麻生区
麻生区(あさおく)は、川崎市を構成する7区のうちのひとつである。川崎市の西北端に位置する。新百合ヶ丘駅周辺は川崎市の北部副都心として発展している。
目次
概要[編集]
1982年(昭和57年)7月に、多摩区から分区する形で誕生した川崎市で最も新しい区である。
麻生の地名の由来は、古くから麻が自生しており、8世紀には朝廷に麻布を納めていたという記録が残っている点からである。区名は一般公募され、川崎市に編入されるまで同地域の多くを占めた都筑郡柿生村に由来する「柿生」が最も多い結果であったが、歴史の古さから麻生に決定した。あさおくと読むのが正しいが、あそうくと間違って読まれることが多い[1]。
南北に長い川崎市において、行政・商業の中心となっている川崎区(市の南東部)とは最も離れており、移動は非常に時間がかかる。そのため大半のことは区内で事足りるよう、区のほぼ中央の丘陵を開拓。小田急の新百合ヶ丘駅付近を川崎市の北部副都心と位置づけて、区役所,税務署などの公共施設、デパート,映画館など様々な商業施設が充実する近代都市としての開発が行われた[2]。1998年(平成10年)度には建設省(現・国土交通省)の都市景観100選を受賞した。大きな街でありながら、駅周辺では風俗営業を禁止しており、遊技場(パチンコ店)の一店だけに留まっている珍しい街である。南北交通の強化を図るため、川崎市では川崎縦貫高速鉄道(市営地下鉄)の建設構想を1960年代から提起しているが、着工には至っていない。
商業だけでなく、小田急小田原線・多摩線を軸にした東京のベッドタウンとして発展が続いている。元々、同区域は津久井街道(現在の世田谷町田線)が五反田川や麻生川に沿って伸び、また1927年(昭和2年)の小田急線開業によって交通の不便が改善され、その沿線には集落が形成されていた。さらに1960年代に入ると現在の麻生区域の丘陵地帯では日本住宅公団(現在の都市再生機構)による団地建設を皮切りに急速な住宅地整備が進められ、整備地域内の人口は急増したが、整備地域から外された大半の土地は山林に覆われ、人口も少なかった[3]。しかし1974年(昭和49年)に多摩線が開業したことで沿線付近が住宅地として開発され、また2000年(平成12年)以降には多摩線を意識した運行ダイヤが組まれ、都心へのアクセスが向上したことで、小田急不動産などのデベロッパーが積極的な開発・販売をした新興住宅地が沿線に多く存在する。その為、川崎市の中で社会増が最も多い区である[4]。
区南部には、日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸柿が発見された王禅寺地区があり「柿生」の名の由来となった。区北部の黒川地区には、昔ながらの里山が残っている。
近年では、昭和音楽大学の誘致、川崎市アートセンターの建設、KAWASAKIしんゆり映画祭の開催など、川崎市の「芸術のまち構想」の一環として音楽や芸術に力を入れている。
地理[編集]
川崎市の西北端に位置し、多摩丘陵の一部を占める。全体的に標高は高めであり、川崎市で最も標高が高い地点も麻生区内にある。区の中央から西に流れる麻生川沿いは標高が低くなっている。
そのため、麻生区はその周囲を流れる一級河川鶴見川水系および多摩川水系の分水嶺になっており、鶴見川水系麻生川、片平川、真福寺川、早野川、黒須田川、および多摩川水系五反田川、三沢川など多くの川の水源地になっている。
西部に飛地となっている岡上地区があるが、これは明治時代の歴史的背景によるものであり、在住の中学生は公立学校に通う場合、飛地から本地へ通学している。
地区[編集]
沿革[編集]
川崎市の歴史 も参照
- 鎌倉時代には「麻生郷」という記載がありこの時代からも「麻生」の名があったことが分かる。
- 1214年(建保2年):星宿山蓮華院王禅寺の山中で、日本最古の甘柿「禅寺丸」が見つかる。
- 江戸時代末期には「細山村」「黒川村」で炭焼きが行われていたことを示す記述がある。この炭は「黒川炭」と呼ばれていた。
- 1889年(明治22年):橘樹郡に生田村、都筑郡に柿生村・岡上村が成立。
- 1927年(昭和2年):現在の麻生区域内で初の鉄道路線として小田急電鉄小田原線が開通。柿生駅が開設。
- 1938年(昭和13年):橘樹郡生田村を川崎市へ編入。
- 1939年(昭和14年):都筑郡柿生村、岡上村を川崎市へ編入。
- 1960年(昭和35年)3月:小田急小田原線に百合ヶ丘駅開設。近隣で日本住宅公団が建設した百合丘団地の入居開始に伴い開設され、以後同地域での人口が急増。
- 1972年(昭和47年)4月:川崎市の政令指定都市移行に伴い、多摩区発足。
- 1973年(昭和48年)11月:川崎市が現新百合ヶ丘駅付近を中心とする北部副都心構想を発表する。
- 1974年(昭和49年)6月:小田急多摩線が開通し、新百合ヶ丘駅、五月台駅、栗平駅、黒川駅が開設。
- 1974年(昭和49年)10月:京王相模原線に若葉台駅が開設。
- 1978年(昭和53年):黒川より2万4千年前の石器が発掘される。
- 1982年(昭和57年)7月:多摩区のうち旧柿生村・旧岡上村の全域、および旧生田村の一部が分区し麻生区が誕生する。
- 1991年(平成3年)3月:川崎市が新百合ヶ丘地域を対象に「芸術のまち」構想を発表する。
- 1995年(平成7年):黒川でかわさきマイコンシティの企業誘致が始まる。
- 1998年(平成10年)10月:新百合ヶ丘駅周辺地区が、建設省の都市景観対象を受賞する。
- 2004年(平成16年)12月:小田急多摩線にはるひ野駅が開設。
- 2007年(平成19年)4月:昭和音楽大学が新百合ヶ丘駅周辺地区に移転。
人口[編集]
川崎市内では唯一、男性より女性が多い区である。(男性79,991人、女性81,541人。2008年3月31日現在)
厚生労働省が発表した「平成17年 市区町村別生命表」によると、男性の平均寿命は81.71歳で、全国2位である。(1位は横浜市青葉区の81.74歳)女性の平均寿命は87.3歳で全国27位である。
産業[編集]
商業中心であるが一部地域には農家も多く残っており、特に黒川、岡上、早野地区は市街化調整区域および農業振興地域に指定されている。また、栗木・黒川地区にはかわさきマイコンシティが造成され、コンピュータソフトウェア関連企業の研究所が多く立地する。
商業[編集]
新百合ヶ丘駅を中心とした大規模商業地区と、最も古くから栄えていた柿生駅付近に商店街などの中規模施設、他各駅付近に小規模商業地区が存在する。他、小田急線小田原線と併走する世田谷町田線沿いに商業施設が集まる。
一方、麻生区内には国道や高速道路はなく、同区の幹線道路である東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線も道路渋滞が激しいため(下記参照)、大規模なロードサイド店舗の成立は見られず、新百合ヶ丘駅周辺を除くと商業施設は住民の日常生活を支える規模にとどまっている。
教育[編集]
大学・短期大学[編集]
専門学校[編集]
- 日本映画学校
- 昭和音楽芸術学院
高校[編集]
中学校[編集]
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小学校[編集]
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社会教育施設[編集]
- 川崎市立麻生図書館
- 柿生分館
- 川崎市麻生市民館
- 岡上分館
医療[編集]
区内にある総合病院は、麻生総合病院、柿生記念病院など柿生駅周辺に集まっているが、隣接する宮前区に存在する聖マリアンナ医科大学病院は新百合ヶ丘駅を最寄り駅の一つとするなど、他にも出入り(アクセス)の便利な総合病院が存在する。2012年には新百合ヶ丘駅の近郊に南東北病院グループの関連医療法人による新百合ヶ丘総合病院が新設された。区内には個人開業医が多数あるが、より詳細な検査・緊急時には聖マリアンナ医科大学病院(市立多摩病院含む)を紹介されることが多く、また,市立多摩病院は同大学が市から指定管理を委託されていることなどからも、同大学の存在が麻生区を含む市北部の医療に大きな影響を与えているといえる。
区内および隣接する主な総合病院
- 新百合ヶ丘総合病院(377床) - 新百合ヶ丘駅徒歩10分(2012年8月1日開業[2])
- 柿生記念病院(270床) - 柿生駅徒歩5分
- 麻生総合病院(199床)、麻生リハビリ総合病院(183床) - 柿生駅徒歩10分
- 川崎田園都市病院(305床) - 柿生駅バス5分、五月台駅徒歩15分
- たま日吉台病院(199床) - 柿生駅バス12分
- 聖マリアンナ医科大学病院(1208床) - 宮前区(最寄り駅:百合ヶ丘駅)
- 川崎市立多摩病院(376床) - 多摩区(最寄り駅:登戸駅)
- 日本医科大学多摩永山病院(401床) - 東京都多摩市(最寄り駅:小田急永山駅)
隣接している自治体・行政区[編集]
神奈川県
交通[編集]
鉄道[編集]
- 前後を東京都に挟まれているため、東京都を通らないと県内の他の駅に行くことができない。
- ただし、貨物線部分であるため区内に駅は存在しない。
計画中の路線
- 始発駅(東京都)から、神奈川県の駅(相模原市予定)へ向かう際、区内地下を通過する予定。駅の設置予定はない。
構想中の路線
- 2000年の運輸政策審議会答申では、横浜市営地下鉄の延伸線として、新百合ヶ丘駅-すすき野間を2015年度までに整備に着手すべき路線と位置づけられた(すすき野地区-あざみ野駅間は2015年度までに整備すべき路線として答申)。しかし、横浜市による交通事業の再建問題なども絡み、具体的な整備計画はまだ進んでいない。
路線バス[編集]
空港直行バス[編集]
通勤高速バス[編集]
- 虹が丘・すすき野・美しが丘西→渋谷駅(東急バス)
道路[編集]
- 主要地方道
- 神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)
- 神奈川県道12号横浜上麻生線(麻生通り)
- 神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)
- 一般県道
小田急線小田原線と併走し、区のほぼ中央を東西に通る世田谷町田線は、都心と新百合ヶ丘駅付近、そして町田市街地を繋ぐ主要道路であるが、生活道路と都市間結節機能とが混在し、同道路は片側1車線であるため慢性的な交通渋滞が発生している。その為、特に渋滞の多い新百合ヶ丘駅付近から柿生駅付近を片側2車線化する工事を進めている。
区西部の柿生・町田市街方面や、区北部の黒川・多摩市街方面(尻手黒川線)から、区南部の王禅寺・東名川崎IC方面に向かう際にも、小田急小田原線がある影響で、新百合ヶ丘駅付近を通る必要があったが、2010年10月23日に新百合ヶ丘駅と柿生駅の中間に辺りに跨線橋をかけ、王禅寺方面から世田谷町田線へつながる道路が開通したことで、新百合ヶ丘駅付近を迂回する必要がなくなった。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 王禅寺 - 北原白秋が訪れた事がある。境内には、日本最古の甘柿品種禅寺丸柿原木が残っている。
- 香林寺 - 臨済宗建長寺派の寺院。五重塔が有名。
- 浄慶寺(あじさい寺) - 千本を越えるあじさいが名所。
- 弘法の松
- 川崎市アートセンター(劇場・映像ホール)
レジャー
- 川崎市の運営する施設で、ごみ焼却場の廃熱を利用した温水プールを中心に、トレーニングルーム、会議室等を備える。温水プールは全天候型。2015年3月末まで大規模改修工事ため休館。
- 王禅寺ふるさと公園
祭り
- KAWASAKIしんゆり映画祭 - 市民ボランティアを中心とした運営による映画祭。
- 麻生木賊不動尊だるま市 - 関東の納めのだるま市。毎年1月28日に行われる。
その他
- 川崎広域レーダ雨量情報システム(通称:レインネットかわさき)
- 柿生発電所
逸話[編集]
- 窓口の申請書記入例の氏名の例のところが「麻生太郎」となっていたが、2008年自由民主党総裁選挙の際、麻生太郎候補と同字であることが指摘され、差し替えられた。
著名人[編集]
- 福島瑞穂 参議院議員 社会民主党前党首 元消費者・少子化担当大臣
- 桑田真澄 元プロ野球選手、(ボーイズリーグ)麻生ジャイアンツ会長、(特定非営利活動法人)アミーチ・デル・クオーレ理事長
- 元木大介 元プロ野球選手、大神いずみ 元アナウンサー
- 小野武彦 俳優
- 平泉成 俳優
- 村井国夫、音無美紀子、村井麻友美 俳優
- Jisong 歌手(昭和音楽大学大学院卒業)
脚注[編集]
- ↑ ただし「上麻生」「下麻生」は慣用的に「あそう」と読まれることもある。
- ↑ このうち大規模商業施設の誘致に関しては西武セゾングループの進出撤回などで出遅れたが、現在では新百合ヶ丘エルミロードやサティービブレ新百合ヶ丘店の営業により充実が図られている。
- ↑ 同区内の小学校は現在18校あるが(該当項目参照)、1873年(明治6年)設立の柿生小学校と1875年(明治8年)設立の西生田小学校以外に次ぐ歴史を持つのは1964年(昭和39年)設立の百合丘小学校で、以後の各校はいずれもその後の人口急増期に設立されている。出典:川崎市教育センター 市立学校紹介 [1]
- ↑ http://www.city.kawasaki.jp/asao/cmsfiles/contents/0000029/29650/h20_p2.pdf 川崎市ホームページ「あさお区民の動向」PDF