見沢知廉

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見沢 知廉みさわ ちれん、男性、1959年8月23日 - 2005年9月7日)は日本新右翼活動家、作家。 本名は高橋 哲夫(のち服役中、非公式に哲央と改名)。 東京都文京区生まれ。友人に雨宮処凛、鈴木邦男、木村三浩、島田雅彦がいる。

経歴[編集]

早稲田高等学校時代、試験中にアジ演説をぶって退学処分となり、定時制高校を経て中央大学法学部2部除籍中退。 2004年当時、慶應義塾大学文学部(通信教育課程)在籍中だった。

進学塾に通って早稲田中学校に進むが、中学時代から暴走族に入る。 新左翼ブントの高校生組織に入るが、三嶋事件を機に転向。 ただし連合赤軍には共鳴していたという。1980年右翼学生団体・日本学生同盟に加入。 1982年、新右翼の一水会統一戦線義勇軍に行き、同軍の書記長に就任。 日本IBM英国大使館等への火炎ゲリラ活動を行う。 その頃の組織名は「清水浩司」。 同年秋、「スパイ」リンチ殺人事件を起こし、逮捕される。 懲役12年の判決を受け、川越少年刑務所千葉刑務所八王子医療刑務所1994年12月まで服役。 釈放後に獄中で執筆した『天皇ごっこ』(1994年)で第25回新日本文学賞の佳作に選ばれる。『調律の帝国』で三島由紀夫賞候補となる。『天皇ごっこ』ともども、獄中手記『囚人狂時代』が大ヒットしてからは、売れっ子作家として精力的に活動していた。続編に当たる『母と子の囚人狂時代』もヒットした。自らでの獄中体験を明るいトーンで書き記す作風は話題を集めた。『調律の帝国』が三島由紀夫賞に落選した後は講演会等を中心に活動していたが、PTSD骨粗鬆症線維筋痛症など3000日間の懲罰房拘禁の後遺症に悩まされ、治療費がかさみ経済的にも窮屈していたと思われる。2005年9月7日、横浜市戸塚区の自宅マンション8階から転落死した(享年46)。当時罹患していた夏インフルエンザの治療の過程で服用していたタミフルの副作用によるものなのか、自ら飛び降りたものと見られる。 三島由紀夫を深く尊敬していた。見沢という筆名も、書店(新潮文庫)で三島の隣に並びたいからという理由による。 またサブカルチャーに精通しており、端正な甘いマスクもあってか若い女性にも人気があった。晩年は政治運動からの決別を宣言していたがそれでも当局にマークされ続け仕事でオウム真理教幹部と対談した際にも貴様とどういう関係なんだと問いつめられる事があったという。

外部リンク[編集]

著書[編集]

関連事項[編集]

人物[編集]

出版社[編集]