秘境

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秘境 (ひきょう) とは、人跡未踏の地、一般的に人に知られていない地域や場所。

概要[編集]

日本では、高度成長期の経済成長とともに、物質的な豊かさを求めると同時に短い余暇を利用した、観光地へのブームとなる。企業では年に1回から数回の慰安旅行が催され、名所旧跡や有名観光地、ホテル旅館の建ち並ぶ団体客向けの規模の大きな温泉地への一泊旅行が、家庭ではの近場への日帰りの家族旅行が旅の主体であった。

経済的な余裕や、時代の変化、週休2日制の普及、旅行ガイドや旅を特集した個性的な各種雑誌が次々に出版されるとともに好まれる旅の内容も少しずつ変遷していく。旧来の旅のあり方に対しての反動が起こり、観光地ばかりではなく都会から名もない自然豊かな周辺地域への旅が人気を博すようになる。1960年代後半には、既成の価値観に縛られた社会生活を否定し、自然への回帰を信条とするヒッピーの出現により、海外を自由気ままに放浪することや、国内でも既成の旅の概念に飽き足らない個性的な旅のスタイルを求めようとする風潮が一般にも広がる。金はないが時間に余裕のある若者らによりユースホステルキャンプ野宿ライダーズハウスなどを利用し、北海道などを長期間旅することがブームとなり、カニ族が出現する。彼らは、旧来の観光地に飽き足らず、できるだけ人の行かない地域にも足を踏み入れようとし、観光地化されていない地域、終着駅ローカル線の旅、湯治場秘湯などを訪れることが軽いブームとなる。高度成長期が終焉を告げようとする時期に時を同じくして、こうした流れがかつてない秘境ブームを呼んだ。人は競って秘境を目指し、多くの旅行雑誌に秘境特集が組まれた。

1970年代に入り、女性向けのファッション雑誌an・an』、『non-no』が出版され、旅が特集されると、こうした雑誌やガイドブックを片手に一人旅を行う若い女性が急増する。彼女らは「アンノン族」と命名され、雑誌では競って京都の特集などが組まれ、それまで紹介されなかった有名ではない寺院や観光スポット、飲食店などへの旅行がブームとなる。また、国鉄では1970年よりディスカバージャパンスローガンのもと、個人旅行客の増大を狙ったキャンペーンが行われ、「日本を発見し、自分自身を再発見する」をコンセプトに、また副題である「美しい日本と私」(川端康成の講演のテーマ『美しい日本の私』のアレンジ)が大々的に宣伝され、ひとびとはこぞって日本を再発見しようとこれまで足を伸ばさなかった奥地にまで足を踏み入れるようになった。国鉄ではより自由に行動できるワイド周遊券が発売され人気を博し、テレビでは国鉄提供による紀行番組『遠くへ行きたい』で永六輔が個性的な旅を演じて見せ、こうしたキャンペーンの後押しもあって、人々にとって旅はいかに造られた観光地を脱却し、個性的で知られていない場所を訪れるかに変化していった。

しかし、こうした風潮は、皮肉にも秘境を次々に平凡な観光地へと変えていくことになる。現代では、当時のような狂乱的な旅ブームは沈静化し、個人旅行は一般化するとともに、秘境という言葉も聞かれることは少なくなった。

1980年代に入ると、”秘境”の観光地化がすすみ、もはや「日本に秘境はない」とまでいわれるにいたるが、この頃と時を同じくするように突然秘湯ブームが巻き起こる。つげ義春など一部の著名人が1960年代東北の湯治場などを舞台にした漫画や絵、紀行文をかいていたが、それまでわずかな人々の間で好まれていただけの、こうした湯治場、山奥の温泉などに一般客が大量に押し寄せるようになり、俗化を招いた。また、その後、廃墟廃村廃線がブームになるなど、人が訪れない場所への人間の好奇心はさまざまな対象を目指すこととなる。

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参考文献[編集]

参考サイト[編集]