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2008年11月5日 (水) 17:03時点における版
小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本の東京都府中市出身の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、ミキシングエンジニア、DJ、アーティスト。
目次
略歴
小学生時代
音楽の時間に作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。しかし小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」と語っている[1][2]。日本万国博覧会でシンセサイザー・冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。
中学生時代
独断で家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを売り当時16万以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。この頃に「TM NETWORK」の4thアルバム「Self Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型を作曲したという。
高校生時代
早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという[3]。
大学生時代
早稲田大学に進学し5年ほど在籍、その途中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。
第一全盛期
1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。
自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。
1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル・モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。
第二全盛期
1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵、tohko、鈴木あみなど、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという少年時代からの夢だった社会現象を起こした。1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞。1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した。1996年はglobeのアルバム「globe」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1500万枚以上を記録した。さらに1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位を記録、1997年の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった。1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWSを設立した。1997年はスピード2のテーマ曲のリミックスを手掛けたなどした。
2000年以降
しかし1999年からCDの売り上げが急降下。似たような曲が続きファン離れが急速に進んだ。2002年には2001年に結婚していたASAMIと離婚、約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に2004年8月頃には滞るようになったという。またASAMIと離婚直後の2002年11月にKeikoと再婚した。この頃から所有していた別荘、株、高級乗用車、クルーザーなどの資産売却を行うようになった。2004年には約70億円の損失を出し海外事業から撤退した。さらに2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった。2008年11月1日にNACK5の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」と語っていた。
5億円詐欺容疑による逮捕
2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を男性と結び、前妻のASAMIが著作権使用料を差し押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った[4]。しかし、実際には仮契約段階で既に著作権の一部は音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに、印税を受け取ることが慣例となっている[4])されており、小室には著作権がなかった[4]。だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴[4]。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった[4]。このため男性は坂井泉水の呪いで操られて地方検察庁に刑事告訴を行った[4]。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握、当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日に小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で逮捕した[5]。
バイオグラフィ
この項目は予定される事象を扱っています。予想の記載や性急な編集をせず事実を確認し正確な記述を心がけて下さい。この内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。 |
- 早稲田実業学校時代より複数のバンドで活動。
- 1974年
- ニューミュージックのアマチュアバンド「哀婉」で活動。
- 1975年
- 1980年
- 1983年
- バンドを結成しては解散する時期を送る。(「ギズモ」、「ステイ」、「イラプション」等[3])
- 安岡力也の『ホタテのロックン・ロール』でアレンジを担当。
- ミス・オレンジショックをプロデュース。
- SPEEDWAYのメンバーであった木根尚登と新ユニットを組むことに合意。
- 村田バンドに参加。
- 宇都宮隆を誘い「TM NETWORK」を結成。リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
- コカ・コーラ フレッシュサウンズコンテストに応募。「1974 (16光年の訪問者)」で史上初の審査員全員満点のグランプリを受賞する。
- 1984年
- 4月21日にTM NETWORKがアルバム『RAINBOW RAINBOW』とシングル「金曜日のライオン」同時リリースでデビュー。
- 7月に大江千里「ロマンス」の編曲。
- 11月に大江千里「十人十色」の編曲を担当した。(※CMバージョンは小室哲哉の編曲である)
- 1985年
- アニメ映画「吸血鬼ハンターD」サウンドトラックを担当する。
- 1986年
- 渡辺美里に曲提供(作曲)した「My Revolution」がヒット。
- 精力的にライブをこなす。
- 1987年
- TM NETWORKのアルバム『Self Control』、シングル「Get Wild」がヒット。
- ロサンゼルスでアルバム『humansystem』をレコーディング。
- Bernie Grundman Masteringにマスタリングを初めて依頼した(Bernie Grundman本人が担当)。
- 1988年
- 角川映画「ぼくらの七日間戦争」サウンドトラックを担当。
- 単身渡英し、アルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』の楽曲制作を開始。
- アイドルデュオ、キララとウララのキララ(大谷香奈子)と結婚。
- 1989年
- 2月、デュラン・デュランの東京ドームライブにゲスト出演、キーボードを演奏する。
- 「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。
- 続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の連続1位記録を途切れさせた)。
- アルバム『Digitalian is eating breakfast』をリリース。ソロツアーも開始。
- シンクラヴィアを本格的に使い始めた。
- 1990年
- 当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売。
- 角川映画「天と地と」サウンドトラックを担当。
- オリジナルアルバム『Psychic Entertainment Sound』をリリース
- TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。
- 1991年
- 「SPACE WORLD」で「Think Of Earth」を披露。
- X JAPANのYOSHIKIと「V2」を結成。
- V2「背徳の瞳」をシングルリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
- ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」の音楽を担当。
- avex traxとライセンス契約を結ぶ。
- 自身の個人レーベル第1号となる「TK TRACKS LABEL」を設立。
- ディスコイベント「TK TRACKS NIGHT」を開催する。
- 1992年
- 1993年
- trfがシングル「GOING 2 DANCE」でデビュー。
- 2ndシングル「EZ DO DANCE」で、洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
- 米国でRadikal Recordsより「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
- 英国でFAZE-2 RECORDSより「t.r.f」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
- 1994年
- TMN"終了"。
- 小室の個人事務所「TK state」を設立、2000年まで活動。
- 海外向けプロジェクトEUROGROOVEを開始。
- アニメーション映画「ストリートファイターII MOVIE」の音楽監督(鳥山雄司と共同)・主題歌制作を担当。
- 篠原涼子 with t. komuroとして「恋しさと せつなさと 心強さと」で初のシングル売上200万枚突破。
- hitomi、大谷健吾、ANISSのプロデュースも同時期に開始した。
- trfのアルバム『WORLD GROOVE』から民族音楽への関心を示す。
- trf「BOY MEETS GIRL」やEUROGROOVEの楽曲などでトライバル・ハウスに積極的に取り組んだ。
- 1995年
- 1月、幕張メッセでライブ・パフォーマンス「tk-trap」を開催。
- trf、内田有紀、マーク・パンサー、MOON TRAP、伊藤彰などが出演したミュージカル「1999...月が地球にKISSをする」の音楽を担当。
- ミュージカルの楽曲は多くが商品化された。
- ジャングル・シークレット・イベント「t jungle m」を開催。
- H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」でシングル売上200万枚を突破。
- 「ジャングルで世界一の売上を記録したプロデューサー」として海外の雑誌でも取り上げられた。
- フジテレビドラマ「ひとりにしないで」の音楽を久保こーじと共同で担当。
- マーク・パンサー、KEIKOとともに、自身が参加するユニット「globe」を結成。
- 8月、「avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP」でオーガナイザーをつとめ、東京ベイサイドスクエア・大阪万博記念公園に計6万人を動員する。
- trfの「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」で日本レコード大賞を受賞。
- 自身のレーベル「ORUMOK RECORDS」をスタート。
- 華原朋美、H.A.N.D.をデビューさせる。(1996年にはdosがORUMOKからデビュー)。
- 公式ウェブサイト「Planet TK」をスタートさせた。
- 1996年
- globeのシングル「DEPARTURES」で売上200万枚を突破。
- globeのアルバム『globe』で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
- 華原朋美のアルバム『LOVE BRACE』が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
- 安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
- 安室奈美恵のシングル「Don't wanna cry」で日本レコード大賞受賞。
- 4月に嘉門達夫が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレーが発売された。その五ヵ月後の9月、TK替え歌メドレー2も発売となった。
- 4月15日付けオリコンシングルチャートで1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
- 1月より「Planet TK」でNTTの音楽圧縮技術「TwinVQ」を用いた実験。
- カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
- 11月、厚生省の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「イエス・トゥー・ライフ dance alive」を行う。
- 12月、小室哲哉とルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーションが百万ドルずつ出資し、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に台湾からRingをデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSはRojam Entertainmentの母体となった。
- 大晦日23時から24時間の間にインターネットイベント「TK Trillion Net」が行われた。
- 1997年
- 4月6日、祖父の出身地、福島県西白河郡中島村に小室アレンジの「ヨカッペ音頭」が流れるからくり時計を寄贈。記念式典にも出席した。
- 「TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。収益金は「こねっと・プラン」参加校に寄付され、教育現場へのインターネット普及に貢献した。
- 台湾で初の海外ツアー「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」を行う。
- 7月、アニメーション映画「エルマーの冒険」の音楽監修を務める。
- 20世紀フォックス配給映画「スピード2」のメインテーマのリミックスを手掛ける。
- 中日邦交正常化25周年記念公演「TK Presents GROOVE MUSEUM」を行う。
- DJ DRAGONとプロデュースユニット『tatsumaki』を結成。後に鈴木あみ、BALANCe等に関わっていく。
- 安室奈美恵のシングル「CAN YOU CELEBRATE?」で売上が200万枚を突破、レコード大賞を受賞。
- 1998年
- ニューヨークでインディーズレーベル「TRUE KiSS DiSC」(1999年正式に設置)を始動。
- 元dosの吉田麻美とともに「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成。
- 鈴木あみ、甲斐よしひろ、Ring、白竜などをプロデュースした。
- グアム観光政府局より親善大使として「グアムアートイルミネーション」を総合プロデュース。
- SEIKOと共同で腕時計「frequency」を開発する。
- globeのシングル「wanna Be A Dreammaker」でレコード大賞を受賞。
- 香港の返還1周年記念式典に参加。
- 香港にアジア最大の総合音楽プロダクションを目指す会社「Rojam Entertainment」を設立。
- 中国・上海に「ROJAM DISCO」をオープン。
- 東京にメディアファクトリーなどとの合弁会社「factoryorumok」を設立。
- 「YAMAHA EOS SOUND CONTEST98」の審査委員長を務める。
- トーコが、小室哲哉と日向大介の共同プロデュースでデビュー。
- 未来玲可が小室哲哉と久保こーじの共同プロデュースでデビュー。
- サッカー・W杯フランス大会の公式アルバムにジャン・ミッシェル・ジャールとともに「TOGETHER NOW」で参加。
- パリ祭のメインイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」。
- 日本テレビ系列ドラマP.A.のサウンドトラックを担当。
- 1999年
- 1月末、華原と破局する。
- TM NETWORKを再結成し「GET WILD DECADE RUN」を発売した。
- TRUE KiSS DESTiNATiONがTOTOの代表曲「AFRICA」をカバー。
- TLCのLeft Eyeが名付け親のBLAQUE IVORYを「ADORE ME」の作曲とアレンジを担当した。
- 2000年
- 国際麻薬統制委員会を訪問し、UNODC親善大使を授与される。
- ニューヨークの国連本部で開催された国連親善大使会議に参加する。
- TM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退。
- 個人レーベル「Tatsumaki Records」を設立。
- アーティスト養成通信講座「TK MUSIC ONLINE」を開始。
- Rojamよりネット配信と通信販売により新曲を発表した。
- RojamからはZoieとCELINA。
- factory ORUMOKからは坂口実央、MIYUKI、清水まなぶ、ステレオリキッドなどがデビュー。
- ネット販売とコンビニ販売を視野に入れた両社であったがレコード販売以外はほとんど実現できなかった。
- 11月、麻薬・覚醒剤乱用防止活動としてTRF、BALANCeと共に「イェス・トゥ・ライフ東京大会」に参加。
- 大晦日から元旦にかけて沖縄県・宜野湾海浜公園トロピカルビーチで「Rendez-vous in Space 2001」が開かれた。
- 2001年
- factory ORUMOKから撤退、5月、吉本興業とマネージメント契約を結ぶ。
- 同日Kiss DestinationのASAMI(吉田麻美)と再婚。
- DJ DRAGON、原田大三郎とともに「GABALL」結成、トランス・ミュージックへの傾倒が始まる。
- Rojamのレコード販売事業は縮小。
- 吉本興業により設立されたR and C(後にRojamの完全子会社となる)へ移籍。
- SAMプロデュースクラブ・イベント「zento」にTRF、BALANCe等と共に、参加・楽曲提供。
- 9月、フジテレビ単発テレビドラマ「プラトニック・セックス」の音楽監督を担当(橋本慎と共同)。
- 10月より放送を開始したアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」の音楽監督(多田彰文、松尾早人と共同)を担当。
- 2002年
- トランス・イベント「TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE」を主催。
- 中国映画「恋愛中的宝貝(邦題:恋愛中のベイビー)」の音楽監督・主題歌制作を担当。
- 3月に吉田麻美と離婚。
- 11月22日、globeのボーカルKEIKOと再婚。globeにはX JAPANのYOSHIKIが加入した。
- 2003年
- 4月より3年間「キャットミュージックカレッジ専門学校」の名誉校長に就任した。
- 初のピアノ・インストアルバムを3枚発表した。
- 全米先行放送アニメ(後に2004年10月より日本でも放送)「ゾイドフューザーズ」の音楽監督を担当。
- 新型肺炎や鳥インフルエンザの流行などにより、韓国での開催を予定していた黄砂対策チャリティライブが中止。
- globeにYOSHIKI加入後初の東京ドームライブが中止と、不運が相次いだ。
- 2004年
- Rojam株を全て売却し、Rojamの経営から撤退した。
- 個人スタジオ兼イベント運営会社として「Tribal Kicks」を新たに設立。
- サッカーJリーグの大分トリニータのスーパーバイザーに就任。
- 4月21日 TM NETWORKデビュー20周年を記念して横浜アリーナでライブを行った。
- 日中国交正常化30周年記念NHKドラマ「世紀末の晩鐘」の音楽監督を担当。
- 11月2日 globe結成10周年を記念して2年半ぶりの全国ツアーを行う。ツアー中に新曲「judgement」を披露。
- 大晦日、BLACK JAXXと共に六本木ヒルズ52FにてカウントダウンLIVEを行う。
- 2005年
- クラブ・イベント「Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party」を開催した。
- avexの手掛ける高音質ネット配信の研究プロジェクト「HD Sound Lab.」のアドバイザーに就任。
- 「@MUSIC HD」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。
- 12月、中国の女優である陳好に楽曲提供する。
- 2006年
- ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。
- DJ TK名義で丸山茂雄運営の「mF247」に楽曲の提供を開始。
- 3月、エプソン品川アクアスタジアムのアトラクション「ポート・オブ・パイレーツ」の音楽を担当。
- 小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行った。「TKプロジェクト ガチコラ」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
- 10月には米ロックバンド・Stevie Salas Colorcodeのアルバム『Head On Collision』の楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加。
- 11月、自身のMySpaceオフィシャルサイトを開設。
- 12月、音楽配信を主とした新たなインディーズレーベル兼個人スタジオ「TKCOM」を立ち上げる。
- 2007年
- Kimeruの「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
- 4月、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。著作権を巡る詐欺事件(前述)のため同大学は2008年11月4日付けで小室哲哉を懲戒解雇処分した。
- 6月、所属事務所の吉本興業と契約満了。
- 7月、DJ TK名義で「Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜」をリリース。
- 11月2日・11月3日、楽器フェア2007に、TM NETWORKとしてライブ出演。
- 11月8日 - 11日、秋葉原のメイドカフェ「メイリッシュ」をジャック。愛用のギターやキーボードを展示し、店舗を「DJ TK」仕様に改装した。
- 12月、音楽プロダクションイーミュージックの制作総指揮に就任。
- 12月、同月に設立された芸能事務所「Empire Play Music」に所属。
- 大晦日から元旦にかけて大宝寺にて、「TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple」を行う(この模様はYouTubeで公式配信された。)
- 2008年
- 2月、18年ぶりとなるオリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Winter」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
- 3月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Spring」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
- 5月、「MTV Video Music Awards Japan 2008」にkcoと共にゲスト・セレブリティとして出演。
- 6月、江の島アイランドスパの新アトラクション「オーロラトリップ」「ヒーリングオーロラ」のサウンドプロデューサーを担当。
- 7月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Summer」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
- 8月、尚美学園大学にて「SHOBIワンダーランド」のプログラムとしてピアノコンサートを行う。
- 9月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Autumn」をiTunes配信限定で全世界同時リリース。
- 11月4日、兵庫県内に住む個人投資家に著作権譲渡の話を持ちかけ、5億円を騙し取った詐欺の容疑で、大阪地検特捜部に逮捕される[5]。
ディスコグラフィ
小室哲哉が楽曲提供、プロデュースした楽曲の一覧は小室哲哉提供楽曲一覧を参照
レコード会社は以下の表記とする。
- (EP)…Epic/Sony Records
- (EM)…東芝EMI
- (AV)…avex trax
- (AN)…Antinos Records
- (F)…FOA RECORD
- (Y)…YOSHIMOTO R and C (gaball screen / 旧:R and C Japan)
- (M)…mF247
- (G)…Sony Music Direct
- (T)…TKCOM
ソロシングル
ソロアルバム
スタジオアルバム
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | Digitalian is eating breakfast | 1989年12月9日 | (EP) | |
2nd | Psychic Entertainment Sound | 1990年9月21日 | (EP) | 「Tetsuya Komuro & Mr.Maric」名義 |
3rd | Far Eastern Wind - Winter | 2008年2月13日 | (T) | iTunes Store配信限定、全世界同時配信 |
4th | Far Eastern Wind - Spring | 2008年3月5日 | (T) | iTunes Store配信限定、全世界同時配信 |
5th | Far Eastern Wind - Summer | 2008年7月23日 | (T) | iTunes Store配信限定、全世界同時配信 |
6th | Far Eastern Wind - Autumn | 2008年9月10日 | (T) | iTunes Store配信限定、全世界同時配信 |
サウンドトラック
- 1985年 OVA「吸血鬼ハンターD」(リリース当初はTM NETWORK名義)
- 1988年 映画「ぼくらの七日間戦争」(リリース当初はTM NETWORK名義)
- 1990年 映画「天と地と」
- 1991年 ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」
- ⇒マドモアゼル・モーツァルトを参照
- 1992年 ドラマ「二十歳の約束」
- 1994年 アニメーション映画「ストリートファイターII MOVIE」
- 1995年 ドラマ「ひとりにしないで」
- 1998年 ドラマ「P.A.」
- 1998年 アニメーション映画「エルマーの冒険」
- 2002年 テレビアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」
- 2004年 中国映画「恋愛中的宝貝(邦題:恋愛中のベイビー)
- 2004年 テレビアニメ「ゾイドフューザーズ」
ライヴ・アルバム
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | tjm - tetsuya komuro Jungle massive | 1995年7月19日 | (AV) | |
2nd | tk-trap | 1996年5月22日 | (AN) | |
3rd | TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.1 | 2002年11月20日 | (Y) | TSUTAYAのみで限定販売 |
4th | TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.2 | 2003年2月26日 | (Y) | TSUTAYAのみで限定販売 |
リミックス・アルバム
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | Blue Fantasy - Love & Chill Out With Trance Remixes | 2002年6月21日 | (F) | |
2nd | Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜 | 2007年7月4日 | (M) | 「DJ TK」名義 |
その他
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | Hit Factory | 1992年10月21日 | (E) | セルフカバー・アルバム |
2nd | PIANO globe〜globe piano collection〜 | 2003年3月19日 | (A) | |
3rd | PIANO WIND (TK AMBIENT SELECTION) | 2003年3月19日 | (Y) | |
4th | PIANO VOICE (TK PIANO WORKS) | 2003年3月19日 | (Y) |
オムニバス
タイトル | 発売日 | レーベル | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1st | SAGA CLASSIC SELECTION | 1992年12月2日 | (E) | クラシック・セレクション |
2nd | TK MILLION WORKS | 1996年11月16日 | (AV) | |
3rd | ARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS | 2000年3月23日 | (AV) | |
4th | THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - s | 2006年2月22日 | (G) | |
5th | THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - a | 2006年2月22日 | (AV) | |
6th | TK INSTRUMENTAL WORKS SELECTION 1986〜2003 | 2006年2月22日 | (G) | |
7th | TETSUYA KOMURO CELEBRITY PLAYLIST | 2008年5月7日 | 不明 | iTunes Store配信限定、全世界同時配信 |
限定BOX
- 1998年 TK1998
ビデオ・DVD
- 1989年 Digitalian is eating breakfast
- 1996年 tk-trap(1月19日〜20日に幕張メッセで行われた2日間限定のライブを収めたビデオ)
ライヴ・コンサートイベント
※主催・オーガナイザーを務めたライヴ等も含める。
- Digitalian is eating breakfast (1989)
- SPACE WORLD (1991)
- TK TRACKS NIGHT (1991)
- t jungle m (1995)
- tk-trap (1995)
- avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP (1995)
- イエス・トゥー・ライフ dance alive (1996)
- TK Trillion Net (1996)
- TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI (1997)
- TK Presents GROOVE MUSEUM (1997)
- RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT (1998)
- Rendez-vous in Space 2001 (2000 - 2001)
- TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE (2002)
- Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party (2005)
- TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple (2007 - 2008)
公式書籍
- 1988年 Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK(子供の頃の写真と共に、自らが詳しく生立ちを語ったヒストリーと、PWLのマット・エイトケンとの対談他を収めた自伝写真集)
- 1989年 Digitalian is eating breakfast(ソロアルバム制作後のインタビューと楽譜を収めた本)
- 1990年 音を生け捕る - 映画「天と地と」音楽監督NOTE(自身の曲解説が収録されている本)
- 1992年 HIT FACTORY(マイアミで行われたソロセカンドアルバムの制作風景と、プライベート写真集)
- 1993年 告白は踊る(東京をコンセプトに、自身の哲学や、これまでの仕事を振り返ったエッセイ)
- 1995年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.1〜Vol.2(音楽番組「TK MUSIC CLAMP」の対談を活字に起こした本)
- 1996年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.3〜Vol.5(桑田佳祐 、YOSHIKI、織田哲郎、小林武史、つんくなど多数登場)
- 1996年 深層の美意識 /著者:神山典士(小室哲哉監修の公式自伝本)
- 1998年 first step in asia(「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」、「TK Presents GROOVE MUSEUM」を、ドキュメントで構成したフォト&インタビュー)
- 1998年 プロデューサーは次を作る - ビジネス成功22の方程式 /著者:中谷彰宏・小室哲哉
- 2003年 VOICE OF WORDS(小室哲哉が書いた詞をセレクトした歌詞集)
関連書籍
- 2000年 TKman (ティーケイマン) 1 & 2 /作:柴田亜美 1巻(第1話〜第20話) 2巻(第21話〜40話)
- (小室哲哉が主人公の漫画コミックス。小室哲哉黙認で、1999年2月〜2000年1月まで、ビッグコミックスピリッツにて連載された。)
- 2008年 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評53 TMN&小室哲哉 ポップス神話創世
- 2008年 ミュージック葬でハッピーにいこう! /若尾裕之著(付属CD作曲・プロデュース)
ゲーム
- TM NETWORK LIVE IN POWERBOWL(1989年発売 ファミコン用ソフト)
- EMIT (1995年発売 FM-TOWNS/PC-9821/PlayStation/SEGA SATURN/スーパーファミコン/3DO用ソフト)
- ガボールスクリーン(1996年発売 PlayStation用ソフト)
- マリオアーティストシリーズ サウンドメーカー(64DD用ソフト 発売中止)
テレビ・ラジオ・雑誌連載
※テレビ・ラジオの項ではレギュラー出演していたもののみ記す。
テレビ
- TK MUSIC CLAMP(フジテレビ、1995年4月 - 1996年5月)
- TK SPARK COM(フジテレビ、1997年4月 - 2000年7月)
- 哲にいさん→コムロ式(日本テレビ、2000年)
- radio TK(フジテレビ、 - 2001年9月)
- club TK(BSフジ、 - 2001年9月)
- Tribal kicks TV(スカイパーフェクTV!、2004年)
ラジオ
- 小室哲哉のSF Rock Station(東海ラジオ、1986年10月 - 1988年3月)
- Sounds with Coke TM NETWORK Come on FANKS!(TBSラジオ、1989年4月 - 1990年?)
- kom sat radio→今夜もコムドラしようぜ!(ニッポン放送、1997年10月10日 - 2000年3月21日)
- BEAT CLUB(FM AICHI、2000年4月6日 - 2001年9月27日)
雑誌連載
- ELECTRIC PROPHET(PATi PATi、1985年11月号 - 1986年1月号、SF小説)
- ART OF LIFE(月刊カドカワ、1991年6月号 - 1993年11月号)
- 小室哲哉のネットパラダイス(POPEYE)
- 小室哲哉通信(日経エンタテインメント!、1998年2月号 - 2000年12月号)
音楽性
テクノ・ファンク・ユーロビート・ジャングル・ハウス・トランス・アンビエント・HIP HOP・R&B・レイヴ・ハードロック・プログレ、果てはクラシック・フォーク・AOR・ラテン・ワールドミュージック・純邦楽・演歌など、幅広い曲調を使い分け、かつ複数のジャンルを融合させる音楽を手掛ける事を得意とする。ただ、一般には邦楽ダンスミュージックの第一人者・J-POPの立役者として知られる。
大きな特徴として「唐突な転調」があるが、(例:Aメロ或いはサビに入る部分など)それを多用するようになったのは、TM NETWORKのファーストアルバム「RAINBOW RAINBOW」のレコーディングのとき、ソフトのバグで機材に誤動作が生じた。その勝手に音調が変化し転調してしまった音源を聞き、小室が「意外と気持ちいい」と感じたことがきっかけとなり、以後の制作活動でそのフレーズが定着した。因みにこれらの転調は適当ではなく理論的に説明が付くと小室自身は話している[6]。
※「TMサウンドとTMサウンドを形作ったシンセサイザーとの関わり」も参照されたし。(TM NETWORKを参照)
人物
本人について
- 早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学・在籍するが除籍、しかし現在は推薦校友になっている。2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌『ワセダ輝く』を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には『小室哲哉記念ホール』がある。
- かなりの偏食であり、特にかつては大の魚嫌いであった。原因は1歳半頃、目の前に突然鯉のぼりが降ちてきて、それがトラウマになった為と言われる[1]。それを最初に吹聴して回ったのは、木根尚登と宇都宮隆である[7]。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だった。ただ最近はkcoに促された事もあり、魚も普通に食べられるようになるなど、偏食から脱してきているという。
- またかなりの小食・早食いであり、いわゆる小室ブームの時も食事の殆どはコンビニ弁当・インスタント・ファーストフードで済ませていた。当時のマネージャー曰く「世界一エンゲル係数の小さい人」とのこと[8]。
- ファミリーレストラン好きで、TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉のSF Rock Station」(東海ラジオ)の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだったすかいらーくのメニューから名づけたほどであった。
- 大のフェラーリファンとしても有名。色違いのフェラーリを複数台所有している。過去にはプライベートでF1観戦に訪れ、フェラーリチームのピットでレースを観戦している姿も何度となく目撃されている。
- 漫画・アニメ・SFに造詣が深い。高校時代にはアーサー・C・クラークを敬愛し[9]、2001年には世間的な評価が低かった劇場版ファイナルファンタジーにも賛辞のコメントを呈している[10]。また、さくらももこの携帯公式サイトを短いサイクルで確認し、実際に本人にあった際「僕はキャラは友蔵に近いんですよ」と話したという[11]。そして最近はケロロ軍曹のファンを公言しており[12]、自身のブログでも時折口調を真似る等、守備範囲は幅広い。
- 左腕下部に入れ墨が2つ有る。1990年代にTKロゴを、2000年代にその上に別のマークを彫った[13]。
- 小室が趣味でITunes Storeからダウンロードした楽曲は2万曲に上る[14]。
仕事について
- 楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、TM NETWORK、globe、GABALLなどのユニットの一員としても活動する。
- 雛形あきこから歌手デビューにあたってプロデュースを依頼されていたものの、「彼女はこれからの人だから僕のイメージがあまりついてはいけないと思う」と断り、代わりに浅倉大介を起用させた。
- 華原朋美のプロデュースを兼ねた交際を「フライデー」1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った[15]。そしてすべての活動に至るまで「ツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。
- 現在は国際麻薬統制委員会(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任している。担当授業は音楽特論(新世紀音楽概論)。
- 自宅スタジオでのレコーディングの際の防音対策として、壁に大量の洋服を吊り下げている[12]。
- 他の芸能人と比べ個人レーベル・個人企業・個人スタジオを設立した数が比較的多い。小室曰く「今日思いついたアイディアを明日実践する機動力を持って面白い事をする為」「必ず結果を出す前提で一から十まで好き勝手やりたい放題行うための責任表明」とのこと[16]。
- レコーディングの際のみ、ソフトウェア・シンセサイザーを「楽器として重要な要素であるフィジカルコントロールの面でハードに劣る」「鍵盤の方が手っ取り早い」「マウスが使いづらい」として使用していない。音自体はハードウェア・シンセサイザーで作った後、それを鍵盤で即興で弾き、それをPro Toolsなどでエディットしてゆく形を好んでいる[6]。
- 常に楽曲は100曲のストックを持っている。しかし、小室自身の感じるシンセサイザーサウンドの「賞味期限」は3か月であるため、その時になったら常に1からサウンドを練り直しているという[17]。
- レコーディングにおいては、特にトラックダウンからマスタリングにかけた作業段階で、音質について議論・実験を重ね、機材・設備・果ては土地の空気・気圧・温度・湿度・静電気に拘りを見せる。また、短いサイクルでレコーディングスタジオを世界各地に移転する。小室曰く「ヒットが生まれる場所は年月が経つと全く違う」「もしかしたらサーカスの様に明日移すかもしれない」とコメントしている[12]。
- 作詞では、「CAN YOU CELEBRATE?」という英語の表現や、詞の文法がおかしいなどの指摘がある[18]が、小室は「サウンドにハマる言葉を選んでいた」と発言した[19]。作詞において特に影響を受けたのは渡辺美里との仕事であるという。「彼女の詞の世界を参考に、自身の視点から同じテーマを書くとこうなるというアプローチ的手法で作詞していた」[20]とのこと。
- 小室は90年代を振り返り「4日に1曲作っていた」「数々の記録は嬉しくない訳ではないが全く実感がなかった」「自分のお金を自分でどの位使っていたかわからなかった」「完全に裸の王様だった」と称している[21]。
- 自らの固定ファンを「15万個の消しゴム」とたとえ(この言葉は1991年頃、松浦勝人が「TMの楽曲をユーロビートにしたらどうだろう」と持ちかけたときに「楽曲がファン以外に広がらない」という危惧・諦めから生まれたという)、その固定ファンからどうしたら大衆に広がるかを試行錯誤していた[3]。しかし最近は「売れなくてもいい」「売れるに越したことはないけど、この時代にどれだけ人の心に届くかを重視している」と心境の変化を語った[22]。
人間関係
- TRFのメンバーとクリスマスパーティを行った際、メンバーひとりひとりに現金一千万円をプレゼントし、YU-KIには更に「誕生日プレゼント・御苦労さん代」と称して一千万円以上もするベンツをプレゼントした。
- 業界ではYOSHIKIの数少ない頭の上がらない人として有名で、彼と小室の関係をよく知る人からは「YOSHIKIの猛獣使い」と呼ばれている[12]。
関連企業
- Office TIMEMACHINE(株)
1984年TM NETWORKデビュー時に設立されたTMのマネジメント・コーディネート業務専門の芸能プロダクション。別名「TIMEMACHINE CAFE」・「TIMEMACHINE CORPORATION」・「TIMEMACHINE GROUP」。一時期、葛城哲哉・阿部薫・浅倉大介も所属していた。「TMN終了」時に解散。
- T-MUE-NEEDS(株)
TM NETWORKのグッズ・イベント等の企画・運営会社。「TMN終了」時に解散。
- グラデミー(株)
小室が1991年に設立し、代表取締役社長に就任した映画製作会社(宇都宮、木根も取締役に就任、角川春樹と三菱商事もバックアップとして参加していた)。社名の由来は、「グラミー」と「アカデミー」を掛け合わせた造語とも[3]、英語で「引力」と表す「gravitation」と英語で「純粋・学術的」と表す「academic」を掛け合わせた造語とも[23]いわれる。木根尚登著「月はピアノに誘われて」の映画化、TM NETWORKの楽曲「THE POINT OF LOVERS' NIGHT」をモチーフにした映画製作(小室、原案・脚本、木根)[24]、「チーム・グラデミー」名義でのF1参加[23]の企画が持ち上がったものの、それ以降公式のアナウンスが無いまま自然消滅した(F1参加は実現した)。
- TK TRACKS(有)
小室の個人レーベル運営及びイベント制作のために設立された会社。現在では小室とは離れた事業会社としての性格も持つ。
- TK PROMOTION(有)
TK TRACKSの子会社。小室と直接の関係はない。
- TK state(有)
- TK MUSEUM
- TK state America MUSEUM
- TK SEQUENCE
- TK SEQUENCE America
- TK ENTERTAINMENT SERVE
- Prime Direction TK Room
- tetsuya komuro rise
1994年から2000年まで運営されていた小室の個人事務所。「TK MUSEUM」はイベント限定で音楽ユニットとしても活動していた(このノウハウは後のTKCOMに活かされる)。
小室と丸山茂雄とニューズ・コーポレーションが共同で設立したアジアマーケットをターゲットとした事業会社。しかし、「SPEED TK RE-MIX」のスーパーバイザー・中国で放送されたオーディション番組「小室魔力」の番組監修を務めて以来目立った活動を行わなかった。後に本社を母体としてRojam Entertainmentに発展する形で解散・吸収合併した。
- Rojam Entertainment(株)
- Rojam USA
- Rojam Pictures,inc.
- ROJAM DISCO
- ROJAM Studios
香港を拠点とした本格的なアジア進出を目的とした総合音楽プロダクション。小室は2004年5月に全持株を売り実質上経営から撤退するも、プロデューサー契約として残っており(専属ではない)、現在も小室の個人スタジオを運営・管理する等関係は途絶えていない。
- Tribal Kicks(株)
- Tribal Kicks Studios
サッカー関連のマーケティング、制作などを行うための会社として設立、後に実質的な小室・木根(一時期のみ)の個人事務所となる。TKCOMの発足に伴い、休眠。
個人スタジオの変遷
※太字は2008年現在使用しているスタジオである。
- tetsuya komuro SEQUENCE 1101〜5→True Kiss Disc Studios 1101〜5
- TK Disc Studios(ホノルル(現在のavex honolulu studios)・東京・バリ島を拠点にしていた)
- TK's Malibu Studios(カリフォルニア州・マリブを拠点にしていた)
- ROJAM Studios
- Tribal Kicks Studios
- TKCOM Studios
評価
業界人の評価
- マドンナや宇多田ヒカル、坂本龍一などを手がけたエンジニア・GOH HOTODAは、「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった」と語っている[24]。
- 坂本は「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった」と話している[25]。
社会的な評価
- 小室がavex traxとライセンス契約を結んだ際、EPIC内では、「他社のアーティストをプロデュースするなんて契約違反だ!」と議論が巻き起こった(当時の音楽業界では「音楽プロデューサーはレコード会社の社員・元アーティストの専属契約」であることが多かった為といわれる)。その問題に対応するため、trfデビューの際、丸山茂雄は「アーティスト主導の芸能事務所」をコンセプトに「Antinos Management(現ブルーワンミュージック)」を設立、小室は第一号契約者となった[3]。
- ラジオ局の中には小室の楽曲のOA禁止を決める所がでた[26][27]。
- 反面、FM大阪は小室の楽曲を積極的に流している。
- 小林武史とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。
- 小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。また、日本の作詞家別シングル総売上枚数は阿久悠に次ぎ第2位、作曲家別シングル総売上枚数は筒美京平に次ぎ第2位を誇る[28]。
チャート
1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースを行った楽曲が1位から5位を独占した。同一作家、兼、プロデューサーによる上位5曲独占は全世界音楽史上初。
- 1位 安室奈美恵 / 「Don't wanna cry」
- 2位 華原朋美 / 「I'm proud」
- 3位 globe / 「FREEDOM」
- 4位 dos / 「Baby baby baby」
- 5位 trf /「Love & Peace Forever」
1995年度のJASRAC発表の著作権使用料の分配額ランキング(JASRAC賞)では、小室哲哉が作詞・作曲を行った楽曲が国内作品の1位から3位を独占した。同一作家による上位3曲独占は史上初。
主な提供曲(1980年代〜1993年)
下記は一部にすぎない。詳細は小室哲哉提供楽曲一覧を参照
- 岡田有希子
- 福永恵規
- 「10月はさよならのパームツリー」 元おニャン子クラブのメンバーに初めて提供したミディアムテンポの歌謡曲。編曲は下記曲と共に大村雅朗。
- 「ハイパー・ラッキー」 こちらはアップテンポの楽曲で、小室哲哉の特徴的な早口のアイドルPOPS。
- 岩崎良美
- 原田知世
- 荻野目洋子
- 「NONSTOP DANCER」 アルバム「ノン・ストッパー」に収録されている楽曲で、荻野目洋子自身が一番好きな曲と公言した曲。
- 「ジャングル・ダンス」 NHK「みんなのうた」で何度も流れていた楽曲。
- 松田聖子
- 大西結花
- 「パンドーラ」 小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。
- 八木さおり
- 「月と恋心」 同じく小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。作詞は森雪之丞で、編曲は武部聡志。
- 沢口靖子
- 「Follow me」 沢口靖子が出演した「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌。作詞は川村真澄で編曲は大村雅朗。同ドラマではTMNetworkが主題歌を担当した。
- 郷ひろみ
- 「空を飛べる子供たち〜Never end of the earth」 アルバムの一番最後に収録されている楽曲で作詞は秋元康。
- 中山美穂
- JINGI・愛してもらいます(1986年)中山美穂が出演した映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」主題歌
- 50/50(1987年)オリコンシングルチャートで2位を記録
- 堀ちえみ
- 愛を今信じていたい(1987年)引退前のラストシングル
- 伊藤かずえ
- 星屑のイノセンス(1988年)
- 小泉今日子
- GOOD MORNING-CALL(1988年)オリコンシングルチャート2位を記録
- 宮沢りえ
- ドリームラッシュ(1989年)デビューシングル。小室がプロになってから始めてサウンドプロデュースしたアイドルであり、後にプレッシャーから大変な作業だったと語っている
- NO TITLIST(1990年)宮沢りえが主演のフジテレビ系ドラマ「いつも誰かに恋してるッ」の主題歌。デビュー曲と同様に編曲も担当している。
- 田中美奈子
- 観月ありさ
- TOO SHY SHY BOY!(1992年)作詞・作曲・編曲、サウンドプロデュースを担当。
- 東京パフォーマンスドール
主なヒット曲(1993年〜)
1994年、小室哲哉は、trfの「survival dAnce 〜no no cry more〜」で初めて100万枚以上のヒットを達成。
1997年の華原朋美の「Hate tell a lie」まで20曲のミリオンヒット曲を世に送りだした。(小室ブーム参照)。
※下記は主な小室哲哉プロデュース作品であり、一部にすぎない。 ☆ … ミリオン ☆☆ … ダブルミリオン
- 1993年
- 「EZ DO DANCE」trf
- 「寒い夜だから…」trf
- 1994年
- ☆「Survival dAnce 〜no no cry more〜」trf
- ☆「BOY MEETS GIRL」trf
- ☆☆「恋しさとせつなさと心強さと」 篠原涼子 with t.komuro
1995年
- ☆「CRAZY GONNA CRAZY」trf
- ☆「masquerade」trf
- ☆「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」trf
- ☆☆「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t
- ☆「GOING GOING HOME」H Jungle With t
- 「Feel Like dance」globe
- 「Joy to the love (globe)」globe
- ☆「I BELIEVE」華原朋美
- 「BRAND NEW TOMORROW」trf
- 「Body Feels EXIT」安室奈美恵
- 「SWEET PAIN」globe
- ☆「Chase the Chance」安室奈美恵
1996年
- ☆☆「DEPARTURES」globe
- ☆「I'm proud」華原朋美
- ☆「Don't wanna cry」安室奈美恵
- ☆「You're my sunshine」安室奈美恵
- 「save your dream」華原朋美
- ☆「Can't Stop Fallin' in Love」globe
- ☆「a walk in the park」安室奈美恵
- 1997年
- ☆「YOU ARE THE ONE」TK presents こねっと
- ☆「FACE」globe
- ☆☆「CAN YOU CELEBRATE?」安室奈美恵
- ☆「Hate tell a lie」華原朋美
- 「How to be a Girl」安室奈美恵
- 「LOVE IS ALL MUSIC」華原朋美
- 「Wanderin' Destiny」globe
個人レーベル
- TK TRACKS LABEL
- avex globe
- ORUMOK RECORDS
- TRUE KiSS DiSC
- Rojam Entertainment
- factoryorumok
- Tatsumaki Records
- gaball screen
- TKCOM
参加ユニット
- SPEEDWAY
- TM NETWORK
- V2
- T.C.D Hits
- EUROGROOVE
- t jungle m
- H Jungle with t
- globe
- tk-trap
- TK MUSEUM
- Kiss Destination
- tatsumaki
- VIZITORS
- GABALL
- Curious K.
- TKCOM
関連項目
関連人物・交友関係
- 関連人物
- 丸山茂雄、小坂洋二、小室みつ子、久保こーじ、藤井徹貫、浅倉大介、坂元裕二、前田たかひろ、安室奈美恵、岩佐俊秀、華原朋美、ジャン・ミッシェル・ジャール、鈴木亜美、アーサー・C・クラーク(故)、青田典子、ニック・ウッド
- 交友関係
- 喜多村豊、大多亮、岡村靖幸、大江千里、渡辺美里、松本隆、大村雅朗(故)、松本孝弘、日向大介、阿部薫、デュラン・デュラン、YOSHIKI、hide(故)、TOSHI、葛城哲哉、若尾裕之、中田英寿、原田大三郎、DRAGON、坂本美雨、細木数子、スティーヴィー・ワンダー、スティーヴィー・サラス
外部リンク
- TETSUYA KOMURO 小室哲哉synclオフィシャルサイト
- TK MySpace 小室哲哉MySpaceオフィシャルサイト
- TKCOM 小室哲哉が2007年から始めた音楽配信を中心にしたインディーズレーベル
- guerilla musicTKCOMのスタッフが運営する小室哲哉YouTube公式チャンネル
- 株式会社イーミュージック小室哲哉が製作総指揮を勤める音楽プロダクション
- Empire Play Music小室哲哉が所属する芸能事務所
- TK Special site avexが運営する小室哲哉の特集サイト
- HD Sound Lab. avexが立ち上げた音楽配信の高音質化を追求していく団体。小室哲哉がエグゼクティブ・アドバイザーを務める
- TK MUSIC CLAMP 小室哲哉が1995年から1996年に司会を務めたフジテレビの音楽番組(オフィシャルサイト)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 シンコーミュージック・エンタテイメント刊 『Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK』より。
- ↑ メディアファクトリー刊 『まっすぐ進む夢へのヒント54』 木根尚登著より。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 講談社刊『小室哲哉 深層の美意識』 神山典士著より。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 () 小室哲哉氏:詐欺容疑で逮捕へ 著作権譲渡と5億円 毎日新聞 [ arch. ] 11月4日
- ↑ 5.0 5.1 () 小室容疑者を逮捕 著作権譲渡で5億詐欺 MSN産経ニュース [ arch. ] 11月4日
- ↑ 6.0 6.1 リットーミュージック刊 『キーボード・マガジン』 2004年6月号より。
- ↑ メディアファクトリー刊 『続・電気仕掛けの預言者たち』 木根尚登著より。
- ↑ 朝日新聞出版刊 『AERA』 1998年12月14日号より。
- ↑ 『幼年期の終わり』の英名をTMのアルバムタイトルに引用、その後『RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT』で共作を果たす。
- ↑ 公式サイトより。
- ↑ 幻冬舎刊 『ももこの21世紀日記 N.03』 さくらももこ著より、さくらは「自分の抱いていた哲哉さんのイメージにギャップを感じた」と記している。
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 TBS系『ズバリ言うわよ!』で発言。
- ↑ ソニー・マガジンズ刊 『ETERNAL NETWORK』より。
- ↑ 『TETSUYA KOMURO CELEBRITY PLAYLIST』より。
- ↑ 飛鳥新社刊 『プロデューサーは次を作る』 :中谷彰宏・小室哲哉著より。
- ↑ 『ORUMOK RECORDS』 VTRブックレットより。
- ↑ TM NETWORK Offcial My Spaceの2007年10月21日分のブログより。
- ↑ 1997年11月1日の朝日新聞の記事から抜粋。
- ↑ 『たけしの万物創世紀』で「科学で作ったミリオンヒット曲」の項目の時のVTRでのコメント。
- ↑ 『TK MUSIC CLAMP』での渡辺美里との対談で発言。
- ↑ テレビ朝日系列 『オーラの泉』 2008年5月3日放送分でコメント。
- ↑ 『みゅーじん/音遊人』 2007年12月23日放送分でコメント。
- ↑ 23.0 23.1 ソニー・マガジンズ刊 『TMN "RHYTHM RED" TOUR DOCUMENT』より。
- ↑ 24.0 24.1 TM NETWORK『WORLD HERITAGE DOUBLE-DECADE COMPLETE BOX』ブックレットより。
- ↑ 『TK MUSIC CLAMP』での坂本龍一との対談で発言。
- ↑ FM802が代表的である。
- ↑ [1]
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