保土ケ谷区
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保土ケ谷区(ほどがやく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつ。「保土ヶ谷区」の表記もよく用いられるが、「横浜市区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例[1]」では保土ケ谷区と定められている。
目次
地理[編集]
横浜市の中央部にあり、関東ローム層からなる多摩丘陵の南東の端にあたる。東西に5.80km、南北に7.40kmある。関東平野にありながら起伏に富み、最高地は今井町の海抜97.0mである。
地名の由来[編集]
地域に神社の所領として置かれた荘園の一種である「榛谷御厨(はんがやのみくりや)」から転訛したという説や、凹地などの窪んだ所という意味の古語である「ホト」のような谷という説など複数ある[2]。
歴史[編集]
沿革[編集]
- 帷子川・大岡川両岸の台地に、縄文時代中期以降の遺跡が発見されている。
- 瀬戸ヶ谷から保土ヶ谷駅一帯まで大規模な飛鳥時代の古代遺跡があったが、開発のため消滅した。
- 律令制の元で、武蔵国橘樹郡と都筑郡に属し、江戸時代まで続く。
- 鎌倉時代、当地を支配していた畠山重忠一族の榛谷重朝(はんがやしげとも)が、所領を伊勢神宮に寄進して土地管理を委ねられていた。
- 室町時代末期には台頭した北条早雲の支配下となり、小机城主・北条氏尭が治めていた。
- 1601年(慶長6年)徳川家康が定めた東海道の駅制により東海道五十三次程ヶ谷宿が成立し、江戸時代は宿場町として発展した。
- 明治以降
- 1887年(明治20年)東海道線が国府津まで延伸、程ヶ谷駅(現:保土ヶ谷駅)が開業。
- 1911年(明治44年)帷子川沿い(天王町 - 星川)へ工場進出が始まる。特に富士紡績保土ヶ谷工場は現在の区役所周辺に立地し、当区の歴史に足跡を残した。併せて桜ケ丘が宅地開発される。
- 1916年(大正5年)西谷浄水場完成。
- 1917年(大正6年)横浜電気鉄道(横浜市電)が保土ヶ谷駅まで延伸。
- 1923年(大正12年)関東大震災で被災。
- 1926年(大正15年)神中鉄道(現:相模鉄道)が順次延伸、西谷駅と上星川駅が開業。
- 1927年(昭和2年)北程ヶ谷駅(現:星川駅)が開業。
- 1930年(昭和5年)天王町駅が開業。
- 1945年(昭和20年)横浜大空襲で、特に工場群が甚大な被害にあう。以降、公害問題もあり工場撤退が相次ぐ。
- 1952年(昭和27年)和田町駅が開業。
- 1970年(昭和45年)市電廃止。
- 1974年(昭和49年)保土ヶ谷バイパス全通。
- 1985年(昭和60年)帷子川沿いの工場は全て撤退。跡地は総合スーパーやオフィスビル街になる。
区域の変遷[編集]
- 1873年5月1日 区番組制により、橘樹郡保土ヶ谷宿・藤江新田・和田村・下星川村・仏向村・坂本村は第3区2番組に、都筑郡川島村・上星川村・新井村・上菅田村は第6区1番組に、今井村が第6区2番組にそれぞれ編入される。
- 1874年6月14日 大区小区制により、橘樹郡岩間町・保土ヶ谷町・神戸町・帷子町・下星川村・和田村・坂本村・仏向村は第2大区1小区に、上星川村・川島村・上菅田村・新井新田は第7大区1小区に、今井村は第7大区2小区にそれぞれ編入される。
- 1878年12月1日 郡区町村編制法により、大区小区を廃して橘樹郡、都筑郡並びに町村を復活。
- 1889年4月1日 町村制施行の際、以下の各町村が成立。
- 1909年 保土ケ谷町、矢崎村と宮川村を合併。
- 1901年 保土ケ谷町のうち、岡野新田の全域及び下岩間の一部が横浜市に編入される(現在の西区)。
- 1911年 保土ケ谷町のうち、下岩間の残り大部分が横浜市に編入される。
- 1927年4月1日 保土ケ谷町の残部と西谷村が横浜市に編入される。
- 1927年10月1日 保土ケ谷区成立。同年4月に編入した地域を区域とする。
- 1939年4月1日 都筑郡都岡村と二俣川村を編入(新治村は港北区に編入)。
- 1943年12月1日 中区より西久保町を編入。
- 1969年10月1日 旧都岡村及び今井町を除く旧二俣川村、並びに川島町の西半分(現在の西川島町を含む)が旭区に、残部を(新)保土ケ谷区とする。港北区から上菅田町・新井町を編入。
行政[編集]
- 区長:鈴木和宏(2011年5月1日 - )
- 前区長:岡部 豊(2008年4月1日 - 2011年4月30日)
- 区役所、消防署、警察署、図書館など区の行政施設は、ほとんどが相模鉄道星川駅周辺に集中している。
- 横浜市消防局(横浜市の消防本部)は保土ケ谷区役所に併設されている。
- 国の行政機関
地域[編集]
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健康[編集]
- 平均年齢 44.09歳(2010年1月1日) ※横浜市の平均は43.12歳
- 老年人口割合 22.0%(2010年1月1日) ※横浜市の平均は19.6%
住宅団地[編集]
- 県営笹山団地・神奈川県住宅供給公社笹山団地(上菅田町)
- 仏向町団地(仏向町、賃貸528 1961年 建て替え工事中) 全面建替)
- 仏向町第二団地(仏向町)
- くぬぎ台団地(川島町)
- 明神台団地(明神台、店 賃貸1156 1959年)
- 霧が丘
- 市営住宅 コンフォール明神台
- 市営住宅 ヒルズ峰岡
- 市営住宅 初音が丘
- 市営住宅 権太坂スクエア
- 市営住宅 ニューパース権太坂
- 市営住宅 川辺町第2
- 市営住宅 川辺町
- 市営住宅 西原グリーンハイツ
- 市営住宅 霞台グリーンハイツ
- 市営住宅 岩崎町
- 市営住宅 桜ヶ丘グリーンハイツ
- 県営花見台団地(花見台)
- 県営ハイム向台(川島町651外)
- 県営西原団地(川島町1472外)
- 県営南原団地(川島町)
- 県営千丸台団地(新井町340外)
- 県営桜台ハイツ(峰沢町)
- 住友化学社宅
経済[編集]
産業[編集]
- 主な産業
区内の大半が住宅街のため、スーパーなどの商業店舗は多い。
かつては日本硝子、東洋電機製造、日本カーリット、東京大学工学部火薬研究所、保土谷化学工業、古河電池などの大規模工場が存在したが、2006年現在すべて移転しており、古河電池の本社を除き区内に関連施設は残っていない。 なおこれらの工場跡は横浜ビジネスパークや大規模マンションとなっている。
教育[編集]
大学[編集]
- 横浜国立大学(常盤台キャンパス)
高等学校[編集]
中学校[編集]
- 横浜市立新井中学校
- 横浜市立岩井原中学校(西区にも校区がある)
- 横浜市立岩崎中学校
- 横浜市立上菅田中学校
- 横浜市立橘中学校
- 横浜市立西谷中学校
- 横浜市立保土ケ谷中学校
- 横浜市立宮田中学校
小学校[編集]
- 横浜市立新井小学校
- 横浜市立今井小学校
- 横浜市立岩崎小学校
- 横浜市立帷子小学校
- 横浜市立上菅田小学校
- 横浜市立上星川小学校
- 横浜市立川島小学校
- 横浜市立くぬぎ台小学校
- 横浜市立権太坂小学校
- 横浜市立坂本小学校
- 横浜市立桜台小学校
- 横浜市立笹山小学校
- 横浜市立瀬戸ケ谷小学校
- 横浜市立常盤台小学校
- 横浜市立初音が丘小学校
- 横浜市立藤塚小学校
- 横浜市立富士見台小学校
- 横浜市立仏向小学校
- 横浜市立星川小学校
- 横浜市立保土ケ谷小学校
- 横浜市立峯小学校
特別支援学校[編集]
- 横浜市立ろう特別支援学校
- 横浜市立上菅田特別支援学校
- 横浜市立浦舟特別支援学校・横浜市民病院院内学級
- 神奈川県立保土ヶ谷養護学校
交通[編集]
鉄道[編集]
- 保土ケ谷区役所は星川駅が最寄り
路線バス[編集]
道路[編集]
- 高速道路
- 第三京浜・首都高速神奈川2号三ツ沢線
- - 保土ヶ谷IC
- 首都高速神奈川3号狩場線
- 狩場IC -
- 国道1号横浜新道
- 国道16号横浜新道 -
- 新保土ヶ谷IC - 狩場IC -
- 保土ヶ谷バイパス
- 新保土ヶ谷IC - 新桜ヶ丘IC -
- 国道
- 県道
- 市道
観光[編集]
- 名所・旧跡
- 神奈川県立保土ヶ谷公園
- 横浜市児童遊園地
- 横浜カントリークラブ
- 陣ヶ下渓谷
- たちばなの丘公園
- 権太坂
- 境木地蔵尊(武相国境モニュメント)
- 神明社
- 旧帷子橋
- 金沢横町道標四基
- 保土ヶ谷宿本陣跡
- 政子の井戸
- 北向地蔵
- 英連邦戦死者墓地
- 清水谷戸トンネル - 現役日本最古の鉄道トンネル 保土ケ谷区と戸塚区の区界にある。
- 祭事・催事
- 保土ヶ谷宿場祭り
出身有名人[編集]
区の歌[編集]
平成19年(2007年)の区制80周年を記念して平成18年(2006年)に作詞を募集した。最優秀賞に選ばれたのは次の2作。
- 「わがまち 保土ケ谷」 貝原萌奈実(当時 横浜市立桜丘高等学校2年)
- 「やさしい心 やさしい町」 篠崎史代
作曲は岡島雅興(作曲家、フェリス女学院大学音楽芸術学科教授)が担当する。
この新しい「保土ケ谷区の歌」は区制80周年記念式典にて区民の合唱とオーケストラにより披露される。