新藤義孝

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新藤 義孝

新藤 義孝(しんどう よしたか、1958年昭和33年)1月20日 - )とは、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(4期)。

概要[編集]

埼玉県川口市出身。川口市立前川小学校、浦和市立岸中学校、明治大学付属中野高等学校を経て明治大学文学部を卒業。川口市役所に勤務した後、1991年平成3年)の川口市議会議員選挙でトップ当選。

1996年(平成8年)、38歳で第41回衆議院議員総選挙埼玉県第2区から自由民主党公認で出馬。新進党現職の石田勝之に敗れるも、比例南関東ブロックで復活し初当選。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、新進党解党後改革クラブ幹事長を務めていた石田も与党の一員だったが一本化に失敗し、新藤、石田が共に同一選挙区から出馬。新藤は保守党、石田は公明党から推薦を得ていたが、新藤が埼玉2区で当選した。

2001年(平成13年)に総務大臣政務官、2002年(平成14年)に外務大臣政務官にそれぞれ就任した。第43回衆議院議員総選挙では改革クラブ解党後、民主党に入党した石田に敗れ、比例復活もならず落選した。第44回衆議院議員総選挙では逆に石田に比例復活を許さず当選し、2年ぶりに国政復帰を果たす。安倍改造内閣福田康夫内閣経済産業副大臣を務めた。

2009年(平成21年)8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に埼玉2区から出馬し、民主党の石田に再度敗北を喫するも、比例南関東ブロックで復活し、4選。総選挙大敗により、山口泰明埼玉県連会長が引責辞任したため、後任の県連会長に就任した。

ネットメディア局長在任中、ネットボランティア組織自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)を立ち上げ、代表に就任した。同局長退任後は後任の平井卓也にJ-NSC代表の座を譲り自身は事務局長に就任した。

現在は報道局長として、毎週木曜日に党本部で行われている谷垣禎一総裁の定例記者会見の進行を務めている。

2011年8月1日、稲田朋美佐藤正久と共に鬱陵島へ向かおうとして、金浦空港で韓国当局から出入国管理法第11条(「国益・公共の安全が侵害される恐れがある場合」)に基づき入国拒否処分となる。「処分は納得出来ない」として9時間空港に居座ったが、退去強制を受け結局帰国した。

9月、衆議院決算行政監視委員会委員長に就任。

人物[編集]

所属する議員連盟[編集]

家族・親族[編集]

  • 父:新藤孝衛(映画監督、学校法人川口ふたば幼稚園理事長)
  • 母:新藤たか子(旧姓・栗林、元女優)
  • 母方の祖父:栗林忠道(陸軍大将)

系譜[編集]

新藤氏 新藤家は江戸時代、薪屋の屋号江戸城を納めていた。父方の曾祖父は村会議員、祖父は川口市議会議長を務めた。

脚注[編集]

外部リンク[編集]