージョンに再変更された)。 当時の出版事情から、地球滅亡編(1974年12月20日刊)、地球復活編(1975年2月3日刊)の入稿時期は、少なくとも松本零士の漫画版の入稿より早いと思われる。豊田の本作への参加は西崎の要請ではあったが、これらより宇宙戦艦ヤマトの創作著作者は豊田有恒で、映画の著作者は西崎義展・松本零士と考えられるとする意見もある(ただし豊田有恒は自ら著作権を主張しておらず、著作者人格権をめぐる紛争では松本零士を支持していた)。
放送リスト(テレビ版)[編集]
- SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト
- 号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!!
- ヤマト発進!!29万6千光年への挑戦!!
- 驚異の世界!!光を飛び越えたヤマト
- 浮遊大陸脱出!!危機を呼ぶ波動砲!!
- 氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ!!
- ヤマト沈没!!運命の要塞攻略戦!!
- 決死のヤマト!!反射衛星砲撃破せよ!!
- 回転防禦!!アステロイド・ベルト!!
- さらば太陽圏!銀河より愛をこめて!!
- 決断!!ガミラス絶対防衛線突入!!
- 絶体絶命!!オリオンの願い星、地獄星
- 急げヤマト!!地球は病んでいる!!
- 銀河の試練!!西暦2200年の発進!!
- 必死の逃亡!!異次元のヤマト
- ビーメラ星、地下牢の死刑囚!!
- 突撃!!バラノドン特攻隊
- 浮かぶ要塞島!!たった二人の決死隊!!
- 宇宙の望郷!!母の涙はわが涙
- バラン星に太陽が落下する日!!
- ドメル艦隊!!決死の挑戦状
- 決戦!!七色星団の攻防戦!!
- 遂に来た!!マゼラン星雲波高し!!
- 死闘!!神よガミラスのために泣け!!
- イスカンダル!!滅びゆくか愛の星よ!!
- 地球よ!!ヤマトは帰ってきた!!
メカニック[編集]
作品間の関係(アニメ)[編集]
初代ヤマト関連作品の時系列[編集]
1 | テレビ:『宇宙戦艦ヤマト』 ガミラス帝国の侵略に立ち向かい、14万8千光年の彼方のイスカンダルへ放射能除去装置コスモクリーナーDを求めて、250年の眠りからよみがえったヤマトが宇宙戦艦となって旅立つ。 (映画『宇宙戦艦ヤマト』には、映画向けの改編の結果、後の作品へのストーリー上の影響の点でいくつかの不足点が見られるため、テレビ版を基本としておく) | |
2 | 映画:『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』 | テレビ:『宇宙戦艦ヤマト2』 |
危機を訴えるかすかな通信を受信したヤマトのクルーは、平和を謳歌する地球を後に電波の発信元・テレザート星を目指し、強大な白色彗星帝国との戦闘に突入していく。 (映画『さらば』とその後に作られたテレビ『2』は、同じストーリーを元にしつつも結末が異なり、これ以降の作品は主要クルーのほとんどが生存しヤマトも健在で残った『2』が基本になる) | ||
3a | テレビ特番:『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』 故郷であるガミラス星に戻ってきたデスラー総統以下ガミラス残存艦隊は、無人のガミラス星で地下資源を採掘している暗黒星団帝国と遭遇、交戦中にガミラス星が崩壊した余波で、ガミラスと二重惑星を構成していたイスカンダル星が軌道を逸脱して暴走をはじめた。 新兵の訓練航海中だったヤマトは、デスラー総統からの救援要請を受け再びイスカンダルへ向かい、ガミラス艦隊とともに暗黒星団帝国との戦闘に突入する。 | |
3b | 映画:『ヤマトよ永遠に』 ある日、外宇宙から巨大な黒色の物体が飛来し、地球上に着陸するとともに、暗黒星団帝国の黒色艦隊が侵攻、地球はあっという間に制圧されてしまった。 英雄の丘に集結したヤマト乗組員たちは、大統領専用脱出艇で地球を脱出し、真田志郎の待つ小惑星イカロスに向かった。 そこには、パワーアップされたヤマトがあり、巨大な黒色の物体の正体が地球上の全生物の脳細胞を破壊する重核子爆弾であることを知ったヤマト乗組員たちは、その起爆を阻止するべく、暗黒星団帝国の母星デザリアム星へ旅立つ。 | |
4 | テレビ:『宇宙戦艦ヤマトIII』 銀河を二分するガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦の星間戦争の余波で惑星破壊プロトンミサイルが太陽に突入、太陽の核融合の異常増進により危機に陥った地球から、新たな移住惑星探査と対策調査のためにヤマトが旅立つ。 | |
5 | 映画:『宇宙戦艦ヤマト 完結編』 異次元から現れた銀河が地球を含む銀河と衝突し、銀河を二分していた星間国家が壊滅状態に。同時に、緩やかな楕円軌道を描いて地球に近づく水惑星アクエリアスが確認されるが、突如現れた軍事帝国・ディンギル帝国が水惑星アクエリアスをワープさせる等によって操り、地球の都市を水没させてその後に移住をしようと企む。ヤマト・地球艦隊は必死に抵抗するも当初はディンギル帝国軍の誇る「ハイパー放射ミサイル」に苦戦を余儀なくされる。しかし、ヤマトは「ハイパー放射ミサイル」の回避方法を見つけ出し、ついにはディンギル帝国軍の要塞「ウルク」に強攻をかけるが、水惑星アクエリアスのワープを止めることが出来ず万事窮すの状態になってしまう。それでも地球の水没を避ける為、最後の手段としてヤマトにトリチウムを満載し、波動砲のエネルギーと融合させて大爆発させ、水柱を断ち切る手段に出ることになった。 |
関連作品[編集]
小説[編集]
題名 | 著者 | 発行元 | 装丁 | 発行日 | 備考 |
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宇宙戦艦ヤマト 地球滅亡編 | 作:石津嵐 原案:豊田有恒 |
朝日ソノラマ | 並装 | 1974年10月20日 | 1975年11月10日にソノラマ文庫に地球滅亡編・地球復活編を合本して再録 |
宇宙戦艦ヤマト 地球復活編 | 1975年2月3日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト 1 発進編 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 並装 | 1977年7月20日 | 1978年12月30日にソノラマ文庫に再録 ヤマト大全集1~3として再録(出版日不詳) |
宇宙戦艦ヤマト 2 死闘編 | 1977年8月1日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト 3 回天編 | 1977年8月10日 | ||||
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 上 | 文:三浦清史 | 集英社ファンファン文庫 | 1978年8月15日 | 1978年8月25日にモンキー文庫からも出版 | |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 下 | 1978年8月30日 | ||||
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 |
集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1978年8月19日 | |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 1 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 並装 | 1978年9月1日 | 1979年3月15日にソノラマ文庫に再録 |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 2 | 1978年9月15日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 |
集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1978年9月20日 | |
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち | 文:牧美智瑠 監修:西崎義展 |
集英社 | 並装版 | 1978年10月5日 | |
宇宙戦艦ヤマト | 文:牧美智瑠 監修:西崎義展 |
集英社 | 並装版 | 1978年11月10日 | |
宇宙戦艦ヤマト 総集編 | 文:三浦清史 監修:西崎義展 |
集英社モンキー文庫 | B6版 | 1978年11月10日 | |
熱血小説 宇宙戦艦ヤマト | 著者:高垣眸 | オフィス・アカデミー | 並装版 | 1979年7月4日 | |
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 |
集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1979年9月14日 | |
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 1 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 並装版 | 1979年9月14日 | ヤマト大全集6,7に再録 ソノラマ文庫に1/2巻を合本して再録 |
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 2 | |||||
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち | 文:三浦清史 監修:西崎義展 |
集英社モンキー文庫 | B6版 | 1979年9月30日 | ファンファン文庫からも出版の可能性有(詳細不詳) |
宇宙戦艦ヤマト2 上(ヤマト大全集4) | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 1980年8月1日 | 1981年3月26日にソノラマ文庫に上下巻を合本して再録 | |
宇宙戦艦ヤマト2 下(ヤマト大全集5) | |||||
ヤマトよ永遠に | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 |
集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1980年8月15日 | |
ヤマトよ永遠に 上 | 文:三浦清史 監修:西崎義展 |
集英社モンキー文庫 | B6版 | 1980年9月1日 | |
ヤマトよ永遠に 下 | 1980年9月10日 | ||||
ヤマトよ永遠に 上(ヤマト大全集8) | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | 1980年9月20日 | ||
ヤマトよ永遠に 下(ヤマト大全集9) | 1980年9月25日 | ||||
宇宙戦艦ヤマトIII 1 | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 |
集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1981年5月15日 | |
宇宙戦艦ヤマトIII 2 | |||||
宇宙戦艦ヤマトIII | 文:三浦清史 監修:西崎義展 |
集英社モンキー文庫 | B6版 | 1981年6月 | |
宇宙戦艦ヤマトIII 1(ヤマト大全集10) | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ | |||
宇宙戦艦ヤマトIII 2(ヤマト大全集11) | |||||
宇宙戦艦ヤマトIII 3(ヤマト大全集12) | |||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 | 文:若桜木虔 監修:西崎義展 |
集英社文庫コバルトシリーズ | 文庫版 | 1982年12月15日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 | 1983年3月15日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 | 文:岬兄悟 | 徳間書店アニメージュ文庫 | 文庫版 | 1982年12月31日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 | 1983年4月15日 | ||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 | 構成:西崎義展 | 朝日ソノラマ ソノラマ文庫 | 文庫版 | 1983年2月15日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 | 1983年3月 | ||||
宇宙戦艦ヤマト完結編 上 | 文:三浦清史 監修:西崎義展 |
集英社ファンファン文庫 | B6版 | 1983年3月15日 | |
宇宙戦艦ヤマト完結編 下 | 1983年4月10日 |
漫画(オリジナル)[編集]
- 宇宙戦艦ヤマト(作画:松本零士)
- アニメの放映と同時に「冒険王」誌の1974年11月号から1975年4月号まで連載。単行本化の際に60ページ余りが加筆されたが、月刊誌での掲載によるペースの遅さに加え、途中でアニメが打ち切りとなったため、ストーリーはかなり省略され、松本自身がダイジェストと認める内容となっている。「冒険王」連載終了後にプレイコミック誌の1976年8月号で短編のサイドストーリー「永遠のジュラ編」を執筆。唯一デスラーの妻子が描かれている。
- 宇宙戦艦ヤマト(作画:ひおあきら)
- 1974年から1975年にかけて朝日ソノラマのサンコミックスから全3巻で発行されたコミカライズ作品。アニメ版の脚本を担当した藤川桂介が原作を担当。アニメ版ではオミットされたハーロックが活躍を見せ、沖田十三が航行途中で死亡し宇宙葬される(以降は古代が艦長)など、アニメ版のストーリーに比べオリジナルな展開を見せている。
- 宇宙戦艦ヤマト(作画:聖悠紀)
- 幼年向け雑誌テレビランドの1974年11月号から1975年3月号まで連載。
- 新宇宙戦艦ヤマト(松本零士)
OVA[編集]
CD・レコード[編集]
「交響組曲宇宙戦艦ヤマト」の楽曲的評価は高く、オークションサイトでもプレミアが付いている。
パチスロ[編集]
- 宇宙戦艦ヤマト 2000年11月 (サミー)
知的財産権に関する特記[編集]
- 著作権者
- 本作品群の著作権等は1996年に東北新社に包括譲渡契約され、1998年に西崎義展及びウェストケープコーポレーションの破産管財人が契約の履行を選択、2000年に東北新社と破産管財人との間で譲渡代金の支払につき裁判上の和解が成立し、著作権者は東北新社である事が確定。
- 商標権者
- 本作品の商標の最初の出願は1974年3月15日にされている。出願された艦体の意匠は本放送のものとは異なるが、商標の意匠文字は本放送時のものと極めて類似している。
- 西崎義展及びウェストケープコーポレーションの破産に前後して、本作品の商標権を西崎義展から西崎義展の長男に移転したため、破産管財人が否認権を行使し商標の移転登録の抹消及び譲渡契約の履行により東北新社に商標権を移転した。
- ※『新宇宙戦艦ヤマト』及び『新・宇宙戦艦ヤマト』の商標は西崎隆二郎なる人物が1999年~2001年に登録している。
- 同一性保持権及び翻案権
- 本作品の包括譲渡を受けた東北新社がバンダイ・バンダイビジュアルに制作・販売を許諾したプレイステーション用ゲームソフトにつき、西崎義展が東北新社・バンダイ・バンダイビジュアルに同ゲームソフトの制作・販売の中止及び1億円の損害賠償を求めたが請求を棄却され、控訴審にて西崎義展が宇宙戦艦ヤマトの著作者である旨を公表しても異議を唱えない事のみを条件に司法和解が成立(但し、著作者表示以外の著作者人格権につき原則不行使とした原審の判示により、本司法和解は西崎義展の事実上の敗訴となった)。
- 松本対西崎の訴訟
- 1999年、松本零士は東京拘置所で拘留中のプロデューサー・西崎義展に対して
- 宇宙戦艦ヤマトの著作権者を松本と認める事。
- 西崎は、これまでの宇宙戦艦ヤマトの著作権者であるとの発言を訂正し、新聞に謝罪広告を掲載する事。
- などを求めて訴訟、西崎も著作者人格権の確認を求めて反訴した(平成11年(ワ)第20820号 著作権侵害差止等請求事件、同12年(ワ)第14077号 著作者人格権確認反訴請求事件)。
- 2002年、一審は松本の請求を棄却、西崎が求めた著作者人格権を認める判決を下した。松本は判決を不服として控訴したが、控訴審中の2003年に法廷外和解した。これにより映画の著作者は西崎義展・松本零士の共同著作であり、代表して西崎義展が著作者人格権を有することが確認された。
- 尚、前述の通り著作権者である東北新社に著作者人格権の原則不行使等を含む著作権等譲渡がされており、著作権者を除く制作当事者間での映画の著作者の確定の影響は少ない。
- また本和解条項では、西崎がこれまでの宇宙戦艦ヤマトシリーズを利用した新作(仮題『宇宙戦艦ヤマト・復活編』)を、松本がこれまでの宇宙戦艦ヤマトシリーズとは関係の無い新作(仮題『大銀河シリーズ 大ヤマト編』)を夫々別個に作成する事を相互に確認しているが、前述の著作権等の包括譲渡契約に「将来作品」に関する内容が含まれており、履行には東北新社の許諾を要する限定的な確認と考えられる(和解書、確認書)。
- 三共対東北新社の訴訟
- 2004年、東北新社はパチンコメーカー三共・ビスティ及びインターナショナル・カード・システムに対し、パチンコ「CRフィーバー大ヤマト」(スロット機を含む)プレイステーション2用ソフト・アニメーションソフトの「大銀河シリーズ大ヤマト零号」等が東北新社の有する宇宙戦艦ヤマトの著作権を侵害したとして損害賠償を請求した(
- 2006年12月27日、東京地方裁判所は判示にて宇宙戦艦ヤマトの東北新社への包括移転契約前の映画の著作権は訴外西崎義展ではなく訴外オフィス・アカデミー又は訴外ウエスト・ケープとし、西崎義展と東北新社との間の映画の著作権の包括移転契約は無効とされた。
- 西崎義展及びウエストケープコーポレートションの破産管財人が履行を選択し、破産管財人により東北新社への譲渡代金を司法和解した移転内容が否定された為、東北新社は著作権確認請求訴訟等を起こす可能性がある。
- 著作権等の使用者は、真正の著作権者が不明となった為に使用料の支払を供託する可能性、法人の破産終結・閉鎖登記を理由に著作権者不在として使用料の返還を求める可能性がある。
- 東北新社以外の第3者が真正の著作権者とされた場合に損害賠償請求を受ける可能性が生じた。
参考文献[編集]
- 豊田有恒『日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』(TBSブリタニカ、2000年)ISBN 4484-002051
- 藤川桂介『アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマトから六神合体ゴッドマーズまで』(ネスコ、1998年)ISBN 4890369791
- 石黒昇、小原乃梨子『テレビ・アニメ最前線 私説・アニメ17年史』(大和書房、1980年)
- Web現代「ガンダム者」取材班編『ガンダム者 ガンダムを創った男たち』(講談社、2002年)ISBN 4063301818 - 安彦良和とスタジオぬえの松崎健一のインタビュー。
- 安斎レオ編集『宇宙戦艦ヤマト伝説』(フットワーク出版、1999年)ISBN 4876893233
脚注[編集]
- ↑ 初回上映された"スターシア死亡編"と1978年のテレビ放送時に一部再編集し、1979年以降の再上映用となった"スターシア生存編"の2編が存在。
- ↑ 一部の劇場ではフィルムが間に合わず20日からの公開となった。初回上映された"35mm版"と宇宙戦艦ヤマト 完結編 "完全版"(70mm版)が存在。"35mm版"のラストで描かれた森雪と古代進のラブシーンを、"完全版"では抽象的なシーンに差し替え。また、一部の地方劇場で『オーディーン 光子帆船スターライト』と併映された"特別篇"(35mm版を短縮したもの)も存在する。
外部リンク[編集]
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