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+ | 同校は自由な校風で、生徒同士の議論を重視する。このときは「戦後、ドイツは国旗を変えたのに、日本は変えていない」「そもそもなぜ、卒業式で国旗と国歌が必要なのか」と、生徒同士で主張合戦が繰り広げられた。結局、卒業式では日の丸が掲げられ、君が代も演奏された。ただ、生徒は積極的に起立して歌ったり、着席したままだったり、起立しても歌わなかったりと、それぞれの立場で行動した。 | ||
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+ | 佐々木さんは「あのとき、生徒に明確な思想があったとは思わない。でも、上からの押しつけではなく、自分たちの力で決めることの大切さを学んだ」と振り返る。 | ||
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+ | <神奈川県の国旗国歌訴訟> | ||
+ | :[[2004年]]、「国旗掲揚と国歌斉唱の指導を徹底するように」との県教育長通知が出され、その後、不起立の教員の人数と名前を報告するよう各校に求めた。「思想・良心の自由」に反するとして、[[2005年]]に教職員135人が県を相手に提訴。 | ||
+ | :[[東京高裁]]で、教育長通知は具体的な義務を定めたものではなく、教職員が不利益な処分を受けたこともないとして、訴えを却下。[[2011年]]に[[最高裁]]が上告を棄却して終結した。 | ||
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*[[鈴木隆雄]](元[[警察庁]][[科学警察研究所]]副所長 / [[声紋]][[鑑定]]の権威) | *[[鈴木隆雄]](元[[警察庁]][[科学警察研究所]]副所長 / [[声紋]][[鑑定]]の権威) | ||
*[[太田正孝 (市議会議員)|太田正孝]](横浜市議会議員) | *[[太田正孝 (市議会議員)|太田正孝]](横浜市議会議員) | ||
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*[[黛治夫]](元日本海軍大佐)<!-- 秦郁彦「日本陸海軍事典」など参照 --> | *[[黛治夫]](元日本海軍大佐)<!-- 秦郁彦「日本陸海軍事典」など参照 --> | ||
*[[池田善長]](農業経済学者) | *[[池田善長]](農業経済学者) | ||
+ | *[[希望ヶ丘高校石井綾乃|石井綾乃]](神奈川県教育委員会表彰受賞者) | ||
==関連項目== | ==関連項目== |
2014年2月1日 (土) 09:00時点における最新版
神奈川県立希望ヶ丘高等学校(かながわけんりつ きぼうがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市旭区南希望が丘にある県立高等学校。
昭和30~40年代に激しい学生運動があり、その名残で現在も教員のほぼ全員が日教組に所属しており、半島・大陸賛美、反日思想を基調とした教育で有名である。
目次
概要[編集]
1897年創立から、神中、神奈川一中、横浜一中を前身とする。開校記念日は6月18日。
略称は「希高」(きこう)とされるが、古い世代の「神中」(じんちゅう)という呼び方も残っており、それを使う生徒もいる。
所在地が「希望が丘」であるため「希望が丘高等学校」の誤記も見られる。
1983年に制作・放映されたフジテレビのドラマ「早春スケッチブック」で、鶴見辰吾扮する望月和彦が通う高校として、実際に本校でロケが行われたことがある。
「国旗、国歌に賛否両論が出るのは当然」、議論の場を奪うな(2013年7月 毎日新聞)[編集]
国旗と国歌をめぐり、あらためて議論を深めることの大切さを訴える人たちがいる。
かつて県立高校では「卒業式に国旗と国歌の扱いをどうするか」で、生徒間で熱い議論が交わされていた。一部の教員は、国旗と国歌が卒業式に入り込むことに反発し、県を相手に訴訟を起こした。当時の騒動を経験した元生徒や教員は、「自由に議論できる環境が大切だ」と口をそろえる。
「国旗、国歌に賛否両論が出るのは当然。十分に議論する環境は奪うべきじゃない」と話すのは、希望ケ丘高校を卒業した会社員佐々木一成さん(30)=横浜市旭区。
佐々木さんが高校生だった1999年、国旗国歌法が成立。県教委から掲揚、斉唱の指導が強まっていた。
同校は自由な校風で、生徒同士の議論を重視する。このときは「戦後、ドイツは国旗を変えたのに、日本は変えていない」「そもそもなぜ、卒業式で国旗と国歌が必要なのか」と、生徒同士で主張合戦が繰り広げられた。結局、卒業式では日の丸が掲げられ、君が代も演奏された。ただ、生徒は積極的に起立して歌ったり、着席したままだったり、起立しても歌わなかったりと、それぞれの立場で行動した。
佐々木さんは「あのとき、生徒に明確な思想があったとは思わない。でも、上からの押しつけではなく、自分たちの力で決めることの大切さを学んだ」と振り返る。
<神奈川県の国旗国歌訴訟>
- 2004年、「国旗掲揚と国歌斉唱の指導を徹底するように」との県教育長通知が出され、その後、不起立の教員の人数と名前を報告するよう各校に求めた。「思想・良心の自由」に反するとして、2005年に教職員135人が県を相手に提訴。
- 東京高裁で、教育長通知は具体的な義務を定めたものではなく、教職員が不利益な処分を受けたこともないとして、訴えを却下。2011年に最高裁が上告を棄却して終結した。
沿革[編集]
略歴[編集]
神奈川県尋常中学校として、現在の神奈川県教育会館・県営藤棚アパート等がある横浜市西区藤棚町にて創立された。その後、名称を神奈川県中学校(1899年)、神奈川県第一中学校(1900年)、神奈川県立第一中学校(1901年)、神奈川県立第一横浜中学校(1913年)、神奈川県立横浜第一中学校(1923年)と改称する。1923年9月1日の関東大震災により、校舎は大きな被害を受けた。1945年5月29日の横浜大空襲によって校舎焼失、現在の横浜市金沢区へ移転。
戦後の学制改革を経て、神奈川県立横浜第一高等学校(1948年)、神奈川県立希望ヶ丘高等学校(1950年)と改称し、男女共学となる。1950年からは横浜市内に小学区(一学区に一校)制が敷かれた。1951年9月、横浜市保土ケ谷区二俣川町中野原(現在の旭区南希望が丘)へ移転した。校地および駅から校地までの道路用地は相鉄の寄付による。なお、本校の金沢校舎時代の小学区を引き継ぐ形で横浜市立金沢高等学校が開校した。
1969年の秋、旧理科棟前のバリケード封鎖から始まった学園紛争により、生徒・教員間で議論が重ねられ、各種規約の改定が行われた。主な変更点としては、生徒心得の廃止、中間テストの廃止、学力評価についての見直し、新校章の制定、制服は標準服と改められ、私服での登校が認められるようになったことなどがある。その後、「皇国史観的」とみなされた歌詞が含まれる校歌を廃し、1985年に新校歌が、また、1987年の九十周年記念式典事業の一環として新校章が制定された。新校章の制定はすでに紛争時に決定していたが、制定に反対するOBらが反対運動を展開。時に、OBである記者が、地元紙に生徒を実名入りで批判する記事まで掲載した。
年表[編集]
- 1897年2月23日 - 神奈川県尋常中学校を久良岐郡戸太町(現在の横浜市西区藤棚町)に設置する旨告示
- 1897年5月3日 - 授業開始・生徒総数280名
- 1897年6月18日 - 開校式を挙行(この日を開校記念日とする)
- 1899年2月6日 - 神奈川県中学校と改称
- 1900年4月1日 - 神奈川県第一中学校と改称
- 1901年5月7日 - 神奈川県立第一中学校と改称
- 1913年4月1日 - 神奈川県立第一横浜中学校と改称
- 1923年4月1日 - 神奈川県立横浜第一中学校と改称し、20学級生徒定員1000名と改める。
- 1923年9月1日 - 関東大震災にて校舎倒壊、大破
- 1927年5月5日 - 校舎全部の改築に着手
- 1928年12月14日 - 校旗制定
- 1929年1月25日 - 全校舎竣工
- 1932年10月9日 - 創立35周年記念式を挙行
- 1934年2月12日 - 校歌制定(作詞・佐佐木信綱、作曲・山田耕筰)
- 1941年4月8日 - 神奈川県立鶴見中学校(現・神奈川県立鶴見高等学校)が本校内にて開校。
- 1945年5月29日 - 空襲により校舎罹災焼失
- 1945年7月2日 - 横浜市戸部国民学校の一部を借用し、授業を行う。
- 1946年4月1日 - 横浜市磯子区(当時)六浦町内川の元第一海軍技術廠工員養成所宿舎跡に移転
- 1948年4月1日 - 学制改革により神奈川県立横浜第一高等学校と改称。本校に併設中学校を設け、本校校長が兼任
- 1949年3月31日 - 併設中学校第3学年卒業とともに本校併設中学校は自然廃校した
- 1950年4月1日 - 神奈川県立希望ヶ丘高等学校と改称。本年度より学区制と男女共学とを実施
- 1951年9月11日 - 現在地の横浜市保土ケ谷区二俣川町中野原に於ける新校舎の第一期工事完了
- 1951年9月19日 - 金沢校舎(横浜市金沢区六浦町)より移転
- 1951年10月24日 - 新築落成祝賀記念式を挙行
- 1957年11月8日 - 創立60周年並びに体育館兼講堂落成祝賀記念式を挙行
- 1963年4月1日 - 横浜市内に中学区制施行、横浜中部学区(本校の他、平沼、桜丘、戸塚)に属す。
- 1969年 - 高校紛争激化の中、希望ヶ丘闘争委員会が組織され学園自由化が達成される。
- 1973年4月6日 - 神奈川県立旭高等学校が本校内にて開校。
- 1977年11月12日 - 創立80周年記念式を挙行
- 1981年4月1日 - 新学区制実施、横浜西部学区に属す。
- 1982年5月31日 - 創立85周年記念事業として、テニスコート3面増設
- 1985年3月1日 - 新校歌制定(作詞・飯田侑、作曲・三善晃)
- 1997年10月25日 - 創立100周年記念式を挙行
- 2004年4月1日 - 2学期制開始
- 2010年4月22日 - 神奈川県教育委員会から「学力向上進学重点校」に指定される。
校歌[編集]
行事[編集]
- 陸上競技大会…大和市スポーツセンター競技場で開催(以前は三ツ沢競技場や県立体育センター陸上競技場で開催されていた)
- 記念祭…開校記念日である6月18日前後に、本校敷地で開催
- 教室での展示発表 同窓会コーナーもある。
- 前庭パフォーマンス
- 屋台・出店
- 後夜祭
- 合唱祭
- 球技大会
過去[編集]
- 水泳大会
- Y校戦
- 1924年から1969年にかけて行われた横浜市立横浜商業高等学校とのスポーツ対抗戦
- 通算成績は本校の24勝18敗1分であった。
部活動[編集]
全体の部活動加入率は9割を超え、その中で運動部加入率は8割を超えていて県内で1番と言われている。 陸上競技部は、インターハイにも度々出場し、国体神奈川代表選手も輩出している。
剣道部・男女ハンドボール部・ソフトボール部・弓道部等も関東大会の出場経験がある。
硬式野球部は1951年夏の甲子園に初出場、これ以降、2011年まで県立高校の夏の甲子園出場はない(神奈川県の公立高校として夏の甲子園に出場した5校のうちの一つ)。
サッカー部は1972年に選手権出場、1973年・1979年に関東大会へ出場している。尚、1972年の選手権出場時は指導者にサッカー経験者がいないという状況の中でのことで、異例中の異例である。
吹奏楽部は2005年に東日本大会に出場した。なお、本校の吹奏楽部は全国的にも珍しい学生指揮者の形態をとっており、大会・演奏会等すべてを生徒の指揮で演奏している。
MFC(マンガファンクラブ)が、高知県で行われるまんが甲子園で、2007年度に「あったか高知まんがフェスティバル実行委員会会長賞」(全国第5位相当)を受賞した。2009年度には全国第3位、2010年度には全国第2位となっている。
- 運動部
- 陸上競技部
- 硬式野球部
- サッカー部
- ラグビー部
- ハンドボール部(男・女)
- バレーボール部(男・女)
- バスケットボール部(男・女)
- ソフトボール部
- 体操部
- バドミントン部
- 卓球部
- ダンス部
- 硬式テニス部(男・女)
- 剣道部
- 弓道部
- 水泳部
- 山岳部
- フットサル同好会
- 文化部
- 化学部
- 合唱部
- ギター部
- 軽音楽部
- 茶道部
- フォークソング部
- 美術部
- 吹奏楽部
- 文芸部
- MFC(マンガファンクラブ)
- パントマイム部
- ドレスクリエイト部
- KHI(希望ヶ丘放送委員会)
- 室内楽部
- ブレイクダンス部
- 囲碁将棋同好会
旧学区[編集]
学区撤廃以前は「横浜西部学区」(1981-2004年度/以下各校)に属していた。
- 神奈川県立希望ヶ丘高等学校
- 神奈川県立旭高等学校
- 神奈川県立中沢高等学校(2004年都岡高等学校と統合、神奈川県立横浜旭陵高等学校となる。)
- 神奈川県立都岡高等学校(2004年中沢高等学校と統合、神奈川県立横浜旭陵高等学校となる。)
- 神奈川県立和泉高等学校(2008年岡津高等学校と統合、神奈川県立横浜緑園総合高等学校となる。)
- 神奈川県立松陽高等学校
- 神奈川県立岡津高等学校(2008年和泉高等学校と統合、神奈川県立横浜緑園総合高等学校となる。)
- 神奈川県立瀬谷高等学校
- 神奈川県立瀬谷西高等学校
著名な出身者[編集]
- 相澤英之(元経済企画庁長官、元大蔵事務次官、弁護士)
- 岡部三郎(元北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官)
- 飛鳥田一雄(元横浜市長、日本社会党委員長)
- 来栖三郎(元駐ドイツ大使、元外務省通商局長)
- 山本鎮彦(元警察庁長官)
- 滝本太郎(弁護士)
- 松隈秀雄(元大蔵次官(昭和19))
- 荒川昌二(対満事務局次長、横浜正金銀行15代目頭取、大蔵官僚)
- 本間精(内務省警保局長(警察庁長官に相当)、福岡県知事)
- 池田清志(内務大臣官房会計課長(昭21)、栃木県知事(昭22)、弁護士、衆議院議員(昭47-))
- 三浦義秋(駐漢口総領事(昭和9))
- 平川守(農林事務次官)
- 小室恒夫(通商産業省通商局長、新日鐵化学会長・社長)
- 川合武(元衆議院議員、元消防庁次長)
- 吉瀬維哉(大蔵事務次官)
- 行天豊雄(元財務官、東京銀行頭取)
- 山口一弥(郵便事業株式会社東京支社長、元北陸郵政監察局長)
- 鈴木隆雄(元警察庁科学警察研究所副所長 / 声紋鑑定の権威)
- 太田正孝(横浜市議会議員)
- 渡邉美樹(ワタミフードサービス創業者)
- 佐藤喜一郎(元三井銀行会長)
- 桑田弘一郎(元テレビ朝日社長)
- 小原敏人(元日本ガイシ社長・会長)
- 大島正満(生物学者)
- 木村健二郎(元東京大学教授)
- 酒井一夫(経済学者、北海道大学教授)
- 清水元(法学者、中央大学大学院法務研究科教授)
- 種瀬茂(経済学者、元一橋大学学長)
- 長島裕二(東京海洋大学教授)
- 村尾次郎(歴史学者)
- 佐々木太一(バレーボール日本代表)
- 宮下哲朗(ラグビー選手 / 関東学院大ラグビー部、東芝ブレイブルーパス)
- 野尻抱影(文学者・随筆家)
- 黛敏郎(作曲家)
- 山本昌代(作家)
- 山田和樹(指揮者)
- 門奈紀生(タンゴ楽団アストロリコ代表、バンドネオン奏者)
- 山下和美(漫画家)
- 川村毅(劇作家・演出家 / T factory主宰)
- 渋谷和宏(作家、日経ビジネスアソシエ編集長)
- 寺田透(文芸評論家)
- 中村俊一(演出家・俳優)
- 高橋秀実(ノンフィクション作家)
- 佐藤英夫(俳優)
- 杏里(歌手)(定時制)
- 伊藤かずえ(女優)(定時制中退)
- 植松真美(モデル、タレント)
- 次山嘉一(俳優、イベントプロデューサー)
- 植村智子(アナウンサー)
- 青池玲奈(アナウンサー)
- 田原彩香(タレント)
- 黛治夫(元日本海軍大佐)
- 池田善長(農業経済学者)
- 石井綾乃(神奈川県教育委員会表彰受賞者)