YOSHIKI
YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹(はやし よしき)1965年11月20日 - )は、日本の音楽家。ソングライター、作詞家、作曲家、編曲家で、音楽プロデューサー。1989年にメジャー・デビューしたロックバンド、X JAPANのリーダーでドラマー/ピアニストとして最もよく知られている。X JAPANのほかにも、Violet UK、L・O・X、V2、globe extreme、S.K.I.N.として活動がある。
これまでのソロとしての大きな仕事に、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲(1999年)[1]、『日本国際博覧会(愛知万博)』の公式イメージ・ソング(2005年)[2]、ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング(2012年)[3]などがある。
本名は1997年のX JAPAN解散記者会見で公表した。弟に元俳優の林光樹がいる[4][5]。
目次
経歴[編集]
生い立ち[編集]
1965年11月20日に、千葉県館山市の老舗呉服屋を営む家庭の2人兄弟の長男として生まれる[6]。仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦が兄弟の面倒を見ていた[7]。4歳でピアノを買い与えられ、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始める[8]。日頃から父親が購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴き[9]、8歳の時にシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーベンの交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを初めて自分の小遣いで購入した[8]。
病弱で重い小児喘息を患っていたために、小学校中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を送っていた[10]。病室では見舞う父親が手土産として持ってきた子供向けの偉人伝を愛読し、とりわけ若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーベンの苦難の人生に対して強い興味を抱いた[11]。
9歳頃からピアノで作曲をはじめ[8]、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを担当した[8]。毎年、誕生日には楽器を買い与えられることが恒例で、トランペットを始めたのも10歳の誕生日に父親から買ってもらったことがきっかけであったが、その翌年の夏に父親を自殺により亡くした[12]。34歳の若さであった[12]。
それまではクラシック音楽しか聴いていなかったが[13]、行きつけのレコード店でジャケットに惹かれて購入したキッスのシングル「ラヴ・ガン」と[14][15]、母親に頼み連れていってもらったキッスの『ロックンロール・オーバー・ツアー』の日本武道館公演をきっかけにロックに魅了され、11歳でドラムスを始めた[8]。12歳でギターも始めたが、細かい作業が性に合わず早々に手を引いた[16]。
11歳で初めてのバンド「DYNAMITE」を小学校の同級生2人と幼馴染みでギターが弾けたToshlの4人で結成し、近所の貸しスタジオでキッスの楽曲を練習して腕を磨いた[17]。YOSHIKIはドラムスとボーカルを兼任していたが、声変わりが遅く高声しか出すことが出来なかった[17]。中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、バンド名を「NOISE」に改称[18]。YOSHIKIはドラムス専任となり、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどの楽曲を演奏した[18]。より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日に母親に頼んでダブル・ベースのドラムセットを手に入れ[19]、中学校の体育館で開かれた予餞会で初めてのステージを踏んだ[20]。高校進学後もNOISEとして、レッド・ツェッペリンや、UFO、レインボーなどの楽曲を学校の文化祭などで演奏した[21]。
X JAPANの結成[編集]
1982年の夏、大学受験に専念するメンバーが離脱したNOISEを解散。当時アイアン・メイデンのアルバム『鋼鉄の処女』や『キラーズ』に感化されていたYOSHIKIは、ボーカルに転向したToshlと他校の生徒によるツインリードギター編成で、よりハードなロックを指向したバンド「X」(現在のX JAPAN)を新たに結成する[22]。Xでは既存の楽曲の演奏だけでなく、オリジナル楽曲の作曲も始め、演奏のレパートリーを着実に増やしていった。YOSHIKIがXのために初めて作曲した楽曲「I'LL KILL YOU」は、1985年にXの1作目のシングルとしてリリースされている。
高校3年から音楽大学を目指して本格的にピアノに打ち込み、受験用のプログラムを通して、ソルフェージュ、和声、楽典などの音楽理論を学んだ[8][23]。受験勉強の合間には、Xとしていくつかのバンド・コンテストに出場。ヤマハ主催のアマチュアのバンド・コンテスト『EastWest』の千葉県大会ではバンドとしての受賞こそ逃したものの、ベスト・ドラマー賞を受賞した[24]。Toshlもまた、その後に参加したコンテストでベスト・ボーカル賞を受賞していた[25]。このことにバンドとしての可能性に自信を深めていたToshlは、大学に進学せず東京でバンドを続ける決意を固めたことをYOSHIKIに告げる[25]。YOSHIKIもこれに呼応して、推薦入学が決まっていた音楽大学への道を断つ決心をした[26]。
高校を卒業するとバンド活動の本格化のためToshlと共に上京。東京でバンドのメンバーを探していた時期は、エクスプロイテッドや、カオスUK、ディスチャージ、G.I.S.M.、GAUZEなどのパンク・ロックに傾倒していた[22][27]。ライブ・ハウス時代には、Xが出演していたライブ・ハウス「神楽坂EXPLOSION」でDoomのメンバーが店員であった繋がりから、Doomの初ライブでヘルパーとしてドラムを叩いている[22]。また、Xの活動と並行してLip CreamのNAOKI、ORANGEのACTとともにパンク・バンド「L・O・X」を結成して活動していた。
Xのレコードをリリースするため、1986年にインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立[28]。1988年にエクスタシーレコードからリリースしたXの1作目のアルバム『Vanishing Vision』は、インディーズ・レーベルの作品として日本のメジャー・チャートにランクインした初めてのアルバムとなった。翌1989年にXの2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でCBSソニーからメジャー・デビュー[29]。年末には日本有線大賞の最優秀新人賞[30] 、全日本有線放送大賞の最優秀新人賞[31]、第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などを受賞した[32]。X JAPANの1993年のアルバム『ART OF LIFE』からはプロデューサーとしての立場も担っている[33]。
ソロ活動(1991-99年)[編集]
1991年の10月31日にTMNの小室哲哉とともに記者会見を開き、2人で新ユニット「V2」を結成することを発表[34]。12月5日に東京ベイNKホールでV2のコンサート『V2 SPECIAL LIVE VERGINITY』を開催した。同年、初のソロ名義作として、自身の選曲によるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection』を12月12日に発表。このアルバムは第6回日本ゴールドディスク大賞で洋楽アルバム賞(クラシック部門)を受賞した[35]。
1992年にV2としてシングル「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」をリリース[36]。また、ロサンゼルスに自身のレコーディング・スタジオと自宅を購入し、制作と生活の拠点をアメリカに移した。MIDIやシンクラヴィアなどコンピュータ・ベースの制作環境に関心を持ち、バンドの枠を超えたプロジェクト「Violet UK」を構想する[37]。この時期からからオーケストレーションと、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』をきっかけにジャズの理論やインプロビゼーションを学び始める[8]。
1992年7月23日に東芝EMIと初めてとなるソロ契約の締結を発表[38]。7月30日に日本武道館で『YOSHIKI TALK LIVE at 日本武道館』を開催し、1993年にX JAPANの作品としてリリースされた自らの半生を描いた楽曲「ART OF LIFE」をピアノ協奏曲形式で初演した。また、年末にNHKホールで行われた『第43回NHK紅白歌合戦』の全出場歌手で歌う合唱曲「Tears〜大地を濡らして〜」を作詞・作曲し、会場のパイプオルガンで伴奏した。「Tears〜大地を濡らして〜」もまた、X JAPANのシングル「Tears」として1993年にリメイクされた。東芝EMIからは、ビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティンとのクラシック・アルバム『Eternal Melody』と、シングル「Amethyst」が1993年にリリースされた。ジョージ・マーティンは日本武道館での「ART OF LIFE」の演奏をビデオを観てプロデュースを快諾した[39]。1993年にはTBS系で10月から放送されたドラマ『徹底的に愛は…』の主題歌としてNOAのシングル「今を抱きしめて」をプロデュースし、第36回日本レコード大賞で優秀賞を受賞した[40]。
1994年にはクイーンのドラマーであるロジャー・テイラーとのコラボレーション・シングル「Foreign Sand」をリリースし[41]、国連UNESCOの呼びかけによりにより催された『GME '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』で共演した。また、キッスのトリビュート・アルバム『トリビュート -KISS MY ASS-』に、オーケストラ・アレンジした「ブラック・ダイヤモンド」で参加した[42]。このアレンジで初めて全パートを自らオーケストレーションした[43]。同年にメジャー・レーベル「プラチナム・レコード」を設立し、GLAYをメジャー・デビューさせた[44]。同レーベルからは、1996年に自身2作目となるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『Yoshiki Selection II』もリリースされた。
1997年4月20日にボーカリストのToshlがX JAPANを脱退。同年9月22日に記者会見を開き、X JAPANの解散を発表した。2000年に新たなボーカリストを加えた形で再結成することや[45]、自身も日本やアメリカで音楽プロデューサーとして本格的に活動することを予定していたが[46]、1998年5月2日にギタリストのHIDEが他界したたことで精神的に落ち込み、頓挫。北野井子やDir en greyのプロデュースを手がけるものの、表舞台には一切上がらずにいた。そんな中、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』の奉祝曲の制作依頼を受け、1999年11月12日に皇居前広場で行われた式典で作曲したピアノ協奏曲「Anniversary」を演奏[1]。この時に受けた歓声が再起の契機となった[47]。
ソロ活動(2000-09年)[編集]
2000年6月にメジャー・レーベル「エクスタシー・ジャパン」の設立を発表[48]。Shiroや、BEAST、Revenusなど、レーベル所属のアーティストのデビューに携わった。また1998年2月にロサンゼルスに設立したレーベル「エクスタシー・レコード・インターナショナル」に所属する、アバンダンド・プールズ、ローラ・ドーン、キドニーシーヴスらのアルバムをプロデュースした[46]。Violet UKの制作も再開し、自ら演出、出演もしたセブン-イレブンセブン・ジャパンの企業イメージCMに「Blind Dance」と「The Other Side」を提供した。Violet UKとしては1998年公開の映画『イン・ゴッズ・ハンズ』に楽曲「sane」を提供している。
2002年9月1日、お台場で行なわれたライブ・イベント『a-nation avex SUMMER FESTA 2002』のステージでglobeに加入することを発表[49](2005年にYOSHIKIを加えての活動の際の名称がglobe extremeになることが発表された[50])。同年12月に東京国際フォーラムで『Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK』を開催。弦楽器に比重が置かれた16型編成のオーケストラを藤原いくろうとコンスタンチン・D・クリメッツが指揮したこのコンサートには、Violet UKからドーターとニコール・シャージンガーも参加し、ニコールは「I'll Be Your Love」の英語バージョンを歌った。「I'll Be Your Love」は2005年日本国際博覧会「愛・地球博」の公式イメージ・ソングとして、YOSHIKIが抜擢したハワイ出身の歌手・DAHLIAが歌ったものがシングルとして2003年10月29日にリリースされた[51]。ニコールが歌う英語バージョンは、同年9月26日にリリースされた愛知万博の公式アルバム『「愛・地球博」presents GLOBAL HARMONY』に収録された[51]。
2003年2月1日に放送された、NHKのテレビ放送50周年記念番組『あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日』のエンディング・テーマとして、チョ・ソンモと島袋寛子が歌う「君だけだから」を作曲し、番組ではピアノで伴奏した。2004年には宝塚歌劇花組公演『TAKARAZUKA舞夢!』で春野寿美礼が歌う「世界の終りの夜に」を作曲[52]。また、エイベックスを介して依頼を受けた韓国のロック・バンド「TRAX」の日本デビュー・シングル「Scorpio」をプロデュースした[53]。
2005年には愛知万博の開会式でEXPOスーパーワールドオーケストラが演奏する「I'll Be Your Love」のクラシック・アレンジバージョンを指揮した。事前にヘルベルト・フォン・カラヤンや、レナード・バーンスタイン、小澤征爾らのビデオを観てトレーニングを積んだ[54]。また、シェリー・バーグや川本統脩から本格的な指導を受けたほか、佐渡裕からもアドバイスを受けて指揮に臨んだ[54]。同年、2作目となるクラシック・アルバム『ETERNAL MELODY II』と[55]、『Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK』のライブDVDを[55]、2003年2月に専属契約を結んだコロムビアミュージックエンタテインメントからリリースした[56]。
2006年には、劇場長編アニメーション映画『ベルサイユのばら』の音楽を担当すると発表[57]。同年8月5日にボルチモアで開催されたアニメ・コンベンション『オタコン2006』に特別ゲストとして招かれた[58]。
2007年には、5月25日と26日にロサンゼルスのウィルターン・シアターで『J-Rock Revolution Festival』を主宰[59]。アリス九號.や、ヴィドール、DuelJewel、Kagrra,、雅-miyavi-、D'espairsRay、メリー、Girugämesh、ムックらが出演した。YOSHIKIはGACKT、SUGIZO、雅-miyavi-とのロック・バンド「S.K.I.N.」の結成と、同年6月にロングビーチで開催される『Anime Expo 2007』においてS.K.I.Nのファースト・ライブを行うと発表した[60]。
また、2007年公開のアメリカ映画『カタコンベ』や『ソウ4』の主題歌制作[61]、2008年公開のアメリカ映画『REPO! レポ』の音楽総監督や製作総指揮を務めるなど[62]、アメリカにおける活動が増した。『ソウ4』の主題歌には、Toshlとの10年ぶりの再会をきっかけに再結成に向けて動き出していたX JAPANの楽曲「I.V.」が使用され[63]、2007年10月18日には公式ウェブサイトで正式に再結成が発表された。
2008年には、日本テレビ開局55年記念ドラマ『東京大空襲』の主題歌として、秋川雅史が歌う「愛する人よ」を制作したほか[64]、黒澤明生誕100年祭『AK100 Project』の音楽アドバイザーを務めると発表した[65]。2009年には、日本テレビ系情報番組『ズームイン!!SUPER』の天気コーナーに「Blue Sky Heaven」を提供した[66]。
ソロ活動(2010年-現在)[編集]
2011年5月27日から、アラスカとハワイを除く全米で展開しているアメリカの衛星ラジオ局シリウスXMのハード・ロック専門チャンネル「ザ・ボーンヤード」で『YOSHIKIラジオ』と題された音楽番組のホストを務めた[67][68]。YOSHIKIが影響受けた音楽や、アニメなどの日本のポップ・カルチャーも紹介した[67]。2010年10月にニューヨークで行われたX JAPANのコンサートを見て関心を持ったラジオ局の関係者が、YOSHIKIに新番組の依頼をしたことがきっかけとなった[67]。番組は月に1回、1時間全編を通して英語で放送された。27日の東部時間20時から1回目が放送され、2回目となる6月5日から7回目の11月6日まで、毎月第1日曜日の東部時間21時から放送された[69]。2012年にはハリウッド外国人映画記者協会からゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングの制作依頼を受け、制作した楽曲「ゴールデングローブのテーマ」が第69回ゴールデングローブ賞の授賞式から使用されている[70]。同楽曲は2013年1月にiTunes Storeを通じて、ソロ名義では初めて全世界111ヶ国に配信された[71]。同年8月27日には『Eternal Melody』と『ETERNAL MELODY II』の収録曲に、「ゴールデングローブのテーマ」とX JAPANのワールド・ツアーのオープニングで使用された新曲「Miracle」を加えたベスト・アルバム『YOSHIKI CLASSICAL』をリリースした[72]。アルバムの発売を記念して、前日の26日にロサンゼルスのグラミー・ミュージアムで『An Evening with Yoshiki』と題されたソロ公演を行い、公演の模様はニコニコ生放送とUstreamで生中継された[73]。
2014年2月19日にグラミー・ミュージアムでソロ公演を兼ねた記者会見を開き、ソロとしては初めてとなるワールド・ツアー『YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR』を開催すると発表[74]。4月25日のカリフォルニア州コスタメサを皮切りに、アメリカ、メキシコ、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、中国、タイ、台湾、日本を廻った[75]。また、アジアのアーティストとしては初めて愛用のピアノやステージ衣装などがグラミー・ミュージアムに展示された[76]。同年3月14日には、テキサス州オースティンで開催された音楽コンベンション『SXSW』に出演[77]。イベント終了後に行われたアフター・パーティでは会場にピアノを2台設置して、自身のホログラムとの連弾を披露した[78]。
慈善活動[編集]
幼くして父を亡くした経験から、とりわけ遺児救済に関わる活動に積極的である。2009年1月16日のX JAPANの香港公演『X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG』では200人の孤児をコンサートに招待し、地元のNPO団体「仁愛堂」にコンサート収益の一部を寄付[79]。2009年3月29日から3日間、中国政府の要請により四川大地震の被災地と孤児院を慰問し、仮設校舎の敷地内にプレハブで建て、ピアノやオルガン、木琴などさまざまな楽器も寄贈した[80]。
その後、より継続的な支援を目標にチャリティ基金「Yoshiki Foundation America」を2010年7月1日に設立。YOSHIKIは設立にあたり、グラミー基金、聖ヴィンセント・ミールズ・オン・ホイールズ、メイク・ア・ウィッシュ・オブ・アメリカに、それぞれに寄付した[81]。ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンスが運営するグラミー基金とは共同で、楽器の購入支援、音楽レッスンの提供、音楽関連のイベントへの参加支援など、音楽を通じた支援活動を予定している。なお、Yoshiki Foundation Americaはアメリカ内国歳入法501条(c)項(3)号団体として認定されている[82]。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災者のためにYahoo! JAPANのチャリティ・オークションにX JAPANのコンサートで使用したクリスタル・ピアノ「カワイ・CR-40A」や愛用品を出品し、落札金額を日本赤十字社に全額寄付した[83]。また、交流のあるハリウッドの著名人にも被災地の義援金協力を呼びかけ[84]、マリリン・マンソン、アンソニー・キーディス、スタン・リー、ロバート・パティンソン、ジェームズ・フランコ、リース・ウィザースプーンなどが寄付を申し出た[85]。
そうした取り組みにより、2012年9月7日にアメリカ最大のボランティア支援団体「ポインツ・オブ・ライト財団」が開催したイベントに、在アメリカ合衆国特命全権大使の藤崎一郎に招待され出席[86]。慈善団体への募金を目的に開催されたチャリティ・オークションに「YOSHIKIとプライベートでディナーをともにする権利」を出品し、落札金を寄付すると発表した[87]。同年10月26日には、一般財団法人メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンの20周年を記念したYahoo! JAPANのチャリティ・オークションに、Yoshiki Foundation Americaを通じて「YOSHIKIのピアノでX JAPANの曲を歌う権利」を出品し、その落札額を寄付すると発表した[88]。
2013年1月にリリースしたゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング「ゴールデングローブのテーマ」の収益の全額を、同賞の主催者であるハリウッド外国人映画記者協会を通じて慈善団体などに寄付すると発表した[89][90]。
使用楽器[編集]
ピアノ[編集]
CR-40A、カワイ・CR-40A 1990年までのステージではスペースの都合でアコースティック・ピアノが使えなかったため、ローランドのエレクトリック・ピアノ「ローランド・RD-1000」を使用していた[91]。ピアノ以外にもチェンバロなどに音色を変えて演奏する事も多かった。
1991年以降のステージでは、外装部分が透明アクリル樹脂で出来ているカワイのクリスタル・ピアノ「カワイ・CR-40A」を主に使用している。東京の自宅では特注したMIDI仕様のCR-40Aを置いている[8]。2011年のX JAPANのヨーロッパ・ツアーと中南米ツアーではCR-30を使用した。1993年にはカワイによるシグネチャー・モデルのフルコンサート・ピアノが製作された。幼少から自宅のカワイのピアノで練習をしていたことからカワイのタッチに慣れており、レコード会社とエンシノの自宅にもそれぞれカワイのピアノを置いている[92][8]。1997年のテレビ出演時にはカワイのシンセサイザー「カワイ・K5000W」を使用した。
レコーディング・スタジオには、カワイ・RX、ヤマハのフルコンサート・ピアノとMIDIピアノ、スタインウェイのフルコンサート・ピアノが置かれている[8]。スタインウェイのフルコンサート・ピアノはカーネギー・ホールで使われていたものを買い取ったもので、著名なアーティストのオートグラフが数多く入っている[93]。
ドラムセット[編集]
基本的にTAMAの2バス (16"x24", 16"x24")、スネア (6.5"x14")、2フロア (16"x16", 16"x18")、4タムタム (10"x10", 12"x12", 13"x13", 14"x14") の構成である[94]。音質を重視するレコーディング用と、視覚的効果を重視するステージ用とを使い分けており、X JAPANのアルバム『Jealousy』のレコーディングからはTAMAのチタンシェルのセットをラック・システムで使用[95]。チタン特有のドライな音を補うため、比較的薄いドラムヘッドに付け替えている[95]。また、X JAPANのシングル「Rusty Nail」のレコーディングからは、オン・マイクで拾ったスネア・ドラムとバス・ドラムの音をトラッキング・ルームにセットした大型のPAスピーカーからルーム全体に流し、部屋鳴りも同時にルーム・マイクで録るシステムを採用している[95]。この手法によって、オン・マイクのアタック感と、通常のドラム・レコーディングでは得られない奥行きのある部屋鳴りをミックスしている[95]。このシステムは1994年からドラム・テクニシャンに迎えたロス・ガーフィールドが組んでいる[95]。
ステージではこれまでにTAMA アートスター・カスタムのレッドとクローム、TAMA カスタム・アクリル・キット(通称テンプレート:laクリスタル・ドラムテンプレート:la)を使用。初期にはレッドが、以降はクロームが破壊パフォーマンスに使用されている。ステージでメインとなるクリスタル・ドラムは、ライブで「ライトによって何色にでも光る」という理由で、エンドースメント契約したTAMAに特注した。その後台数限定で市販もされたが、シェルがアクリル樹脂素材のため、「あのモデルを買った人は大変だと思いますよ。強く叩かないと鳴らないから」と語っている[96]。ドラムヘッドはエヴァンス。フット・ペダルにはヤマハのベルト・タイプ「ヤマハ・FP-910」を使用[96]。TAMAとエンドースメント契約する以前のインディーズ時代のステージではパールのドラムセットにロートタムをセットしていた。2007年のS.K.I.N.のライブからは、バスドラムのフロント・ヘッドにバンドのロゴを入れるようになった。
シンバル系は初期はパールのWILDシリーズを使用していたが、後にジルジャンに統一された。ハイハット・スタンドはTAMAのIRON COBRA HH805[96]。
ドラムスティックはTAMAから市販もされている自身のシグネチャー・モデル「TAMA・H-YKB」を使用している[97] 。ヒッコリー材でチップはボールタイプ。全長:398 mm、径:14.25 mm。ショルダー部分が比較的太く、先端にウエイトが置かれている。TAMAからは汗による滑りを防止する特殊塗装マティロを採用したドラム・スティック「TAMA・H-YKM」と、YOSHIKIのネームロゴが入ったティック・ケース「TAMA・TB-YK」も販売されている。X JAPANのシングル「JADE」のミュージック・ビデオでは、パールの110Hや、110HBを使用している。
ギター[編集]
レコーディングやViolet UKのステージではギターを弾くこともある。1992年10月にはフェルナンデスによるシグネチャー・モデル「Burny BG-125X」が製作され、同年12月から市販もされた。ピックアップはフェルナンデスのオリジナル・モデル「THD-1」がフロントとリアに付けられている[98]。ブリッジはオクターブ調整が可能なバダス・タイプ[98]。B.C.リッチのBICHを基にしたマホガニーのボディーにはバラが描かれており、ネックの12フレットには"YOSHIKI"の文字が刻まれている[98]。
レコーディング・スタジオ[編集]
X JAPANのアルバム『ART OF LIFE』のレコーディングで、ノースハリウッド・ランカーシム通りNoHoアート地区のコンプレックス型スタジオ「ワン・オン・ワン・レコーディング」(One On One Recording) を借りて使用していたが、当時メタリカやボン・ジョヴィ、マドンナなどの有名アーティストに人気で予約が取りにくい上、スタジオ機材のレンタル料も嵩むことから、YOSHIKIが1992年に購入した。『ART OF LIFE』完成時の打ち上げではメンバーがスタジオを破壊し、一部タブロイド紙の地方版にも掲載された。その後、設備の充実化や内部の改築・改修工事を施し、スタジオAは引き続きレンタル・スタジオとして貸し出され、スタジオBは1年分のスケジュールをYOSHIKIが自分のために押さえていた[99]。1997年にはスタジオ2階部分にビデオ編集専用ルームが作られた[100]。2000年にエクスタシー・レコーディング・スタジオ (Extasy Recording Studios) に改称[101]。2003年からは一般へのレンタルを一切やめ、完全なプライベート・スタジオとして使用している[102]。エクスタシー・レコード・インターナショナル (Extasy Records International) とエクスタシー音楽出版 (Extasy Music Publishing) も同じ建物に所在する。スタジオに備えられたレコーディング機材と、シンセサイザー、ピアノなどの楽器の総額は10億円を越え[93]、ToshlがX JAPANの再結成に向けてスタジオへ出向いた後、エクスタシー・レコーディング・スタジオの設備の充実度はおそらく世界一だろうと自身のホームページで印象を明かした。
約300坪の敷地にA・B・Cの3つのスタジオと、ラウンジ、機材室などがある。
スタジオAのコントロール・ルームにはメイン・モニタリング・スピーカー「ジェネレック・1035B」と、アメリカ本土最大となる104インプットのミキシング・コンソール 「SSL・9000J」が備えられ[93][103]、70人規模のオーケストラが収容できるトラッキング・ルームはドラム・レコーディングにも定評がある[13]。
スタジオBには72インプットのミキシング・コンソール「SSL・Jシリーズ」が置かれ、ブースは主にボーカルのレコーディングに使用している[13]。
スタジオCにはDigidesign Pro Controlが置かれ、エディット作業に使用している[13]。
1998年には、マドンナのマネージャーを務めていたフレディー・デ・マンとレコーディング・ディレクターのビル・ドゥーリーが1993年にビバリー通りに構えたブルックリン・レコーディング・スタジオ (Brooklyn Recording Studios) を買い取り、エクスタシー・レコーディング・スタジオ・サウス (Extasy Recording Studios South) に改称して使用していたが[104]、YOSHIKIがアメリカのバンドのプロデュース活動から手を引いた2003年に手放している[102]。このスタジオには80インプット、32モニターチャンネルへの拡張と、104本のフェーダーのGMLオートメーション化がなされたニーヴのビンテージ・ミキシング・コンソール「ニーヴ・8078」が備えられていた[103]。ここで商業用に貸し出していたスタジオではキッスやヴァン・ヘイレン、ジェーンズ・アディクションなどのほか[104]、1999年にはトレイシー・チャップマンやフィオナ・アップル、マリリン・マンソンといったアーティストがレコーディングに使用している[103]。
DAWソフトはMark of the UnicornのDigital Performerを使用[8]。globeのシングル「seize the light」では、MIDIのプログラミングを含め、全てアビッド・テクノロジーのPro Toolsを使用して小室哲哉とエディットのやりとりをした[8]。MIDIマスター・キーボードにはコルグ・T1と、ドイプファー・LMK4+を使用している。
事業家として[編集]
エクスタシーレコード も参照 1986年、Xのレコードをリリースするためにインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を20歳で設立した。エクスタシーレコードは後にLUNA SEAやGLAY、ZI:KILLを輩出する一大インディーズ・レーベルとなる。知り合いのプロダクション代表がエクスタシーレコードの音源の無断使用で莫大な利益を得ていた一件から、楽曲の権利を守るために1988年に音楽出版社「エクスタシー音楽出版」を設立し、日本音楽著作権協会 (JASRAC) に登録した[105]。また、1992年には自身のマネージメントや楽曲の版権を管理する「ジャパンミュージックエージェンシー」を設立している[105]。1994年にポリグラム・グループとプロデューサー契約を結び、メジャー・レーベルの「プラチナム・レコード」を設立した。
1998年2月にロサンゼルスを拠点とするレーベル「エクスタシー・レコード・インターナショナル」 (Extasy Records International) と[46]、1999年8月に日本を拠点とするレーベル「エクスタシー・ジャパン」を設立した[48]。エクスタシー・レコード・インターナショナルはワーナー・ブラザーズ・レコード、エクスタシー・ジャパンはイーストウエスト・ジャパン(いずれもワーナー・ミュージック・グループ)と流通契約を結び[46]、エクスタシー・ジャパンにはメディアファクトリーが資本参加した[48]。2008年にExtasy A Musicを、X JAPANのシングル「I.V.」の全世界同時発売時に設立した。
音楽関連以外では、2008年にエナジー・ドリンク「ロックスター」のエグゼクティブ・プロデューサー[106]、2009年にSUPER GTのレーシング・チーム「童夢」のチーム・プロデューサー[107]、アメリカの動画共有サービス「Ustream」のエグゼクティブ・アドバイザーを務めた[108]。また、2010年11月に設立された、辻野晃一郎が代表を務めるベンチャー企業「アレックス」の共同設立者に名を連ねている[109]。映画監督の紀里谷和明・岩井俊二と共に、クリエイターのためのソーシャル・ネットワーキング・サービス「FREEWORLD」を運営している。2011年の11月にβ版としてスタートし、2012年2月に正式版が公開された[110]。2012年9月には、スポーツカー「トミーカイラ・ZZ」の電気自動車化の開発を手がける京都大学発のベンチャー企業「グリーンロードモータース」に出資者として加わった[111]。
2011年3月6日に国立代々木競技場にて行われたファッション・ショー『ASIA GIRLS EXPLOSION』を、『東京ガールズコレクション』のプロデューサーJay f.Rと共同で企画。着物ブランド「YOSHIKIMONO」を発表し、ファッションデザイナーとしてもデビューした[112][113]。同年11月12日には国立代々木競技場にて行われたファッションと音楽の融合イベント『Girls Award 2011 by CROOZ blog Autumn/Winter』にスペシャル・ゲスト・モデルとして参加した[114]。
グラミー賞の投票権を持つ「ボーティング・メンバー」の1人でもある[115]。
持病[編集]
初期の頃に頭を激しく振りつつ、力任せにドラムを叩いていた結果、頚椎椎間板ヘルニアや神経循環無力症(心臓神経症)などを相次いで発症し、これまでに何度もライブの中止や延期を引き起こしている。X JAPANの全国ツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』で倒れた際には、「次に痛みが出たら車椅子生活になる」と医師から宣告された[116]。再発防止のために筋肉で骨を補強するようスポーツ専門家から勧められ、自宅にジムを作って筋肉トレーニングに励むようになった[116]。その結果、見た目が変わるほどにまでに筋肉が強化されたが、回復後に行われたライブ『DAHLIA TOUR FINAL 1996』以降は首にコルセットを巻いてドラムを叩くようになった。しかしX JAPANの2009年のワールド・ツアーでヘルニアをさらに悪化させ、椎間孔切除の手術を受けた[117]。手術は成功したものの、ほかの頚椎間や腰にも損傷が判明したため、3年以内に再手術が必要であると医師から宣告された[118]。
そのほか、長い時間手首に負担がかかる角度でスタジオのマスター・キーボードを弾いて以来、慢性的な腱鞘炎を患っている[8]。10歳の頃から悩まされている自身の不眠症の治療をきっかけに[5]、ライフワークとしてコロンビア大学の医学博士・加藤友朗と共同で音楽療法の研究も進めている[119]。
ディスコグラフィ[編集]
ソロ作品[編集]
スタジオ・アルバム
- 『Eternal Melody』(1993年4月21日)
- 『ETERNAL MELODY II』(2005年3月23日)
シングル
- 「Amethyst」(1993年11月3日)
- 「Foreign Sand」(1994年6月1日)
- 「Blue Sky Heaven」(2009年6月17日)(着うた配信)
- 「ゴールデングローブのテーマ」(2013年1月15日)(デジタル配信)
ベスト・アルバム
- 『YOSHIKI CLASSICAL』(2013年8月27日)
コンピレーション・アルバム
- 『Yoshiki Selection』 (1991年12月12日)
- 『Yoshiki Selection II』 (1996年11月4日)
トリビュート・アルバム
- 『トリビュート -KISS MY ASS-』(1994年6月13日)
- 『hide TRIBUTE SPIRITS』(1999年5月1日)
映像作品
- 『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』(2000年3月1日)
- 『Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK』(2005年3月30日)
グループ作品[編集]
X JAPAN X JAPANの作品 を参照
Violet UK Violet UK#ディスコグラフィ を参照
L・O・X L・O・X を参照
V2
- 「背徳の瞳〜Eyes of Venus〜」(1992年1月18日)
- 『SPECIAL LIVE/1991.12.5 VIRGINITY』(1992年3月25日)
globe
- 「seize the light」(2002年11月27日)
- 『8 Years 〜Many Classic Moments〜』(2002年11月27日)
- 『Ballads & Memories』(2002年12月26日)
- 『global trance best』(2003年9月3日)
- 「get it on now feat. KEIKO」(2003年3月26日)
- 『LEVEL 4』(2003年3月26日)
Toshl Feat. YOSHIKI
- 「クリスタルピアノのキミ」(2011年1月26日)
- 『Toshl Feat. YOSHIKI with MIKUNI ~CRYSTAL PIANO no KIMI~』(2011年6月25日)
クレジット作品[編集]
年 | シングル | アーティスト | クレジット |
---|---|---|---|
1986年 | 「Mystery Temptation」 | POISON | プロデュース |
1993年 | 「今を抱きしめて」 | NOA | 作詞、作曲、編曲、プロデュース |
1994年 | 「RAIN」 | GLAY | 作詞、作曲、編曲、プロデュース |
1997年 | 「moment」 | 西城秀樹 | 作曲、編曲、プロデュース |
1998年 | 「Begin」 | 北野井子 | 作詞、作曲、編曲、プロデュース |
1998年 | 「薔薇と緑」 | 北野井子 | 作詞、作曲、編曲、プロデュース |
1999年 | 「アクロの丘」 | Dir en grey | 編曲、プロデュース |
1999年 | 「残-ZAN-」 | Dir en grey | 編曲、プロデュース |
1999年 | 「ゆらめき」 | Dir en grey | 編曲、プロデュース |
1999年 | 「Cage」 | Dir en grey | 編曲、プロデュース |
1999年 | 「予感」 | Dir en grey | 編曲、プロデュース |
2000年 | 「Pearl」 | Shiro | 編曲、プロデュース |
2000年 | 「LR-7」 | BEAST | 編曲、プロデュース |
2000年 | 「Happy Driving」 | Revenus | エグゼクティブ・プロデュース |
2000年 | 「Chemical」 | BEAST | 編曲、プロデュース |
2000年 | 「深紅の花」 | 工藤静香 | 作詞、作曲、編曲、プロデュース |
2000年 | 「透明な自分」 | Shiro | トータル・プロデュース |
2001年 | 「千の瞳」 | revenus | 編曲、プロデュース、エグゼクティブ・プロデュース |
2001年 | 「VISION」 | BEAST | エグゼクティブ・プロデュース |
2001年 | 「Flower」 | revenus | 編曲、プロデュース、エグゼクティブ・プロデュース |
2001年 | 「DIGITAL CRAZY KONG」 | BRAIN DRIVE | エグゼクティブ・プロデュース |
2001年 | 「ライラック」 | フランジャーズ | エグゼクティブ・プロデュース |
2002年 | 「新しいドア」 | フランジャーズ | エグゼクティブ・プロデュース |
2002年 | 「アカシア」 | revenus | エグゼクティブ・プロデュース |
2002年 | 「よるごえ」 | PICK 2 HAND | エグゼクティブ・プロデュース |
2003年 | 「I'll Be Your Love」 | DAHLIA | 作詞、作曲、編曲、プロデュース |
2004年 | 「Scorpio」 | TRAX | 作詞、作曲、編曲、プロデュース |
2005年 | 「Rhapsody」 | TRAX | 作詞、編曲、プロデュース |
年 | アルバム | アーティスト | クレジット |
---|---|---|---|
1989年 | 『THE INNER GATES』 | BAKI | 「IN MY HEART CAVE」を編曲 |
1990年 | 『Habit of Sex』 | EX-ANS | 「Different Malice」にピアノで参加 |
2001年 | 『クサ イキレ』 | PICK 2 HAND | エグゼクティブ・プロデュース |
2001年 | 『IMagination∞lenS』 | BEAST | エグゼクティブ・プロデュース |
2001年 | 『ヒューマニスティック』 | アバンダンド・プールズ | エグゼクティブ・プロデュース |
2001年 | 『ビリーバー』 | ローラ・ドーン | 「アイ・ウッド」をプロデュース |
2001年 | 『SUPER TURTLE ATTACK』 | LADIES ROOM | エグゼクティブ・プロデュース |
2002年 | 『ビフォア・ザ・ビギニング』 | エイジア・ダシュール | エグゼクティブ・プロデュース、「シャドウ・オブ・ザ・セインツ」をプロデュース |
2002年 | 『ゼロスペース』 | キドニーシーヴス | エグゼクティブ・プロデュース |
2002年 | 『glory days』 | revenus | エグゼクティブ・プロデュース |
2002年 | 『Jewelry Box』 | 工藤静香 | エグゼクティブ・プロデュース |
2002年 | 『昭和の階段 Vol.1』 | 工藤静香 | エグゼクティブ・プロデュース |
2003年 | 『歌人』 | チョ・ソンモ | 「君だけだから」を作曲 |
2003年 | 『「愛・地球博」presents GLOBAL HARMONY』 | オムニバス | 「I'LL BE YOUR LOVE」(英語バージョン)を作詞、作曲、編曲、プロデュース |
2004年 | 『TAKARAZUKA舞夢!』 | 宝塚歌劇花組 | 「世界の終りの夜に」を作曲 |
2005年 | 『Love the Earth』 | オムニバス | 「I'LL BE YOUR LOVE」(英語バージョン)を作詞、作曲、編曲、プロデュース |
2007年 | 『カタコンベ』 | サウンドトラック | プロデュース |
2008年 | 『REPO! レポ』 | サウンドトラック | プロデュース |
その他
- 「レメディー」(アバンダンド・プールズ、2002年、ミュージック・ビデオにカメオ出演)
- 「あの輝かしい日々をもう一度」(テネイシャスD、2012年、ミュージック・ビデオにカメオ出演)
エンドースメント[編集]
- STARLIGHT YOSHIKI(1992年)- リカちゃんの憧れのロック・スターという設定で、タカラから発売された人形。ローズ、シルバー、パープルの3種類。シリーズとしては初めて実在する人物がモデルとなった。
- Larme(1993年)- YOSHIKIのプライベート・ブランド「ラルム」。コーセーから香水と、ワコールから女性用ランジェリーを発売。
- YOSHIKI ARTS(2001年)- 直筆サイン入りシルクスクリーン3作品。
- YOSHIKI CURRY <キレ辛>(2004年)- 食べたカレーが辛かったことに腹を立てたYOSHIKIが、リハーサルへの参加を拒否したエピソードが元ネタとなったレトルト・カレー。
- YOSHIKI インテリアランプ(2004年)- シェード部分にYOSHIKIの写真がプリントされた室内用ランプ。
- YOSHIKI Jewelry(2008年)- ジュエリー・メーカー「桑山」とコラボレートしたジュエリー・ライン。
- UNDERGROUND KINGDOM VISAカード(2008年)- 三井住友カードが発行する、会員限定の特典があるYOSHIKIの写真がデザインされたクレジット・カード。
- yoshikitty(2009年)- サンリオから発売された、ビジュアル系メイクアップを施したキティ。
- Y by Yoshiki(2009年)- モンダヴィ・ファミリーとコラボレートしたカリフォルニア産ワイン。白ワインはシャルドネ、赤ワインはカベルネ・ソーヴィニヨン。
- YOSHIKI Silkscreening(2011年)- コンラッド・リーチによるシルクスクリーン。「YOSHIKI PORTRAIT」と「YOSHIKI DRUMS」の2作品。
- 『ブラッド・レッド・ドラゴン』(2011年)- 全4巻からなる、YOSHIKIが主人公のアメリカン・コミック。クリエイターはスタン・リーとトッド・マクファーレン。
- SL150 YOSHIKI special edition(2013年)- ヘッドホン・ブランド「SOUL」とコラボレートした、オリジナルカラー&オリジナルデザインのヘッドフォン。
書籍[編集]
- 市川哲史『ART OF LIFE』(ロッキング・オン、1992年)ISBN 978-4947599193
- 羽積秀明『NUDE』(フールズ・メイト、1992年)ISBN 978-4938716011
- 小林信也『蒼い血の微笑』(ソニー・マガジンズ、1993年)ISBN 4-7897-0793-8
- 板坂剛『[X-JAPAN]YOSHIKIとその時代』(鹿砦社、2001年)ISBN 4-8463-0418-3
- NHK「わたしはあきらめない」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』(KTC中央出版、 2003年)ISBN 4-87758-286-X
- 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)ISBN 978-4-04-883687-6
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会 2009-10-14
- ↑ 「愛・地球博」イメージソングを元X JAPANのYOSHIKI氏に依頼 愛・地球博公式ウェブサイト 2002-02-25
- ↑ Golden Globes Theme Composed By Yoshiki Hollywood Foreign Press Association 2012-01-17
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 61
- ↑ 5.0 5.1 『東京ジャーナル』(2013年秋号)
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 58
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 59
- ↑ 8.00 8.01 8.02 8.03 8.04 8.05 8.06 8.07 8.08 8.09 8.10 8.11 8.12 『キーボード・マガジン』 (2003年1月号) リットー・ミュージック
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 66
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 64
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 65
- ↑ 12.0 12.1 【インタビュー】YOSHIKIが語った抜け殻の2年間― 女性自身 2012-10-17
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 『キーボード・マガジン』(2005年6月号)リットー・ミュージック
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)pp. 80-81
- ↑ SiriusXM Yoshiki Radio 2011-05-27 O.A.
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)pp. 87-88
- ↑ 17.0 17.1 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 87
- ↑ 18.0 18.1 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 89
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 96
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 97
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 110
- ↑ 22.0 22.1 22.2 『ロッキンf』(2000年11月号)立東社
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 123
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)pp. 125-126
- ↑ 25.0 25.1 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 128
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 131
- ↑ 『uv』(Vol. 79)ソニー・マガジンズ
- ↑ 『POP MUSIC Artist 公式ホームページ INDEX 2000〜2001』主婦と生活社
- ↑ Blue Blood Discogs 2012-10-21
- ↑ 第22回日本有線大賞 有線ランキング 2013-09-09
- ↑ 『R25』(2005年7月22日号)リクルート
- ↑ 第4回日本ゴールドディスク大賞 golddisc.jp 2013-09-09
- ↑ Art Of Life Discogs 2012-10-21
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年) p. 280
- ↑ 第6回日本ゴールドディスク大賞 日本レコード協会 2012-09-16
- ↑ 「背徳の瞳」リリース情報 ORICON STYLE 2012-07-23
- ↑ 市川哲史『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』(竹書房、2005年)p. 109
- ↑ NHK「わたしはあきらめない」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』(KTC中央出版、 2003年)p. 102-103
- ↑ 『WHAT's IN?』(1993年4月号)ソニー・マガジンズ
- ↑ 『第36回日本レコード大賞』 公益社団法人 日本作曲家協会 2012-09-22
- ↑ Foreign Sand Discogs 2012-09-18
- ↑ Kiss My Ass: Classic Kiss Regrooved Discogs 2012-09-18
- ↑ 『FOOL'S MATE』(1994年7月号)フールズメイト
- ↑ 『日経エンタテインメント!』(1998年3月号)日経BP社
- ↑ 『FOOL'S MATE』(2007年9月号)フールズメイト
- ↑ 46.0 46.1 46.2 46.3 『日経エンタテインメント!』(2000年8月号)日経BP社
- ↑ NHK「わたしはあきらめない」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』(KTC中央出版、 2003年)pp. 66-67
- ↑ 48.0 48.1 48.2 YOSHIKI、音楽レーベルを主催――インターネットでコンテンツ配信も ASCII.jp 2012-02-05
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- ↑ 市川哲史『私も「ビジュアル系」だった頃。』(竹書房、2006年)p. 105
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- ↑ 元X-JAPANのYOSHIKIが楽曲を提供 花組公演「タカラヅカ舞夢!」 スポーツニッポン 2004-05-29
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- ↑ 54.0 54.1 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年) p. 434
- ↑ 55.0 55.1 コロムビアミュージックのYOSHIKIアーティストサイト コロムビアミュージックエンタテインメント 2012-10-05
- ↑ X JAPAN伝説のライブ・パフォーマンス「ART OF LIFE」~10年の歳月を経て初映像化~ コロムビアミュージックエンタテインメント 2012-10-05
- ↑ 『FOOL'S MATE』(2007年9月号)フールズメイト
- ↑ YOSHIKI, the honored guest at OTAKON 2006 JMusicAmerica.com 2006-09-24
- ↑ J-Rock Revolution Festival Announcement JrockRevolution.com 2007-04-20
- ↑ YOSHIKI、新バンド「SKIN」今夏始動を発表! Oricon.co.jp 2007-05-27
- ↑ 【予告編】P!NKも熱演!パリの地下墓地を舞台にした恐怖映画『カタコンベ』公開! CD Journal 2007-09-28
- ↑ あのYOSHIKIが、パリス・ヒルトン次回作のプロデューサーに! シネマトゥデイ 2007-09-21
- ↑ YOSHIKI、X JAPAN再結成の真相を語る Barks.jp 2007-10-23
- ↑ YOSHIKI「東京大空襲」主題歌披露 日刊スポーツ 2008-03-13
- ↑ AK100 World Tour | ツアー概要 ak100wt.com
- ↑ 「ズームイン!!SUPER」30周年記念 ♪春のお天気テーマ♪のお知らせ ズームイン!!SUPER 2009-03-30
- ↑ 67.0 67.1 67.2 YOSHIKIが米で初ラジオ番組 fujisankei.com 2011-05-11
- ↑ YOSHIKI、米衛星ラジオ放送シリウスXMで「YOSHIKIラジオ」スタート barks.jp 2011-05-14
- ↑ Yoshiki Radio SiriusXM 2011-05-28
- ↑ YOSHIKI、米G・グローブ賞のテーマ曲が2年連続起用 ソロ名義初のiTunes配信も ORICON STYLE 2012-12-21
- ↑ YOSHIKIの手掛けるテーマ曲が、2年連続で米【ゴールデン・グローブ賞】彩る Billboard JAPAN 2012-12-21
- ↑ YOSHIKI 8年ぶりソロアルバム 新曲「Miracle」含むクラシックベスト盤 毎日新聞デジタル 2013-07-28
- ↑ 【イベントレポート】<An Evening with Yoshiki(YOSHIKIとの夜)>、ニコニコ生放送で感動のフィナーレ Barks.jp 2013-08-27
- ↑ YOSHIKI、初の単独世界ツアー開催へ ORICON STYLE 2014-02-23
- ↑ YOSHIKI ワールドツアーがフィナーレ、8月にディナーショー開催を発表 Billboard Japan 2014-06-18
- ↑ グラミー・ミュージアムでYOSHIKI展 NHKニュース 2014-02-23
- ↑ YOSHIKI、ソロ初の海外イベントで“バーチャルYOSHIKI”と連弾 ORICON STYLE 2014-03-17
- ↑ YOSHIKI、ホログラムによるバーチャルYOSHIKIとの共演映像公開 Musicman-NET 2014-06-18
- ↑ YOSHIKI 愛と生と死 magazineworld.jp 2009-02-10
- ↑ YOSHIKI、子供たちに音楽室をプレゼント Barks.jp 2009-04-06
- ↑ YOSHIKI基金設立パーティで、X JAPANが新曲を初披露! チケットぴあ 2012-09-24
- ↑ Donate Funds yoshikifoundationamerica.org 2012-09-24
- ↑ YOSHIKI愛用のクリスタルピアノ、4月17日よりYahoo! JAPAN「チャリティ・オークション」に登場 Barks.jp 2011-04-22
- ↑ YOSHIKI、米ボランティア支援団体セレモニーで食事権を寄付 Barks.jp 2012-09-12
- ↑ Yoshikiのクリスタルピアノに続き、マリリン・マンソンやアンソニー・キーディスも参加 Barks.jp 2013-09-05
- ↑ YOSHIKIと食事する権利に1万ドル超の入札 モデルプレス 2012-09-12
- ↑ 入札殺到! YOSHIKI独り占めディナー権 SANSPO.COM 2012-09-12
- ↑ YOSHIKI、「YOSHIKIのピアノでX JAPANの曲を歌う権利」を出品 Barks 2012-11-07
- ↑ YOSHIKI、Gグローブ賞テーマ曲を初世界配信 スポーツ報知 2012-12-21
- ↑ YOSHIKI、111カ国配信&全収益寄付 SANSPO.COM 2012-12-21
- ↑ 『ロッキンf』(1989年11月号)立東社
- ↑ NHK「わたしはあきらめない」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』(KTC中央出版、 2003年)p. 58
- ↑ 93.0 93.1 93.2 TBS『世界バリバリ★バリュー』2007-01-24 O.A.
- ↑ Artist profile of Yoshiki tamadrum.co.jp 2013-05-09
- ↑ 95.0 95.1 95.2 95.3 95.4 『月刊ギグス』 (1996年5月号) シンコーミュージック・エンタテイメント
- ↑ 96.0 96.1 96.2 『リズム&ドラム・マガジン』 (2008年6月号) リットー・ミュージック
- ↑ Signature Sticks tamadrum.co.jp 2013-05-09
- ↑ 98.0 98.1 98.2 『月刊ギグス』 (1993年1月号) シンコー・ミュージック
- ↑ 『月刊ギグス』(1997年2月号)シンコーミュージック・エンタテイメント
- ↑ 『ロッキンf』(1997年9月号)立東社
- ↑ 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 452
- ↑ 102.0 102.1 Extasy Records' label profile Discogs.com 2009-10-21
- ↑ 103.0 103.1 103.2 Maureen Droney (2000-01-01). "L.A. Grapevine" Mix Magazine 2009-10-20
- ↑ 104.0 104.1 Billboard Newspaper 1998年4月18日号
- ↑ 105.0 105.1 小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 223
- ↑ ROCK STAR - YOSHIKI Event report rockstarenergy.jp 2008-09-15
- ↑ 2009年 童夢GT参戦体制発表 Dome.co.jp 2009-02-11
- ↑ X JAPANのYOSHIKI、Ustreamのエグゼクティブアドバイザーに就任 CNET Japan 2009-08-24
- ↑ ファウンダー陣の紹介 アレックス株式会社 2010-12-16
- ↑ クラウド導入事例 クリエイター向けSNS「FREEWORLD」 ニフティクラウド 2013-09-27
- ↑ 独自 ベンチャーEV初認証 YOSHIKIさんも出資 ワールドビジネスサテライト 2012-09-28
- ↑ YOSHIKI、「YOSHIKIMONO」でデザイナー・デビュー、イベントの構想はファッションミュージカル Barks.jp 2011-02-09
- ↑ ASIA GIRLS EXPLOSION YOSHIKIインタビュー WWSチャンネル 2011-03-07
- ↑ YOSHIKIステージ │Girls Award 2011 Autumn/Winter WWSチャンネル 2011-11-14
- ↑ YOSHIKI、Ustream.tvのエグゼクティブ・アドバイザーに Barks.jp 2009-08-25
- ↑ 116.0 116.1 『音楽と人』(1996年12月号) シンコーミュージック・エンタテイメント
- ↑ YOSHIKI、7月27日(月)頸椎椎間孔切除の手術 Barks.jp 2009-07-27
- ↑ YOSHIKI:首の回復は「100%無理」と告白 3年以内に再手術も 毎日新聞 2009-08-24
- ↑ 『Hanako』 (941号) マガジンハウス
外部リンク[編集]
- http://www.yoshiki.net
- YOSHIKI mobile
- Yoshiki Foundation America
- YOSHIKI(@YoshikiOfficial)- Twitter
- YOSHIKI - Myspace
- YOSHIKI - Facebook
- YOSHIKI - SoundCloud
- YOSHIKI - Google+
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