殿岡昭郎

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殿岡昭郎とのおかてるお1941年7月7日 - )は、日本政治学者栃木県足利市出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒、慶應義塾大学院法学研究科博士課程終了(政治学専攻)。元東京学芸大学助教授。現在は維新政党・新風講師、日本戦略フォーラム政策提言委員などを務める。またチベット東トルキスタンウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)の中国からの独立を主張する論客であり、これらの地域の亡命政府と連携し独立運動を積極的に行っている。同時に中国によるこれら少数民族に対する大量虐殺、迫害などの人権侵害を紹介し、日本も中国に警戒すべしとの主張をしている。

本多勝一との裁判闘争[編集]

ベトナム戦争終結後、ベトナムのカントー市にある永厳寺という寺で、共産主義政権に抗議するため12人の僧侶が集団自殺をした。本多勝一はこの事件を、「サイゴン当局の捜査によれば、色気違い坊主による単なる無理心中事件。」と自著に発表した。これを受けて殿岡は、「諸君!」昭和56年5月号において、「本多氏はハノイのスピーカー役を果たしている」と批判する。ベトナム統一仏教会最高委員会に接触し、焼身自殺が共産主義への抗議の殉教である証拠、確証を得た上での批判だった。この批判に対し本多は、「諸君」編集部へ抗議の手紙を送り、自身の持つ連載に、暗に殿岡を中傷する内容の記事を掲載する。さらに本多は、当時殿岡が助教授を勤めていた東京学芸大学に、殿岡の罷免を求める公開質問状を送付するが、内容は人格攻撃そのものだったという。そのため学長、教授会は無礼な手紙に答える必要はないとこれを無視する。しかしその3ヵ月後、殿岡は同大学を退職する。その後本多は、「諸君」の発行元である文芸春秋と殿岡を相手取って、東京地方裁判所に損害賠償請求の訴えを起こす。本多は、ハノイ当局の発表を伝えただけなのに、それをあたかも自分の意見であるかのように書かれたことが名誉毀損に当たる、と主張した。しかし平成4年(1992年)2月25日、東京地方裁判所において「本多氏の取材内容の信憑性を疑ったことは相当の根拠があった。」としたうえで、本多の請求を棄却する判決が下った。

著書[編集]

  • 体験的本多勝一論―本多ルポルタージュ破産の証明(2003年 日新報道)ISBN 4817405546
  • 侵略の歴史―国際共産主義の100年(1983年 地球社)
  • 言論人の生態―思考と行動と知性を衝く(1981年 高木書房)
  • アメリカに見捨てられた国(1980年 創世記)
  • 現代新聞紙学(1979年 玉川大学出版部)

 

外部リンク[編集]