「首都圏女性連続殺人事件」の版間の差分
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# [[1973年]]1月26日、[[北区 (東京都)|北区]]のアパートで就寝中の22歳のOLが絞殺され放火。事件発生2日前に事件現場近くを深夜、バールを持って歩いていた小野悦男が検挙された。 | # [[1973年]]1月26日、[[北区 (東京都)|北区]]のアパートで就寝中の22歳のOLが絞殺され放火。事件発生2日前に事件現場近くを深夜、バールを持って歩いていた小野悦男が検挙された。 | ||
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# 同年8月9日、埼玉県[[志木市]]内のアパートで会社事務員の'''関根タケ子さん'''(21)が暴行の上、焼殺された。犯人の血液型がA型またはAB型であり、小野悦男と同じO型でないことが判明。 | # 同年8月9日、埼玉県[[志木市]]内のアパートで会社事務員の'''関根タケ子さん'''(21)が暴行の上、焼殺された。犯人の血液型がA型またはAB型であり、小野悦男と同じO型でないことが判明。 | ||
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首都圏連続女性暴行殺人事件が発生していたが、どれも犯人を確定する物証が乏しく、多くの事件で目撃情報などが寄せられていた[[足立区]]の小野悦男(当時38歳)のほかに、数百人の人間がリストアップされていた。 | 首都圏連続女性暴行殺人事件が発生していたが、どれも犯人を確定する物証が乏しく、多くの事件で目撃情報などが寄せられていた[[足立区]]の小野悦男(当時38歳)のほかに、数百人の人間がリストアップされていた。 | ||
− | + | 同年7月10日に事件現場の付近で発生した女性暴行未遂事件現場から発見された足跡の一致、宮田早苗さんの死体から検出された犯人の血液型がO型だったことから、小野悦男を犯人と特定、9月12日に窃盗の別件逮捕に踏み切り、殺人容疑で再逮捕する。殺人容疑逮捕時、マスコミが連続女性暴行殺人事件の犯人であると[[誤報]]。その後、検察が殺人事件としては松戸事件の1件しか起訴されなくても、連続女性殺人事件の犯人であるかのような報道を続けた。これが後の冤罪支援運動の火種となる。 | |
− | + | 逮捕後、物証能力に乏しいと判断した地検はいったん小野悦男を釈放するも、警察は小野悦男の自白によって宮田早苗さんの所有物が発見できたことや、犯人と小野悦男の類似性(血液型や毛髪など)を強調して再逮捕。1975年3月12日、小野悦男を宮田早苗さん殺人で起訴。この起訴と時を同じくして、小野悦男の[[冤罪]]支援運動のため浅野健一など文化人、宗教関係者、弁護士らが「小野悦男さん救援会」を結成。小野悦男の弁護人を担当した[[野崎研二]]は代用監獄など自白の信用性そのものを突き崩す弁護戦略を行った。 | |
− | + | 1986年9月4日、千葉地裁松戸支部で無期懲役判決。 | |
− | 1991年4月23日、[[東京高等裁判所|東京高裁]] | + | 1991年4月23日、[[東京高等裁判所|東京高裁]]で宮田早苗さん殺人事件において、自白に信用性が乏しいと無罪判決を言い渡し、同殺人事件の無罪が確定した。別件の窃盗罪と婦女暴行で懲役6年判決が出ていたが、未決勾留日数が参入されたため刑務所に服役することはなかった。16年ぶりの釈放であった。未決拘置期間6068日のうち別件で有罪となった6年を差し引いた3871日を対象として総額約3650万円が小野に支給された。 |
== その後 == | == その後 == |
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首都圏女性連続殺人事件(しゅとけんじょせいれんぞくさつじんじけん)とは1968年から1974年にかけて首都圏で発生した連続女性暴行殺人事件。
概要[編集]
1968年から1974年にかけて千葉県、埼玉県、東京都で連続女性暴行殺人事件が発生。内容は1人暮らしの女性が深夜、強姦されたうえで殺害されるという事件が11件起こっていた。被害者の大半は20代で、現場に残されていた加害者とされる血液型がO型の事件が多かったこと、殺害方法は暴行焼殺9件、暴行穴埋め2件と、同一犯によるものという見方が強かった。
その内、いくつかの事件現場で目撃情報があったこと、14回もある逮捕歴に放火や暴行の前科があったこと、血液型O型だった小野悦男が松戸市の1殺人事件で、逮捕・起訴された。他の事件でも小野悦男と結びつける状況証拠があったことで、マスコミが首都圏女性連続殺人事件の犯人視扱いにする報道を展開した。ただ、加害者の血液型はO型ではない事件もあり、狙われた女性も年代にもばらつきがあるため、首都圏女性連続殺人事件の11件全てを「同一犯によるもの」とまとめるのは疑問が残っていた。実際に葛飾区の1事件で小野悦男とは別の人間が真犯人と判明して解決している。
裁判では捜査機関が自白強要したことが問題視され、小野悦男は無罪となった。
一連の事件[編集]
- 1968年7月13日、足立区の空き地で26歳のOLが暴行の上、焼殺された。事件の数日後、小野悦男が犯人だと密告電話が入るも、物証がないため逮捕断念。
- 1973年1月26日、北区のアパートで就寝中の22歳のOLが絞殺され放火。事件発生2日前に事件現場近くを深夜、バールを持って歩いていた小野悦男が検挙された。
- 同年2月13日、杉並区のアパートで放火事件。22歳の男性と67歳の女性焼死。
- 1974年6月25日、千葉県松戸市在住の30歳の主婦が失踪。8月10日に同市内の造成地で絞殺体で発見。
- 同年7月3日、松戸市の信金OL宮田早苗さん(19)行方不明となり、8月8日、宅地造成地より死体が発見された(#松戸OL殺人事件)。
- 同年7月10日、松戸市内のアパートで21歳の教師が暴行の上、焼殺された。現場近くで小野悦男が目撃された。その後、小野悦男が殺人罪で立件された。
- 同年7月14日、葛飾区で48歳の料理店経営女性と58歳の店員女性が暴行された上、焼殺。後年、別の犯人が逮捕されて解決した唯一の事件。
- 同年7月24日、埼玉県草加市内のアパートで22歳の薬局店店員女性が暴行されて放火。東武伊勢崎線草加駅の始発電車に小野悦男に似た男性を駅員が目撃。しかも7月1日に小野悦男は現場の向かいのアパートに暴行目的で女性の部屋に侵入するも、騒がれて逃走していた。
- 同年8月6日、足立区内にある42歳の会社員男性宅に侵入して、会社員の高橋啓子さん(24)が暴行された上、焼殺。小野悦男によく似た男が現場から逃走する姿が目撃されている。また小野悦男は1年前に会社員宅に侵入していたことが判明。
- 同年8月9日、埼玉県志木市内のアパートで会社事務員の関根タケ子さん(21)が暴行の上、焼殺された。犯人の血液型がA型またはAB型であり、小野悦男と同じO型でないことが判明。
宮田早苗さん殺人事件[編集]
1974年7月3日、千葉県松戸市の信金OL宮田早苗さん(19)が行方不明となり、8月8日、宅地造成地より死体が発見された。
首都圏連続女性暴行殺人事件が発生していたが、どれも犯人を確定する物証が乏しく、多くの事件で目撃情報などが寄せられていた足立区の小野悦男(当時38歳)のほかに、数百人の人間がリストアップされていた。
同年7月10日に事件現場の付近で発生した女性暴行未遂事件現場から発見された足跡の一致、宮田早苗さんの死体から検出された犯人の血液型がO型だったことから、小野悦男を犯人と特定、9月12日に窃盗の別件逮捕に踏み切り、殺人容疑で再逮捕する。殺人容疑逮捕時、マスコミが連続女性暴行殺人事件の犯人であると誤報。その後、検察が殺人事件としては松戸事件の1件しか起訴されなくても、連続女性殺人事件の犯人であるかのような報道を続けた。これが後の冤罪支援運動の火種となる。
逮捕後、物証能力に乏しいと判断した地検はいったん小野悦男を釈放するも、警察は小野悦男の自白によって宮田早苗さんの所有物が発見できたことや、犯人と小野悦男の類似性(血液型や毛髪など)を強調して再逮捕。1975年3月12日、小野悦男を宮田早苗さん殺人で起訴。この起訴と時を同じくして、小野悦男の冤罪支援運動のため浅野健一など文化人、宗教関係者、弁護士らが「小野悦男さん救援会」を結成。小野悦男の弁護人を担当した野崎研二は代用監獄など自白の信用性そのものを突き崩す弁護戦略を行った。
1986年9月4日、千葉地裁松戸支部で無期懲役判決。
1991年4月23日、東京高裁で宮田早苗さん殺人事件において、自白に信用性が乏しいと無罪判決を言い渡し、同殺人事件の無罪が確定した。別件の窃盗罪と婦女暴行で懲役6年判決が出ていたが、未決勾留日数が参入されたため刑務所に服役することはなかった。16年ぶりの釈放であった。未決拘置期間6068日のうち別件で有罪となった6年を差し引いた3871日を対象として総額約3650万円が小野に支給された。
その後[編集]
1991年に無罪が確定した小野悦男は代用監獄や自白偏重捜査を批判する冤罪のヒーローとして冤罪被害の集会などで講演をしていたが、1992年に窃盗を働いたため2年間服役した。出所後の1996年に足立区首なし女性焼殺事件で41歳女性を殺した殺人犯として逮捕された。松戸事件とは違い決定的な証拠を警察から突きつけられたため、小野悦男は犯行を認め、1999年に裁判で無期懲役が確定した。
連続女性殺人事件の真相[編集]
首都圏女性連続事件に関しては、後に1件だけ犯人が逮捕されて解決するも、他10事件は全て公訴時効を迎えて未解決事件となった。
小野悦男が1996年の足立区の殺人事件の犯人と判明して以降、殺人罪で立件された松戸事件を初め、他の首都圏女性連続殺人事件も小野悦男が関与した事件もあったのではないかという疑念が再度浮上した。立件された松戸事件の犯人については、小野の自供によって被害者の遺留品が発見されたため犯人しか知りえない秘密の暴露に該当するため小野悦男が犯人であるとするか、警察があらかじめ発見した遺留品を小野に拷問で自白をした後で発見された証拠であり警察の捏造した証拠を持って小野悦男が犯人ではないとするかで、意見が分かれている。なお足立区の殺人事件が発覚後、松戸事件の小野の弁護人だった野崎は「弁護人としては当時口が裂けても言えなかったが、(松戸事件の)一審の途中から小野を疑い始めていた」と告白している。
小野悦男自身は足立区の殺人事件の犯人と判明して以降も、松戸事件を含めた首都圏女性連続殺人事件に関与していないと無実を主張している。
なお、松戸事件は仮に時効がなかったとしても、一事不再理という刑事原則により、小野悦男に対して刑事事件で再審理は行うことができない。
関連書籍[編集]
- 小野悦男「でっちあげ―首都圏連続女性殺人事件」(社会評論社)