慶應義塾女子高等学校

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慶應義塾女子高等学校

慶應義塾女子高等学校(けいおうぎじゅくじょしこうとうがっこう、英語名: Keio Girls Senior High School)は、東京都港区三田に所在する私立高等学校

概要[編集]

慶應義塾女子高等学校

慶應義塾の一貫教育校の内、唯一の女子校。入学者の約半数が外部受験者で、残りが慶應義塾中等部からの内部進学者(そのうち半数は慶應義塾幼稚舎出身)である。高校受験においては一般約90名、自己推薦約10名の募集となっている。高校受験の難易度は日本の女子高一高い。戦後、女子を受け入れ始めた慶應義塾であるが、本校は中学校以降の女子の進学先がないという消極的理由により、設立された。慶應義塾大学へは無試験で大学に進学できる「エスカレーター式」を採用している。

校舎[編集]

江戸時代には陸奥会津藩松平家の下屋敷であった。本館2階につながるテラスへの階段脇に見える門は、旧田安徳川邸の庭園に使用されていた門である。十三重の石塔を含む庭園も備える。

校訓[編集]

  • 「自由」(女性を一段低くみる社会の偏見から自由になる、の意)「開発」(能力を)「創造」の3つである。

校風[編集]

校風は私立女子校としては比較的自由で、寄り道もアルバイトも問題なし。

服装[編集]

指定品は少なく、セーターも紺色のものを自前で用意する。白ブラウスも自前。靴下は色指定もなく自由。鞄も自由である。靴やコートも一定の規則の範囲内で自分で用意することになる。髪の毛に関する規則も一切ないが、装飾品(アクセサリー、化粧、マニキュア等)は禁止。これは設立以来校則が変わっていないため、当時あったものは禁止されているが、比較的新しいもの(パーマ、染髪等)に関しては指示がないということである。教員が服装、髪型について意見することは殆どなく、基本的に生徒会が規制している。1学期に何回か生徒会による登校時の服装チェック(異装検査:いそけん)があり、アクセサリーの没収やマニキュアの除去、化粧の指摘の対象になる者(全校で5名ほど)もいる。

周辺環境[編集]

慶應義塾女子高等学校

慶應義塾大学の三田キャンパスに近く、中等部に隣接している。校舎は徳川邸の跡地に建てられたため、校内に日本庭園が残り、都心ながら落ち着いた環境にある。また、都市部のため校庭と呼ばれるものがなく(隣の中等部には中庭・綱町運動場があるのだが)、体育は地下の体育館と屋上のテニスコートを使用する。校舎前の通りは桜田通りで交通量が多いが、校舎と道路の間に日産プリンス東京のビルが建っており、これが防音壁の役割を果たしかなり静かな環境を実現している。教室からは東京タワーが一望できる。

交通[編集]

教育[編集]

教育は教科書中心にオーソドックスな授業が行われているが、選択科目が多い。生徒たちは自分の希望する学部にあわせて履修をしていくことになる。近年では海外と中継して会議をするなど新しい試みも行われてきている。教員は原則として大学院修了以上しか採用していない。

卒業すればほぼ全員が慶應義塾大学に進学できるため、多くの生徒が内部推薦を得て進学するが、医学部法学部経済学部には定員が設けられている。但し医学部志望者は男子と比べ、定員枠が5人と少ないため他大学に進学する人が多い。。推薦入試と言えども医学部はきわめて困難である。

礼法の授業やテーブルマナー実習などもなく、「女性らしさ」を出す方針ではなく、そのような教育も行われていない。むしろ、自立した経済力のある女性を育てることを推進する教育を行っている。

学校行事[編集]

慶應義塾女子高等学校

学校行事が非常に盛んである。演劇会では宝塚並みの舞台を披露し、木工作業もなんのその、並々ならぬ努力をもって準備を行う。文化祭である十月祭(かんなさい)でも、大きな予算を組んで本格的な運営が行われる。修学旅行が毎年あるのも特徴。運動会では女子高でありながら「棒倒し」や「騎馬戦」が行われ、白熱した戦いが繰り広げられるが、準備は一週間程度しか行わない。

部活動[編集]

一部のクラブでは慶應義塾高等学校慶應義塾志木高等学校と提携し共同で活動を行っている。大学と活動をともにするクラブもある。

著名な卒業生[編集]

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順不同

関連項目[編集]

慶應義塾女子高等学校の画像[編集]

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