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南橋本駅(みなみはしもとえき)は、神奈川県相模原市中央区南橋本二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)相模線の駅である。
年表[編集]
- 1932年(昭和7年)11月1日 - 相模鉄道の大河原停留場(おおかわらていりゅうじょう)として開業。
- 1940年(昭和15年) - 相模町停留場(さがみまち停留場)に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日届出 - 駅に昇格、相模町駅(さがみまちえき)となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 国有化、国有鉄道相模線の駅となる。同時に南橋本駅に改称。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
- 1992年(平成4年)7月6日 - 駅構内の橋本寄りの分岐器上で貨物列車牽引のディーゼル機関車と貨車数両が脱線。
- 1996年(平成8年)3月13日 - 貨物列車発着の最終日。
- 1997年(平成9年)7月1日 - JR貨物の駅が廃止され、貨物の取扱いを終了。
- 2000年(平成12年)11月 - 当駅 - 宿河原駅(南武線)間の運賃表示に誤りがあることが発覚(JR運賃誤表示問題の発端)。これを受けた運輸省(現・国土交通省)の調査によると、全国の鉄道事業者800駅以上でも同様の表示ミスが判明した。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)11月15日 - 有人改札側から4番目(東端)の改札口を、Suica専用機に置き換え。
- 2008年(平成20年)3月 - 駅周辺整備工事完成。
- 2012年(平成24年)2月29日 - みどりの窓口営業終了。
駅構造[編集]
島式ホーム1面2線を有する地上駅で、東西自由通路のある橋上駅舎を備える。
ホームの茅ヶ崎寄りの端部・1号車先頭ドア付近に階段が、ホーム中央・3号車茅ヶ崎寄り付近にエスカレーターが、ホーム中央・2号車付近にエレベーターが設置され、ホームと駅舎を連絡している(4両編成のうち茅ヶ崎寄りが1号車、橋本寄りが4号車)。駅舎は2006年10月に改築されたもので、それ以前には木造の地平駅舎であった。これについては後述する。
その他、改札内にはトイレが階段とエレベーターの間にあり、手前から順に男子トイレ、多機能トイレ、女子トイレの順で並んでいる。
西口・東口の出口にそれぞれエスカレーターおよびエレベーターが設置されている。西口・東口のエスカレーターはともに上りのみ。またエレベーターは手前のドアから乗って奥のドアから降りる、ウォークスルータイプを使用している。
JR東日本ステーションサービスによる業務委託駅で、自動券売機・自動改札機を設置している。駅構内には売店や公衆電話などはないが、自動販売機がホームと駅舎内に1台ずつ設置されている。
東口はロータリーとなっており、タクシー乗り場と東口階段の下には公衆トイレが設置されている。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■相模線 | 下り | 橋本・八王子方面 |
2 | ■相模線 | 上り | 海老名・厚木・茅ヶ崎方面 |
相模線の電化前は当駅 - 橋本間の区間列車が設定され、側線を有したが、のちに全て撤去されている。
駅舎改築について[編集]
かつては橋本方西側に平屋建ての駅舎を有し、ホームとは跨線橋で連絡していた。しかし階段だけでエスカレーターやエレベーターはなく、バリアフリーの観点から問題があった。また東西自由通路がなく至近の踏切も1か所しかないことから、線路東側の住民が不便を強いられ、街が東西に分断されていた。このような状況を解消すべく、橋上駅舎と東西自由通路の建設が決定された。
本来は1991年3月16日の相模線電化開業と同時に新駅舎に移行するとされていたが、東側にマンションが次々に建設されるものの、セメント包装所と貨物設備が障害となって計画は進まなかった。21世紀を前にして建設予定地に位置したセメント包装所、貨物設備が撤去された際にようやく駅が改築されると住民も期待し、実際にJR東日本側も着工予定とその2年後の完成予想図を発表したが、着工はどんどん遅れていった。その後、駅用地として確保した土地を駅前スーパーの駐車場とし、しばらくのあいだ駅建設可能な状態を維持したまま数年の停滞が続いた。それらを経て、交通バリアフリー関連の法律施行にも後押しされ、ようやく工事が開始された。
橋上駅舎の工事は2005年に着工した。2006年10月1日に東西自由通路の使用を開始。2日後の10月3日には駅舎部分の使用を開始した。『タウンニュース』(2005年の記事)や相模原市の公式サイトによると、駅舎・東西自由通路・駅周辺工事の総工費は約14億円で、90%以上を相模原市が負担した。
東西自由通路開業当日の2006年10月1日には地元の盆踊りや西口でのテープカットなど、相模原市による式典が行われた。新駅舎の開設に伴って、旧駅舎および跨線橋は閉鎖され、その後撤去された。
2008年には駅前広場が完成した。
利用状況[編集]
2012年度の一日平均乗車人員は5,213人である。近年の推移は下記の通り。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1998年 | 5,088 [1] |
1999年 | 4,995 [2] |
2000年 | 5,099 [2] |
2001年 | 5,155 [3] |
2002年 | 4,988 [3] |
2003年 | 4,918 [4] |
2004年 | 5,075 [4] |
2005年 | 5,125 [5] |
2006年 | 5,182 [5] |
2007年 | 5,351 [6] |
2008年 | 5,443 [6] |
2009年 | 5,311 [7] |
2010年 | 5,311 [8] |
2011年 | 5,189 [9] |
2012年 | 5,213 [10] |
駅周辺[編集]
国道16号や国道129号といった幹線道路に程近く、1950年代に市が行った工場誘致政策もあって、駅周辺には大手企業の工場が集まっている。
駅東側には多くのマンションが建ち並んでいる。1990年に京王相模原線が橋本駅まで開通し、相模原市北部の利便性が格段に向上。さらに1991年には相模線の電化が実現した。1990年代以降は、駅東側を中心に工場の撤退・移転・縮小が相次ぎ、跡地を利用したマンション建設により人口が急増した。夏の風物詩、南橋本夏祭りは「ふれあい広場」で開催されている。
駅西側には多くの居酒屋・飲食店などが集積し、南橋本商店街を形成している。「みなはし (3784) 商栄会」では「味彩まつり」としてサンバパレードなどを催している。
駅周辺の主な公共施設・事業所・店舗などは次の通り[11]。
東口
- 神奈川医療少年院
- 相模原清新郵便局
- 昭和電線ホールディングス 相模原事業所
- スーパー三和 南橋本店
- ホームセンターコーナン 相模原小山モール店
西口
- 日本電気 (NEC) 相模原事業場
- エルピーダメモリ株式会社 開発センター
- 東プレ株式会社
- 住友スリーエム 相模原事業所
- 日本山村硝子 東京工場
バス路線[編集]
当駅最寄りのバス停留所は、大河原(東口徒歩7分、国道16号沿い)と昭和電線前(東口徒歩10分)であり、神奈川中央交通により運行される以下の路線が発着する。
大河原
- 相31系統:相模原駅行、峡の原車庫行
昭和電線前
- 相36系統:相模原駅行、下九沢団地行
隣の駅[編集]
かつては上溝駅との間に作ノ口駅が置かれていた。
脚注[編集]
- ↑ 神奈川県県勢要覧(平成12年度)220ページ
- ↑ 2.0 2.1 神奈川県県勢要覧(平成13年度)222ページ
- ↑ 3.0 3.1 神奈川県県勢要覧(平成15年度)220ページ
- ↑ 4.0 4.1 神奈川県県勢要覧(平成17年度)222ページ
- ↑ 5.0 5.1 神奈川県県勢要覧(平成19年度)224ページ
- ↑ 6.0 6.1 神奈川県県勢要覧(平成21年度)238ページ
- ↑ JR東日本「各駅の乗車人員」
- ↑ JR東日本「各駅の乗車人員」
- ↑ JR東日本「各駅の乗車人員」
- ↑ JR東日本「各駅の乗車人員」
- ↑ 所要時間は「不動産の表示に関する公正競争規約」施行規則(第5章-第1節-第11条-第10号)を参照し、80メートル=1分で単純計算したのち信号等を考慮した。