斉藤一也 (野球)
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斉藤 一也 No.
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県 |
生没年月日 | 1968年6月5日((2024-1968)+((11-6)*100+(22-5)>=0)-1歳) -
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身長/体重 | cm/ kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | |
出場期間 | - 出場中
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年俸 | |
経歴 | |
■テンプレート ■ウィキプロジェクト |
斎藤 一也(さいとう かずや、1968年6月5日-)は、元社会人野球選手(外野手)・コーチ。熊谷組、シダックスに所属していた。大学野球と社会人野球で日本一を経験。右投げ左打ち。
人物・来歴[編集]
栃木県出身。横浜高校では1年生からベンチ入り。投手として1年夏県大会に登板。2年春第57回選抜高等学校野球大会に出場。エース相川英明投手(元大洋)の二番手で甲子園のマウンドも踏んだ。夏の県決勝では、故障で登板回避の相川の代役で先発したが、連打を浴びて準優勝に終わる。2年秋はエースだったが、3年春からは手薄な捕手に異例の転向。夏はエース高井一投手(元阪神)の女房役として3番・捕手。攻守の要も2年連続決勝敗退で夏の甲子園に届かなかった。東都の亜大進学後は、外野手に転向。4年生で主将となり、東都大学野球リーグ戦春・秋連覇、全日本大学野球選手権大会では、エース小池秀郎投手(元近鉄)、高津臣吾投手(元ヤクルト)、川尻哲郎投手(元阪神)らと共に投打の主軸として4番・中堅手で活躍して大学選手権優勝、日米大学野球にも日本代表として選ばれ、主将を務め優勝。明治神宮野球大会では準決勝敗退。その後、社会人野球では熊谷組に入社、1994年シダックスに移籍。シダックス野球部でも主将を務めた。1999年の社会人野球日本選手権大会の初優勝にも主軸打者として大きく貢献した。2001年現役引退後は、野村克也監督(前楽天監督)のもとでコーチを経験。都市対抗野球大会には8回(自チーム7回、補強選手1回)出場。
キャリア・主なタイトル[編集]
- 第26回社会人野球日本選手権大会優勝
- 第19回日米大学野球選手権大会優勝
- 第39回全日本大学野球選手権大会優勝
- 東都大学リーグベストナイン
日本代表キャリア[編集]
- 第19回日米大学野球日本代表(1990年)
関連項目[編集]
- 栃木県出身の人物一覧
- 亜細亜大学の人物一覧
- シダックス野球部
- 野村克也
- 高橋善正 - シダックス時代のコーチ
- 内田俊雄 - 亜細亜大学硬式野球部の恩師
- 渡辺元智 - 横浜高校野球部の恩師
- 小池秀郎
- 高津臣吾
- 高橋建
外部リンク[編集]
- [ttp://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/3692/90univ.html 過去のドラフト候補一覧]-1990年ドラフト候補・大学編
- [ttp://www.jubf.net/us/jp_member19.html 第19回日米大学野球選手権大会オールジャパンメンバー]
- [ttp://yh-yokohama.com/obsenshu.htm 横浜高校忘れじのOB選手]