「孝霊天皇」の版間の差分
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+ | '''孝霊天皇'''(こうれいてんのう、孝安天皇51年([[紀元前342年]])- 孝霊天皇76年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[紀元前215年]][[3月27日]]))は、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』に記される第7代[[天皇]](在位:孝霊天皇元年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]([[紀元前290年]][[2月19日]]) - 同76年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]([[紀元前215年]][[3月27日]]))。'''大日本根子彦太瓊尊'''(おおやまとねこひこふとにのみこと)・大倭根子日子賦斗邇命(『古事記』)。 | ||
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+ | 「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った[[7世紀]]末から[[8世紀]]初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したとの疑いが濃厚である。{{要出典|date=2009年7月}} | ||
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+ | いわゆる[[欠史八代]]の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。([[欠史八代]]の実在説を参照。)<!--{{要出典}}を貼ってから一週かが経過したので、ノートへ移動。--> | ||
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+ | == 系譜 == | ||
+ | 父は[[孝安天皇]]。母は、[[天足彦国押人命]](あまたらしひこくにおしひとのみこと)の女・[[押媛]](おしひめ、『[[古事記]]』に忍鹿比売)。 | ||
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+ | * [[皇后]]:[[細媛命]](くわしひめのみこと、ほそひめのみこと。磯城県主大目の女) | ||
+ | ** 第一[[皇子]]:大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと、[[孝元天皇]]) | ||
+ | * [[妃]]:春日之千千速真若比売(かすがのちちはやまわかひめ、春日千乳早山香媛) | ||
+ | ** [[皇女]]:[[千千速比売命]](ちちはやひめのみこと。『古事記』のみ) | ||
+ | * 妃:倭国香媛(やまとのくにかひめ、絙某姉、意富夜麻登玖邇阿礼比売命。和知都美命の女) | ||
+ | ** 皇女:[[倭迹迹日百襲媛命]](やまとととびももそひめのみこと) [[箸墓古墳]]に葬られたという。[[邪馬台国]]を治めたとされる[[卑弥呼]]に比定する説もある。 | ||
+ | ** 皇子:日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと。『[[古事記]]』のみ) | ||
+ | ** 皇子:[[彦五十狭芹彦命]](ひこいさせりひこのみこと、[[吉備津彦命]]) | ||
+ | ** 皇女:[[倭迹迹稚屋姫命]](やまとととわかやひめのみこと、倭飛羽矢若屋比売) | ||
+ | * 妃:絙某弟(はえいろど、絙某姉の妹) | ||
+ | ** 皇子:[[彦狭島命]](ひこさしまのみこと、日子寤間命) | ||
+ | ** 皇子:[[稚武彦命]](わかたけひこのみこと) [[吉備氏]]の祖。 | ||
+ | 皇子の彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と稚武彦命の兄弟は共に伝説上の[[桃太郎]]のモデルであるといわれている(一般に彦五十狭芹彦命の方が有名である)。 | ||
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+ | == 皇居 == | ||
+ | 都は[[庵戸宮|黒田庵戸宮(廬戸宮)]](くろだのいおとのみや。[[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]]黒田の[[法楽寺 (田原本町)|法楽寺]]が伝承地)。 | ||
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+ | == 事績 == | ||
+ | 特に記録されていない。孝安天皇76年([[紀元前317年]])正月に立太子。同102年([[紀元前291年]])に孝安天皇が崩御すると、都を黒田に遷して、翌年正月に即位した。在位76年で没する。『古事記』に106歳、『日本書紀』に128歳とする。ただし、この長すぎる在位や高い年齢については半年を一年と数える半年暦や先代天皇との親子合算方式の在位年数を考慮すべきとの説もある。 | ||
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+ | == 陵墓 == | ||
+ | 片丘馬坂陵(かたおかうまさかのみささぎ、[[奈良県]][[北葛城郡]][[王寺町]]本町三丁目)。『古事記』には「片岡馬坂上」とある。 | ||
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+ | == 在位年と西暦との対照表 == | ||
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+ | == 関連項目 == | ||
+ | *[[天皇の一覧]] | ||
+ | *[[欠史八代]] | ||
+ | *[[庵戸宮]] | ||
+ | *[[吉備津彦命]] | ||
+ | *[[倭迹迹日百襲媛命]] | ||
+ | *[[海東諸国記]] | ||
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+ | {{歴代天皇一覧}} | ||
+ | {{DEFAULTSORT:こうれいてんのう}} | ||
+ | [[Category:日本の天皇]] | ||
+ | [[Category:紀元前342年生]] | ||
+ | [[Category:紀元前215年没]] |
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孝霊天皇 | ||
---|---|---|
第7代天皇 | ||
在位期間 | 紀元前290年2月19日 - 紀元前215年3月27日 | |
在位中の時代 | ||
在位中の年号 | ||
在位中の首都 | ||
在位中の皇居 | 黒田廬戸宮(庵戸宮) | |
諱 | ||
幼称 | ||
別名 | 大日本根子彦太瓊尊 大倭根子日子賦斗邇命 | |
印 | ||
出生 | 紀元前342年 | |
死没 | 紀元前215年3月27日 | |
陵墓 | 片丘馬坂陵 | |
皇子女 | 孝元天皇 千千速比売命 倭迹迹日百襲媛命 日子刺肩別命 彦五十狭芹彦命 倭迹迹稚屋姫命 彦狭島命 稚武彦命 | |
皇后 | 細媛命 | |
中宮 | ||
女御 | ||
更衣 | ||
夫人 | ||
夫 | ||
父親 | 孝安天皇 | |
母親 | 押媛 | |
特記事項:欠史八代の一人 |
孝霊天皇(こうれいてんのう、孝安天皇51年(紀元前342年)- 孝霊天皇76年2月8日(紀元前215年3月27日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第7代天皇(在位:孝霊天皇元年1月12日(紀元前290年2月19日) - 同76年2月8日(紀元前215年3月27日))。大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)・大倭根子日子賦斗邇命(『古事記』)。
「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したとの疑いが濃厚である。要出典
いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。(欠史八代の実在説を参照。)
系譜[編集]
父は孝安天皇。母は、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)の女・押媛(おしひめ、『古事記』に忍鹿比売)。
- 皇后:細媛命(くわしひめのみこと、ほそひめのみこと。磯城県主大目の女)
- 妃:春日之千千速真若比売(かすがのちちはやまわかひめ、春日千乳早山香媛)
- 妃:倭国香媛(やまとのくにかひめ、絙某姉、意富夜麻登玖邇阿礼比売命。和知都美命の女)
- 妃:絙某弟(はえいろど、絙某姉の妹)
皇子の彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と稚武彦命の兄弟は共に伝説上の桃太郎のモデルであるといわれている(一般に彦五十狭芹彦命の方が有名である)。
皇居[編集]
都は黒田庵戸宮(廬戸宮)(くろだのいおとのみや。奈良県磯城郡田原本町黒田の法楽寺が伝承地)。
事績[編集]
特に記録されていない。孝安天皇76年(紀元前317年)正月に立太子。同102年(紀元前291年)に孝安天皇が崩御すると、都を黒田に遷して、翌年正月に即位した。在位76年で没する。『古事記』に106歳、『日本書紀』に128歳とする。ただし、この長すぎる在位や高い年齢については半年を一年と数える半年暦や先代天皇との親子合算方式の在位年数を考慮すべきとの説もある。
陵墓[編集]
片丘馬坂陵(かたおかうまさかのみささぎ、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目)。『古事記』には「片岡馬坂上」とある。
在位年と西暦との対照表[編集]
孝霊天皇 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西暦 | BC290年 | BC289年 | BC288年 | BC287年 | BC286年 | BC285年 | BC284年 | BC283年 | BC282年 | BC281年 |
皇紀 | 371年 | 372年 | 373年 | 374年 | 375年 | 376年 | 377年 | 378年 | 379年 | 380年 |
干支 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 | 己卯 | 庚辰 |
孝霊天皇 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
西暦 | BC280年 | BC279年 | BC278年 | BC277年 | BC276年 | BC275年 | BC274年 | BC273年 | BC272年 | BC271年 |
皇紀 | 381年 | 382年 | 383年 | 384年 | 385年 | 386年 | 387年 | 388年 | 389年 | 390年 |
干支 | 辛巳 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | 戊子 | 己丑 | 庚寅 |
孝霊天皇 | 21年 | 22年 | 23年 | 24年 | 25年 | 26年 | 27年 | 28年 | 29年 | 30年 |
西暦 | BC270年 | BC269年 | BC268年 | BC267年 | BC266年 | BC265年 | BC264年 | BC263年 | BC262年 | BC261年 |
皇紀 | 391年 | 392年 | 393年 | 394年 | 395年 | 396年 | 397年 | 398年 | 399年 | 400年 |
干支 | 辛卯 | 壬辰 | 癸巳 | 甲午 | 乙未 | 丙申 | 丁酉 | 戊戌 | 己亥 | 庚子 |
孝霊天皇 | 31年 | 32年 | 33年 | 34年 | 35年 | 36年 | 37年 | 38年 | 39年 | 40年 |
西暦 | BC260年 | BC259年 | BC258年 | BC257年 | BC256年 | BC255年 | BC254年 | BC253年 | BC252年 | BC251年 |
皇紀 | 401年 | 402年 | 403年 | 404年 | 405年 | 406年 | 407年 | 408年 | 409年 | 410年 |
干支 | 辛丑 | 壬寅 | 癸卯 | 甲辰 | 乙巳 | 丙午 | 丁未 | 戊申 | 己酉 | 庚戌 |
孝霊天皇 | 41年 | 42年 | 43年 | 44年 | 45年 | 46年 | 47年 | 48年 | 49年 | 50年 |
西暦 | BC250年 | BC249年 | BC248年 | BC247年 | BC246年 | BC245年 | BC244年 | BC243年 | BC242年 | BC241年 |
皇紀 | 411年 | 412年 | 413年 | 414年 | 415年 | 416年 | 417年 | 418年 | 419年 | 420年 |
干支 | 辛亥 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅 | 乙卯 | 丙辰 | 丁巳 | 戊午 | 己未 | 庚申 |
孝霊天皇 | 51年 | 52年 | 53年 | 54年 | 55年 | 56年 | 57年 | 58年 | 59年 | 60年 |
西暦 | BC240年 | BC239年 | BC238年 | BC237年 | BC236年 | BC235年 | BC234年 | BC233年 | BC232年 | BC231年 |
皇紀 | 421年 | 422年 | 423年 | 424年 | 425年 | 426年 | 427年 | 428年 | 429年 | 430年 |
干支 | 辛酉 | 壬戌 | 癸亥 | 甲子 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 |
孝霊天皇 | 61年 | 62年 | 63年 | 64年 | 65年 | 66年 | 67年 | 68年 | 69年 | 70年 |
西暦 | BC230年 | BC229年 | BC228年 | BC227年 | BC226年 | BC225年 | BC224年 | BC223年 | BC222年 | BC221年 |
皇紀 | 431年 | 432年 | 433年 | 434年 | 435年 | 436年 | 437年 | 438年 | 439年 | 440年 |
干支 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 | 己卯 | 庚辰 |
孝霊天皇 | 71年 | 72年 | 73年 | 74年 | 75年 | 76年 | ||||
西暦 | BC220年 | BC219年 | BC218年 | BC217年 | BC216年 | BC215年 | ||||
皇紀 | 441年 | 442年 | 443年 | 444年 | 445年 | 446年 | ||||
干支 | 辛巳 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 |
関連項目[編集]
日本帝國皇帝 | ||||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿德 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 | |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 應神 | 16 仁德 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 | |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 | |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝德 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 大友 | 40 天武 | |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 稱德 | 49 光仁 | 50 桓武 | |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文德 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 | |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 圓融 | 65 花山 | 66 一條 | 67 三條 | 68 後一條 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 | |
71 後三條 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇德 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二條 | 79 六條 | 80 高倉 | |
81 安德 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順德 | 85 九條 | 86 後堀河 | 87 四條 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 | |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二條 | 95 花園 | 96 光嚴 | 97 光明 | 98 崇光 | 99 後光嚴 | 100 後圓融 | |
101 後小松 | 102 稱光 | 103 後花園 | 104 後土御門 | 105 後柏原 | 106 後奈良 | 107 正親町 | 108 後陽成 | 109 後水尾 | 110 明正 | |
111 後光明 | 112 後西院 | 113 霊元 | 114 東山 | 115 中御門 | 116 櫻町 | 117 桃園 | 118 後櫻町 | 119 後桃園 | 120 光格 | |
121 仁孝 | 122 孝明 | 123 明治 | 124 大正 | 125 昭和 | 126 平成 | ※赤字は女帝、斜字は重祚 |