ニュース映画

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ニュース映画(にゅーすえいが)は、映画館で上映される短編映画の一種で、ニュースを題材にして継続的に制作及び上映される作品群の事である。

1930年松竹による「松竹ニュース」が定期的に製作されたニュース映画の始まりとされているが、一説には、1914年に東京キネマ協会が開始した「東京シネマ画報」が、定期的に製作されたニュース映画の始まりであるとも言われている。

1934年頃から、トーキーの発達に伴い新聞社を主体に製作活動が活発となった。

1941年以降1945年の終戦までは、国策宣伝のために情報統制がかけられ、自由な製作はできなくなり、又、全国の映画館で上映が義務付けられていた。

戦後は、再び新聞社を主体にニュース映画の製作が復活した。しかし、1960年代になると、テレビの普及やテレビニュースの発達に伴い、衰退。大手ニュース映画作品も全て製作を終了しており、現在ニュース映画を上映する映画館は殆ど無くなった。

一般の劇映画(本編)の前座として短編アニメ映画と共に上映された他、ニュース映画を専門に上映するニュース映画専門館もあった。

代表的な作品[編集]

「日本ニュース」[編集]

  • 1940年4月 社団法人日本ニュース映画社設立。
  • 1940年5月 ニュース映画統制の下に国策ニュース映画としての「日本ニュース」製作開始。
  • 1941年5月 社団法人日本映画社に改組。
  • 1946年1月 新たに「日本ニュース」第1号としてスタート。
  • 1946年12月 株式会社日本映画社に改組。
  • 1951年12月 東宝の全額出資による株式会社日本映画新社(日映新社)に改組。この時から東宝が配給を担当し、全国東宝系劇場で上映される事になる。
  • 1952年1月 朝日新聞社と提携がなり、「朝日ニュース」に改題。
  • 1959年4月 シネスコ化。
  • 1975年4月 カラー化。週刊から隔週刊に公開時期を変更。
  • 1976年4月 朝日新聞社との提携を解消。「日本ニュース」に復題。
  • 1985年5月 公開時期を3週間に1回に変更。
  • 1992年3月 取材活動を終了。終刊。

1955年迄の作品は「朝日ニュース」も含め、NHKに権利一切が譲渡されている。尚、1946年迄の作品は川崎市民ミュージアムで視聴可能である。

読売新聞社関係のニュース映画[編集]

「讀賣新聞ニュース」(「讀賣ニュース」)[編集]

  • 1937年4月 読売新聞社が制作。全国の映画館で上映される。
  • 1940年4月 ニュース映画統制のため製作が打ち切られる事になり、終刊。

「讀賣国際ニュース」[編集]

  • 1949年3月 国際映画社が「国際ニュース」の製作を開始。配給は松竹
  • 1950年7月 国際映画社は読売新聞社に買収され、読売映画社と改称(現・読売映像)。「国際ニュース」も「讀賣国際ニュース」と改題し、引き続き松竹が配給。
  • 1960年7月 シネスコ化。
  • 1997年  終刊。(大手のニュース映画は、これで全て終刊となる。)

※現在、日本テレビのCS放送・「G+」にて、「懐かしのニュース映画館」と言う番組内で放送されている。

朝日新聞社関係のニュース映画[編集]

「朝日映画週報」[編集]

  • 1924年4月 朝日新聞社が制作。全国の映画館で上映される。(後「アサヒキネマニュース」に改題。)

「朝日世界ニュース」[編集]

  • 1934年7月 当初同年2月アメリカ・ユニバーサル映画と提携して開始した「朝日ユニバーサルニュース」と5月ドイツ・ウーファ社と提携した「朝日ウーファニュース」の隔週上映だった物を、「朝日世界ニュース」として一本化。同時に毎週公開に変更。尚、製作は朝日新聞社となっていたが、実際はPCL社(後東宝に合併)のニュース部が担当した。
  • 1937年12月 朝日新聞社、朝日映画製作株式会社をPCL社と共同で設立し、「朝日世界ニュース」の製作を移管。
  • 1940年4月 ニュース映画統制のため製作が打ち切られる事になり、終刊。

「朝日ニュース」[編集]

  • 1952年1月 日本映画新社との提携がなり、同社製作の「日本ニュース」を「朝日ニュース」に改題。(号数は「朝日世界ニュース」の最終号・330号から継承した331号から開始した。)
  • 1976年4月 日本映画新社との提携を解消。(「日本ニュース」参照)

以下の作品は、朝日新聞社との直接の関係はない

「新世界ニュース」[編集]

  • 1946年3月 朝日映画製作の後身、朝日映画社が「新世界ニュース」を製作開始。
  • 1947年2月 朝日映画社は新世界映画社と改称。
  • 1949年2月 新世界映画社の債務超過の為業務停止となり、終刊。

「東映ニュース」[編集]

  • 1959年9月 東映と朝日新聞社の合弁による朝日テレビニュース社の手により製作開始。全国東映系で公開。(タイトルは本編オープニング同様「荒磯に波」。なお、第1号よりシネスコ作品であった。)
  • 1978年 ニュース映画の需要が無くなった事と、報道部門をテレビ朝日に移管した事に伴い、終刊。

※現在、「朝日ニュース」「新世界ニュース」を除く各作品は、朝日新聞のホームページ内の「CLUBA&A」の中で、有料会員向けコンテンツとして公開されている。

毎日新聞社関係のニュース映画[編集]

「東日大毎国際ニュース」[編集]

  • 1924年 大阪毎日新聞社が「大毎キネマニュース」を製作。全国の映画館で上映される。
  • 1933年 「大毎東日キネマニュース」に改題。
  • 1935年7月 外国通信社との提携により「東日大毎国際ニュース」に改題。毎週公開となる。
  • 1940年4月 ニュース映画統制のため製作が打ち切られる事になり、終刊。

「毎日NBCテレビニュース」[編集]

「毎日世界ニュース」[編集]

  • 1947年2月 理研映画社が「理研文化ニュース」の製作を開始。時事通信社の提供による。配給は大映。
  • 1952年4月 理研映画社は日米映画社を合併して新理研映画社と改称。
  • 1952年8月 ニュース映画も合併する事となり、「理研文化ニュース」は終刊。代わりに毎日新聞社提供の「毎日世界ニュース」の製作を開始。配給は引き続き大映が担当。
  • 1960年7月 「大毎ニュース」に改題。同時にシネスコ化。
  • 1970年5月 配給元の大映が日活と配給網を一元化する事に伴い製作が打ち切られる事になり、終刊。

※現在は放送番組センターが保有。1956年以降の作品は放送ライブラリーで視聴可能。

「毎日ニュース」[編集]

  • 1954年12月 毎日新聞社が戦後再び直接製作に携わるニュース映画として「日活世界ニュース」の製作を開始。同じく映画製作活動を再開した日活が配給を担当。
  • 1955年1月 毎日新聞社、毎日映画社を設立し、「日活世界ニュース」の製作を移管。
  • 1960年9月 「毎日ニュース」に改題。シネスコ化。
  • 1970年6月 配給元がダイニチ映配になる。(1971年9月 大映に変更、1972年1月日活に復帰。)
  • 1993年   終刊。

※後年日活系映画館での上映は殆ど無くなり、東京地区では八重洲・観光文化ホールのみの上映となった。尚、「日活世界ニュース」時代の作品は毎日放送が権利を所有し、一部インターネット上で公開されている。

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